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【みっちゃんの野望 覇王伝】 -2-」(2009/12/31 (木) 10:25:15) の最新版変更点

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  会場ホールの壁際に近づくにつれ、人混みも稀薄になってゆく。 ようやく過度の緊張状態から解放されそうな予感に、ボクの足取りも軽くなった。   ――と、なにげなく眼を向けた壁際に、意味不明な机の列が……。 そこは閑散としていて、休憩スペースか資材置き場の様相を呈していたが、どうも違うようだ。 なんだろう? 首を捻ったところで、ふと、みっちゃんの声が脳裏に甦った。   「そうそう。『壁』と呼ばれる、特別な売場があるって言ってたっけ」   なんでも、ここに配置されるのが、超人気サークルのステイタスなのだとか。 真偽のほどは確かでないけれど、一日で百万円以上も売り上げがあったり、開場して二時間と経たない間に、完売御礼となったりするらしい。   「これ……どこも、もうみんな完売したってコト? すごい勢いだなあ」   どのサークルのスタッフも、既に撤収した後みたいだ。 よくよく見れば、即興と思しい『完売しますた』のポップが置いてある机も、ちらほら。   わずか半日ほどで、どのくらいの部数を売り切ったんだろう? みっちゃんのところも、売れ行きは上々に思えたけれど、こっちは桁が違うらしいね。 今日が初参加のボクなんかには、とても想像がつかない。   「いつか、みっちゃんのサークルも、『壁』に配置される日がくるのかなぁ」   そんな光景を思い浮かべてみて、少しばかり頬が緩んだ。 もしも、この妄想が現実のものとなった暁には、花束と讃辞ぐらいは贈呈しよう。 コスプレ売り子を頼まれたとしても、慎んでお断りさせてもらうけどね。    そのまま壁際に近づいて、開放されたシャッターを潜って外に出る。 一口にシャッターと言っても、その実、4tトラックでも楽に通り抜けできる大きなものだ。 このサイズの通用口が、壁伝いにいくつも設けられ、開催期間中は通気口の役割を果たしていた。      会場を出た途端、むわっとした、生温くて潮くさい空気に包まれた。 裏手には灌木の植え込みもあったけれど、海風を遮るまでには至っていない。 それどころか、かえって風通しのよくない、空気の澱みがちなエリアを構築してしまっている。 これは……正直、長居したくはない環境だ。   見渡せば、一般客も、より風通りのいい海辺の公園を休憩場所に選んでいるらしい。 と言うより、この付近で座り込んで屯していると、運営スタッフに注意されるみたいだね。 騒がしいのが好きじゃないボクとしては、まあ願ったりなシチュエーションだ。    「ん~。慣れない服を着て、慣れないことしたせいかな。肩が凝ってるし、腰も痛いや」   それに、全身の筋肉が、無駄に張ってる感じ。緊張しまくりだったからね。 両腕を大きく広げ、上身を左に右にと捩れば、背骨が小気味よい音を立てた。 続いて、前屈や屈伸、軽めのストレッチで身体の強ばりを解してゆく。   「あぁ……」   リラックスしてきたのが分かる。意識しないところで、吐息が漏れた。 そのせいなのかな、聞き慣れた自分の声と、少し違うような……? 不可思議に思いつつも、ゆっくりと首を回していたところに、またもや声が。     「ああ、もぅイヤ! 付き合ってられないわ、バっカみたい!」   一応、断っておく。ボクは溜息を吐いただけで、悪態までは吐いてない。 それなら、今の乱暴な物言いは、誰の? 首を巡らすと、声の主は思いがけず近くにいた。 建物の陰に隠れるようにして、なにやら地団駄を踏んでいる。   それは、斜に構えた様子が絵になるだろう、見目麗しいコスプレイヤーの女の子だった。 歳の頃は、ボクとそう違わない感じ。流れるようなプラチナブロンドは、ウィッグ?   「うわぁ。また、ずいぶんと派手な格好だね」   その娘は、全体的に淡いピンクを基調とした、目立つ服装をしていた。 魔法使いのコスプレかな。円筒形の帽子や、クエスチョンマークの付いた杖を携えている。 この暑苦しい中、マントまで装着してるんだから、見ているこっちが辛くなった。   口振りから察するに、彼女も売り子の小休止で、ストレス発散に来たのだろうね。 だったら、折角の息抜きを邪魔するのも無粋というものだ。 立ち去ろうと、踵を返しかけた矢先――踏んだ小石が、思いがけず大きな音を立てた。 その音で、こちらの気配に勘づいたらしい。女の子はギョッと、ボクの方へと振り返った。    真っ向からぶつかり、絡み合う、両者の視線。 お互いの双眸が、露骨に見開かれていくのが解った。   「キミは……」ボクは呆然と、ピンクのコスプレ娘に言葉を投げかける。 「ひょっとして、水銀燈なの?」   まさかとは思ったけれど――ひょっとしなくても、同級生の水銀燈だ。 『なんで、ここに?』見つめ返してくる彼女の揺れる瞳が、そう語っていた。   水銀燈が、珍しく狼狽えた素振りを見せたのも、一瞬。 すぐさま取り繕うように、彼女はグロスを塗った唇を、いつもの不敵な嘲笑に変えた。   