神道

74 : 名無しさんの主張 : 2010/01/11(月) 06:32:24 ID:???
国家神道について言えば、一神教を基にして神道を再構成した形跡がある

最近Wikipediaでイランの長大な歴史を調べていたんだが、"King Of Kings"「王の中の王」という概念があって、ユダヤ教が影響を受けている
ユダヤ教には「エル」という神がいたのだが(これはイスラムのイラーフと同じ語源)"God Of Gods" を作り出すために、中東に移住後に「ヤハウェ」という名前に変えている
これが一神教の始まりとされる
古代の天皇のありかたと明治時代のありかたは明らかに違っていて、明治のほうはこの価値観を踏襲している
具体的な暴力である軍隊と仮想的な圧力である宗教の権力を集中させている
さらに「アマテラス」なる神話上の神のひとつを絶対化している

もうひとつが、「新プラトン主義」で、中世にユダヤ教・キリスト教・シーア派イスラム教に影響を与えている
これはプラトンの「イデア理論」を踏襲するもので、「集団で価値を共有して、その仮想世界の中に住み着く」という形に解釈された
ここが日本人に今でも残っている「暴力的・革命的背景なしに意識だけで社会が支えられる」というような考え方とよく似ている
これは、「ブルジョワ」とか「平和ボケ」とも言われている部分で、ストライキもボイコットもしない従属的メンタリティにつながっている

意識だけで圧力がかけられる利点があるが(「いじめ」や「世間体」の元ともいえる)、恥知らずな輩がそれを無視し始めると機能しなくなる
なんだか暴力に甘い社会構造とも関係がある気がする


1246 :脱日本人:2012/11/26(月) 19:34:10 ID:???
1089のサイトでは神道についても分析している。


1247 :脱日本人:2012/11/26(月) 19:35:28 ID:???
神道は、一族意識で結ばれた集団を繁栄させようという宗教
神道で神として祀られた人物には共通点があります。事業を創業して多くの人の生活を安定させ、その地域に繁栄をもたらした人物が神に祀られているのです。
天照大神は、国家の制度を定め農業や織物の技術を教えて、社会を安定させました。徳川家康や諸大名は戦乱を終わらせ、領内を開発して人々の生活を安定させました。明治天皇や東郷平八郎も同じような理由です。
古代の豪族たちは共に働く仲間を集めて集団を組織し、開墾等の事業を行って人々の生活を安定させました。共に働く仲間の集団が後に「家」に成長していったのです。現代の豪族というべき存在が企業の創業者たちです。彼らは血縁関係にない多くの者を集めて企業という名の「家」を作り上げ、共に働くことで一族にしました。そして一族の生活を安定させ繁栄に導きました。天照大神や徳川家康は、日本全体を一つの大きな「家」として、それを繁栄させたのです。家康は日本を「家」の考えで運営しようという意識を持っていました。大きな大名たちに松平の姓を与えて一族の扱いをしたのです。
神道というのは、一族意識で結ばれた集団を繁栄させようという目的を持った宗教です。


1253 :脱日本人:2012/11/26(月) 20:04:10 ID:???
こうして見ると神道に教義がないというのは嘘ではないだろうか?
次のような教義がある。
  • 穢れは悪であり、清めることは正しい
  • 個人より集団が重要
  • 集団を繁栄させるのが正しい
  • 天皇は偉い


1268 名前:脱日本人 投稿日: 2012/11/27(火) 20:53:24 ID:???
「いろいろな神様がいる」
「やおよろずの神々」
と、多様性の塊のような概念を信仰しているのに、
何故かそれを信仰している人々は多様性を恐れることが多く、
みんなが同じ生き方をしていないと我慢ならず、みんなと違う人を攻撃する。
さらには天皇を対象とした唯一神信仰的な面を強く持つに至っている。
わけがわからない、神道の不気味さ……。


1269 名前:脱日本人 投稿日: 2012/11/27(火) 21:23:19 ID:???
神道の本質は集団繁栄教であると分析されている。
別に個性を否定しなくたって、集団を繁栄させることは十分にできると思うんだが、なぜか個人や個性を抑圧する日本人。


2522 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:26:01 ID:???
神道が多神教=多善教であるとしても、善悪を誰でも好きに決めて良いのではなくて、あくまで集団のトップだけが善悪を決めていいというのが大問題だな。
神道には集団繁栄教という面があり、集団のトップを神だと思っている宗教だから。
神道というのは多神教であっても、汎神論ではないのではないかとも思われる。
八百万の神というのも、日本の人口1億に比べればかなり少ない数だしね。


2523 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:29:38 ID:???
日本の人口1億2000万人に対して、何らかの集団のトップ(神道でいうところの神)が800万人いると。
まあそういう解釈もできるかもしれないということ。


2525 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:38:51 ID:???
神道では人間=神っていう考えらしい。
人間が神のような完全な存在を目指すということなんだとか。
上手く人格や能力を磨いていければいいが、これは下手すればカルト宗教のようになってしまう危険性がある。
現にワタミの社長みたいなやつが神とかマジカンベンだからね。

万教一致みたいな考えも根本的におかしいと思うよ。
カトリックとプロテスタントで共通点を探るとか、キリスト教とユダヤ教で共通点を探るとかなら可能かもしれないが。
神道みたいな世界標準から大きく外れた宗教がそれを言い出すのは根本的におかしい。
イスラム教あたりからみれば、神道なんか邪悪な邪教そのものという扱いを受けるだろう。


2526 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:43:11 ID:???
神道では人間=神っていう考えらしい。
人間が神のような完全な存在を目指すということなんだとか。

なるほどね、恐ろしいまでの完璧主義でヒューマンエラーすら許さないのはこれが原因かもな。


2529 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:49:13 ID:???
集団のトップだけを神と見做しているのか。
全ての人間が神を目指すのか。
については、俺自身イマイチ研究不足でどちらなのかよく分からない。

ただ神社で神として祀られているのは集団を大きくした人物なんだとか。
松下幸之助も神として祀られているくらいだから。


2364 :脱日本人:2013/01/22(火) 00:05:11 ID:???
最近知ったんだが、神道における最高神は天照大神ではないらしいね。
造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神の5神が最高神らしい。


2365 :脱日本人:2013/01/22(火) 00:07:02 ID:???
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) - 至高の神
高御産巣日神(たかみむすひのかみ) - 征服や統治の神
神産巣日神(かみむすひのかみ) - 生産の神

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ)


2366 :脱日本人:2013/01/22(火) 00:19:24 ID:???
天照大神(あまてらすおおみかみ)は伊勢系の神、大国主(おおくにぬし)は出雲系の神である。
明治時代に、神道の最高神を誰にするかについて神祭論という論争が起こり、明治天皇が天照大神を最高神とする結論を出した。


