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陰キ

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陰キ(インキ)
袁尚の将。任官時期は不明だが、予州刺史とされる。

202年に袁紹が亡くなったのち、子の袁譚・袁尚兄弟は互いに憎しみあった。二人は競って崔エンを味方に引き入れようとしたが、崔エンの方では病気を称していずれにも荷担せず、そのため袁尚の怒りを買って牢獄に繋がれた。彼が助かったのは陰キが陳琳とともに取りなしてやったからである。

204年には袁尚は審配・蘇由をギョウの守備に残し、自ら平原の袁譚を討伐した。その留守を衝いて曹操がギョウ城を包囲したため、七月、袁尚はギョウの城外まで引き返す。しかし曹操の逆包囲を恐れた袁尚は、陰キ・陳琳を使者として和睦を求めた。曹操は申し入れを断り、袁尚が恐怖を覚えて濫口に逃走すると、これを再び包囲した。そのとき矛を交える寸前、陰キは馬延・張顗・郭昭らとともに投降した。

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