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~第十五章~」(2007/01/25 (木) 21:36:25) の最新版変更点

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<p> <br> ~第十五章~<br> <br> <br> 山道を彷徨い歩くこと半日、漸くにして辿り着いてみれば、真夜中だった。<br> 夜更けの町は、ひっそりと寝静まっている。<br> そんな中、他人の迷惑を省みない怒声が、閑散とした路地に反響していた。<br> <br> 「まったく……金糸雀なんかを信じた私が、バカだったですぅ」<br> 「そう言わないで欲しいかしら。まさか、崖崩れが起きてたなんて思わなかったから」<br> 「不可抗力なのは、しゃ~ねえです。問題は、その後ですっ!」<br> 「でも、あなただって同意したかしら」<br> <br> 崖崩れで回り道を余儀なくされた二人は、よせばいいのに、山を登って最短距離を行こうとした。<br> 実際、その時は、なんでもない道のりに思えたのだ。<br> しかし、理論と実践は違う。<br> 散々に山中を歩き回った末に、元の場所に出たときは、徒労感で全身の力が抜けた。<br> <br> それから暫くの間、取っ組み合いの喧嘩をして更に体力を失い、疲労のため仲直り。<br> 素直に迂回路を通って、やっと町に到着したのだった。<br> <br> 「カナばかりを悪く言うのは、激しくお門違いかしら」<br> 「う……ま、まあ、過ぎたことを、とやかく言っても仕方ねぇですね」<br> 「そう言うこと。こんな時間だけど、泊めてくれる旅籠を探すのが先かしら」<br> 「最悪、その辺の路地裏で、野宿ですかねぇ……心配ですぅ」<br> 「桜田藩は治安が良いから、夜盗や追い剥ぎは出ないわ。<br> たとえ出たとしても、カナが、じっちゃんの名にかけて撃退してやるかしら」<br> 「だから、心配だと言ってるです。金糸雀は、間違えて私を撃ちそうですぅ」<br> <br> あの娘になら、安心して背中を預けられるのに。<br> 不意に、そんな想いが頭を過ぎった途端、娘は突然の激しい頭痛に苛まれた。<br> いきなり、その場に蹲った娘の肩を、金糸雀が心配そうに支える。<br> <br> 「また、頭痛? ちょっと待つかしら。いま、薬を――」<br> 「だ、大丈夫ですぅ。少し、じっとしてれば……」<br> <br> ここ数日、娘は頻繁に、激しい頭痛に襲われていた。それも、彼女の事を考えた時だけ。<br> 一瞬だけ脳裏に浮かぶ、栗色の髪の娘。<br> 彼女の面差しは、鏡写しの自分を見ているような錯覚を覚えるほど、酷似していた。<br> <br> あの娘は、誰? 知ってる気がする……ううん、確かに知ってる。<br> だけど、なぜ、彼女の事を思い出そうとすると頭が割れるように痛くなるの?<br> <br> (考えちゃダメ…………別のこと、考えるです。別の……)<br> <br> 苦痛から逃れるために、周囲の景色を眺めて、意識を逸らそうと試みる。<br> しかし、辺りは宵闇。<br> さっきまで降り注いでいた十三夜の月明かりも、雲に隠れて、今は見えなかった。<br> 黒い闇が、心の隙間から、そろり……と侵入してくる。<br> それは瞬く間に、娘の意識を呑み込んでいった。<br> <br> 「どうしたの? やっぱり、薬を飲んだ方が良いかしら」<br> 「……い……です」<br> 「えっ?」<br> 「うるさいですっ!」<br> <br> 娘は吼えると、金糸雀を突き飛ばした。<br> <br> 「きゃんっ!」<br> <br> 突然のことに対処しきれず、尻餅をついた金糸雀の前で、娘は威嚇の唸りを上げた。<br> <br> 「この間は、よくも邪魔してくれたね。今度こそ、息の根を止めてくれる」<br> 「!! お前はっ!」<br> 「あの程度で、この由奈さまが離れると思ったの? 浅はかな」<br> <br> せせら笑う娘の頭には、猫の耳が生えていた。<br> 背後では、二本の長い尻尾が、金糸雀を馬鹿にするように躍っている。<br> 正直、この状況は望ましくない。