誤訳・誤解・曲解・無理解・反知性主義

274 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 12:22:31 ID:Cr1rAfbN [2/9]
というのも、今の日本人は直接的な戦争はしていないけど、
お金や利益・その他での別の戦争をしているよ。悪い意味での個人主義と
明治かた続く全体主義の負の影響が受験教育で。。決して良くはなってない。

279 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 14:11:22 ID:T8KvF1ec [5/14]
 >>274
ということは現代の日本と戦前戦中の日本は何も変ってないことになるよね。
あと悪い意味での個人主義とは何かな?
俺は日本に個人は存在しないと思ってるんで。

280 名前:273[] 投稿日:2010/01/16(土) 14:16:21 ID:Cr1rAfbN [5/9]
 >素直で実直だからこそ戦争に反対意見も言えなかったのでは?

つまりマイナス面とブラス面を見る必要があるといいたくてね。
戦争へつっこんだのは明らかにマイナス面だよ。
修身とつっこんだ個人的探求的学問の二つの可能性があると思ってる。
修身は良かったんだよ。ただ、疑問を持つとか、いい意味でひねくれた根性が不足していた。
ひねくれすぎてもだめなんだよ。今みたいに人間不信になり活力が低下する。

281 名前:273[] 投稿日:2010/01/16(土) 14:18:08 ID:Cr1rAfbN [6/9]
 >悪い意味での個人主義とは

あなたが言ってるのとだいたい同じ意味と思う。個人になり切れてないお子様個人主義っていうか。
個人になるには、社会への希望が埋め込まれてないとだめだ。

282 名前:273[] 投稿日:2010/01/16(土) 14:21:16 ID:Cr1rAfbN [7/9]
修身とつっこんだ個人的探求的学問のふたつが完備されれば自立的個人にはじめて成ると、言いたいんだよ。

283 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 14:21:57 ID:???
 >>279 >ということは現代の日本と戦前戦中の日本は何も変ってないことになるよね。
大正時代はまさに今と世相も考え方もそっくりだよ。
共産主義のフィルターはあるけど、だから『蟹工船』の本が若者の共感を得たわけだし、
言葉こそ違えニート、オタク、フリーター、派遣労働が日常化した時代なんだよな。

 >あと悪い意味での個人主義とは何かな?
利己主義でしょ。
他人の自由は認めないくせに自分の自由だけは厚顔無恥に訴える利己主義そのもの。
これで他人の自由も認めたら、理想とされる個人主義だけど、
今の日本人は相手の自由は認めないけど黙認はしてるって感じかな。

284 名前:273[] 投稿日:2010/01/16(土) 14:27:42 ID:Cr1rAfbN [8/9]
支配者や教師が自信を持ちすぎた文化では個は衰退していくと思うよ。
石原新太郎とかは勇ましいことを言って。若者にもっと強くなれ、とか言ってるが・・
つまりね。強くなってほしいのは誰でもそうだよ。だけど権力者や教師がそんな風だとますます個人が育たず
弱弱しい大人が出てくると言う現実の矛盾に石原新太郎は気づいてないんだよ。
教師や権力者は可能性の種類に対して謙虚でなければならず、自分の経験則に自信を持ちすぎてはいけないなんだよ。

287 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 14:53:13 ID:???
 >>283
横槍だけど個人主義の胎盤は利己主義だと思いますよ。
ホッブズ曰く万人の万人による戦争状態が大前提でして
力で他を制圧したものが王となり貴族となる。
日本でいう武士と貴族を掛け合わせたような完全なる強者。
文化や思想や騎士道精神や道徳を広めるのも彼ら強者。
中間層以下は不平不満や利己主義がふつうなんですよ。

まあこの辺の議論は西洋のエゴと矛盾に深く悩んだ
漱石のような天才がいるのでそれを読むと面白いです。
漱石の最終境地は則天去私とされてますよね。
儒教的な倫理観、東洋的美意識に裏打ちされたLet it be。