2530 :脱日本人:2013/02/12(火) 00:57:59 ID:???
神道の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神は、ヤーウェなどの一神教の神に比較的近いかもしれない。
しかし、明治の段階で太陽神=天照大神=伊勢系の神=天皇家の祖先を最高神にしてしまっているんだよな。


2921 :脱日本人:2013/03/16(土) 20:15:09 ID:???
やはり神道は邪教だな。儒教を完全に日本から排除しても神道がある限り不平等は残る。


平等とは幻想に過ぎない
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/gensou.html


2922 :脱日本人:2013/03/16(土) 20:56:41 ID:???
神道っていうのは一方では一神教を徹底的に否定しておきながら、もう一方では万教一致だとか主張する二枚舌宗教。
本当に万教一致なら一神教を否定するのをやめろや。

あと何故かキリスト教よりイスラム教にシンパシーを感じているところも笑える。
イスラム教から見れば多神教の神道は邪教そのものなんだが。マジで神道なんか信じている奴は皆殺しの対象だよ。
キリスト教国家は政教分離が進んでいるし、先住民族や少数民族の文化も保護しようという考えがあるけどさ。



二元的価値観の終焉
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/shuuen.htm



2923 :脱日本人:2013/03/16(土) 22:56:15 ID:???
その辺の各宗教に対する扱いの違いは
冗談抜きで「開祖の身分」だけで決めている気がする。

イスラム教は商人生まれで一大帝国を築いた君主
仏教は世捨て人になった王子様
キリスト教は大工のせがれ

ほらこの通り、身分と標準の好意が見事に比例している

同じ言葉でも権力者様や下々の世界に降りてきてくださった王子様が言うなら素直に聞き入れるが
貧民やあぶれ者を引き連れている庶民の兄ちゃんが言っても聞きもしない
長い物にはまかれろ精神の普段通りの標準ですよ。

2924 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:02:51 ID:???
平等とは幻想に過ぎない
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/gensou.html

平等とはまったくの幻想に過ぎません。日本国憲法第14条第1項では、「すべて国民は
法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的
又は社会的関係において、差別されない。」と謳っておりますが、現在の我が国の状況は
それとは大きくかけはなれたものであります。たとえこれから百年の歳月が流れても完全
な平等は達成されないでしょう。残念ながら。
ところで、皆さんをがっかりさせるかも知れませんが、神道においても不平等の存在を必
ずしも否定してはいないのです。「勝ち組と負け組」の段でも述べましたが、人類社会に
は、強には弱、金持ちには貧乏人というように相反する者が同時に存在するものとされて
います。自分がそのどちらに属するとしても、人は清く明るく直く正しい道を歩まねばな
りません。不平等をありのままの事実として受け入れましょう。
神道とは極めて現実的かつ実践的な宗教です。日常生活そのものが信仰なのです。
人間には、自由に生きる権利が神によって与えられています。しかし、自由であるが故に
それぞれの能力の差がもろに出てしまいます。こうして人々の間に格差が生じます。
この格差は、自由ゆえの必然的帰結であり、神もまた、それを認めています。

凡人は自分の期待どおりに事が運ばないと、簡単にあきらめてしまうものです。
しかし、そこであきらめたら、すべては終わってしまいます。
神は、あきらめた人間は一切助けません。ひたすらがんばる人間にだけ救いの手を差し伸
べるものです。恵まれない境遇にある者にも、逆転のチャンスは残されているのです。
成功した人を、うらやみ、ねたむのはやめましょう。あまりにも悲し過ぎます。
それは、してはいけないことです。02/08/31

2925 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:05:08 ID:???
不平等が人を育てる
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/sodateru.html

神道においては、不平等の存在を必ずしも否定しない。と前段で述べましたが、ここでは
不平等の存在を、ありのままの事実として受け入れ、どうしたら不平等と正面から向き合
い、決して腐らず、自分を見失わず、自分らしく生きることができるか?と言うことにつ
いて述べたいと思います。
人間はたった一人では生きていけない生き物であります。
人は、太古の昔から規模の大小を問わず、常に集団で生活してきました。ところで人間に
は生まれながらにして、能力の差というものがあります。狩りが上手い者と下手な者、作
物を育てるのが上手い者と下手な者、石器や道具の細工が上手い者と下手な者、喧嘩が強
い者と弱い者、勇気がある者と臆病な者というように、集団には様々な構成員がいるわけ
で、優れた者が劣った者を指導し、あるいは育成し、集団全体の生活水準の向上を目指し
ました。こうしたプロセスを経て、集団の中に自然に序列が生じ、序列の頂点に立つ者が
その集団を支配するようになります。序列の下位の者は上位の者よりも、彼の種々の権利
が制限されるようになり、この権利の制限こそが不平等の源であります。
そうして時代を経るごとに、ある特定の地域に複数存在していた、このような集団が次第
に淘汰され統一され、部族を形成し始めます。さらに複数の部族が淘汰され統一され国家
が誕生しました。国家権力は、個々の国民を序列化し、さらにその序列、すなわち階級を
世襲のものとし、完全に固定化してしまいました。これが身分制度です。身分制度とは
不平等の極致であります。

世の中に不平等というものは確かに存在しますが、それは、かつてのように固定化された
ものではありません。我が国にはもはや、制度としての不平等は存在しません。
私は不平等こそが、人間を奮起させる起爆剤であると考えます。
不平等との闘いの過程において、人は成長するのです。
万物には陰陽の別があり、たとえば、強と弱、善と悪というように相反するものが存在し
ていますが、弱あるいは悪の側にある人は、強と善に属する人に対して不平等感を感ぜず
にはいられません。しかし、がんばれば弱と悪を抜け出して強にも善にも立てるのです。
不平等に甘んじている自分の境遇を嘆き、悲しみ、なすすべもなく、そこに立ち尽くして
いるだけでは、状況は何も変わりません。
道は険しくとも、自分の可能性を信じ、夢をあきらめることなく、明日を信じて一層奮励
努力しなさい。02/09/05

2926 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:10:43 ID:???
強と弱は努力でどうにかなるかもしれないが、善と悪というのは人間が元々持っている性質だからな。
弱い人間が努力すれば強くなれる可能性はあるけど、悪人が努力しても強い悪人、すごい悪人になるだけだろうが。
強い人間を無理やり美化して善人と見做したがっている神道の本質がよく現れているな。


2927 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:15:35 ID:???
一神教は大変だ
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/taihenn.html

今回は、いかにも宗教サイトらしい話をしたいと思います。
宗教には大別して「一神教」と「多神教」の二つの種類があります。
一神教とは、唯一つの神だけを認め、信仰の対象とする宗教であり、多神教は、複数の神々
や精霊などを崇め信じる宗教であり、諸神は個体的性格を持ち、おのおの役割を分担してい
るとされています。(講談社日本語大辞典より)
一神教には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教があり、多神教には、神道、仏教、儒教、
道教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教などがあります。
ところで、現在、一段と緊迫の度合いを深めている、イラク情勢はそもそも、イスラム教と
キリスト教という、お互い永遠に認め合うことのできない、一神教同士の対立が根底にある
と言えなくもありません。

