『ひょひょいの憑依っ!』Act.7


大笑いしている水銀燈は放っておいて、めぐは再び、襟元を広げました。
そして、ふくよかな双丘の上端を指さしながら、ジュンに語りかけたのです。

「ほら、ここ。私の左胸に、黒い痣があるでしょ」
「なるほど……勾玉というか、人魂みたいなカタチの痣がありますね、確かに」

確認を済ませたジュンは、気恥ずかしさから、すぐに目を逸らしました。
ジロジロ見て、懲りずに水銀燈のまさかりチョップを食らうのも馬鹿げています。
めぐの方も、水銀燈の手前とあってか、すぐに襟を閉じました。

「つまり、水銀燈さんは禍魂っていう存在で、柿崎さんに取り憑いてるってワケか」
「うん。きっと……これは報いなのよ。命を粗末にした、傲慢に対する罰ね」

つ――と、めぐは悲しげな眼差しを空に向けましたが、すぐに表情を切り替え、
顎のラインをするりと指でなぞりつつ、ジュンを見つめました。

「それにしても、あんまり驚かないね、桜田くん。性格、図太い?」
「ちょっと前なら、救急車を呼んでましたよ。頭おかしいだろ、ってさ。
 今は当事者だから、そんなコトもあるんだなって思えるだけでね」
「君って、順応性が高いのね。普通なら、もっと狼狽えるところなのに」
「それを言ったら、柿崎さんだって同じでしょ。
 取り憑かれてても平然としてるし、バイトまでさせてるなんて前代未聞ですよ」
「いいじゃない。給料倍増するんだし、水銀燈の分も、所得税は納めてるんだから」

逞しいもんだなぁ。呆れと感心が入り混じった溜息を吐く、ジュン。
めぐは「当然の帰結よ」と笑い飛ばします。


確かに、死の縁から蘇生を果たしたのですから、逞しくなるのも無理からぬこと。
考えようによっては、頼もしい限りと言えましょう。
長年、禍魂憑きとして普通に暮らしてきた経験を鑑みても、
ジュンよりは金糸雀への対処法を心得ているハズです。

「とまあ、私と水銀燈の関係は、このくらいにしておいて……
 そろそろ本題に入りましょうか」

めぐがキリリと表情を引き締めたのに合わせて、水銀燈も笑いを引っ込めました。
そして、めぐの背後に身を寄せると、彼女の両肩に手を置いたのです。
まるで……そう、如何なる障害からも、めぐを護ろうとするかのように。

めぐは、水銀燈の手を愛おしげにひと撫でして、口を開きました。

「確か、借りたお部屋が事故物件だって、言ってたわね」
「ええまあ。二人とも、ちょっと聞いてくれよ」

と、ジュンは今までの鬱憤を晴らすかのように、感情を爆発的に吐露しました。

「僕、就職を機に下宿したんです。下宿。そしたらドジな地縛霊が居座ってて、とり憑かれたんです。
 で、よく見たら部屋中に、おフダとか貼ってあるんです。大盛りフダだく。これ最狂。
 もうね、ウソかと。有り得ないかと。

  (中略)

 『もっとこの世に未練が残っちゃったかしらーっ♪』とか言って、もう見てらんない。
 お前な、たまご焼きやるから成仏しろと……。

  (更に中略)

「お前はホントに成仏する気あるのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間といつめたい」


あまりにジュンの話が長すぎるので、めぐも水銀燈も、欠伸を堪え切れません。
結局、めぐが口を挟んで、話を中断させました。

「要するに……桜田くんは、その地縛霊ちゃんを追い出したいの?」
「追い出すというより、ちゃんと成仏させてやりたいなって思うんだ。
 なんだかんだ言っても、部屋に閉じこめられっぱなしだなんて、可哀相だから」
「ふむ……なぁるほどねぇ」

