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―水無月の頃 その4―」(2007/05/22 (火) 00:39:51) の最新版変更点

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      ―水無月の頃 その4―  【6月21日  夏至】 六月も終わりが見えてきた、周の真ん中の、水曜日。 研究室での午後イチのゼミを終えた翠星石と雛苺は、一息つくために、 キャンパス内にある学生生協へと歩を向けていた。 いつもなら、研究棟の一階にある自販機コーナーで缶ジュースを買うのだが、 今日に限って保守点検が行われていたのだ。 そんなワケで、やむを得ず別棟の学生生協を目指したものの―― 「うー。今日は、すっごく暑いの~」 翠星石の隣を歩く雛苺が、口を開くことすら気怠いと言わんばかりの声で、 胸に蟠る不平を吐き出した。 時刻は、14時40分。強烈な日射しが降り注ぐ夏では、最も暑い時間帯だ。 しかも、今日は夏至。 太陽が最も北により、北半球で、昼が一番長くなる日ときている。 日照時間が増すのだから、比例して、気温も上がる道理だった。 「つべこべ言ってねぇで、ちゃっちゃと歩きやがれです。  暑いのは、お前だけじゃねぇですよ」 早く学生生協に行って、キリリと冷えたジュースで水分補給しなくては、 発汗し過ぎて乾涸らびてしまいそうだ。 現に、翠星石の背中には、半袖のブラウスが汗に濡れて貼り付いていた。 まあ……その原因は、彼女の長い髪にあったのだけれど。 ジュースを購入した二人は、猛暑の中を研究室にとんぼ返りなんてせず、 講義に使われていない教室で一服していた。 全ての教室は冷暖房完備なので、混雑する研究室よりも涼しかったりするのだ。 「もう、夏も目前ってトコですね」 窓の外に広がる景色を眺めながら、翠星石は紙パックに差したストローで、 ちゅうぅ……とオレンジティーを吸い上げた。 初夏の昼下がり。長閑な田園風景。 眼下に延々と続く水田は、田植えも済んで、青々とした稲が風に揺られている。 彼女たちが通うキャンパスは、山里近くにあった。 それ故に交通の便は悪いのだけれど、四季折々、移ろいゆく眺望を楽しめた。 都心より遊び場が少ない分、勉学に専念できる環境でもある。 人見知りの気がある翠星石にしてみれば、人混みで溢れた都会は気持ちが悪い。 こんな鄙びた世界の方が、心休まる分、好みだった。 「梅雨が明けて、蝉が鳴き出せば、いよいよ夏本番ですぅ」 「ヒナも、夏が待ち遠しいの。暑いのは苦手だけど」 「前から苦手だったです? 子供の頃は、平気な顔してた憶えが……」 「きっと、年々、暑さが厳しくなってるの。地球温暖化の影響なのよー」 「……とか何とか言ってぇ、老化が加速的に進んだんじゃねぇですぅ?」 そんなコトないのよー! と頬を膨らませて、ぽかぽかと翠星石の頭を叩く雛苺。 「あぁん……止めるです、おバカ苺っ。髪が乱れるですぅ」 翠星石は手櫛で髪を整えると、ひとつ咳払いして、人差し指をピン! と立てた。 「しゃーねぇです。ひとつ、私が暑さに強くなる秘訣を教えてやるですぅ。  聞きたいです? 聞きたくないです?」 「……翠ちゃんウソつきだから、聞きたくないの」 思ったことを素直に口走った直後、翠星石の握り拳が、雛苺の頭部を締め上げた。 ぐりぐりと、凄まじい力で圧迫してくる。 「なんだか急に、クルミ割り人形ごっこがしたくなったですぅ」 「痛たたたたっ! 乱暴はダメなのよー!」 「んん~? このまま、おバカ苺のクルミをブチ撒けてみるです?」 「ご、ごめんなさいなのー! 