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「幕間2 『azure moon』」(2008/05/16 (金) 00:15:36) の最新版変更点
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<p> <br />
<br />
「――好きな人は、いますか?」</p>
<p> <br />
なんの前触れもなく話を切ったかと思えば、いきなりすぎる質問。<br />
僕は返答に困って、ちょっとの間、この場に相応しいだろう言葉を探していた。<br />
『はい』か『いいえ』の、どちらかを選ぶだけなのに、だ。</p>
<p> <br />
「うん……まあ、ね」<br />
「もしかして、恋人さんですか?」</p>
<p> <br />
これまた、矢継ぎ早な切り返し。答えにくいことばかり、ズケズケと訊いてくる。<br />
再び、僕は二択問題で迷った。答えは『いいえ』しか無いのに、だ。<br />
そうさ。僕は未だかつて、恋人と呼べる女性に、巡り会ったためしがない。<br />
片想いなら、それこそ両手の指じゃ足りないくらい、経験してきたんだけどね。</p>
<p> <br />
男としての意地――みたいな、ちっぽけなプライドも、あったんだと思う。<br />
年齢=彼女居ない歴じゃあ、少し……いや、かなり格好悪いから。<br />
それも、こんな可愛らしい女の子を前にしてなら、尚更じゃないか。</p>
<p> <br />
「うん……まあ、ね」</p>
<p> <br />
バカだな、僕は。いい歳して、こんな見栄っ張りなウソを吐くなんて。<br />
おまけに答え方まで、まるっきり同じときてる。</p>
<p><br />
――だけど、結果的には、マヌケを演じるのも良かったみたいだ。<br />
何故って? それはね……彼女の、本当に楽しそうな笑顔を、見られたからだよ。</p>
<p> <br />
<br />
<br />
幕間2 『azure moon』</p>
<p> <br />
</p>
<p> <br />
不器用なヒトね。ひと頻り笑ったあと、彼女は指の背で眦の涙を拭いながら言った。<br />
やっぱり、僕の浅はかな見栄なんか、お見通しらしい。<br />
だからこそ『不器用』という単語を、わざわざ引っぱり出してきたんだろう。<br />
彼女なりの思いやりで、ウソだと断罪しないままで。</p>
<p> <br />
ああ、そうだよ。確かに、僕は要領よくないし、思慮の足りないところもあるさ。<br />
自分なりに一生懸命のつもりでも、手抜かりがあったり、裏目に出たり……<br />
そんな失敗談は、枚挙に暇がない。自慢できるコトじゃあ、ないけどね。</p>
<p> <br />
如才なく立ち回れる人間だったなら、僕はいま、ここに居ないと思う。<br />
両手に華の生活で、悠々自適な人生を送っていたかも知れない。<br />
そして、この初対面の女の子とも、こんな風に話をしてなかったはずだ。</p>
<p> <br />
<br />
――まあ、もしも……の妄想に浸るのは、またの機会にしよう。<br />
このまま黙っているのも、負け犬の烙印を押されたみたいで、惨めになる。<br />
だから僕は、僕なりに、僕自身を擁護しようと思った。</p>
<p> <br />
「あの――」</p>
<p> <br />
頭上から降ってくる葉擦れと、喧しいアブラゼミの声で埋もれそうになる中で、<br />
気後れしたような細い声が、紡ぎ出される。</p>
<p> <br />
それは、僕が放った声じゃなかった。</p>
<p> <br />
「ごめんなさい。なんだか、不快にさせてしまったみたい」<br />
「どうして、そう思うんだい?」<br />
「だって…………急に、黙ってしまうんですもの」</p>
<p> <br />
なるほど、そういうことか。また、変に気を遣わせてしまったな。<br />
僕は、いつもの癖で髪に手を遣りながら、頭を下げた。<br />
<br />
「ごめんな。腹を立ててたんじゃないんだよ。ただ――<br />
なにを話したらいいのか、言葉に詰まってしまって」</p>
<p> <br />
僕は、あまり口が上手じゃないから。そう告げると、彼女は「よかった」と。<br />
