「~第十六章~」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「~第十六章~」(2007/01/25 (木) 21:40:38) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
<p> <br>
~第十六章~<br>
<br>
<br>
翌日の朝は、町中が騒然としていた。<br>
昨夜、あれだけ大立ち回りをすれば、住民たちを叩き起こしていたのも当然だろう。<br>
もっとも、誰もが恐怖のあまり家に閉じこもっていたから、真紅たちの姿は見られていない。<br>
六人の娘たちは咎められる事もなく、柴崎老人を埋葬した後、<br>
柴崎家の母屋で暫しの休息を取らせてもらったのである。<br>
<br>
「まさか、貴女が【智】の御魂を宿す犬士だったとはね」<br>
<br>
翠星石を始め、昨晩の戦闘で負傷した乙女たちの治療をしていた金糸雀に、<br>
真紅は穏やかな眼差しを向けた。<br>
これからの闘いは、より厳しさを増していく。<br>
その時に、腕のいい医者が常に居てくれれば、どれだけ心強いことか。<br>
<br>
勿論、金糸雀を頼もしく思っていたのは、真紅だけに留まらない。<br>
他の四人もまた、翠星石の命を救ってくれた名医として、何かと頼りにしていた。<br>
金糸雀の鮮やかな手捌きは、一切の迷いを感じさせない。<br>
患者にしてみれば、全幅の信頼を寄せるに足る、いい仕事ぶりだった。<br>
<br>
薔薇水晶に続いて怪我の治療を受けていた水銀燈は、暫し逡巡する素振りを見せて、<br>
金糸雀の手元に視線を落としながら徐に口を開いた。<br>
<br>
「ねえ、金糸雀。貴女って、どの程度の病気までなら治せるのぉ?」<br>
「? どの程度と言われても困るかしら。そんな漠然とした質問では、なんとも。<br>
まずは患者の症状を見ないと、判断は下せないわ」<br>
「ん……まあ、そうよねぇ。ごめん。ただの興味本位だから、気にしないでぇ」<br>
「ええ、構わないかしら。はいっと、これでお終い」 <br>
<br>
治療が終わると、水銀燈は金糸雀に礼を言って、庭を臨む縁側に歩いていった。<br>
南向きの縁側には、五月晴れの温かな日差しが溢れている。<br>
うたた寝するには、もってこいの場所だ。<br>
着流しの裾から太股が露わになるのも構わず、水銀燈は横になり、腕枕して寝そべった。<br>
真紅は小さく吐息して、水銀燈の元に歩み寄った。<br>
<br>
「はしたない格好は止めなさい、水銀燈」<br>
「別に、いいじゃなぁい。どうせ、誰に見られる訳でもないしぃ」<br>
「他の娘の情操教育に、良くないのだわ」<br>
「はいはぁい」<br>
<br>
うるさいなぁ……と表情で語った水銀燈は、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、<br>
真紅を指差し、次いで自分の頭の下を指差した。<br>
<br>
「……なんなの?」<br>
「膝枕♪」<br>
「はぁあ?」<br>
「なによぉ。この前は、私がしてあげたでしょぉ」<br>
「私が頼んだ訳じゃないわ」<br>
「まぁねぇ。けど、私に何か話したい事があるんじゃなぁい?」<br>
<br>
水銀燈の全てを見透かしている様な瞳に射抜かれ、真紅は言葉に窮した。<br>
本当に勘の鋭い娘ね。それとも、私が分かり易い性格をしているのかしら?<br>
<br>
ともあれ、ぼさぁ……っと突っ立ていても始まらない。<br>
真紅は両足を伸ばして縁側に座った。<br>
<br>
「脚が痺れるから、正座はしないわよ」<br>