<br> 金糸雀は短筒を抜き出し、猫又が取り憑いた娘を牽制した。<br> 装填してあるのは『南無阿弥陀仏』と念仏を刻印した、退魔処理を施した弾丸である。<br> <br> 「そっちこそ、この前と同じだなんて思わない事かしら」<br> 「さて……どうかな?」<br> <br> 娘も、クナイを抜き出した。<br> 向こうも飛び道具を持っているとなれば、真っ向切って戦うのは厳しい。<br> 金糸雀は一発だけ牽制として撃つと、跳ね起きて逃走した。<br> <br> 重い行李を背負っているので、思ったようには早く走れない。<br> 背後で、行李にクナイが刺さる音がした。<br> それも一度ではない。二度、三度と、突き刺さる。<br> いかにも、いつだって急所を穿てるのだと言わんばかりに。<br> <br> 遊ばれている。悔しさのあまり、金糸雀は顔が熱くなるのを感じた。<br> けれど、そこで踏み止まって戦うほど愚かではない。<br> 相手が遊んでいる内は、生き延びる好機が残されている、という事だ。<br> <br> (どこかの家に逃げ込む? ダメ、家人を巻き添えには出来ない)<br> <br> また一撃、クナイが飛んできた。今度は金糸雀の右肩を掠って、服と肌を切り裂いた。<br> 遊びの時間から、狩りの時間へと移ったらしい。猶予は、あと僅か。<br> 縺れ始めた両脚に鞭打ちながら、必死に走り続ける金糸雀。<br> 前方で、なにやら喧噪が聞こえたのは、彼女の左肩をクナイが掠った正にその時だった。<br> <br> 夜闇に眼を凝らすと、大勢の兵士が得物を手に、屯しているのが見えた。<br> こんな夜中に、何をしているのだろう?<br> 普段の金糸雀ならば即座に疑ってかかる場面だったが、差し迫った命の危険に、<br> つい無思慮な行動に出てしまった。<br> <br> 「た、助かったかしら! ちょっと、あなた達!」<br> <br> 金糸雀の声に、兵士達が一斉に振り返る。<br> <br> 「助……け……って、えぇぇっ?!」<br> <br> 素っ頓狂な声を上げる金糸雀。<br> 兵士達の顔は、不気味な骸骨だった。しかも、一斉に襲いかかってきたではないか。<br> 前門の虎、後門の狼とは、まさに今の状況を言うのだろう。<br> 立ち尽くしたら、背後の猫又娘に殺られる。<br> <br> 金糸雀は覚悟を決めて、迫り来る兵士の群に向かって、撃鉄を落とした。<br> 放たれた銃弾が、前衛の兵士の胴丸を撃ち抜く。<br> だが、よろめいただけ。効果は殆ど無い。やはり、頭を狙うしかなさそうだ。<br> <br> 「残り、四発……斃せるのは四体までね」<br> <br> 精霊の助けを借りようにも、月が翳っていて、影が出ない。<br> 金糸雀の氷鹿蹟は、使用できる状況が限られてしまう点に、難があった。<br> <br> 走りながら、立て続けに二発撃つ。<br> 狙いは雑だったが、相手が密集隊形だったため、運良く二体の頭蓋骨を撃ち砕けた。<br> 残りは二発。敵は、圧倒的多数。<br> 距離のある内に残弾を撃ち切って、再装填した方が得策だろう。<br> 金糸雀は側にあった防火用水槽の陰に飛び込んで、引き金を引いた。<br> <br> 急いで廃莢。袖に縫い付けてある弾帯から銃弾を抜き取り、慣れた動作で装填する。<br> ガシャリと回転式の弾倉を押し込み、迫り来る穢れの者どもに照準を合わせた。<br> <br> だが、撃鉄を落とすより早く、短筒はクナイによって、金糸雀の手からもぎ取られていた。<br> 見れば、道を挟んだ家の屋根に、あの娘が陣取っていた。<br> 夜闇の中で、爛々と瞳を輝かせている。<br> <br> 「くぅっ! やってくれるかしら」<br> <br> もう、穢れの者どもは、すぐ近くまで迫っている。<br> 金糸雀は防火用水槽の陰から飛び出して、弾き飛ばされた短筒に腕を伸ばした。<br> 彼女の目の前で、短筒は無情にもクナイに弾かれて、更に遠退く。<br> そして、懸命に伸ばされた金糸雀の手を、穢れの者の草鞋が踏みしだいた。<br> <br> 顔を上げた金糸雀の瞳に、逆手に握られた刀が映った。<br> <br> 「ひぃっ!」