本当に、それだけを呟いて、安心したように微笑みを浮かべた。<br />
彼女の肩から力が抜けていく様子が、はっきりと見て取れた。</p>
<p> <br />
「不器用で、口下手で……。<br />
やっぱり、あなたは私の見立てどおりの、良い人でしたね」<br />
「え? どういうことだい?」<br />
「そのままの意味です。他人を騙したり、貶めたりできない人って意味」<br />
「……ああ」 </p>
<p> <br />
なるほど。そう考えたら、不器用な口下手も、満更でもない。<br />
利口に生きれば損も少ないだろうけど、損することで掴める得もある。<br />
そうだ。この娘との出会いも、損がもたらした得と……言えなくもないな。</p>
<p> <br />
夏の暑さに包まれながら、僕の体温が、ちょっとだけ上がるのを感じた。<br />
良い人、か――そんなこと言われたのは、初めてじゃないかな。<br />
お世辞と分かっていても気恥ずかしかったし、すごく嬉しかった。<br />
不意に、恋に落ちてしまうほどに。</p>
<p> <br />
ありがとう。その言葉が、するりと口を衝いて出ていた。<br />
彼女は、屈託ない微笑みを僕に向けながら、どういたしまして。<br />
そう言って、笑顔のまま、まだ暮れそうもない午後の夏空を見上げた。</p>
<p> <br />
「――あ。セミの抜け殻があるわ」<br />
「どこだい?」<br />
「ほら、あそこよ」<br />
<br />
彼女が指差してくれた先を辿ると、僕らの頭上を覆う枝の先端に――<br />
緑も鮮やかな葉っぱの裏に、枯れ葉みたいなモノが、しがみついていた。</p>
<p> <br />
「本当だ。あんな細い枝の先まで、よく行ったものだなぁ」</p>
<p> <br />
少し高いけれど、ジャンプすれば、なんとか手が届きそうだ。<br />
僕はベンチを立って、彼女のために、葉っぱごとセミの抜け殻を取ってあげた。<br />
女の子だから気持ち悪がるかと思いきや、彼女は嬉々として、それを手にした。</p>
<p> <br />
「それにしても、よくセミの抜け殻だって知ってたね。<br />
ヨーロッパにセミは居ないって、誰かに聞いた憶えがあったんだけど」<br />
「あら、ご存知ないの? 南フランスにも、セミは居ますよ。<br />
『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルも、南フランスで研究をしたんです。<br />
それに私、小さい頃は、日本にも住んでいましたから」<br />
「あ、ああ……それでか。どうりで、日本語が上手な訳だ」</p>
<p> <br />
今更だけど、いろいろと納得した。僕らは所詮、行きずりの関係だってことも。<br />
そもそも、ほんの数時間前まで、まったくの赤の他人同士だった二人が、<br />
こうして親しく会話をしていること自体、考えてみれば奇異な縁だ。</p>
<p> <br />
――でも、だからこそ……なんだろうな。<br />
見ず知らずの関係だからこそ、気さくに話せることって、あると思う。<br />
知人に明かすのは憚られる話題も、他人になら、小説感覚で打ち明けられるものさ。<br />
別れたら、また他人同士。二度と会わないだろうから、後腐れもない――ってね。</p>
<p> <br />
「……抜け殻……からっぽの器」</p>
<p> <br />
掌に載せたセミの抜け殻を眺めながら、彼女は、謎めいた言葉を口にした。<br />
そして、茫乎とした蒼い瞳を、遙か虚空へと彷徨わせる。<br />
彼女の視線の先……真夏の蒼穹には、空色の月が、白々と輝いていた。<br />
<br />
<br /></p>
<hr />
<br />
<br />
幕間2 終
<p> <br />
<br />
【3行予告?!】</p>
<p> <br />
懐かしい痛みだわ。ずっと前に、忘れていた――<br />
一枚の写真を目にした時から、彼女の時計は、ほんの少し巻き戻された。<br />
それは、幸せなことなんだろうか。僕には、苦痛でしかないように思えるけど。</p>
<p>次回、第九話 『キヲク』<br />
<br />
</p>
<p> <br />
<br />
「――好きな人は、いますか?」</p>
