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      ―如月の頃―  【2月3日  節分】 二月――後期の期末考査が無事に終わると、学生たちの長い春休みも幕を開ける。 受験シーズンと重なるため、二月初頭から四月の中頃まで、休暇となるのだ。 補習やら卒論研究などの理由で、他の学生より少しだけ長く大学に通う者も居るが、 殆どの学生は、この長い休暇を思い思いに過ごす。 ある者は交遊にうつつを抜かし、また、ある者はアルバイトに精を出した。 翠星石はと言うと、専ら後者の方だった。 祖父母の家は自営業で、世間のお父さん方のように、定年退職があるワケではない。 けれど、時計屋という職業柄、安定した収入が望めないのも、厳然たる事実だ。 そこで、彼女は自発的にアルバイトをして、教科書代や交通費を稼ぐばかりか、 学費の補助として、月々五万円を家に納めていた。 そのくらいで事足りているのは、国立大に進んだからである。 私立大の学費となると、とてもアルバイト程度で払える額ではない。 それ故に、私立大に行くぐらいなら進学を諦める覚悟で、 翠星石はセンター受験に望んだのだった。 「あれから、もう三度目の冬を迎えたですねぇ。早いもんですぅ」 アルバイト先の休憩室で、翠星石は雛苺と共に、短い休息を取っていた。 今日は金曜日。時刻は、そろそろ午後五時を回ろうとしている。 夜の帳が降り始めて、道行く人の足が、繁華街へと流れ始めていた。 何気なく覗き込んだ窓の外は、小雨模様。 ガラスにまとわり付いた雨粒が二つ、溶け合い、流れ落ちて行く。 まるで、人の世の縮図を眺めているようだと、翠星石は思った。 出会いは偶然。 因縁によって結びついた者たちが流れ着くのは、幸福な理想郷か。 はたまた、未来永劫まで続く、愛執の闇か。 誰の心にも、鬼は棲んでいる。 そいつは常に、外に出る機会を虎視眈々と狙っているのだ。 少しでも隙を見せれば、弱い心は、鬼に食われてしまうだろう。 そうなれば、逃げられない。欲望のままに、ただ、闇へと落ちて行くだけ。 坂道を転がり落ちる、石ころのように―― (私と蒼星石は……この先、どうなってしまうです?) 黄昏空に降りしきる雨を眺めながら、翠星石が詮無いことを考えていると、 雛苺がコーヒーの紙コップを片付けつつ、声を掛けてきた。 「翠ちゃん、そろそろ休憩時間が終わるのよ」 「ん? もう、ですか」 壁かけ時計を見ると、確かに、そんな時間だった。 終業まで、もう一踏ん張り。翠星石は作業着の襟を正して、気を引き締めた。 「さぁ、気合い入れて行くですよぉっ!」 「うぃー!」 「あ、そうそう。ところで雛苺は、今夜って、何か予定が入ってるですか?」 「うゅ? 無いけど……どうして?」 「今日は節分ですぅ。たまには、私の家で豆を撒いてみねぇですか?」 節分とは本来、季節の変わり目の意味。立春、立夏、立秋、立冬の前日を指す。 それが、今では立春の前日だけを節分と呼ぶようになっていた。 「クジ引きで、今年はおじじが鬼の役になったです。  日頃の鬱憤を豆粒に込めて、思いっ切りブチかますですぅ~」 「それは……ちょっと可哀想かも……なの。でも、愉しそうなのよー」 「じゃあ、参加しろです。ついでに、ウチで夕飯も食べてくと良いですぅ」 柴崎家では毎年、こんな賑やかな豆まきを催していた。 ちなみに、去年の鬼役は蒼星石。 翠星石は改造エアーガンで豆をフルオート連射して、蒼星石をイヂメたのだ。 勿論、その晩は思いっ切り、心のケアをしてあげたけれど。 ――寝床の中で。 今夜の『祭り』に想いを馳せ、翠星石は、にたぁ……と口の端を歪ませた。 そして、仕事を終えて帰宅。 雛苺と翠星石、祖母の三人で簡単な夕食を摂った後、翠星石は戦闘準備を始めた。 祖父は、彼女たちが帰宅する前に早い食事を済ませて、雲隠れしたらしい。 これは形を変えた鬼ごっこ。 