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『ひょひょいの憑依っ!』Act.13」(2007/05/31 (木) 00:20:17) の最新版変更点

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    『ひょひょいの憑依っ!』Act.13 ――こんなに、広かったんだな。 リビングの真ん中で胡座をかいて、掌の中でアメジストの欠片を転がしながら、 ぐるり見回したジュンは、思いました。 間取りが変わるハズはない。それは解っているのに…… なぜか、この狭い部屋が、茫洋たる空虚な世界に感じられたのです。 一時は、本気で追い祓おうと思った、地縛霊の彼女。 だのに……居なくなった途端、こんなにも大きな喪失感に、翻弄されている。 彼のココロに訪れた変化――それは、ひとつの事実を肯定していました。 はぁ……。 もう何度目か分からない溜息を吐いたジュンの右肩に、とん、と軽い衝撃。 それは、あの人慣れしたカナリアでした。 左肩に止まらなかったのは、彼のケガを気遣ってのこと? それとも、ただ単に、医薬品の臭いを忌避しただけなのか。 後者に違いない。すぐに、その結論に至りました。 意志の疎通もままならない小鳥が、人間のケガを気遣うハズなどありません。 そうは思うのですが、ひょっとしたら……なんて。 ジュンは、深く考えることもせず、カナリアの前に手を差し伸べたのです。 「お前……本当に、金糸雀なのか? もしそうなら、僕の手に乗って見せろよ」 言ってから、思う。我ながら、馬鹿げた真似をしている――と。 目に見えるモノ、手に触れるモノ、それら全てに彼女の面影を求めて、 金糸雀が消えてしまった現実から、目を背けているだけ。 なぜ、あるがままを認めようとしないのか? あまりにも間抜けな自問に、あまりにもアッサリ自答する。 (実は――――ちょっとばかり、気に入ってたんだよな。あいつのこと) ドジな地縛霊のくせに、やたらと明るく賑やかで、ちょっぴり泣き虫な女の子。 おまけに、思いの外、料理上手ときています。 もし、就職を機に、真紅と離ればなれになっていたら…… 今頃は、ココロが大きく傾いていたかも知れません。 果たして、彼の言葉を理解したものか……カナリアは、彼の手に飛び移りました。 そして、ん? という風に小首を傾げながら、声を掛けてきます。 失意に沈むジュンを奮い立たせるように、それはもう元気よく。   そんな顔してたらダメ。元気を出すかしら! カナリアの声はココロに滲みて、金糸雀の声となって胸に響きます。 ただの妄想に他ならない。およそ、現実では有り得ないこと。 彼自身、自分の気が狂ったのかと、疑わずにはいられませんでした。 そして――どうせ狂ったのなら、ついでに……と。 「そっか……やっぱり、お前だったのか」 言って、小さな溜息を、ひとつ吐いたのです。 二度目の死を迎えた、金糸雀。 でも、それは終わりによって、新しい始まりを―― 束縛を絶ち、自由に空を翔る翼を得るためには、必要不可欠な儀式でした。 ジュンの吐息は、儀式が成就されたことを悟った、安堵そのものだったのです。 その一方で、金糸雀が消えたことに動揺し、もっと話をすればよかったと悔やみ、 こんなにも別れを惜しんでいる自分が―― ――今更ながら、とても浅はかで、愚かしく思えました。 「お前、自由を謳歌できるカナリアに生まれ変われたんだな。  ホントなら真っ先に、良かったな……って、喜んでやらなきゃいけないんだよな」 寂しいからと、彼女の死を悼み、 賑やかさを求めて、彼女に戻ってきて欲しいと願う。 それは再び、金糸雀をカゴの鳥に貶めるに等しいことです。 ジュンは自嘲して、やれやれと頭を振りました。 「なあ、金糸雀。ほんの数日の、春宵の夢みたいに、短い付き合いだったけど――  お前に逢えて…………良かった。ホントに、そう思ってる」 カナリアは、ジュンの指に止まりながら頻りに羽ばたき、囀ります。 喜んでいるようにも、照れ隠しに暴れているようにも見える、その仕種。 