「幕間1 『恋文』」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「幕間1 『恋文』」(2008/03/24 (月) 00:20:47) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
<p> <br />
<br />
ひとりの乙女が綴った、手紙。<br />
想いを包み込んだ、日焼けした封筒は、いま――<br />
知り合って間もない、純朴そうな男性の手の中に横たわり、眠りに就いている。</p>
<p> <br />
遠くて高い青空に、真一文字の白線が、引かれてゆく。<br />
彼は、その飛行機雲を目で追いながら、ふぅん……と、呻るように吐息した。<br />
そんな彼の横顔を見つめながら、私は温いコカ・コーラを口に含む。<br />
ワインのテイスティングをするみたいに、そっと舌先で転がすと、しゅわぁ……<br />
弾ける泡の音が、耳の奥で、蝉時雨とひとつに溶けあった。</p>
<p> <br />
<br />
「大きなお屋敷に住んで、お抱えの運転手がいたり、使用人を雇ったり……<br />
話を聞いてる限りじゃあ、君の家は、随分と資産家だったんだね」</p>
<p> <br />
やおら口を開いたかと思えば、その三秒後。<br />
彼はいきなり、あっ! と大きな声をあげて、気まずそうに頭を掻いた。<br />
本当に突然だったので、私は危うく、飲みかけのコーラで咽せ返りそうになった。</p>
<p> <br />
「ごめんな。だった――なんて過去形は、とんでもなく無礼だよね。<br />
……ダメだなぁ、僕は。どうにも口が下手で、よく失敗するんだ」<br />
「いいえ……気にしてませんよ。実際に、零落した家柄ですから」</p>
<p> <br />
私の言葉は、決して謙遜でも、彼を気遣ってのことでもなかった。<br />
かつての土地や屋敷は、戦後の混乱で、他人の手に渡ってしまったのだから。<br />
他人様に胸張って『資産』ですと誇れるモノなんて、本当に、何もなかった。</p>
<p> <br />
<br />
<br />
幕間1 『恋文』</p>
<p> <br />
<br />
<br />
少しばかり、気まずい空気。私も彼も、相手の言葉を待つばかり。<br />
木陰のベンチに並んで座ったまま、汗ばむ肌を、吹き抜ける熱い風に晒していた。</p>
<p> <br />
どれほどか――私が一本目のコーラを飲み干してしまうくらいの時間が経って、</p>
<p> <br />
「よかったら、教えて欲しいんだけど」<br />
やっと、彼は口を開いてくれた。「ひいお祖父さんは、どんな仕事を?」</p>
<p> <br />
別段、秘密にするようなコトでもない。私は正直に答えた。</p>
<p> <br />
「小さい頃から、お祖母様に繰り返し聞かされてきた話ですと、<br />
曾祖父は、海運会社を立ちあげ、一代で財をなした傑物だったそうです」<br />
「海運かぁ。世界大恐慌が1929年10月以降のことだから……<br />
1932年当時といったら、海運業も厳しい時代じゃなかったのかな」<br />
「ところが、そうでもなかったみたいですよ。<br />
フランスは、イギリスやアメリカ同様、ブロック経済政策を採りましたから。<br />
曾祖父の会社は、本国とマダガスカルを結ぶ航路で収益をあげていたみたい」</p>
<p> <br />
彼は「なるほどなぁ」と顎のラインに指を滑らせ、頻りに頷いていた。<br />
それにしても、この人……見かけは凡庸だけど、なかなか知的なのね。<br />
すらっと年代が出てくるあたり、世界史の知識は、それなりにあるらしい。<br />
私は彼に促されて、昔話を続けた。</p>
<p> <br />
「少し、時間を遡ります。1930年のことだったと、お祖母様は仰ってました。<br />
事業の拡大を考えていた曾祖父の元に、一人の日本人青年が訪ねてきたそうです」<br />
「日本人…………そうか! それが、この【Yuibishi】氏だね?」<br />
「ええ。彼は日本の財団経営者で、新しい事業を興そうと考えていました」</p>
<p> <br />
当時、世界大恐慌の影響で、日本でも昭和恐慌という事態に陥っていたと聞く。</p>
<p>ただでさえ、ブロック経済により高い関税障壁が立ちふさがっているのに、<br />
