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―葉月の頃 その1―」(2007/05/24 (木) 01:42:22) の最新版変更点

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      ―葉月の頃―  【8月8日  立秋】 蒼星石がオディールを連れて帰宅してからは、あっと言う間の14日間だった。 祖父は、もうずっと浮かれ気味で、はっちゃけた日々を送っている。 三人の娘たちと一緒に料理をする祖母の顔にも、幸せそうな笑みが浮かぶ。 今まで口にしなかっただけで、本当は、祖父母も寂しかったのだろう。 「若い娘たちと一緒に暮らしていると、ついハッスルしてしまうのう」 「あらあら、お祖父さんたら……ほどほどしませんと」 朝食の席で、今日も張り切りモード全開の祖父、元治。 穏やかな口調で窘める祖母の額に、ビキビキと筋が浮かんだのを、 翠星石は見逃さなかった。 隣に座るオディールが、祖父母の会話に耳を傾けながら、 翠星石に小声で話しかけてくる。 「楽しいお祖父様たちね。とても賑やかで、素敵な家族だわ」 「……年甲斐もなく、はしゃいでるだけです。  今夜あたり、血の雨が降りそうですから、レインコートを用意しとくですぅ」 この二週間、一緒に暮らしてみて…… 翠星石のオディールに対する拒否反応にも、免疫が出来つつあった。 人見知りの気が強い彼女にしては、早く慣れた方だ。 普段ならば、臆病な猫のように物陰に隠れて、そぉ~っと様子を窺う日々が続くのだが、 やはり言葉が通じれば、女の子同士、気心も知れやすいのだろう。 幼少の頃は日本に住んでいたと言うだけあって、オディールは日本語が堪能だった。 柴崎家に、すんなり打ち解けたのも、言葉の壁が低かったからだ。 そもそも性格の悪い娘ではないし、なによりも、蒼星石を慕う気持ちにおいては、 柴崎家の面々と相通じるところがある。 蒼星石にベッタリなのは相変わらずで、思わず眉を顰めてしまうコトもあるが、 その点さえ我慢すれば、翠星石としても嫌う理由はなかった。 問題があるのは、むしろ、蒼星石の方だった。 帰宅してからと言うもの、何かにつけて他人行儀な振る舞いが目についた。 「さぁて。ハッスルおじじは放っといて、食事を済ませちまうです。  早くしねぇと、雛苺が来ちまうですよ」 「えっと……確か、9時の約束だったよね、姉さん」 「大変。あと一時間もないじゃない。急がないと」 翠星石に促されて、蒼星石とオディールは、炊き立てのご飯を頬張った。 朝からお騒がせな娘たちに向ける祖父母の眼差しは、温かく、優しい。 約束の時間の五分前に、玄関のチャイムが鳴る。 その頃には、三人の娘たちも出発の準備を整えて、玄関前に待機していた。 翠星石がドアを開けると、麦わら帽子をかぶった雛苺が、額に汗を浮かべ、立っていた。 籐製の小さなバッグを肩に掛けている。 「みんな、おはようなの。今日も、すっごく暑いのよ~」 「言われなくとも解るです。屋内に居ても、汗が滲み出てくるですから」 「翠ちゃんは髪が長すぎるのよ。蒼ちゃんみたいに、バッサリ短くしたら良いのに」 「やーですよー。髪は女のイノチ。人形は顔がイノキですぅ」 「……姉さん。寒いギャグなんか言ってないで、早く出発しようよ。  車に乗っちゃえば、エアコンが効くから涼しくなるって」 蒼星石の冷淡な一言に一刀両断された翠星石は、シュン……と項垂れながら、 ガレージのシャッターを開け始めた。 乗り込んだ彼女たちを待っていたのは、炎熱地獄。 