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「第四回」(2007/03/01 (木) 22:42:32) の最新版変更点
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さらさらの、美しい黒髪。肌理が細かく、すべすべした柔肌。<br>
左眼の下の泣きぼくろは、魅力的なアクセント。<br>
可愛らしい桜色の唇。<br>
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地下室の天井から吊り下げられた裸電球が放つ、黄色がかった淡い光が、<br>
巴の姿を幻想的に浮かび上がらせる。<br>
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「はふぅ……。なんて魅惑的なのでしょう。この美しさは最早、芸術ですわ」<br>
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熱を帯びた溜息を吐きながら、雪華綺晶はベッドに腰を降ろして、眠っている巴の頬を撫でた。<br>
温かく、柔らかい。<br>
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「私は、貴女のとりこ。私の心は、貴女への想いで占められているのですわ」<br>
<br>
人が、名画や優れた彫刻を求めるように、雪華綺晶は、巴という芸術を欲した。<br>
人が、名曲や素晴らしい演奏を愛するように、雪華綺晶は、巴の全てを愛した。<br>
容姿は勿論、儚げな声も、真っ直ぐな眼差しも、さり気ない仕種も、健気な性格も。<br>
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「柏葉さんだなんて、間怠っこしいですわ。ああ……巴さん。巴! 巴っ!」<br>
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この異様な世界が、彼女の精神状態を、より一層、狂わせるのだろうか。<br>
雪華綺晶は両腕で巴の上半身を起こすと、抱き締め、頬を擦り寄せた。<br>
<br>
「もっと近くに居たい。もっと触れ合いたい。<br>
ああ……ダメよ。そんな事をしては、巴が汚れてしまいますわ。<br>
でも、衝動を抑えきれない。<br>
この真っ白なキャンバスを、思いっ切り、私の色で汚してしまいたい」<br>
<br>
雪華綺晶が、チューリップの蕾を想わせる巴の唇を啄み始めた。<br>
二度、三度――<br>
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「……んっ」<br>
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四度目に触れ合う直前、巴が、微かに呻く。<br>
長い睫毛が揺れ、徐に開かれる瞼の奥で、澄んだ瞳が輝いた。<br>
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「んふ。お気付きになったかしら?」<br>
「っ?!」<br>
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目を覚ますなり、至近に雪華綺晶の顔が在るだけでも想定外だと言うのに、<br>
抱き締められていると判って、巴は反射的に両手を突っ張っていた。<br>
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「い、イヤぁっ!」<br>
<br>
肘で、雪華綺晶の腕を振り解き、自由になった両手で、彼女の身体を突き飛ばす。<br>
跳ねるようにベッドから離れた巴は、一目散に鉄扉に駆け寄り、ノブに指を掛けた。<br>
<br>
がちゃっ! がちゃがちゃがちゃ!<br>
<br>
だが、開かない。<br>
なんで? どうして? 小声で呟きながら、懸命にノブを回し続ける。<br>
けれど、鉄扉は開かない。<br>
巴は、今にも泣き出しそうになりながらも、虚しい努力を続けた。<br>
<br>
「無駄ですわ、巴。その扉には、鍵を掛けておきましたから」<br>
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背中に投げ付けられた、冷酷な宣告。<br>
巴は半狂乱になって、雪華綺晶に掴みかかった。<br>
<br>
「何故? なんで、こんな事するの? 鍵を開けてよ! ここから出してっ!」<br>
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けれど、雪華綺晶は涼しげに微笑み――<br>
<br>
「……あらぁ、残念。鍵は、もう開きませんわ」<br>
「ど、どうしてっ!?」<br>
「捨ててしまいましたから」<br>
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トイレを指差して「流しちゃったぁ」と、戯けた。<br>
<br>
巴の表情が、見る見るうちに青ざめ、恐怖に引き攣ってゆく。<br>
その変化を愉しげに見詰めながら、雪華綺晶は舌なめずりした。<br>
<br>
「だから、出られませんよ。私も、巴も。この部屋で、ずぅっと、二人きり。<br>
くふふふふっ…………愉しい愉しい。ゾクゾクしてきますわ」<br>
「っ! 貴女、おかしいわ。狂ってるわよ!」<br>
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雪華綺晶の胸ぐらを掴んでいた手を放して、巴は鉄扉に引き返し、拳を叩きつけた。<br>
<br>
「イヤっ! こんなのイヤっ! 助けて、桜田くんっ! 桜田くんっ!!」<br>
<br>
鉄扉を叩き、叫び続ける巴の肩を、雪華綺晶は鷲掴みにして引き戻した。<br>
振り返った巴の頬に、雪華綺晶の掌が振り下ろされる。<br>
思いっ切り殴られた巴は、小さな悲鳴を上げて、鉄扉に肩を打ち付けた。<br>
<br>
「私の前で、彼の名前を呼ぶことは許しませんわ!」<br>
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巴は、撲たれた頬に手を当てて、涙を溜めた瞳で雪華綺晶を睨み付けた。<br>
雪華綺晶の隻眼が、妖しい金色の輝きを増す。<br>
口の端を吊り上げて、ニタ~リと嗤った。<br>
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「ねえ、巴ぇ。冷静になって、よぉ~く考えてね」<br>
「冷静になるのは、貴女の方よ! きらきーさん! こんな事、もう止めて!」<br>
「イヤですわ。折角、私と貴女の二人だけになれましたのに。<br>
ここは、私たちだけの世界なの。他には誰も居ない。邪魔する者は居ない。<br>
なんて素晴らしく、幸福なんでしょう。まるで、アダムとイブみたい」<br>
「……この、キチガイっ!」<br>
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叫んだ巴の頬に、雪華綺晶の張り手が飛んだ。<br>
狭い地下室に、小気味よい破裂音が響く。<br>
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「慎みなさい。口汚く罵るなんて真似は、許されざる蛮行ですわ。<br>
貴女には、理想の乙女であり続けて欲しいの。容姿も、仕種も、全て」<br>
「っ…………」<br>
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巴は、覚悟を決めた。助かるためには、雪華綺晶を黙らせるしかない。<br>
彼女を殺して、誰かに聞こえることを祈りながら、扉を叩き続けるしかない。<br>
