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「『スタンド・バイ・ミー』」(2007/08/17 (金) 01:59:59) の最新版変更点
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<p><br>
カラン、コロン――</p>
<p><br>
<br>
カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。来客を告げる調べ……。<br>
それは、入り口に程近い私のテーブルに、暑く乾いた風を運んできた。</p>
<p><br>
<br>
「あ、居た居た。久しぶり~、待った?」</p>
<p><br>
足音が近付いてきたと思った途端の、問いかけ。<br>
私は、声の主が向かいのソファに落ち着くのを待って、答えを返した。</p>
<p><br>
「そうね……30分くらいかな」<br>
「えっ、ウソ? って言うか、来るの早すぎじゃないの?」<br>
「ふふ。そうかも」</p>
<p><br>
悪戯っぽくウインクして笑いかけると、彼女も漸く、気付いたらしい。<br>
私に、からかわれたことに。</p>
<p><br>
「なによ、もう……人が悪いわね」<br>
「ごめんなさい。ちょっと、はしゃぎすぎたみたい」</p>
<p><br>
かわいらしく唇を突きだす彼女の仕種は、高校の頃のまま――<br>
見た目は、すっかりOLしちゃってるのにね。</p>
<p><br>
<br>
「いらっしゃいませ。ご注文は、お決まりですか?」</p>
<p><br>
機を見計ったように、高校生らしいウエイトレスが、お冷やを運んできた。<br>
ショートカットのヘアスタイルが醸す活発そうなイメージどおりに、<br>
きびきびと訊ねてくる。緋翠の瞳がきれいな、可愛い女の子だった。<br>
<br>
「えっと……貴女も、私と同じでいい? うん。じゃあ、アイスコーヒーふたつ」<br>
「アイスコーヒーふたつで。はい、承りました」</p>
<p><br>
遠ざかるウエイトレスの背中を見送りながら、彼女は溜息を吐いた。</p>
<p><br>
「溌剌としてるわね。私たちにも、あんな時期があったっけ」<br>
「やだ……なに老けたこと言ってるの。貴女だって、まだ若いじゃない」<br>
「10代と20代の輝きは、似て非なるモノよ。<br>
永遠に取り戻せないと解ってるものに限って、欲しくなるものよね」<br>
「もう! 久しぶりの再会なんだから、湿っぽくしないでよ」</p>
<p><br>
彼女とは小学校からの親友だ。それからずっと、高校も大学も一緒だった。<br>
この子が就職して、都会に独り住まいを始めるまでは。<br>
ちょくちょく連絡は取り合っていたけれど、こうして会うのは、2年と4ヶ月ぶりだ。</p>
<p><br>
『今年は帰省できそうだから、会いましょうよ』</p>
<p><br>
メールで誘ってきたのは、彼女の方だった。<br>
だから、私も旧友との再会を、楽しみにしてきたのに――</p>
<p><br>
<br>
――ごめんね、ホント。<br>
そう呟いた彼女の表情は、どこか寂しげで、疲れているように見えた。</p>
<p><br>
「もう良いわよ。それより、元気ないみたいね。もしかして、夏バテ?」<br>
「ううん。そんなコトないのよ。ちょっと……ね」<br>
「ははぁん、分かった。恋の悩みでしょ?」</p>
<p><br>
言うと、彼女は目をまん丸くした。どうして分かったの? 瞳が、そう語っている。<br>
見くびらないで欲しいわね。私だって、伊達に何年も、貴女の友人やってない。<br>
どんな時に、どんな仕種をするのか、ちゃーんと把握しちゃってるんだから。</p>
<p><br>
「あっちで、いい人が見つかったの?」<br>
「え……まあ……」<br>
「なぁに? 煮え切らないのね。乗り気じゃないわけ?」<br>
「うーん。いい人……には違いないんだけど」</p>
<p><br>
――だけど。なに? こんな風に、歯切れの悪い話し方する子じゃなかったのに。<br>
私はテーブルに肘をついて、ぐいと身を乗り出した。<br>
だが、そこにタイミング良く(私的には悪く?)、先程のウエイトレスが、<br>
トレイに二つのコーヒーカップを載せ、運んできた。</p>
<p><br>
<br>
「おま、お待たせ……いたすましゅた」</p>
<p><br>
私たちの間に、ただならぬ気配を察して焦ったのかな。いま、思いっ切り噛んでた。<br>
そそくさとコーヒーカップを並べる時も、私たちにジロジロ見られまくって、<br>
トマトみたいに顔を真っ赤にしちゃってた。</p>
<p><br>
「ご、ごゆっくり!」</p>
<p><br>
娘は逃げるように立ち去ったが、赤面したまま、いそいそと戻ってきて、<br>
そぉーっと、テーブルの端に伝票を置いていった。</p>
<p>私と彼女は顔を見合わせ、どちらからともなく、くすくすと笑い出した。</p>
<p><br>
「可愛い子ね。イヂメてみたくなっちゃう」<br>
「よしなさいよ。それよりも、さっきの話の続きを聞かせて」<br>
<br>
カップにガムシロップを注ぎながら切り出すと、彼女はまたぞろ眉を曇らせた。<br>