「枕代わりになるなら、どうだっていいわよぉ」<br>
<br>
言って、水銀燈は仰向けに寝転がって、真紅の太股に頭を載せた。<br>
イマイチ収まりが良くない。もぞもぞと頭を動かして、しっくりくる場所を探した。<br>
真紅が、くすぐったがって何やら艶めかしい吐息を漏らし、文句を言ったがキニシナイ。<br>
やっと収まりのいい場所で動きを止めると、薄目を開けて、真紅の顔を見上げた。<br>
<br>
「……で? 私に何の話があるのかしらぁ?」<br>
「貴女、めぐの病状について、金糸雀に訊きたかったんじゃないの?」<br>
<br>
水銀燈の本音を、真紅は見抜いていた。<br>
やはり不自然な質問だったのだろう。興味本位だなんて……あからさまに嘘くさい。<br>
それに、真紅には以前、水銀燈みずからが旅に出た理由を話していた。<br>
医者の絡みから、めぐへの繋がりを見出すことは、容易だったに違いない。<br>
<br>
「今なら、あの娘たちも居ないから、気を遣わずに訊けるわよ」<br>
「う……ん。でもねぇ」<br>
<br>
今、翠星石と蒼星石は、昼食の支度をしていて、ここに居ない。<br>
しかし、水銀燈は訊けなかった。<br>
翠星石と蒼星石の気持ちを考えれば、めぐの名前を出すことすら躊躇われる。<br>
<br>
今や、彼女は鬼祖軍団の四天王――<br>
<br>
どうして、こんな事になってしまったのか。<br>
めぐを置き去りにして、村を飛び出したから?<br>
でも、それは……めぐを助けたいと思ってしたこと。<br>
あのまま村に残っていたとしても、苦痛に喘ぐ彼女を見続けることしか出来なかった。<br>
<br>
<br>
金糸雀に訊く代わりに、水銀燈は真紅に、別の質問をしていた。<br>
<br>
「穢れに憑かれた人たちって、憑き物を落とせば助けられるのかしらぁ」<br>
「それは……程度次第なのだわ。<br>
私の経験からすると……申し訳ないけれど、助からない事が多いわ。<br>
本人の心が穢れてしまったら、いくら憑き物を落とそうが、何の意味もないの」<br>
「翠ちゃんが助かったのは、幸運だった……と?」<br>
「翠星石の場合は、特別な症例と言えるわ。<br>
彼女は穢れに汚染されそうになって、本能的に心を閉ざしたのね。<br>
だから、助かったのかも知れない」<br>
「じゃあ……もしも……」<br>
<br>
もし、本人が希望して、穢れに身を委ねたとしたら――<br>
途中で、水銀燈は口を閉ざした。訊いたところで、答えは見えている。<br>
元に戻す方法は……無い。<br>
斃すことだけが、唯一の救済。<br>
<br>
「それでもね、水銀燈。最後まで希望を捨てなければ、解決策は見つかるものよ」<br>
<br>
真紅の台詞に、水銀燈は微かに口の端をつり上げた。<br>
<br>
「最近、台詞を先読みするようになったわねぇ、真紅ぅ」<br>
「貴女と付き合ってると、自然と……ね。<br>
いつも、からかわれてるから、つい言葉の裏の意味を探ってしまうのだわ」<br>
「あらぁ、それは良かったじゃなぁい。詐欺には引っ掛からなくなるわよぉ」<br>
「それ以前に、疑り深い小姑みたいになりそうよ」<br>
「あははっ。言えてるわねぇ」<br>
<br>
水銀燈も真紅も、重苦しい気分を払拭するかのように、朗らかに笑い続けた。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
昼食は、ちょっと贅沢な献立だった。<br>
柴崎老人の追悼、双子姉妹再会の祝い、金糸雀の歓迎会――<br>
それら全てを一度で済まそうとするのだから、盛大になるのは当然である。<br>
