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―葉月の頃 その8―」(2007/08/03 (金) 01:18:57) の最新版変更点

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    朝―― まさにペールギュント第一組曲の『朝』が、どこかから聞こえてきそうな、 とても清々しい山の朝を迎えた、午前八時のこと。 朝餉の席を囲む誰もが、質素ながら「これぞ純和風!」と言わしめる朝食を前に、 目を輝かせる。ご当地ならではの食事を楽しむのも、旅の醍醐味なのである。 ところが…… 大広間に顔を揃えているのは、7人。 そのため、美味しそうな山の幸を前にしていながら、誰ひとりとして、 料理に箸をつけられずにいた。 やっと身体も目覚め始めて、お腹が空いてきた頃合いだけに、これは拷問に近い。 雪華綺晶に至っては、じぃーっと料理を凝視して、ソワソワ肩を揺すっていた。 ここで膳を片づけようものなら、誰彼かまわず、痛快まるかじりしそうな雰囲気である。 ……と、徐に大広間のふすまが横すべりして、翠星石が仏頂面を覗かせた。 いつまでも起きてこない相部屋の四人を心配して、様子を見に行っていたのだ。 「おかえり、姉さん。どうだったの?」 ふすまに最も近かった蒼星石が、みんなを代表して問いかける。 翠星石は眉を曇らせたまま、溜息混じりに、かぶりを振った。 「ダメですぅ。あいつら、完全にダウンしちまってるですよ。  4人とも『気持ち悪い、アタマ痛い』って、朝食は食べたくないそうです」 「ええっ? あの部屋の全員が? どうしちゃったんだろう……。  夜中は冷え込んだから、風邪でもひいたのかな?」 心配そうな蒼星石の声に、その場の誰もが、不安な面持ちを浮かべた。 ただ一人……翠星石を除いて。 「風邪だったなら、まだ許せるです。まったくもうっ……あの連中ときたら!」 なにやら腹立たしげに捲し立てる彼女に、全員の奇異な眼差しが向けられる。 一体、あの4人に何があったのだろうか。 誰かが疑問を投じるより早く、翠星石の唇から、コトの次第が猛然と吐き出された。 「あいつら、明け方まで酒盛りしてたそうですよっ!  ドアを開けた途端、むわぁーっと酒臭くて、クラクラしちまったですぅっ」 「ああ……なんか、分かる気がするよ」 額に手を当てて項垂れる蒼星石に同調して、ジュンや巴も、やれやれと吐息する。 みっちゃんと水銀燈という『最凶うわばみ衆』が同室になった時点で、 この顛末は予測しておくべきだった。いや……するには、していた。 だが、真紅や金糸雀が一緒だからと、楽観していたフシもあったのである。 「真紅も金糸雀も、意外に乗せられやすいのよー」 ポツリと囁かれた雛苺の言葉が、ズバリ核心を衝いている。 『お酒の一杯も飲めないだなんて、真紅ってば、ホぉントお子さまねぇ♪  だから、いつまで経っても、胸が小さいままなのよぉ☆』 ――なんて、水銀燈にバカにされれば、真紅のことだ。 『そのくらい、どうってコトないのだわっ!』と、 売り言葉に買い言葉の挑発に乗って、一杯が、いーっぱいに……。 金糸雀の方は、もっと単純だろう。 幼少の頃から姉のように慕ってきたみっちゃんに飲酒を迫られ、断りきれず―― ――という展開が、誰の目にも浮かんだ。 「一応、酔いどめと栄養ドリンクは、ムリヤリ飲ませてきたですけど……  もう知らんです。おバカな連中には、付き合いきれねぇですよ」 翠星石は、蒼星石の隣りに座ると、わっしと箸を掴んだ。 「あぁん……もう腹ペコですぅ~。  あいつらの分まで、美味しい食事をむっはむっはと食べちまうですっ」 酷なようだが、それが正論。