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最終話  『永遠』 -後編-」(2007/04/27 (金) 22:26:09) の最新版変更点

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蒼星石の問いを、澄ました顔で受け止め、二葉は言った。 「ラベンダーの花言葉を、知っているかね?」 訊ねる声に、少しだけ含まれている、気恥ずかしそうな響き。 花言葉という単語は、男がみだりに使うべきものではないと…… 女々しいことだと、思っているのだろうか。 いつまでも黙っている蒼星石の様子を、返答に窮したものと見たらしく、 翠星石が助け船を出すように、口を挟んだ。 「あなたを待っています……ですぅ」 二葉は満足げに頷いて、まるでラベンダーの庭園がそこにあるかの如く、 ティーカップを並べたテーブルに、優しい眼差しを落とした。 「中庭のラベンダー。実を言うと、あれは僕が育てたものだ」 「結菱さんが? と言うか、よくラベンダーの種を持ってましたね」 「まったくです。用意がいいヤツですぅ」 「……ふむ。君たちは、まだ来たばかりだから、そう思うのも仕方ないか」 なんだか言葉が噛み合っていない。自分たちの見解の、どこが間違っていると? 姉妹は口を閉ざして、まじまじと二葉の顔を眺めた。 それが答えを促す仕種であることは、二葉も承知している。 「こうして生前の姿を留めているから忘れがちだが、僕も、そして君たちも、  実際には既に、死んだ身なのだよ」 「それは、まあ……なんだか、海外旅行にでも来てるみたいな気がしてます。  茨の棘でケガしたら血が出たし、痛みもあったっけ。死の実感がないですね」 「こうして息もしてるし、体温だって感じられるですぅ」 「何故だと思う?」二葉は訊ねたが、二人の答えを待たずに続けた。 「それはつまり……五感ですら、記憶の一部だからだよ」   ~もうひとつの愛の雫~   最終話 『永遠』-後編- ――五感。それは、生まれてから経験的に学んできた感覚。 たとえ身体が失われようとも、決して喪われることのない記憶。 故に、異邦人たる彼らは、いまも身体を有しているのだ。 生前の姿を、経験を、ありありと思い出せるから。 「僕は、ある人に教えられて、ラベンダーと、その花言葉を知っていた。  だから、この世界でも具現化できたのだよ。知識こそ、創造の種なのだからね。  その方法については、百万の言葉を並べた説明を聞くより、実践で学びたまえ。  ……さて。少々、話が脇道に逸れてしまったが、質問の答えだ」 蒼星石たちが守り役を継いだ後、二葉はどうするのか。どうなるのか。 彼は残っていた温い紅茶を飲み干して、カップを置いた。 「これは、僕が異邦人となった原因でもあるのだが……  もうずっと以前、僕にも君たち同様、大切なヒトが居たのだよ。  将来を誓い合った女性がね。彼女の名はコリンヌ。とても美しい娘だった」 「うっわ……ノロケやがったですぅ」 「姉さんってば」 空気を読まずに茶々を入れた姉の脇腹を肘で小突いて、蒼星石は先を促した。 そんな、仲睦まじい姉妹の様子に、知らず、二葉の頬も緩む。 「君たちを見ていると、兄さんを思い出すよ。頼りがいのある、いい兄貴だった。  僕らは、とてもいいコンビでね。いつだって一緒だった。一心同体と呼べるほどに。  いつまでも、ずっと巧くやっていけると……一枚岩の関係だと信じていたのだよ。  ひとりの女性を、二人が同時に愛してしまうまではね」 「……ラベンダーを教えてくれたのも、コリンヌさんなんですね、結菱さん」 「ああ。そして、僕はどうしても彼女を、独り占めしたいと欲した。  今にして思えば、僕はずっと、コンプレックスを抱いてたのだろうな。  なんでもソツなくこなす、優秀な兄さんに対して、いつも引け目を感じていたのだ。  だから……彼女だけは、兄さんに渡したくなかった。