権威主義

98 :トミー ◆jdW1WNy602:2012/06/02(土) 20:39:24 ID:???
92
本当に救いようの無い馬鹿さ
呆れを通り越す
進んでこういうこと言うようになってしまう、
自分バカの欲深い人間の意識を変えるのはもう無理なんだろうな

97
日本人は権威主義の最たる民族だね


日本人と権威主義
日本人の国民性について-日本社会の性格・あり方・特徴を考える-
http://iwao-otsuka.com/com/jpnken-i1.htm
http://iwao-otsuka.com/jpn/jpntop1.htm

2.日本国内の権威筋の存在について

日本の学者は、欧米学説のデッドコピーとその解釈、いじり、小改良に終始する場合が多い。
この場合、欧米学説をいじるというのは、複数の欧米の学者が互いに違うことを言っているので、その整合性を取ろうとする行動である。

もともと、欧米の学者の学説は、あくまで、一個人の学説であり、それは、間違っているかも知れず、乗り越えるべき面のある学説なのであるが、
日本の学者には、そうしたことについての視点や気づきが足りない。要は、欧米で主流の学説を、
「お上=権威筋の説」「大先生の説」として、無批判に、崇拝、信仰し、受け入れ、取り入れようとする面がある。
日本の学者たちには、自分で、既存の欧米での学説を打ち壊して、それを乗り越える学説を出そうとする試みを出すことを、
自分たちの内部で否定し、自分たちが権威筋と見なす、主流の欧米の学説の批判を許さない面がある。

なぜ、こうした現象が起きるかと言えば、そうした欧米で主流の学説について、日本国内の権威筋の学者がそれに依拠しているためである。
依拠するというか、せざるを得ないのは、日本国内の権威筋の頭だけでは、欧米学説のような、
ドライで革新性に富んだ、意表を突く、スケールの大きい学説を自らは生み出すことができないからである。

なぜ生み出すことができないかと言えば、彼ら日本の権威筋には、心の根本的なところで何よりもプライドが高く、
人の風評に傷つきやすく、冒険して失敗して笑い物になることを恐れるために、とにかく安全で、当たり障りのない、
既に確立された発見発明や技術等をひたすら頭に入れ、習得して博識、博学になることで、前例、しきたりの生き字引と化して、
「自分は何でも知っている、できる先生、先達である」として、皆の尊敬を集めよう、周囲を未熟な後輩と見なして先輩風を吹かせて実効支配しようという、
女性的、退嬰的な事なかれ主義的で、なおかつ人の前に出よう、偉ぶろうとする出しゃばりの魂胆があるからだ。

日本の学者は、原則として、何らかの、出身大学や師弟関係、先輩後輩関係に基づく、縁故集団の中に入って生きている。
学閥や、似た考えに染まった同士がつるんで形成する派閥が相変わらず幅を利かせており、その中の有力者(教授、先輩)が、
日本国内における権威筋として、他の成員に向けて睨みを利かせているているのである。
要は、日本の学者は、親代わりの権威筋との上下関係に基づく、ウェットな縁故集団、疑似家族集団の中にどっぷり浸って生きている。
こうした集団は、親子、上下関係からなる一種の「系列」として捉えることができる。日本の学者は、何らかの有力な権威筋系列の中に入っていないと、
アカデミックポストの配分を受けられず、生活できなくなり、生きていけないのである。
逆らうと、アカデミックポストを奪われたり、系列の外に飛ばされたりして、生きていけないのである。

日本の学者は、自分の身の安全、保身についての意識が敏感である。そうした身の安全は、現在の権威筋を批判することで、脅かされる。
批判することで、権威筋からその行動を批判され、日本国内で仲間外れとされる恐れがある。
要は、自分が今入っている権威筋のグループから外される恐れがあり、
そうなると、どこからも仲間に入れてもらえず、孤立して、生きていけなくなるので、批判しないのである。

日本の学者は、自分の所属する権威筋系列に対して、異議を唱えたり、逆らうことが難しい。
そして、日本の権威筋が、欧米学説をデッドコピーしている状況が、権威筋とその弟子、後輩の関係、師弟関係を通じて、
権威筋系列内の世代間を通じて脈々と受け継がれているのが、日本の学界の現状であると考えられる。

(続く)


99 :トミー ◆jdW1WNy602:2012/06/02(土) 20:39:35 ID:???
(続き)
日本の学界においては、権威筋に逆らうと、人事上の報復が待っているので、権威筋の学説に逆らえない。
要は、逆らうと、アカデミックポストの配分が受けられなくなり、学者として生きていけなくなるのである。

日本の学者は、欧米学説=権威ある学説をデッドコピーしたものを、小改良し、少しだけ変えたり、他の権威ある学説と比較するのに終始している。
欧米の学説を微細にうがって、解読、解釈するのに懸命になるのであるが、それは、あたかも、「聖書」「お経」の解読と同じである。
要は、欧米の学説が、権威ある教典、経典と見なされているのである。

それは、要は、日本国内でアカデミックポストの人事権を握る、植民地支配大学の教授=権威筋がそうした欧米学説のデッドコピーに終始しており、
日本の学者たちは、彼らに忠誠を誓っていることを示すため、それに倣った行動を取っているのである。

要は、日本の学者にとっては、自分の論文等における学説、主張内容が、自分が属する権威筋への忠誠があるかどうかの踏み絵となっているのである。
そこでは、権威筋と主張内容が、基本的に同じであるか、継承しているかどうかが重要であり、論文の主張内容そのものは、二の次になっている。

日本の学者にとっては、欧米権威筋や、それに依拠し、デッドコピーを行おうとする自分の先生、先輩が唱えたものは絶対的な重みを持つ。

ある日本人学者の論文内容が、欧米権威筋のデッドコピーとその小改良となるのは、彼が、日本学界の権威筋を中心とする系列の一員である証拠である。
論文のスタイルから、彼が、権威筋に忠誠を誓い、身を守られていることが分かる。ただし、微細な内容の相違により、派閥が違ったりする。


3.女性的な権威主義

日本人の権威主義は、ある点、女性的な特徴を持っている。
それは、権威に寄り添うことによって、自分の身の安全が保たれる、大過なく生きて行けるという、保身や、事なかれ主義に結びついている。
また、主流派のいるところに自分もいないと、孤独で寂しいという、主流派との一体感を求める考えとも関係ある。
あるいは、誰か大きな存在の元に寄り掛かり、甘えたい、依存したいという、依頼心の強さとも関係がある。
権威あるものと一体化することで、精神的なバックボーンを支えられる気分となって、気が大きくなり、初めて、人前で発言する勇気が出るといった面もある。

男性の場合は、既存の学説を叩き壊したり、潰したりして、代わりに自分の学説を、種付けしようとする。
権威に逆らい、潰し、自由になることを目指し、場合によっては、自分が新たな権威者になって、他人に言うことを聞かせることを目指す。

これに対して、女性は、既存の権威者に従順に従って、権威者をそのまま忠実に継承して、
後継の権威者となることを目指す。要は、自分の属する系列の権威筋に逆らおうとせず、既存の権威筋の学説をそのまま継承しようとするのである。

この点、日本の学者の取っている態度は、明らかに、守られる側の性のものであり、女性的である。

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最終更新:2017年03月05日 00:27
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