<br> <br> 振り下ろされる刀を見るまいと、金糸雀はギュッと目を閉じ、顔を伏せた。<br> だが、待てど暮らせど、斬られた痛みを感じない。<br> もしかしたら、死ぬ時って痛みを感じないのかしら?<br> ふと、馬鹿げた考えが頭をよぎった。<br> <br> 医者として、そんな事は有り得ないと解っている。<br> 死の間際まで激痛に苦しみぬいて、絶命した患者を、数え切れないほど診てきた。<br> 痛くないのは……そう! きっと斬られていないからだ。<br> 金糸雀は瞼を開いて、顔を上げた。<br> <br> 目の前には、上半身を失って消滅していく穢れの者の姿。<br> その向こうには、神々しい気を放つ剣を手にした巫女装束の金髪娘と、<br> 彼女を護るように立つ、短髪の麗人の姿があった。<br> <br> 「貴女、怪我は無い?」<br> 「は、はい! 平気かしら」<br> 「来るよ、真紅。油断しないで」<br> 「解っているわ、蒼星石。水銀燈と薔薇水晶は、どうしたかしらね」<br> 「あの二人なら、きっと平気だよ。意外に、息が合うみたいだから」<br> <br> 金糸雀を余所に、二人は短い会話を交わし、迫り来る穢れの者に斬りかかって行く。<br> その獅子奮迅の戦いぶりを見ただけで、金糸雀は、二人が同志だと気付いた。<br> 並の者なら、ああも見事に穢れの者どもを討ち祓うことは出来ない。<br> <br> (あの、金髪の方……真紅と呼ばれた娘は、もしかしたら――)<br> <br> ものの五分と要さずに、穢れの者を祓い退けた二人の背に、クナイが放たれた。<br> <br> 「あっ! 危ないかしらっ!」<br> <br> 金糸雀は短筒を拾うなり二連射して、クナイを弾き飛ばした。<br> いきなりの銃声に驚き振り返った二人と、金糸雀の間に、あの娘が割り込んだ。<br> 娘の頭や腰には、猫又の痕跡は無かった。<br> <br> 「貴女……翠星石っ!」<br> 「ね……姉……さん?!」<br> <br> 二人は驚愕に目を見開き、絶句していた。<br> この娘と居れば同志に辿り着けると思っていたが、やっぱりだ。<br> 金糸雀は、自分の思惑通りに事が運んでいることを喜んだ。<br> しかし、それも一瞬のこと。<br> <br> 「会いたかったですよ、蒼星石。さあ、こっちへ来るですぅ」<br> 「姉さんっ! 無事だったんだね!?」<br> <br> 翠星石は両腕を広げて、蒼星石に猫撫で声で話しかける。<br> 剣を放り出して駆け寄った蒼星石が、翠星石に抱き付くのを眼にして、金糸雀は叫んだ。<br> <br> 「ダメよ! その娘は……あなたのお姉さんはっ!」<br> 「姉さんっ! 姉さぁんっ!」<br> <br> けれど、歓喜のあまり泣きじゃくる蒼星石の耳に、金糸雀の言葉は届かない。<br> 金糸雀の目の前で、翠星石は腰の後ろから、短刀を抜いた。<br> <br> 「蒼星石……殺したいほど愛してるですぅ」<br> 「?!」<br> <br> 直後、蒼星石は反射的に、翠星石の身体を突き飛ばしていた。<br> 飛び退いて涙を拭うと、さっき放り出した剣を拾い、油断なく構える。<br> <br> 「誰だい、キミは。姉さんに化けるなんて、許さないよ……絶対に!」<br> <br> 翠星石は、静かに怒りの炎を燃やす彼女に、性懲りもなく甘えた声で話しかけた。<br> 瞳には、うっすらと涙まで浮かべて、迫真の演技で蒼星石に揺さぶりをかける。<br> <br> 「ひどいですぅ。冗談だったのに、本気で突き飛ばすなんて、信じらんねぇです」<br> 「う……。そ、そう……だったの? ごめん」<br> <br> 蒼星石の気勢が弱まった。姉の姿と声で言われれば、仕方のない事なのだろう。<br> 金糸雀は、蒼星石と真紅に向かって叫んだ。<br> <br> 「騙されないで! その娘には化け猫が……由奈とかいう穢れの者が憑いているわ!」<br> 「なんですって?」<br> 「そんな! まさか、姉さんに?!」<br> <br> 三人が凝視する中、翠星石は小さく舌打ちして、猫又の本性を露わにした。<br> 頭に生えた猫の耳を、ぽりぽりと指で掻きながら、鼻先で嘲笑う。