「あらぁ? 誰かと思えば、蒼星石じゃなぁい。  ふふ……なぁに、その恥ずかしい格好。バカみたいねぇ。みっともない、みっともなぁい」 「それを、キミが言うのかい?」   揺るぎなく冷ややかに睨み返すと、水銀燈の嘲笑は、たちまち凍てついた。 ばかりか、ボクの無遠慮な視線に気後れしたらしく、両腕を抱いて僅かに身悶えた。 しかし、負けん気の強い彼女は、またも無意味に胸を張って、ぎこちない笑みを作る。   「ふ……呆れたおバカさん。貴女と一緒にしないでほしいわぁ。  これは『派手な妖精』のコスチュームだから、恥ずかしい格好じゃないもの」 「あのさ、水銀燈」 「な、なによぉ」 「それって、もしかして…………『はてなようせい』じゃないの?」   確信が持てないのは、名前を聞いた憶えがあっただけで、現物を見たことがないから。 派手という点に関してなら、水銀燈の言うとおりなんだけどね……。 でも、彼女のコスチュームに鏤められた『?』マークが、ボクの正しさを証明してるっぽい。   ――と、水銀燈の顔がボンッ! と音が聞こえそうなくらいに、いきなり真っ赤になった。   「う、うるさいっ! ワザとボケたに決まってるでしょ!」 「ぅわっ?! ちょ、ちょっと!」   いきなりキレた。今まで、よっぽど恥ずかしいのを我慢してたのかもね。 水銀燈は顔を紅潮させたまま、子供みたいに『?』マークの杖を振り回し始めた。   「バカバカバカっ! ジャンクにしてやるんだからっ!」 「落ち着いてよ、水銀燈! ダメだってば」   赤面ナミダ目で幼児退行しちゃった水銀燈も、なかなか可愛……じゃなくて! いくら会場の外でも、暴れるのは、他の参加者に対する迷惑行為だ。 まかり間違って第三者に怪我でも負わせようものなら、注意だけでは済まなくなる。 ボクは、水銀燈が振り回す杖を白羽取りの要領で受け止めて、穏やかに語りかけた。   「こんな真似してたら、ますます目立つことになるよ。いいのかい?」   水銀燈としても、それは本意ではないだろう。 果たしてボクの見立てどおり、彼女は渋々と矛ならぬ杖を収め、指で目元を拭った。 それから、仕切り直しとばかりに、杖の石突きでアスファルトを叩いた。   「ま、まあ……このくらいで勘弁してあげるわ。私にも、いろいろ都合があるしぃ」 「解ってくれて嬉しいよ」 「――それで?」 「えっ、なにが?」   いきなり訊かれても、なんのことやら。 まごついていたら、水銀燈に鼻先で嘲笑われた。   「察しが悪い娘ねぇ。そんな格好をしている理由を、訊いてるに決まってるでしょぉ?」 「ああ、そういうコトか。実は、ちょっと、知り合いに売り子を頼まれててね。  看板娘だからって、こんなコスプレをさせられたんだよ。キミは、どうして?」 「私は、イヤだったんだけど」   水銀燈は、急に歯切れが悪くなった。 「めぐが、どうしても参加したいって言うから……仕方なくて」   その名前には、聞き覚えがあった。柿崎めぐ――水銀燈の、無二の親友の女の子だ。 会ったことはないけれど、気分屋の水銀燈に、唯一ワガママを押し通せる人じゃないかな、柿崎さんは。   「ホントは、ちょっとコスプレしてみたかったんじゃないのかい、キミも」 「……ばぁか。勝手に言ってなさい」   辟易したように吐き捨てられた水銀燈の口調は、それでも柔らかかった。 なんだかんだ言いながら、やはり満更でもなさそうだ。素直じゃないんだからなぁ、ホントに。   「ところで、キミを未知の領域に誘った彼女は、どこに? 一緒に来たんでしょ?」   訊くや否や、水銀燈は大きな溜息を漏らして、小さくかぶりを振った。   「人の波に流されて、はぐれちゃったのよ。まったく、鈍くさいったら」 「すごい勢いだよね。ボクは初めて来てみたんだけど、人の多さに驚かされたよ」   会場は、複数のホールに分散されている。 その内の西ホールには、一般企業のブースが配され、期間限定品を物販してるらしい。 ソレを目当てに、殺気立って移動する人々も少なくないと、歴戦の勇士みっちゃんは語る。 うっかりと、その民族大移動に呑まれたのなら、はぐれるのも致し方ないだろう。   「ふぅん? 初参加でコスプレだなんて、貴女にしては大胆じゃなぁい」 「キミだって、ボクのことは言えないでしょ」 「まぁね。打ち明けると、私も初参加だし。2度目はないでしょうけどぉ」   今度は、素直に認めた。いい加減、片意地を張るのに疲れたらしい。 はぐれた親友も探さないといけないし、悠長に構えてるつもりはないってコトか。   「とりあえず、柿崎さんに携帯電話で連絡とってみたら?」 「それが……着替えるとき、うっかりロッカーに放り込んできちゃったのよ。  私としたことが、とんだオマヌケだわ。ロッカーの鍵は、めぐが持ってるしぃ」   「というワケだから、蒼星石」 水銀燈は自嘲しつつ、ずいっ! と腕を伸ばしてきた。「ケータイ貸しなさい」   もちろん、貸してあげたい。困ったときは、お互いさまだ。一応は友人だし。 でも、お生憎。持っているものならば、という前提ありなんだよね。   「いやぁ……ごめんね、水銀燈。実は、ボクも持ってないんだ」 「はぁ? なんで持ってないのよ」 「だって、このコスチューム、携帯電話を入れておけるポケットがないんだもの」 「胸の間に挿んでおけばいいでしょうに。