仏壇の上には、蒼星石が腕によりをかけて作った料理を載せた小皿が、所狭しと犇めいていた。<br>
<br>
挨拶や雑談を交えた食事も終わり、焙じ茶を啜っているところに、金糸雀が話を切りだした。<br>
<br>
「あなた達は、八犬士と穢れの者どもの因縁について、どこまで知っているのかしら?」<br>
<br>
因縁と言われて、皆は頸を傾げた。<br>
今まで、真紅の同志としてしか戦ってこなかったからだ。<br>
それは当の真紅も同様だった。夢の導きで、旅に出たに過ぎない。<br>
我武者羅に戦うばかりで、鬼祖軍団の目的など、考える余裕もなかった。<br>
<br>
「恥ずかしい話だけれど、殆ど知らないのが現状なのだわ」<br>
「そう。では……カナの知る限りを、伝えておくかしら」<br>
「それは是非、お願いしたいわねぇ。へっぽこ退魔師さんは、当てにならないからぁ」<br>
「貴女こそ、太刀を振り回すばかりで、知恵が回っていないでしょう?」<br>
「いちいち煽りに乗らなくていいのに……。金糸雀、あの二人は気にせずに、続けて」<br>
「……は、はいかしら」<br>
<br>
蒼星石に促されて、金糸雀は、ひとつ咳払いすると、厳かに語り始めた。<br>
<br>
「八犬士と穢れの者どもの因縁は、今から十八年前に遡るかしら」<br>
「十八……って言うことは、私たちと同じ歳ですぅ」<br>
「そう。カナ達は、一人の姫から生まれた存在なのよ」<br>
「一人の姫…………それが、私の夢に語りかけてきた声の正体だと言うの?」<br>
<br>
真紅の問いに、金糸雀は頷いて見せた。<br>
そこで一旦、焙じ茶を啜って喉を湿らせ、再び話を続ける。<br>
<br>
「姫の名は、房姫。人と狗神の間に産まれた、異端児だったの。<br>
彼女は類い希なる退魔の能力を、生まれながらにして授かっていたかしら」<br>
「生まれが特別なら……当然よね」<br>
「信田の狐『葛の葉』を母に持つ安倍晴明のように、房姫もまた、<br>
陰陽道に精通していたと記されているわ。異類婚とは、そういうものかしら」<br>
「ところが、十八年前に、何かが起きたと言うわけだね」 <br>
「ええ。十八年前と言えば、各地で大きな戦が繰り返されていた時代よ。<br>
諸国は疲弊し、人々の死霊が、怨嗟や悲嘆が、大地を覆い尽くしていたの。<br>
それらが、黄泉の闇に潜んでいた穢れの者どもを目覚めさせたかしら」<br>
「黄泉の……闇……ですか。おどろおどろしいですぅ」<br>
「穢れの者どもは、この島国が誕生した太古から、蓄積され続けてきた怨念。<br>
少しぐらい祓ったところで、焼け石に水かしら」<br>
「要するにぃ、大元を叩かなきゃあ、キリがないって事ねぇ?」<br>
「その大元というのは、どんな敵なの?」 <br>
<br>
真紅の質問に、金糸雀は頚を横に振った。<br>
流石に、そこまでは書物に載っていないらしい。記載する者すら存在しなかったのだろう。<br>
金糸雀は、湯飲みの中で冷めてしまった焙じ茶を一息に飲み干し、話を戻した。<br>
<br>
「でも、十八年前に房姫と最終決戦をした者の名は、解っているかしら」<br>
「……それは、誰なの?」<br>
「鬼女――鬼の祖として、語られてきた者…………鈴鹿御前かしら」<br>
「鈴鹿御前……聞いたこと……ある」<br>
「房姫と鈴鹿御前の対決によって、ボクらが産まれたんだよね。<br>
どういう結末だったの?」<br>
「房姫は、重傷を負いつつも鈴鹿御前を封印することに成功したかしら。<br>
でも、身体に負担をかけすぎて、術を完成させたと同時に、息絶えてしまったの。<br>
房姫の御魂は、肉体を離れて八つに別れた……と言えば解るかしら?」<br>