アクリルの屋根で覆われただけのガレージなので、締め切った車内には、 真夏の熱気が閉じ込められていたのだ。 今日は立秋。暦の上では秋に変わるけれど、暑さは今が真っ盛り。 「あちちっ……フロントガラスに断熱シートを広げておかなかったから、  ハンドルが焼けてるですよ。とても握れたもんじゃねぇです」 運転席に座った翠星石が「アチチ・アチ」と、郷ひろみの歌の振り付けをする。 アシストシートの蒼星石は、苦笑しながら、お茶目な姉に濡れタオルを差し出した。 「エアコンが効いてくるまで、暫くは、これを巻いておきなよ」 「ありがとですぅ♪ それじゃ、出発するですよ」 翠星石はサングラスをかけると、イグニッションキーを回した。 一発でエンジンが呻り、送風口から、生暖かい風が吐き出されてくる。 走り始めると、薄く開けた窓からも、勢いよく風が吹き込んできた。 談笑する双子姉妹のやりとりを、後部座席から眩しげに眺めていたオディールは、 「やっぱり仲が良いわね」と、隣に座る雛苺に囁きかけた。 「私には姉妹とか兄弟って居ないから、とても羨ましい」 「……ヒナも一人っ子なのよ」 窓からの風で涼んでいた雛苺が、オディールの方に頸を巡らす。 「だから……なのかな。なんとなぁく、お姉さん然とした人に憧れちゃうのー」 「そうなの? 私は逆ね。しっかり者の妹が欲しかったわ」 言って、蒼星石を見つめるオディールの視線は、妙に熱を帯びていた。 翠星石の荒っぽい運転に戦々恐々としながら、やっと辿り着いたのは、 広々とした海―― ――の側の、プールだった。 浜辺のイモを洗う状態を、翠星石が嫌ったためである。 しかし、プールと言っても、その辺の小学校のプールとはワケが違う。 幾つものアトラクションに分かれた、大型レジャープールだった。 駐車場に車を置き、受付を通って更衣室に向かう、道すがら―― 「お祖父さんが特別招待券を持ってて、本当にラッキーだったよね」 「まったくです。おじじも、たまには役に立つですぅ」 「……あんまり、お祖父さんのことを悪く言うもんじゃないよ、姉さん」 翠星石の毒舌に反応して、蒼星石は表情を固くした。 そんな妹の変化に、翠星石が意地の悪い笑みを浮かべる。 「へぇ~。随分と、おじじを擁護するですねぇ、蒼星石は」 「蒼ちゃんは昔っから、おじいちゃん子だったのよねー」 「そうそう。中学生になっても、おじじと一緒にお風呂はいってやがったです。  蒼星石には、乙女の恥じらいってヤツが、根本的に足りねぇですよ」 「ちょっと! なに言い出すのさ! いい加減にしてよね」 蒼星石は顔を真っ赤にして怒鳴ると、ポカ~ンとしている翠星石を余所に、 オディールの手を掴んで、足早に歩き始めた。 「行こう、オディール」 「え……ええ? あの――」 二人が去った通路で、翠星石は呆気にとられたまま、 ハニワのように立ち尽くすのみだった。 水着に着替えて、プールサイドに置かれたデッキチェアに俯せる翠星石は、 誰が見ても不機嫌だと解る顔をしていた。 ビキニ姿が眩しい彼女をナンパしようと、若い男が何人か近付いたものの、 翠星石の鋭いひと睨みで、悉くが退散していく。 彼女の視線が辿る先には、楽しそうに遊んでいる蒼星石と、オディールの姿。 すぐ隣のデッキチェアでは、雛苺がストローでトロピカルジュースを吸い上げつつ、 翠星石の様子を見守っている。癇癪を起こしたら、即座に止めるためだ。 「うぅ~。蒼星石ったら、なんであんなに怒るですかぁ」 言って、翠星石は、いじいじと親指の爪を噛む。 雛苺は溜息を吐いて、翠星石の背中に声を掛けた。 「さっきのは、翠ちゃんが悪いのよ。調子に乗って、余計なこと言うんだもの」 「あんなの、ただの冗談じゃねぇですかっ! 