免疫としての知識・教養があれば、
そう単純に日本人劣等論に飛びつけないと思いますけどねえ。

292 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 15:35:48 ID:???
 >>291
横レスだが、日本にも個の時代はあった。
ただ、和の思想(全体主義)の観点からは、疎ましい存在だったんじゃないかな。
和を重んじた質量分析器の某氏はフェローになって、個人主義のN氏は敗訴してアメリカに行ってしまった。

294 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 15:50:32 ID:???
 >>291
戦後の復興時、個人主義を利己主義と勘違いしてしまったんじゃないか?
食べること、豊かになることが第一でさ
個人の自由には責任が伴うという西洋では当たり前の規範が根付かなかった
日本人はまだ個人主義を本当の意味で理解していない
そもそも西洋人でない日本人に西洋のままの個人主義はあわないんじゃないか?
今は利己的な集団主義になっていて個人がエゴをぶつけ合ってる一方、
集団の枠組みから離れるものはよしとしない精神があるような
個人主義は自分が自由である代わり、相手にも自由を認める精神があると思うんだが、
日本は多数が勝つ、もしくは強いものにつくという精神が占めていて、マイノリティは排除される
精神の根底が集団主義だから

299 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 16:21:57 ID:T8KvF1ec [8/14]
 >>287
 >漱石の最終境地は則天去私とされてますよね。
 >儒教的な倫理観、東洋的美意識に裏打ちされたLet it be

つまり天(支配者)のためなら個人を捨てろって考え方ですよね。
それが根底にあるから御国のため会社のためで急激な発展が可能だったと。
個人主義とは対極だけど悪い意味では無いと、経済発展という結果も出てるしね。

俺は日本人が劣等とは思わないんだが発展という目的を達成して
これから下り坂の日本に「則天去私」はもう合わないんじゃないかと思うんだが。

300 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 16:25:22 ID:???
則天去私ってのは白髪三千丈みたいなもんで、おおげさにいえばって感じかな。。
仏教の高僧を見ると、人間の個性というものはどれだけたくさん修行をつんでもなくなる
ものではない。
個性を活かしながら、社会につくすっていうのが今風というかこれからのスタイルな気がするが。

305 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 17:10:51 ID:???
「個人主義は○だけど利己主義は×」というのは間違いらしい。

「良いとされる洗練された個人主義」にも
日本人にはエゴ・悪・冷淡・不自然…と感じるものが含まれてる。
だから漱石のような天才が個人主義を否定したのはそのため。

あと個人主義と利己主義は必ずセットだってこと。
社会の上澄みエリートに近いほど洗練された個人主義になる。
でもエリートでも個人主義の裏に利己主義エゴが最後までドンと座っている。
最悪の場合には腕力・喧嘩・実力・戦争で叩きのめすしかないと思ってる。

そこまで行かないための前提として
「迷惑と感じる水準」を上げて大らか・寛容・鈍感になるのと、
コトバによるプロレス演技に慣れないと、
自由を認め合うのは苦しいと思うんだけど。

あと「義務を果たさないのに権利ばかり主張して…」
こういう発想は日本独特の曲解ですよね?
誰がいいだしたんですか?

306 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 17:34:08 ID:???
大らか・寛容・鈍感っていうのは外国人の特徴だね
日本人はその代わりに謙譲語や丁寧語で最初から怒らさないような話し方をしてきた
そのへんの手腕、プロセスが違うな
比較としては面白いな

307 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 17:45:09 ID:T8KvF1ec [9/14]
 >>305>個人主義と利己主義は必ずセット

セットであり、むしろ表裏一体のモノだと思うんだが。
個人主義者であるものは同時に利己主義者でなければならない。

つまり日本人には個人主義者の芽である「利己主義者」すら最初から存在していなかった。
漱石はそのことを見抜いて個人主義の導入を否定したんじゃなく諦めただけなんだよ。(さすが天才だ)

出る杭は打つの村社会でエゴ(利己主義)なんか許されないんだから当然だよな。
でも近代化するためなら手段を選ぶ余裕がないから
しょうがないから「則天去私」で日本人の集団主義を利用するしかなかった。