あまりにタイミングの良い反応に、ジュンは失笑を禁じ得ませんでした。 「偶然の出逢いで――いや、事故物件と承知で借りたんだから、必然になるのか?  まあ、どっちでもいいけど――こんな気持ちにさせられるなんてさ。  ホント、夢にも思わなかったよ」 落ち着きを取り戻したカナリアの頭から背中にかけてを、 そっ……と指の背で慈しみながら、ジュンは優しく語りかけます。 「こんなコトを言ったって、もう仕方がないんだけど。  もしも――――もう少しだけ早く、金糸雀と出逢っていたなら……  ……なんてな。やめとこう。言えば、お互い、未練になっちゃうもんな」 徐に立ち上がったジュンは、左手の甲にカナリアを乗せたまま、ベランダに出ました。 今日は、快晴。清々しい新春の風が、頬を撫でてゆきます。 ベランダの手すりに肘をついて、ジュンは空を見上げました。 「出逢いは別れの初め……って言うけど、実際、どっちが先なんだろう。  生まれ出た瞬間、母親と一体じゃなくなるんだから、やっぱり別れが先かな?  ……って、なに言ってるんだよ、僕は」 そうじゃないだろ、と独りごちて、ジュンは静かに、左腕を宙に翳しました。 カナリアは手の上で、じっ……と、小さな黒い瞳で、彼を見つめています。 その様子は、次に語られるジュンの言葉を、待っているようでした。 「別れって、さ…………きっと、出逢いを得るために、必要な仕事なんだよな。  それをすることで、新たな縁が、対価として支払われるんだ」 だから――と。 ジュンは、伸ばした左手に止まるカナリアを、真っ直ぐに見つめました。 「僕も、お前も……これから少しだけ、仕事をしなきゃいけない。  この世界のどこかに転がっている新しい出逢いへと、辿り着くために」 カナリアは、一声、二声と……三度、途切れ途切れに啼きました。   そうね。そろそろ、行かなきゃいけないかしら。   ジュン……今まで、たくさん迷惑かけて……ごめんなさい。   でも、楽しかったかしら。ありがとう―― 本当に、そういう意味で啼いたのかどうかは、判りません。 けれども、ジュンのココロには、そう響いていたのです。 徐に、カナリアは羽ばたいて、春の空に舞い上がりました。 少しだけ強い風に煽られ、危なっかしくヨロめきましたが、 それでも、力強く、蒼い空へと翔け昇っていきます。 「旅立ちには、いい日だよな……こんな晴れの日は」 どんどん遠ざかるカナリアを見つめながら、そう呟くジュンの瞼に、 堰を切ったように、しょっぱい水が溢れてきました。 ……が、それは彼の頬を濡らすことなく、部屋着の袖で拭い去られます。 来客を告げるインターホンが、彼の背中を叩いたからです。 「さて……っと。僕も、クヨクヨなんてしてられないな」 日常は、立ち止まった者を待っていてくれるほど、優しい流れではありません。 絶え間なく移ろい続けて、容赦なく過去へと置き去りにするのです。 そのことは、引きこもりだった頃に経験ずみでした。イヤと言うほど。 ――それに、もうジュンは決心していたのです。 昨日の続きの明日ではなく、今日を素晴らしく生きて、新しい明日に繋げようと。 ずっと隣を歩いてくれていた、真紅と共に―― ところが、玄関に向かう道すがら、思いっ切りアメジストの欠片を踏んで、 思わず「イテテ」と跳ねあげたスネが、ちゃぶ台を直撃。 なにやら前途多難な気がしてきて、またぞろ涙が溢れてきます。 もう拭うのも面倒で、ジュンは堪えていた悲しい涙も一緒に、流してしまいました。 「は、はい。どちらさ――」 急かすように二度目のインターホンが鳴らされたのと、ほぼ同時。 ドアを開いた彼は、そこに立っていた人物を見て、呆気にとられました。 「し……真紅?」 玄関先には、不機嫌そうな面持ちながら、頬を赤らめた彼女が立っていたのです。 しかも、傍らに、大きなスーツケースを携えて。 ぷるんと瑞々しい唇から、今にも「ドアを開けるのが遅い!」と叱責が飛ぶ…… かと思いきや。 真紅は、やおら眉を曇らせ、ぐんと身を乗り出しました。 「どうしたの? 貴方……泣いて――」 「っ?! いや、違うんだ。