ただし、追う者と、追われる者の立場が真逆だけれど。 「さあ、狩りの時間ですぅ。いっひっひっひぃ」 「翠ちゃん、趣旨が違ってるのよー」 「気にするなです。あ、それとですね」 翠星石は用心深く周囲を見回して、雛苺に、コッソリ耳打ちした。 「これから教えるコトは、とても重要ですから、耳かっぽじって聞きやがれです。  いいですか? 掛け声は『福は内、鬼も内』と言うです」 「うょっ?! 鬼も……内ぃ?!」 「昔、柴崎家の御先祖が、鬼に頬のコブを取ってもらったそうですぅ。  それからと言うもの、柴崎家では鬼にも礼を尽くすしきたりになってるですよ。  もしも『鬼は外』だなんて罰当たりなコトを言ったらぁ――」 「うゅ……い、言ったら?」 「――あんた地獄に堕ちるわよ、ですぅ」 「じ、地獄っ?!」 「そればかりか、おじじの頬にコブが出来ちまうです。コワイですぅ~。  おバカ苺は、うっかり口走りそうですね。精々、気を付けやがれです」 「あ、あう……ど、努力はしてみるのよ?」 実際、鬼の字が付く土地によっては、豆まきの際に『鬼も内』と言ったりする。 これは、鬼が集落の守護神であったり、神社の祭神であったりするためだ。 が、騙されてはいけない。翠星石の話は、いつものウソである。 柱に掛けてある古びた鳩時計が、くたびれた声(殆どフクロウ)で八回、鳴く。 翠星石はドラムマガジンを、ザクマシンガン型エアーガンにセットした。 マガジンの中には、豆がギッシリ詰め込まれている。 「戦闘開始ですっ。鬼は、この家の何処かに隠れてるから、気を付けるです」 「う、うぃ!」 「と言うワケだから、雛苺が斥候を努めるです。援護は任せとけですぅ」 「!? そ、そんなのヒドイのー! ヤーダーなーのー!」 精一杯の拒否をしたものの、翠星石に豆入りの升を手渡されて、 しかもマシンガンの銃口を突きつけられ、押し切られてしまった。 渋々と、升を手に先行する雛苺。その後ろに、翠星石が続く。 互いに簡単なジェスチャーで意志の疎通を図りながら、慎重に進んでいった。 食堂を出て、居間を抜け、仏壇を安置している部屋に踏み込む。 室内には……誰も居ない。冬の冷気と、夜の静寂が、空間を支配していた。 「……押入が怪しいですね。雛苺、襖を開けるです」 腕を伸ばし、指を掛けた雛苺は、恐る恐る……ゆっくりと……襖を開いていく。 心臓がドキドキして、妙に息苦しい。きっと、グズグズしてるからだ。 雛苺は意を決すると、えいやあっ! と、一気に襖を開いた。 押入の中には、膝を抱えて蹲った鬼が、一匹。 「うお――っ! 悪い子はいねぇが――っ!」 「ひゃああぁっ! ふふふふ、福は外なのーっ!」 「ちょっと待ちやがれですっ。いま、縁起でもねぇこと言いやがったですぅ!」 突如、押入から飛び出してきた鬼の顔面に、雛苺は豆の入った升を投げつけた。 鬼の面に檜の升が当たって、乾いた音を立てた。畳の上に豆が散らばる。 祖父は面の下で「痛たたた」と呻いた。 豆ならまだしも、升をぶつけられれば、痛いのは当然だ。 慌てて鬼の面を外す元治老人の顔を見るや、雛苺は喉の奥から悲鳴を搾り出した。 「ひ、ひぃぃ。お祖父さんの頬に……ここ、こ、コブが出来てるのよー!」 「ウソっ!? まさか、ホントに呪いですぅっ?!」 「ののの、呪……お祖父さんに呪いのコブが…………がくっ」 「ちょっ! なに気絶してるです!」 張り詰めていた緊張の糸がプッツリと切れたらしく、雛苺の身体が崩れ落ちる。 エアーガンを投げ捨てて雛苺を支えた翠星石の背後から、祖母の暢気な声が―― 「あらあら、お祖父さん。だから、無理はしない方が良いと言ったのに」 「ふぇ? どういうコトですぅ?」 「お祖父さん、昼間に親知らずを抜いてきたのよ」 「それで、あんなに腫れてるですか。なぁ~にバカやってるです」 「いやはや、面目ないのう。