ったく、使えない娘ねぇ」 「そこまでの保持力と包容力はないってば、ボクの胸……」   ひどい言い種だよね。自分の失態は棚に上げてさ。 でもまあ、らしいと言ったら、水銀燈らしい手前勝手ぶりだけど。    「とりあえずさ、水銀燈。一旦、会場に戻らない?」 「……なんで?」 「ボクのクライアントなら、携帯電話を持っているからね。  かなりの常連だから、こういう場面での的確なアドバイスも、いろいろくれると思うよ」 「そう……それだったら、つべこべ言ってないで急ぎましょう。   めぐは病んでイカレてるから、早く保護しないと、いろいろヤバイのよ」   なにが、どうヤバイのかな? 病んでるというのも、穏やかじゃないよね。 正直、興味をそそられた。けれど、そこまで。変に首を突っ込まないでおいた。 そういう、おばさんの井戸端会議っぽいのって、ボクらしくないし。     さて、ボクと水銀燈、二人揃って、みっちゃんのスペースに戻ったワケだけど――   「きゃーっ?! 誰っ? ね、ね、蒼星石ちゃんっ! その娘、誰なのー?  可愛いぃぃー! お持ち帰りしたいぃぃぃ! みっちゃんに紹介してぇぇー!」 「みっちゃんさん。声が大きいですって……あぁ、鼻血まで……ティッシュティッシュ」   ……あはは。なんだかね、病んでる人が、ここにも約一名いるんだけど。 まあ、有り体に言ってしまうと、会場にいる人すべてが病……ううん、なんでもないよ。   「なによ、この変な女」 「ボクのクライアントの、みっちゃんさん」 「どうかしてるわ、イカレてるわ」 「そう言わないであげてよ」   眉を顰め、小声で毒づく水銀燈を、吐息混じりに宥めつつ。 とにもかくにも、狂喜乱舞するみっちゃんを黙らせるべく、水銀燈を指して紹介した。   「同級生の水銀燈です。彼女も、これが初参加みたいで」 「へえー、そうなんだー。その『はてなようせい』のコス、なかなか完成度が高いわね。  製作期間は、どのくらい? 一ヶ月ぐらいかかったのー?」 「え……と……。わ、私が縫ったワケじゃないから、詳しいことは知らないわ」 「あれま、残念。いろいろ、コス関連の情報交換したかったんだけどなー。  ああ、それなら同人誌のほうで――」   みっちゃんは本当に、この手の話題が好きみたいだ。 でも、彼女に合わせていたら日が暮れてしまうね。ほどほどに打ち切らないと。   「みっちゃんさん、ストップ。実はですね、電話を貸してほしいんです」 「ん? なにか、トラブっちゃってる?」 「私と一緒に来てた娘が、この混雑に呑まれてね。はぐれちゃったのよ」 「それで、現在地を特定したいってワケね。うん、いいわよ。そういう理由なら」   さすがは百戦錬磨の兵。話が早い。みっちゃんは自分の携帯電話を差し出した―― ――んだけど、水銀燈が掴む寸前になって、その手をひょいと引っ込めた。   「た、だ、しぃ。あたしのお願い叶えてくれたらね、はてなようせいちゃん♪  できれば、他にもプライベートなこととか、いろいろ教えてほしいんだけどー」   強みを握るクライアントは、むふふ……と、いやらしく含み嗤った。 うん。なんとなく、予想はついていたよ。こうなるだろうことはね。 みっちゃんにも一応の分別はあるだろうから、突飛なお願いはしないと思うけど。   水銀燈が『?』ロッドを振り回したい衝動を抑えているのは、彼女の震える手から察せられた。 あの気分屋で激情家の水銀燈が、我を捨ててまで目的を果たそうとしているなんて……信じられない。   何度かの深呼吸を繰り返して、その試みは成功したらしく。   「なによぉ、お願いって」 憮然と訊き返す水銀燈に、みっちゃんは陽気なウインクで応じる。   「まっま、そんな怖い顔しないでぇ~。銀ちゃんの写真を撮らせてほしいだけだってば」 「はぁ? ちょ、まさか、この格好を撮ろうっていうのぉ?!」 「いぇ~っす! ねね、いいでしょ? 一枚だけ! 一枚でいいからっ!」 「撮らせてあげなよ、水銀燈。キミだって、早いところ、柿崎さんと合流したいんでしょ。  みっちゃんさん、撮影した写真を転売したりは、しないですよね?」 「当然、あたしのお楽しみタイム用よ。ネットに流したりしないから、安心して」 「…………しょうがないわねぇ」   水銀燈が、渋々と首肯したときにはもう、みっちゃんの手にはデジカメが召喚されていた。 「よしっと、商談成立っ! あ、折角だから、蒼星石ちゃんも一緒にね。並んで並んで~」        ★    撮られてしまったよ……はてなようせいに扮した水銀燈との、ツーショット。 みっちゃんの怒濤のテンションに翻弄されて、流されてしまったんだ。 どうして、ボクはこう押しに弱いんだろう。 いつも、姉さんに押し切られてるから、慣れちゃったのかな。   まあ、そのお陰で携帯電話を借りられたし、柿崎さんの所在も判明したんだけど。 知人には、とても見せられない。見られたくない狂態だよ、まったく。     「よりにもよって、コスプレエリアまで流されて行っちゃってたなんてね」   黙っていると、どんどん気持ちが腐ってしまう。 柿崎さんを迎えに行く道すがら、気分転換に、隣を歩く水銀燈に話を振った。 