思えば、キリスト教もイスラム教も過去から現在に至るまで、一貫して異教徒を排撃し続け
てきました。一神教を信仰する者は、未知なるものを恐れ、異質なものを素直に受け入れる
ことができないのです。その教義は人間の生活のすべてを支配し、世界のあらゆる常識も、
道徳も、倫理も超越するものなのです。
これに対し、神道も含めたアジア的多神教は、お互いを尊重しあい多様の中で生きることを
いとわないのです。
私たち日本人は、キリスト教徒でもないのに、教会で結婚式を挙げ、クリスマスを祝い、
神社へ初詣に行き、毎朝仏壇に手を合わせるのです。節操がないと言ってしまえばそれまで
ですが、いいじゃありませんか。我が国は、神々が集う場所なのですから。03/03/12


2928 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:20:01 ID:???
一神教は残酷だ
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/zankoku.html

今日も、愚かな一神教徒たちの醜い争いが続いています。
パレスチナ側の自爆テロに対する、イスラエルの最新兵器による報復攻撃は、唯一の神しか
知らぬ人間たちの悲劇を示すものとして、私たち多神教徒たる日本人に、貴重な教訓を与え
ています。お互いがお互いの信仰を尊重し睦み合うということは、そんなにも難しい事なの
でしょうか?

我が国に大陸から仏教が伝来した際、神道はその大いなる寛容の精神でもって、これを迎え、
共に生きてきました。この「共に生きる」という考え方こそが、神道の重要なテーマであり
ます。神道においては、森羅万象生きとし生けるもの全てに、神が宿っているとされていま
すが、この本当の意味は、森羅万象生きとし生けるもの全てが、平等に尊重されるべき貴い
命であるということなのです。
全てとは、まさに全てであります。人間も動物も植物も、山や海など地球の自然も大宇宙の
星たちも全てであります。
ちなみに、このような考え方は「アニミズム」と呼ばれ、欧米の一神教世界では、原始的で
下等な宗教概念とされています。まあ、言いたい奴には言わせておきましょう。
神道の世界においては、あらゆる人種も宗教も否定されることはありません。
今後は、ユダヤ人もパレスチナ人も、このような神道の多元的な価値観を見習って、新たな
国づくりを行なって欲しいものです。多分無理でしょうが。03/06/18


2929 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:22:19 ID:???
二元的価値観の終焉
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/shuuen.htm

今後人類は二元的価値観から脱却し、多元的価値観を行動の指針としなければなりません。
冒頭から、小難しい事を言って申し訳ありませんが、実際そうなのです。
解り易く説明しましょう。
二元的価値観とは、二元論に立脚した価値観であり、多元的価値観とは、多元論に立脚し
た価値観のことを言います。
二元論とは、もともと哲学の用語ですが、世界に存在するあらゆる事象は、すべて二つの
原理で成り立っているとする考え方であります。これに対して、多元論とは、二つ以上の
複数の原理の存在を認めるものであります。
そして、近代の哲学は、この二元論を支持する立場にあります。
デカルトは、その著書「省察」において「我思う。故に我あり。」と述べました。「思う」
という行為は意識であり、精神であります。「我あり」とは、精神とは独立した物質であ
る存在の「我」を認識したという事なのです。つまり「我」の中には精神と物質の二つの
存在が確認されるのです。これを、心物二元論と言います。
近代の哲学は、デカルトの心物二元論を契機として発展してきた。と言っても過言ではあ
りません。
しかし、現実世界の全てのことがらを、精神と物質のたった二つの原理で説明することは
可能なのでしょうか?
さらに、原理が二つしかない場合、一方を肯定すれば、他方を否定せざるを得なくなり、
否定された側は、必ず復讐に打って出るでしょう。
このように、二元論に立脚した二元的価値観の世界は、常に異なる二つの原理の闘争の場
となる危険性を孕んでいるのです。
賢明な方は、私が何を言わんとしているのか、お分かりになったと思います。

神道においては、世界を、異なるたった二つの原理の対決の場とは捉えず、多様な原理が
等しく並び立つ場である。と考えます。これらは互いに切磋琢磨し合い、高め合い融和し、
さらに新しい原理を生み出し、豊かな人類社会を創造する原動力となるのです。
米国は、そのことに気が付かない限り永遠に戦争を、し続けることでしょう。03/10/02


2930 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:25:39 ID:???
文明は衝突しない
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/bunmei.htm

米国はイラクでも、かつての我が国のようにスムーズに占領統治が進むと考えていたよう
ですが、米国は我が国の占領期間中に、何も学ばなかったようです。
我が国が一見、米国におとなしく従っているように見えたのは、先ず第一に、天皇陛下の
復興への呼びかけに応えなければならない。と言う崇高な使命感からであり、また米国の
進んだ科学技術を、この際吸収してやろうと言う打算もあったし、とりあえず単純な米国
人は、おだてあげて下手に出たほうが得だ。と言う、日本人特有のしたたかさに他ならな
かったのです。
さらに、イラクと我が国の決定的な違いは、その宗教観の相違であります。
日本人は、生まれながらにして神道者であります。
神道は、大いなる寛容の精神を持ち、それが自らに益するところ大であるならば、素直に
これを受け入れる事ができるのです。
ハーバード大学のサミュエル・P・ハンチントン教授は、彼の論文「文明の衝突」の中で
イスラム脅威論を説き、キリスト・ユダヤ教対イスラム教の対決の構図を示しましたが、
これは結局、一神教世界内部の醜い争いと言わざるを得ません。一神教徒は、異なる信仰
の存在を許すことができず、世界を闘争の場としか捉えることができません。
一方、多神教たる神道の世界においては、文明間の衝突など、あり得ない話なのです。
個々の文明は、等しく並び立つものであり、そこには優劣の差などありません。
また、異なる伝統・文化・宗教を持つ異なる民族は等しく尊い命であり、すべての民族は
お互いを認め合い共に生きていく。と言うのが神道の世界観なのです。
イラクの人々は、米軍の撤退を早期に実現したいのならば、何よりもまず、米軍との武力
闘争をただちに中止し、宗教の相違を超えてプライドを捨てて、キリスト教国家の進んだ
技術を吸収して、イラクの復興と近代化に全力を尽くすべきです。03/09/13


2931 :脱日本人:2013/03/17(日) 08:27:47 ID:???
民族協和
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/minnzoku.htm

イラクに於ける「文明の衝突」の真っ只中に「神国日本」の自衛隊が派遣されたことは、
極めて意義のあることです。
惟神(かんながら)の大道を歩む日本民族にとって、全ての民族は等しく尊い命であり、
全ての宗教は神道に収斂されるべきものであり、全ての文明は等しく並び立つものであり
ます。自衛隊には、狂った一神教徒たちに対し、日本文明の「型示し」を行ない、八百万
の神々の代理として、民族の協和を説くという事が、天命として与えられているのです。
日本文明は世界の奇跡であり、その源の神道は人類最後の希望であります。04/03/04


