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伊籍(イセキ)字は機伯。若い頃から同郷の荊州牧劉表の元にいた。
劉表から贈られた馬が的盧といわれる凶馬である事を劉備に教えたが、劉備は
「人の生死はすべて定まったもの。たかが馬一匹にそれを変える力もござるまい」
と返事され、高い見識に感服して劉備と交流するようになった。
劉表が死に劉宗が曹操に降ると伊籍は弔問にかこつけて進軍するよう進言したが、劉備は聞き入れなかった。以後伊籍は劉備の配下として働くことになる。馬良、馬謖を推薦して劉備の幕僚陣を強化させたのは彼の仕事だった。
伊籍が呉に派遣された時、孫権は彼が弁舌家だと聞いて、逆に弁舌によって屈服させようと思った。孫権が
「無道の君主に仕えて苦労するのか」
としかけてくると、伊籍はすぐさま、
「一度拝礼して一度起つだけのことで、苦労という程の事はありません」
とやり返したという。
益州平定後も荊州に残り、関羽のもとで参謀として活躍した。
それ以後、彼の消息について、正史で書かれてる事は殆んどない。晩年をどういう過ごし方をしたのか不明のままだ。
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