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『パステル』 -3-」(2009/02/11 (水) 00:52:16) の最新版変更点

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    雛苺は、まるで手品でも見るかのような眼差しを、真紅の所作へと注いでいた。 女主人は、客人の奇異な視線を気にする風もなく、片腕だけで紅茶を注いで見せる。 ひとつひとつの仕種が、無駄のない、習熟した職人の洗練された技を思わせる。 思わず見惚れてしまうほど、優雅だった。   「お待ちどおさま。さあ、どうぞ。冷めないうちに」   ティーカップを載せたソーサーが、ことり……。硬い音を立てて、雛苺の前に置かれた。 深紅の液体からは、温かな湯気と、得も言えぬ薫香が立ちのぼってくる。 ここで生産されている、真紅ご自慢の紅茶『ローザミスティカ』なのだろう。 お茶請けに……と、てんこ盛りの桜餅も供された。   けれど、上質の紅茶も、美味しそうなお菓子でさえ、雛苺の関心を惹ききらない。 無礼と承知しつつも、彼女の眼は、どうしても真紅の右肩へと向いてしまう。 ただならぬ気配を察したらしく、真紅は品よく唇に三日月を描き、右肩に左手を添えた。   「気になる? やっぱり」 「ちゃ、あぅ……。ご、ごめんなさい」 「いいのよ、別に。見られることには、慣れているもの」   彼女の立場上、広い人脈と面会するのは、いつものこと。 しかも、衆目を集めてやまない美貌を、真紅は天より与えられている。 畢竟、隻腕も好奇の目に晒されてしまうわけだ。否応もなく。 義手は、使ったりしないの? そんな言葉が、喉までこみ上げ、いましも溢れそうになる。 雛苺はティーカップを手にすると、その質問を、お茶で肺腑に押し戻した。 ついさっき出会ったばかりの他人が、気安く口出しできるような問題ではない。 ありのままの姿でいるのも、彼女なりの考えあってのことだろう。   二人の間に横たわる、山脈のような、高く重たい静寂。 その割に、音だけは―― マントルピースの上に置かれた振り子時計のリズムは、やけに大きく聞こえた。 急かすように、からかうように。カチ……カチ……。     どうにも、いたたまれない。居心地が悪くて、尾骨の辺りがウズウズする。 雛苺はティーカップの縁を啄みながら、対座する乙女を、上目遣いに窺った。 なにか……この沈黙を押し退けるほどに勢いのある話題は、ないものかしら?   けれど、真紅は、雛苺の煩悶など、どこ吹く風で。 うっとりと瞼を閉ざし、紅茶の味と香りに酔いしれている。   もっと、紅茶のことを知っておけばよかった。 今更な後悔が、雛苺のアタマを掠める。が、このまま黙っていたくはなかった。 偶然にも触れ合えた絆を、無為にほどいてしまうのは惜しい。 言葉に窮してしまうのは、お互いのことを知らなすぎるから。 ならば、簡単なことだ。共通の話題を、暗中模索していけばいい。 雛苺はさりげなく、応接間を見回した。 そして……真紅の背後、真鍮の振り子を煌めかす置き時計の横に、ソレを見つけた。   「ねえねえ、真紅~。あの写真、見せてもらってもいい?」   指差された先を振り返って、真紅は微かに、白い喉を波だたせた。 パッと見には判らないほどの、些細な変化。 雛苺の鋭敏な瞳を以てしてもなお、捉えるのが、やっとの機微だった。   「ええ、どうぞ」と。真紅は腰を上げて、フォトスタンドを手にした。 彼女の手と比較してみると、それが随分と大振りな一品であることが判る。 収められている写真も、2L版サイズらしい。   「これ――大学院に在籍していた頃に、図書館前の広場で撮った写真よ」   言って、真紅はフォトスタンドを、雛苺に差し出した。 