ちょっと尖った物を踏んじゃっただけで」 「……そう。ところで、あがらせてもらっても、いいかしら?」 「え? あ、ああ。散らかってるけど、いいよ」 スーツケースを引きずりながら、ジュンの後についてリビングに踏み込むなり、 真紅は無意識のうちに、重い息を吐いていました。 それも、ムリなからぬコトでしょう。床には粉々のアメジストが散らばり、 あまつさえ、どーん! と、水晶柱がそそり立っていたのですから。 「確かに……これはヒドい散らかり様ね。片付けも、ひと苦労だわ」 「だよなぁ。ま、ちょっとずつ地道にやるさ」 「ダメよ! なに言ってるの。すぐに始めるわよ」 「はあ? お前こそ、なに言ってんだよ」 ジュンが素っ頓狂な声で訊ねた先から、気合い充分に腕まくりした真紅が、 さも当然と言わんばかりに切り返してきます。 「こんなに散らかっていたら、私が暮らせないでしょう?」 「えっ? なっ? ちょ……お前、自分の部屋――」 「引き払ったわ。家具は、後で届けさせる手筈になっているから」 そんなバカなと言いかけたところで、思い出される昨夜の惨状。 真紅の部屋は、黒い羽やら火の玉による焦げ痕やら、目も当てられない状況でした。 しかも、深夜にあれだけドタバタ騒ぎ立てたのですから、隣近所はモチロン、 上下階の住人からも、管理会社に猛烈な苦情が寄せられたことでしょう。 ひょっとしたら、立ち退き勧告されたのかも知れません。 その原因を突き詰めれば、否応なくジュンに行き当たるワケで……。 (だからって、当前って顔して、カバンひとつで押し掛け女房かよ。  こないだ見た『とーぜんメイデン』っていうアニメみたいだな) やれやれ、と言わんばかりに、こめかみを押さえるジュン。 ……が、先行きが思いやられる一方で、どこか心躍っているのも確かでした。 そう遠くない日に訪れるかも知れない、人生の大イベントに向けて―― 予行練習をしておくのも、一興というものです。 ジュンは「仕方ないな」と、渋々を装って、部屋着のパーカーの袖を捲りました。 それから、アッー! という間の数時間が過ぎて…… ジュンと真紅は、連れ立って商店街を見て回っていました。 片付けが一段落したので、日用品を買い揃えるついでに、食材を求めていたのです。 部屋を片付けながら、ジュンは金糸雀が成仏したことを、真紅に話しておきました。 その時、よほど悲しそうな顔をしていたからでしょう。 真紅は彼を元気づけるために、料理をすると申し出たのでした。 その……道すがら。 ある店舗を見て、ジュンは奇異な声をあげました。 「あれ? ここって――」 「その店が、どうかしたの?」 「おっかしいなぁ……一昨日の夜には、人形を売ってたのに。  お前にブローチあげただろ。アレってさ、この店で買ったんだ」 「……貴方の記憶違いじゃないの? この店って、どう見ても――」 二人が目にしているのは、人形焼きの店でした。 店先では、ホストと紹介されても違和感のない金髪の青年が、 タンクトップにハチマキ姿で、『とーぜんメイデン』の人形焼きを焼いています。 「あの……すみません」 どうにも釈然としないので、ジュンは青年に声を掛けました。 青年は、チラっとジュンと真紅に視線を走らせて―― 「合格…………見ていっていいよ」 なにが合格なのかは疑問ですが、ジュンは躊躇いがちに、疑問をぶつけました。 返されたのは、意外な言葉。 「間違いじゃないのかい? うちは、人形焼き一筋30年だよ」 「そん……な。じゃあ、僕は一体……」 「ジュン、そろそろ行きましょう。商いの邪魔になってしまうわ」 ジュンは依然として要領を得ないままでしたが、真紅が執拗に袖を引っ張るので、 せめて迷惑料がわりにと八種類の人形焼きを買って、その場を離れました。 敢えて八種類を揃えるところが、つくづく八方美人だなぁ……と、苦笑いながら。 ひと通りの品物を買い揃えて、談笑しながらアパートに向かっていた彼らは、 不意に背後から呼び止められて、ハッと振り返りました。 そこに居たのは、ここ数日で見知った二人連れの乙女。めぐと水銀燈でした。 