そして、コーヒーをひと口、ブラックのまま飲むと、<br>
なにやら思い詰めた面持ちで、じぃ……っと私を見つめてきた。</p>
<p><br>
「これは、友だちから聞いたんだけど――」</p>
<p><br>
また、『だけど』だ。断定しない、様子見のための結語。<br>
人づきあいに溢れた都会で暮らすうち、口癖になってしまったのかしら。<br>
黙ったまま、真っ直ぐに瞳を合わせていると、彼女は観念したように肩を竦めた。</p>
<p><br>
「分かった。言うわ……言うわよ」<br>
「なにを?」<br>
「ねえ。あなた――彼と結婚するって、ホント?」</p>
<p><br>
私は、コーヒーをかき回す手を止めて、スプーンをソーサーに置いた。<br>
こういう噂話が広まるのは、本当に早い。当事者ですら驚かされるくらいに。<br>
彼女が急に会おうと言ってきたのは、これを確かめるためだったのね。</p>
<p><br>
「……本当よ」</p>
<p><br>
そう答えて、口に含んだコーヒーは、すごく甘かった。<br>
ちょっとガムシロップ入れすぎたみたい。<br>
続けてグラスの水を飲む私を眺めて、彼女は頬を弛めた。</p>
<p><br>
「そかそか。婚約指輪を填めてないから、もしかしたらって思ってたけど……<br>
とっても残念だわ。彼は、あなたに取られちゃったのね」<br>
「え? それって――」<br>
「ふふ……驚いた? 実はね、わたしも彼のこと好きだったのよ」<br>
<br>
それは、なんとなく察しがついていた。だって、女の子同士だもの。<br>
何事につけても引っ込み思案な私に比べて、彼女はずっと積極的だった。<br>
高校生の頃は、私たち、随分と彼をめぐって水面下で鎬を削っていたっけ。<br>
ただ、彼の方が鈍感すぎて、二人とも巧くいかなかったのよね。</p>
<p><br>
「あなたに負けたのは悔しいけど……でも、なんかスッキリした。<br>
やっぱり、会いに来て良かったわ」<br>
「そう?」<br>
「うん。お陰で、踏ん切りもついたし」<br>
「いい人……とのこと?」</p>
<p><br>
訊くや否や、彼女は頬を染めて、はにかんだ。要するに、満更じゃなかったのね。<br>
さっきの煮え切らない態度は、なんだったのやら。</p>
<p><br>
「彼、職場の先輩なの。歳は、わたしより3つ上でね。<br>
白崎さんって言うんだけど……気配りがよくて、頼もしくて――」<br>
「ああ、はいはい。つまり、好きってことなのね。<br>
彼――桜田くんと、天秤にかけたら釣り合ってしまうくらいに」</p>
<p><br>
私は甘ったるいコーヒーを一息に飲み干して、立て続けに水を飲んだ。<br>
面白くないから、ではなく、彼女に送るエールのつもりで。<br>
彼女の瞳には、どう映ったか分からないけれど……<br>
にこにこしてるから、私の気持ちは伝わったわよね、きっと。</p>
<p><br>
「決ーめた。わたし、彼のプロポーズ受けるわ」<br>
「されてたの?」<br>
「そうなの。お返事は、休み明けまで待ってって頼んだんだけど。<br>
今夜にでも、白崎さんに電話してみるわ」<br>
「善は急げ……ね。気が早いかも知れないけど…………おめでとう、由奈」<br>
<br>
私の祝福に、彼女も「あなたもね、巴」と、エールを返してくれた。<br>
こんなにも多くの人で溢れ返った地球の上で、<br>
こんな風に、お互いの幸せを、素直に喜び合える友だちに巡り会えた。<br>
それって、すごい偶然じゃない? とても貴重な、かけがえのない宝物だと思う。</p>
<p><br>
<br>
私は、コーヒーカップに唇を寄せる由奈に、知ってる? と問いかけた。</p>
<p><br>
「十二才の頃みたいな友人は、もう二度とできない――って、映画の台詞」<br>
「えっと……スタンド・バイ・ミー、だったかしら?」<br>
「正解。よく知ってたわね」<br>
「まぐれ当たりよ。それより、巴。ちょっと訊いてもいい」<br>
「え、なぁに?」<br>
「あなた…………どんな手を使って、あの鈍感な桜田くんを捕まえたの?」<br>
「――えぇっと」</p>
<p><br>
それを訊かれると、正直、答えにくい。<br>
合意の上とは言っても、決して、褒められたものじゃあないもの。<br>
でも、答えない限り、由奈は諦めてくれそうにないし――</p>
<p><br>
仕方がない。私は、右手で、そっとお腹を撫でた。</p>
<p><br>
「実は、さ……3……ヶ月、なの」<br>
「はぁっ?!」<br>
「ちょ……声が大きいわよ、由奈っ」<br>
「だって、その――――はぁ……やるわね、巴。<br>
おとなしい子ほど大胆だったりするけど……そかそか。できちゃった婚とはねぇ」</p>
<p><br>
由奈は『降参』と言わんばかりに両の掌を見せて、かぶりを振った。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
それから、小一時間ほど昔話に花を咲かせた。<br>
でも、私たちが築き上げてきた友情を語るには、その程度の時間じゃ足りない。</p>
<p><br>
「ねえ、由奈。もし迷惑じゃなかったら、今夜、うちに泊まりに来ない?」<br>
「わたしは迷惑じゃないけど……巴の方こそ、平気なの?」<br>