「つまりぃ、その別れた御魂が……私たち、ってことぉ?」<br>
「ええ。そして、房姫の生まれ変わりが……他ならぬ、真紅なのかしら」<br>
「わ、私が?!」<br>
<br>
みんなの視線が、真紅に注がれた。<br>
確かに、真紅は当代随一の退魔師と評判を取っている。<br>
そして夢の中で託宣を受け、神剣『菖蒲』を授かった。<br>
更に、ここに集った同志の左手には、犬士の証が刻み込まれている。<br>
これだけ物的証拠が揃えば、金糸雀の話を信じない訳にはいかなかった。<br>
<br>
「ふぅん……実は、真紅って凄いヤツだったですね」<br>
「うん。ボクも、正直なところ、驚いたよ」<br>
「私自身、信じられないのだわ」 <br>
「私たちが……元は、ひとつ……」<br>
「あらぁ、薔薇しぃ……なにか、いやらしこと考えてたわねぇ?」<br>
「えっ! あのっ! そんなこと……ないよ?」<br>
「焦ってる時点で、怪しさ大爆発かしら」<br>
<br>
母屋は、乙女達の談笑で溢れ返った。<br>
徐々に熾烈な闘いが迫りつつある中の、和やかな雰囲気。<br>
今日だけは、このまま穏やかに過ごせたらいいなと、誰もが思っていた。<br>
<br>
しかし……そんな、ささやかな願いは、町人の噂話によって脆くも崩された。<br>
桜田藩と隣接する狼漸藩との連絡が、一切とれないとのことだった。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
――狼漸藩、某所。<br>
<br>
「御前様。雪華綺晶、ただいま戻りました」<br>
<br>
戦装束も勇ましい乙女が、御簾の前で跪き、頭を垂れた。<br>
<br>
「これで、藩内の城は全て落としました。<br>
我々に手向かう者は、もう領内に存在しませんわ」<br>
「大儀であったな。鉄砲の威力は、いかほどのものか?」<br>
「威力は絶大ですが、なにしろ数が足りませんわね。<br>
現状では、狙撃くらいしか使い道がないでしょう」<br>
「なるほど……笹塚に、量産を急がせよう。お前は休息を取るがよい」<br>
「はい。お気遣い、ありがとうございます」<br>
<br>
雪華綺晶が自室に向かって通路を歩いていると、偶然、のりと擦れ違った。<br>
今日は、割と機嫌が良いようだ。<br>
<br>
「あら、雪華綺晶。今、ご帰還なのぅ?」<br>
「はい。領内の人間どもを、狩り尽くしてきたところですわ」<br>
「うふふふ……流石は、雪華綺晶ね。お姉ちゃん、鼻が高いわ」<br>
「御前様に拾われ、のりさんに、ここまで育てて貰ったことは忘れませんよ。<br>
粉骨砕身で、ご恩に報いる所存です」<br>
<br>
雪華綺晶の言葉に、のりは心底、嬉しそうに笑った。<br>
彼女の手が、雪華綺晶の頬を、優しく撫でる。<br>
<br>
「お姉ちゃんはね、その気持ちだけで充分よぅ。だから、無理はしないで」<br>
「ええ。約束しますわ」<br>
<br>
雪華綺晶も、自分の頬を撫でる彼女の手に、掌を重ねる。<br>
子供の頃、戦場となった村で親を失い、妹とはぐれ、倒れていた雪華綺晶。<br>
鈴鹿御前が拾ってくれなかったら、間違いなく野垂れ死んでいた。<br>
<br>
それから暫くは、死の恐怖を感じなくて済んだ。<br>
鈴鹿御前様や、四天王のみんなが護ってくれたから。<br>
<br>
鈴鹿御前が敵対する者の手で封印され、四天王の三人までもが斃された時は、<br>
本当に悲しかった。殺されてしまうのだと、本気で恐れていた。<br>
幼い雪華綺晶を養ってくれたのは、四天王唯一の生き残り、のり。<br>