目くじら立てるコトでもねぇですぅ!」 翠星石は、ガバッと身体を起こして居住まいを正すと、雛苺に詰め寄…… るかと思いきや、膝の上で拳を握って、俯いてしまった。 「きっと……蒼星石は、留学して人が変わっちまったのです」 「うよ? そんなコトないと思うのよ」 「雛苺には分かんねぇです! ウチでの態度だって、どこか余所余所しくって――  オディールと仲良くなったから、私のことなんか、もうどーでも良くなったです」 「…………あのね、翠ちゃん」   雛苺は身を乗り出して、小刻みに震える翠星石の肩を、優しく叩いた。 元気づけるように、そっと―― 「近くに居すぎるから、盲点になるコトもあるのよ?」 目に涙を浮かべ、黙って話を聞いている翠星石に、雛苺は言葉を続けた。 「例えば、マンガを目の前まで近付けたら、何が描いてあるのか解らないし、  台詞も読めないでしょ? ヒナはね、人間関係も同じだと思うの。  少し距離を置いて初めて、真実の姿って見えてくるものじゃないかなって」 「じ……じゃあ、また離ればなれになれって……言うですか?」 指の背で目元を拭う翠星石に、雛苺は「そうじゃないの」と微笑みかけた。 少し情緒が不安定になっている彼女を落ち着かせようと、 温かい手で、長い髪と……背中を――――滑らかな素肌を撫でる。 そして、頃合いを見計らって、穏やかに話しかけた。 「距離なら、もう充分に置いたでしょ? その時、翠ちゃんは、どう思ったの?  蒼ちゃんが居なくなって、清々したの?」 「そっ、そんなワケねぇですっ! どうしようもなく、会いたかったですよ!  空を飛んでいきたいって、何度も思って、何度も……そんな夢を見たです」 「だったらね……蒼ちゃんも、きっと同じなのよ。  ホントは翠ちゃんに会いたかったし、甘えたいの。  だけど、照れくさいから――変なところで突っ張ってるのよ」 雛苺の言葉は、不思議な余韻を伴って、翠星石の胸に染み込んできた。 よくよく思い返してみると、余所余所しく見えていた仕草も、 裏を返せば、照れくささの現れだったように感じられてくる。 翠星石は、曇天に一筋の光明を見た気がした。 「それが真相なら、私は一体、どうすれば――」 「簡単なの。翠ちゃんの想ってることを、言葉にするだけで良いのよ。  人の想いってね、心で温めてるだけじゃ伝わらないの。  だから、人類は文字や言語を産み出し、活用して、理解を深めてきたのよ」 「……でもぉ」 「大丈夫! 翠ちゃんと蒼ちゃんの想いは、きっと同じなのっ!」 元気だすのっ! と、雛苺は、渋る翠星石の背中をビタンと叩いた。 時期的に早すぎる紅葉が、ひとつ……彼女の白い肌に舞い落ちる。 「あ痛ぁ……何しやがるです、おバカ苺っ!」 「景気付けなのよ。あいとォー!」 「いっぱーつっ! ……って、何をやらせるですか」 「いいからいいから。頑張って、蒼ちゃんと仲直りしてくるのー」 雛苺に背中を押され、気合いを入れてもらったお陰で、翠星石は目が覚めた。 悄気て、ウジウジと腐っていては、本当に嫌われてしまう。 そんなのはイヤ。 だったら、すべきコトは、ひとつだけ。 でも、どうやって近付けば良いのだろう?  蒼星石は意外に強情っぱりだから、普通に近寄っても、素っ気なく遠ざかるハズだ。 どうしたものかと思案しながら歩いていた翠星石は、ウォータースライダーで遊ぶ、 オディールと蒼星石の姿を見かけた。 「そうですっ!? この手があったですぅ」 これだったら、滑り出してしまえば、否応なく終点で顔を合わせることになる。 寸分の躊躇いもなく、翠星石はウォータースライダーの階段を登り始めた。 いつもなら、途中で足が竦んで引き返してしまうところだが、今の彼女は怯まない。 