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「『褪めた恋より 熱い恋』 中編①」(2007/02/21 (水) 22:58:20) の最新版変更点
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気付いたときは、病院のベッドの上だった。<br>
目を覚ましたジュンの顔を、目を泣きはらした、みつの顔が覗き込む。<br>
彼女の後ろには、心配そうな金糸雀や、姉のりの泣き顔もあった。<br>
金糸雀から連絡を受けて、二人とも取るものも取り敢えず駆けつけたのだろう。<br>
みつに対しては店の経営が軌道に乗り始めていただけに、申し訳ない気持ちで胸が痛んだ。<br>
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(ごめんな……心配かけちゃって)<br>
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謝らなければいけない。<br>
そして、仕事の方を優先してくれと、頼まなければならない。<br>
今が大事な時だというのに、見舞いや看護で、店をなおざりにしては駄目だ。<br>
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しかし、ジュンは返事を出来なくて、愕然とした。まったく声を出せない。<br>
ばかりか、身体を……指の一本も動かせなかった。<br>
一体、何がどうなったというのか。<br>
焦って全身を動かそうとするも、できるのは、せいぜい瞬きすることくらいだった。<br>
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脊椎や頭部強打による、神経伝達系の損傷……医者は、そう言った。<br>
運動神経に障害があって、横紋筋の随意性が著しく疎外されているらしい。<br>
内臓器は不随意筋である平滑筋のため、影響が出ていないが、<br>
随意筋の方は、瞼など僅かな箇所が、辛うじて動かせる状況とのことだった。<br>
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みつはワナワナと震えながら医者に詰め寄り、治る見込みについて訊ねた。<br>
だが、返答は鉄槌の如く、彼女の希望を砕く。<br>
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「あなた、医者でしょうっ?! なにか……なんとかしてよ!」<br>
「みっちゃん、落ち着いて! お願いだから、冷静になるかしらっ!」<br>
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半狂乱になって喚く彼女の腕を、のりと金糸雀が両脇から抱え込んだ。<br>
みつは、そんな二人を突き飛ばしかねない勢いで捲し立てる。<br>
金糸雀は懸命にしがみつき、涙声を振り絞って、押し止めようとしていた。<br>
その騒ぎを聞きつけ、病室の入り口に、看護士や入院患者たちが集まりだす。<br>
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(……止めてくれっ!)<br>
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心の中で、ジュンは叫ぶ。<br>
苦痛に歪む、みつの顔を見るのが辛かった。<br>
悲痛に打ち震える彼女の嗚咽を聞くのが、すごく苦しかった。<br>
自分のせいで、親しい人たちの人生を狂わせてしまうことが、とても悲しかった。<br>
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(お願いだ! みんな…………もう止めてくれよっ!)<br>
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胸に渦巻く、やるせない想いを、声に出したい。<br>
大声で叫んで、この喧噪を鎮めたい。<br>
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なのに、ジュンは唇を開くどころか、身体を起こす事すらできなかった。<br>
涙さえ、溢れることはなかった。<br>
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それからの日々は――<br>
ジュンにとって、絶望の連続だった。<br>
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――僕は、人形になってしまったんだ。<br>
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いや……人形ならば、まだマシだ。食事も、排泄の心配も、しないでいいのだから。<br>
呼吸をする必要もなければ、眠らなくたっていい。<br>
誰も居ない部屋で独り、日当たりの良い窓辺に座って過ごす日常。<br>
移ろう季節を横目に、ぼんやりと主人の帰りを待っているだけが、生活の全て。<br>
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……ああ。<br>
いっそ、そうなれたなら、どれ程か幸せだろう。<br>
今の状態は、苦痛しか生み出さない。<br>
生きる上で必要不可欠な食事ひとつとっても、そう。<br>
内臓に問題が無いため、点滴だけに頼らず、流動食も摂らされるのだ。<br>
自分の意志で顎を動かせないから、喉にチューブを押し込まれて、流し込まれる。<br>
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それは食事ではなく、餌付け。無理矢理に、エサを食べさせられているに等しい。<br>
ジュンの心は屈辱にまみれ、自由にならない身体に憤った。<br>
鬱積した黒くドロドロした感情は、彼の理性を、光の射さぬ深淵に引きずり込んでいく。<br>
そして、彼の精神は闇の中で縮こまり、例えようのない深い哀しみに啜り泣くのだった。<br>
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そんな、ある日のこと。<br>
茫乎とした眼差しを、秋晴れの空に彷徨わせていたジュンの耳に、<br>