早く食べてしまわないと、片づけられてしまう。 異議を唱える者などおらず――唱えられる雰囲気でもなかった―― 大広間に吹き荒れる、盛大なる「いただきます」の嵐。 ダウンした4人のために、天ぷらなどを気持ちばかりに取り分けて、 残りはみんなで仲良く平らげてしまった。 朝食を済ませてしまうと、今度は手持ちぶさたな時間が訪れる。 当初の予定では、河原で遊んで、お昼にバーベキューを楽しむハズが…… 酔いつぶれた4人を置き去りにするワケにもいかず、計画は白紙撤回となった。 だが、そこは若い面々のこと。室内で、ボケボケと過ごしてなんていられない。 八月も末とは言え、暑い日射しの中に飛び出したい衝動は、抑えられなかった。 「――なのに。なぁんで私が、おめーと留守番しなきゃならんのです」 和室の窓辺に置かれた籐の椅子にちょこんと座っていた翠星石は、 中庭の池を眺めながら、不満の色も露わに、ぶちぶちと文句をたれた。 殆ど……と言うか、百パーセント八つ当たり。 膝を突き合わせて涼んでいた薔薇水晶は、無言かつ無表情のまま、翠星石を見つめた。 「なっ、なんです、その眼は。こっち見んなですっ」 「…………」 「だから見んなと――」 「…………」 「もうっ! なんとか言えですよっ!」 「……御館……さま」 「それ、山本勘助の真似です? 大河ドラマの見すぎですぅ」 翠星石に冷たく切り返されて、薔薇水晶は悲しそうに目を伏せた。 ウケるとまではいかずとも、失笑を買って、場を和ませられると思っていたのだろうか。 彼女は、何も言わず席を立つと、トボトボと部屋から出ていった。 「む……ちょっと可哀相だったですかねぇ」 一人っきりになると、そこはかとなく心細さが募る。 ジュンと巴、雛苺の買い出し組は、ポテチなどのお菓子を調達すべく、 車で市街のコンビニまで行っている。帰ってくるには、まだ暫くかかるだろう。 蒼星石は、オディールと雪華綺晶をつれて、フィールドワークの最中である。 オディールの来日には、日本の山野草を見学する目的もあったのだ。 そして、件の4人は依然として、酔いツブレたまま――ときている。 現状で話し相手になってくれるのは、薔薇水晶だけだった。 「はぁ……しゃーねぇです」 このままでは、なんとなく後味が悪い。広い部屋に居るのに、窮屈な気分がする。 やはり、適当に宥めておこう。そう思って、翠星石が腰を上げようとした矢先、 部屋のドアがゴン、ゴン、と強く叩かれた。 誰だろうか? 最も酔いの浅かった金糸雀が、復活したのかも知れない。 「はーいですぅ~」と返事をして、ドアを開ける。 ……と、そこには両手に缶ジュースを持った薔薇水晶が立っていた。 よく見ると、彼女の額の真ん中が赤い。 やけに激しいノックだと思ったら、どうやら、ヘッドバットだったようだ。 翠星石は不覚にもプフッと噴き出して、溢れそうになる笑みを、手で押し留めた。 けれど、小刻みに震える肩までは、抑えきれない。 「ときにモチツケ。翠ちゃん……きっと、ビタミンC不足」 薔薇水晶は、笑われていることなど気にも留めていない素振りで、 ずい! と、ジュースを差し出した。黄色いラベルは、C.C.レモンの証。 よく冷えているみたいで、缶が露を纏っていた。 お喋りで陽気な姉の雪華綺晶に比べ、薔薇水晶は寡黙で大人しい感じの娘である。 けれど、とても機転が利くし、トロそうな見た目に反して、行動力に溢れていた。 現に、こうして翠星石のために、ジュースを買ってくるほどだ。 「あ……ありがと、ですぅ」 軽く喉も渇いていたので、翠星石は素直に腕を伸ばした。 夏は、暑いし紫外線は強烈だしと、ビタミンCが多く消費される季節でもある。 些細なことでイライラしてしまうのも、冗談抜きに、ビタミンC不足かも知れない。 