雛苺は軽く会釈して、賞状でも貰うかのように恭しく、それを受け取った。   2人の乙女が、青々とした芝生に腰を下ろし、肩を寄せ合っている写真―― 真紅と、彼女の学友らしい銀髪の娘が、くつろいだ笑みを浮かべている。 撮影された季節は、だいたい、5~6月くらいか。 彼女たちや芝生に降り注いでいる日射しに、真夏ほどの強さは感じられない。   2人とも、私服の上に、白衣をつっかけていた。真紅の右腕も、まだある。 どんな研究をしていたのかしら? 格好からして、理工系? 学生生活の思い出を話題にするのは、妙案かもしれない。      改めて、雛苺は写真に見入った。 この頃の真紅にはまだ、服装や面差しに、あどけなさが見え隠れしている。 現在の彼女を紅いバラに喩えるなら、学生の真紅は、ピンクのチューリップだろうか。 どこか刺々しい印象の可憐さではなく、奥ゆかしく柔らかで、愛嬌に満ちた美しさがある。   「うよー。とっても初々しくって、かわいいのよ~」 「……なんだか、いまの私が、擦れっ枯らしみたいに聞こえるわね」 「考え過ぎなの」   雛苺は写真から目を離すことなく、すげなく切り返した。   それにしても、と。雛苺は、思わず嘆息した。 真紅もさることながら、隣りに座る銀髪の娘は、これまた抜きん出た美貌の持ち主だ。 女の子である雛苺でさえ、息を呑み、羨んでしまうほどの。 白衣で遮られていても、スタイルや、ファッションセンスの良さが垣間見える。 こうして並んでみると、むしろ、真紅のほうが引き立て役だった。   如才ない才媛なのね。雛苺は、直感的に判断していた。 この娘は、天賦の魅力をもっているし、それを自覚してもいる――と。 だからこそ、自らを、叩き売り同然に八方ひけらかすなんて愚は犯さない。 秀麗な存在と並び、衆目に比較させることで、自分の美をより際立たせているのだ。 料理を味わい深くするため、隠し味として、スパイスを用いるように……。   考えようによっては、酷薄とも言える人柄だ。 そんな人と、どうして仲良さそうにしているのか。  怜悧な真紅なら、交流相手の本性ぐらい、容易に見抜けただろうに。   興味を惹かれた雛苺は、テーブルに半身を乗り出し、「ねえ、教えて」と。 まるで友だちに宿題の解法を訊くみたいに、写真の、銀髪の乙女を指差した。 「この人とは、どういった間柄なの?」     ――暫しの、間隙。 真紅は、手にしていたティーカップを、そっとテーブルに置いて、ひた……と。 アクアマリンのように深く澄んだ蒼眸を、フォトスタンドに向けた。   「その子の名前は、水銀燈。私の幼なじみなのよ。  見た目、お淑やかそうでしょう? でも、これで意外に激情家でね。  私たちは互いにライバル視して、コトある毎に張り合って――  ああ、そうそう。何回か、取っ組み合いのケンカもしたわね」   小学校の頃だけど……と繋げて、真紅は、クスクスと肩を揺らした。 真紅だって、生まれながらに慎みある淑女だったワケではない。 人並みに、やんちゃで、おてんばな時期があったのだ。 それは至極当然のことだけれど、雛苺の、真紅への親近感を膨らませる材料となった。   「幼稚園で、初めて逢ったときのショックは、いまも憶えているわ。    肌は透けるように色白だったし、こう……髪も総白髪って感じでね。  絵本で読んだ『雪女』のイメージそのものだったから」   語りながら、真紅は相好を崩した。彼女の瞳は、とても遠くを見ている。 もう手が届くことのない、遙か彼方にある、思い出の景色を。   「私、もう怖くて怖くて――膝がカクカクしていたの。本当よ。  顔を伏せていた彼女が、上目遣いに私を見たときには、失神しそうになったのだわ」 「それ、すっごく失礼な気がするのよー」 「仕方ないじゃない、幼稚園に入園したての子供だったのだもの」 「そんなに怖かったのに、なんでお友だちになれたの?」 「……見ていられなくなった。