2933 :脱日本人:2013/03/17(日) 11:47:58 ID:???
2912
「同情すること自体が偽善だ」みたいな変な極論で同情厨を連呼してるのは一人だけだと思うぞ。
文体が暴力的なヤクザ口調でどれも似てるし。
彼以外は、同情することではなく、同情を押し付ける動機や圧力に嫌悪感を抱いているのだろう。
たとえば、テレビが「絆」(自民党のスローガン)を連呼して、復興増税と公共事業の必要性を
説いたりするのを見ると、日本人は自分から進んで同情せず、自己利益・利権のために
他人の同情心に訴えるのが好きな民族なんだな、というのがわかって嫌になるだろ。


2922
【出版】アルジェリア事件で「イスラムの人々はなぜ日本が好きなのか」の出版中止 日経新聞出版
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1363392454/
「イスラムの人々はなぜ日本が好きなのか」と題し日本経済新聞出版社から刊行予定だった新書が、アルジェリア人質事件の
後で読者の理解が得られないとする同社の判断で出版中止になっていたことが15日、分かった。

ジャップ「新書イスラムの人々はなぜ日本が好きなのかを出そう」ホルホル→アルジェリア人質事件で出版中止
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1363474618/

このニュースなんて笑ったね。
イスラム教徒は日本なんて好きじゃないし、Youtube見ると神道の祭りにアラビア語で大量のネガティブレスが付いてる。
普通に考えて、イスラム教徒がペニスを偶像崇拝するような民族に好感を持つわけがないよな。
http://www.youtube.com/watch?v=MK17fiJXrVc


2934 :脱日本人:2013/03/17(日) 12:01:17 ID:???
2933
前半には同意。
標準憎しのあまり震災に対してもざまあみろ的な態度を取っているのかと思ったけど、なんか工作員臭いね。

その動画笑えるね。
イスラム教は経典宗教としてキリスト教とユダヤ教に対しては特別扱いをしている。
ヨーロッパに十字軍で侵略されたり、近代になってから植民地化されてもそのことは変わらない。
イスラエルとアラブ諸国がこれだけもめていてもそのことは変わらない。
神道が万教一致だとか言っても鼻で笑われるだけだろう。


2943 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:24:23 ID:???
2921


こういうのが神道のプロの考え方みたいだね。
要するに、人間の尊厳は不平等で、法も存在せず、
権利なんて認められず、契約なんて要らない、それが神道だと。
まさにブラック企業の主張そのもの。
「なにが権利だw てめえ甘えてんじゃねえぞ!」という世界。
やはり標準と神道は相性がいいのだろう。
逆に、ブラック企業的・ヤクザ的な価値観を守り抜くのが最優先で、
そのために標準は知りもしない一神教を必死に叩いて、
たいして興味もない神道を担いでるのかもしれない。


2945 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:33:37 ID:???
2943
たいして興味もない神道を担いでるのかもしれない。

これについては、標準は本当に神道的考え方が正しいと心の底から思い込んでいるんだと思うよ。
あと神道に教義がないっていうのは本当は嘘で、権力者にとって都合が良いだけの最低の教えだからわざと教義を隠しているんだろうと思う。
教義を教えこむ代わりに、学校教育を通じて神道的考え方を刷り込むようにしているんだろうと思う。


2946 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:37:17 ID:???
標準は西洋由来の概念でも義務の方は大好きみたいで、こっちは連呼するんだよな。

2947 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:41:03 ID:QF9ObWQI
なにが権利だ
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/kennri.htm

権利とは、他人に対して当然主張しうる自分の利益をいう。(講談社日本語大辞典)
権利って、なんか嫌な感じのする言葉ですね。ちなみに英語では、rightと書きます
が、rightには「正義」と言う意味もありまして、一般的には、こちらの意味で使わ
れることが多いそうです。
権利という言葉は、英語に直すと、その本質が見えてくるのです。
つまり、絶対の正義は存在しないのと同様に、絶対に守られねばならない権利など、在り
得ないのです。
これに対しては、当然、異論や反論も出てくることでしょう。
たとえば、人が生きる権利、すなわち生存権は認められないのか?と激しい反発を覚える
方もいるかも知れません。

私は、このように考えます。
人が生きるということは、単なる権利などで守られるべきものではありません。

日本人は、権利意識が欧米人に比べて低い。と、よく言われます。
しかし、これは、むしろ幸福なことなのです。
全ての日本人は、神の「分けみたま」であり親子なのです。
上は天皇から、下は名も無き庶民に至るまで、互いを尊重し、共に生きてきたのです。
互いの主張や希望は、話し合い、譲り合い、認め合う生き方を実践してきたのです。
それのどこが悪いのでしょうか?
私は、このように考えます。
己の権利を貫こうとする者は、他者の権利を侵害することには、無関心なのです。
権利とは、神によって認められた、必要最低限の個人のわがまま。であり、そこには、
残念ながら、他人を思いやる気持ちは、ない。04/09/07

神道信者にとっては権利も正義も虫酸が走る様な概念なんだろうな。


2948 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:45:18 ID:QF9ObWQI
哀しき契約社会
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/keiyaku.htm

ところで、この普通選挙という制度は議会制民主主義における、代議制の根幹を成すもの
であり、主権者たる国民の生命と財産を守るための極めて重要な手段ですが、これはブル
ジョア革命によって成立した、近代市民国家において初めて実現されたものであり、近代
自然法思想と社会契約論にその根拠を求めることができるものです。
そして、この社会契約論と神道の精神とは、実は、かなり隔たりがありまして、そもそも
日本人と日本の社会には、この社会契約という考え方は、なじまないものと言わざるを得
ません。

我が国の社会は、このような一神教世界とは異なり、契約によって成立したわけではあり
ません。また、神道には社会契約と言う概念自体存在しません。
そもそも契約とは、全く信じ合えることのできない者同士が、自分の目的を達成する為に、
仕方なしに行なう取り決めであり、実は互いを尊重し合っているわけではないのです。
欧米のように人が人を信じられない社会なんて、あまりにも哀しすぎるではありませんか。
両者はスキあらば相手を潰そうと常に狙っているのです。
ですから、一方の契約違反が発覚した場合、他方は更に過酷な要求を突き付けることにな
りがちです。契約社会である欧米において、紛争や訴訟が多いのはこの為です。
神道において、人間とは本来、聖なるものであり、相手を欺くことなど、できようはずが
ありません。そして、聖は清に通じ、社会現象の一切は清を本体とするものです。
生まれながらにして神道者である私たち日本人は、互いを信頼し尊重し合い、共に生きて
きました。我が国の社会には、相手に対する疑念に満ちた契約など必要はありません。
ところが最近、政党は従来の公約に変えて、ほとんど根拠の無い細かな数値目標を定めた
マニフェストなるものを発表していますが、これは、我が国の政治家が一神教世界の社会
契約論に毒された証拠としか言いようがありません。数字を挙げれば信頼感が増すと言う
ものでは決してありませんし、実際に達成できるとは誰も思っていません。政治家諸君、
どうしたら国民の信頼を取り戻すことができるのか?もっとよく考えなさい。03/10/16