めぐは腕組みして、難しい顔をしました。

「桜田くんが優しいのは判ったわ。でも、それが問題でもあるのよね。
 幽霊って、往々にして思い込みが激しいモノだから」

そして、後ろを振り返って、訊ねます。

「ねえ、水銀燈。説得できると思う?」
「さぁて、どうかしらぁ。地縛霊なんて、ほとんどが未練がましい奴らよ。
 口で言って、素直に従うとは考え難いわね」
「と、なると――やっぱり」
「荒療治だけど、少しぐらい痛い目をみせた方が、手っ取り早いんじゃなぁい。
 相手に『もうこんなトコに居たくないっ!』って思わせれば勝ちよ」
「ちょっ、ちょっと待ったぁ!」

なにやら、二人の会話に物騒な気配を察知したジュンが、割って入りました。
「痛い目って……もっと穏便にカタを付ける方法は、ないんですか?」


すると、今度は彼女たちの方が、不思議そうに首を傾げます。

「じゃあ、桜田くんなら、どうすると?」
「念仏とか呪文とか唱えて、地縛作用を解いたり、日曜十七時半で昇天させるとか」
「きゃはははっ! やぁれやれ、呆れたおばかさんねぇ」
「そ、そんな言い方ってないだろ」

水銀燈のあからさまな嘲りに、つい、いきり立ってしまうジュン。
二人に挟まれためぐだけは、オセロの駒みたいに感情をひっくり返すこともなく、
落ち着いて水銀燈を押し止め、冷静にジュンを諭しました。

「まあ、聞いて。正直なところ、桜田くんは人が良すぎるみたいね。
 それは素直さの裏返しでもあるから、一種の美徳と言えなくもないわ」
「世間知らずなだけでしょぉ? ハッキリ言ってやんなさ――べぶ!」

不用意に口を挟んでしまった水銀燈の顔に、めぐの裏拳がクリーンヒット。
一撃で沈黙させてしまうと、ナニ食わぬ顔で話を続けました。

「でもね、さっきも言ったでしょ。それが問題だって。
 お人好しな人ほど、縋り付かれ、付け込まれるものなのよ。
 いい? 相手は、この世に未練を残した幽霊なの。ここ、重要だからね」

言われてみれば、幽霊ということを、失念しすぎかも知れません。
金糸雀はあまりにも存在感が強すぎて、つい、普通の女の子みたいに思えてしまうのです。

(確かに……教えられなきゃ、幽霊だなんて判りっこないよな)
そう考えた途端、不意に、ある閃きがジュンの頭に訪れました。
いっそ、めぐと水銀燈のような共生関係になれば、万事解決ではないのか……と。


しかし、無理が通れば道理が引っ込むと言うように、今度は真紅との関係が危ぶまれます。
金糸雀のことですから、言い聞かせたところで、真紅イジメを止めないでしょう。
健在の幼なじみより、幽霊を選ぶというのも、人として間違っているような気もします。

「やっぱり、ある程度の強引さは避けられないのかな」
「桜田くんが、幽霊ちゃんに人生を振り回されてもいいのなら、私たちは見守るだけよ。
 わざわざ手出しする理由もないでしょ。
 そもそも、私は専門的な修行とか積んでるワケじゃないし」

――逡巡。
薄幸な女の子に、更なる苦痛を与えるのは、どうにも気が引けてしまいます。
けれど、金糸雀のためにも、このままでいいハズはなく――

「……解ったよ。どっちみち、別れはいつだって、痛みを伴うものだもんな。
 金糸雀を…………成仏させてやって下さい」

ジュンは腰を上げて、めぐと水銀燈に、深々と頭を垂れたのです。

「本気なのね。だったら、私たちも協力を惜しまないわよ。ね、水銀燈?」
「ふぅ……仕方ないわねぇ。めぐが乗り気なら、私は従うだけよ」
「じゃあ、決まり。早速、桜田くんのアパートに行きましょ。善は急げ、よ」

めぐが、突如として苦しみだしたのは、そう言って立ち上がった直後のことでした。
しかも彼女ばかりか、水銀燈まで苦悶に喘ぎ始めたではあーりませんか!
普通ではありません。ジュンの脳裏に、金糸雀の黒い幻影が、ゆらりと現れます。

(あいつ……まさか、僕が寝てる間に、なにか細工してたのか?!)