それだけよ」   一瞬、雛苺には、意味が解らなかった。 忌避したいと思いながら、どうして近づいていったのか。 怖いもの見たさ? それとも、子供にありがちな気紛れ? 雛苺が問うより先に、真紅の唇が、答えを紡いだ。    「水銀燈はね、先天性の疾病を患っていたの。  詳しい病名は忘れてしまったけれど、臓器系の難病だったそうよ。  だから、虚弱体質でね。階段の昇り降りだけでも、息切れしてしまうの。  いきなり倒れることも、日常茶飯だったのよ」   本当ならば、特別な養護施設に編入されても不思議はない子供だったワケだ。 にも拘わらず、普通の幼稚園に入園したのは、どういった理由か。 真紅はまたもや、雛苺の思考を読んだかの如きタイミングで、口を開いた。   「普通、であること」 「――うよ?」 「私たちが、なんの気なく過ごしている、ありふれた日々。  水銀燈が最も欲しかったのは、そんな『普通の日常』だったのよ。  あの子は当時、あまり長くは生きられないって……そう言われていたから」   普通ではない女の子の、普通への憧憬。 ただ、周りの子たちと、同じ生活をしたいだけ。みんなと一緒に、遊びたいだけ。 言葉を交わすようになって数日後、真紅は水銀燈から、そう聞かされたのだという。   だからこそ、水銀燈の両親も、保育園の関係者も―― 誰もが、彼女の健気な想いに応えようとした。もちろん、幼かった真紅も。   「優しいのね、真紅。ヒナだったら、見て見ないフリしちゃったかもしれない。  それか、腫れ物に障るような応対とか」 「まあ、好き好んで面倒事に首を突っ込んだりする人は、少ないでしょうね。  私だって、初めは少し気になるから、面倒を見ていただけだったのだわ。  それが、いつも視界の隅に、あの子を探してるようになって……  気づいたら、顔を合わせるたび、憎まれ口の応酬をする仲になっていたわ」 「ケンカするほど仲が良い……ってコト?」 「そうね。結局のところ、私と水銀燈は、似た者同士だったみたい」   似た者同士は、無二の親友になるか、犬猿の仲になるか――どちらか。 お互いのココロの距離が近すぎるから、接触や干渉することが、他の人々より頻繁で。 それを心地よく思えばウマが合い、鬱陶しく思えば拒絶反応を示すワケだ。   真紅と水銀燈が、無二の親友となれたのは、やはり幼なじみだったから。 まだ、未熟な――心身ともに、自分というものが確立される前の、 その柔軟な時期を、一緒に歩んでこられたからなのだろう。 たまに衝突することさえ、信頼関係を育む糧にして、今日まで――   「なかよしだから、同じ大学の、同じ研究室を選んだの?」 「大学だけじゃないわよ。小中高、ずっとよ」 「……そこまでいくと、呆れを通り越して、感心しちゃうのよ。やれやれなの」 「私も、そう思うわ。多分、水銀燈もね。だけど――」 「だけど?」 「私にとって水銀燈は、素直な自分を投影できる、鏡のような存在だったわ。  ココロから信頼できる、数少ない親友だったから……離れられなかったのよ。  いつまでも――そう。これからも、ずっと一緒のはずだったのに、ね」   ……だった? 雛苺の胸が、嫌な感じにざわついた。 どうして過去形なの? それも、何度も何度も、しつこいくらいに重ねて。 雛苺に眼差しで詰め寄られて、真紅は悲しげに睫毛を伏せた。 やはり、なにかがあったのだろう。でなければ、そんな態度を見せるはずがない。   「この子とは、いまも会ってるの?」 「……いいえ。水銀燈は…………もう、居ないわ」   ストレートな問いへの、ストレートな答え。 真紅は、テーブルに置かれたフォトスタンドを手に取って、   「私は、失ってしまったのだわ。水銀燈も、この右腕も」   胸に抱きしめ、唇を噛んだ。 「間違えてしまったのは、私。ごめんなさい、水銀燈――」   その先に続く言葉は、嗚咽に呑まれて、雛苺の耳に届くことはなかった。         -つづく-    
