私は、世間一般では『お嬢様』と分類されるらしい。 父は経済界をリードしていて、新聞にもよく名前が載る。 親戚には政治家の人もいる。少し遠い親戚でも医者、弁護士、大学の教授など、 みな社会的地位の高い職業だ。俳優、作家などをやってる人もいる。 古い家柄だから、血筋を辿れば普通の家庭の人もいるかもしれない。 でも私はそういった親戚の人を見たことが無い。多分、親戚一同のパーティーなどで 呼ばれる人、呼ばれない人で線を引き、後者なのだろう。 こんな家に生まれた私は当然お嬢様であると言え、先の結論に達する。 『お嬢様』だから恵まれている、とは限らない。 普通、旧家の『お嬢様』として生まれると厳しい躾を受ける。 立派な『お嫁さん』として嫁がせるためだ。 でも私は両親の一人娘だった。体の弱い母はそう何度も子供を産めず、最初で最後の子供が私だったからだ。 両親は私を溺愛した。教育こそ真面目だったが(私が真面目に勉強しているととても嬉しそうに 褒めてくれたから、子供の私も嫌がらなかったのだ)、私の欲しい物は何でもくれたし、何処へでも 連れて行ってくれた。周りの人は全員私を可愛いと言ってくれた。 私は恵まれていた。お父様とお母様がいて、執事や、大勢のメイド達、 広い庭、綺麗な花壇、可愛い犬や猫、美味しい料理と毎日楽しみにしてたおやつ、 大きなスクリーンに映る映画、家族と使用人以外は誰もいない海岸で走り回ったり、 大きなお風呂で汗を流し、ヌイグルミに囲まれたベットで寝る一日。 子供の頃はこれが普通だと思っていた。 今ならもう少し世間が分かってきて、お父様が忙しい中、自分のために時間を作ってくれたことも、 使用人達が私を可愛いと言ってくれたのも、学校で私が他の子より目立っていたのも、全部理解できる。 けれど子供時代を皆に可愛がられ、好きな物はなんでも手に入って、我侭し放題だった私のこの性格は、 簡単には直らない。欲しい物は何としても、欲しい。そんな私が今、一番欲しいのは・・・ 嬢「あら男さん、おはようございますわ。今日も庶民らしく歩いて登校ですの?」 男「おはよう・・・ってお前も歩きじゃないか。いつもの高級車はどうした?」 嬢「完璧な私は健康にも気を使いましてよ。歩くのもいい運動ですわ」 男「運動、ねえ。・・・そういやお前、最近顔が丸くなってきてないか?・・・ダイエット?」 嬢「な!だ、誰の顔が丸くなったですって!この無礼者!!」 男「おお、恐っ!お嬢様、どうか気をお静めくださいってか?」 嬢「きーー!!それ以上の侮辱は許しませんわ!!あ、コラッ!待ちなさーい!」 私が今欲しい物はなかなか手に入らない。走っても届きそうにないと思えば、 目の前で大胆にも挑発してくる。その上掴んだと思っても、スルリと両手から抜けてしまう。 もどかしい。こんなもどかしい思いは人生で多分、初めてだ。 簡単に言えば、そう、私は今、恋をしているのだ。 私の学校はそれなりの進学校だ。『それなり』、と言うのも、私の学力ではもっとレベルの高く、 伝統ある私立校にも十分通えるからだ。事実、中学までは名門私立校に通っていたし、 エスカレーター式でそのまま高校、大学へと進学することもできた。両親も私がそうするものだと 思っていたらしく、この高校に進学したいと言ったときは驚きの表情を見せた。 けれど反対はしなかった。それどころか高校の近くに小さな家(世間では豪邸らしい) と生活に十分な使用人を与えてくれた。 私が今の高校に進学したのは当然理由がある。正確に言えば、高校は何処でもよかった。 この街に理由がある。 この街には私の母方の御祖父様、御祖母様が住んでいて、何度か来たことがある。 二人も私を溺愛していて、最初はそちらにお世話になろうと話もあったが、 学校からあまり近くないのと、少し窮屈だったので、新しい家に住むことにした。 