今日も今日とて、ほろ酔い加減の彼女たち―― 水銀燈はまだしも、めぐは遠くない将来、肝硬変でも患ってしまいそうです。 「やっほー、お二人さん。なんだか、一晩でグッと親密になった感じねぇ」 「ほぉんと。すっかり若夫婦ってカンジぃ」 「そ、そんなんじゃ……からかわないでくれよっ!」 「わわ、私たちは、そそ、そんな……」 めぐ達にしてみれば、挨拶代わりの他愛ない冗談を言ったつもりでしたが、 二人の狼狽えぶり――ことに真紅――を見て、これは満更でもないらしいと察しました。 忽ち、面白いオモチャを見つけたみたいに、ニンマリとほくそ笑んだのです。 「ねえ……水銀燈。これは、盛大にお祝いしてあげるべきじゃない?」 「そぉよねぇ。あの娘に押し付けられた置き土産もあるしぃ」 「よし、決ーまり! 二人とも、私のウチにいらっしゃいよ」 「え? でも、僕たちはこれから帰って昼飯――」 「大丈夫よ、桜田くん。時間はとらせないから。真紅ちゃんも、ね?」 「……いいわ。折角のお誘いだもの。行きましょう、ジュン」 どういうワケか、最終決定権はもう、真紅が掌握しておりました。 ジュンは、いきなり尻に敷かれている自分を情けなく思いつつ、 文句も言わず、一番後ろをスゴスゴと歩いてゆくのでした。 ――案内されたのは、今風の瀟洒な高層マンション。 それにしても、盛大なお祝いとは、一体……? まさか、これから彼女の部屋で、宴会でも始めようと言うのでしょうか。 水銀燈が言っていた『置き土産』なるモノも、そこはかとなく怪しい感じです。 イヤな予感を募らせながらも、招き入れられるままリビングに進んだジュンは、 そこで水銀燈に、お茶ならぬトランクケースを差し出されました。 しかも、よく見ればソレは、眼帯娘に引っ張り込まれたドールショップのもの。 ジュンの部屋にも同じモノがありますから、見間違いではありません。 「なっ……なんで、このケースを持ってるんだ?!」 「あらぁ、コレを知ってるのね? じゃあ、話は早いわぁ」 言って、水銀燈が目配せすると、めぐが続きを継ぎました。 「実は、今日の未明のことなんだけど――ネットで調べものをしてた時に、  来客があったのよ。左目に眼帯をした、不思議な女の子でね」 「なんだって? まさか、髪が長くて、変に途切れ途切れな話し方するヤツか」 「あーそうそう。多分、桜田くんの想像と、同じ人物よ。ね、水銀燈?」 「ええ。別れ際に『またね』って言ってたから、いつか再来するとは思ってたけどぉ。  まさか、半日と経たず現れるなんて、想定外だったわ」  今日の未明と言えば、ジュンはまだ、真紅の部屋にいました。 その頃にはもう、金糸雀はあの部屋に引き戻されていたハズです。 とすると……あの眼帯娘が、金糸雀に何かした可能性も、充分あり得ます。 もしかしたら、金糸雀はまだ、成仏していないのかも―― 「この私でも開けられないのよ。どうやら、霊的なカギが必要らしいわぁ。  やるだけムダかも知れないけど、貴方たちには開けられなぁい?」 ジュンは「貸してくれ」と、トランクケースをひったくって、開封を試みました。 すると、意外や意外。ケースは呆気ないほどアッサリと、開いてしまったのです。 ――果たして、カバンの中には、人形サイズの女の子が、眠っておりました。 幽霊にしては血色のいい頬に、涙の痕を残して。 「金糸雀っ!? お前、なんで!」 咄嗟に呼びかけた言葉は、夜明けを告げるナイチンゲールの声。 金糸雀の泣き腫らした瞼が、うっすらと開いてゆきます。 そして、次の瞬間―― それこそ目一杯に双眸を見開いた金糸雀は…… 飛び起きるが早いか、泣き顔のまま、ジュンに抱きついたのです。 トランクケースから出た途端、彼女の身体が元のサイズに戻ったので、 ジュンは支えきれずに、隣にいた水銀燈を巻き添えにして、倒れてしまいました。 二人の下敷きになった水銀燈が、苦しげに罵声を浴びせますが、馬耳東風。 歓喜にはしゃぐ金糸雀には、ジュンしか見えていないようでした。 「あはははっ♪ また逢えた! ジュンに、また巡り会えたかしら!  寝ても覚めても、ずっと、ずっと……カナは、貴方に逢うことだけを願ってたの!  