すると、水銀燈は額に手を当てて、憂鬱そうにイヤイヤをした。   「ホント、もう付き合いきれないわぁ。めぐの誘いでも、二度と来るもんですか」 「そうだね。ボクも、次は遠慮したいよ。この空気には馴染めそうもない」   ボクが同行しているのは、水銀燈が、それを強く要望したから。 コスプレしたまま独りで歩き回るのは、さすがの水銀燈でも気後れするらしい。   「話のネタに来るだけなら、一回で充分よねぇ」 「うん。今日の日記は、このことを書くつもりだよ」   ボクが言うと、水銀燈はからかうように、右の眉を上げた。   「日記だなんて、几帳面ね。蒼星石らしいわ」 「ずっと続けてるからね。もう生活習慣になっているだけさ」 「私は、ダメねぇ。そういうの、いっつも三日坊主だしぃ」 「いいんじゃない? 少しぐらいルーズなほうが、キミらしいよ」 「……それ、褒めてるのぉ?」  怒り出すかと思いきや、水銀燈は鼻で笑って、ボクにデコピンしただけだった。      ようやくにして辿り着いた屋外のコスプレエリアは、想像以上に広く、活気に満ちていた。 夏の強い日射しの下、さまざまなコスチュームに身を包んだ人々が、賑々しく談笑している。 その中には、撮影許可を受けたらしい、腕章を着けたアマチュアカメラマンも、ちらほら。   「すっごい熱気。どうして、あんなに夢中になれるのかしら。理解できなぁい」 「好きだからこそ、だろうね。みんな楽しそうな顔してるよ」 「たかがマンガでしょうに……バカみたい。くっだらなぁい。呆れたわ」 「理解できないことを、くだらないと決めつけるのは横暴だよ。あまり感心しないね」   ボクが言うと、水銀燈は拗ねたように唇をとがらせ、そっぽを向いた。   まあ、この娘が多弁になるのは、少なからず興味があるときなんだけどね。 天の邪鬼だから、大概は、逆の意味にとっておけば間違いない。 なんだかんだ文句を並べてる割には、はてなようせいコスを気に入ってるみたいだし。   「ほらほら、ヘソ曲げてないで。柿崎さんを探すんでしょ。  彼女、どんな服装してるのさ。教えてくれるかな、はてなようせいさん?」   水銀燈は頬を紅に染めてボクを睨み、何事か言いかけたけれど―― さすがに周囲の目を気にしたのだろう。芝居じみた舌打ちをして、怠そうに呟いた。   「コスプレしてるわよ。赤と青のツートンカラーの衣装でね。赤十字のついた帽子をかぶってて。  なんて言ったかしら……えぇと…………そうだわ。確か、えーりん……とか、なんとか」   えーりん? なにそれ、映倫のこと? なんだろう、そこはかとなく卑猥な感じがするのは、ボクの考えすぎかな。 でもまあ見方を変えれば、赤青ツートンなんて目立ちそうだし、歓迎すべきなのかも。   「じゃあ、手分けして探そうか」   ふたりなんだから、その方が効率もいいだろう。 そう思っての提案だったのだけど、水銀燈は言下に否定した。   「ダメよ。私たちだって、お互いに連絡手段を持ってないじゃない。  捜索隊が二次遭難だなんて、おバカさんにも程があるわ」 「だからさ、前もって、合流する時間と場所を決めておけば問題な――」 「とにかく、ダメったらダメなの。言うこと聞かないと、ひっぱたくわよ」   なんだか、いつにも増して強引だ。柿崎さんを探しに来たのに、どういうつもり? 一寸、理由を考えてみて、もしや……と思い至った。   「勝手が分からない場所で、独りにされるのが怖いのかい?」 「ち、違うわよ!」 「……ふぅん、なるほど。キミも意外に、臆病なんだね」 「違うって言ってるでしょ、このっ!」 「痛いっ! な、なにするのさ! 杖でおしり叩かないでよ、もおっ」   やれやれ。案外、可愛いトコあるなと思った途端に、この暴挙だもの。 照れ隠しにしても、もう少し穏やかにお願いしたいよ、ホント。   ともあれ、ここで雑談をしてても埒が開かない。 水銀燈のためにも、さっさと柿崎さんを見つけ出してあげないとね。   「それじゃあ、ボクは会場側をメインに見回して歩くから」 「だったら、私は海側を中心に探すわ。それらしい格好を見かけたら、すぐ報せなさい」   簡単な打ち合わせをして、興宴の直中を歩きだす。 周りを賑わしている人々の九割がたは、当然だけど、コスプレイヤーだ。 ゲームなのか、アニメのものなのか、ボクが見たこともない衣装ばかりだった。   「なんだか、違う惑星にでも降り立ったみたいねぇ」   水銀燈の独り言。さすがに違う惑星とは大袈裟だと思うけど、概ね、賛同するよ。 ここには、なにか特殊なフィールドが張り巡らされているみたいだ。 ボクらが何故か、この場に馴染んでしまっているのも、その影響なのか。    このときボクの胸を騒がせていた戸惑いは、どう書き表したら伝わるだろう。 なんだか、触れてはいけないモノを、掘り出してしまったような…… 禁忌を犯してしまった背徳感が、イメージ的に近いかもしれない。   現在進行形で、なにかに侵蝕されている危機感。 水銀燈が、最初に手分けして探すことに反撥したのも、もしかしたら直感的にソレを察知していたから? なにやら漠然とした怖れを抱きながら、ボクらは未知の領域を進み続けた。     そして、ボクは知ることになる。 まさか、まさか――これが底なし沼への一方通行だったなんて。     ん? この締めくくり方……なんかデジャビュ。         [[-3->【みっちゃんの野望 覇王伝】 -3-]]