対外貿易を展開しようだなんて、分の悪い賭博もいいところだわ。<br />
どう考えてもハイリスク・ローリターン。最悪ノーリターンという場合も……。<br />
堅実な商売人ならば、絶対に頚を縦には振らなかった筈よね。</p>
<p><br />
「事業提携を持ちかけた訳だね。結果は、どうだったんだい?」<br />
「それはもう、トントン拍子に。曾祖父にとっても、渡りに船でしたから。<br />
異国からの客人を自宅に宿泊させて、もてなしたそうです」<br />
「君のお祖母さんも、その時に【Yuibishi】氏と会ってたんだな」<br />
「……はい。その当時、お祖母様は14歳。青年は18歳だったと――<br />
お互いに歳が近く、青年がフランス語に堪能だったことも手伝って、<br />
二人はすぐに打ち解け…………淡い恋心を抱くようになりました」</p>
<p><br />
「すると――」彼は手にしていた封筒を、ひらりと振った。「これって、まさか」<br />
彼が言わんとする事は、私にも解った。</p>
<p><br />
「多分、あなたが考えているとおりでしょう。それはラブレターです。<br />
二人は離ればなれになっても、頻繁に便りを出し合っていました」</p>
<p><br />
そして……と、私は75年の歳月が染み込んだ封筒を指差して、告げた。<br />
「それが、二人の間で交わされた、最後の手紙だったんです」</p>
<p><br />
最後という単語に興味をそそられたらしく、彼は瞳を輝かせた。</p>
<p><br />
「ちょっとだけ、この手紙……読ませてもらっても、いいかな」</p>
<p><br />
どうぞ、と。私は気軽に応じた。<br />
便箋を抜き出して、慎重に広げた彼は、やおら眉を顰めて呻った。<br />
「これって、どこの言葉だろう? アラビア語……とか?」<br />
<br />
読めなくて当前。ブルーブラックのインクで綴られた文章は、フランス語よ。<br />
ただし、鏡に映さなければ読めない、逆さ文字だけどね。<br />
私は、困り顔の彼を眺めて、堪えきれなかった笑みを、クスッと漏らした。<br />
そして、笑ったお詫びに、手紙の内容を諳んじてあげた。</p>
<p> <br />
<br />
私のカラダが醜く老いさらばえ、朽ち木の如く滅びようとも――<br />
私のココロは必ず、その骸を苗床にして、新たな命を芽吹きます。<br />
いつまでも……それこそ未来永劫、あなたを想い続けるでしょう。<br />
いつか、この胸に宿した片想いが、あなたに届くと信じたままに。</p>
<p> <br />
<br />
けれど……もしも――<br />
私の醜い本性を、あなたが知ってしまった時は……どうなってしまうの?<br />
私の声に、あなたが応えてくれなくなった時は……どうなってしまうの?<br />
仮定を仮定で補って――絵空事を描くことだけ、ひとり上手になってゆく。</p>
<p> <br />
<br />
怖い。とても……恐い。<br />
カラダが朽ち果てて、ひと握りの土に還ることよりも――<br />
ココロの死と共に、大切に温めてきた想いが、滅びてしまうことが。<br />
幸せも、歓びも、すべてが空虚な幻だったと、解ってしまうことが。</p>
<p> <br />
<br />
愛しています。<br />
愛して下さい。<br />
ぐるぐると――それこそ未来永劫、二人の想いが廻るだけ。<br />
それが、私の望む世界の、すべて。</p>
<p> <br />
<br />
「――と、書かれているんです。悲壮で、いかにも最後って感じですよね?<br />
まあ、ともかく……お話を続けましょうか。古い古い、夢のお話を――」</p>
<p><br />
彼は無言で頷いた。蝉時雨の合間に、ごくり……と、喉の鳴る音が聞こえた。<br />
<br />
<br /></p>
<hr />
<br />
<br />
幕間1 終
<p> <br />
<br />
【3行予告?!】</p>
<p> <br />
二人を繋ぐ糸が見えたらいいねと、目を閉じた微笑みを、今も憶えてる――<br />
ふとした小さなキッカケが、大きな変化をもたらすことは、よくあります。<br />
水面に落とした礫が、波を生んで、岸辺の土を抉りとってしまうように。</p>
<p> <br />
次回、第五話 『Dear My Friend』<br />
<br />
</p>