日本人の行動は利己主義に見えるようで実は全然違うものなんだよ。

308 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 17:54:29 ID:???
 >つまり日本人には個人主義者の芽である「利己主義者」すら最初から存在していなかった。
個人主義社会は意外と家族の絆が強い。まあ、血のつながりしか頼るものがないから当然だな。
でも、日本には「遠くの親戚より近くの他人」という言葉に代表されるように、
コミュニティ第一で個人主義的な性格は持ち合わせていない。

だけど今の日本はコミュニティも壊れて家族の絆も壊れた孤立主義なんだよなあ。

309 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 19:07:57 ID:T8KvF1ec [10/14]
 >>292
日本でも個人の時代。たとえば戦国時代の武将とかかな?
戦乱の弱肉強食で共同体が崩壊するからな。近代の国家間の戦争とは違うのかな。
 >>294
いわゆる戦後民主主義(この表現も意味がわからんw)かな。
そうだよな。個人のエゴが利己主義なんだから
個人の存在しない日本人の集団の一つ(個人じゃないから物体だなw)のエゴは
なんと表現していいんだろうね?わがまま?子供の駄々かw


310 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 19:38:44 ID:???
個人主義=利己主義(裏表の関係)と思えばそうなるし
別の概念だと思えば違うってだけの話
そもそも個人に関わることだけに個人主義って言葉の定義は難しいよ。
ニュアンスの問題にどうしてもなる。

311 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 19:42:08 ID:???
まあでもアメリカの最近の例は、日本の戦国との類似性を感じるわけだが。。
結局個人の関心と利益を極大化すれば、一将功成って万骨枯る、って状況に
どうしてもなるよね。だって偉い個人が社会のルールをつくってしまうわけだから。

312 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 19:43:55 ID:???
 >>309
鳴かぬなら(ryの後に続く言葉の違いでも、武将の考え方の違いはあった。
信玄や秀吉なんかは全体主義だし、近年の個の時代はフリーターとかバブル全盛の頃。
女性の社会進出も、ある意味個の確立だっただろう。


313 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 19:49:48 ID:???
個が確立していけばいい社会に
るのであれば、普通に考えると個にとっていい社会になるはずだが、
資本主義の原理で金持ち個人だけが個を発揮すると、彼らは中流以下を
個にしたくないからどうしても矛盾が生じるんだよね。

314 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 20:09:57 ID:???
 >>313
そうそう。管理主義はどう転んでも支配層に都合がいい。
トップが幕府だろうが天皇だろうが官僚だろうが
資本主義だろうが共産主義だろうが、意のままに操れる利点は同じ。

318 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 20:53:49 ID:T8KvF1ec [11/14]
西洋では個人主義者とか利己主義者のレッテルは近代に入ってから考案されたのでは?
また素人の宗教談話になって恐縮なんだが
中世以前はキリスト教の神が直接・間接的に人間を支配してて個人の概念が無かった。
近代になって神の支配と人間の支配を分離したとき初めて
神に支配される者=「人間」 人間に支配される者=「個人」になったんだよ。

日本にはそんな歴史が無いし、構造も全然違うから個人なんて生まれようがないよな。
古代から現代まで「則天去私」で一貫してる。逆に下手にいじらない方が良いかも。

319 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 20:59:39 ID:???
 >>318
ちょっと聞きたいんだけど
則天去私ってどういう意味?

320 名前:319[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 21:02:45 ID:???
私も素人解釈だが、、
夏目漱石は晩年胃潰瘍に苦しんだとか。。
胃潰瘍になる人が則天去私っていうイメージがわかないんだよね。
実際、漱石の文章を読むと頭はいいと思うが、知に立ちすぎている印象は
まぬがれない。考えすぎのような気もするんだよね。スパッといく明るさがないっていうか。
あくまで個人の感想だけど。

321 名前:名無しさんの主張[] 投稿日:2010/01/16(土) 21:07:10 ID:T8KvF1ec [12/14]
 >>319
夏目漱石先生が最後に辿り着いた境地とか
天があれば私の存在はいらん、かな?

