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1947.4.19 未明<br>
“兎の砦”</p>
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LM計画――それは、真紅が初めて耳にする言葉だった。<br>
それも、当然のことだ。国家的な極秘プロジェクトを、一個人が知る術はない。<br>
たとえRM計画の主任だった男の娘であっても、例外ではなかった。</p>
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「槐さん……その、LM計画って、なんなの?」<br>
「LMとは――」</p>
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槐は、まるで禁忌の呪詛の詠唱を躊躇うかのように、暫し、口を噤んだ。<br>
室内が静寂で満たされ、僅かな仕種の衣擦れでさえ、ハッキリ聞こえる。<br>
真紅は、逸る気持ちを抑えながら、槐の言葉を待ち続けていた。</p>
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「LMとは『Laplace Material』の頭文字なのだよ」<br>
「ラプラス……素材?」<br>
「真紅。君は、ラプラスの悪魔という言葉を、聞いたことがあるかい?」</p>
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彼の問いに、真紅は首を横に振る。だいたい、悪魔だなんて縁起でもない。<br>
それが当然の反応と言わんばかりに、槐は頷いた。</p>
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「ラプラスの悪魔とは、物理学で使われる言葉だよ。<br>
現在の状態によって、未来は既知のものだとする思想を、決定論と言う。<br>
その決定論で仮想される超越的存在を、ラプラスの悪魔と呼ぶんだ」<br>
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そんな解説をされても、寧ろ、余計に混乱してしまう。<br>
真紅は槐の言葉を反芻しながら、理解しようと努めた。</p>
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「LM計画って、まさかその悪魔を呼び覚まして、戦況を逆転しようという企み?<br>
現状で未来が解るなら、その逆だって可能なのだわ。<br>
希望する未来に繋がる現実を、選ぶことも可能よね」<br>
「道理だな。LM計画の理想は、概ね、君の考えた通りだ」</p>
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満足そうに微笑む、槐。けれど、その笑みは長く続かない。<br>
彼は真紅の青い瞳を鋭い目で見据えながら、再び、言葉を紡ぎだした。</p>
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「本来、戦争は政治的な解決を得るための、ひとつの手段。根は、同じなのだよ。<br>
クラウゼヴィッツも、著書の中でそう語っている。<br>
では……戦争を終わらせるためには、どうすれば良いと思う?」<br>
「少なくとも、敵を殲滅するのは、愚行なのだわ。<br>
対外的ストレスが失われれば、民衆の不満は自国の政治へと矛先を変えるもの。<br>
その他、貿易などにおいても、損失の方が大きいでしょうね」<br>
「そうだ。隣国を滅ぼせば、やがて自国も滅びる。それは歴史も証明していることだ。<br>
いつの時代でも、国家同士が対等に付き合って行かねば、繁栄など望めないのさ」</p>
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真紅にも、だんだんとLM計画の目的が見えてきた。<br>
ラプラスの悪魔というのは通称で、実のところは、強力な新兵器なのだろう。<br>
悪魔と冠するあたりに、凶悪な大量破壊兵器の気配を感じた。</p>
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「なるほど。敵を滅ぼさずに、戦争にも負けない方法と言えば――和睦ね。<br>
敗北必至の戦況を一転できれば……講和を呼びかけることも可能だわ」<br>
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45年当時、政府首脳の方針は概ね、真紅の考えたとおりだった。<br>
新たなエネルギー資源の確保。そして、強力な新兵器を後ろ盾に、<br>
可能な限り有利な条件で、連合国側と講和を結ぼうと企んでいたのである。<br>
それこそが、最悪な結末を回避する、唯一の方法だった。</p>
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けれど、その企みは父ローゼンと、コリンヌ=フォッセー博士の失踪により潰え、<br>
ベルリンに殺到するソ連軍を前に、ヒトラーは地下壕にて拳銃自殺。<br>
次期総統に潜水艦隊司令長官カール=デーニッツが就いたが、<br>
もはや無条件降伏を待つばかりだった。</p>
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ローゼンが、自動人形の軍団を率いて、全人類に戦争を挑むまでは――</p>
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「お父様は、どうして……人類を滅ぼそうとするのかしら」</p>