    雛苺は、まるで手品でも見るかのような眼差しを、真紅の所作へと注いでいた。 女主人は、客人の奇異な視線を気にする風もなく、片腕だけで紅茶を注いで見せる。 ひとつひとつの仕種が、無駄のない、習熟した職人の洗練された技を思わせる。 思わず見惚れてしまうほど、優雅だった。   「お待ちどおさま。さあ、どうぞ。冷めないうちに」   ティーカップを載せたソーサーが、ことり……。硬い音を立てて、雛苺の前に置かれた。 深紅の液体からは、温かな湯気と、得も言えぬ薫香が立ちのぼってくる。 ここで生産されている、真紅ご自慢の紅茶『ローザミスティカ』なのだろう。 お茶請けに……と、てんこ盛りの桜餅も供された。   けれど、上質の紅茶も、美味しそうなお菓子でさえ、雛苺の関心を惹ききらない。 無礼と承知しつつも、彼女の眼は、どうしても真紅の右肩へと向いてしまう。 ただならぬ気配を察したらしく、真紅は品よく唇に三日月を描き、右肩に左手を添えた。   「気になる? やっぱり」 「ちゃ、あぅ……。ご、ごめんなさい」 「いいのよ、別に。見られることには、慣れているもの」   彼女の立場上、広い人脈と面会するのは、いつものこと。 しかも、衆目を集めてやまない美貌を、真紅は天より与えられている。 畢竟、隻腕も好奇の目に晒されてしまうわけだ。否応もなく。 義手は、使ったりしないの? そんな言葉が、喉までこみ上げ、いましも溢れそうになる。 雛苺はティーカップを手にすると、その質問を、お茶で肺腑に押し戻した。 ついさっき出会ったばかりの他人が、気安く口出しできるような問題ではない。 ありのままの姿でいるのも、彼女なりの考えあってのことだろう。   二人の間に横たわる、山脈のような、高く重たい静寂。 その割に、音だけは―― マントルピースの上に置かれた振り子時計のリズムは、やけに大きく聞こえた。 急かすように、からかうように。カチ……カチ……。     どうにも、いたたまれない。居心地が悪くて、尾骨の辺りがウズウズする。 雛苺はティーカップの縁を啄みながら、対座する乙女を、上目遣いに窺った。 なにか……この沈黙を押し退けるほどに勢いのある話題は、ないものかしら?   けれど、真紅は、雛苺の煩悶など、どこ吹く風で。 うっとりと瞼を閉ざし、紅茶の味と香りに酔いしれている。   もっと、紅茶のことを知っておけばよかった。 今更な後悔が、雛苺のアタマを掠める。が、このまま黙っていたくはなかった。 偶然にも触れ合えた絆を、無為にほどいてしまうのは惜しい。 言葉に窮してしまうのは、お互いのことを知らなすぎるから。 ならば、簡単なことだ。共通の話題を、暗中模索していけばいい。 雛苺はさりげなく、応接間を見回した。 そして……真紅の背後、真鍮の振り子を煌めかす置き時計の横に、ソレを見つけた。   「ねえねえ、真紅~。あの写真、見せてもらってもいい?」   指差された先を振り返って、真紅は微かに、白い喉を波だたせた。 パッと見には判らないほどの、些細な変化。 雛苺の鋭敏な瞳を以てしてもなお、捉えるのが、やっとの機微だった。   「ええ、どうぞ」と。真紅は腰を上げて、フォトスタンドを手にした。 彼女の手と比較してみると、それが随分と大振りな一品であることが判る。 収められている写真も、2L版サイズらしい。   「これ――大学院に在籍していた頃に、図書館前の広場で撮った写真よ」   言って、真紅はフォトスタンドを、雛苺に差し出した。 雛苺は軽く会釈して、賞状でも貰うかのように恭しく、それを受け取った。   2人の乙女が、青々とした芝生に腰を下ろし、肩を寄せ合っている写真―― 真紅と、彼女の学友らしい銀髪の娘が、くつろいだ笑みを浮かべている。 撮影された季節は、だいたい、5~6月くらいか。 