てか漱石の本なんて「我輩は猫である」の最初の一行しか知らねーよw
恥かきたくないから専門家の人助けてくれw

322 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 21:11:31 ID:???
悟りみたいなものだね。
俺も胃潰瘍で死にかけた事があるが、潰瘍の出血多量で死ぬ前の悟りみたいな臨死体験はした事があるよ。
ttp://www.sanabo.com/words/archives/2001/09/post_700.html


323 名前:319[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 21:14:16 ID:???
これも個人の感想だけど
則天去私=無我・・法との一体感
って表現できると思う。
老子なんかを読むと、無為自然って感じだけど、、ただ
中国人の無為自然って無欲ってんじゃなくほどほどに楽しく食って
歌ってありのままに、なんだよね。彼らは欲望をまったく否定しない。
いきなり無我とか、欲望をなくしてっていうと悲壮感がある。
理想的にはそうであっても現実にはそうならない。
欲望を満たしながらも天や法に従うって言う方がリアリティがあるんだよね。

327 名前:名無しさんの主張[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 21:58:46 ID:???
 >>318
西洋で個人主義が生まれたのは、12~13世紀のペスト禍の影響だそうだよ。
だから、それ以前には個人主義的な考えは色濃くない。

で、ペストで個人主義が生まれたというのは2つの考えがあって、
病気になった家族を隔離したり追い出して自分だけが逃げた後ろめたさから生まれたというものと、
助け合おうとした人たちはペストにやられて、利己的な人だけが残ったというものがある。
まあ、どちらにしてもわずか1週間で人生観が様変わりしたらしいね。
ペストの流行はヨーロッパ全体では何十年もかかってるけど、
一つの町や村だけを見れば発生から終息まで1週間だったそうだ。



国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。

だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、
よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、
個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。

だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、
私にはどうしても当然のように思われます。

夏目漱石『私の個人主義』



5 :名無しさんの主張:04/10/10 15:48:29
【「個人主義」と「集団主義」】まとめ

「個人」と「集団」の「利害関係」に於いての優先順位の違い

個人主義=集団の利益<<<個人の利益
集団主義=集団の利益>>>個人の利益

「集団あっての個人」と「個人あっての集団」…の違い


個人主義社会…個人と個人は違って当り前…個の相違(尊厳)を優遇する社会
集団主義社会…個人と個人は同じで当り前…個の相違(尊厳)を冷遇する社会

欧米人は「他人と自分は違って当たり前」だから他人の事が気にならず誰とでもフレンドリー。
日本人は他人と自分の違いが気になってしょうがないから違う他人対してアンフレンドリー。

個人主義の個人と組織…「質の共通」による論理的な結び付き…適合・協調…個人的(自立的)自我・完全な自我
集団主義の個人と組織…「場の共通」による物理的な結び付き…融合・同調…集団的(他律的)自我・曖昧な自我

「集団主義=曖昧主義」
集団と個人の無理な融合に「曖昧」が必要。だから「集団主義」には「曖昧」は不可欠。

「個人主義≠利己主義」
利己主義は集団の利益を無視する考え
個人主義は集団より個人の利益を優先するという考え

22 :名無しさんの主張:04/10/11 00:36:21
集団主義社会では自我の完成というものを求めてなどいないということ。
云うならば・・・頼りない個人の集まりが集団主義社会ということ。

99 :名無しさんの主張:04/10/11 19:57:35
場の理論は「タテ社会の人間関係」
個の在り方は「甘えの構造」とかねw

102 :名無しさんの主張:04/10/11 20:18:59
99
「タテ社会の人間関係」(著者:中根千枝・講談社現代新書)
「甘えの構造」(著者:土井健朗・弘文堂)

どちらも日本人学者の著した不朽の名著で日本人論の定番中の定番ですぞ。

108 :名無しさんの主張:04/10/11 20:53:09
そこの「甘えの構造」には「自分がない」と書かれているぞい。

109 :名無しさんの主張:04/10/11 21:01:18
「個がない」より「自分がない」の方がキツイな・・



121 :名無しさんの主張:04/10/11 21:49:47
山岸俊男先生 (社会心理学者)
テーマ:「社会の行方」と題し、信頼と社会に関する講演。

  • 「信頼社会」と「安心社会」について
(1).一般に、アメリカ人は個人主義でワガママ。日本人は集団主義で和を重んじるとされる。
このことから、「お人よし度」は、アメリカ人より日本人の方が高いと思うかも知れない。