<br> 翠星石が腕を振り上げると、夜闇の中から穢れの者どもが湧き出してきた。<br> <br> 「ふん。もう少しで、始末できたのに……まあ、早いか遅いかの違いだけどね」<br> 「貴様っ! 姉さんから離れろっ!」<br> 「落ち着きなさい、蒼星石。ここからは、私の出番なのだわ」<br> <br> 言って、真紅は神剣を構えた。<br> <br> 「蒼星石、それに貴女。翠星石は私が相手するから、雑魚を近付けないでちょうだい」<br> 「……解った。任せるよ、真紅。必ず、姉さんを救い出してね」<br> 「及ばずながら、カナも手助けさせて貰うかしら」<br> <br> 二人に頷きかけて、真紅は翠星石に向かって突進した。<br> 憑依を解く方法なら朝飯前のこと。走りながら印を結び、真言を唱える。<br> 左の掌に、気を集中させた。<br> <br> 翠星石は、防御もせずに猛然と切り込んでくる真紅にクナイを放った。<br> しかし、法理衣に護られた彼女に、刃は届かない。<br> ギリッ! と音が聞こえるほど歯軋りをして、翠星石は短刀を振り翳した。<br> <br> 頭を狙った短刀の一撃を、真紅は神剣で弾き返し、翠星石の額に左の掌を打ち付けた。<br> 破邪の気を、彼女の体内に押し込む。<br> すると、翠星石の背中から、苦悶の呻きを発して化け猫が飛び出してきた。<br> <br> 「これで終わりよ!」<br> <br> 化け猫が逃走するより早く、真紅の神剣が閃き、化け猫を両断した。<br> 恐ろしい断末魔の叫びを残して、化け猫は夜闇の中に溶けていった。<br> <br> 気を失って頽れる翠星石の身体を抱き留めながら、真紅は他の二人を見遣った。<br> 蒼星石の方は、元より心配していない。今も、群がる敵を粉砕し続けていた。<br> だが、先程の短筒娘は、どうしただろうか。耳を澄ましても、銃声は聞こえない。<br> まさか……。悪い想像が、脳裏に浮かび上がった。<br> <br> 空を覆っていた雲が流れて、十三夜の月光が降り注ぎ始める。<br> 翠星石を介抱していた真紅は、屋根の上に人影を認めて、ちらりと眼を向けた。<br> あの短筒娘? いや……違う。<br> それは火縄銃を構えた、鉄砲足軽だった。<br> 狙われているのは蒼星石ではなく、自分の方――<br> 真紅は戦慄した。翠星石にだけは、流れ弾を当てさせてはならない。<br> <br> 夜空に銃声が轟く。<br> 法理衣を再起動すると、真紅は身を挺して翠星石を庇った。<br> しかし、彼女の背中に着弾の衝撃は無い。<br> 振り返ると、頭を撃ち砕かれた鉄砲足軽が、屋根から転げ落ちるところだった。<br> <br> 「町中で発砲するなんて狼藉は、カナが許さないかしらっ!」<br> 「発砲しているのは、貴女だけなのだわ」<br> <br> 威勢の良い金糸雀の声に苦笑しつつ、安堵の息を吐いた真紅の腕に抱かれて、翠星石が呻いた。<br> 気が付いたらしい。真紅が頬を軽く叩くと、翠星石はパッチリと眼を見開いて、半身を起こした。<br> 敵を殲滅して、駆け寄ってきた蒼星石の瞳が、翠星石の視線と結びつく。<br> 翠星石の目から、歓喜の涙が溢れ出した。<br> <br> 「ああ……あぁ……。<br> 思い出せるです。蒼星石の名前を、自分の名前を、ハッキリと思い出せるですぅ」<br> 「姉さんっ。本当に、姉さんなんだね? 帰ってきてくれたんだね?」<br> 「うん……戻って来たですよ。蒼星石のことが心配で心配で、死ねなかったです」<br> 「バカっ! ボクがどんな気持ちだったか解ってるの?<br> もう二度と、あんな馬鹿な真似はしないでっ! 約束してよっ!」<br> 「蒼星石…………ゴメン。もう、しないです。約束ですぅ」<br> 「うん……うん……約束だからね、姉さん」<br> <br> 弱々しく微笑む翠星石に縋り付いて、蒼星石は咽び泣いた。<br> 久しぶりに嗅いだ姉の匂いは、とても懐かしくて……ちょっとだけ汗くさかった。<br> <br> <br> =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/59.html">第十六章につづく</a>=<br></p>