雪華綺晶にとって、彼女はこの十八年間、母親のような存在だった。<br>
<br>
「そう言えば、御前様が拾ってきた化け猫……桑田由奈が、<br>
奴らに殺されたと聞きましたけど?」<br>
「あらぁ、もう耳に入ってたのぅ?」<br>
「指揮官たる者、情報収集も怠りなく行わなければいけない。でしょう?」<br>
「お姉ちゃんの教えを忠実に守っているのねぇ。お利口さん。<br>
実はね、お姉ちゃん、そのことで御前様に呼ばれているのよぅ」<br>
「……出撃でしょうか」<br>
「多分ね。でも心配ないわよぅ。めぐも一緒に行くだろうから」<br>
<br>
めぐの名を耳にして、雪華綺晶は「それは安心ですわ」と頷いた。<br>
彼女は新参者だけれど、御前様への忠誠と、ひたむきさが際立っている。<br>
まるで、昔の自分を見ている様な感覚がして、つい、目をかけてしまうのだ。<br>
<br>
「それでは、お気をつけて。めぐにも、よろしく」<br>
<br>
あまり引き留めていては、御前様を待たせることになる。<br>
雪華綺晶は短い挨拶を交わして、のりと別れた。<br>
<br>
……が、今度は笹塚が、待ち構えていたように、柱の影から現れた。<br>
<br>
「これは雪華綺晶どの。相変わらず、お美しいですなあ」<br>
「そんな世辞を言うために、隠れていたのですか、笹塚?」<br>
「義理とは申せ姉妹水入らずの所を、邪魔するほど野暮ではないさ」<br>
<br>
ひゃははっ! と、下卑た笑いを漏らす笹塚。<br>
雪華綺晶は鼻であしらって、脇を通り過ぎようとした。<br>
そこに、ぼそり……と笹塚が呟く。<br>
<br>
「にしても、のり殿も所詮は普通の女の子……というところですかな」<br>
「……何が言いたいのですか?」<br>
「いやなに。桜田ジュン復活の儀式が整うと、急に上機嫌になったものでね」<br>
「はん! 下衆の勘繰りですわね」<br>
<br>
――新参者のお前には、解るまい。<br>
雪華綺晶は、笹塚に侮蔑の視線を向け、その場を立ち去った。<br>
彼女は……のりは、腹違いながら、桜田ジュンの実姉なのだ。<br>
十五ほど歳が離れている為、多分、ジュンも姉の存在を知らないだろう。<br>
政略結婚の道具として使われ、非業の死を遂げた姉の事など――<br>
<br>
「もう、のりさんに悲しい想いはさせませんわ。この私が……」<br>
<br>
暗闇が広がる閑散とした通路で、雪華綺晶は、その言葉を噛み締めていた。<br>
<br>
<br>
=<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/60.html">第十七章につづく</a>=<br>
</p>
<p> <br>
~第十六章~<br>
<br>
<br>
翌日の朝は、町中が騒然としていた。<br>
昨夜、あれだけ大立ち回りをすれば、住民たちを叩き起こしていたのも当然だろう。<br>
もっとも、誰もが恐怖のあまり家に閉じこもっていたから、真紅たちの姿は見られていない。<br>
六人の娘たちは咎められる事もなく、柴崎老人を埋葬した後、<br>
柴崎家の母屋で暫しの休息を取らせてもらったのである。<br>
<br>
「まさか、貴女が【智】の御魂を宿す犬士だったとはね」<br>
<br>
翠星石を始め、昨晩の戦闘で負傷した乙女たちの治療をしていた金糸雀に、<br>
真紅は穏やかな眼差しを向けた。<br>
これからの闘いは、より厳しさを増していく。<br>
その時に、腕のいい医者が常に居てくれれば、どれだけ心強いことか。<br>
<br>
勿論、金糸雀を頼もしく思っていたのは、真紅だけに留まらない。<br>