八つ当たりした気まずさを誤魔化すように、翠星石は冷たい液体を、一息に干した。 「んっ……んっ…………くぅぁ~っ! 喉がチリチリするですぅ~」 「なにも、イッキ飲みすることないのに」 「分かってねぇですねぇ。この爽快感を味わってこその、炭酸飲料なのですよ?  気の抜けた炭酸飲料なんて、ただの甘ったるい水でしかねぇですぅ」 「なるほど……言えてるね」 ニコッ。薔薇水晶は微笑んで、翠星石に倣い、炭酸をグイグイと喉に流し込んだ。 そして、はぁふ――吐息に紛れて、けふ……と小さく、おくびを漏らす。 「くすっ……お行儀の悪いヤツですぅ」 ビタミンC効果ではあるまいが、もう翠星石の表情に、先程の険しさはなかった。 薔薇水晶も心得たもので、如才なく話題を転じる。 「さっき見てきた様子だと、真紅たち……まだ、起きそうもないよね」 「うん? そう……ですね。それが、どうかしたです?」 「……お風呂、行かない? 今だったら、ちょっとなら目を離しても――」 「ああ、なぁるほど。いいアイディアですかもぉ」 どうせ、他にすることもなく、退屈していたところだ。 「温泉に来てるですから、湯治を楽しまなきゃ損ってもんですぅ」 「でしょ? と言うワケで……レッツゴー☆ハダカの触・れ・合・い♪」 「…………おかしな表現すんなです」 ぺしっ!  翠星石は薔薇水晶の頭を軽く叩いて、いそいそと入浴の支度を始めた。 入浴――と、口で言うのは簡単だが、翠星石みたいな髪の長い娘にとっては、 なかなかに大変なコトである。毛先まで髪をキレイに洗うのが大仕事だし、 湯船に身を浸すときも、頭の上で結っておかないと周りにダバーっと広がって、 はた迷惑この上ない事態になる。 おまけに、ドライヤーで髪を乾かすのも、長さ分だけ手間がかかるのだ。 まあ、それでも……髪を切る気なんて、更々なかったのだけれど。 「はふぅ~。いい気持ちですぅ~♪」 まだ午前中ということもあってか、利用客は、彼女たちだけだった。 髪と身体を洗い終えた翠星石は、浴槽に浸かって、首筋や肩をタオルで擦っていく。 なにを隠そう、この温泉――数ある効能の中でも特に、美肌効果を謳っている。 夏の暑い時期に、わざわざ温泉を選んだのも、翠星石が海の人混みを嫌ったこと、 加えて、玉のお肌を磨きたいという乙女ゴコロを満たさんがためだった。 こうして、いつもより多めに汗をかいていると、肌がツルツルになった気がする。 パシャリと胸元にかけた湯は、さらりと転がり落ちていった。 「周りは山に囲まれて静かですし、お料理も美味しいし……なかなか、いい温泉宿ですぅ。  敬老の日には、おじじとおばばも連れて、また来ましょうです」 鉱泉の効果に気をよくして、翠星石は、にこにこと独りごちる。 きっと、祖父母も喜んでくれるだろう。 彼らの笑顔を思い浮かべると、ますます、翠星石は嬉しい心持ちになった。 だけれど…… その時にはもう、最も居て欲しい人は――蒼星石は、遠くへ行ってしまっている。 また、満たされない想いを抱いて、胸を焦がしながら暮らすのかと思うと、 ウキウキしていた気分は、たちまち羽ばたく力をなくして、沈み始めた。 まるで、ロウで固めた翼を失い、墜落してゆくイカロスのように。 この夏休みは、本当に賑やかで、楽しくて、例年になく充実している。 でも、楽しい時間を重ねれば重ねるだけ、終わりの瞬間に対価を請求されるのだ。 それも、法外で……耐え難い苦痛と、放心するほどの悲しみを―― 遠からず訪れる、大好きな妹との離別。 イヤだ。いつまでも、ずぅっと一緒にいたい。 翠星石は、喉まで込みあげてきたワガママを、強引に呑み込んだ。 押し込めた本音が暴れて、ちょっぴり胸が痛かった。 「どうしたの? 怖い顔……してるのね」 「ふわっ?!」 思いがけず近い声に話しかけられて、翠星石は細い首を竦めた。 