彼女たちや芝生に降り注いでいる日射しに、真夏ほどの強さは感じられない。   2人とも、私服の上に、白衣をつっかけていた。真紅の右腕も、まだある。 どんな研究をしていたのかしら? 格好からして、理工系? 学生生活の思い出を話題にするのは、妙案かもしれない。      改めて、雛苺は写真に見入った。 この頃の真紅にはまだ、服装や面差しに、あどけなさが見え隠れしている。 現在の彼女を紅いバラに喩えるなら、学生の真紅は、ピンクのチューリップだろうか。 どこか刺々しい印象の可憐さではなく、奥ゆかしく柔らかで、愛嬌に満ちた美しさがある。   「うよー。とっても初々しくって、かわいいのよ~」 「……なんだか、いまの私が、擦れっ枯らしみたいに聞こえるわね」 「考え過ぎなの」   雛苺は写真から目を離すことなく、すげなく切り返した。   それにしても、と。雛苺は、思わず嘆息した。 真紅もさることながら、隣りに座る銀髪の娘は、これまた抜きん出た美貌の持ち主だ。 女の子である雛苺でさえ、息を呑み、羨んでしまうほどの。 白衣で遮られていても、スタイルや、ファッションセンスの良さが垣間見える。 こうして並んでみると、むしろ、真紅のほうが引き立て役だった。   如才ない才媛なのね。雛苺は、直感的に判断していた。 この娘は、天賦の魅力をもっているし、それを自覚してもいる――と。 だからこそ、自らを、叩き売り同然に八方ひけらかすなんて愚は犯さない。 秀麗な存在と並び、衆目に比較させることで、自分の美をより際立たせているのだ。 料理を味わい深くするため、隠し味として、スパイスを用いるように……。   考えようによっては、酷薄とも言える人柄だ。 そんな人と、どうして仲良さそうにしているのか。  怜悧な真紅なら、交流相手の本性ぐらい、容易に見抜けただろうに。   興味を惹かれた雛苺は、テーブルに半身を乗り出し、「ねえ、教えて」と。 まるで友だちに宿題の解法を訊くみたいに、写真の、銀髪の乙女を指差した。 「この人とは、どういった間柄なの?」     ――暫しの、間隙。 真紅は、手にしていたティーカップを、そっとテーブルに置いて、ひた……と。 アクアマリンのように深く澄んだ蒼眸を、フォトスタンドに向けた。   「その子の名前は、水銀燈。私の幼なじみなのよ。  見た目、お淑やかそうでしょう? でも、これで意外に激情家でね。  私たちは互いにライバル視して、コトある毎に張り合って――  ああ、そうそう。何回か、取っ組み合いのケンカもしたわね」   小学校の頃だけど……と繋げて、真紅は、クスクスと肩を揺らした。 真紅だって、生まれながらに慎みある淑女だったワケではない。 人並みに、やんちゃで、おてんばな時期があったのだ。 それは至極当然のことだけれど、雛苺の、真紅への親近感を膨らませる材料となった。   「幼稚園で、初めて逢ったときのショックは、いまも憶えているわ。    肌は透けるように色白だったし、こう……髪も総白髪って感じでね。  絵本で読んだ『雪女』のイメージそのものだったから」   語りながら、真紅は相好を崩した。彼女の瞳は、とても遠くを見ている。 もう手が届くことのない、遙か彼方にある、思い出の景色を。   「私、もう怖くて怖くて――膝がカクカクしていたの。本当よ。  顔を伏せていた彼女が、上目遣いに私を見たときには、失神しそうになったのだわ」 「それ、すっごく失礼な気がするのよー」 「仕方ないじゃない、幼稚園に入園したての子供だったのだもの」 「そんなに怖かったのに、なんでお友だちになれたの?」 「……見ていられなくなった。それだけよ」   一瞬、雛苺には、意味が解らなかった。 忌避したいと思いながら、どうして近づいていったのか。 怖いもの見たさ? それとも、子供にありがちな気紛れ? 雛苺が問うより先に、真紅の唇が、答えを紡いだ。    