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なんの前触れもなく話を切ったかと思えば、いきなりすぎる質問。<br />
僕は返答に困って、ちょっとの間、この場に相応しいだろう言葉を探していた。<br />
『はい』か『いいえ』の、どちらかを選ぶだけなのに、だ。</p>
<p> <br />
「うん……まあ、ね」<br />
「もしかして、恋人さんですか?」</p>
<p> <br />
これまた、矢継ぎ早な切り返し。答えにくいことばかり、ズケズケと訊いてくる。<br />
再び、僕は二択問題で迷った。答えは『いいえ』しか無いのに、だ。<br />
そうさ。僕は未だかつて、恋人と呼べる女性に、巡り会ったためしがない。<br />
片想いなら、それこそ両手の指じゃ足りないくらい、経験してきたんだけどね。</p>
<p> <br />
男としての意地――みたいな、ちっぽけなプライドも、あったんだと思う。<br />
年齢=彼女居ない歴じゃあ、少し……いや、かなり格好悪いから。<br />
それも、こんな可愛らしい女の子を前にしてなら、尚更じゃないか。</p>
<p> <br />
「うん……まあ、ね」</p>
<p> <br />
バカだな、僕は。いい歳して、こんな見栄っ張りなウソを吐くなんて。<br />
おまけに答え方まで、まるっきり同じときてる。</p>
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――だけど、結果的には、マヌケを演じるのも良かったみたいだ。<br />
何故って? それはね……彼女の、本当に楽しそうな笑顔を、見られたからだよ。</p>
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<br />
幕間2 『azure moon』</p>
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<p> <br />
不器用なヒトね。ひと頻り笑ったあと、彼女は指の背で眦の涙を拭いながら言った。<br />
やっぱり、僕の浅はかな見栄なんか、お見通しらしい。<br />
だからこそ『不器用』という単語を、わざわざ引っぱり出してきたんだろう。<br />
彼女なりの思いやりで、ウソだと断罪しないままで。</p>
<p> <br />
ああ、そうだよ。確かに、僕は要領よくないし、思慮の足りないところもあるさ。<br />
自分なりに一生懸命のつもりでも、手抜かりがあったり、裏目に出たり……<br />
そんな失敗談は、枚挙に暇がない。自慢できるコトじゃあ、ないけどね。</p>
<p> <br />
如才なく立ち回れる人間だったなら、僕はいま、ここに居ないと思う。<br />
両手に華の生活で、悠々自適な人生を送っていたかも知れない。<br />
そして、この初対面の女の子とも、こんな風に話をしてなかったはずだ。</p>
<p> <br />
<br />
――まあ、もしも……の妄想に浸るのは、またの機会にしよう。<br />
このまま黙っているのも、負け犬の烙印を押されたみたいで、惨めになる。<br />
だから僕は、僕なりに、僕自身を擁護しようと思った。</p>
<p> <br />
「あの――」</p>
<p> <br />
頭上から降ってくる葉擦れと、喧しいアブラゼミの声で埋もれそうになる中で、<br />
気後れしたような細い声が、紡ぎ出される。</p>
<p> <br />
それは、僕が放った声じゃなかった。</p>
<p> <br />
「ごめんなさい。なんだか、不快にさせてしまったみたい」<br />
「どうして、そう思うんだい?」<br />
「だって…………急に、黙ってしまうんですもの」</p>
<p> <br />
なるほど、そういうことか。また、変に気を遣わせてしまったな。<br />
僕は、いつもの癖で髪に手を遣りながら、頭を下げた。<br />
<br />
「ごめんな。腹を立ててたんじゃないんだよ。ただ――<br />
なにを話したらいいのか、言葉に詰まってしまって」</p>
<p> <br />
僕は、あまり口が上手じゃないから。そう告げると、彼女は「よかった」と。<br />
本当に、それだけを呟いて、安心したように微笑みを浮かべた。<br />
彼女の肩から力が抜けていく様子が、はっきりと見て取れた。</p>
<p> <br />
「不器用で、口下手で……。<br />