※自然法 人間の倫理観を形づくる普遍的な規範。「自然法とは、理性によって確認され
     るプリセプト(教訓)あるいは、一般的規則である。」byホッブズ


2949 :脱日本人:2013/03/17(日) 18:52:34 ID:QF9ObWQI
宗教法人神道大教っていうのがどういう組織なのかはよく知らないんだけど、神道の教義について述べているのが興味深い。

神道大教四大信條要典
http://www.nona.dti.ne.jp/~pripia/youten.htm


3005 :脱日本人:2013/03/21(木) 10:31:30 ID:???
神道大教四大信條要典

さて今回は、いよいよ神道大教の教義でありますところの四大信條の全文を
ご紹介します。教義と言っても、わずか80節しかありません。
神道には人間の日常生活においての、事細かな決まり事はありません。
人間は神によって自由に生きることが許されているのです。
己を律するものは、自分自身であります。実はこれが非常に難しいのですが。
今ここに在る事を神に感謝し、常に清く明るく直く正しい道を歩みましょう。

四大信條 天徳・地恩・清浄・光明

第一章 天徳
第一節   神の初めを天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という。
      この神は人智不測の彼方に在しまして、その御存在は御神徳によって
      知ることができる。
第二節   天之御中主神の御神徳を天徳といい、日日これを頂くことによって
      生きとし生けるものの生命を持続することができる。
第三節   天徳とは光であり、空気であり、又、大自然のいとなみの一切の
      現象でもある。
第四節   神の摂理(みはかり)とは天徳のあらわれである。
第五節   摂理の中に自然があり、自然に包まれて生物は生かされている。
第六節   摂理に逆くことは滅亡を意味し、摂理を尊ぶことは弥栄が約束される。
第七節   聖なる信仰は天徳を謝し、摂理を重ずる処から始まる。
第八節   人間至高の精神は天徳に学び、神秘なる自然のしくみを敬うことによって
      築きあげられる。
第九節   四季の巡り、風雨の潤いは人間生活に詩情とゆとりとをもたらし、
      創造進化の原動力となる。
第十節   天変地異は偉大な鎮魂の道場で、俗身が霊体と化する唯一の潔場でもある。

第二章 地恩
第一節   地上の生物は凡て繁栄が約束されている。
第二節   繁栄は睦み合うことによってもたらされる。
第三節   高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かんみむすびのかみ)は
      睦みの神であり、結びの神でもある。
第四節   地恩とは二神のお働きの総称であり、又、地上一切の生物の聖なる父母
      でもある。
第五節   二神は天之御中主神の思いはかりによって宇宙に出でまし、万象を産み、
      育て、修め、造る業を受け持ち給う。
第六節   二神の御神徳には、陰陽の別があり、生物には雌雄を作り、又、強には弱、
      有情には無情、建設には破壊のお働きがあり、或いは又、人類社会には善
      には悪、喜には悲などと様様な現象を現し給う。
第七節   二神は主神(天之御中主神)のみこともちとして、山には山の神を置き、
      海には海の神を置き、河川、草木、家屋、心意(人の心)にもそれぞれ司の
      神を置き給う。
第八節   この神はみたまであり、みたまは物本来の正しい姿であり、穢れて崩れない
      前のものである。
第九節   飲むもの、食べるもの、着るもの、住む家、凡て二神の恵みである。故に、
      司の神を敬わなく、これを受けることは穢れの始めである。
第十節   動物と植物とは互いに助け合って、共存共栄の生活を営んでいる。故に、
      彼の本質を見極め、これを生かして用うることが二神の御心である。
第十一節  神は適者のみを地上に送り給うとは限らない。即ち、不適者や敗者の存在は
      神が人類社会に清浄と光明とを求めしめ給うてだてである。
第十二節  二神への信仰によって万物の霊を知り、万神への信仰によって物心の尊貴を
      知る。
第十三節  総ての神は異名同体であり、万神は一神より出で、一神は万神に連なる。
第十四節  異なる民族は異なる神の下にあるが如き錯覚を持つが、いずれも真実では
      ない。
第十五節  真の神は宇宙の根本生命である天主で、神道ではこれを天之御中主神と称ぶ。
第十六節  伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)はむすび二神の
      よき遺鉢を受け、人類の完成を計り給う。
第十七節  天照大御神は日本民族の理想神で、天の徳である至高の慈悲、久遠の仁愛、
      鉄石の真実を具現し給い、恵みの光を以って民族を守護し給う。
第十八節  人類は神の大御心の中に生きてこそ真に生活の充足が得られるものである。
第十九節  天徳の神秘を知り、地恩の妙相を悟れば、人生の機微も自ずと判り光明世界
      への第一歩を踏み出すことができる。
第二十節  人類の叡智こそはまさに神の与え給う心眼であるから、これを妖悪不浄の雲
      に穢してはならない。

第三章 清浄
第一節   清浄は神の世界であり、人類の理想である。
第二節   穢れは万象の病いであり、好んで穢れに触れる者は神の世界を穢すことである。
第三節   人間は本来聖なるものである。聖なるものは犯すことができない。
第四節   聖は清に通じ、社会現象の一切は清を本体とする。
第五節   利己排他は自己保存の権利の如く見えるが、これは過ぎると滅亡のもととなる。
第六節   他人の生命はもとより、自らの生命にも触れてはならない。それは神のもので
      あるからである。
第七節   盗んで快い者は悪である。人間は本来悪でないから盗んで快いと言う
      ことはない。
第八節   策を施して、欺かなければ善い。策を施さなくて、欺かなければ聖である。
第九節   女犯、男犯は不善の最で、社会紊乱の元である。
第十節   純潔とは操を保つことで、操とは節であり、分である。
第十一節  闘争によって物事を処理するは素手で激流を堰ぐに等しく、自らも生命を落とす
      こととなる。
第十二節  貪慾は鬼畜世界のもので、人智の長けた人類社会のものではない。
第十三節  不浄心のある者は憎しみの心を持ち、憎しみの心ある者は神の試みの中にある。
第十四節  怒りを消すものは浄で、浄の中に静があり、静を見出すは祓いである。
第十五節  澄みて清らかなるは天来の魂で、稼れて醜なるは凡心の迷いである。
第十六節  迷える心は鎮め、穢れる心は祓って、伊邪那岐神の橘の小戸の神事の如く、
      常に心身を洗い清めれば清浄の人生を保つことができる。
第十七節  心に真を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は真であるからである。
第十八節  心に善を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は善であるからである。
第十九節  心に美を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は美であるからである。
第二十節  心に聖を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は聖であるからである。

