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『心の扉を開けて……』」(2007/01/12 (金) 10:13:39) の最新版変更点

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<p> <br> <br>   『心の扉を開けて……』<br> <br> <br> <br> 最近、ジュンが素っ気なくなったと、真紅は感じていた。<br> <br> 周囲の目には、相も変わらず主従関係の幼馴染と映っているだろう。<br> 実際、普段の高校生活において二人は大概、そのように行動していた。<br> 今までどおりの、なにも変わらない関係。<br> けれど、真紅には解っていた。ジュンの様子が、少し変わったことに……。<br> <br>  「ジュン、今日は、一緒に帰れるのかしら?」<br> <br> 真紅がそう切り出したのは、放課後の清掃時間のことだった。<br> しかし、ジュンは――<br> <br>  「え……あ~。今日は、ちょっとなぁ」<br> <br> 歯切れの悪い返事。今までなら、良否に拘わらず、こんな反応は示さなかった。<br> 真紅が求めている返事は二つだけ。<br> <br> <br>   『いいよ。一緒に帰ろう』<br>   『ごめん。用事があるから、先に帰ってて』<br> <br> <br> その、どちらかだ。ジュンも、それは承知している筈なのに。<br> ――やはり、様子がおかしい。<br> <br> いつも身近にいるからこそ、どんな僅かな変化も鋭敏に感じ取れる。<br> けれども、その理由までは推し量れなかった。<br> 真紅は、ジュンの横顔を暫し見詰めて、小さく息を吐いた。<br> <br>  「そう……残念ね。<br>   今日は、帰りがけに喫茶店でお茶でもしようと思っていたのだけれど」<br>  「悪いな。また今度、誘ってくれよ」<br>  「……解ったわ。それじゃあ、また明日ね」<br> <br> <br> 清掃が終わり、掃除当番だった生徒達が一斉に帰り出す。<br> ジュンもまた箒を片付けるなり、鞄を手にして、そそくさと教室を後にした。<br> 一体、何を急いでいるのだろう?<br> 他人のプライベートを詮索するなんて下品だと思いながらも、気付けば、<br> 真紅はこっそりとジュンの後を追っていた。<br> <br> <br> ジュンが、階段に差し掛かる。上か、下か――<br> 真紅が見ていることなど全く気付かずに、ジュンは階段を登っていった。<br> <br>  (上? 何をしに行くのかしら?)<br> <br> 放課後に、何の用事が有るというのだろう。ジュンは帰宅部だった筈だ。<br> 上の階は一年生のクラスになる。後輩に知り合いでも居る、と?<br> そんな話は、聞いた憶えが無かった。<br> <br> 上の方で、聞き慣れた音がした。<br> 屋上への扉が開かれる音…………。<br> 確証は無かったが、真紅は直感的に、ジュンが出ていったのだと思った。<br> <br> 足音を忍ばせて、真紅は屋上の扉前までやってきた。<br> ジュンは、屋上で何をしているのだろう? もしかして、誰かと待ち合わせ?<br> <br> <br> ――私の誘いを断ってまで、待ち合わせている相手とは、誰?<br> <br> <br> まさか……彼女が出来たなんて事は?<br> さっきから疑問ばかりが頭をよぎり、思考が纏まらない。<br> 一体、どうしたと言うのだろう。<br> 真紅は、不意に自分の心を襲った、得体の知れない不安に苛立った。<br> <br>  (何をウジウジと悩んでいるの、私は!)<br> <br> 答えを得ることなど簡単だ。この扉を開いて、ジュンに直接、訊けばいい。<br> そう……至って単純なことなのだ。悩む必要も無いほどに。<br> <br>  「この、扉さえ開いてしまえば……」<br> <br> ノブに伸ばす右手が、緊張で震える。<br> 手首に左手を添えて、真紅は漸く、ドアノブを握り締めた。<br> 静かに回して、ゆっくりと押し開ける。<br> <br> ふと、風に乗ってジュンの声が届いた。<br> 耳を澄ます真紅。彼は、誰かと喋っている。なんと言っているの?<br> <br> <br>  「ジュン。あのね…………私と、付き合って欲しいの。ダメ?」<br>  「……いいよ。僕で良ければ」<br> <br> 真紅の視界が、一瞬にしてブラックアウトした。<br> <br>  (今……ジュンは…………なんて言ってた?)<br> <br> ――水銀燈。<br> 私の幼馴染にして、いつも私の前に立ち塞がってきたライバル。<br> その彼女が、今また自分から大切な存在を奪っていこうとしている。<br> 阻止しなければならない。それだけは、どうしても……。<br> <br> 二人の間に乱入するべく、一気に扉を押し開けようとした真紅の脳裏に、<br> 最近の記憶が去来した。<br> この頃、ジュンが素っ気なくなったのは、私に愛想を尽かせたからではないの?