他の四人もまた、翠星石の命を救ってくれた名医として、何かと頼りにしていた。<br>
金糸雀の鮮やかな手捌きは、一切の迷いを感じさせない。<br>
患者にしてみれば、全幅の信頼を寄せるに足る、いい仕事ぶりだった。<br>
<br>
薔薇水晶に続いて怪我の治療を受けていた水銀燈は、暫し逡巡する素振りを見せて、<br>
金糸雀の手元に視線を落としながら徐に口を開いた。<br>
<br>
「ねえ、金糸雀。貴女って、どの程度の病気までなら治せるのぉ?」<br>
「? どの程度と言われても困るかしら。そんな漠然とした質問では、なんとも。<br>
まずは患者の症状を見ないと、判断は下せないわ」<br>
「ん……まあ、そうよねぇ。ごめん。ただの興味本位だから、気にしないでぇ」<br>
「ええ、構わないかしら。はいっと、これでお終い」 <br>
<br>
治療が終わると、水銀燈は金糸雀に礼を言って、庭を臨む縁側に歩いていった。<br>
南向きの縁側には、五月晴れの温かな日差しが溢れている。<br>
うたた寝するには、もってこいの場所だ。<br>
着流しの裾から太股が露わになるのも構わず、水銀燈は横になり、腕枕して寝そべった。<br>
真紅は小さく吐息して、水銀燈の元に歩み寄った。<br>
<br>
「はしたない格好は止めなさい、水銀燈」<br>
「別に、いいじゃなぁい。どうせ、誰に見られる訳でもないしぃ」<br>
「他の娘の情操教育に、良くないのだわ」<br>
「はいはぁい」<br>
<br>
うるさいなぁ……と表情で語った水銀燈は、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、<br>
真紅を指差し、次いで自分の頭の下を指差した。<br>
<br>
「……なんなの?」<br>
「膝枕♪」<br>
「はぁあ?」<br>
「なによぉ。この前は、私がしてあげたでしょぉ」<br>
「私が頼んだ訳じゃないわ」<br>
「まぁねぇ。けど、私に何か話したい事があるんじゃなぁい?」<br>
<br>
水銀燈の全てを見透かしている様な瞳に射抜かれ、真紅は言葉に窮した。<br>
本当に勘の鋭い娘ね。それとも、私が分かり易い性格をしているのかしら?<br>
<br>
ともあれ、ぼさぁ……っと突っ立ていても始まらない。<br>
真紅は両足を伸ばして縁側に座った。<br>
<br>
「脚が痺れるから、正座はしないわよ」<br>
「枕代わりになるなら、どうだっていいわよぉ」<br>
<br>
言って、水銀燈は仰向けに寝転がって、真紅の太股に頭を載せた。<br>
イマイチ収まりが良くない。もぞもぞと頭を動かして、しっくりくる場所を探した。<br>
真紅が、くすぐったがって何やら艶めかしい吐息を漏らし、文句を言ったがキニシナイ。<br>
やっと収まりのいい場所で動きを止めると、薄目を開けて、真紅の顔を見上げた。<br>
<br>
「……で? 私に何の話があるのかしらぁ?」<br>
「貴女、めぐの病状について、金糸雀に訊きたかったんじゃないの?」<br>
<br>
水銀燈の本音を、真紅は見抜いていた。<br>
やはり不自然な質問だったのだろう。興味本位だなんて……あからさまに嘘くさい。<br>
それに、真紅には以前、水銀燈みずからが旅に出た理由を話していた。<br>
医者の絡みから、めぐへの繋がりを見出すことは、容易だったに違いない。<br>
<br>
「今なら、あの娘たちも居ないから、気を遣わずに訊けるわよ」<br>
「う……ん。でもねぇ」<br>
<br>
今、翠星石と蒼星石は、昼食の支度をしていて、ここに居ない。<br>
しかし、水銀燈は訊けなかった。<br>
翠星石と蒼星石の気持ちを考えれば、めぐの名前を出すことすら躊躇われる。<br>