第四章 光明
第一節   神ながらの道の終極は光明世界で、人は己の人生を光明の世界に置くを第一義
      としなければならない。
第二節   罪の深い者にも善の高い者にも、不徳の者にも有徳の者にも、光は常に等しく
      降り注いでいることを知るべきである。
第三節   光明は神で、人類の歩む道である。
第四節   我執妄執は曇りで、光を胸中に入れようとすれば先ず雲を祓わなければ
      ならない。
第五節   耳を天に向けよ。更に地に移せ。汝の魂を神の御手に還せ。
第六節   大なる宇宙も、小なる我も共に神の掌中にあるものであるから狭い心で物事を
      図ってはいけない。
第七節   心の明るいものは災いを受けないと言うが、明るい中に暗い芽のあることは
      災いのもとである。
第八節   日日仕事に励むことはよいが、身に余ることをするのは無理で、無理の中には
      光明はない。
第九節   他人の穢れた言葉を耳にしたならば、ただちに、清い言葉を以ってこれを清め
      なければならない。
第十節   不遇逆境に耐えて、常に努力を忘れない者は光の中に生きることができる。
第十一節  我を謗る者もこれを敬い、我を疎ずる者もこれに謝するは光明不動の叡智
      である。
第十二節  垣一歩をせめる者には垣を外して順逆を説け。
第十三節  物を買う人の心になって物を売り、売る人の労苦を想って物を買えば、
      光明おのずと相互に及び、心は富み、先き先きもよく見えてくる。
第十四節  物を作るには魂を入れて作れ。即ち、その魂は使う人に通って物の真価が
      発揮される。
第十五節  物を使うに物を敬って使えば、物を授けた神と物を作った人との霊力を共に
      受けることができる。
第十六節  人は使うのではない、用いるのである。用い用いられて、互いに感謝の念に
      生きれば光明を得ることができる。
第十七節  他人の富をねたまず自らの富を産め。
第十八節  富の蓄積は善である。しかし、生かして使わなければ悪になる。
第十九節  夫婦の和は神の御旨を知るもので、不和のときは見直し、聞き直して、
      速く思い図れ。
第二十節  夫婦の睦びは人の世の珠玉で、神の国のものである。神の神秘な配慮を感謝
      して、老いて益益敬い合うべきである。
第二十一節 親は子のためには水火をもいとわないというが、子の人格を認めない愛は
      盲愛である。
第二十二節 子は親に対して慎みを持て。親は汝の生命で、神の義を踏んだものである。
第二十三節 老いた親は口数を尠く、心で念え。老いて後の幸福は春日の如きのどけさ
      がよい。
第二十四節 子は成長しては常に親の心を推し図って念え。この念願によって、
      尊敬と慈愛との光明世界に親と共に入ることができる。
第二十五節 兄弟姉妹は広い天地の中に奇しくも同胞として生れ出でた機縁を尊び、
      互いに助け合い、励まし合うべきである。
第二十六節 血縁の愛を隣人に、隣人の愛を社会に及ぼし、先ず自ら清く明るく生きて
      ゆくことは人間の心掛けの第一義である。
第二十七節 真に神の声を聴かんと願えば嘘偽りの心を祓え。
第二十八節 祖先の霊を敬うは己の魂を敬う義で、己の魂を踏みにじるものは
      祖先と子孫とを穢す義である。
第二十九節 天神を崇め、地祇を拝むは己の心を崇め人の心を拝む義である。
第三十節  神道は敬神崇祖が第一義で、清く明るく直く正しい道であり、光明世界
      である。人類が等しくこれを覚るとき、天の徳、地の恩に満ち満ちた清浄の
      世界と、光明にあふれる生活とを享有することができるのである。


2996 :脱日本人:2013/03/21(木) 09:53:27 ID:???
神道といじめの関係


リンク貼り直し


2997 :脱日本人:2013/03/21(木) 09:54:21 ID:???
触穢(しょくえ、そくえ)とは、神道上において不浄とされる穢に接触して汚染されること。
後に陰陽道などとも結びついて、中世日本の触穢思想(しょくえしそう、そくえしそう)へと発展していくことになった。
古来より神道においては人間・動物の死と出産は不浄のものとして禁忌とされ、また、血の流出や神道における国津罪に相当する病気にかかる事は穢が発生する原因であると考えられてきた。
そこで、これに関連した穢物(死体など)・穢者(既触穢者・非人・女性など)に直接接触する事は勿論、垣根や壁などで囲まれた同一の一定空間内に穢物・穢者とともにいただけでも場合によっては汚染されると考えられていた(特に同じ火にあたる事、同席する事、飲食をともにする事は直接接触する事に近い行為とされた)。
感染された人は一定の期日を経るか、祓を受けるまでは神社への参拝や神事への参加、公家の場合には参内を控える事が求められてきた。『延喜式』においては、人の死穢30日、産穢7日、六畜の死穢5日、産穢3日の謹慎が定められていた。
律令制が衰退すると、触穢は衰退するどころか陰陽道と結びついて強力な迷信として社会に定着して、触穢思想として発展することになる。触穢思想が前近代における日本人の衛生観念の発展に貢献したという見方がある一方で、女性や、葬送などで死体の処理を扱う人々(非人)、身体障害者や癩病などの肉体的なハンデを背負った人々、言語・文化的に相容れない慣習を持つ人々などは、祓などでは清浄化は不可能であり、その存在自体が穢であるという発想すら生じて差別や偏見を正当化する根拠として用いられるようになった。特に陰陽道への関心が高かった平安京では、「天皇の清浄性を守る」という大義名分の元に非人や障害者が四堺の外に放逐されるということが行われたとされている[要出典]。
こうした考え方は近世以後には衰微していったとする見方が多いが、今日の日本人の集団主義・均質性を志向する性格やいじめなどに影響を与えているとも言われている。


544 :名無しさんの主張:2013/03/24(日) 20:46:28.01 ID:???
『天皇制国家と宗教』
ttp://simple-nero.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06-1

近代天皇制国家の宗教政策は、国家神道の強制と宗教の徹底的な統制支配を基本的特徴としている。
十九世紀なかばに成立した近代天皇制国家は、祭政一致を掲げて、天皇の宗教的権威を復活し、
神仏分離を強行して、全神社を国家祭祀の施設として一元的に再編成した。
天皇の祖先神を祀る伊勢神宮は、本宗として全神社の頂点に位置づけられ、
天皇の宗教的権威と神社神道を直結することによって、新しい国教「国家神道」が作り出された。