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憔悴と疲労を顔に滲ませ、真紅はソファに身を沈め、項垂れた。<br>
自分の娘すらも敵に回して、いったい、何をしようと言うのか。</p>
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槐は、苦悩する彼女を、同情の眼差しで見つめていた。<br>
自分の父親に抗い、事によれば、その手で父の命を奪わねばならない。<br>
うら若い乙女が背負うには、あまりにも過酷な試練だ。</p>
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「師は、おそらく……ホモ=サピエンスという種族に失望したのだろう。<br>
肌の色、文化の違い、宗教という思想の対立……。<br>
有史以来、人類は血なまぐさい闘争の歴史を刻み続けてきた。<br>
その根元が、遺伝子という箱船に組み込まれたプログラムだとしたら、<br>
もう変えることなど出来ないのさ。<br>
……新たな人類を、誕生させる以外にはね」<br>
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新たな人類……という単語に、真紅が機敏な反応を見せた。<br>
かつて、父の口から語られた名詞が、彼女の頭に閃いたのだ。</p>
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「まさかっ! オリジナル・ローゼンメイデン?!」</p>
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断言は出来ないが、と前置き、青年は言葉を継いだ。</p>
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「遺伝子を辿っていくと、人類のルーツは、アフリカに居た一人の女性だという。<br>
ミトコンドリア・イブと呼ばれる存在だよ。<br>
もしかしたら、師は新たなミトコンドリア・イブとして、究極の少女を……<br>
オリジナル・ローゼンメイデンを生み出そうとしているのかも知れない」</p>
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自動人形たちの原型、オリジナル・ローゼンメイデン。<br>
真紅ですら、実際にその姿を見たことはない。<br>
父の失踪後、手懸かりを求めて書斎を探索していたときに覚え書きを見付け、<br>
それによって初めて、オリジナルの存在を知ったのだ。</p>
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「お父様は、人類を滅ぼして、新たな人種による世界を創ろうとしているの?<br>
そんな…………なんて傲慢な!」</p>
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それっきり口を噤むと、真紅は両手で頭を抱えて、くしゃくしゃと髪を掻き乱した。<br>
槐は、ソファに歩み寄って、丸められた彼女の小さな背中を、そっと撫でた。</p>
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「疲れただろう。部屋まで案内させるから、今夜はもう休みたまえ」<br>
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<p>内線で呼び出された薔薇水晶は、イヤな顔ひとつせず、真紅を案内してくれた。<br>
そもそも、彼女は表情に乏しく、口数も少ない。<br>
よく言えば、お淑やか。悪く言えば、無愛想。<br>
この娘に、真紅の仲間たちのような姦しさは、全くなかった。</p>
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「こっち……」</p>
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先導していた薔薇水晶が、通路の一方を指差し、さっさと歩いていってしまう。<br>
真紅は小走りに、彼女の後を追いかけた。<br>
そして、二人は窮屈な連絡通路から、広々とした空間へと抜け出した。<br>
アリの巣状のアジトを想像していた真紅にとって、この変化は充分、驚愕に足るものだった。</p>
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「ここって、集会所みたいなもの?」</p>
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訊くと、薔薇水晶は肩越しに振り返り、こくりと頷く。<br>
つくづく愛想のない娘だ。真紅が胸中で苦笑した折りも折――</p>
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「しん……く?」</p>
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いかにも怖々と言った感じの、控えめな声が、彼女を呼び止めた。<br>
こんな所で、誰が?<br>
意外に思いつつ振り返った先には、眉を曇らせ彼女を見ている娘が、ひとり。<br>
その少女は真紅だと判明するや、不安そうだった表情を一変させ、しがみついてきた。<br>
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「やっぱりなのっ! 真紅っ! 真紅ぅー!!」<br>
