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      ―睦月の頃 その3―  【1月5日  小寒】 やけに冷え込む朝だった。 けれども、目が覚めてしまったのは、寒さのせいではない。 朝の早い祖父母に合わせて朝食を摂るため、早起きの習慣がついているのだ。 翠星石は寝惚けつつ、枕元で喧しく鳴り続ける目覚まし時計を黙らせるべく、 布団の中から右腕を伸ばした。 しかし、一度では時計を捉えられず、二度、三度と腕が宙を彷徨う。 漸くにして目覚まし時計のアラームを切った時には、 彼女の右腕は、すっかり冷たくなっていた。 (んん……なんてぇ寒さですかぁ。起きたくねぇですぅ) 今はまだ、冬休みの真っ最中。ムリに起きる必要も、用事もない。 ベッドの中に冷えた腕を引っ込めて、もそもそ……と寝返りを打つ。 右腕が体温を取り戻していくにつれて、翠星石は再び、眠気に襲われていた。 とろん、と微睡む感じが、どうしようもなく心地よい。 二度寝の誘惑に些かも抗おうとせず、翠星石は緋翠の瞳を、瞼で隠した。 (……ぬくぬく♪) 根拠と呼べるほどの理由は無いが、なんだか、幸せな夢が見られそう。 そんな気分だった。 (蒼星石に会えたら……良いな……ですぅ) ウトウト、と……。 双子の妹を想いながら、翠星石の心は眠りの世界へと落ちていく。 瞼の裏に、ぼんやりと人影が浮かんできた。 背を向けて立っている、小柄な人物――あれは、誰だろう? 輪郭がハッキリしないが、ブルー系の服を着ているコトは判る。 (う~ん? もうちょっと、近付いてみるです) 夢の中で、翠星石は歩き始めた。 割と近くに居る筈なのに、人影との距離は一向に縮まらない。 もどかしい。逸る気持ちに衝き動かされて、翠星石は走り出した。 徐々に、距離が狭まる。 人影の正体が、さらさらの栗毛をショートカットにした娘だと判ってくると、 翠星石は胸がキュンっとなるのを感じた。 (ああ……蒼星石っ! 会いたかったですぅっ。  昼も夜も、寝ても醒めても、私は――) 走りながら、腕を伸ばす。 あと僅かで、この手が届く。蒼星石の華奢な身体を、包み込んであげられる。 そう思っただけで、翠星石の心臓は、はしたないほどに躍動した。 翠星石の指が、蒼星石の撫で肩に触れる。 やっと、捕まえた!  喜びのあまりに、つい、妹の肩を目一杯の握力で掴んでしまった。 なのに、蒼星石は何の反応も示さない。「痛いよ」と文句を言いもしない。 不審に思った翠星石は、肩を握りしめたまま、妹の前へと回り込んだ。 そして――愕然とした。 蒼星石だと確信していた人影は――精巧な造りのマネキン人形だった。 「蒼星石ぃっ!」 叫びながら、翠星石は布団を撥ね除けて、半身を起こした。 心臓が、早鐘のように脈打っている。耳の奥で、鼓動が聞こえた。 「……ヒドい夢。それに……ひでぇ妹です」 両手で顔を覆って、翠星石はポツリと呟いた。 その囁きは、涙声。 「こんなに私を悲しませるなんて、ホントに姉不幸者ですぅ」 やるせない気持ちを宥めるように、翠星石は……少しだけ、泣いた。 寝覚めは最悪。 洗面所に赴いた翠星石は、心なし腫れぼったい目元を、ぬるま湯で丹念に洗った。 こんなコトなら、二度寝なんかするんじゃなかったと、僅かに後悔しながら。 暖められた台所に行くと、石油ストーブの臭いと、味噌汁の匂いが、 渾然一体となって翠星石の鼻腔を刺激した。 「おはようですぅ」 ムリヤリ気分を変えて、翠星石は努めて、明るく挨拶する。 祖父は読んでいた新聞を降ろして、翠星石の顔を、まじまじと眺めた。 「おはよう、翠星石。なにか、厭な夢でも見たのかい?」 「へっ?! な、なんで……そう思うです?」 「いやなに……ちょっと、不機嫌そうに見えたんでのぉ」 「おじじの、気のせいですよ」 翠星石がムスッとした態度で応じると、祖父はバツ悪そうに顔を伏せ、 新聞に視線を戻した。 世間一般の、年頃の娘を持つ父親とは、こんな感じかも知れない。 日毎に気難しくなっていく娘に、どう接して良いか判らなくなるのだ。 こういう時は、女ゴコロの機微が解る分、母親もしくは祖母の方が有利である。 「おはよう、翠ちゃん。早くお座りなさいな」 祖母に促されるまま、翠星石は食卓に着き、温かい味噌汁に口を付けた。 