それに、祖父母のことは勿論好きだが、それを理由にこの街に来たわけではない。 この街の○○公園に思い出があるのだ。とても遠く、霞がかった記憶でしかないが、二つ、 はっきりと覚えていることがある。 小さな男の子の背中と、全身を包んでくれるかのような、人の温もり。 小さな、と言っても幼少の頃の私と同い年位だったかもしれない。そしてどういうわけか、 私はこの公園でその男の子と遊んだことがあるらしいのだが、顔は思い出せず、後姿しか思い出せない。 後姿を、その男の子の細い肩が震えているのを−何故震えているのかわからないが−、今でも鮮明に思い出せる。 もう一つ、暖かい温もり。こちらはもっと不明瞭だ。視覚として記憶に残ったわけではなく、暖かかった、 と言う感覚を何故か覚えている。たぶん誰かに抱きしめられたんだと思うけど。 まるで母親に抱きしめてもらったかのような、体温の暖かさ。 けどその思い出には母様は出てこない。その暖かな温もりに包まれたかと思うと、そこでプツリと 私の記憶は途絶えてしまう。 私はそれが気になってこの街に来たのだ。 それだけ?と思うかもしれない。けどそれだけだ。私はどうしてもあの男の子が気になってしまう (温もりの方も気にはなるが)。 俗に言う『初恋』なのかもしれないが、今までそれだけは必死に否定していた。 初恋の相手の顔も覚えていないなんて、自分のそんな間抜けさを認めたくないのだ。 けれど、最近はやっぱり『初恋』の相手だったのかもしれないと思い始めた。 今、追いかけている彼の背中に、何故か思い出の男の子の細い背中が、重なって見えるから。 当然だが、人は成長すれば肩は広くなり、背中も大きくなる。男性ならなおさらだ。 思い出の男の子と彼の背中が重なって見えるなんて、自分でもどうかしていると思う。 せめて、男の子の顔さえ、顔さえまともに覚えていれば、その面影が重なったとしても不思議は無い。 顔さえ、顔さえ・・・ 男「・・・どうした?人の顔をじっと見て」 嬢「!」 いつの間にか、彼の顔をじっと見つめていたらしい。それも、目と鼻の距離で。 嬢「な、な、な、なんでもございませんわ。」 男「?・・・変な奴だな」 不覚だ。屈辱だ。しかも彼に『変な奴』呼ばわりされてしまった。なんて失礼な人だ。 そもそも『変な奴』は彼の方だ。クラスメイトは全員私の家の事を知っていて、 どこかよそよそしく、あるいは同い年なのに謙って私に接している。先生でさえもだ。 でもそれが普通なんだろう。なのに、彼は違う。謙るどころか、私をからかうのだ。 最初こそ、警戒するかような態度だったが、それもそうだ。 初対面では私のほうから話しかけたからだ。 〜回想 高校入学の日、その放課後〜 嬢「・・オ、オホン。そこのあなた」 男「!・・・なんだ?」 嬢「名は、何と言いますの?」 男「HRで全員自己紹介はしたと思うが?」 嬢「な、・・クラスメイト全員の顔と名前など一々覚えていませんわ」 男「そうか、なら俺が名乗っても意味無いな。覚えないんだから」 嬢「だ、だから、覚えるために、あなたに名前を伺っているのでしょう!」 男「人の名前を聞く前に、まず自分から名乗るが礼儀じゃないか?」 嬢「くっ、・・・私の名前は、嬢です」 男「知っている、あんなたは有名だからな」 嬢「な!だ、だったら名乗る必要ないではありませんか!何故名前を聞いたのですか!?」 男「名前を聞いてるのはあんたの方じゃないか?   あんたが勝手に名乗っただk・・嬢「いい加減に名乗れぇぇえええー!・・・ハア、ハア」 男「・・・想像してたのとは、少し違うんだな」 嬢「!」 結局あの後10分くらい、高度な論争の末、彼の名前を聞きだした。私の勝利だ。 ・・・決して彼が飽きたから答えたのではない、決して。