  会場ホールの壁際に近づくにつれ、人混みも稀薄になってゆく。 ようやく過度の緊張状態から解放されそうな予感に、ボクの足取りも軽くなった。   ――と、なにげなく眼を向けた壁際に、意味不明な机の列が……。 そこは閑散としていて、休憩スペースか資材置き場の様相を呈していたが、どうも違うようだ。 なんだろう? 首を捻ったところで、ふと、みっちゃんの声が脳裏に甦った。   「そうそう。『壁』と呼ばれる、特別な売場があるって言ってたっけ」   なんでも、ここに配置されるのが、超人気サークルのステイタスなのだとか。 真偽のほどは確かでないけれど、一日で百万円以上も売り上げがあったり、開場して二時間と経たない間に、完売御礼となったりするらしい。   「これ……どこも、もうみんな完売したってコト? すごい勢いだなあ」   どのサークルのスタッフも、既に撤収した後みたいだ。 よくよく見れば、即興と思しい『完売しますた』のポップが置いてある机も、ちらほら。   わずか半日ほどで、どのくらいの部数を売り切ったんだろう? みっちゃんのところも、売れ行きは上々に思えたけれど、こっちは桁が違うらしいね。 今日が初参加のボクなんかには、とても想像がつかない。   「いつか、みっちゃんのサークルも、『壁』に配置される日がくるのかなぁ」   そんな光景を思い浮かべてみて、少しばかり頬が緩んだ。 もしも、この妄想が現実のものとなった暁には、花束と讃辞ぐらいは贈呈しよう。 コスプレ売り子を頼まれたとしても、慎んでお断りさせてもらうけどね。    そのまま壁際に近づいて、開放されたシャッターを潜って外に出る。 一口にシャッターと言っても、その実、4tトラックでも楽に通り抜けできる大きなものだ。 このサイズの通用口が、壁伝いにいくつも設けられ、開催期間中は通気口の役割を果たしていた。      会場を出た途端、むわっとした、生温くて潮くさい空気に包まれた。 裏手には灌木の植え込みもあったけれど、海風を遮るまでには至っていない。 それどころか、かえって風通しのよくない、空気の澱みがちなエリアを構築してしまっている。 これは……正直、長居したくはない環境だ。   見渡せば、一般客も、より風通りのいい海辺の公園を休憩場所に選んでいるらしい。 と言うより、この付近で座り込んで屯していると、運営スタッフに注意されるみたいだね。 騒がしいのが好きじゃないボクとしては、まあ願ったりなシチュエーションだ。    「ん~。慣れない服を着て、慣れないことしたせいかな。肩が凝ってるし、腰も痛いや」   それに、全身の筋肉が、無駄に張ってる感じ。緊張しまくりだったからね。 両腕を大きく広げ、上身を左に右にと捩れば、背骨が小気味よい音を立てた。 続いて、前屈や屈伸、軽めのストレッチで身体の強ばりを解してゆく。   「あぁ……」   リラックスしてきたのが分かる。意識しないところで、吐息が漏れた。 そのせいなのかな、聞き慣れた自分の声と、少し違うような……? 不可思議に思いつつも、ゆっくりと首を回していたところに、またもや声が。     「ああ、もぅイヤ! 付き合ってられないわ、バっカみたい!」   一応、断っておく。ボクは溜息を吐いただけで、悪態までは吐いてない。 それなら、今の乱暴な物言いは、誰の? 首を巡らすと、声の主は思いがけず近くにいた。 建物の陰に隠れるようにして、なにやら地団駄を踏んでいる。   それは、斜に構えた様子が絵になるだろう、見目麗しいコスプレイヤーの女の子だった。 歳の頃は、ボクとそう違わない感じ。流れるようなプラチナブロンドは、ウィッグ?   「うわぁ。また、ずいぶんと派手な格好だね」   その娘は、全体的に淡いピンクを基調とした、目立つ服装をしていた。 魔法使いのコスプレかな。円筒形の帽子や、クエスチョンマークの付いた杖を携えている。 この暑苦しい中、マントまで装着してるんだから、見ているこっちが辛くなった。   口振りから察するに、彼女も売り子の小休止で、ストレス発散に来たのだろうね。 だったら、折角の息抜きを邪魔するのも無粋というものだ。 立ち去ろうと、踵を返しかけた矢先――踏んだ小石が、思いがけず大きな音を立てた。 その音で、こちらの気配に勘づいたらしい。女の子はギョッと、ボクの方へと振り返った。    真っ向からぶつかり、絡み合う、両者の視線。 お互いの双眸が、露骨に見開かれていくのが解った。   「キミは……」ボクは呆然と、ピンクのコスプレ娘に言葉を投げかける。 「ひょっとして、水銀燈なの?」   まさかとは思ったけれど――ひょっとしなくても、同級生の水銀燈だ。 『なんで、ここに?』見つめ返してくる彼女の揺れる瞳が、そう語っていた。   水銀燈が、珍しく狼狽えた素振りを見せたのも、一瞬。 すぐさま取り繕うように、彼女はグロスを塗った唇を、いつもの不敵な嘲笑に変えた。   「あらぁ? 誰かと思えば、蒼星石じゃなぁい。  ふふ……なぁに、その恥ずかしい格好。バカみたいねぇ。みっともない、みっともなぁい」 「それを、キミが言うのかい?」   揺るぎなく冷ややかに睨み返すと、水銀燈の嘲笑は、たちまち凍てついた。 