顔を巡らせば、いつからそうしていたのか、薔薇水晶がじぃ~っと見ていた。 問いかけていながら、既に全てを見透かしているような、いやらしい眼差しで。 「ちょ……ちょっと、のぼせたみてぇです」 翠星石は、ばったりとブチ当たった視線を、気まずそうに下げた。 すると、必然的に、薔薇水晶の豊かな双丘が視界に飛び込んでくるワケで…… 今朝も目にしていたが、改めて、その発育の良さに圧倒されかけた。 「気になる? 私の……おっぱい」 無意識のうちに、見比べていたのだろう。 問われて、翠星石は「ならねぇです」と、ぶっきらぼうに答えた。 でも、それが強がりであることは、当の翠星石が、一番よく知っている。 見た目――こと女の子らしさについては、どうしても対抗心を燃やしてしまうのだ。 誰だって、そう。あからさまに口にしないから、あまり表立たないだけ。 笑顔の裏では、ひっそりと優越感に浸ったり、激しい嫉妬にいきり立っていたり―― なかなかに複雑な感情が、深い闇を湛えて渦巻いている。 モチロン、薔薇水晶も、至って普通の女の子。 同い年の親友として、翠星石の本心は、手に取るように解っていた。 「ふふ……ねえ、知ってる?」 怪しい笑み。妖しい眼差し。これが勝者の余裕というモノか。 翠星石は眉間に深い縦皺を刻んで、まじまじと薔薇水晶を見つめた。 いったい、何が言いたいのだろう? 訊いてはいけないような、それでいて、訊いてみたいような。 暫し迷っていたけれど、翠星石は結局、好奇心に動かされてしまった。 「知ってるって――何を、です?」 「よゐこの……胸の育て方♪」 「はぁあっ?!」 素っ頓狂な声をあげる翠星石の目の前で、薔薇水晶がバチンと手を打ち鳴らす。 早い話が、猫だまし。虚を突かれ、翠星石は一瞬、茫然自失に陥った。 その間にも、薔薇水晶は合掌したまま、ナゾの呪文を詠唱する。 「チッチチッチ、おっぱーい……ボインボイーン」 「な、な……なんてこと口走ってやがりますか、おめーはっ!」 「もげ――――っ!!」 「ひぃっ」 やっと我に返ったのも束の間、またもや奇声の一喝で、翠星石は身を竦ませた。 そして、次の瞬間っ! 「……うりゃっ♪」 お茶目な掛け声と共に、薔薇水晶の両手が、翠星石の両胸を、わっしと掴んだ。 「き、きゃああぁぁあぁ――っ! な、なにしやがるです――っ!」 「お・ま・じ・な・い☆ ぼいんぼいーん♪」 「おバカ水晶っ! なにが、ぼい……やんっ……そんな……も、揉む……なですぅ!」 「……むむぅ。来てます……ハンドパワーです」 「こっ……こっ……この――」 どあほうが――――っ!! 雷鳴の如き怒声が、空を震わせ、水面を揺らす。 寸暇も待たず、めぎゃっ!! 途轍もなく鈍い殴打音が、浴室内に鳴り響いた。 その一連の威力は、窓辺で啼くセミすらも、ピタリと黙らせるほどだ。 再び、窓ガラス越しにセミの声が聞こえ始めた時―― そこには、両腕で胸を隠し、怒りに身を震わせる翠星石と、 『犬神家の一族』のワンシーンよろしく両脚を水面に突きだして浴槽に沈んだ、 薔薇水晶の姿があった。 例によって、翠星石のまさかりチョップが、薔薇水晶の側頭部を一撃したのだ。 「この、おバカ! そのまま、くたばっちまえですぅっ!」 助け上げるつもりなど毛頭ないらしく、翠星石は捨て台詞を吐いて、 頭からプンスカ湯気を立てながら、浴室から出ていった。 その数分後―― 薔薇水晶は、酔いざましの入浴に来た水銀燈とみっちゃんに発見され、 なんとか一命を取り留めた。 目を覚ますなり、彼女は介抱してくれた水銀燈たちに、こう呟いたという。 「この怨み……地獄に流しま…………せん」 今夜の予定は、みんなで肝試し。報復には、もってこいのシチュエーション。 薔薇水晶は金色の瞳を爛々と輝かせ、凄みのある笑みで、可憐な唇を歪めていた。    