勝ち取りたいと強く思った」 一息に捲し立てた二葉は、喉を湿らそうとカップを手に取り、空であることに気付いた。 目敏く見て取った蒼星石が、ポットを手に取り、彼のカップに紅茶を注ぐ。 彼は目礼して謝意を示し、一口、渋い液体を含んだ。 「ボクには、結菱さんの気持ち……なんとなく解ります」 蒼星石は、姉と自分のカップにも濃くなった紅茶を注ぎながら、相槌を打った。 「そうかね?」 「ええ。ボクも――」 短く答えて、ちらと流した横目が、怪訝そうな翠星石の双眸とぶつかり、 蒼星石は、あたふたと二葉に水を向けた。 「その後、お兄さんやコリンヌさんとは――?」 「僕は、勝ちたい一心で、躍起になっていたからね。兄さんとケンカ別れして、  駆け落ち同然で、彼女と船に乗ったのさ。彼女の故郷で結婚しようと、ね。  だが…………幸せというものは、実に掴みどころのない妄想だったよ。  しっかりと、この手の中に握っていたはずだったのに」 「何が、あったですぅ?」 「沈んだのだよ。絶対に沈まないと謳われていた豪華客船が。僕らが乗っていた船が。  ……それっきり。そう。彼女とは、それっきりだ。  生きているのか、死んでしまったのか、それすら解らない。ただ、願わくば……」 些か不謹慎に過ぎるのだけれど。 そう前置いて、二葉は静かに、重い言葉を吐き出した。 「コリンヌも、こちらの世界に来ていたら……と、思わずにはいられない。  そして、彼女も僕と同様に、未練を引きずり『異邦人』になっていたら、とね」 「ラベンダーの花言葉……結菱さんは、あの花に願いを込めたんですね」 「あなたを待ってる――ですか。なんだか、淋しくなるですぅ」 シュンと俯いた翠星石を見て、ふと、蒼星石は思い出した。 この屋敷で再会したとき、翠星石が茫乎と眺めていたのも、ラベンダー。 あの時はまだ、彼女は蒼星石のことを忘れていた。 だから、ただの偶然なのだろうけれど、やはりココロのどこかでは期待してしまう。 ラベンダーの花言葉のように、蒼星石の訪れを待ってくれていたのだ――と。 「暗い話になって、すまないね。かなり前振りが長くなってしまったが、  僕はね、君たちに守り役を任せて、旅に出ようと思ったのだよ。  待ってるだけでは、なにも変わらない。行動して初めて、事態は動く」 二葉は、蒼星石の顔を、緋翠の瞳を、真っ直ぐに見つめながら言った。 「彼女と幸せを掴もうとしていた、胸に熱い情熱を秘めていた、自分……。  蒼星石を見ていて、それを思い出したのだよ。君の強さが、僕の目を覚ましてくれた」 「そんな……。ボクなんて、独りぼっちに堪えられなかった臆病者ですよ」 「そうかね? 一途に想いを貫くというのも、意外に勇気が必要だよ。  大概は、どこかで挫けてしまう。環境に左右されて、初志を歪めてしまう。  君だって、もしかしたら、そうだったかも知れない。  家族や親友たちを振り払えなくて、彼らの為に生きる道を選んだかも知れない」 「それは――」 「ない、と言い切る自信があるかね?」 蒼星石は、答えられなかった。確かに、祖父母を支えて生きる道も示されていた。 でも、選んだのは、翠星石。自分の正直な気持ちに、従っただけ。 なのに、今更ながら、祖父母への罪悪感に胸を苛まれた。 両親に代わって無償の愛情を注いでくれた彼らに、なにも孝行できずに―― ただひとつ返したのは、恩ではなく仇。 申し訳なさと悔しさで涙が溢れ、蒼星石は、唇をきつく噛んだ。 「すまない、蒼星石。君が妥協しなかったことを、責めているのではないよ。  僕自身、他人を悪く言えたものではないからね」 「肝心なことは――」二葉の柔和な眼差しが、少しだけ鋭さを増した。 「蒼星石。翠星石。君たちが『今』幸せであるか、と言うことだ。  君たちを育ててくれた人々も、きっと、そうあって欲しいと願っただろう。  子供たちの不幸など、望みはしない。それが親というものだ」 一点の曇りもなく、ただ一心に、幸せになること。 