呪いの類でしょうか。ジュンを独りで送り出したのも、そういう罠を用意していたからで……。
まるで、立ち眩みでもしたかのように、めぐがグラリと前のめりになります。
ジュンは咄嗟に、彼女の身体を抱き留めました。

「どうなってるんだ! しっかりしてくれっ!」

その呼びかけに応じて、めぐが呻きます。そして、一言。

「……切れ……た」
「――え?」
「酒気が……切れたぁ」

アル中かよ! なんて悪態は胸に秘めたまま、心配そうにめぐを支えるジュン。
めぐは弱々しく、申し訳なさそうに呟いたのでした。

「ゴメン。今日はちょっと、ダメそう。アパートに伺うのは、明日でいい?」

いい? と訊かれても、ジュンに反対する権限などありません。
金糸雀の件で、めぐに頼みを聞き入れてもらえただけ、ありがたいのですから。
頷くほかなかったのです。不承不承でも、なんでも。




一応の成果を得て、ジュンはアパートに戻りました。
例によって、ドアを開けるや金糸雀の熱烈な出迎えがくるかと身構えておりましたが……

「おかえりなさいかしら~!」

陽気な声と共に、すとんと降ってくる影――それは、天井から逆さ吊りになった人形でした。
ジュンは「うひ!」と喉の奥から空気を漏らして、失神してしまったのです。




次に正気を取り戻したとき、ジュンはベッドに横たえられていました。
ベッドの脇には、俯き、しょげ返っている金糸雀。
随分と長いこと気絶していたらしく、窓の外は既に、暗くなっています。

「えっと…………僕は、どうなったんだっけ」
「ごめんなさいっ! カナが人形に宿って悪戯なんかしたから、ジュンは――」

そう言えば、意識がブラックアウトする直前、逆さ吊り人形を目にした憶えがあります。
ありがちな他愛ない悪戯に、失笑を禁じ得ないジュンでした。
そこそこ賑やかで、温かい家庭。家に帰れば誰かが待っていてくれる生活も、悪くない。

(こんな生活も悪くないと思うけど……明日までなんだよな)

夜が明ければ、めぐと水銀燈が、ここを訪れます。
金糸雀を、二度と会えない彼方へと、送り葬るために――

「――――ン? ジュンってば、聞こえないかしら? あぁん、もぉ……えいっ!」

やおら耳に指を突っ込まれ、物思いに耽るあまり遠退いていた意識が、引き戻されます。
「なんだよ」と鬱陶しげに問うジュンに、金糸雀は、おずおずと訊ねました。

「あのね、お夕飯どうする? 食べるなら、すぐに支度をするかしら」
「……いや、いい。なんか気分が優れなくってさ。気怠いから、このまま寝ちゃうよ」
「そう。じゃあ……おやすみなさいかしら、ジュン」

金糸雀は囁くと、ジュンの額にそっとキスして、立ち去りました。
普通にしている分には、可愛くて、かいがいしくて、護ってあげたくなる娘です。
その彼女を、自分は厄介払いしようとしている。成仏させるなんて、所詮、お為ごかし。
微かな自己嫌悪は、暗い雲となって、ジュンの胸を更に曇らせるのでした。



一方、金糸雀も玄関先に屈んで膝を抱え、気持ちを沈ませていました。
けれど、その理由はジュンと異なるものでした。

(ジュンの服から……女の子の匂いがしてた)

それは、めぐを抱きかかえた時の移り香でしたが、金糸雀の知るところではありません。
金糸雀の思考は即座に、匂いと真紅を、こじつけました。

(あの女……まぁだジュンに付きまとってるのね。だったら、カナにも考えがあるわ。
 二度と近付けなくしてやるから、覚悟しておくかぁ~しぃ~らぁ~!)