翠ちゃんの話を聞かせて欲しいのっ!  だから、もう許してなのー!」 「最初っから、そう言えばいいですぅ」 ……と、雛苺を解放しつつも、翠星石は油断なく身構えていた。 何か捨て台詞を吐こうものなら、即座に飛びかかれるように。 しかし、そこは雛苺も心得たもので、余計なコトは一切、口にしない。 「えー。それでは早速、話を始めるですよ。まず最初に、質問。  雛苺は、六月の誕生花を知ってるです?」 「うゆ? う~ん…………紫陽花?」 「そう答えたくなる気持ちは、十二分に理解できるです。  でも、残念。ハズレですぅ。正解は、花菖蒲なのでありますぅ~」 「ふぅーん。それが、暑さに強くなる秘訣と関係があるの?」 「イェス! ○須クリニックですぅ」 びしっ! とサムズアップする翠星石に、雛苺の疑わしげな視線が注がれる。 軽い調子の受け答えが、どうにも胡散臭い。 もしや、花菖蒲を煎じて飲めとか言い出すのではなかろうか。 疑心暗鬼に囚われ始めた雛苺を余所に、翠星石の講釈は更に続く。 「冬至にカボチャを食べて柚子湯に浸かると、風邪を引かなくなると言われてるです。  それと同様に、夏至の日には、花菖蒲を入れて沸かした風呂に浸かると、  暑さに強くなるとされてるですぅ~。  かの有名な平将門が、花菖蒲の産湯を浴びて鉄身を得た伝説に、端を発してるのです」 「えー? でも、平将門は、俵藤太に討たれちゃったのよー?」 「母親がアタマを持って産湯に浸けたから、頭部に弱点が残っちまったですよ」 「……うよ~。なんだか、すっごく説得力あるのっ。翠ちゃんは物知りなのねー」 「ふふ~ん。このくらい、歩くターヘルアナトミアと呼ばれた私にとっては常識ですぅ」 翠星石は、得意満面で胸を張った。 本当のところ、彼女の話は真実半分、ウソ半分。 平将門に、アキレスの不死身伝説に似た『鉄身伝説』が残されているのは事実だ。 しかし、花菖蒲の産湯を浴びたから――なんて理由ではない。 菖蒲湯にしても、本来は端午の節句の行事だった。 ――だが、翠星石の話を信じた雛苺は、すっかり乗り気になってしまった。 「そうと解れば、善は急げなのっ! 今日はもう講義もないから、  すぐに帰って試すのよー。翠ちゃんも付き合ってなの」 「私が? ん~……まぁ、急ぐ用事もねぇですから、特別に手伝ってやるです」 帰りの道すがら、花菖蒲を入手して、二人は雛苺の家に向かった。 雛苺の両親は共働きのため、この時間帯、家には翠星石と雛苺だけ。 換言すれば、好き勝手ができる……ということ。 風呂が沸くまでの空き時間に、翠星石は近くの酒屋へ行って、 安めのポートワインを一本、手に入れてきた。 ポルトガル発祥のワインで、ポート港から輸出される事が、この名の由来だ。 手頃な値段で、香りが良く、味も甘口なのでデザートワインとして楽しめる。 「お待たせですぅ~♪」 「ワインなんか買ってきて、どうするの? あー! お風呂で晩酌なのねー?」 「なぁに親父くさいコト言ってやがるです。これは、風呂に入れるですよ。  調べたところ、6月21日は『酒風呂の日』でもあるみてぇですぅ」 「わ……ワイン風呂って、平気なの? 匂いで酔っぱらったりしないのー?」 「浴槽のお湯が数十リットルとして、その内の750mlですよ?  平気に決まってるです。それに、身体も温まると聞いた憶えがあるです。  早い話が、入浴剤みてぇなもんですぅ♪」 かねてより、翠星石は一遍、コレを試してみたかったのだ。 けれども、祖父母と同居していると、なかなか好機には恵まれない。 だから、これ幸いと便乗したのである。 コルクの栓を抜き、湯気の立つ浴槽に、ワインをどぽどぽ注いで行く。 温められたせいか、ふうわりと芳しい匂いが、二人の鼻腔をくすぐった。 