政府は、キリシタン弾圧、仏教への打撃政策、民間諸宗教の取り締まりと禁圧などで地ならしを行いつつ、
天皇中心の神道的国民教化に乗り出した。国民教化政策の過程で、政府は、各宗教にたいする
統制支配の貫徹を図り、仏教は新しい護国の宗教として地歩を回復した。

キリシタン信者の抵抗と、欧米諸国の抗議に直面した政府は、キリスト教を黙認する形で解禁した。
また神仏合併布教に反対して信教の自由を求める仏教側の運動で、国民強化政策は短時日で挫折した。
しかし政府は、国民の権利として信教の自由を認めたのではなく、もっぱら不平等条約を改正する外交上の必要から、
キリスト教信仰を含む信教の自由を謳わざるをえなかったのである。教部省は、信教の自由とは
政府による宗教への恩恵的な保護であるとし、その代償として、各宗教に政府への奉仕を要求した。

明治初年には、殖産興業、富国強兵をめざす近代化と、皇室神道、神社神道における
古代の復活が同時に進行し、国教としての神社の特権的地位の確立が志向されるにいたった。
いわゆる「祭祀と宗教の分離」によって、神社から宗教的要素を切り捨て、
非宗教の国家祭祀の機関に仕立てたのである。政府は、日本には国教は存在せず、
神社は宗教ではないとの建前をとり、神社行政と宗教行政を区別する方向を明確化した。


545 :名無しさんの主張:2013/03/24(日) 20:47:40.77 ID:???
1889(明治22)年に制定された皇室典範と帝国憲法は、近代天皇制国家の基本法として、
現人神天皇による日本統治を法的に基礎づけた。信教の自由を規定したその第28条は、
政府が許容する枠内での信教の自由を認めたが、非宗教とされる国家神道は、その対象には含まれなかった。
こうして、事実上の公認宗教である教派神道、仏教、キリスト教のうえに国家神道が君臨する
宗教体制が構築され、建前としての信教の自由を掲げながら、国家神道が全国民に強制されることになった。
国体の教義にとって異端的な宗教は、きびしい取締りをうけ、不敬罪によって容赦なく弾圧された。

政府は、天皇の神格化をあらわす天皇、皇族を祭神とする神社と、天皇への忠誠を顕彰する「忠臣」と
戦没者を祀る神社をあいついで創建し、国家神道の既成事実化を進めた。本格的な対外戦争である
日清・日露戦争を経て、国家意識が高揚し、神社は、天皇中心の国体の教義を普及するうえで、
めざましい役割を果たした。明治初年には、国家神道の威厳を保つとともに、地方行政に
神社を活用するために、小神社の廃合が強行され、大正期にかけて、神社制度が大幅に整備された。
朝鮮の植民地化と中国への侵略の拡大に対応して、神社は侵略思想と軍国主義を広める教化の場となり、
陸海軍の施設である靖国神社は、伊勢神宮に次ぐ国家神道の巨大な支柱となった。
植民地、占領地には、つぎつぎに神社が創建され、台湾、朝鮮では、皇民化政策に利用された。


546 :名無しさんの主張:2013/03/24(日) 20:49:56.45 ID:???
政府は、一貫して神社非宗教の建前をとりつづけ、神社行政は内務省、神仏基三教は文部省、
新宗教の取り締まりは警察が管轄した。しかし現実には、神社では私的な祈願、神札の授与、
神葬祭等の宗教活動が広く行われており、仏教をはじめ各宗教と競合する場面が少なくなかった。
各宗教は、国教として特権的地位にある国家神道の際限ない強制に反発し、神社の性格を
明確にするように要求した。こうして昭和初年には、神社対宗教の問題が活発に論議され、
国家神道に内在する矛盾を鋭く衝く結果となった。政府は、神社と宗教を、それぞれ法的に
位置づけるために、神社法と宗教法の制定に取り組むことになった。

しかし、ファシズムの台頭から十五年戦争へと、侵略戦争は拡大の一途をたどり、戦時体制の一環として
宗教統制の強化が急がれる時世となって、神社の本質をめぐる論議は、結着をみないまま立ち消えとなった。
政府は、治安維持法と不敬罪を武器に、大規模な宗教弾圧を繰り返し、弾圧による威嚇を背景に、
宗教統制を主目的とする宗教団体法を成立させた。紀元二六〇〇年を期して、内務省神社局は神祇院に昇格し、
国家神道は絶頂期を現出した。狂信的な神国思想が鼓吹され、侵略戦争は「八紘一宇」を実現する
「聖戦」として正当化された。弾圧された宗教者の根強い抵抗と、神社参拝の強制を拒否する朝鮮、
台湾の人びとのたたかいはつづいていたが、大半の宗教は、政府の統制に服し、戦争協力に狂奔した。


328 :名無しさんの主張:2013/04/26(金) 20:56:57.66 ID:???
256
319
しつこいのはおまえだよ標準。
韓国人ではなく日本人の愛国心を養うために作られた国家権力主導のカルト洗脳装置が靖国神社だ。


高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)①
http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200906/article_12.html
靖国神社は「伝統」でも何でもない。

ほんの百数十年前に建てられたにすぎない新しい施設なのである。

では、何のためにつくられたのか?

それは、靖国信仰の3つの本質に秘密が隠されている。

 ① 「聖戦」教義:自国の戦争を正義の戦争とする教え

 ② 「英霊」教義:戦死した将兵を「お国のために死んだ」存在として英雄化する教え

 ③ 「顕彰」教義:他の国民に「英霊に続け」と呼びかける教え

つまり、国民に対して、
国家の行なう戦争はつねに正しい戦争(殺人!)であること、
その戦争で戦死したひとは英雄になれること、
さらにはあなたたちも戦争に喜んで行け、喜んで人殺しをして来い、
と洗脳するためのカラクリだったのだ。

これは洗脳以外の何ものでもない。


3445 :脱日本人:2013/04/26(金) 23:39:06 ID:GCMyzXRM
「靖国神社?あんな戦犯を祭ってるようなカルト洗脳施設はとっとと潰せ」 これが日本国民の総意だよね
ctime: 13/04/26 (Fri) 17:08

ていうか俺も靖国神社行ったことあるけど

なんかあそこ神社があるだけじゃなくて、ゼロ戦とか大戦中の兵器とかも展示してあるんだよね

仮にも戦死者を追悼するための場で、そういう「戦い」とか「殺生」に直接結びつくものを自慢げに見せびらかしちゃうとか
マジで日本の恥だろ…

日本人であることが恥ずかしいorz


478 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 19:10:01.17 ID:???
425
八百万の神(笑)