「水銀燈はね、先天性の疾病を患っていたの。  詳しい病名は忘れてしまったけれど、臓器系の難病だったそうよ。  だから、虚弱体質でね。階段の昇り降りだけでも、息切れしてしまうの。  いきなり倒れることも、日常茶飯だったのよ」   本当ならば、特別な養護施設に編入されても不思議はない子供だったワケだ。 にも拘わらず、普通の幼稚園に入園したのは、どういった理由か。 真紅はまたもや、雛苺の思考を読んだかの如きタイミングで、口を開いた。   「普通、であること」 「――うよ?」 「私たちが、なんの気なく過ごしている、ありふれた日々。  水銀燈が最も欲しかったのは、そんな『普通の日常』だったのよ。  あの子は当時、あまり長くは生きられないって……そう言われていたから」   普通ではない女の子の、普通への憧憬。 ただ、周りの子たちと、同じ生活をしたいだけ。みんなと一緒に、遊びたいだけ。 言葉を交わすようになって数日後、真紅は水銀燈から、そう聞かされたのだという。   だからこそ、水銀燈の両親も、保育園の関係者も―― 誰もが、彼女の健気な想いに応えようとした。もちろん、幼かった真紅も。   「優しいのね、真紅。ヒナだったら、見て見ないフリしちゃったかもしれない。  それか、腫れ物に障るような応対とか」 「まあ、好き好んで面倒事に首を突っ込んだりする人は、少ないでしょうね。  私だって、初めは少し気になるから、面倒を見ていただけだったのだわ。  それが、いつも視界の隅に、あの子を探してるようになって……  気づいたら、顔を合わせるたび、憎まれ口の応酬をする仲になっていたわ」 「ケンカするほど仲が良い……ってコト?」 「そうね。結局のところ、私と水銀燈は、似た者同士だったみたい」   似た者同士は、無二の親友になるか、犬猿の仲になるか――どちらか。 お互いのココロの距離が近すぎるから、接触や干渉することが、他の人々より頻繁で。 それを心地よく思えばウマが合い、鬱陶しく思えば拒絶反応を示すワケだ。   真紅と水銀燈が、無二の親友となれたのは、やはり幼なじみだったから。 まだ、未熟な――心身ともに、自分というものが確立される前の、 その柔軟な時期を、一緒に歩んでこられたからなのだろう。 たまに衝突することさえ、信頼関係を育む糧にして、今日まで――   「なかよしだから、同じ大学の、同じ研究室を選んだの?」 「大学だけじゃないわよ。小中高、ずっとよ」 「……そこまでいくと、呆れを通り越して、感心しちゃうのよ。やれやれなの」 「私も、そう思うわ。多分、水銀燈もね。だけど――」 「だけど?」 「私にとって水銀燈は、素直な自分を投影できる、鏡のような存在だったわ。  ココロから信頼できる、数少ない親友だったから……離れられなかったのよ。  いつまでも――そう。これからも、ずっと一緒のはずだったのに、ね」   ……だった? 雛苺の胸が、嫌な感じにざわついた。 どうして過去形なの? それも、何度も何度も、しつこいくらいに重ねて。 雛苺に眼差しで詰め寄られて、真紅は悲しげに睫毛を伏せた。 やはり、なにかがあったのだろう。でなければ、そんな態度を見せるはずがない。   「この子とは、いまも会ってるの?」 「……いいえ。水銀燈は…………もう、居ないわ」   ストレートな問いへの、ストレートな答え。 真紅は、テーブルに置かれたフォトスタンドを手に取って、   「私は、失ってしまったのだわ。水銀燈も、この右腕も」   胸に抱きしめ、唇を噛んだ。 「間違えてしまったのは、私。ごめんなさい、水銀燈――」   その先に続く言葉は、嗚咽に呑まれて、雛苺の耳に届くことはなかった。         [[-つづく->『パステル』 -4-]]    

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