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『褪めた恋より 熱い恋』 前編」(2007/02/21 (水) 22:53:32) の最新版変更点

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<p><br> レースのカーテンを擦り抜けてきた朝日に頬を撫でられ、彼は目を覚ます。<br> スプリングの効いたベッドの中で、可能な限り、小さく身を捩る。<br> あまりゴソゴソと動いては、いけない。<br> なぜならば、それが毎朝の約束事なのだから。<br> <br> そぉ……っと、ベッドランプの下に腕を伸ばす。<br> 手探りで求めるのは、この間、新調したばかりのメガネ。<br> 程なく、冷たい金属のフレームに指が触れた。<br> 再び、静かに手繰り寄せたソレを耳に掛けて、首を僅かに傾けると――<br> <br> <br> そこには、いつもどおり、愛しい人の寝顔があった。<br> 彼は、三度、吐息する。<br> <br> ひとつは、起き抜けの小さな欠伸。<br> ふたつめは、今朝も隣に彼女が居てくれたことへの安堵。<br> そして、みっつめは――<br> <br> 「おはよう……今日も素敵だよ」<br> <br> 彼女の寝顔の美しさに魅せられた、感嘆の溜息だった。<br> <br> <br> <br>   『褪めた恋より 熱い恋』<br> <br> <br> <br> 柔らかな朝日の中で、彼女は幸せそうに微睡んでいる。<br> メガネを外した素顔は、いつもながら息を呑む可愛らしさだ。<br> 昔のアニメソングではないが、彼女の目元を飾るそばかすだって、彼のお気に入り。<br> 普段は結い上げているストレートの黒髪も、今は解かれ、彼女の背中へと流れていた。<br> <br> まだ充分に瑞々しい肌の一点……<br> 胸元には、昨夜、彼が付けた愛のあかしが、幾つもアザとなって残っている。<br> <br> <br> 彼は時計を一瞥して、彼女の肩に触れて、そっ……と揺り起こした。<br> <br> 「んっ…………あ、ジュンジュン……おはよ~」<br> 「おはよう」<br> <br> ねぼけ眼を、こすりこすり。<br> 欠伸を堪えながら、草笛みつはムニャムニャと挨拶して、また眠ろうとする。<br> 彼――桜田ジュンは、そんな彼女に優しい眼差しと苦笑を向けて、肩を竦めた。<br> 毎朝の事ながら、彼女は寝起きが悪い。<br> 週末ならば、そのまま眠らせてあげるのだが、今日は平日。<br> <br> だから、ジュンはいつもどおりに、彼女を叩き起こす。<br> 滑らかな頬を両手で包み込んでの、フレンチキス。<br> これで彼女が起きなかったことは、一度としてない。<br> <br> 今朝も例外なく、みつはパッチリと目を覚ましてくれた。<br> <br> <br> 二人が同棲を始めてから、早くも半年が過ぎていた。<br> 高校を卒業した彼と、念願かなって自分の店を開いた彼女。<br> 丁度いい契機とばかりに、よく考え、話し合って決めたことだった。<br> <br> 以来、ジュンは彼女のマンションで家政夫のような生活を送る傍ら、<br> 服飾のデザインを独自に研究して、愛する彼女をバックアップしている。<br> みつが店に行っている日中は独りきりだが、その程度の孤独は、<br> 引きこもり時代で慣れている。<br> 実際、ジュンは寂しさよりも、みつの為に尽くせる喜びを強く感じていた。<br> <br> <br> <br> 朝食は、簡単なシリアル。<br> 向かい合って、雑談を交わしながら食事するのが、いつものスタイルだ。<br> ジュンは、彼女の服装に目を留めて、わざとらしく首を傾げた。<br> <br> 「今日は、10月にしてはあったかいのに、タートルネックのセーターなんだな」<br> 「…………バカ」<br> <br> みつは耳たぶまで真っ赤に染めて、もじもじと肩を竦めた。