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『孤独の中の神の祝福』 中編」(2008/08/27 (水) 00:32:28) の最新版変更点

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    訊けば、雪華綺晶は私と同じ歳だという。 彼女の落ち着いた雰囲気から、てっきり私より上だと思ってたけれど。 それとも、まさか、私が子供っぽいだけとかじゃ……ないわよね。   私たちは木陰の芝生に場所を移して、隣り合わせに腰を降ろした。 ヤブ蚊が出るかと危ぶんだけれど、ここには幸い、いないようね。 よかった。これなら、のんびりと話ができそう。    「あ、そうそう。ねえ、きらきー」  「きらきー?」  「言ってたでしょ、好きに呼んでもいいって。   だから、あなたは『天使きらきー』に決定!」  「……はあ。解りましたわ。よく分かりませんけど」   雪華綺晶は、キョトンとした面持ちのまま、頷いた。 そして、仕切りなおしとばかりに「ところで――」と、切り出す。    「初めに、なにか仰りかけてましたわね」  「あぁ、そうだったわ。ちょっと、教えてもらいたかったのよ。   あなたが歌ってた曲、なんていうの? 英語……じゃないわよね?」  「シューベルトの『アヴェ・マリア』ですわ。歌詞は、ラテン語で。   数あるアヴェ・マリアの中でも、特に知られた曲でしょうね」  「ゴメン、知らなかった。クラシックって、あんまり詳しくないから」  「でも、聴いたことはあるでしょう? テレビCMに、よく使われるし。   映画『エクソシスト』でも使われてましたのよ」   それなら、見た憶えがある。と言っても、うろ覚えなんだけど。 悪魔に憑かれた子供が、ベッドの上で両腕を広げ、歌っていたような……。   まあ、いいか。いまは映画の話なんか後回し。 そんなことよりも、もっと雪華綺晶のことを知りたいから。    「また、聴かせてくれる?」  「ええ。めぐのリクエストならば、いつでも」   嬉しいことを言ってくれる。 やっぱり、この娘は私の願いを叶えてくれる天使だわ。 そうよ。あなたは、孤独だった私に神が与えてくれた、私だけの天使。    「ところで、きらきーは、いつから入院していたの?   私、随分と長くここに居るけれど、あなたのこと、今日まで知らなかった」  「それは当然でしょう。だって、入院したのは今日ですもの。   ――近々、手術をするんです。この、右目の」   言って、彼女は白薔薇の眼帯を指差す。その声は、重たく沈んでいた。 不安……なのかな。やっぱり怖いわよね。自分の身体を、他人任せにするのって。 目の手術となれば、顔や頭部にメスを入れるかも知れないし……傷が残ったりとか。 ああ、そうか。だから、私のところに来たのね。誰かとお喋りして、不安を紛らすために。    「すぐに、治りそう?」  「……いいえ。分かってるんです。自分の身体だから。   治らないものは、治らない――って」   あ、それ、私と同じ考えよ。 同志を見つけた喜びから、つい笑い出しそうになるのを、私はグッと堪えた。 だって、笑うことが罪深く思えるほど、雪華綺晶は悲しい顔をしていたから。    「治らないと解っていながら、それでも手術を受けるの?」  「私の大切な人たちが、それを望んでいるんですもの」   彼女の一言が、私のココロの片隅に、嫉妬の火種を植えつけた。 この娘を大切に想っているのは、私だけじゃない。 そんなの当たり前だ。雪華綺晶には、包み込んでくれる温かい家族がいる。 私なんかと違って、独りじゃないのよね。      「あの――私、なにか気に障ること言いました?」   声に振り返ると、心配そうに見つめる雪華綺晶の顔があった。 私は微笑んで、取り繕う。なんでもないわ、と。 むりやり作った笑みだったから、相当ぎこちなかったハズだけど。    「実はね、私も手術の順番待ちなのよ。ここの……ね」  「左胸…………乳ガン?」  「違うってば。心臓よ」   故意にボケたのか、素で間違ったのかは判らない。 でも、雪華綺晶のお陰で、私は素直な笑みを取り戻せた。    「私の心臓は、生まれたときから欠陥品なの。移植でしか、治る見込みがないって。   その手術が成功したところで、拒絶反応がいつ起きるか判らないから、   結局――病院とは縁を切れないワケよね。生きている間は、ずぅっと」   それを思えば憂鬱だ。死ぬと決まっているならば、焦らさないで欲しい。 いっそ、一瞬で燃え尽きて、真っ白な灰になれたらいいのに。 そうしたら、私の身体は風でちりぢりになって、どこへでも飛んでゆけるから。    「ねえ、きらきー。あなた、本は読む?」  「少しは。目が疲れてしまうので、長時間つづけては無理ですけど」   雪華綺晶は口で答えながら、同時に、琥珀色の瞳で問いかけてくる。 