何でもアリと同義w
今の日本見れば分かる。
金儲けのためなら売国も放射能汚染拡散も何でもアリw
八百万の神(笑)が、どれだけ信用出来ないかって事だな。


485 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 20:02:38.78 ID:???
478
日本のバチカン教皇庁と言われ、神道界を支配している神社本庁が自民党と原発の有力な支持母体になってるからな。
退職願を偽造までして原発反対派の宮司を解雇。利権のためなら何でもしますw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%BA%81
原子力発電への支持[編集]
「上関原子力発電所」も参照
中国電力が建設予定の山口県上関原子力発電所予定地の一部が四代八幡宮の境内地にかかっていたが、
当時の四代八幡宮宮司は神社地の原発用地への提供に反対したため、
2003年には原発推進派の氏子が四代八幡宮宮司の解任を要求する騒動に発展した。
これに対し神社本庁は、「原子力発電は地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しないため環境破壊に当たらない」
として原発支持を表明し、四代八幡宮に対して原発用地の売却を命じる声明を発表した[4]。


486 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 20:10:00.96 ID:???
原子力発電は地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しないため神様


489 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 20:36:49.95 ID:???
485
うわっ!
日本最低最悪wwwwww
普通の感覚ならネ申と原子力は関係無いだろうに。

さすが八百万の神(笑)
何でもアリですねw
お客様は神様(笑)とかイカれた宗教を流布してるのは自民党で間違いなさそうだ。>利権のためなら何でもしますw


491 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 20:42:58.75 ID:???
486
核のゴミはどうする?
事故った場合の汚染は?

原子力が神様なら福島に住め。


492 :名無しさんの主張:2013/09/16(月) 20:45:43.23 ID:???
原子力は神様(笑)


619 :名無しさんの主張:2013/09/17(火) 23:30:06.03 ID:???
神道(日本教)が批判されると直後に必ず聖書コピペが連投されて荒らされる法則


649 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 04:08:45.67 ID:NntM6r6G
「いろいろな神様がいる」
「やおよろずの神々」
と、多様性の塊のような概念を信仰しているのに、何故かそれを信仰している人々は多様性を恐れることが多く、
みんなが同じ生き方をしていないと我慢ならず、みんなと違う人を攻撃する。
○○大学より上は高学歴でそれ以下は全部低学歴だとか、年収はこうこうで職業はこうこうでと、極端な二極化が大好きでランク付けに必死
一神教世界の欧米の方がいろんな奴がいるのが面白いね


657 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 08:03:23.59 ID:???
649
それは信仰が浅くよく勉強していない人が多いからだよ。
実際には学習せず受け売りで「多様性」とか言ってる人が多いだろ。
日本人は親切、という言葉を親切でない人が聞いただけで繰り返すのと
同じ。要は教育不足。教育プログラムでの哲学実践不足。


659 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 09:24:18.68 ID:???
八百万の神は「多様性」ではなく「序列制」「階層制」だぞ。
神社のランクは、伊勢神宮(天皇の祖先を崇拝する神社で別格とされてる)>>>官社>諸社(民社)>無格社
官社は、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社
諸社は、府社=県社=藩社>郷社>村社
神職(神主)にも神社本庁(神道版バチカン教皇庁)が決めたランクがあって、浄階>明階>正階>権正階>直階
上の階に進むほど格上の神社で宮司できるようになっている。
そのへんの村社の神様なんていうのは格下のゴミ扱いで、天皇家、皇族に近付けば近付くほど神様も偉くなって、神社も格が高くなる。
八世紀の官国幣社制や九世紀の神社神階制でそういうことに決まったんだけど、学校の歴史の授業ではあまり習わないか。


662 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 09:38:13.88 ID:???
659
神様を自分たちに都合のいいように「ランク付け」「ゴミ扱い」かよ
どんだけ偉いんだ標準ってのは

つくづく信仰心に欠けた連中だな


664 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 09:40:45.13 ID:???
天皇家が自分を頂点とするようにランク付けしたんでしょ


668 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 09:56:41.95 ID:???
さすが天皇と神道の話題になると標準が必死になるね


672 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:01:14.47 ID:???
「お前が信仰している神様は格が低い」
キリスト教徒やイスラム教徒にとってはとんでもない暴言だな

標準にとっては普通なのかも知れんが


673 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:07:46.54 ID:???
日本教を弁護するなんて不可能だって
根っこから枝葉・落ち葉に至るまで全てが間違ってるんだから。
あ、弁護不可能だから躍起になって議題と無関係の暴言吐きに来てるのか
この工作員は。


675 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:20:24.13 ID:???
だから日本教のいい所1つでも挙げてみてくれよ
1つも挙げずに他宗教批判っておかしくないか?標準君よ?


679 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:30:36.38 ID:???
675
「天皇陛下を容易に神格化できるところ!」(キリッ


680 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:33:41.04 ID:???
標準が数人集まれば力関係のピラミッドができるからなw
神様をランク付けするのも同じ感覚なんだろう


682 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:41:25.41 ID:???
675
「中央集権国家構築に利用しやすいところ!」


686 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 10:54:04.50 ID:???
675
悪い奴が一人でもいれば後はみんな叩かれずに済むところかな、
一神教だと神の前ではみんな悪になってしまうから罪悪感を持たなくてはいけないし、
イジメられっ子が一人で絶対悪を背負い込んでくれるんだから
ちょっと要領良くしてプライドや自我を捨てたらこんなに楽なものはない。


688 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 11:07:13.56 ID:???
680
神様も権力の序列になってるのが日本教だな
古代日本は天皇が最高権力者だから最高神
とてもわかりやすい
有無を言わさず自分を最高神にすればいいからな
逆らう奴も滅多にいないだろうしw

江戸時代になると徳川家康を神とする東照宮がボコボコできる
総本山の日光東照宮が伊勢神宮と同じくらい偉くなる
徳川が天皇と同じくらい偉くなったからな
これもわかりやすいw

幕府が崩壊して王政復古すると日光東照宮の権威が落ちる
また伊勢神宮の一強になって明治神宮も建つ
権力奪回したら神様度アップだ
これも実にわかりやすいw


691 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 11:19:43.49 ID:???
すげえ 神すら否定する人治主義かよ
やっぱりこの国ってノールールなんだな
権力者の機嫌でコロコロ変わる「掟」は飽きるほど見るけど。


692 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 11:24:11.92 ID:???
688
力こそ正義、勝てば官軍か。
ある意味清々しい宗教観だな。


697 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 11:42:10.91 ID:???
多神教=何でもアリだぜヒャッハー!

例:食べて応援、汚染瓦礫拡散、汚染給食、汚リンピック


703 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 12:42:35.39 ID:???
徳川家康は仏が神の姿に化けて日本に現れた大権現ということになってるらしいね

さすが「百姓は、知らしむべからず依らしむべし」(民衆には最低限の情報だけを与えて、ただ権力者の支配に甘んじさせよ)
と名言を遺したお方だ


706 :名無しさんの主張:2013/09/18(水) 12:50:00.21 ID:???
703
仏様に年貢を払う百姓は嬉しくて涙しただろw

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最終更新:2017年03月05日 00:42
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