(2).しかし、実験の結果、アメリカ人の方が他人を信頼する心が強い(お人よしが多い)ことがわかった。

(3).この結果が導き出されたのは、一般論が間違っているからではない。
日本では「信頼」と「安心」の区別がついておらず、「安心」のことを「信頼」だと考えているからである。
日本は、「信頼社会」ではなく「安心社会」なのだ。

(4).「安心社会」とは、「同じ価値観の者同士が共同体を作ることにより、安心を得る社会」のこと。
共同体の中の者は信頼できるが、共同体の外の人間は「渡る世間のオニ」であり、信頼できない。

(5).「安心社会」では、人間は同じ共同体の人間から信頼される行動をとらないと、共同体から追放されて酷いめにあう。
このリスクがあるため、同じ共同体の中の人間は「安全な人」となり、「安心」することができる。
これはあくまで「安心」であり、「信頼」ではない。

(6).しかし、世の中のグローバル化(アメリカ化)により、「共同体にとどまるリスク」が増大。
「安心」が崩壊しつつある(終身雇用の崩壊等)

(7).こういったアメリカ的な世の中では、共同体の外にいる人間を信頼するに
値するか見極める能力、すなわち「お人よし能力」が重要となっていく。


127 :名無しさんの主張:04/10/11 22:51:45
121
欧米の集団=たすけ合い→共同→共存→協調…信頼
日本の集団=もたれ合い→合同→依存→融合…安心

こうなりますか。



64 :名無しさんの主張:2005/12/05(月) 00:05:56
「個人主義≠利己主義」
利己主義は集団の利益を無視する考え
個人主義は集団より個人の利益を優先するという考え

集団主義社会の教育…「自我=エゴイズム」でそれをを抑える教育
個人主義社会の教育…「自我=アイデンティティ」でそれを育てる教育

79 :名無しさんの主張:2005/12/05(月) 21:27:54
自由主義の概念があるから、それ無しに個人主義オンリーに考えたら=利己主義なんでしょう
自由というベースがあってその上に個人の人権や特許や著作権をどう守るか
また自由の上に集団の秩序や公共性をどう守るか
移住のアメリカなんかは個人、全体話すときでも元々自由は前提にあるから利己にならない
日本は封建的で集団の方が染み付いてるから個人主義って聞いただけで利己になって
集団か個人かだけの話になってしまう


254 :名無しさんの主張:2006/01/08(日) 00:22:23
個人主義でやっていけるほど、日本人の個々の能力は高くないよ。
日本人の長所は、組織力と調和だけ。それを失ったら、国際競争力は
失われる。

なんで、この程度のことを分からないのだ。
己の能力を冷静に把握すべきだ。



タテ社会としての日本(2012年8月)
http://www.e-takahashi.net/reading/reading14.html

社会人類学者の中根千枝氏が1967年に出版した『タテ社会の人間関係』は、日本人論の不朽の名著として現在も読み続けられている。

中根氏は、社会集団の構成の要因には
資格(出身階層、学歴、地位、職業など個人の属性)と
場(個人が属する地域、所属機関、職業集団など)の
二つがあり、どちらの要因によって社会構造が構成されているかによって、その社会の特質が生まれると考える。
場を強調するのが日本社会の特徴であり、この特徴にもとづいて日本の社会でみられる様々な現象が生まれていると中根氏は主張する。
このような場を強調する集団では、タテの人間関係が重要となるので、
中根氏は場を強調する組織や社会をタテの組織、タテ社会と呼んでいる。

確かに日本人は、他人に向かって自分を紹介する場合、個人の職業
そのものではなく、会社名など自分の属する組織を強調する傾向がある。
日本では、組織はイエに代表されるように生活共同体ととらえられており、会社も構成員が一定の
契約関係を結んで結成する組織というよりも、われわれの会社というように共同体として認識されている。