「平気よ。まだ、そんなに身重じゃないし」<br>
「――そうね。じゃあ、今晩、お世話になっちゃおうかな」<br>
「そうしなさいよ。子供の頃は、よくお泊まり会したよね」<br>
「うんうん。懐かしいね」</p>
<p><br>
<br>
なんだか、子供時代に戻ったみたいで、ワクワクしてくる。<br>
そうと決まれば、早速、場所を変えてしまおう。自宅の方が、なにかと気兼ねないし。<br>
会計は、由奈が払うと言って譲らないので、素直に奢られておいた。</p>
<p> </p>
<p><br>
<br>
<br>
カラン、コロン――<br>
</p>
<p> <br>
</p>
<p>カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。再会を告げる調べ……。</p>
<p><br>
<br>
私たち二人には、それが、気の早いウェディング・ベルのように聞こえていた。</p>
<p><br>
<br>
<br>
~Fin~<br>
</p>
<p><br>
カラン、コロン――</p>
<p><br>
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カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。来客を告げる調べ……。<br>
それは、入り口に程近い私のテーブルに、暑く乾いた風を運んできた。</p>
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「あ、居た居た。久しぶり~、待った?」</p>
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足音が近付いてきたと思った途端の、問いかけ。<br>
私は、声の主が向かいのソファに落ち着くのを待って、答えを返した。</p>
<p><br>
「そうね……30分くらいかな」<br>
「えっ、ウソ? って言うか、来るの早すぎじゃないの?」<br>
「ふふ。そうかも」</p>
<p><br>
悪戯っぽくウインクして笑いかけると、彼女も漸く、気付いたらしい。<br>
私に、からかわれたことに。</p>
<p><br>
「なによ、もう……人が悪いわね」<br>
「ごめんなさい。ちょっと、はしゃぎすぎたみたい」</p>
<p><br>
かわいらしく唇を突きだす彼女の仕種は、高校の頃のまま――<br>
見た目は、すっかりOLしちゃってるのにね。</p>
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<br>
「いらっしゃいませ。ご注文は、お決まりですか?」</p>
<p><br>
機を見計ったように、高校生らしいウエイトレスが、お冷やを運んできた。<br>
ショートカットのヘアスタイルが醸す活発そうなイメージどおりに、<br>
きびきびと訊ねてくる。緋翠の瞳がきれいな、可愛い女の子だった。<br>
<br>
「えっと……貴女も、私と同じでいい? うん。じゃあ、アイスコーヒーふたつ」<br>
「アイスコーヒーふたつで。はい、承りました」</p>
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遠ざかるウエイトレスの背中を見送りながら、彼女は溜息を吐いた。</p>
<p><br>
「溌剌としてるわね。私たちにも、あんな時期があったっけ」<br>
「やだ……なに老けたこと言ってるの。貴女だって、まだ若いじゃない」<br>
「10代と20代の輝きは、似て非なるモノよ。<br>
永遠に取り戻せないと解ってるものに限って、欲しくなるものよね」<br>
「もう! 久しぶりの再会なんだから、湿っぽくしないでよ」</p>
<p><br>
彼女とは小学校からの親友だ。それからずっと、高校も大学も一緒だった。<br>
この子が就職して、都会に独り住まいを始めるまでは。<br>
ちょくちょく連絡は取り合っていたけれど、こうして会うのは、2年と4ヶ月ぶりだ。</p>
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『今年は帰省できそうだから、会いましょうよ』</p>
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メールで誘ってきたのは、彼女の方だった。<br>
だから、私も旧友との再会を、楽しみにしてきたのに――</p>
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――ごめんね、ホント。<br>
そう呟いた彼女の表情は、どこか寂しげで、疲れているように見えた。</p>
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「もう良いわよ。それより、元気ないみたいね。もしかして、夏バテ?」<br>
「ううん。そんなコトないのよ。ちょっと……ね」<br>
「ははぁん、分かった。恋の悩みでしょ?」</p>
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言うと、彼女は目をまん丸くした。どうして分かったの? 瞳が、そう語っている。<br>
