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      ―葉月の頃 その5―  【8月23日  処暑】② 高速道路で二度目のサービスエリアに入るや否や、 弾かれたように車を飛び出した翠星石は、タオル片手にトイレへと駆け込み、 ぽぉ~っと熱を帯びた顔をすぐにも冷やしたくて、ざぶざぶ洗った。 なんだか、まだ身体中がムズムズして、気分が落ち着かない。 それもそのハズ。『もふテク』108式すべてを体験してしまったのだから。 思い返すだけで、翠星石の背筋に悪寒が走り、顔から火が出そうだった。 「あー、ヤバかったですぅ。危なく溺れ乱――」 「なにで溺れそうになったのですか?」 タオルで顔を拭いながらの独り言に、背後からタイミング良く問い返されて、 翠星石は、わたわたと両腕をバタつかせた。一瞬にして、総毛立っていた。 ぎしぎしと頸椎を軋ませながら、翠星石が顔を向けた先には…… 「?」顔の雪華綺晶が、翠星石のことを見つめていた。 彼女の右後ろには、守護霊のように寄り添う薔薇水晶の姿も。 「なにやら、お顔の色が赤いですわね。車酔いでしょうか?  それとも、軽い暑気あたりとか――」 「おk……把握。私、おクスリ持ってる」 と、薔薇水晶がウエストポーチから取り出したのは、プリザエース。 いったい全体、どういう発想で、なにを把握したというのか。 あまりにもお約束すぎて、翠星石はもう怒る気も失せ、長い息を漏らした。 「気持ちだけ、受け取っておくです。大したコトじゃねぇですから」 「……そう。入り用になったら……いつでも言って」 薔薇水晶は、さも残念そうに睫毛を伏せて、錠剤をポーチに戻した。 その隣で、雪華綺晶が物思わしげな顔を作っている。 「でも、とりあえず、涼をとった方が良いかも知れませんわね。  ソフトクリームでも、ご一緒にいかが?」 翠星石は、腕時計に目を落とした。集合時間までは、いくらか余裕がある。 ソフトクリームくらいなら、さくっと食べてしまえるだろう。 それに、折角の気遣いを無碍に断るのも、礼を失するというものだ。 そう考えて、翠星石は、雪華綺晶のお誘いを受けることにした。 お盆休みシーズンを過ぎたとは言え、まだまだ結構な混み具合だ。 売店でソフトクリームを買った三人は、カンカン照りの室外に出ると、 ちょうど空いていたパラソル付きのテーブルで、車座になった。 「さあ、いただきましょう」言うや、雪華綺晶はパクっ! と頬ばって、 唇に残るクリームを、艶めかしく舐め取る。「うふふ……アンマァ~」 彼女の満足げな声に、翠星石は、ギクリ。 まさに【パブロフの犬】的条件反射。ついさっきまでの刺激が強烈すぎて、 どうにも『アンマァ』という響きに過敏な反応を示してしまう。 そんな翠星石の微々たる変化を、目敏く捉えていた者が、ひとり。 「どうか……した?」 薔薇水晶は訊ねて、翠星石の顔を、じぃ……っと見つめている。 なにか答えない限り、ずっと見ているつもりだろうか。 翠星石は「なんでもねぇです」と、素っ気なさを装って視線を逸らし、 バツの悪さを隠すように、自分のソフトクリームに口を付けた。 「はもはも……ん~。冷たくて、美味しいですぅ~。  くどくない甘さで、舌の上でサラッと溶ける感じが、また格別ですぅ」 「原料の鮮度が、味の決め手なのかも知れませんわね。  カウンターのところに、ポスターが貼ってありましたもの。  この近くに牧場があって、そこから搾りたてのお乳を仕入れているとか」 再び、笑顔を凍り付かせる翠星石。明らかに、意識しすぎている。 そして今度もまた、薔薇水晶は些細な変化を見逃していなかった。 「お乳……搾りたて」 今度は、ニヤッと嗤って、これ見よがしに指をわきわき動かしている。 彼女の隻眼が向けられているのは、翠星石の……胸。 翠星石は、かぁ~っとアタマに血が昇って、耳まで熱くなるのを感じた。 「なっ、なっ…………なに、おバカなこと言ってやがるですか!  おめーには根本的に、乙女の恥じらいってモノが足りねぇですぅっ」 「……どうして、そんなに怒るの?」 「暑いからと言っても、ちょっとカリカリしすぎですわね。  翠星石さん、貴女……きちんと乳酸菌を摂っていますか?」 薔薇水晶の問いを受け、雪華綺晶までもが、訝しげに翠星石を見る。 じろじろと二人の視線に晒されて、言葉に詰まった彼女は―― 赤らんだ顔をぷいっと背けて、黙々とソフトクリームとコーンを完食した。 しかし、このまま何も喋らずに立ち去るのも、逃げ帰るみたいで癪に障る。 角が立たないほど自然で、適当な口実は、なにか無いものだろうか? (……あ。そうですぅ) あれこれ考えていたところに、ふと、天啓が降りてきた。 翠星石は、薔薇水晶が食べ終わるのを見計らって、身を乗り出した。 