綺麗な薄紫色に染まるかと、密かに期待していた湯船の中は、しかし、 色合いの変化が殆ど見受けられなかった。 「う~ん。やっぱり、一本じゃ足りなかったですかねぇ」 「でもでも、とってもいい匂いなの。折角だから、翠ちゃんも一緒に入るのっ」 「はぁ? 温泉の広い湯船ならともかく、家の風呂じゃ狭いですよ」 「遠慮するコトないのよ?」 「……してねぇです」 雛苺の家の浴室は、割と広い。二人で一緒に入ってみて、翠星石は気付いた。 ただ、浴槽も大きいから、全体として手狭に感じるのだ。 大きな湯船に、二人並んで肩まで浸かっていると、なんだか昔に還った気分になった。 小さな子供だった頃の、懐かしい記憶―― こんな風に、雛苺と並んで風呂に入ったのは、小学生のとき以来だろうか。 翠星石は、結い上げた髪に指を滑らせながら、ほんのり薫る酒気に頬を染めていた。 その隣では、雛苺が幸せいっぱいな笑みで、表情を輝かせている。 「……ふうぃ~。ちょっと熱いけど、気持ちいいのよー」 「ホントです~。ワインの香りが、アロマテラピーっぽくて落ち着くですぅ」 「この温度を我慢できれば、暑気あたりしないようになるのねー」 「ま、そういうコトです。同時に、たくさん汗を掻くから、  私の中の良からぬモノがジョジョビジョバァ……で、一石二鳥ですぅ」 些細なウソが、こんな展開になるだなんて、翠星石は夢にも思っていなかった。 けれど、たまにはハダカの付き合いというのも良い。 翠星石が、そんな感想を胸の内で呟いた時、雛苺が甘えた声で話しかけてきた。 「楽しいな~、こういうの。ヒナ、とっても嬉しいのよ」 「……そう言えば、昔っから寂しがりな奴だったですね、おめーは。  私とか、銀ちゃんとか、いっつも誰かに引っ付いてやがったです」 「えへへ~。だって、スキンシップ大好きなんだものー。翠ちゃーん♪」 「ええい! 抱き付くなです! 暑苦しいですぅっ」 ……などと、強い口調で突っぱねるものの、翠星石は穏やかな微笑を浮かべていた。 本当は、翠星石だって寂しがり屋。 無邪気に自分を慕ってくれる雛苺の存在が、どれほど彼女の心を支えてくれたか分からない。 今や、雛苺は翠星石にとって、もう一人の妹みたいなものだった。 だから、いつも素直な気持ちで接してくれる雛苺に、なにか恩返しがしたくなった。 ――でも、どうしたら喜んでもらえるだろう? ふと、翠星石のアタマに名案が閃いた。 (そうです! 来月は蒼星石が帰ってくるですぅ!) 夏休みになったら、雛苺と蒼星石を連れて、温泉に行くのも良い。 出来れば、山奥の鄙びた温泉なんかが理想だ。 満天の星空を見上げながら、深夜の露天風呂で、蒼星石と二人きり―― (久しぶりに、姉妹水入らずで…………フヒヒ、ですぅ) 雛苺に旅行の計画を切り出してみたところ、彼女は一も二もなく賛成した。 ただ、メンバーについては、彼女から提案があった。 「どうせなら、みんなで一緒に行くのっ! きっと楽しいのよ」 「う~ん……それも、そうです。今夜にでも、みんなに電話してみるですよ」 「あはっ♪ やっぱり、翠ちゃんは優しいのっ。大好きー」 「だぁーっ! だからイチイチ抱き付くなと言ってるですっ」 翠星石は、手で掬ったお湯を、雛苺の顔に引っかけた。 雛苺も「ひゃっ! よくもやったのねー!」と、即座に反撃に移る。 二人の、仲睦まじいじゃれ合いは、双方が湯にのぼせるまで続けられるのだった。 今年の夏至は、例年に比べて気温が高かったという。梅雨明けも近い。 季節は、ココロ弾ける真夏に向かって、休むことなく走り続けていた。

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