ばかりか、ボクの無遠慮な視線に気後れしたらしく、両腕を抱いて僅かに身悶えた。 しかし、負けん気の強い彼女は、またも無意味に胸を張って、ぎこちない笑みを作る。   「ふ……呆れたおバカさん。貴女と一緒にしないでほしいわぁ。  これは『派手な妖精』のコスチュームだから、恥ずかしい格好じゃないもの」 「あのさ、水銀燈」 「な、なによぉ」 「それって、もしかして…………『はてなようせい』じゃないの?」   確信が持てないのは、名前を聞いた憶えがあっただけで、現物を見たことがないから。 派手という点に関してなら、水銀燈の言うとおりなんだけどね……。 でも、彼女のコスチュームに鏤められた『?』マークが、ボクの正しさを証明してるっぽい。   ――と、水銀燈の顔がボンッ! と音が聞こえそうなくらいに、いきなり真っ赤になった。   「う、うるさいっ! ワザとボケたに決まってるでしょ!」 「ぅわっ?! ちょ、ちょっと!」   いきなりキレた。今まで、よっぽど恥ずかしいのを我慢してたのかもね。 水銀燈は顔を紅潮させたまま、子供みたいに『?』マークの杖を振り回し始めた。   「バカバカバカっ! ジャンクにしてやるんだからっ!」 「落ち着いてよ、水銀燈! ダメだってば」   赤面ナミダ目で幼児退行しちゃった水銀燈も、なかなか可愛……じゃなくて! いくら会場の外でも、暴れるのは、他の参加者に対する迷惑行為だ。 まかり間違って第三者に怪我でも負わせようものなら、注意だけでは済まなくなる。 ボクは、水銀燈が振り回す杖を白羽取りの要領で受け止めて、穏やかに語りかけた。   「こんな真似してたら、ますます目立つことになるよ。いいのかい?」   水銀燈としても、それは本意ではないだろう。 果たしてボクの見立てどおり、彼女は渋々と矛ならぬ杖を収め、指で目元を拭った。 それから、仕切り直しとばかりに、杖の石突きでアスファルトを叩いた。   「ま、まあ……このくらいで勘弁してあげるわ。私にも、いろいろ都合があるしぃ」 「解ってくれて嬉しいよ」 「――それで?」 「えっ、なにが?」   いきなり訊かれても、なんのことやら。 まごついていたら、水銀燈に鼻先で嘲笑われた。   「察しが悪い娘ねぇ。そんな格好をしている理由を、訊いてるに決まってるでしょぉ?」 「ああ、そういうコトか。実は、ちょっと、知り合いに売り子を頼まれててね。  看板娘だからって、こんなコスプレをさせられたんだよ。キミは、どうして?」 「私は、イヤだったんだけど」   水銀燈は、急に歯切れが悪くなった。 「めぐが、どうしても参加したいって言うから……仕方なくて」   その名前には、聞き覚えがあった。柿崎めぐ――水銀燈の、無二の親友の女の子だ。 会ったことはないけれど、気分屋の水銀燈に、唯一ワガママを押し通せる人じゃないかな、柿崎さんは。   「ホントは、ちょっとコスプレしてみたかったんじゃないのかい、キミも」 「……ばぁか。勝手に言ってなさい」   辟易したように吐き捨てられた水銀燈の口調は、それでも柔らかかった。 なんだかんだ言いながら、やはり満更でもなさそうだ。素直じゃないんだからなぁ、ホントに。   「ところで、キミを未知の領域に誘った彼女は、どこに? 一緒に来たんでしょ?」   訊くや否や、水銀燈は大きな溜息を漏らして、小さくかぶりを振った。   「人の波に流されて、はぐれちゃったのよ。まったく、鈍くさいったら」 「すごい勢いだよね。ボクは初めて来てみたんだけど、人の多さに驚かされたよ」   会場は、複数のホールに分散されている。 その内の西ホールには、一般企業のブースが配され、期間限定品を物販してるらしい。 ソレを目当てに、殺気立って移動する人々も少なくないと、歴戦の勇士みっちゃんは語る。 うっかりと、その民族大移動に呑まれたのなら、はぐれるのも致し方ないだろう。   「ふぅん? 初参加でコスプレだなんて、貴女にしては大胆じゃなぁい」 「キミだって、ボクのことは言えないでしょ」 「まぁね。打ち明けると、私も初参加だし。2度目はないでしょうけどぉ」   今度は、素直に認めた。いい加減、片意地を張るのに疲れたらしい。 はぐれた親友も探さないといけないし、悠長に構えてるつもりはないってコトか。   「とりあえず、柿崎さんに携帯電話で連絡とってみたら?」 「それが……着替えるとき、うっかりロッカーに放り込んできちゃったのよ。  私としたことが、とんだオマヌケだわ。ロッカーの鍵は、めぐが持ってるしぃ」   「というワケだから、蒼星石」 水銀燈は自嘲しつつ、ずいっ! と腕を伸ばしてきた。「ケータイ貸しなさい」   もちろん、貸してあげたい。困ったときは、お互いさまだ。一応は友人だし。 でも、お生憎。持っているものならば、という前提ありなんだよね。   「いやぁ……ごめんね、水銀燈。実は、ボクも持ってないんだ」 「はぁ? なんで持ってないのよ」 「だって、このコスチューム、携帯電話を入れておけるポケットがないんだもの」 「胸の間に挿んでおけばいいでしょうに。ったく、使えない娘ねぇ」 「そこまでの保持力と包容力はないってば、ボクの胸……」   ひどい言い種だよね。自分の失態は棚に上げてさ。 