夢じゃない…………これ、夢なんかじゃないのよね?」 「お、お前――」 「夢なんかじゃないわ。成仏してなかったようね、貴女」 首を締め付けられて、目を白黒させているジュンに代わって、真紅が答えます。 しかも、声ばかりか拳まで飛ばしたものだから、さあ大変。 金糸雀は躱す間もなく、真紅のクリティカルヒットを頬に食らって、 ジュンから引き剥がされました。 「ぃったぁ~い。なんてコトするかしら、この暴力女っ!」 「黙りなさい! 今のは、私のブローチを壊したコトへの懲罰なのだわ」 「それに……」と、真紅は立ち上がったジュンの胸に身体を預けて、 彼の背に腕を回したのです。「この場所は、私のものよ」 きぃ――! 金糸雀は悔しげに歯噛みしましたが、それも刹那のこと。 やおら不敵な笑みを浮かべて、真紅をビシリと指差しました。 「ふふーん。そーやって勝ち誇っていられるのも、いまの内かしら!  カナは、地縛霊から浮遊霊にクラスチェンジしたんだから。  これからは、神出鬼没に猛アタックすることだって可能かしら~。  更に! 今度こそ貴女から彼を奪うため、ここに住み込みで修業してやるわ。  ……と言うワケで、カナを弟子にして欲しいかしら、水銀燈お姉さまぁ~♪」 「はぁ? やぁよ……メンドくさい。付き合ってらんなぁい」 「そんなぁ……お願いかしらっ。カナをビシビシ鍛えて下さいかしらー!」 「だからっ! 私を、貴女たちのおままごとに巻き込まないでよぉ」 「あぁん♪ 水銀燈お姉さま、いけずぅ~……かしらー」 「ちょ……すり寄らないでってば。ひっぱたくわよ、おバカさんっ!」 と、言ったそばから、金糸雀のおでこをベチッと叩く水銀燈。 それを口火に、ぎゃあぎゃあと啀み合いが始まります。 真紅はジュンから離れて、彼女たちの元に近づくと、涼しい顔で言いました。 「貴女、カナ……ブン、だったかしら?」 「なぁっ?! 失礼ねっ、ワザと間違えたでしょ! 金糸雀よ、か・な・り・あ!  なによ、余裕ぶっちゃって。カナなんか、ライバルじゃないって言うかしら?」 「――まさか。私はそこまで、傲慢じゃないつもりよ。  ジュンを好きになった女の子は、誰であろうと恋敵なのだわ。  だから、貴女は気の済むまで、好きにしなさい。  私は、私なりのやり方で、この恋愛ゲームを制するだけよ」 ただ一心に、愛し得る限りジュンを愛してゆくだけ。 ひたと金糸雀を見つめる真紅の瞳は、その決意を訴えかけていました。 金糸雀も、真紅の宣戦布告を真っ向から受け止め、「上等かしら」と―― 口角を歪めて、凄みのある笑顔で応えたのです。 また、とんでもない日常が始まろうとしている。 そこに一抹の不安を覚えてしまうのは、成り行き上、致し方ないことです。 けれど……ジュンは不安の陰で、ひっそりと喜んでいました。 この面々で、昨日の続きではない、新しい明日を切り開いてゆけることを。 真紅と金糸雀の睨み合いから避難したジュンと水銀燈が、テーブルにつく。 めぐは頬杖をついて、火花を散らす娘たちを眺めつつ、彼に話しかけました。 「あちゃー。これは前途多難っぽいわよー、桜田くん?」 「いいんじゃなぁい。若いうちの苦労は、買ってでもしろ……ってねぇ」 「確かに、前以上に喧しくなりそうな感じだけどさ――  前よりは、楽しく暮らせるんじゃないかなって。今は、そう思えるよ。  って……そうだ。人形焼き食べます?」 「あら。ありがと、桜田くん。いただきまーす」 「手土産なんて、ボウヤにしては気が利くじゃなぁい♪  これで酎ハイもついてたら、カンペキだったわねぇ」 「……昼間っから、酒なんか出しっこないだろ、ふつう。  おーい。お前らも、いつまでも睨み合ってないで、こっち来いって」 ジュンは、相も変わらず睨み合っている真紅と金糸雀に声を掛けて、 ひょいと人形焼きを口に放り込みました。 いつになく、のんびりと時間が過ぎて行く昼下がり。 どこからか夜想曲の静かな旋律が聞こえてきそうな、長閑な春の午後でした。

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