最愛の妹と絶交状態になってしまう怖れに比べれば、他の事など毛ほども怖くなかった。 ウォータースライダーの頂上に立った時でさえ、膝は震えていなかった。 「蒼星石……いま、会いにゆくです」 一足先に蒼星石が滑り降りていったのを見届け、ぺたりと腰を降ろして、直滑降。 ――が、予想以上の降下速度に、翠星石は堪らず、悲鳴を上げた。 「ひいぃぃぃ――っ!? そそ、蒼星石ぃ――っ!! ひ…………ふにゃぁ」 「ん? いま、姉さんが――って、えぇっ!?」 着水直前、翠星石の声を聞いた気がして、蒼星石は水面に頭を出した。 彼女の眼に飛び込んできたのは、もの凄いスピードで滑り落ちてくる姉の姿。 しかも、どうやら失神しているらしく、身じろぎひとつしない。 彼女は即座に、人の間を縫って、翠星石の着水場所まで泳いでいった。 豪快に上がった水飛沫とは対照的に、力無く沈んでいく翠星石。 水中で姉の身体を抱きかかえると、蒼星石は近くのプールサイドに泳ぎ着いた。 そこには既に、バスタオルを手に、雛苺が待ちかまえていた。 雛苺の手を借りて、デッキチェアまで運んだものの、翠星石が目を覚ます気配はない。 「ど……どうしよう。着水の衝撃で、後頭部とか打ってるんじゃあ――」 「落ち着くのよ、蒼ちゃん。こういう時は、アレしかないのっ!」 「アレって、なに? 電気ショックとか?」 「またまたぁ、ご冗談を。こんな場合には、人工呼吸しかないのよ?」 「じっ…………じ ん こ う こ き ゅ う?! ボクがぁ?」 「他に誰がするの? ガッツだぜっ、なの!」 「…………わ、解ったよ」(ファースト・キスなのに……) 蒼星石は、顔ばかりか全身を紅潮させながら、小さく頷いた。 まず、頭を仰け反らせて、気道を確保。そして、翠星石の鼻を摘んで……重ねられる、唇。 雛苺は、にへら……と笑いながら、二人の様子を、携帯電話のデジカメで撮影していた。 程なく、翠星石は何事もなかったかのように目を覚ました。 そして、すぐ隣で頬を上気させ、モジモジしている妹の姿を認めると―― 少し躊躇した後、半身を起こし、意を決して話しかけた。 「あ…………あの……ですね。なんて言うかぁ、そのぉ……  蒼星石…………さっきは悪かったです。私……ホントは、すごく不安だった。  最近、蒼星石の態度が余所余所しく思えて、とっても寂しかったのです。  それで……構って欲しくて、あんなコトを――」 「……姉さんは、昔っから寂しがり屋さんだったからね」 言って、ふ……と鼻で笑った蒼星石は、 やおら姉の肩に両腕を回して、ギュッ! としがみついた。 「でも――知ってた? ボクも、姉さんに負けないくらい、寂しがりなんだよ。  本当は、弱虫で……そんな自分を変えたくって、外の世界に飛び出したんだ。  それなのに……やっぱり、ボクは――」 「蒼……星石」 「ねえ。もう少し、このままで…………居させて?」 「ふふっ……とんだ甘えんぼですね、蒼星石は」 翠星石は慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、妹の、生乾きの髪を撫でた。 「いいですよ。好きなだけ、甘えればいいですぅ」 「うん。温かいね……姉さんって」 居心地よさげに目を細め、蒼星石は幸せな夢想に身を委ねた。 やがて、安堵しきった彼女が、健やかな寝息を立て始めるまで、 翠星石は溢れる愛情で、ちょっぴり意地っ張りな、鏡写しの自分を包み込んでいた。 (――あらためて、お帰りなさいです。蒼星石…………大好きですよ)

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