喉が渇いたらトイレの水を飲んででも、お腹が空いたら雪華綺晶の身体を食べてでも、<br>
生き残るつもりだった。<br>
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(桜田くん…………わたし、きっと戻るよ。貴方のところへ)<br>
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絶好のチャンスを得るためなら、喜んで、雪華綺晶の慰み物になろう。<br>
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「随分と遅いな、柏葉のやつ」<br>
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薔薇水晶と雑談をしながら待ち時間を過ごしていたジュンは、<br>
腕時計を一瞥して、ぽつりと呟いた。<br>
この屋敷に来てから、もう小一時間が過ぎようとしている。<br>
幾らなんでも、時間が掛かりすぎだった。<br>
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「なあ、薔薇水晶。話に水を注して悪いんだけどさ」<br>
「どうかしたの、ジュン?」<br>
「ちょっと、柏葉の様子を見に行っても良いか?」<br>
「……じゃあ、私も一緒に行く」<br>
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雪華綺晶の部屋に入ることになれば、薔薇水晶には居てもらった方が良い。<br>
ジュンは「ああ。案内、頼むよ」と短く答えて、薔薇水晶を促した。<br>
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二人は連れ立って階段を昇り、雪華綺晶の部屋を訪れた。<br>
妙に、ひっそりと静まり返っている。ジュンがノックをしてみるが、返事は無い。<br>
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「お姉ちゃん? 居ないの?」<br>
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扉越しに薔薇水晶が訊ねても、周囲は静まり返ったままだった。<br>
眉間に皺を寄せたジュンと顔を見合わせて、薔薇水晶は、ひとつ頷いた。<br>
<br>
「……入るよ?」<br>
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言って、薔薇水晶はドアノブを回して、扉を押し開けた。<br>
雪華綺晶も、巴も、どうして返事をしないのか。<br>
理由を確かめるべく立ち入った室内には、誰の姿もなかった。<br>
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「おい……柏葉? 雪華綺晶? どこ行ったんだ、あの二人」<br>
「私に訊かれても、分かんないよぉ」<br>
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何か二人を探す手懸かりが無いものかと、辺りを見回していたジュンが、<br>
机の上に礼儀正しく置かれている封筒を見付けた。<br>
ジュンは、薔薇水晶の肩を左手で叩き、右手で封筒を指差した。<br>
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「薔薇水晶、あれを見てくれ」<br>
「封筒? お姉ちゃんの書き置きかなぁ……読んでみるね」<br>
「頼むよ。僕が、勝手に見るのは拙いだろうから」<br>
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真っ白な封筒を手に取り、薔薇水晶の白い指が、三つに折り畳まれた便箋を抜き出す。<br>
琥珀色の瞳が、広げた紙面を左右に走って行く。<br>
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「お姉ちゃんは、巴ちゃんと一緒に出かけたみたい」<br>
「なんだって? そんな気配は、全くしなかったよな。あいつら、何処へ?」<br>
「書いてないけど……お夕飯には帰ってくるって」<br>
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言って、薔薇水晶が手紙を差し出す。ジュンは、それを手に取って目を通した。<br>
いかにも女性らしい、綺麗な文字が、規則正しく並んでいる。<br>
人の性格は書体にも現れるが、書面から、雪華綺晶の几帳面な性格が見て取れた。<br>
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「今は……もう五時か。薔薇水晶の家って、何時くらいに夕食を摂るんだ?」<br>
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ジュンが腕時計を見ながら訊くと、薔薇水晶は小首を傾げて「七時くらい」と答えた。<br>
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「あと、二時間くらいだな。往復分を考えても、あと一時間は自由に動ける計算か」<br>
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それだけの余裕があれば、何処にでも行ける。<br>
無闇やたらと探し回っても、絶対に見付からないだろう。<br>
ジュンは携帯電話を取り出して、巴に電話してみた。<br>
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「…………出ないな。圏外みたいだ」<br>
「じゃあ、お姉ちゃんの方は、どうかな?」<br>
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薔薇水晶も、ジュンに倣って携帯を操作した。が、直ぐに表情を曇らせる。<br>
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「こっちもダメ。繋がらないよぉ」<br>
「参ったな。連絡の取りようが無いんじゃあ、帰ってくるのを待つしかないか」<br>
「ねえ、ジュン。それなら、ウチでお夕飯、食べていかない?<br>
一緒に、巴ちゃんを待ってようよ」<br>
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確かに、それが一番、確実な方法だと思える。<br>
雪華綺晶と巴を二人きりにする事は、かなり不安だけれど、現状では打つ手が無い。<br>
置き手紙を信じて、七時まで待ってみるしかなかった。<br>
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「……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」<br>
「ホント? あはっ♪ やったね」<br>
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ジュンの不安など気にも留めずに、薔薇水晶は踊るように、クルッと回って見せた。<br>
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「期待しててね、ジュン。私、お夕飯の支度、手伝ってくるから」<br>
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笑顔でお礼の言葉を口にしつつも、ジュンの心は曇ったままだった。<br>
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