その夜、遅く――
真紅は鏡台に向かって、就寝前に、髪を梳いていました。
ネグリジェの襟元には、昨夜、ジュンがくれたブローチが輝いています。
鏡に写った眩い煌めきに目を留めて、真紅は唇に笑みを浮かべました。

彼の前では興味ない素振りをしましたが、本当は舞い上がるくらい嬉しかったのです。
家にいる間だけは、こうして身に着けているのが、彼女のマイブーム。
乙女のナイショ♪ というヤツらしいです。

すると、次の瞬間っ!
鏡台に置いてあった真紅の携帯電話が、いきなり鳴り出しました。
発信元は――ジュンの携帯電話です。

「なに? こんな夜更けに電話してくるなんて、不躾なのだわ」

出る必要などない。そう思い、放っておくと、電話は鳴り止みました。
けれど、すぐにまた鳴り始めました。やはり、ジュンからです。
それも無視していると、音は止み、また鳴ります。真紅は根負けして、電話に出ました。

「なんなの、いったい? 悪ふざけなら、やめてちょうだいっ!」
『…………』
「もしもし? ジュンなのでしょう? なんとか言いなさい」
『……私、カナよ。いま、貴女の部屋に向かってるかしら』

「はあ?」と真紅が問い返すや、通話が切れました。
そして、三秒と待たずに電話が掛かってきます。

「……もしもし。もしかして、貴女はジュンの――」
『カナよ。今……貴女の後ろにいるかしら』

いくら何でも、来るのが早すぎです。ドアが開く音も、気配も感じませんでした。
……が、次の瞬間、真紅は自分の鏡像を目にして竦みあがりました。
真紅の右肩に、ニタリと嗤いながら覗き込む人形が、写り込んでいたのですから。
しかも、人形が手にしているのは、紛れもなくジュンの携帯電話でした。

人形は携帯電話を投げ捨てるや、背後から真紅の頚を、両手で締め上げてきました。
殺されるっ! 真紅はメチャクチャにもがいて、人形を振り解いたのです。
――が、そのとき既に、大切なモノを奪われておりました。

「あはっ♪ もらっちゃったかしら~」
勝ち誇ったような金糸雀の声に顔を上げた真紅は、そこにブローチを見付けました。
人形の手に握られた、大切な宝物を。
金糸雀の魂が宿る人形は、しげしげとブローチを眺め……舌を這わせました。

「この味は! ……ジュンがプレゼントした物の『味』かしらぁ」

「返しなさいっ!」叫ぶと同時に飛びかかる真紅。
人形は機敏な動作で脇をすり抜けざま、真紅の脚の間に、畳んだパラソルを突き入れました。
足を縺れさせた真紅は、飛びかかった勢いそのままに、ヘッドスライディング。
思いっ切り、壁に頭を打ち付けて、気を失いかけてしまったのです。

「あははははっ! いいザマね。実に清々しくって、歌でも唄いたい気分かしら」
「うぅ…………お……願い。返し……て」
「イヤかしら~♪」

床に倒れたまま、弱々しく懇願する真紅に見せびらかす様に、ブローチを差し出す人形。
しかも、明らかに、握る手に力が込められていくじゃあーりませんか。

「こんなモノ――」
「っ?! や、止めてっ」
「こ・う・し・て・や・る・か・し・らっ」
「ダメぇ――――っ!」

制止する声も虚しく、ブローチは真紅の目の前で、カタチを変えてしまいました。
人形の手の中で、くの字に折れ曲がり、メキメキと砕けてしまったのです。
真紅は瞼を見開き、声にならない悲鳴を上げて、人形の足元に這いつくばりました。

「ああっ! ああああああああっ! どうしてっ! どうしてぇっ!」
「ふふん……分相応って言葉、知ってるかしら?
 貴女は、ジュンに相応しくないのよ。彼の愛情を受ける資格なんか無いの。
 だから没収しただけ。そして、今度は…………貴女のキレイな身体を奪ってやるかしら」
「ひぃっ! イヤ……こないでっ! イヤぁっ! 助け――」


後ずさる真紅をカナ縛りで止め、人形は爛々と義眼を煌めかせながら、舌なめずりしました。

「うふふふふっ。楽してズルして、生身と恋人をダブルゲットかしらぁ~♪」
最終更新:2007年04月08日 21:44