<p> <br>   ~第十五章~<br> <br> <br> 山道を彷徨い歩くこと半日、漸くにして辿り着いてみれば、真夜中だった。<br> 夜更けの町は、ひっそりと寝静まっている。<br> そんな中、他人の迷惑を省みない怒声が、閑散とした路地に反響していた。<br> <br>  「まったく……金糸雀なんかを信じた私が、バカだったですぅ」<br>  「そう言わないで欲しいかしら。まさか、崖崩れが起きてたなんて思わなかったから」<br>  「不可抗力なのは、しゃ~ねえです。問題は、その後ですっ!」<br>  「でも、あなただって同意したかしら」<br> <br> 崖崩れで回り道を余儀なくされた二人は、よせばいいのに、山を登って最短距離を行こうとした。<br> 実際、その時は、なんでもない道のりに思えたのだ。<br> しかし、理論と実践は違う。<br> 散々に山中を歩き回った末に、元の場所に出たときは、徒労感で全身の力が抜けた。<br> <br> それから暫くの間、取っ組み合いの喧嘩をして更に体力を失い、疲労のため仲直り。<br> 素直に迂回路を通って、やっと町に到着したのだった。<br> <br>  「カナばかりを悪く言うのは、激しくお門違いかしら」<br>  「う……ま、まあ、過ぎたことを、とやかく言っても仕方ねぇですね」<br>  「そう言うこと。こんな時間だけど、泊めてくれる旅籠を探すのが先かしら」<br>  「最悪、その辺の路地裏で、野宿ですかねぇ……心配ですぅ」<br>  「桜田藩は治安が良いから、夜盗や追い剥ぎは出ないわ。<br>   たとえ出たとしても、カナが、じっちゃんの名にかけて撃退してやるかしら」<br>  「だから、心配だと言ってるです。金糸雀は、間違えて私を撃ちそうですぅ」<br> <br> あの娘になら、安心して背中を預けられるのに。<br> 不意に、そんな想いが頭を過ぎった途端、娘は突然の激しい頭痛に苛まれた。<br> いきなり、その場に蹲った娘の肩を、金糸雀が心配そうに支える。<br> <br>  「また、頭痛? ちょっと待つかしら。いま、薬を――」<br>  「だ、大丈夫ですぅ。少し、じっとしてれば……」<br> <br> ここ数日、娘は頻繁に、激しい頭痛に襲われていた。それも、彼女の事を考えた時だけ。<br> 一瞬だけ脳裏に浮かぶ、栗色の髪の娘。<br> 彼女の面差しは、鏡写しの自分を見ているような錯覚を覚えるほど、酷似していた。<br> <br> あの娘は、誰? 知ってる気がする……ううん、確かに知ってる。<br> だけど、なぜ、彼女の事を思い出そうとすると頭が割れるように痛くなるの?<br> <br>  (考えちゃダメ…………別のこと、考えるです。別の……)<br> <br> 苦痛から逃れるために、周囲の景色を眺めて、意識を逸らそうと試みる。<br> しかし、辺りは宵闇。<br> さっきまで降り注いでいた十三夜の月明かりも、雲に隠れて、今は見えなかった。<br> 黒い闇が、心の隙間から、そろり……と侵入してくる。<br> それは瞬く間に、娘の意識を呑み込んでいった。<br> <br>  「どうしたの? やっぱり、薬を飲んだ方が良いかしら」<br>  「……い……です」<br>  「えっ?」<br>  「うるさいですっ!」<br> <br> 娘は吼えると、金糸雀を突き飛ばした。<br> <br>  「きゃんっ!」<br> <br> 突然のことに対処しきれず、尻餅をついた金糸雀の前で、娘は威嚇の唸りを上げた。<br> <br>  「この間は、よくも邪魔してくれたね。今度こそ、息の根を止めてくれる」<br>  「!! お前はっ!」<br>  「あの程度で、この由奈さまが離れると思ったの? 浅はかな」<br> <br> せせら笑う娘の頭には、猫の耳が生えていた。<br> 背後では、二本の長い尻尾が、金糸雀を馬鹿にするように躍っている。<br> 正直、この状況は望ましくない。<br> 金糸雀は短筒を抜き出し、猫又が取り憑いた娘を牽制した。<br> 装填してあるのは『南無阿弥陀仏』と念仏を刻印した、退魔処理を施した弾丸である。<br> <br>  「そっちこそ、この前と同じだなんて思わない事かしら」<br>  「さて……どうかな?」