「あっ、貴女……雛苺っ。無事だったのね!」<br>
「うんっ。ヒナは、このとおり元気なのよ」</p>
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雛苺は、真紅と同じ街区に住んでいた娘で、幼なじみだった。<br>
真紅と同じ歳なのだが、昔から、雛苺は妹みたいな存在である。<br>
小柄な少女と抱擁を交わし、真紅は懐かしそうに、彼女の柔らかい金髪を撫でた。</p>
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「ずっと、貴女のことを心配していたのだわ。<br>
私が出撃した数日後に、連合軍の無差別爆撃があったと聞いていたから。<br>
貴女のご両親にも、挨拶がしたいわ。どちらに、いらっしゃるの?」</p>
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途端、真紅の腕の中で、雛苺はピクリと身体を震わせ、徐に嗚咽を漏らし始めた。<br>
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「……あのね。ヒナのお家…………焼けちゃったの。無くなっ……ちゃったの。<br>
ヒナの……パパとママも、たくさんの思い出も、みんな……燃えちゃったのよ」</p>
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今度は、真紅が息を呑む番だった。<br>
雛苺の両親は温厚な人たちで、真紅のことを、実の娘のように可愛がってくれた。<br>
真紅が戦場に赴くと知ったときには、ひどく悲しんで、無事を祈ってくれたものだ。<br>
だから、真紅も、雛苺と彼女の両親を、家族のように慕っていた。<br>
それなのに――――</p>
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「ごめんなさい、雛苺。辛いことを、思い出させてしまったわね」<br>
「……真紅は悪くないの。悪いのは、戦争を始めた人たちなのよ。<br>
ヒナ、戦争なんて……だぁいっキライ!」<br>
「私だって、戦いたくなんてないわ」</p>
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呟いた真紅の表情は、苦痛に歪んでいた。<br>
彼女たちの想いを嘲笑うように、戦争は、まだ続いていくだろう。<br>
しかも、その泥沼を創り出したのは、他でもない真紅の実父なのだ。<br>
雛苺の嗚咽に責め苛まれて、心にズキズキと痛みを感じた。<br>
唇を引き結び、歯を食いしばって堪えていたけれど――</p>
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不覚にも、強張った真紅の頬を、一筋の滴が流れ落ちた。<br>
今まで張り詰めていた緊張の糸が、フッ……と切れてしまった気がした。</p>
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「ごめんなさい…………本当に……ごめん…………なさい」</p>
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一度、堰を切ったように溢れた涙は、止めようもなく彼女の頬を濡らし続ける。<br>
その頬に触れる、雛苺の温かい指先。<br>
彼女はしゃくり上げながら、両手で真紅の頬を包み込んでいた。</p>
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「……真紅ぅー。戦争は、いつまで続くの?<br>
ヒナたちは、いつまで地下に隠れ住まなければいけないの?」</p>
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潤んだ瞳を、ひたと向けてくる雛苺に、真紅は答えることができなかった。<br>
ただ一人を除いて、確かなことは言えないだろう。<br>
この戦争を終わらせる術は、彼女の父、ローゼンだけが握っているのだから。</p>
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もはや交わす言葉もなく、優しい抱擁を交わし、愁眉を寄せ合う二人の少女。<br>
薔薇水晶は何も言わず、鋭い光を湛えた琥珀色の瞳で、真紅を見据えていた。<br>
どこか敵意のある、冷たい眼差しで――</p>
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――∞――∞――∞――∞――</p>
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1947.4.19</p>
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今夜は、もうひとつ書くことが出来たわ。<br>
雛苺が生きていてくれたのよ。<br>
会えて、よかった。本当に、嬉しい。</p>
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だけど……喜んでばかりは、いられなかった。<br>
彼女のご両親が、亡くなったという――</p>
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――∞――∞――∞――∞――</p>
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