<br> <br> 今の関係が、ずっと続いていくものと思っていた。<br> 彼は私を、ずっと見守り、支えてくれるものと信じていた。<br> でも、それは独り善がりでしかなかったらしい。<br> ジュンはもう、私との関係に疲れてしまったのだろう。<br> だから、私の甘えと慢心を嘲るように、彼の心は水銀燈へと傾いてしまったのだ。<br> <br> ――こんな傲慢な私に、ジュンと水銀燈の仲を引き裂く権利なんてない。<br> <br> ジュンも、水銀燈も、真紅にとって無二の親友だった。<br> だからこそ、自分の我を通して、二人を不幸にする事が許せなかった。<br> <br>  「…………お幸せに、二人とも。ジュン……今まで、ありがとう」<br> <br> 真紅は音を立てないように気を付けながら扉を閉めると、階段を駆け下りた。<br> <br> <br> <br> <br> 真紅は必死に、口元を押さえていた。<br> そうしていないと、嗚咽が漏れてしまうから。<br> <br> 胸が張り裂けそうに痛い。青い瞳から止めどなく溢れ出す涙。<br> どうして、こんな事になってしまったの?<br> 考えたところで、答えなど見付からない。見付けたくもない。<br> そもそも、考えたくもなかった。<br> <br> 泣きながら教室へ戻って鞄を掴み、それから、何処をどう走ったのか……。<br> 真紅は学園裏の、城址公園に辿り着いていた。<br> 誰も居ない、夕暮れの公園。<br> 真紅は胸の奥から、今まで堪えていたものが怒濤の如く溢れてくるのを感じた。<br> もう、呑み込むことなどできなかった。<br> <br>  「うわあぁぁぁぁぁ――――っ!!」<br> <br> 絶叫に近い嗚咽。感情を押し止められない。<br> 真紅はただ、広い公園の真っ直中に立ち尽くし、幼子の様に泣きじゃくった。<br> 園内の木立に、真紅の泣き声が響く。<br> 辺りは夜の帳が降り始めて、街灯がちかちかと灯りだした。<br> <br> 真紅はその場に頽れ、両手で顔を覆い、ただただ泣き続けた。<br> <br> <br> <br> <br> どれだけ、泣き続けていたのだろう。真紅は泣き疲れて、しゃくり上げていた。<br> まだ、胸が痛い。あれだけ泣いたというのに、涙は溢れ続けた。<br> <br>  (辛いの……苦しいのよ、ジュン)<br> <br> 心の中で、ジュンに救いを求めてしまう。側にいて欲しいと、願ってしまう。<br> この甘えが、破局を招いたと言うのに……。<br> 辛さから逃れる術は、ただひとつ。それは、ジュンへの想いを断ち切ること。<br> 恋心を捨て去って、今までどおりの親友同士に戻ること。<br> <br> 真紅はハンカチを取り出して、ぐいっ……と目元を拭った。<br> <br>  (しっかりしなさい真紅! こんなの、私らしくないのだわ)<br> <br> 深呼吸を繰り返す。しゃくり上げていたのが、徐々に静まっていく。<br> そうそう、その調子。落ち着きなさい……落ち着くのよ、真紅。<br> <br> 涙が止まり、続いて、身体の震えが止まった。<br> 胸はまだ苦しいけれど、それも直ぐに収まるだろう。<br> <br> 真紅は星空を見上げて、心の扉を閉じた。<br> <br> <br>  「さようなら、ジュン」<br> <br> <br> <br> <br> 翌日も、普段どおりの日常が待っていた。<br> 変わった事と言えば、ジュンと水銀燈が交際を始めたことぐらいだ。<br> 勿論、学園中を賑わす大スクープとなったのだが、心の扉を閉ざした真紅は、<br> そんな事で感情を掻き乱されたりはしなかった。<br> <br>  「おめでとう、二人とも。遅すぎたくらいなのだわ」<br> <br> 報告に来たジュンと水銀燈に、真紅はにこやかに応じ、祝福した。<br> 二人には、幸せになって欲しい。それは本心からの願いだった。<br> <br> 通学途中で、偶然に出会っても。<br> 共に、屋上で摂る昼食でも。<br> 教室で雑談している時も。<br> 二人揃って、遅刻してきたり。<br> <br> どこで二人の仲睦まじい姿を目の当たりにしても、真紅は笑い続けていられた。<br> <br>  「貴方たちは、本当にベストカップルだわ」<br>  「見せ付けてくれるのね、お二人さん」<br>  「私がヤキモチを焼くとでも思っているの?」<br>  「うふふ……本当に、仕方のない人たちね」<br> <br> 親友達と、からかったり、ふざけ合ったりする。<br> その日常は、とても居心地の良い時間であり、空間だった。<br> 真紅が自らの心を犠牲にしてまで求めた安らぎが、そこにある。<br> <br> <br> ――そう。これで良かったのよ……これで、ね。<br> <br> <br> <br> <br> そんな、ある日のこと。<br> 授業の合間の休み時間。真紅は何とはなしに、窓の外を眺めていた。<br> そこに、ジュンが真紅に話しかけてきた。<br> <br>  「なあ、真紅。今日、ちょっと時間あるかな?」