<br> <br> 娘も、クナイを抜き出した。<br> 向こうも飛び道具を持っているとなれば、真っ向切って戦うのは厳しい。<br> 金糸雀は一発だけ牽制として撃つと、跳ね起きて逃走した。<br> <br> 重い行李を背負っているので、思ったようには早く走れない。<br> 背後で、行李にクナイが刺さる音がした。<br> それも一度ではない。二度、三度と、突き刺さる。<br> いかにも、いつだって急所を穿てるのだと言わんばかりに。<br> <br> 遊ばれている。悔しさのあまり、金糸雀は顔が熱くなるのを感じた。<br> けれど、そこで踏み止まって戦うほど愚かではない。<br> 相手が遊んでいる内は、生き延びる好機が残されている、という事だ。<br> <br>  (どこかの家に逃げ込む? ダメ、家人を巻き添えには出来ない)<br> <br> また一撃、クナイが飛んできた。今度は金糸雀の右肩を掠って、服と肌を切り裂いた。<br> 遊びの時間から、狩りの時間へと移ったらしい。猶予は、あと僅か。<br> 縺れ始めた両脚に鞭打ちながら、必死に走り続ける金糸雀。<br> 前方で、なにやら喧噪が聞こえたのは、彼女の左肩をクナイが掠った正にその時だった。<br> <br> 夜闇に眼を凝らすと、大勢の兵士が得物を手に、屯しているのが見えた。<br> こんな夜中に、何をしているのだろう?<br> 普段の金糸雀ならば即座に疑ってかかる場面だったが、差し迫った命の危険に、<br> つい無思慮な行動に出てしまった。<br> <br>  「た、助かったかしら! ちょっと、あなた達!」<br> <br> 金糸雀の声に、兵士達が一斉に振り返る。<br> <br>  「助……け……って、えぇぇっ?!」<br> <br> 素っ頓狂な声を上げる金糸雀。<br> 兵士達の顔は、不気味な骸骨だった。しかも、一斉に襲いかかってきたではないか。<br> 前門の虎、後門の狼とは、まさに今の状況を言うのだろう。<br> 立ち尽くしたら、背後の猫又娘に殺られる。<br> <br> 金糸雀は覚悟を決めて、迫り来る兵士の群に向かって、撃鉄を落とした。<br> 放たれた銃弾が、前衛の兵士の胴丸を撃ち抜く。<br> だが、よろめいただけ。効果は殆ど無い。やはり、頭を狙うしかなさそうだ。<br> <br>  「残り、四発……斃せるのは四体までね」<br> <br> 精霊の助けを借りようにも、月が翳っていて、影が出ない。<br> 金糸雀の氷鹿蹟は、使用できる状況が限られてしまう点に、難があった。<br> <br> 走りながら、立て続けに二発撃つ。<br> 狙いは雑だったが、相手が密集隊形だったため、運良く二体の頭蓋骨を撃ち砕けた。<br> 残りは二発。敵は、圧倒的多数。<br> 距離のある内に残弾を撃ち切って、再装填した方が得策だろう。<br> 金糸雀は側にあった防火用水槽の陰に飛び込んで、引き金を引いた。<br> <br> 急いで廃莢。袖に縫い付けてある弾帯から銃弾を抜き取り、慣れた動作で装填する。<br> ガシャリと回転式の弾倉を押し込み、迫り来る穢れの者どもに照準を合わせた。<br> <br> だが、撃鉄を落とすより早く、短筒はクナイによって、金糸雀の手からもぎ取られていた。<br> 見れば、道を挟んだ家の屋根に、あの娘が陣取っていた。<br> 夜闇の中で、爛々と瞳を輝かせている。<br> <br>  「くぅっ! やってくれるかしら」<br> <br> もう、穢れの者どもは、すぐ近くまで迫っている。<br> 金糸雀は防火用水槽の陰から飛び出して、弾き飛ばされた短筒に腕を伸ばした。<br> 彼女の目の前で、短筒は無情にもクナイに弾かれて、更に遠退く。<br> そして、懸命に伸ばされた金糸雀の手を、穢れの者の草鞋が踏みしだいた。<br> <br> 顔を上げた金糸雀の瞳に、逆手に握られた刀が映った。<br> <br>  「ひぃっ!」<br> <br> 振り下ろされる刀を見るまいと、金糸雀はギュッと目を閉じ、顔を伏せた。<br> だが、待てど暮らせど、斬られた痛みを感じない。<br> もしかしたら、死ぬ時って痛みを感じないのかしら?