でもまあ、らしいと言ったら、水銀燈らしい手前勝手ぶりだけど。    「とりあえずさ、水銀燈。一旦、会場に戻らない?」 「……なんで?」 「ボクのクライアントなら、携帯電話を持っているからね。  かなりの常連だから、こういう場面での的確なアドバイスも、いろいろくれると思うよ」 「そう……それだったら、つべこべ言ってないで急ぎましょう。   めぐは病んでイカレてるから、早く保護しないと、いろいろヤバイのよ」   なにが、どうヤバイのかな? 病んでるというのも、穏やかじゃないよね。 正直、興味をそそられた。けれど、そこまで。変に首を突っ込まないでおいた。 そういう、おばさんの井戸端会議っぽいのって、ボクらしくないし。     さて、ボクと水銀燈、二人揃って、みっちゃんのスペースに戻ったワケだけど――   「きゃーっ?! 誰っ? ね、ね、蒼星石ちゃんっ! その娘、誰なのー?  可愛いぃぃー! お持ち帰りしたいぃぃぃ! みっちゃんに紹介してぇぇー!」 「みっちゃんさん。声が大きいですって……あぁ、鼻血まで……ティッシュティッシュ」   ……あはは。なんだかね、病んでる人が、ここにも約一名いるんだけど。 まあ、有り体に言ってしまうと、会場にいる人すべてが病……ううん、なんでもないよ。   「なによ、この変な女」 「ボクのクライアントの、みっちゃんさん」 「どうかしてるわ、イカレてるわ」 「そう言わないであげてよ」   眉を顰め、小声で毒づく水銀燈を、吐息混じりに宥めつつ。 とにもかくにも、狂喜乱舞するみっちゃんを黙らせるべく、水銀燈を指して紹介した。   「同級生の水銀燈です。彼女も、これが初参加みたいで」 「へえー、そうなんだー。その『はてなようせい』のコス、なかなか完成度が高いわね。  製作期間は、どのくらい? 一ヶ月ぐらいかかったのー?」 「え……と……。わ、私が縫ったワケじゃないから、詳しいことは知らないわ」 「あれま、残念。いろいろ、コス関連の情報交換したかったんだけどなー。  ああ、それなら同人誌のほうで――」   みっちゃんは本当に、この手の話題が好きみたいだ。 でも、彼女に合わせていたら日が暮れてしまうね。ほどほどに打ち切らないと。   「みっちゃんさん、ストップ。実はですね、電話を貸してほしいんです」 「ん? なにか、トラブっちゃってる?」 「私と一緒に来てた娘が、この混雑に呑まれてね。はぐれちゃったのよ」 「それで、現在地を特定したいってワケね。うん、いいわよ。そういう理由なら」   さすがは百戦錬磨の兵。話が早い。みっちゃんは自分の携帯電話を差し出した―― ――んだけど、水銀燈が掴む寸前になって、その手をひょいと引っ込めた。   「た、だ、しぃ。あたしのお願い叶えてくれたらね、はてなようせいちゃん♪  できれば、他にもプライベートなこととか、いろいろ教えてほしいんだけどー」   強みを握るクライアントは、むふふ……と、いやらしく含み嗤った。 うん。なんとなく、予想はついていたよ。こうなるだろうことはね。 みっちゃんにも一応の分別はあるだろうから、突飛なお願いはしないと思うけど。   水銀燈が『?』ロッドを振り回したい衝動を抑えているのは、彼女の震える手から察せられた。 あの気分屋で激情家の水銀燈が、我を捨ててまで目的を果たそうとしているなんて……信じられない。   何度かの深呼吸を繰り返して、その試みは成功したらしく。   「なによぉ、お願いって」 憮然と訊き返す水銀燈に、みっちゃんは陽気なウインクで応じる。   「まっま、そんな怖い顔しないでぇ~。銀ちゃんの写真を撮らせてほしいだけだってば」 「はぁ? ちょ、まさか、この格好を撮ろうっていうのぉ?!」 「いぇ~っす! ねね、いいでしょ? 一枚だけ! 一枚でいいからっ!」 「撮らせてあげなよ、水銀燈。キミだって、早いところ、柿崎さんと合流したいんでしょ。  みっちゃんさん、撮影した写真を転売したりは、しないですよね?」 「当然、あたしのお楽しみタイム用よ。ネットに流したりしないから、安心して」 「…………しょうがないわねぇ」   水銀燈が、渋々と首肯したときにはもう、みっちゃんの手にはデジカメが召喚されていた。 「よしっと、商談成立っ! あ、折角だから、蒼星石ちゃんも一緒にね。並んで並んで~」        ★    撮られてしまったよ……はてなようせいに扮した水銀燈との、ツーショット。 みっちゃんの怒濤のテンションに翻弄されて、流されてしまったんだ。 どうして、ボクはこう押しに弱いんだろう。 いつも、姉さんに押し切られてるから、慣れちゃったのかな。   まあ、そのお陰で携帯電話を借りられたし、柿崎さんの所在も判明したんだけど。 知人には、とても見せられない。見られたくない狂態だよ、まったく。     「よりにもよって、コスプレエリアまで流されて行っちゃってたなんてね」   黙っていると、どんどん気持ちが腐ってしまう。 柿崎さんを迎えに行く道すがら、気分転換に、隣を歩く水銀燈に話を振った。 すると、水銀燈は額に手を当てて、憂鬱そうにイヤイヤをした。   「ホント、もう付き合いきれないわぁ。めぐの誘いでも、二度と来るもんですか」 「そうだね。ボクも、次は遠慮したいよ。この空気には馴染めそうもない」   ボクが同行しているのは、水銀燈が、それを強く要望したから。 