<br>  「? なんなの、いきなり」<br>  「うん……放課後に、屋上に来てくれないか」<br>  「どういった用件で? 私、あまり暇ではないのよ」<br>  「それは、ちょっと……」<br> <br> 言い淀むジュンに冷ややかな視線を向けて、真紅は肩を竦めた。<br> <br>  「まあ、五分くらいなら構わないのだわ。それで充分?」<br>  「充分だよ。それじゃ、頼んだからな」<br> <br> それだけ言って、ジュンは再び水銀燈との会話に戻っていった。<br> 待ち合わせだなんて、どういう事だろう。<br> <br>  (貴方には、私なんかに構ってられる時間は無い筈だわ)<br> <br> その時間を、水銀燈とのデートに割り振れば良いものを。<br> 本当に、要領が悪いところは治らないのね。<br> 水銀燈も、よく不満を漏らさないものだわ。<br> <br> 真紅は二人の様子を眺めながら、そんな事を思った。<br> <br> <br> <br> <br> 放課後、屋上に赴いた真紅は、ジュンの姿を認めて声を掛けた。<br> <br>  「待たせた?」<br>  「いや……全然」<br>  「そう。で? 私を呼び出した用件はなに?」<br>  「えっと…………これ、なんだけどさ」<br> <br> 差し出される小箱。奇麗にラッピングされている。<br> これは一体、なんなのだろう? 心の扉が、どん! と叩かれた気がした。<br> <br>  「今日って、真紅の誕生日だっただろ?」<br> <br> どん! 再び、心の扉が叩かれる。<br> <br>  (イヤ……叩かないで)<br>  「こんな事するのは、どうかと思ったんだけど」<br> <br> どん! どん! <br> <br>  (やっと、閉じこめたのよ。思い出させないで)<br>  「水銀燈に言われてさ。プレゼントしようと――」<br> <br> どん! どん! どん!<br> <br>  (イヤ! イヤっ! イヤぁっ! もう止めてっ!!)<br>  「誕生日、おめでとう。真紅」<br>  「イヤああぁぁぁっ!!!」<br> <br> ばぁん! 真紅の中で、心の扉が開いてしまった。<br> ジュンを愛しく想う気持ちが、胸一杯に広がっていく。<br> 溢れだす涙を、止めることが出来ない。口から発せられるのは嗚咽だけ。<br> 真紅は両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。<br> そして、戸惑うジュンに、途切れ途切れの言葉をぶつけた。<br> <br>  「止めて……よ。どう……して……今更、こんな」<br>  「真……紅」<br>  「閉じ込めていたかったのに…………忘れていたかったのに!!」<br>  「…………真紅」<br>  「このまま…………貴方への愛を……消し去ってしまいたかったのに」<br>  「そんな……真紅、ホントなのか、それ?」<br> <br> 泣き喚く真紅に、ジュンは愕然としていた。<br> 代わりに話しかけたのは、別の人物。<br> <br> <br>  「やっと、本音を口にしたわねぇ……真紅ぅ」<br> <br> 給水塔の影から現れたのは、生涯のライバルである水銀燈だった。<br> <br>  「す、水銀燈! これは――」<br>  「聞いてのとおりよぉ。真紅は、ジュンのことが、だぁい好きなの」<br> <br> 水銀燈の嘲るような口調に、真紅の神経が逆撫でされた。<br> 今までは押し殺されていた感情が、さながら火山の噴火の様に、<br> 出口を求めて吹き出そうとしていた。<br> <br> 真紅は頭を上げて、突き刺さるかと思える程の、鋭い視線を水銀燈に向けた。<br> <br>  「水銀燈! 私は、貴女が憎い! 私からジュンを奪った、貴女が憎い!」<br>  「そぅお? なら……私を殺してでも、ジュンを奪い返してみればぁ?」<br> <br> 水銀燈は、蹲る真紅を尻目に、ジュンの側に歩み寄って抱き付いた。<br> <br>  「貴女は負け犬よぉ、真紅ぅ。心を閉ざして、引きこもる事しかできない」<br>  「違うわ! 私は貴方たちの幸せを――」<br>  「願ってくれる、と? おこがましいわねぇ」<br> <br> 水銀燈は、真紅を見下して、くすくす……と笑った。<br> <br>  「無様だわぁ……貴女。こそこそ逃げ回ってるだけの、敗北者だものぉ」<br>  「――――っ!!」<br> <br> 真紅は、弾かれたように跳ね起きて、屋上から走り去った。<br> その後ろ姿を茫然と眺めていたジュンの頬を、水銀燈が抓った。<br> <br>  「ほぉら、ボサッとしてないで、真紅を追い掛けなさいよぉ」<br>  「えっ?」<br>  「ジュンだって、本当は真紅の事が好きなんでしょ?」<br>  「でも、水銀燈の気持ちは……」<br>  「いいのよ。私の事は……構わないで良いの」<br>  「バカ言うなよ。そんな真似、僕には出来ない」<br>  「あ~もうっ! つべこべ言わずに、さっさと行きなさい! 