どうして、そんなコトを訊くのか……と。    「ずっと前だけど、暇つぶしに読んでた小説にね、こう書いてあったのよ。   未来は既に決まっていて、なるようにしか、ならないんだって」  「神様のレシピ?」  「そうそう! それよ。なぁんだ、あなたも読んでたのね」  「偶然ですわね」   他愛ないこと。ただ、同じ本を読んでいただけのこと。 冷静に考えれば、たいして面白くもない。 それなのに、私たちは顔を合わせて、自然に笑い合っていた。    「ねえ、でも、それってとても文学的で、美しいと思わない?」  「そうでしょうか?」  「私は、そう考えてるわ。この状況も結構、気に入ってるの。   治らないものは、治らない。なるようにしか、ならない。   それなのに、漫然と何十年も生き続けるなんて、私はイヤ。   一瞬だけ強く輝いて……潔く、パッと消えちゃいたいわ」  「本心ですの、それ?」   雪華綺晶の口元には、相変わらず、笑みが湛えられている。 けれど、返してくる口調は硬く、裏に憤りを隠していた。    「めぐ……私には貴女が、自棄になっているだけに見えます」  「な、なに言って――」  「では、なぜ最初から諦めてしまうの?   神様のレシピ? なるようにしか、ならない?   貴女はただ、他人の言葉を盾にとって、逃げているだけ」   違う。私は私なりに、前向きに生きている。 向かっている先に、たまたま死があるだけであって、死を逃げ道にしてるワケじゃない。 だいたい、それを言ったら手術してまで生き延びるほうが、死から逃げてるだけだわ。 そう反駁すると、雪華綺晶は言葉を呑み込み、溜息を吐いた。    「――詭弁。ですが結局、どちらでもないのかも知れませんわね。   主観の相違が呼び名を変えているだけで、物事の本質は、なにも変わらない。   でも、やはり私は……めぐの生き方は、間違っていると思います」   面と向かって信念を否定されれば、誰だって癪に障るというもので。 私もご多分に漏れず、腹立ち紛れに顔を背けた。 ……が、すぐに雪華綺晶の両手に頬を挟み込まれて、グイと向き直らされる。    「お聞きなさい、めぐ。この世界は決して、魂の牢獄などでは、ありません。   神様という看守がレシピどおりに作ったエサを、与えられるまま貪る場所ではないの。   自分たちの摂る食事は、自分たちでメニューを決めて、準備する自由がある。   なるようにしか、ならない……って、裏を返せば『為せば成る』ということよ」  「でも、あなただって、治らないものは治らないと諦めてたじゃない」  「確かに。でも、元どおりになることと、治ることは、必ずしも同じではないのです」   私には、雪華綺晶の言っていることが解らない。 こういう禅問答みたいなのって嫌いだわ。熱が出そう。   額に手を当てて、げんなりして見せると、雪華綺晶は、ころころと笑った。 でも、小馬鹿にするような、嫌味な嗤いではなく…… 本当に愉しそうな、こっちまで楽しくなるような笑い声だった。   つられて、私も笑い出す。おなかの底から、楽しい気持ちが噴き出してくる。 なんでだろう? よく解らない。解らないんだけど、それがまた可笑しかった。       ~  ~  ~     雪華綺晶と知り合ってから、私は変わった……らしい。 と言うのも、あまり自覚がないからだけど。 他の入院患者さん、看護士さん、会う人みんな、機嫌よさそうだねと言う。   私、いままで根暗だった?  そりゃまあ、以前は日がな一日、独りで空ばかり眺めてたけど。 たった1日2日で、人の印象って変わるモノなのかしらん。      「どうかした?」   右隣りに座る雪華綺晶が、親しげに、私の横顔を覗き込んでくる。 ここ数日、時間さえあれば、私たちは木陰の芝生でお喋りをしていた。 いつの間にか、ここが2人の待ち合わせ場所になってた。   考えてみたら、同い年の子と1日の大半を過ごすのって、久しぶり。 病状が悪化して、入院を余儀なくされたのが、小学生の頃だから―― かれこれ7年ぶり? ううん……もっとかな? 忘れちゃった。    「なんでもなーい。それより、きらきー。明日なのよね、あなたの手術」  「ええ。正直、ちょっと怖いです」  「ふぅん。あなたって結構、不敵というか、怖いモノ無しって感じだけど」  「私だって、女の子ですもの。虚勢を張り続けられるほど、強くない」   沈んだ声で、そんな言い方をされたら、二の句が継げなくなってしまう。 私が黙っていることで、雪華綺晶も、黙ったままで。 埒のあかない時間が、無駄に過ぎてゆく。       埒のあかない、無駄な時間。     ココロに、その言葉が谺する。それって、私の人生そのものじゃないの? 普通に暮らすことも、死ぬこともできずに……いつまで私、ここにいなきゃいけないの?   急に、胸がムカムカして、吐き気がこみ上げてきた。 いつもの発作とは違う。でも、とんでもなく気持ち悪いのは同じ。 