<br> メガネの奥のつぶらな瞳には、咎めるような色が、ありありと浮かんでいる。<br> <br> 「普通の服じゃあ、首筋の……が見えちゃうんだってば」<br> <br> 玄関で出勤する彼女を見送った後、ジュンは家事を始める。<br> 変遷の中の不変……全ては、いつもどおり。<br> <br> 何かもが巧くいっていた。まさしく順風満帆。<br> 『人間万事、塞翁が馬』というけれど、今の彼らにとっては、<br> 遠い外国の他人事みたいに思えていた。不幸など無関係だ、と。<br> 仮に、ちょっとの不幸に見舞われたところで、二人なら乗り越えられる。<br> そして、ずっと、このまま満ち足りた生活が続いていくのだと信じていた。<br> <br> <br> ――年が明けて、いろいろ落ち着いたらさ……籍、入れないか?<br> <br> 昨夜、夕食を終えて、くつろいでいる時、ジュンは切り出した。<br> 今までだって新婚生活みたいなものだったし、あまり気にはしていなかったのだが、<br> 姉、桜田のりに「ちゃんとしなきゃダメよぅ!」と叱られたのだ。<br> <br> 便宜上。ジュンにしてみれば、その程度だった。<br> 籍を入れようが入れまいが、みつと一緒に居られれば幸せだったのだから。<br> <br> けれど、それが男女の考え方の相違というものらしい。<br> ジュンの言葉を聞いた彼女は、優に五分は呆然としていた。<br> そして、いきなり泣き出してしまった。<br> みつの嗚咽を聞いていたら、何故かジュンの胸も熱くなって……<br> 気付けば、彼女の肩を抱き寄せて、彼も涙していた。<br> <br> (幸せすぎて泣けるってこと、あるんだなぁ)<br> <br> カーペットに掃除機をかけつつ、昨夜のことを思い返す。<br> 嬉しくて、幸せすぎて、床に就いても眠れなかった。<br> 愛し合い、疲れ切って眠ったのは、午前五時くらいではなかったか。<br> 思い出すと、つい頬が緩む。しかし、それはすぐに引き締められた。<br> <br>   こんなに全てが順調で、いいんだろうか? <br>   その内に、幸福の代償を請求されはしないか?<br> <br> 今まで、こんなにも幸せを感じた試しがなかったジュンは、<br> 巧くいきすぎることが却って不安だった。<br> ある日、突然に、この生活が破綻してしまうことを、何より恐れていた。<br> <br> 「……バカだな、僕は。そんな映画みたいなコト、滅多に起きるわけないだろ」<br> <br> 独りごちて、掃除機のスイッチを切った。<br> これで、家事はあらかた終わり。洗濯は少ないから、明日にでも纏めてやればいい。<br> ジュンは自室兼作業場に入って、スケッチブックを手に取った。<br> 閃くままに走り書きした数々のアイディアは、その殆どが具現されている。<br> さながら、予言書といったところか。<br> ページを捲る指が、真っ白な紙面を引き当てて、止まる。奇しくも最終ページだった。<br> <br> (今は、彼女のためにドレスを創ろう。<br>  この不安を焼き尽くすほどの、熱い想いを込めて)<br> <br> ジュンは一心不乱に、スケッチブックにペンを走らせ始めた。<br> <br> <br> <br> 一時間ほどデザインを考えていたが、どれもイマイチで、しっくりこない。<br> 描けば描くほど、マンネリに見えて苛立ちが募った。<br> どれもこれも、既視感ばかりが目立ってしまう。<br> <br> <br> 「あー……ダメだ。ちょっと休憩するか」<br> <br> 睡眠不足による為か、それとも気負い過ぎなのか。<br> とんと素晴らしいアイディアが湧いてこない。<br> こう言うときは、気分転換が1番の妙薬だ。<br> <br> 「ひと眠りしてもいいけど……シリアルとか、いろいろ切らしてたよな。<br>  散歩がてら、近くのコンビニでも行ってくるか」<br> <br> 小腹も空いたし、ついでに菓子パンと、栄養ドリンクでも買ってこよう。