      ―葉月の頃 その8―  【8月24日  湯屋】②     朝―― まさにペールギュント第一組曲の『朝』が、どこかから聞こえてきそうな、 とても清々しい山の朝を迎えた、午前八時のこと。 朝餉の席を囲む誰もが、質素ながら「これぞ純和風!」と言わしめる朝食を前に、 目を輝かせる。ご当地ならではの食事を楽しむのも、旅の醍醐味なのである。 ところが…… 大広間に顔を揃えているのは、7人。 そのため、美味しそうな山の幸を前にしていながら、誰ひとりとして、 料理に箸をつけられずにいた。 やっと身体も目覚め始めて、お腹が空いてきた頃合いだけに、これは拷問に近い。 雪華綺晶に至っては、じぃーっと料理を凝視して、ソワソワ肩を揺すっていた。 ここで膳を片づけようものなら、誰彼かまわず、痛快まるかじりしそうな雰囲気である。 ……と、徐に大広間のふすまが横すべりして、翠星石が仏頂面を覗かせた。 いつまでも起きてこない相部屋の四人を心配して、様子を見に行っていたのだ。 「おかえり、姉さん。どうだったの?」 ふすまに最も近かった蒼星石が、みんなを代表して問いかける。 翠星石は眉を曇らせたまま、溜息混じりに、かぶりを振った。 「ダメですぅ。あいつら、完全にダウンしちまってるですよ。  4人とも『気持ち悪い、アタマ痛い』って、朝食は食べたくないそうです」 「ええっ? あの部屋の全員が? どうしちゃったんだろう……。  夜中は冷え込んだから、風邪でもひいたのかな?」 心配そうな蒼星石の声に、その場の誰もが、不安な面持ちを浮かべた。 ただ一人……翠星石を除いて。 「風邪だったなら、まだ許せるです。まったくもうっ……あの連中ときたら!」 なにやら腹立たしげに捲し立てる彼女に、全員の奇異な眼差しが向けられる。 一体、あの4人に何があったのだろうか。 誰かが疑問を投じるより早く、翠星石の唇から、コトの次第が猛然と吐き出された。 「あいつら、明け方まで酒盛りしてたそうですよっ!  ドアを開けた途端、むわぁーっと酒臭くて、クラクラしちまったですぅっ」 「ああ……なんか、分かる気がするよ」 額に手を当てて項垂れる蒼星石に同調して、ジュンや巴も、やれやれと吐息する。 みっちゃんと水銀燈という『最凶うわばみ衆』が同室になった時点で、 この顛末は予測しておくべきだった。いや……するには、していた。 だが、真紅や金糸雀が一緒だからと、楽観していたフシもあったのである。 「真紅も金糸雀も、意外に乗せられやすいのよー」 ポツリと囁かれた雛苺の言葉が、ズバリ核心を衝いている。 『お酒の一杯も飲めないだなんて、真紅ってば、ホぉントお子さまねぇ♪  だから、いつまで経っても、胸が小さいままなのよぉ☆』 ――なんて、水銀燈にバカにされれば、真紅のことだ。 『そのくらい、どうってコトないのだわっ!』と、 売り言葉に買い言葉の挑発に乗って、一杯が、いーっぱいに……。 金糸雀の方は、もっと単純だろう。 幼少の頃から姉のように慕ってきたみっちゃんに飲酒を迫られ、断りきれず―― ――という展開が、誰の目にも浮かんだ。 「一応、酔いどめと栄養ドリンクは、ムリヤリ飲ませてきたですけど……  もう知らんです。おバカな連中には、付き合いきれねぇですよ」 翠星石は、蒼星石の隣りに座ると、わっしと箸を掴んだ。 「あぁん……もう腹ペコですぅ~。  あいつらの分まで、美味しい食事をむっはむっはと食べちまうですっ」 酷なようだが、それが正論。早く食べてしまわないと、片づけられてしまう。 異議を唱える者などおらず――唱えられる雰囲気でもなかった―― 大広間に吹き荒れる、盛大なる「いただきます」の嵐。 