<br> ふと、馬鹿げた考えが頭をよぎった。<br> <br> 医者として、そんな事は有り得ないと解っている。<br> 死の間際まで激痛に苦しみぬいて、絶命した患者を、数え切れないほど診てきた。<br> 痛くないのは……そう! きっと斬られていないからだ。<br> 金糸雀は瞼を開いて、顔を上げた。<br> <br> 目の前には、上半身を失って消滅していく穢れの者の姿。<br> その向こうには、神々しい気を放つ剣を手にした巫女装束の金髪娘と、<br> 彼女を護るように立つ、短髪の麗人の姿があった。<br> <br>  「貴女、怪我は無い?」<br>  「は、はい! 平気かしら」<br>  「来るよ、真紅。油断しないで」<br>  「解っているわ、蒼星石。水銀燈と薔薇水晶は、どうしたかしらね」<br>  「あの二人なら、きっと平気だよ。意外に、息が合うみたいだから」<br> <br> 金糸雀を余所に、二人は短い会話を交わし、迫り来る穢れの者に斬りかかって行く。<br> その獅子奮迅の戦いぶりを見ただけで、金糸雀は、二人が同志だと気付いた。<br> 並の者なら、ああも見事に穢れの者どもを討ち祓うことは出来ない。<br> <br>  (あの、金髪の方……真紅と呼ばれた娘は、もしかしたら――)<br> <br> ものの五分と要さずに、穢れの者を祓い退けた二人の背に、クナイが放たれた。<br> <br>  「あっ! 危ないかしらっ!」<br> <br> 金糸雀は短筒を拾うなり二連射して、クナイを弾き飛ばした。<br> いきなりの銃声に驚き振り返った二人と、金糸雀の間に、あの娘が割り込んだ。<br> 娘の頭や腰には、猫又の痕跡は無かった。<br> <br>  「貴女……翠星石っ!」<br>  「ね……姉……さん?!」<br> <br> 二人は驚愕に目を見開き、絶句していた。<br> この娘と居れば同志に辿り着けると思っていたが、やっぱりだ。<br> 金糸雀は、自分の思惑通りに事が運んでいることを喜んだ。<br> しかし、それも一瞬のこと。<br> <br>  「会いたかったですよ、蒼星石。さあ、こっちへ来るですぅ」<br>  「姉さんっ! 無事だったんだね!?」<br> <br> 翠星石は両腕を広げて、蒼星石に猫撫で声で話しかける。<br> 剣を放り出して駆け寄った蒼星石が、翠星石に抱き付くのを眼にして、金糸雀は叫んだ。<br> <br>  「ダメよ! その娘は……あなたのお姉さんはっ!」<br>  「姉さんっ! 姉さぁんっ!」<br> <br> けれど、歓喜のあまり泣きじゃくる蒼星石の耳に、金糸雀の言葉は届かない。<br> 金糸雀の目の前で、翠星石は腰の後ろから、短刀を抜いた。<br> <br>  「蒼星石……殺したいほど愛してるですぅ」<br>  「?!」<br> <br> 直後、蒼星石は反射的に、翠星石の身体を突き飛ばしていた。<br> 飛び退いて涙を拭うと、さっき放り出した剣を拾い、油断なく構える。<br> <br>  「誰だい、キミは。姉さんに化けるなんて、許さないよ……絶対に!」<br> <br> 翠星石は、静かに怒りの炎を燃やす彼女に、性懲りもなく甘えた声で話しかけた。<br> 瞳には、うっすらと涙まで浮かべて、迫真の演技で蒼星石に揺さぶりをかける。<br> <br>  「ひどいですぅ。冗談だったのに、本気で突き飛ばすなんて、信じらんねぇです」<br>  「う……。そ、そう……だったの? ごめん」<br> <br> 蒼星石の気勢が弱まった。姉の姿と声で言われれば、仕方のない事なのだろう。<br> 金糸雀は、蒼星石と真紅に向かって叫んだ。<br> <br>  「騙されないで! その娘には化け猫が……由奈とかいう穢れの者が憑いているわ!」<br>  「なんですって?」<br>  「そんな! まさか、姉さんに?!」<br> <br> 三人が凝視する中、翠星石は小さく舌打ちして、猫又の本性を露わにした。<br> 頭に生えた猫の耳を、ぽりぽりと指で掻きながら、鼻先で嘲笑う。<br> 翠星石が腕を振り上げると、夜闇の中から穢れの者どもが湧き出してきた。<br> <br>  「ふん。もう少しで、始末できたのに……まあ、早いか遅いかの違いだけどね」<br>  「貴様っ! 