苛つくわねっ! <br>   アンタみたいな愚図は大っ嫌いなのよ! 別れてやるわ!!」<br>  「ゴメン、水銀燈…………本当に、すまない」<br> <br> それが水銀燈の強がりだと言う事は、ジュンにも解っていた。<br> けれど、これ以上、彼女の気持ちを傷付けることは出来ない。<br> ジュンは真紅の後を追って、走り出した。<br> <br> <br> <br> <br> ジュンの背中を見送りながら、水銀燈は溜息を吐いた。<br> <br>  「本気の恋だったのになぁ……私ってホント、おばかさぁん」<br> <br> でも、心を閉ざしてしまった親友を、放ってはおけない。<br> フライングを犯したのは、自分なのだ。<br> 真紅の気持ちを犠牲にしてまで、自分の幸せを追求することは出来なかった。<br> <br>  「私って、いっつも貧乏クジねぇ。イヤになるわぁ」<br>  <br> 戯けた口調で呟く水銀燈の頬を、一筋の涙が零れ落ちた。<br> <br> <br> <br> <br> ジュンは全力で、真紅の後を追っていた。<br> 意外に真紅の脚が速くて、距離が縮まらない。<br> だが、ブロンドが目印となるので、見失うことはなかった。<br> <br>  「真紅っ! 待ってくれっ!」<br> <br> 呼びかけても、真紅は止まらない。声は届いているだろうに。<br> 階段を駆け下り、廊下を横切り、靴も履き替えずに玄関を飛び出していく。<br> ジュンも、躊躇いなく追い掛け、走り続けた。<br> <br> 学園の裏へ走り去る真紅。城址公園へ行くつもりらしい。<br> だいぶ息が上がっていたが、ジュンは脚を止めなかった。<br> <br> 長い長い石段を駆け上がっていく二人。<br> 真紅に疲れが見え始めた。明らかにペースが落ちている。<br> 追うジュンの脚も鉛のように重くなっていたが、徐々に差が縮まっていく。<br> そして――――<br> <br> 石段を登りきった所で、ジュンは真紅の身体を抱き留めた。<br> <br>  「やっと…………捕まえ……たぞ」<br>  「…………ジュン……ごめ……んなさい」<br> <br> 息も絶え絶えの二人は、その場にバッタリと倒れ込んでしまった。<br> それから暫くして息が元に戻った頃、寝転がったまま、ジュンは口を開いた。<br> <br>  「水銀燈にフラれちゃったよ」<br> <br> 苦笑しながら話すジュンの顔に、未練がましさは無かった。<br> 失恋の辛さは、当然ある。しかし、安堵を覚えていたのも事実だ。<br> ここ最近の真紅は、表情が乏しくなる一方だった。<br> 人形の様になっていく彼女を見ることは、水銀燈だけでなく、ジュンもまた苦しかったのだ。<br> <br>  「水銀燈が、本気でそんな事を言う筈がないのだわ。だって彼女は――」<br>  「分かってる。だけど、これだけは言わせてくれ」<br> <br> 言わなければ、ジュンも、水銀燈も、真紅も、惨めなままで終わってしまう。<br> このままでは、友情そのものが破綻してしまう。<br> <br>  「僕は…………真紅が好きなんだ」<br>  「じゃあ……どうして、水銀燈と付き合ったりしたの?」<br>  「不安だったんだよ……真紅の気持ちが、ちっとも見えてなかったんだ」<br>  「そうね……幼馴染みという関係に甘えて、私も気持ちを伝えていなかったわ」<br> <br> ジュンは起き上がると、真紅に手を差し出した。<br> <br>  「真紅……今更だけど、僕と正式に付き合ってくれないか?」<br>  「今はまだ、答えは出せないわね。仕切り直しよ、お友達から――」<br> <br> 真紅は清々しい笑顔を浮かべて、しっかりとジュンの手を握った。<br> <br> <br> <br> <br> 石段の下で、水銀燈が待っていた。<br> 彼女の表情も、晴れ晴れとしている。<br> <br>  「戻ってきたわねぇ、負け犬さぁん」<br>  「バカ言わないで。私が、いつ負けたと言うの?」<br> <br> 開口一発目から毒舌を放った水銀燈を、真紅はびしっ! と指差した。<br> <br>  「今回は戦略的撤退をしただけよ。勝負は、これからなのだわ!」<br>  「いいえぇ。次に勝つのも、私の方よぅ」<br> <br> 負けじと、水銀燈はジュンにウインクしてみせた。<br> <br>  「今、ジュンの心を掴んでいるのは、私だものぉ」<br>  「ふざけないで。ジュンの心は、まだ誰も掴んでいないのだわ」<br>  「あぁら? 諦めが悪ぅい」<br>  「油断しないことね、水銀燈。足元を掬われるわよ」<br> <br> ばちばちと熾烈に火花を散らし合う二人。<br> いま、彼女達は同じスタートラインに立っていた。<br> 再び戻った、幼馴染みの、微妙な三角関係。<br> いつかは答えを出さなければならないけれど……今はまだ、この関係を続けたい。<br> それが、三人に共通した想いだった。<br> <br> <br> ただ、誰も口には出さなかったが、三人は心の中で誓い合っていた。<br> <br> <br> <br> ――今度こそ、誰も後悔しない答えを出そう……と。</p> <hr>