やっぱり、あなたは私の見立てどおりの、良い人でしたね」<br />
「え? どういうことだい?」<br />
「そのままの意味です。他人を騙したり、貶めたりできない人って意味」<br />
「……ああ」 </p>
<p> <br />
なるほど。そう考えたら、不器用な口下手も、満更でもない。<br />
利口に生きれば損も少ないだろうけど、損することで掴める得もある。<br />
そうだ。この娘との出会いも、損がもたらした得と……言えなくもないな。</p>
<p> <br />
夏の暑さに包まれながら、僕の体温が、ちょっとだけ上がるのを感じた。<br />
良い人、か――そんなこと言われたのは、初めてじゃないかな。<br />
お世辞と分かっていても気恥ずかしかったし、すごく嬉しかった。<br />
不意に、恋に落ちてしまうほどに。</p>
<p> <br />
ありがとう。その言葉が、するりと口を衝いて出ていた。<br />
彼女は、屈託ない微笑みを僕に向けながら、どういたしまして。<br />
そう言って、笑顔のまま、まだ暮れそうもない午後の夏空を見上げた。</p>
<p> <br />
「――あ。セミの抜け殻があるわ」<br />
「どこだい?」<br />
「ほら、あそこよ」<br />
<br />
彼女が指差してくれた先を辿ると、僕らの頭上を覆う枝の先端に――<br />
緑も鮮やかな葉っぱの裏に、枯れ葉みたいなモノが、しがみついていた。</p>
<p> <br />
「本当だ。あんな細い枝の先まで、よく行ったものだなぁ」</p>
<p> <br />
少し高いけれど、ジャンプすれば、なんとか手が届きそうだ。<br />
僕はベンチを立って、彼女のために、葉っぱごとセミの抜け殻を取ってあげた。<br />
女の子だから気持ち悪がるかと思いきや、彼女は嬉々として、それを手にした。</p>
<p> <br />
「それにしても、よくセミの抜け殻だって知ってたね。<br />
ヨーロッパにセミは居ないって、誰かに聞いた憶えがあったんだけど」<br />
「あら、ご存知ないの? 南フランスにも、セミは居ますよ。<br />
『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルも、南フランスで研究をしたんです。<br />
それに私、小さい頃は、日本にも住んでいましたから」<br />
「あ、ああ……それでか。どうりで、日本語が上手な訳だ」</p>
<p> <br />
今更だけど、いろいろと納得した。僕らは所詮、行きずりの関係だってことも。<br />
そもそも、ほんの数時間前まで、まったくの赤の他人同士だった二人が、<br />
こうして親しく会話をしていること自体、考えてみれば奇異な縁だ。</p>
<p> <br />
――でも、だからこそ……なんだろうな。<br />
見ず知らずの関係だからこそ、気さくに話せることって、あると思う。<br />
知人に明かすのは憚られる話題も、他人になら、小説感覚で打ち明けられるものさ。<br />
別れたら、また他人同士。二度と会わないだろうから、後腐れもない――ってね。</p>
<p> <br />
「……抜け殻……からっぽの器」</p>
<p> <br />
掌に載せたセミの抜け殻を眺めながら、彼女は、謎めいた言葉を口にした。<br />
そして、茫乎とした蒼い瞳を、遙か虚空へと彷徨わせる。<br />
彼女の視線の先……真夏の蒼穹には、空色の月が、白々と輝いていた。<br />
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<br />
幕間2 終</p>
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【3行予告?!】</p>
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懐かしい痛みだわ。ずっと前に、忘れていた――<br />
一枚の写真を目にした時から、彼女の時計は、ほんの少し巻き戻された。<br />
それは、幸せなことなんだろうか。僕には、苦痛でしかないように思えるけど。</p>
<p> <br />
次回、第九話 『キヲク』<br />
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