たっぷりのモヤシに卵を落としただけの、簡素な作りだ。 でも、とても優しい味で、翠星石は子供の頃から、祖母の味噌汁が大好きだった。 「そうそう、今日はヒナちゃんがお勉強しに来るって言ってたわねえ」 「午後からです。冬休みの宿題を、一緒に済ますですよ」 「おやつは何が良いのかしら?」 「とりあえず、苺に関連した物なら何でもオッケーですぅ。  あいつは苺に含まれるストロベリノーゼという麻薬物質の中毒患者ですから」 「まぁ……実は、苺の過食って怖いのねぇ」 勿論、口から出任せで言った事なのだが、祖母はすっかり信じ込んだらしい。 祖母が近所で、こんなガセビアを吹聴して回ったら困りものだけれど、 翠星石は敢えて、放っておくことにした。 「おいしかったぁ。ごちそうさまですぅ」 自分で使った食器を洗い桶に浸して、翠星石は身支度を整える為に、自室に戻った。 午後になり、完全防寒装備の雛苺が、柴崎宅を訪れた。 もこもこに着膨れた様子は、さながらダルマである。 一目見るなり、翠星石は吹き出し、腹を抱えて笑い転げた。 「もう! いきなり爆笑するなんて失礼なのよー!」 暖房を入れたばかりで、未だヒンヤリとしている翠星石の部屋に入った途端、 雛苺が憤懣を炸裂させた。 「だぁって、いきなりデブ苺が登場しやがったですよ?  丸々と膨れるまで着込むなんて、どうしようもねぇ、おバカですぅ……くくっ」 「いやいや、笑ってねぇですよ? 変な言いがかりは止すですぅ」 「……んもぅ。でも、今日はホントに寒いのよ」 「そりゃあ冬だし、暦の上では『小寒』なのですから、当然です」 小寒とは、24節気(太陽の黄道を24等分したもの)のひとつ。 冬至の後の15日目を指している。一般に、寒さの厳しい時期とされていた。 「ショウカン?」 聞き慣れない言葉だったのだろう。雛苺は首を傾げた。 そんな彼女に、翠星石は詳しく教えてあげようとして…… 結局、いつものように悪ノリのウソを教えた。 「小寒とは、一年に一度、冬将軍と呼ばれる赤い服を着たジジイがやってきて、  使い魔の雪女を召喚する日なのですぅ~」 「う……うょ」 「召喚された雪女はぁ~、午前零時に成るまで、贄を求めて彷徨うです~。  そして夜中、独りで歩いてる者を捕まえて、ガッチガチの氷漬けにするですよ。  ひぃーっひっひっひぃ!」 「……そ、それで、氷漬けにされちゃった人は、どうなるの?」 「冬将軍の保存食になるですぅ~。早い話が冷凍食品ですね。  アタマから痛快丸囓り。ムシャラムシャラと喰われちまうですよぉ」 「あうぅ~。よ、よーし! は、早く宿題を片付けちゃうのよ~」 雛苺は、すっかり翠星石のホラ話を信じたらしい。 日暮れまでに帰りたいという雛苺の思いが、ひしひしと伝わってきた。 とまあ、お喋りもそこそこに、二人は宿題を始めた。 時に教え合い――英語は雛苺の方が得意だ――どちらか先に終わった方が、 家庭教師役となった。この時ばかりは、翠星石もウソを教えたりしない。 おやつの時間には、祖母が紅茶と、切り分けた苺のタルトを持ってきてくれた。 翠星石は愉しく語らいながら、雛苺の頬に付いたホイップを指で拭ってあげたり、 何かと彼女の世話を焼いている自分に気付いて、ハッとなった。 今朝は寝覚めが悪くて不機嫌だったのに、今では全く気にならない。 癒されている。妹のような雛苺に、蒼星石の居ない空虚を満たして貰っている。 それが、実感できた。 結局、宿題は日暮れまでかかってしまい、翠星石は雪女の影に怯える雛苺を、 自宅まで来る羽目になってしまった。口は災いの元……と言うところか。 雛苺を無事に送り届けて、寒々とした冬の夜空の下を、独り歩く。 低く垂れ込めた雲が、否応なく、翠星石の気分を消沈させる。 雪でも降りそう……。 そう思った矢先、翠星石の鼻先に、白い物が舞い降りてきた。 目にしてしまうと、余計に寒さが強まる。 腕を掻き抱いて、ぶるっと身震いした翠星石は、小走りに家路を急いだ。 その晩、翠星石は日本より北緯の高い国に居る蒼星石に、 短い俳句調の、電子メールを送った。 【妹よ、そちらも今日は、雪ですか?】

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