<p> <br> <br>   『心の扉を開けて……』<br> <br> <br> <br> 最近、ジュンが素っ気なくなったと、真紅は感じていた。<br> <br> 周囲の目には、相も変わらず主従関係の幼馴染と映っているだろう。<br> 実際、普段の高校生活において二人は大概、そのように行動していた。<br> 今までどおりの、なにも変わらない関係。<br> けれど、真紅には解っていた。ジュンの様子が、少し変わったことに……。<br> <br>  「ジュン、今日は、一緒に帰れるのかしら?」<br> <br> 真紅がそう切り出したのは、放課後の清掃時間のことだった。<br> しかし、ジュンは――<br> <br>  「え……あ~。今日は、ちょっとなぁ」<br> <br> 歯切れの悪い返事。今までなら、良否に拘わらず、こんな反応は示さなかった。<br> 真紅が求めている返事は二つだけ。<br> <br> <br>   『いいよ。一緒に帰ろう』<br>   『ごめん。用事があるから、先に帰ってて』<br> <br> <br> その、どちらかだ。ジュンも、それは承知している筈なのに。<br> ――やはり、様子がおかしい。<br> <br> いつも身近にいるからこそ、どんな僅かな変化も鋭敏に感じ取れる。<br> けれども、その理由までは推し量れなかった。<br> 真紅は、ジュンの横顔を暫し見詰めて、小さく息を吐いた。<br> <br>  「そう……残念ね。<br>   今日は、帰りがけに喫茶店でお茶でもしようと思っていたのだけれど」<br>  「悪いな。また今度、誘ってくれよ」<br>  「……解ったわ。それじゃあ、また明日ね」<br> <br> <br> 清掃が終わり、掃除当番だった生徒達が一斉に帰り出す。<br> ジュンもまた箒を片付けるなり、鞄を手にして、そそくさと教室を後にした。<br> 一体、何を急いでいるのだろう?<br> 他人のプライベートを詮索するなんて下品だと思いながらも、気付けば、<br> 真紅はこっそりとジュンの後を追っていた。<br> <br> <br> ジュンが、階段に差し掛かる。上か、下か――<br> 真紅が見ていることなど全く気付かずに、ジュンは階段を登っていった。<br> <br>  (上? 何をしに行くのかしら?)<br> <br> 放課後に、何の用事が有るというのだろう。ジュンは帰宅部だった筈だ。<br> 上の階は一年生のクラスになる。後輩に知り合いでも居る、と?<br> そんな話は、聞いた憶えが無かった。<br> <br> 上の方で、聞き慣れた音がした。<br> 屋上への扉が開かれる音…………。<br> 確証は無かったが、真紅は直感的に、ジュンが出ていったのだと思った。<br> <br> 足音を忍ばせて、真紅は屋上の扉前までやってきた。<br> ジュンは、屋上で何をしているのだろう? もしかして、誰かと待ち合わせ?<br> <br> <br> ――私の誘いを断ってまで、待ち合わせている相手とは、誰?<br> <br> <br> まさか……彼女が出来たなんて事は?<br> さっきから疑問ばかりが頭をよぎり、思考が纏まらない。<br> 一体、どうしたと言うのだろう。<br> 真紅は、不意に自分の心を襲った、得体の知れない不安に苛立った。<br> <br>  (何をウジウジと悩んでいるの、私は!)<br> <br> 答えを得ることなど簡単だ。この扉を開いて、ジュンに直接、訊けばいい。<br> そう……至って単純なことなのだ。悩む必要も無いほどに。<br> <br>  「この、扉さえ開いてしまえば……」<br> <br> ノブに伸ばす右手が、緊張で震える。<br> 手首に左手を添えて、真紅は漸く、ドアノブを握り締めた。<br> 静かに回して、ゆっくりと押し開ける。<br> <br> ふと、風に乗ってジュンの声が届いた。<br> 耳を澄ます真紅。彼は、誰かと喋っている。なんと言っているの?<br> <br> <br>  「ジュン。あのね…………私と、付き合って欲しいの。ダメ?」<br>  「……いいよ。僕で良ければ」<br> <br> 真紅の視界が、一瞬にしてブラックアウトした。<br> <br>  (今……ジュンは…………なんて言ってた?)<br> <br> ――水銀燈。<br> 私の幼馴染にして、いつも私の前に立ち塞がってきたライバル。<br> その彼女が、今また自分から大切な存在を奪っていこうとしている。<br> 阻止しなければならない。それだけは、どうしても……。<br> <br> 二人の間に乱入するべく、一気に扉を押し開けようとした真紅の脳裏に、<br> 最近の記憶が去来した。<br> この頃、ジュンが素っ気なくなったのは、私に愛想を尽かせたからではないの?<br> <br> 今の関係が、ずっと続いていくものと思っていた。<br> 彼は私を、ずっと見守り、支えてくれるものと信じていた。<br> でも、それは独り善がりでしかなかったらしい。