ダウンした4人のために、天ぷらなどを気持ちばかりに取り分けて、 残りはみんなで仲良く平らげてしまった。 朝食を済ませてしまうと、今度は手持ちぶさたな時間が訪れる。 当初の予定では、河原で遊んで、お昼にバーベキューを楽しむハズが…… 酔いつぶれた4人を置き去りにするワケにもいかず、計画は白紙撤回となった。 だが、そこは若い面々のこと。室内で、ボケボケと過ごしてなんていられない。 八月も末とは言え、暑い日射しの中に飛び出したい衝動は、抑えられなかった。 「――なのに。なぁんで私が、おめーと留守番しなきゃならんのです」 和室の窓辺に置かれた籐の椅子にちょこんと座っていた翠星石は、 中庭の池を眺めながら、不満の色も露わに、ぶちぶちと文句をたれた。 殆ど……と言うか、百パーセント八つ当たり。 膝を突き合わせて涼んでいた薔薇水晶は、無言かつ無表情のまま、翠星石を見つめた。 「なっ、なんです、その眼は。こっち見んなですっ」 「…………」 「だから見んなと――」 「…………」 「もうっ! なんとか言えですよっ!」 「……御館……さま」 「それ、山本勘助の真似です? 大河ドラマの見すぎですぅ」 翠星石に冷たく切り返されて、薔薇水晶は悲しそうに目を伏せた。 ウケるとまではいかずとも、失笑を買って、場を和ませられると思っていたのだろうか。 彼女は、何も言わず席を立つと、トボトボと部屋から出ていった。 「む……ちょっと可哀相だったですかねぇ」 一人っきりになると、そこはかとなく心細さが募る。 ジュンと巴、雛苺の買い出し組は、ポテチなどのお菓子を調達すべく、 車で市街のコンビニまで行っている。帰ってくるには、まだ暫くかかるだろう。 蒼星石は、オディールと雪華綺晶をつれて、フィールドワークの最中である。 オディールの来日には、日本の山野草を見学する目的もあったのだ。 そして、件の4人は依然として、酔いツブレたまま――ときている。 現状で話し相手になってくれるのは、薔薇水晶だけだった。 「はぁ……しゃーねぇです」 このままでは、なんとなく後味が悪い。広い部屋に居るのに、窮屈な気分がする。 やはり、適当に宥めておこう。そう思って、翠星石が腰を上げようとした矢先、 部屋のドアがゴン、ゴン、と強く叩かれた。 誰だろうか? 最も酔いの浅かった金糸雀が、復活したのかも知れない。 「はーいですぅ~」と返事をして、ドアを開ける。 ……と、そこには両手に缶ジュースを持った薔薇水晶が立っていた。 よく見ると、彼女の額の真ん中が赤い。 やけに激しいノックだと思ったら、どうやら、ヘッドバットだったようだ。 翠星石は不覚にもプフッと噴き出して、溢れそうになる笑みを、手で押し留めた。 けれど、小刻みに震える肩までは、抑えきれない。 「ときにモチツケ。翠ちゃん……きっと、ビタミンC不足」 薔薇水晶は、笑われていることなど気にも留めていない素振りで、 ずい! と、ジュースを差し出した。黄色いラベルは、C.C.レモンの証。 よく冷えているみたいで、缶が露を纏っていた。 お喋りで陽気な姉の雪華綺晶に比べ、薔薇水晶は寡黙で大人しい感じの娘である。 けれど、とても機転が利くし、トロそうな見た目に反して、行動力に溢れていた。 現に、こうして翠星石のために、ジュースを買ってくるほどだ。 「あ……ありがと、ですぅ」 軽く喉も渇いていたので、翠星石は素直に腕を伸ばした。 夏は、暑いし紫外線は強烈だしと、ビタミンCが多く消費される季節でもある。 些細なことでイライラしてしまうのも、冗談抜きに、ビタミンC不足かも知れない。 八つ当たりした気まずさを誤魔化すように、翠星石は冷たい液体を、一息に干した。 「んっ……んっ…………くぅぁ~っ! 喉がチリチリするですぅ~」 「なにも、イッキ飲みすることないのに」 「分かってねぇですねぇ。