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第十一回」(2007/03/06 (火) 21:12:42) の最新版変更点

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<p><br> 寝汗の気持ち悪さを覚えて、雪華綺晶の意識は、深い眠りから呼び戻された。<br> ちょっと呻き、欠伸を、ひとつ。そして――ふと、気付く。<br> <br> 隣に寝ていた筈の巴が、居ない。<br> 耳を澄ませても、彼女が立てる物音は一切、聞こえてこない。<br> <br> 「……巴ぇ~? ねえ、どこに居ますの?」<br> <br> 彼女の呼びかけに応えるのは、闇が生み出す静寂のみ。<br> もう一度、巴を呼ぶが、雪華綺晶の声は暗黒に呑まれて、それっきり返ってこない。<br> <br> 「ねえ、巴? ……どこぉ? 意地悪しないで下さいよぅ」<br> <br> <br> ――――沈黙。<br> <br> <br> 雪華綺晶の胸に、得も言われぬ感情の波が、怒濤となって押し寄せてきた。<br> それでも敢えて言うならば、畏怖。<br> 大切な物を喪失した時の、畏れ。<br> 大好きな物を奪われ、二度と取り戻せないと知った時の、怖れ。<br> <br> そんなの、嫌だ。嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。アレは、私のモノなのに!<br> 雪華綺晶はベッドの上で身体を丸め、両手で頭を抱えて、<br> 幼い子供の様に、漆黒の中で打ち震えた。ひたすらに、巴を求めながら。<br> <br> 「どこなのっ!? 私のお人形、どこに居るのっ?!」<br> <br> 限界まで募った畏怖が、狂気の喚きとなって、雪華綺晶の唇から吐き出される。<br> けれども、それらは全て、虚しく地下室に木霊するだけ。<br> 雪華綺晶は頭を抱えたまま、半身を跳ね起こした。<br> <br> 「イヤッ! イヤッ!! 返して! 私のお人形、返してぇっ!!」<br> <br> 駄々をこねる幼児の如く、雪華綺晶は泣きじゃくる。<br> しかし、彼女を宥める――或いは叱りつける――者は、皆無だった。<br> <br> 「巴っ! 巴っ! トモエ、トモエ、トモエ、トモエ、トモエーっ!」<br> <br> 譫言の様に巴の名を連呼しながら、雪華綺晶は涙に濡れた左眼を血走らせて、<br> ギョロギョロと漆黒の空間に視線を彷徨わせる。<br> <br> <br> そして――――見付けた。<br> 仄かな光に醸し出される、巴のシルエットを。<br> <br> にたぁ……っと、雪華綺晶の口元が歪んだ。<br> 彼女の隻眼は、ただ一点、巴の影だけを凝視している。<br> <br> 「あはははははっ。あったぁ! 私のお人形、見付けた見付けた見付けたぁっ!」<br> <br> 涙を拭い、ベッドを、するり……と降りて、軽快なステップで巴に近付く。<br> 下着姿の彼女は、蹲ったまま身動き一つしない。膝を抱えて、眠っているかの様だ。<br> 委細かまわず、雪華綺晶は巴の背後から近付いて、彼女の華奢な肩に両腕を絡み付かせた。<br> <br> 「……んふふふっ。今日は、何して遊びましょうか。ねえ、巴ぇ~?」<br> <br> 仄かに汗の臭う巴のうなじに鼻を擦り付けながら、猫撫で声で話しかける。<br> だが、いつもの様な拒絶は、返ってこなかった。<br> <br> 「あらぁ? 今日は、おとなしいですわねぇ。もしかして、本当に寝てますのぉ?」<br> <br> 巴の反応を探るように、雪華綺晶は巴の首筋に接吻し、つぅ……と、耳の後ろまで舐めあげる。<br> 普段なら、過敏に拒否反応を示し、力任せに突き飛ばしてきた筈だ。<br> <br> ――しかし、巴は呻くことすらしない。<br> <br> 「? どうしましたの、巴ぇ。何か、喋って下さいよぅ」<br> <br> 絡めていた腕を解いて、雪華綺晶は、巴の肩を揺すった。<br> 途端、巴の身体は、力無く床に倒れ込んだ。<br> 閉ざされた瞼が、睡眠中であることを連想させる。<br> <br> 「あらあら。折角ベッドが有りますのに、こんな所で眠ってたなんて」<br> <br> 言って、雪華綺晶は巴の右腕を掴み、ひょいと引き上げた。<br> 巴の頭が、がくりと下を向く。<br> 掴んだ彼女の腕を肩に担いで、無理矢理に立たせた時点で、<br> 雪華綺晶は漸く、巴が呼吸していない事に気付いた。<br> 微かに開いた唇に耳を寄せるが、吐息は感じられない。<br> <br> 「巴……貴女、まさか…………死ん、で……る?」<br> <br> 問い掛けても、巴が答えることはなかった。<br> <br> <br> 雪華綺晶は、ぐったりした巴をベッドまで運んで、仰向けに寝かし付けた。<br> 彼女の手首に触れて脈を測ったり、胸に耳を着けて、心臓の鼓動を聞いたりしてみる。<br> そして、導き出した答えは――<br> <br> <br>   やっぱり、死んでいる。<br> <br> <br> ――だった。<br> <br> 「死んだ? 巴が、死んでしまった?」<br> <br> 愕然とする雪華綺晶。<br> 彼女の肩が、小刻みに震え始めた。時折、く……と、喉が鳴る。<br> <br> 「くっ………………くく…………くっ……くっ」<br> <br> 段々と、喉の鳴る間隔が狭まっていく。