<br> ジュンはもう、私との関係に疲れてしまったのだろう。<br> だから、私の甘えと慢心を嘲るように、彼の心は水銀燈へと傾いてしまったのだ。<br> <br> ――こんな傲慢な私に、ジュンと水銀燈の仲を引き裂く権利なんてない。<br> <br> ジュンも、水銀燈も、真紅にとって無二の親友だった。<br> だからこそ、自分の我を通して、二人を不幸にする事が許せなかった。<br> <br>  「…………お幸せに、二人とも。ジュン……今まで、ありがとう」<br> <br> 真紅は音を立てないように気を付けながら扉を閉めると、階段を駆け下りた。<br> <br> <br> <br> <br> 真紅は必死に、口元を押さえていた。<br> そうしていないと、嗚咽が漏れてしまうから。<br> <br> 胸が張り裂けそうに痛い。青い瞳から止めどなく溢れ出す涙。<br> どうして、こんな事になってしまったの?<br> 考えたところで、答えなど見付からない。見付けたくもない。<br> そもそも、考えたくもなかった。<br> <br> 泣きながら教室へ戻って鞄を掴み、それから、何処をどう走ったのか……。<br> 真紅は学園裏の、城址公園に辿り着いていた。<br> 誰も居ない、夕暮れの公園。<br> 真紅は胸の奥から、今まで堪えていたものが怒濤の如く溢れてくるのを感じた。<br> もう、呑み込むことなどできなかった。<br> <br>  「うわあぁぁぁぁぁ――――っ!!」<br> <br> 絶叫に近い嗚咽。感情を押し止められない。<br> 真紅はただ、広い公園の真っ直中に立ち尽くし、幼子の様に泣きじゃくった。<br> 園内の木立に、真紅の泣き声が響く。<br> 辺りは夜の帳が降り始めて、街灯がちかちかと灯りだした。<br> <br> 真紅はその場に頽れ、両手で顔を覆い、ただただ泣き続けた。<br> <br> <br> <br> <br> どれだけ、泣き続けていたのだろう。真紅は泣き疲れて、しゃくり上げていた。<br> まだ、胸が痛い。あれだけ泣いたというのに、涙は溢れ続けた。<br> <br>  (辛いの……苦しいのよ、ジュン)<br> <br> 心の中で、ジュンに救いを求めてしまう。側にいて欲しいと、願ってしまう。<br> この甘えが、破局を招いたと言うのに……。<br> 辛さから逃れる術は、ただひとつ。それは、ジュンへの想いを断ち切ること。<br> 恋心を捨て去って、今までどおりの親友同士に戻ること。<br> <br> 真紅はハンカチを取り出して、ぐいっ……と目元を拭った。<br> <br>  (しっかりしなさい真紅! こんなの、私らしくないのだわ)<br> <br> 深呼吸を繰り返す。しゃくり上げていたのが、徐々に静まっていく。<br> そうそう、その調子。落ち着きなさい……落ち着くのよ、真紅。<br> <br> 涙が止まり、続いて、身体の震えが止まった。<br> 胸はまだ苦しいけれど、それも直ぐに収まるだろう。<br> <br> 真紅は星空を見上げて、心の扉を閉じた。<br> <br> <br>  「さようなら、ジュン」<br> <br> <br> <br> <br> 翌日も、普段どおりの日常が待っていた。<br> 変わった事と言えば、ジュンと水銀燈が交際を始めたことぐらいだ。<br> 勿論、学園中を賑わす大スクープとなったのだが、心の扉を閉ざした真紅は、<br> そんな事で感情を掻き乱されたりはしなかった。<br> <br>  「おめでとう、二人とも。遅すぎたくらいなのだわ」<br> <br> 報告に来たジュンと水銀燈に、真紅はにこやかに応じ、祝福した。<br> 二人には、幸せになって欲しい。それは本心からの願いだった。<br> <br> 通学途中で、偶然に出会っても。<br> 共に、屋上で摂る昼食でも。<br> 教室で雑談している時も。<br> 二人揃って、遅刻してきたり。<br> <br> どこで二人の仲睦まじい姿を目の当たりにしても、真紅は笑い続けていられた。<br> <br>  「貴方たちは、本当にベストカップルだわ」<br>  「見せ付けてくれるのね、お二人さん」<br>  「私がヤキモチを焼くとでも思っているの?」<br>  「うふふ……本当に、仕方のない人たちね」<br> <br> 親友達と、からかったり、ふざけ合ったりする。<br> その日常は、とても居心地の良い時間であり、空間だった。<br> 真紅が自らの心を犠牲にしてまで求めた安らぎが、そこにある。<br> <br> <br> ――そう。これで良かったのよ……これで、ね。<br> <br> <br> <br> <br> そんな、ある日のこと。<br> 授業の合間の休み時間。真紅は何とはなしに、窓の外を眺めていた。<br> そこに、ジュンが真紅に話しかけてきた。<br> <br>  「なあ、真紅。今日、ちょっと時間あるかな?」<br>  「? なんなの、いきなり」<br>  「うん……放課後に、屋上に来てくれないか」<br>  「どういった用件で? 私、あまり暇ではないのよ」<br>  「それは、ちょっと……」<br> <br> 言い淀むジュンに冷ややかな視線を向けて、真紅は肩を竦めた。