この爽快感を味わってこその、炭酸飲料なのですよ?  気の抜けた炭酸飲料なんて、ただの甘ったるい水でしかねぇですぅ」 「なるほど……言えてるね」 ニコッ。薔薇水晶は微笑んで、翠星石に倣い、炭酸をグイグイと喉に流し込んだ。 そして、はぁふ――吐息に紛れて、けふ……と小さく、おくびを漏らす。 「くすっ……お行儀の悪いヤツですぅ」 ビタミンC効果ではあるまいが、もう翠星石の表情に、先程の険しさはなかった。 薔薇水晶も心得たもので、如才なく話題を転じる。 「さっき見てきた様子だと、真紅たち……まだ、起きそうもないよね」 「うん? そう……ですね。それが、どうかしたです?」 「……お風呂、行かない? 今だったら、ちょっとなら目を離しても――」 「ああ、なぁるほど。いいアイディアですかもぉ」 どうせ、他にすることもなく、退屈していたところだ。 「温泉に来てるですから、湯治を楽しまなきゃ損ってもんですぅ」 「でしょ? と言うワケで……レッツゴー☆ハダカの触・れ・合・い♪」 「…………おかしな表現すんなです」 ぺしっ!  翠星石は薔薇水晶の頭を軽く叩いて、いそいそと入浴の支度を始めた。 入浴――と、口で言うのは簡単だが、翠星石みたいな髪の長い娘にとっては、 なかなかに大変なコトである。毛先まで髪をキレイに洗うのが大仕事だし、 湯船に身を浸すときも、頭の上で結っておかないと周りにダバーっと広がって、 はた迷惑この上ない事態になる。 おまけに、ドライヤーで髪を乾かすのも、長さ分だけ手間がかかるのだ。 まあ、それでも……髪を切る気なんて、更々なかったのだけれど。 「はふぅ~。いい気持ちですぅ~♪」 まだ午前中ということもあってか、利用客は、彼女たちだけだった。 髪と身体を洗い終えた翠星石は、浴槽に浸かって、首筋や肩をタオルで擦っていく。 なにを隠そう、この温泉――数ある効能の中でも特に、美肌効果を謳っている。 夏の暑い時期に、わざわざ温泉を選んだのも、翠星石が海の人混みを嫌ったこと、 加えて、玉のお肌を磨きたいという乙女ゴコロを満たさんがためだった。 こうして、いつもより多めに汗をかいていると、肌がツルツルになった気がする。 パシャリと胸元にかけた湯は、さらりと転がり落ちていった。 「周りは山に囲まれて静かですし、お料理も美味しいし……なかなか、いい温泉宿ですぅ。  敬老の日には、おじじとおばばも連れて、また来ましょうです」 鉱泉の効果に気をよくして、翠星石は、にこにこと独りごちる。 きっと、祖父母も喜んでくれるだろう。 彼らの笑顔を思い浮かべると、ますます、翠星石は嬉しい心持ちになった。 だけれど…… その時にはもう、最も居て欲しい人は――蒼星石は、遠くへ行ってしまっている。 また、満たされない想いを抱いて、胸を焦がしながら暮らすのかと思うと、 ウキウキしていた気分は、たちまち羽ばたく力をなくして、沈み始めた。 まるで、ロウで固めた翼を失い、墜落してゆくイカロスのように。 この夏休みは、本当に賑やかで、楽しくて、例年になく充実している。 でも、楽しい時間を重ねれば重ねるだけ、終わりの瞬間に対価を請求されるのだ。 それも、法外で……耐え難い苦痛と、放心するほどの悲しみを―― 遠からず訪れる、大好きな妹との離別。 イヤだ。いつまでも、ずぅっと一緒にいたい。 翠星石は、喉まで込みあげてきたワガママを、強引に呑み込んだ。 押し込めた本音が暴れて、ちょっぴり胸が痛かった。 「どうしたの? 怖い顔……してるのね」 「ふわっ?!」 思いがけず近い声に話しかけられて、翠星石は細い首を竦めた。 顔を巡らせば、いつからそうしていたのか、薔薇水晶がじぃ~っと見ていた。 問いかけていながら、既に全てを見透かしているような、いやらしい眼差しで。 