それが至上の恩返しであり、無上の悦びであり――あらゆることへの、愛情の証明。 「蒼星石は、翠星石と共にあり続けることが幸福だと信じたのだろう?  だから、脇目もふらず、この世界まで追いかけて来たのではないかね?」 そう。二葉の言葉どおりだった。蒼星石は、翠星石の隣に居たかった。 二人で過ごしてきた、幸福に満ちた日々を、是が非でも取り戻したかった。 世界でたった一人の、ココロから愛する人と……永遠に、添い遂げたかったから。 「そ……うで……す。ボクは……っ」 蒼星石の答えは、喉に詰まって巧く発音できていなかったけれど、 二葉にも、翠星石にも、彼女の気持ちは伝わっていた。 その証拠に―― 「自分の気持ちに正直すぎれば、回りにいる誰かを傷付けてしまう。  それは避けられないことなのだよ。だから、気に病むのはやめなさい。  周囲への気遣いも大切だが、自身の幸せを求めることも、より大切なのだからね」 幸福になる権利は、誰にでも与えられている。 二葉は満足そうに頷き、そう語ってくれた。 翠星石は微笑みながら、蒼星石の濡れた頬を、そ……っとハンカチで拭ってくれた。 だから、蒼星石は涙を溜めた瞳で、翠星石に問いかけた。   ――いいんだね? 翠星石の瞼が、嬉しそうに細められて―― その眦から、ぽろっ……と、宝石のような雫がこぼれ落ちた。 涙もろい姉の肩を、そっと抱き寄せて、蒼星石は二葉に目を向けた。 力強い意志を宿した、眼差しを。 「結菱さん。守り役を引き継ぐ話……引き受けます。ボク達に任せて下さい」 「……そうか。うん…………そうか」 漸くにして肩の荷が下りた。二葉は、とても満足そうな顔をしていた。 そして、なにげなく……本当に、小用でも足しに行くかのような気安さで、 「ちょっと失敬」と部屋を出ていった。 それっきり―――― 彼は、二度と戻ってこなかった。 どうして、彼が別れを告げずに旅だったのか。 二葉の想いは、二葉にしか解らない。 気が急くほどに、コリンヌという女性を探しに行きたかったのだろうか。 それとも、すぐにまた戻ってくるから……そんな軽い気持ちで、出かけたのか。 やがて、水平線の彼方に陽は落ちて―― 姉妹は一緒に夜食の調理を楽しみ、二人きりの晩餐会を催した。 こんなこと、今までだって毎日のように繰り返してきたハズなのに、 なぜか、とても久しぶりのような感じがした。 テーブルに燭台を置いただけの薄暗い食卓は、蛍光灯の明かりを見慣れた眼には、 どこか物寂しく映る。でも、彼女たちには、全てが楽しく思えていた。 二人のココロには、もっともっと明るい光が、満ちあふれていたのだから。 食事の片付けを終え、一緒にシャワーを浴びて、ひとつのベッドに収まる。 そうすることに、なんの違和感も覚えなかった。 「ねえ、蒼星石?」 「なぁに?」 窓から射し込む、青白い月明かりの下で…… 二人、枕に頭を沈めながら、微笑みを向け合う。 「明日から、ラベンダーの他にも、いっぱい花を育てるですよ」 「うん、いいね。まずは、この屋敷の周りを、色とりどりの花で飾ろう。  姉さんは、どんな花を咲かせたい?」 「私は、そうですねぇ……スイカズラが良いです。蒼星石は?」 「じゃあ、ボクは、ペチュニアを育ててみようかな」 「……いいですね。きっとキレイですぅ」 「うん。いつか、この島を花いっぱいの楽園にしようよ。ボクたち二人で」 「私たち、二人で」 いつまでも、永遠に、二人で。 そして、いつか訪れるみんなを、共に出迎えよう。 誓いの言葉を口にして、蒼星石と翠星石は、どちらからともなく距離を縮めて、 そっと…………優しい口付けを交わした。 「おやすみなさいですぅ、蒼星石。大好きですよ」 「ボクも、大好きだよ。おやすみなさい、姉さん」   いつも一緒です。   ずーっとずーっと、一緒ですよ……。   ~もうひとつの愛の雫~   grand finale

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