<br> <br>  「まあ、五分くらいなら構わないのだわ。それで充分?」<br>  「充分だよ。それじゃ、頼んだからな」<br> <br> それだけ言って、ジュンは再び水銀燈との会話に戻っていった。<br> 待ち合わせだなんて、どういう事だろう。<br> <br>  (貴方には、私なんかに構ってられる時間は無い筈だわ)<br> <br> その時間を、水銀燈とのデートに割り振れば良いものを。<br> 本当に、要領が悪いところは治らないのね。<br> 水銀燈も、よく不満を漏らさないものだわ。<br> <br> 真紅は二人の様子を眺めながら、そんな事を思った。<br> <br> <br> <br> <br> 放課後、屋上に赴いた真紅は、ジュンの姿を認めて声を掛けた。<br> <br>  「待たせた?」<br>  「いや……全然」<br>  「そう。で? 私を呼び出した用件はなに?」<br>  「えっと…………これ、なんだけどさ」<br> <br> 差し出される小箱。奇麗にラッピングされている。<br> これは一体、なんなのだろう? 心の扉が、どん! と叩かれた気がした。<br> <br>  「今日って、真紅の誕生日だっただろ?」<br> <br> どん! 再び、心の扉が叩かれる。<br> <br>  (イヤ……叩かないで)<br>  「こんな事するのは、どうかと思ったんだけど」<br> <br> どん! どん! <br> <br>  (やっと、閉じこめたのよ。思い出させないで)<br>  「水銀燈に言われてさ。プレゼントしようと――」<br> <br> どん! どん! どん!<br> <br>  (イヤ! イヤっ! イヤぁっ! もう止めてっ!!)<br>  「誕生日、おめでとう。真紅」<br>  「イヤああぁぁぁっ!!!」<br> <br> ばぁん! 真紅の中で、心の扉が開いてしまった。<br> ジュンを愛しく想う気持ちが、胸一杯に広がっていく。<br> 溢れだす涙を、止めることが出来ない。口から発せられるのは嗚咽だけ。<br> 真紅は両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。<br> そして、戸惑うジュンに、途切れ途切れの言葉をぶつけた。<br> <br>  「止めて……よ。どう……して……今更、こんな」<br>  「真……紅」<br>  「閉じ込めていたかったのに…………忘れていたかったのに!!」<br>  「…………真紅」<br>  「このまま…………貴方への愛を……消し去ってしまいたかったのに」<br>  「そんな……真紅、ホントなのか、それ?」<br> <br> 泣き喚く真紅に、ジュンは愕然としていた。<br> 代わりに話しかけたのは、別の人物。<br> <br> <br>  「やっと、本音を口にしたわねぇ……真紅ぅ」<br> <br> 給水塔の影から現れたのは、生涯のライバルである水銀燈だった。<br> <br>  「す、水銀燈! これは――」<br>  「聞いてのとおりよぉ。真紅は、ジュンのことが、だぁい好きなの」<br> <br> 水銀燈の嘲るような口調に、真紅の神経が逆撫でされた。<br> 今までは押し殺されていた感情が、さながら火山の噴火の様に、<br> 出口を求めて吹き出そうとしていた。<br> <br> 真紅は頭を上げて、突き刺さるかと思える程の、鋭い視線を水銀燈に向けた。<br> <br>  「水銀燈! 私は、貴女が憎い! 私からジュンを奪った、貴女が憎い!」<br>  「そぅお? なら……私を殺してでも、ジュンを奪い返してみればぁ?」<br> <br> 水銀燈は、蹲る真紅を尻目に、ジュンの側に歩み寄って抱き付いた。<br> <br>  「貴女は負け犬よぉ、真紅ぅ。心を閉ざして、引きこもる事しかできない」<br>  「違うわ! 私は貴方たちの幸せを――」<br>  「願ってくれる、と? おこがましいわねぇ」<br> <br> 水銀燈は、真紅を見下して、くすくす……と笑った。<br> <br>  「無様だわぁ……貴女。こそこそ逃げ回ってるだけの、敗北者だものぉ」<br>  「――――っ!!」<br> <br> 真紅は、弾かれたように跳ね起きて、屋上から走り去った。<br> その後ろ姿を茫然と眺めていたジュンの頬を、水銀燈が抓った。<br> <br>  「ほぉら、ボサッとしてないで、真紅を追い掛けなさいよぉ」<br>  「えっ?」<br>  「ジュンだって、本当は真紅の事が好きなんでしょ?」<br>  「でも、水銀燈の気持ちは……」<br>  「いいのよ。私の事は……構わないで良いの」<br>  「バカ言うなよ。そんな真似、僕には出来ない」<br>  「あ~もうっ! つべこべ言わずに、さっさと行きなさい! 苛つくわねっ! <br>   アンタみたいな愚図は大っ嫌いなのよ! 別れてやるわ!!」<br>  「ゴメン、水銀燈…………本当に、すまない」<br> <br> それが水銀燈の強がりだと言う事は、ジュンにも解っていた。