見くびらないで欲しいわね。私だって、伊達に何年も、貴女の友人やってない。<br>
どんな時に、どんな仕種をするのか、ちゃーんと把握しちゃってるんだから。</p>
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「あっちで、いい人が見つかったの?」<br>
「え……まあ……」<br>
「なぁに? 煮え切らないのね。乗り気じゃないわけ?」<br>
「うーん。いい人……には違いないんだけど」</p>
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――だけど。なに? こんな風に、歯切れの悪い話し方する子じゃなかったのに。<br>
私はテーブルに肘をついて、ぐいと身を乗り出した。<br>
だが、そこにタイミング良く(私的には悪く?)、先程のウエイトレスが、<br>
トレイに二つのコーヒーカップを載せ、運んできた。</p>
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「おま、お待たせ……いたすましゅた」</p>
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私たちの間に、ただならぬ気配を察して焦ったのかな。いま、思いっ切り噛んでた。<br>
そそくさとコーヒーカップを並べる時も、私たちにジロジロ見られまくって、<br>
トマトみたいに顔を真っ赤にしちゃってた。</p>
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「ご、ごゆっくり!」</p>
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娘は逃げるように立ち去ったが、赤面したまま、いそいそと戻ってきて、<br>
そぉーっと、テーブルの端に伝票を置いていった。</p>
<p>私と彼女は顔を見合わせ、どちらからともなく、くすくすと笑い出した。</p>
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「可愛い子ね。イヂメてみたくなっちゃう」<br>
「よしなさいよ。それよりも、さっきの話の続きを聞かせて」<br>
<br>
カップにガムシロップを注ぎながら切り出すと、彼女はまたぞろ眉を曇らせた。<br>
そして、コーヒーをひと口、ブラックのまま飲むと、<br>
なにやら思い詰めた面持ちで、じぃ……っと私を見つめてきた。</p>
<p><br>
「これは、友だちから聞いたんだけど――」</p>
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また、『だけど』だ。断定しない、様子見のための結語。<br>
人づきあいに溢れた都会で暮らすうち、口癖になってしまったのかしら。<br>
黙ったまま、真っ直ぐに瞳を合わせていると、彼女は観念したように肩を竦めた。</p>
<p><br>
「分かった。言うわ……言うわよ」<br>
「なにを?」<br>
「ねえ。あなた――彼と結婚するって、ホント?」</p>
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私は、コーヒーをかき回す手を止めて、スプーンをソーサーに置いた。<br>
こういう噂話が広まるのは、本当に早い。当事者ですら驚かされるくらいに。<br>
彼女が急に会おうと言ってきたのは、これを確かめるためだったのね。</p>
<p><br>
「……本当よ」</p>
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そう答えて、口に含んだコーヒーは、すごく甘かった。<br>
ちょっとガムシロップ入れすぎたみたい。<br>
続けてグラスの水を飲む私を眺めて、彼女は頬を弛めた。</p>
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「そかそか。婚約指輪を填めてないから、もしかしたらって思ってたけど……<br>
とっても残念だわ。彼は、あなたに取られちゃったのね」<br>
「え? それって――」<br>
「ふふ……驚いた? 実はね、わたしも彼のこと好きだったのよ」<br>
<br>
それは、なんとなく察しがついていた。だって、女の子同士だもの。<br>
何事につけても引っ込み思案な私に比べて、彼女はずっと積極的だった。<br>
高校生の頃は、私たち、随分と彼をめぐって水面下で鎬を削っていたっけ。<br>
ただ、彼の方が鈍感すぎて、二人とも巧くいかなかったのよね。</p>
<p><br>
「あなたに負けたのは悔しいけど……でも、なんかスッキリした。<br>
やっぱり、会いに来て良かったわ」<br>
「そう?」<br>
「うん。お陰で、踏ん切りもついたし」<br>
「いい人……とのこと?」</p>
<p><br>
訊くや否や、彼女は頬を染めて、はにかんだ。要するに、満更じゃなかったのね。<br>
さっきの煮え切らない態度は、なんだったのやら。</p>
<p><br>
「彼、職場の先輩なの。歳は、わたしより3つ上でね。<br>
白崎さんって言うんだけど……気配りがよくて、頼もしくて――」<br>
「ああ、はいはい。つまり、好きってことなのね。<br>