<br> <br> そして遂に、<br> <br> 「あっははははっ! はははっははっあはははははっ!!」<br> <br> 轟笑。<br> 耳を聾する哄笑。<br> <br> 「最っ高! これこそ理想のお人形ですわ! 貴女は最高にして、至高の存在よ、巴ぇ。<br>  なんて素敵なんでしょう。なんて素晴らしいんでしょぉ! あははははははっ」<br> <br> 巴を死に追い遣った原因は、餓えでも病気でもなく、二酸化炭素だった。<br> 窓も通気口も無い地下室には、知らぬ間に、二酸化炭素濃度が上昇していたのだ。<br> <br> 通常、ヘモグロビンと強力に結合する有毒ガスは一酸化炭素で、<br> 二酸化炭素には、殆ど毒性がないとされる。<br> もしも二酸化炭素が有毒だったら、炭酸飲料など販売されていないだろう。<br> <br> しかし、それとて少量に限ったこと。<br> 空気中の二酸化炭素濃度が高くなるにつれて、人体には深刻な変化が生じてくる。<br> 血中の二酸化炭素濃度が3~4%を超えると頭痛・めまい・吐き気などを催し、<br> 7%を超えると、炭酸ガスナルコーシスという麻酔されたような状態に陥るのだ。<br> この状態になると数分で意識を失い、そのまま適切な処置を施されなければ、<br> 麻酔作用による呼吸中枢の抑制によって呼吸は停止し、やがて死に至る。<br> <br> 巴の場合、長い間、しゃがみ込んで文字を書いていたのが災いした。<br> 二酸化炭素は空気より重いため、下方に溜まりやすい。<br> つまり、彼女は高濃度の二酸化炭素に包まれながら、手紙を書き続けていたのである。<br> 体力の消耗が著しい状態で、自分の置かれた状況を知る由もなく。<br> 同室の雪華綺晶が事なきを得たのは、ベッドの上で眠っていたからに他ならなかった。<br> <br> <br> 雪華綺晶は、巴の携帯電話を拾って戻ると、彼女の枕元に置いた。<br> もう二度と目覚めることのない、美しい少女の横顔が、妖しく浮かび上がる。<br> 掌で包み込んだ巴の頬には、まだ温もりが残っていた。<br> <br> 「うふふ……これでもう、貴女は私を拒絶しない。<br>  私が、どんなに無茶な要求をしても、黙って受け容れてくれる。<br>  正しく、私の為すがままに踊り続けるだけの、素直で可愛いお人形ですわ」<br> <br> くすっ……と微笑して、雪華綺晶は右手の人差し指と中指を口に銜えた。<br> 粘りけのある唾液が、這い回る舌によって、二本の指に塗りつけられていく。<br> <br> そして――<br> <br> 雪華綺晶は、ぬらぬらと濡れた指を、閉ざされている巴の唇に宛い、<br> ゆっくりと……こじ開けていった。<br> すぐに、しっかりと噛み合わさった前歯が、異物の侵入を拒む。<br> だが、雪華綺晶は前歯の間に爪を差し入れ、指先をねじ込み、僅かに下顎を開かせて、<br> 無理矢理に押し通った。<br> 顎や頬が硬直していない事から察して、死後2時間以内と言ったところだろう。<br> 身体に温もりが残っていることからも、それは明らかだった。<br> <br> たった2時間前まで、生きていた巴。<br> 生前の彼女が、この状況に置かれていたら、間違いなく噛み付いただろう。<br> それこそ、指を食いちぎるまで。<br> しかし、今の彼女は、雪華綺晶に蹂躙されるがままだった。<br> <br> <br> ――だって、人形なんだもの。<br> <br> <br> 何をされようとも。<br> どんな悪戯をされようとも。<br> ただただ、ご主人様の為すがまま。ご意志のままに……。<br> <br> <br> ご主人様の疲弊し切った御心を癒し、慰める事こそ、人形の本分。<br> ねえ、そうでしょう?<br> <br> 「ああ……綺麗。長い睫毛も、可愛い唇も、全て私のものですわぁ。ねえ、巴ぇ?」<br> <br> 雪華綺晶は、唾液に塗れた指で、口腔の奥に縮こまっている巴の舌に触れ、ふにふに……と摘んだ。<br> まだ、柔らかい。ぬめぬめ、うにゅーっと、餅菓子みたいな触感。<br> それは、挟み込もうと蠢く指の間で、ぬるりぬるりと逃げ回っていた。<br> <br> 「んふ。こんな鬼ごっこも、背中がゾクゾクするほど愉しいですわねぇ。<br>  ほらほらぁ、捕まえちゃいますわよ」<br> <br> ふにふに……ぬるりん……。<br> <br> 指先から駆け昇ってくる官能が、雪華綺晶の脊髄を震わせ、脳を痺れさせる。<br> <br> 「あぁん……もぉ、食べちゃいたいくらい可愛いっ!」<br> <br> <br> ――いっそ、食べちゃおうか?<br> <br> 頭の中で、誰のものだか判らない声が、彼女に囁きかけた。<br> それは、尚も濃くなり続ける二酸化炭素が生み出す、穢れた幻聴か。<br> <br> 雪華綺晶は、引き抜いた指を口に運び、ちうちうと啜った。甘美な……巴の味がする。<br> 夢見るような面持ちで、唇を重ねる。<br> 禁断の果実は、とても美味。一度でも味わったら、止められない、止まらない。<br> 前歯の間から滑り込ませた舌を、巴の舌に絡み付かせて、飽くことなく舐めまくった。<br> <br> <br> まるで、キャンディーをしゃぶる様に。<br> いつまでも、いつまでも……。<br></p>

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