<br> けれど、これ以上、彼女の気持ちを傷付けることは出来ない。<br> ジュンは真紅の後を追って、走り出した。<br> <br> <br> <br> <br> ジュンの背中を見送りながら、水銀燈は溜息を吐いた。<br> <br>  「本気の恋だったのになぁ……私ってホント、おばかさぁん」<br> <br> でも、心を閉ざしてしまった親友を、放ってはおけない。<br> フライングを犯したのは、自分なのだ。<br> 真紅の気持ちを犠牲にしてまで、自分の幸せを追求することは出来なかった。<br> <br>  「私って、いっつも貧乏クジねぇ。イヤになるわぁ」<br>  <br> 戯けた口調で呟く水銀燈の頬を、一筋の涙が零れ落ちた。<br> <br> <br> <br> <br> ジュンは全力で、真紅の後を追っていた。<br> 意外に真紅の脚が速くて、距離が縮まらない。<br> だが、ブロンドが目印となるので、見失うことはなかった。<br> <br>  「真紅っ! 待ってくれっ!」<br> <br> 呼びかけても、真紅は止まらない。声は届いているだろうに。<br> 階段を駆け下り、廊下を横切り、靴も履き替えずに玄関を飛び出していく。<br> ジュンも、躊躇いなく追い掛け、走り続けた。<br> <br> 学園の裏へ走り去る真紅。城址公園へ行くつもりらしい。<br> だいぶ息が上がっていたが、ジュンは脚を止めなかった。<br> <br> 長い長い石段を駆け上がっていく二人。<br> 真紅に疲れが見え始めた。明らかにペースが落ちている。<br> 追うジュンの脚も鉛のように重くなっていたが、徐々に差が縮まっていく。<br> そして――――<br> <br> 石段を登りきった所で、ジュンは真紅の身体を抱き留めた。<br> <br>  「やっと…………捕まえ……たぞ」<br>  「…………ジュン……ごめ……んなさい」<br> <br> 息も絶え絶えの二人は、その場にバッタリと倒れ込んでしまった。<br> それから暫くして息が元に戻った頃、寝転がったまま、ジュンは口を開いた。<br> <br>  「水銀燈にフラれちゃったよ」<br> <br> 苦笑しながら話すジュンの顔に、未練がましさは無かった。<br> 失恋の辛さは、当然ある。しかし、安堵を覚えていたのも事実だ。<br> ここ最近の真紅は、表情が乏しくなる一方だった。<br> 人形の様になっていく彼女を見ることは、水銀燈だけでなく、ジュンもまた苦しかったのだ。<br> <br>  「水銀燈が、本気でそんな事を言う筈がないのだわ。だって彼女は――」<br>  「分かってる。だけど、これだけは言わせてくれ」<br> <br> 言わなければ、ジュンも、水銀燈も、真紅も、惨めなままで終わってしまう。<br> このままでは、友情そのものが破綻してしまう。<br> <br>  「僕は…………真紅が好きなんだ」<br>  「じゃあ……どうして、水銀燈と付き合ったりしたの?」<br>  「不安だったんだよ……真紅の気持ちが、ちっとも見えてなかったんだ」<br>  「そうね……幼馴染みという関係に甘えて、私も気持ちを伝えていなかったわ」<br> <br> ジュンは起き上がると、真紅に手を差し出した。<br> <br>  「真紅……今更だけど、僕と正式に付き合ってくれないか?」<br>  「今はまだ、答えは出せないわね。仕切り直しよ、お友達から――」<br> <br> 真紅は清々しい笑顔を浮かべて、しっかりとジュンの手を握った。<br> <br> <br> <br> <br> 石段の下で、水銀燈が待っていた。<br> 彼女の表情も、晴れ晴れとしている。<br> <br>  「戻ってきたわねぇ、負け犬さぁん」<br>  「バカ言わないで。私が、いつ負けたと言うの?」<br> <br> 開口一発目から毒舌を放った水銀燈を、真紅はびしっ! と指差した。<br> <br>  「今回は戦略的撤退をしただけよ。勝負は、これからなのだわ!」<br>  「いいえぇ。次に勝つのも、私の方よぅ」<br> <br> 負けじと、水銀燈はジュンにウインクしてみせた。<br> <br>  「今、ジュンの心を掴んでいるのは、私だものぉ」<br>  「ふざけないで。ジュンの心は、まだ誰も掴んでいないのだわ」<br>  「あぁら? 諦めが悪ぅい」<br>  「油断しないことね、水銀燈。足元を掬われるわよ」<br> <br> ばちばちと熾烈に火花を散らし合う二人。<br> いま、彼女達は同じスタートラインに立っていた。<br> 再び戻った、幼馴染みの、微妙な三角関係。<br> いつかは答えを出さなければならないけれど……今はまだ、この関係を続けたい。<br> それが、三人に共通した想いだった。<br> <br> <br> ただ、誰も口には出さなかったが、三人は心の中で誓い合っていた。<br> <br> <br> <br> ――今度こそ、誰も後悔しない答えを出そう……と。</p> <hr>

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