コスプレしたまま独りで歩き回るのは、さすがの水銀燈でも気後れするらしい。   「話のネタに来るだけなら、一回で充分よねぇ」 「うん。今日の日記は、このことを書くつもりだよ」   ボクが言うと、水銀燈はからかうように、右の眉を上げた。   「日記だなんて、几帳面ね。蒼星石らしいわ」 「ずっと続けてるからね。もう生活習慣になっているだけさ」 「私は、ダメねぇ。そういうの、いっつも三日坊主だしぃ」 「いいんじゃない? 少しぐらいルーズなほうが、キミらしいよ」 「……それ、褒めてるのぉ?」  怒り出すかと思いきや、水銀燈は鼻で笑って、ボクにデコピンしただけだった。      ようやくにして辿り着いた屋外のコスプレエリアは、想像以上に広く、活気に満ちていた。 夏の強い日射しの下、さまざまなコスチュームに身を包んだ人々が、賑々しく談笑している。 その中には、撮影許可を受けたらしい、腕章を着けたアマチュアカメラマンも、ちらほら。   「すっごい熱気。どうして、あんなに夢中になれるのかしら。理解できなぁい」 「好きだからこそ、だろうね。みんな楽しそうな顔してるよ」 「たかがマンガでしょうに……バカみたい。くっだらなぁい。呆れたわ」 「理解できないことを、くだらないと決めつけるのは横暴だよ。あまり感心しないね」   ボクが言うと、水銀燈は拗ねたように唇をとがらせ、そっぽを向いた。   まあ、この娘が多弁になるのは、少なからず興味があるときなんだけどね。 天の邪鬼だから、大概は、逆の意味にとっておけば間違いない。 なんだかんだ文句を並べてる割には、はてなようせいコスを気に入ってるみたいだし。   「ほらほら、ヘソ曲げてないで。柿崎さんを探すんでしょ。  彼女、どんな服装してるのさ。教えてくれるかな、はてなようせいさん?」   水銀燈は頬を紅に染めてボクを睨み、何事か言いかけたけれど―― さすがに周囲の目を気にしたのだろう。芝居じみた舌打ちをして、怠そうに呟いた。   「コスプレしてるわよ。赤と青のツートンカラーの衣装でね。赤十字のついた帽子をかぶってて。  なんて言ったかしら……えぇと…………そうだわ。確か、えーりん……とか、なんとか」   えーりん? なにそれ、映倫のこと? なんだろう、そこはかとなく卑猥な感じがするのは、ボクの考えすぎかな。 でもまあ見方を変えれば、赤青ツートンなんて目立ちそうだし、歓迎すべきなのかも。   「じゃあ、手分けして探そうか」   ふたりなんだから、その方が効率もいいだろう。 そう思っての提案だったのだけど、水銀燈は言下に否定した。   「ダメよ。私たちだって、お互いに連絡手段を持ってないじゃない。  捜索隊が二次遭難だなんて、おバカさんにも程があるわ」 「だからさ、前もって、合流する時間と場所を決めておけば問題な――」 「とにかく、ダメったらダメなの。言うこと聞かないと、ひっぱたくわよ」   なんだか、いつにも増して強引だ。柿崎さんを探しに来たのに、どういうつもり? 一寸、理由を考えてみて、もしや……と思い至った。   「勝手が分からない場所で、独りにされるのが怖いのかい?」 「ち、違うわよ!」 「……ふぅん、なるほど。キミも意外に、臆病なんだね」 「違うって言ってるでしょ、このっ!」 「痛いっ! な、なにするのさ! 杖でおしり叩かないでよ、もおっ」   やれやれ。案外、可愛いトコあるなと思った途端に、この暴挙だもの。 照れ隠しにしても、もう少し穏やかにお願いしたいよ、ホント。   ともあれ、ここで雑談をしてても埒が開かない。 水銀燈のためにも、さっさと柿崎さんを見つけ出してあげないとね。   「それじゃあ、ボクは会場側をメインに見回して歩くから」 「だったら、私は海側を中心に探すわ。それらしい格好を見かけたら、すぐ報せなさい」   簡単な打ち合わせをして、興宴の直中を歩きだす。 周りを賑わしている人々の九割がたは、当然だけど、コスプレイヤーだ。 ゲームなのか、アニメのものなのか、ボクが見たこともない衣装ばかりだった。   「なんだか、違う惑星にでも降り立ったみたいねぇ」   水銀燈の独り言。さすがに違う惑星とは大袈裟だと思うけど、概ね、賛同するよ。 ここには、なにか特殊なフィールドが張り巡らされているみたいだ。 ボクらが何故か、この場に馴染んでしまっているのも、その影響なのか。    このときボクの胸を騒がせていた戸惑いは、どう書き表したら伝わるだろう。 なんだか、触れてはいけないモノを、掘り出してしまったような…… 禁忌を犯してしまった背徳感が、イメージ的に近いかもしれない。   現在進行形で、なにかに侵蝕されている危機感。 水銀燈が、最初に手分けして探すことに反撥したのも、もしかしたら直感的にソレを察知していたから? なにやら漠然とした怖れを抱きながら、ボクらは未知の領域を進み続けた。     そして、ボクは知ることになる。 まさか、まさか――これが底なし沼への一方通行だったなんて。     ん? この締めくくり方……なんかデジャビュ。       [[-3->【みっちゃんの野望 覇王伝】 -3-]]

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