「ねえ、薔薇しー。よく効く眠り薬って、持ってねぇです?」 「眠り薬なら……そこで売ってる」 言って、薔薇水晶が指差した先には―― 「缶ビールの自販機じゃねぇですか、おバカ水晶っ!」 「軽い冗談……怒っちゃダメ。ちょっと待って…………ほい、コレ」 と、彼女が差し出したのは、なにやら不可思議なタブレット。 1ダースの錠剤がパッキングされていて、裏面には製品名らしき印刷と、 製薬会社のマスコットキャラと思しい吊り目の白ウサギが、見て取れた。 「nft……っていうですか、このクスリ。なんか小室ファミリーみてぇです」 「trfちゃうねん。『n field tripper』の略称。  効くよ……コレ。飲めば一瞬で……ユメの世界にトリップできる」 「おお……なんか凄そうです。そんな強力な効果で、副作用は心配ねぇのです?」 「まったくもってモウマンタイ。二度と目覚めないコトも……よくある」 「メチャクチャ問題ありまくりじゃねぇですかっ!」 大声を出したものの、それ以上の狼藉は働かずに、翠星石は二人と別れた。 ただし、nftは貰っておいた。モチロン、自分で服用するワケではない。 「このクスリで、おバカ苺を眠らせちまえば、もう安心ですぅ」 だが、雛苺だって、こんなアヤシイ錠剤を素直に飲みはしないだろう。 となれば、飲み物や食べ物に混ぜて、飲ませてしまえばいいのである。 翠星石は売店に入って、雛苺が食べたくなりそうなモノを探した。 すると―― 「お! 雪苺娘じゃねぇですか。これは、お誂え向きですぅ~。きししし」 冬限定の代物のハズだが、どうして真夏に売っているのやら。 首を傾げつつも、翠星石は迷わずゲットする。それも3つ。 ひとつだけだと警戒されかねないが、人数分なら変に思われまい、との配慮だ。 会計を済ませた翠星石は、人目を気にしながら、そそくさと物陰に入った。 そして、もう一度ぐるり見て、誰にも見られていないことを確認。 手早く(だが丁寧に)パッケージを開き、雪苺娘の底面から錠剤を埋め込んだ。 「はふぅー。準備完了……っと、ヤバっ! もう出発時間じゃねぇですか!」 時計を見て慌てた翠星石は、咄嗟にクスリ入りの雪苺娘をレジ袋に放り込んで、 炎天下を全力疾走した。 「ご、ごめんなさいですぅ!」 息せき切らせた彼女を、水銀燈と雛苺が出迎える。二人とも眉を集めていた。 「もぉ。遅いのよー、翠ちゃん」 「ナニかあったのかと心配するじゃない。あらぁ……なにを買ってたのぉ?」 「……実は、こんなモノを見つけたから、一緒に食べようと思ったですぅ」 と、翠星石が、手にしたレジ袋から雪苺娘を恭しく取り出すと、 二人の態度と表情はコロッと変わった。 特に、雛苺のはしゃぎようは、もはや異常と言ってもいいくらいだった。 ――が、事ここに至って、翠星石は自らの過ちに気づいた。 (うっ! 走ってきたから、袋の中でゴッチャ混ぜになって、  どれがクスリ入りだか、分からなくなっちまったですぅ) なぜ、目印のひとつも残しておかなかったのか。自身の迂闊さが恨めしかった。 しかし、二人に渡す前に調べるなんて、不自然きわまりない。 『一服盛っといたですぅ』と、自白しているに等しかった。 どうしようもない。翠星石は、もう、どーでもいい気分になって…… (し、しゃーねぇです。女は度胸! なんでも試してみるもんですぅ!) 二人に雪苺娘を渡し、自分もパクっと食らい付いた。 そして、次の瞬間っ!   ガリリッ…… 小石でも噛んだような音に続いて、卒倒する水銀燈。 「あぁっ! ぎ、銀ちゃん、どうしちゃったの? しっかりするのーっ!」 「はっ! きっと熱中症ですっ! 早く、銀ちゃんをリアシートに乗せるですよ。  エアコンで急速冷却フリーズドライにしてやるです」 「う、ういー!」 ……なんて。咄嗟の機転を利かせて、なんとかその場を誤魔化した翠星石は、 再びハンドルを握って、車を転がしていた。 後部座席には、ぐったりと横たわって、目覚める気配のない水銀燈が……。 雛苺は助手席に移って、翠星石との雑談に興じていた。 いくらか走った頃、雛苺がニコニコしながら、翠星石に話しかけた。 「ねえねえ。銀ちゃんが倒れたの、翠ちゃんの仕業なのよね?」 「なな、なんのコト……です? 私には、さっぱり――」 「誤魔化したってダメなの。ヒナには、バレバレユカイなのよ?」 言って、雛苺はハンカチを取り出し、翠星石の左頬に滴った冷や汗を、優しく拭う。 あくまでも、天使のような微笑みを絶やさないままに。 「宿に着いたら、覚悟しておくのー♪」 藪をつついてワニを出す。 新たな格言が、産声をあげた瞬間だった。(民明書房刊)    

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