心臓はメチャクチャなリズムを刻み、耳の奥で不愉快な旋律が奏でられる。    「ど、どうしたの?! めぐ! 顔色が悪いわ。気分が優れないの?」   雪華綺晶が、心配して呼びかけてくれてるのに、返事をする余裕もない。 ぎゅぅっと左胸を押さえて、抗う。 けれど、遠退いてゆく意識を捕まえることは、できなくて…… 目の前の景色が、世界のすべてが、回る。ぐるぐると、廻る。    「めぐっ! めぐっ! 待ってなさい、誰か呼んできますわ!」   肩を支えてくれていた腕が離れて、足音が遠ざかる。 行かないで。そう叫んだけれど、したつもりになっただけで、おしまい。 頬を刺す芝生の感触と、青臭い草の香と、土の臭い。私の周りには、それしかない。       私……また…………独りぼっち。           ~  ~  ~           ――歌が聞こえる。誰かが、手を握ってくれてる。       ――おばあちゃん?       ――違う。しわしわの手じゃない。すべすべで、柔らかくて、温かい手。       ――それに、この歌は……。       真っ白な世界を漂っていた私の意識が、なにかに引っかかった。 それは私の魂と、意識の器が、ハーネスで結ばれた瞬間だったのかも知れない。 お母さんと赤ちゃんが、へその緒で繋がってるみたいに――     目を醒ますと、私は見慣れた空間に居た。 もう何年も暮らしてきた病室。使い続けてきたベッドと枕。 ずっと空を眺めるだけだった大きな窓からは、仄かな残照が射し込んでいる。 私にとっては、いつもどおりの、見飽きた景色だった。   狼狽えた雪華綺晶の声を聞いたことは、なんとか憶えている。 駆け出してゆく足音に、待ってと言おうとしたことも。 そこから先の記憶は、すっぽりと抜け落ちていた。 もしかしたら、まだ夢の途中なのかな……なんて、思ったりする。   でも、これが夢ではない証拠も、ちゃんとある。 私の手を包み込んでいる、温もり。 私のために歌ってくれていた唇は、いま、圧し殺した嗚咽を漏らしていた。      「ずっと付き添って……歌っててくれたのね。   夢の中でも、聞こえてたわ。あなたの歌う『アヴェ・マリア』が」   あなたは、やっぱり私の天使よ。 そう告げると、雪華綺晶は泣き顔を赤らめて、ふるふると頭を振った。    「私は、天使になんか、なれない」  「じゃあ、今からなってよ。私の……私だけの天使に」  「なったところで、奇跡なんか起こせませんって」  「そばに居てくれるだけで良いのよ。お喋りしたり、歌とか歌ったり――」  「それは天使ではなく、友だちの役目ではなくて?」   呼び方なんて、どうでもいいの。 あなたは私に、大切なモノを与えてくれて、大切なコトを思い出させてくれる。 その事実こそ――2人が出会えた奇跡こそが、偽りない本質なのだから。       誰かはソレを、絆とも呼ぶでしょうけど。     私は、雪華綺晶の手をギュッと握り返して、言う。    「まあ、とりあえず。あなたは涙を拭いて、鼻をかむべきだと思うの」  「……でしたら、手を放してくださいよぉ」   ごもっとも。誠に失礼いたしました。 私が苦笑しながら手を放すと、彼女は唇に笑みを作って腰を上げ、 病室に備えつけの洗面台で、ざぶざぶと顔を洗った。     それから、私たちは病室で一緒に、夜食を摂った。 毎度のことだけど、病院食は味気なくて。    「これ、食べられたもんじゃないわよね」  「贅沢は言いませんけど……量も少なくて、いっつも欲求不満になります」  「2階の売店で、お菓子とかパンを買い溜めてたりする?」  「もちろん。でも、私の病室は4人部屋なもので……   他の人の迷惑になるから、夜中に間食できないんです。しくしくしく……」  「あー解る解る。消灯時間が過ぎたら、ちょっとポテチは食べづらいわね。   だったら、抜け出してきなさいよ。ここで食べればいいじゃない」  「めぐ、ナイスアイディア」    ――などなど。アレが食べたいコレが食べたい、とか。 更に発展して、駅前のもんじゃ焼き店の『げろしゃぶ』ってメニューが美味しいらしい、とか。 私たちは、絶えずスナック菓子に手を伸ばしながら、消灯時間まで盛り上がった。   久しく忘れていたけれど……やっぱり、友だちっていいな。 他愛ないことでも、なんとなく楽しくて、安心できて、幸せで……。人生に友は必須だわ。 でも、たくさんは要らない。振り回されるのは嫌いだから。   こういう気持ちって、いろんな呼び方があるけれど―― コトの本質を宗教的に現すならば、きっと『神の祝福』なんだと思う。 誰もが孤独だから、寂しい者同士で温めあえる術を、与えられたんだわ。   なるように、なるように。           [[後編につづく>『孤独の中の神の祝福』 後編]]    

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