しかし、単に場を共有しているだけでは集団としての結合力は弱くなるので、日本の組織は集団としての安定性を保つために、
集団の構成員に一体感をもたせるよう努力したり、集団内の個人を結ぶ内部組織を形成するようにする。
一体感を醸成するためには、家族的な紐帯が重視されるが、それが職員とその家族を
「丸抱え」することにもなり、しばしば従業員の私生活と会社生活との境はあいまいになる。

こうした組織は、閉ざされた世界になりがちで、ウチとソトとの区別が重要になり、
結果的に組織を越えて人とつきあうという社交性が欠如することになる。
二つの組織に同時に属する人は、忠誠心を疑われることになり、結果的に一つの組織にしか属せなくなる。
こうした特性を持つ日本社会は単一社会となるというのが著者の強調する点である。

こうした社会では、人はヨコの関係から切れてしまうので、集団内のタテの関係が
その人を規定することになり、タテの関係が安定化するように、序列化が行われる。
この序列を決めるのは年齢、入社年次、勤続期間の長短などの序列であり、能力主義がとられることはまずない。
それは、日本では、伝統的に人間は働き者となまけ者の区別はあるが、
「誰でもやればできるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在しているためである。

中根氏は、日本のタテ社会の集団では、能力平等という非現実的な事柄を前提とした悪平等が生まれ、
契約精神が乏しく、感情的な人間関係が重要視されるという特徴と弊害を指摘する。
派閥の弊害もその一つである。



同じ政党のなかで派閥がいくつかでき(党中党をつくるという最もよい例)、いずれも同じ主義を標榜しているにもかかわらず、
一定の仕事を団結して党として遂行することができなかったり、派閥の争いで政治がゆがめられ、
政党の目的に反するような事態まで起こしてしまうのは、X集団構造の弱点を遺憾なく示すものである。

(『タテ社会の人間関係』 133ページ)



どうやら派閥の弊害は昔も今も変わらないようである。
なお、この引用でX集団というのはタテに人間関係がつながっている集団のことである

日本では、一集団内においてもヨコの連携は難しいのであるから、
別々に形成された二つの集団が提携して事を行うことはさらに困難になる。
会社が合併した後の融合の難しさはこの一例である。



日本においては、同等(あるいは同格)と見なされている会社の合併は想像以上の困難を伴うのが普通である。
よし行われたとしても、どちらかの集団(会社)成員が他方を圧倒しやすい(タテになりやすい)のに対して、
タテマエは同格であるために、各レベルでの軋轢は相当期間さけられないものである。
合併による確執、悲哀、不愉快さは、経験者ならば身にしみて味わわされているはずである。

(『タテ社会の人間関係』 131ページ)



中根氏は、タテ社会としての日本のリーダー像については、リーダー個人の力によって
集団が形成されるのではなく、もともと他の集団との力関係において優勢であった集団において、
比較的有能な個人がタイミングに恵まれてリーダーとして推挙されると述べる。
日本ではリーダーは個人の力よりも内外の条件に支えられて生まれるのである。

本書で述べられているタテ社会としての日本の特徴は、特に伝統的な大企業に勤めている
サラリーマンにとっては、かなり共感するところがあるのではないだろうか。
もちろん、本書が書かれてからすでに40年以上経っているので、本書で描かれた日本の組織の特質はかなり変化しているとは思う。
しかし、本書を読むとそれにもかかわらず基本的な日本の社会や
組織の特徴は変わっていないのではないかという感想を抱いてしまう。
本書で中根氏は、日本のリーダーについて、次のように述べている。



他の国であったならば、その道の専門家としては一顧だにされないような、能力のない(あるいは能力の衰えた)年長者が、
その道の権威と称され、肩書をもって脚光を浴びている姿は日本社会ならではの光景である。
しかし、この老人天国は、決して日本人の敬老精神から出てくるものではない。
それは、彼がその下にどれほどの子分をもっているか、そして、どのような有能な
子分をもっているか、という組織の社会的実力(個人の能力ではない)からくるものである。

(『タテ社会の人間関係』 131ページ)



日本のリーダーの特質が未だにこの通りだとしたら、
はたして日本はグローバル時代でやっていけるのでしょうか。

中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、1967年

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最終更新:2017年03月05日 03:04
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