姉さんから離れろっ!」<br>  「落ち着きなさい、蒼星石。ここからは、私の出番なのだわ」<br> <br> 言って、真紅は神剣を構えた。<br> <br>  「蒼星石、それに貴女。翠星石は私が相手するから、雑魚を近づけないでちょうだい」<br>  「……解った。任せるよ、真紅。必ず、姉さんを救い出してね」<br>  「及ばずながら、カナも手助けさせて貰うかしら」<br> <br> 二人に頷きかけて、真紅は翠星石に向かって突進した。<br> 憑依を解く方法なら朝飯前のこと。走りながら印を結び、真言を唱える。<br> 左の掌に、気を集中させた。<br> <br> 翠星石は、防御もせずに猛然と切り込んでくる真紅にクナイを放った。<br> しかし、法理衣に護られた彼女に、刃は届かない。<br> ギリッ! と音が聞こえるほど歯軋りをして、翠星石は短刀を振り翳した。<br> <br> 頭を狙った短刀の一撃を、真紅は神剣で弾き返し、翠星石の額に左の掌を打ち付けた。<br> 破邪の気を、彼女の体内に押し込む。<br> すると、翠星石の背中から、苦悶の呻きを発して化け猫が飛び出してきた。<br> <br>  「これで終わりよ!」<br> <br> 化け猫が逃走するより早く、真紅の神剣が閃き、化け猫を両断した。<br> 恐ろしい断末魔の叫びを残して、化け猫は夜闇の中に溶けていった。<br> <br> 気を失って頽れる翠星石の身体を抱き留めながら、真紅は他の二人を見遣った。<br> 蒼星石の方は、元より心配していない。今も、群がる敵を粉砕し続けていた。<br> だが、先程の短筒娘は、どうしただろうか。耳を澄ましても、銃声は聞こえない。<br> まさか……。悪い想像が、脳裏に浮かび上がった。<br> <br> 空を覆っていた雲が流れて、十三夜の月光が降り注ぎ始める。<br> 翠星石を介抱していた真紅は、屋根の上に人影を認めて、ちらりと眼を向けた。<br> あの短筒娘? いや……違う。<br> それは火縄銃を構えた、鉄砲足軽だった。<br> 狙われているのは蒼星石ではなく、自分の方――<br> 真紅は戦慄した。翠星石にだけは、流れ弾を当てさせてはならない。<br> <br> 夜空に銃声が轟く。<br> 法理衣を再起動すると、真紅は身を挺して翠星石を庇った。<br> しかし、彼女の背中に着弾の衝撃は無い。<br> 振り返ると、頭を撃ち砕かれた鉄砲足軽が、屋根から転げ落ちるところだった。<br> <br>  「町中で発砲するなんて狼藉は、カナが許さないかしらっ!」<br>  「発砲しているのは、貴女だけなのだわ」<br> <br> 威勢の良い金糸雀の声に苦笑しつつ、安堵の息を吐いた真紅の腕に抱かれて、翠星石が呻いた。<br> 気がついたらしい。真紅が頬を軽く叩くと、翠星石はパッチリと眼を見開いて、半身を起こした。<br> 敵を殲滅して、駆け寄ってきた蒼星石の瞳が、翠星石の視線と結びつく。<br> 翠星石の目から、歓喜の涙が溢れ出した。<br> <br>  「ああ……あぁ……。<br>   思い出せるです。蒼星石の名前を、自分の名前を、ハッキリと思い出せるですぅ」<br>  「姉さんっ。本当に、姉さんなんだね? 帰ってきてくれたんだね?」<br>  「うん……戻って来たですよ。蒼星石のことが心配で心配で、死ねなかったです」<br>  「バカっ! ボクがどんな気持ちだったか解ってるの?<br>   もう二度と、あんな馬鹿な真似はしないでっ! 約束してよっ!」<br>  「蒼星石…………ゴメン。もう、しないです。約束ですぅ」<br>  「うん……うん……約束だからね、姉さん」<br> <br> 弱々しく微笑む翠星石に縋り付いて、蒼星石は咽び泣いた。<br> 久しぶりに嗅いだ姉の匂いは、とても懐かしくて……ちょっとだけ汗くさかった。<br> <br> <br>   =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/59.html">第十六章につづく</a>=<br>  </p>

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