<br> ジュンは外出着に着替えて、玄関に向かった。<br> ドアノブを回して、きちんと施錠されているのを確かめ、エレベータまで歩を進める。<br> <br> <br> 午前10時過ぎ。<br> この時間、大概の家庭では夫や子供を送り出して、主婦が家事に勤しんでいる頃だ。<br> ドアが並ぶ通路に、擦れ違う者は居ない。<br> 秋の陽気の下、遠くからゴミ収集車の暢気なメロディが聞こえてくる。<br> <br> 体育祭シーズンも過ぎたし、この分だと年末なんて、あっと言う間だろう。<br> そんな取り留めないことを考えている内に、エレベータに辿り着いた。<br> しかし、その扉はピッタリと閉ざされ、貼り紙がしてある。<br> <br> 「定期点検中? しまった、今日だったか」<br> <br> みつの部屋にも、エレベータの点検作業を報せる紙片が投函されていた。<br> それは、ジュンも目にしていたし、承知しているつもりだった。<br> けれども、あくせくと時間に追われない生活を送っている彼は、<br> 規則正しく暮らしている人たちに比べて、曜日や日付の感覚がルーズになっている。<br> ゴミ出しの曜日を間違えることも、しばしばだった。<br> <br> <br> とにかく、ここで文句を呟いていたところで、定期点検が早く終わるワケでもない。<br> ジュンは動かないエレベータの前を離れ、階段まで歩くことにした。<br> 前方から歩いてくる人影が目に映ったのは、その時だった。<br> 向こうも彼に気付いたらしく、あ……と微かな声をあげて、口元に手を翳した。<br> <br> <br> 「……よ……よお」<br> 「あ……えと…………おはよう、かしら」<br> <br> ジュンのぎこちない挨拶に答えるのは、同じ階の住人にして、高校時代の級友。<br> 彼の下駄箱に、ラブレターを投函したこともある娘だった。<br> <br> あの頃の自分は、精神的に幼かったと、ジュンは思う。<br> 疎ましく思うあまり、彼女の想いを拒絶することに、罪悪感など抱かなかった。<br> みつと過ごしてきた時間が、ジュンを良い方に変えてくれたのだろう。<br> 恋愛の対象とは見なしていないのは、今も変わらないけれど、<br> 以前のように、目の前に佇んでいる娘を否定するつもりは無かった。<br> <br> 「こんな時間に逢うなんて、珍しいな。寝坊したのか、金糸雀」<br> 「なっ! 違うかしら。今日は講義が無いから、二度寝してただけかしら」<br> 「二度寝と寝坊って、違うものなのか?」<br> 「似て非なるものかしら。トカゲとイモリみたいなものかしら」<br> 「例えがミョーだけど……ま、いいや。僕はコンビニ行くから……じゃ、またな」<br> <br> 「ええ、また――」と、いかにも名残惜しそうに、金糸雀は寂しげに目を伏せる。<br> そんな彼女の脇を、ジュンは大きな欠伸をしながら擦り抜けて、階段を目指した。<br> 今日は、いつになく眠気が強い。やはり、早めに買い物を済ませ、仮眠しよう。<br> ドレスのデザインは、納得がいくまで、じっくり仕上げればいいのだ。<br> <br> そう思った直後、ジュンは突如、急激な墜落感に襲われて、思案を中断した。<br> 世界が目まぐるしく回り、腕と言わず足と言わず、身体中に激痛が走る。<br> そして、トドメと言わんばかりに、ジュンの後頭部が強打された。<br> 自分の身に起きた事を理解しようと目を見開くが、視界が霞んで何も判らない。<br> 徐々に暗転してゆく視界に、黒い人影が駆け込んできた。<br> <br> 「ジュンっ! しっかりするかしら、ジュンっ! いま救急車を――」<br> 懸命に呼びかける金糸雀の声も、ジュンの遠退く意識を引き戻すことは出来なかった。<br> <br> <br>   中編につづく<br></p>

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