彼――桜田くんと、天秤にかけたら釣り合ってしまうくらいに」</p>
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私は甘ったるいコーヒーを一息に飲み干して、立て続けに水を飲んだ。<br>
面白くないから、ではなく、彼女に送るエールのつもりで。<br>
彼女の瞳には、どう映ったか分からないけれど……<br>
にこにこしてるから、私の気持ちは伝わったわよね、きっと。</p>
<p><br>
「決ーめた。わたし、彼のプロポーズ受けるわ」<br>
「されてたの?」<br>
「そうなの。お返事は、休み明けまで待ってって頼んだんだけど。<br>
今夜にでも、白崎さんに電話してみるわ」<br>
「善は急げ……ね。気が早いかも知れないけど…………おめでとう、由奈」<br>
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私の祝福に、彼女も「あなたもね、巴」と、エールを返してくれた。<br>
こんなにも多くの人で溢れ返った地球の上で、<br>
こんな風に、お互いの幸せを、素直に喜び合える友だちに巡り会えた。<br>
それって、すごい偶然じゃない? とても貴重な、かけがえのない宝物だと思う。</p>
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私は、コーヒーカップに唇を寄せる由奈に、知ってる? と問いかけた。</p>
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「十二才の頃みたいな友人は、もう二度とできない――って、映画の台詞」<br>
「えっと……スタンド・バイ・ミー、だったかしら?」<br>
「正解。よく知ってたわね」<br>
「まぐれ当たりよ。それより、巴。ちょっと訊いてもいい」<br>
「え、なぁに?」<br>
「あなた…………どんな手を使って、あの鈍感な桜田くんを捕まえたの?」<br>
「――えぇっと」</p>
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それを訊かれると、正直、答えにくい。<br>
合意の上とは言っても、決して、褒められたものじゃあないもの。<br>
でも、答えない限り、由奈は諦めてくれそうにないし――</p>
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仕方がない。私は、右手で、そっとお腹を撫でた。</p>
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「実は、さ……3……ヶ月、なの」<br>
「はぁっ?!」<br>
「ちょ……声が大きいわよ、由奈っ」<br>
「だって、その――――はぁ……やるわね、巴。<br>
おとなしい子ほど大胆だったりするけど……そかそか。できちゃった婚とはねぇ」</p>
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由奈は『降参』と言わんばかりに両の掌を見せて、かぶりを振った。<br>
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それから、小一時間ほど昔話に花を咲かせた。<br>
でも、私たちが築き上げてきた友情を語るには、その程度の時間じゃ足りない。</p>
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「ねえ、由奈。もし迷惑じゃなかったら、今夜、うちに泊まりに来ない?」<br>
「わたしは迷惑じゃないけど……巴の方こそ、平気なの?」<br>
「平気よ。まだ、そんなに身重じゃないし」<br>
「――そうね。じゃあ、今晩、お世話になっちゃおうかな」<br>
「そうしなさいよ。子供の頃は、よくお泊まり会したよね」<br>
「うんうん。懐かしいね」</p>
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なんだか、子供時代に戻ったみたいで、ワクワクしてくる。<br>
そうと決まれば、早速、場所を変えてしまおう。自宅の方が、なにかと気兼ねないし。<br>
会計は、由奈が払うと言って譲らないので、素直に奢られておいた。</p>
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カラン、コロン――<br>
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<p>カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。再会を告げる調べ……。</p>
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私たち二人には、それが、気の早いウェディング・ベルのように聞こえていた。</p>
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<br>
<br>
~Fin~<br>
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