痛たた」 「もう良いから、おじじは鎮痛剤を飲んで、とっとと寝やがれですぅ」 祖父のことは祖母に任せて、翠星石は雛苺を居間に運んだ。 座布団を何枚か並べて敷き、その上に横たえる。 頭の下に敷く分の座布団が無かったので、仕方なく膝枕してあげた。 程なく、雛苺は目を覚ました。 翠星石に膝枕されていたと知って、「あ――」と、驚いた声をあげる。 あまりに意外に過ぎたのだろう。雛苺は、まじまじと翠星石の顔を見上げてくる。 その視線に耐えきれず、翠星石はバチン! と、雛苺の顔面をひっぱたいた。 「あ痛っ! 翠ちゃん、ヒドイのよー」 「う……うっせぇですよ! こっち見んなですっ!」 「なんで、顔を紅くしてるのー?」 「知らんですぅっ!」 ひょい、と翠星石が脚を開いたので、雛苺のアタマは翠星石の膝の間に落ちた。 ドス! 畳に響く、重い音。 雛苺は、可愛らしく唇を突きだして、文句を言いかけたが―― 「あっ! ところで、お祖父さんは? お祖父さんは、平気だったのっ?」 「あのくらいじゃ、おじじはくたばらねぇですぅ。  でも……なぁんか、悪いことしたですね。折角、来てくれたのに」 「ううん。良いの、別に。ちょっと驚いちゃったけど……愉しかったのよ」 雛苺の朗らかな笑顔に救われた気がして、翠星石は、ふ……と頬を緩ませた。 楽しんでもらえたなら、なによりだ。祖父も喜ぶだろう。 「実は、この行事って、おじじの発案なのです。  私と蒼星石が、まだ幼い頃、この家に引き取られたのは知ってるですよね?  あの頃は、突然に両親を亡くした悲しみで、とても笑える心境じゃなかったです」 「……それで、こんな催し物を?」 「うん。私たちの笑顔を取り戻すために、おじじも、おばばも……  ホントに色々と、気を遣ってくれたですよ。  自分たちだって、息子夫婦を失って泣きたいハズなのにね」 「きっと、それだけ翠ちゃんと蒼ちゃんのコトを、大切に思ってるのよ。  それは、とっても素晴らしいことなの。  翠ちゃんは、お祖父さんとお祖母さんに、もっと感謝しなきゃダメなのよ?」 「そんなの、おバカ苺に言われなくても解ってるですぅ~」 翠星石は、指で雛苺の額をツン……と軽くつついて、優しく微笑みかけた。 憎まれ口こそ叩いているものの、不思議と、素直に笑える自分が居る。 知らず知らずの内に、雛苺に対して心を開いていた。 蒼星石が側に居てくれた頃は、ここまで他人に気を許すコトなどなかった。 こんな気持ちになるコトなんて―― (まさか……蒼星石は、私の自立を促すために……?) 彼女の真意は、今もって把握し切れていない。 メールでは、いかにも自分の為と言わんばかりの内容を書いてくるけれど、 翠星石は今もって、それが蒼星石の本心とは思っていなかった。 ――だって、二人は双子の姉妹。 言葉に頼らなくても、伝わり合うナニかが有ったから。 「さ、もう夜も遅いし、送って行くですよ」 「うん。ありがとなのっ」 雛苺の身支度が済むのを待って、翠星石は祖母に、雛苺を送ってくる旨を告げた。 夜中だけれど、近所なので、祖母は心配なさげだ。 小雨は、相も変わらず降り続いている。 雛苺の家の前で、また明日……と、別れの挨拶を済ませて、翠星石は帰途に就く。 「帰ったら、メールで今夜のコトを書いて――  その後で、蒼星石の真意を、問い質してやるですぅ」 どういう目的で、留学なんてしたのか。 さっきの想いを胸に、傘を差しながら、雨降りの交差点に近付く翠星石。 正面から一台の大型バイクが近付いてくるを見て、少しだけ路肩に寄った。 だが、突然! 交叉する道から野良猫が飛び出した。 バイクは、それを避けようとして、大きくバランスを崩した。 濡れたマンホールの蓋でスリップしたのだろうか。 横転した車体が、翠星石へと、もの凄い速さで路面を滑ってくる。 降りしきる雨の夜空に、傘がひとつ咲いて―― 散った。

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