どこからか、女の人の澄んだ歌声が流れ込んできた。<br>
筋肉は動かせずとも、鼓膜さえ震えれば音は聞こえる。<br>
どうやら、開け放した窓の外から、届いてくるようだった。<br>
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(歌か……いいな。歌えるほど元気なら、もう退院が近いんだろう)<br>
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そう思った直後、不意に歌声は止み、程なく、言い争う声に変わった。<br>
どうしたと言うのだろう?<br>
気になって耳を澄ましたジュンは、なんとか、幾つかの単語を拾う事ができた。<br>
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(めぐ……って名前なのか? 治らないとか……死ぬとか言ってたな)<br>
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病院とは、なんとも厭な空間だ。死が日常的すぎて、現実よりも身近に感じられる。<br>
ジュンもまた、めぐという女性の言葉に感化され始めていた。<br>
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(このまま治らないなら…………いっそ、死にたいな)<br>
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生きていながら、死んでいるに等しい今の状態は、自分のみならず、<br>
周囲の人々も不幸に陥れている。<br>
心から愛している彼女――草笛みつを苦しめている。<br>
自分が彼女の幸せな未来を遮る壁になっているのだと思うと、死んで詫びたくなる。<br>
けれども、今のジュンは、自分の舌を噛み切ることすら出来ない、無力な人形。<br>
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みつは毎日、欠かすことなく病院を訪れては、ジュンの世話をしていく。<br>
時に、汚物の付着したおむつさえも、彼女は厭な顔ひとつせずに変えてくれる。<br>
その度に、嬉しさと同時に、自分の存在が足枷でしかない事実を思い知らされ、<br>
ジュンは気が狂いそうになった。<br>
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――悔しかった。ただただ、口惜しかった。<br>
死にたいとすら思うのに、麻痺した身体では、自殺も叶わない。<br>
自力で彼女の元から離れていけない自分がもどかしくて、呪わしくて――<br>
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それなのに、ジュンの双眸から感情が溢れることはない。<br>
相も変わらず、電池じかけの人形みたいに、瞬きと呼吸を繰り返すだけ。<br>
口内に溜まる唾液すら自力で飲み込めず、機械で吸い出していなければ窒息する。<br>
人間としての尊厳もない、この状況は、はたして生きていると言えるのだろうか。<br>
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(僕は、いつになったら……死ねるんだ。早く死なせてくれよ)<br>
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生気のない目を外の景色に向けていたジュンの耳に、めぐの歌声が飛び込んできた。<br>
いつもながら綺麗な声だ。最近では、この歌を聴くのが心の慰めになっている。<br>
死にたがりの女性が、気紛れで奏でる歌。<br>
そこに癒しを求めるのは、同病相憐れむ、というやつかも知れない。<br>
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ジュンが瞼を閉じて聞き入っていると、不意に、歌声が止んだ。<br>
だが、いつものような苛立ちの声は聞こえない。<br>
代わりに、驚くほど優しい声が、誰かに話しかけていた。<br>
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「いらっしゃい、水銀燈。<br>
ねえ……知ってる? この病院の10階に、眠り姫が居るんだって。<br>
死んだら鳥になりたいと思っていたけど……ずぅっと眠り続けるのも素敵よね」<br>
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聞いて、ジュンは『本当に、そうなのか?』と思った。<br>
楽しい夢を、終わることなく見続けていられるのなら、そんなに幸せなことはない。<br>
だが……その夢が、耐え難い悪夢だったとしたら?<br>
丁度、彼が置かれているような、酷い状況だったなら、同じ事が言えるだろうか。<br>
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ジュンは心の中で、声しか知らない女性に、話しかけた。<br>
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(傲慢だな、君は――<br>
綺麗な声で歌うことが出来る。自由に動き回ることが出来る。<br>
今みたいに、親しい誰かと言葉を交わして、笑い合うことも出来る。<br>
その気になりさえすれば、僕の首を絞めて、殺してくれることだって出来るのに。<br>
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なのに! 君は『死にたい』だなんて言う! 傲慢すぎるよ!)<br>
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めぐに向けた憤りは、深い哀しみとなって彼自身に跳ね返ってくる。<br>
そして、ジュンは誰にともなく祈った。<br>
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(お願いだ――せめて、涙を流させてくれ。行き場のない感情を、吐き出させてくれ)<br>
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中編②につづく<br></p>