「ちょ……ちょっと、のぼせたみてぇです」 翠星石は、ばったりとブチ当たった視線を、気まずそうに下げた。 すると、必然的に、薔薇水晶の豊かな双丘が視界に飛び込んでくるワケで…… 今朝も目にしていたが、改めて、その発育の良さに圧倒されかけた。 「気になる? 私の……おっぱい」 無意識のうちに、見比べていたのだろう。 問われて、翠星石は「ならねぇです」と、ぶっきらぼうに答えた。 でも、それが強がりであることは、当の翠星石が、一番よく知っている。 見た目――こと女の子らしさについては、どうしても対抗心を燃やしてしまうのだ。 誰だって、そう。あからさまに口にしないから、あまり表立たないだけ。 笑顔の裏では、ひっそりと優越感に浸ったり、激しい嫉妬にいきり立っていたり―― なかなかに複雑な感情が、深い闇を湛えて渦巻いている。 モチロン、薔薇水晶も、至って普通の女の子。 同い年の親友として、翠星石の本心は、手に取るように解っていた。 「ふふ……ねえ、知ってる?」 怪しい笑み。妖しい眼差し。これが勝者の余裕というモノか。 翠星石は眉間に深い縦皺を刻んで、まじまじと薔薇水晶を見つめた。 いったい、何が言いたいのだろう? 訊いてはいけないような、それでいて、訊いてみたいような。 暫し迷っていたけれど、翠星石は結局、好奇心に動かされてしまった。 「知ってるって――何を、です?」 「よゐこの……胸の育て方♪」 「はぁあっ?!」 素っ頓狂な声をあげる翠星石の目の前で、薔薇水晶がバチンと手を打ち鳴らす。 早い話が、猫だまし。虚を突かれ、翠星石は一瞬、茫然自失に陥った。 その間にも、薔薇水晶は合掌したまま、ナゾの呪文を詠唱する。 「チッチチッチ、おっぱーい……ボインボイーン」 「な、な……なんてこと口走ってやがりますか、おめーはっ!」 「もげ――――っ!!」 「ひぃっ」 やっと我に返ったのも束の間、またもや奇声の一喝で、翠星石は身を竦ませた。 そして、次の瞬間っ! 「……うりゃっ♪」 お茶目な掛け声と共に、薔薇水晶の両手が、翠星石の両胸を、わっしと掴んだ。 「き、きゃああぁぁあぁ――っ! な、なにしやがるです――っ!」 「お・ま・じ・な・い☆ ぼいんぼいーん♪」 「おバカ水晶っ! なにが、ぼい……やんっ……そんな……も、揉む……なですぅ!」 「……むむぅ。来てます……ハンドパワーです」 「こっ……こっ……この――」 どあほうが――――っ!! 雷鳴の如き怒声が、空を震わせ、水面を揺らす。 寸暇も待たず、めぎゃっ!! 途轍もなく鈍い殴打音が、浴室内に鳴り響いた。 その一連の威力は、窓辺で啼くセミすらも、ピタリと黙らせるほどだ。 再び、窓ガラス越しにセミの声が聞こえ始めた時―― そこには、両腕で胸を隠し、怒りに身を震わせる翠星石と、 『犬神家の一族』のワンシーンよろしく両脚を水面に突きだして浴槽に沈んだ、 薔薇水晶の姿があった。 例によって、翠星石のまさかりチョップが、薔薇水晶の側頭部を一撃したのだ。 「この、おバカ! そのまま、くたばっちまえですぅっ!」 助け上げるつもりなど毛頭ないらしく、翠星石は捨て台詞を吐いて、 頭からプンスカ湯気を立てながら、浴室から出ていった。 その数分後―― 薔薇水晶は、酔いざましの入浴に来た水銀燈とみっちゃんに発見され、 なんとか一命を取り留めた。 目を覚ますなり、彼女は介抱してくれた水銀燈たちに、こう呟いたという。 「この怨み……地獄に流しま…………せん」 今夜の予定は、みんなで肝試し。報復には、もってこいのシチュエーション。 薔薇水晶は金色の瞳を爛々と輝かせ、凄みのある笑みで、可憐な唇を歪めていた。    

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