<br>
今や、彼女は鬼祖軍団の四天王――<br>
<br>
どうして、こんな事になってしまったのか。<br>
めぐを置き去りにして、村を飛び出したから?<br>
でも、それは……めぐを助けたいと思ってしたこと。<br>
あのまま村に残っていたとしても、苦痛に喘ぐ彼女を見続けることしか出来なかった。<br>
<br>
<br>
金糸雀に訊く代わりに、水銀燈は真紅に、別の質問をしていた。<br>
<br>
「穢れに憑かれた人たちって、憑き物を落とせば助けられるのかしらぁ」<br>
「それは……程度次第なのだわ。<br>
私の経験からすると……申し訳ないけれど、助からない事が多いわ。<br>
本人の心が穢れてしまったら、いくら憑き物を落とそうが、何の意味もないの」<br>
「翠ちゃんが助かったのは、幸運だった……と?」<br>
「翠星石の場合は、特別な症例と言えるわ。<br>
彼女は穢れに汚染されそうになって、本能的に心を閉ざしたのね。<br>
だから、助かったのかも知れない」<br>
「じゃあ……もしも……」<br>
<br>
もし、本人が希望して、穢れに身を委ねたとしたら――<br>
途中で、水銀燈は口を閉ざした。訊いたところで、答えは見えている。<br>
元に戻す方法は……無い。<br>
斃すことだけが、唯一の救済。<br>
<br>
「それでもね、水銀燈。最後まで希望を捨てなければ、解決策は見つかるものよ」<br>
<br>
真紅の台詞に、水銀燈は微かに口の端をつり上げた。<br>
<br>
「最近、台詞を先読みするようになったわねぇ、真紅ぅ」<br>
「貴女と付き合ってると、自然と……ね。<br>
いつも、からかわれてるから、つい言葉の裏の意味を探ってしまうのだわ」<br>
「あらぁ、それは良かったじゃなぁい。詐欺には引っ掛からなくなるわよぉ」<br>
「それ以前に、疑り深い小姑みたいになりそうよ」<br>
「あははっ。言えてるわねぇ」<br>
<br>
水銀燈も真紅も、重苦しい気分を払拭するかのように、朗らかに笑い続けた。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
昼食は、ちょっと贅沢な献立だった。<br>
柴崎老人の追悼、双子姉妹再会の祝い、金糸雀の歓迎会――<br>
それら全てを一度で済まそうとするのだから、盛大になるのは当然である。<br>
仏壇の上には、蒼星石が腕によりをかけて作った料理を載せた小皿が、所狭しと犇めいていた。<br>
<br>
挨拶や雑談を交えた食事も終わり、焙じ茶を啜っているところに、金糸雀が話を切りだした。<br>
<br>
「あなた達は、八犬士と穢れの者どもの因縁について、どこまで知っているのかしら?」<br>
<br>
因縁と言われて、皆は頸を傾げた。<br>
今まで、真紅の同志としてしか戦ってこなかったからだ。<br>
それは当の真紅も同様だった。夢の導きで、旅に出たに過ぎない。<br>
我武者羅に戦うばかりで、鬼祖軍団の目的など、考える余裕もなかった。<br>
<br>
「恥ずかしい話だけれど、殆ど知らないのが現状なのだわ」<br>
「そう。では……カナの知る限りを、伝えておくかしら」<br>
「それは是非、お願いしたいわねぇ。へっぽこ退魔師さんは、当てにならないからぁ」<br>
「貴女こそ、太刀を振り回すばかりで、知恵が回っていないでしょう?」<br>
「いちいち煽りに乗らなくていいのに……。金糸雀、あの二人は気にせずに、続けて」<br>
「……は、はいかしら」<br>
<br>
蒼星石に促されて、金糸雀は、ひとつ咳払いすると、厳かに語り始めた。<br>
<br>
「八犬士と穢れの者どもの因縁は、今から十八年前に遡るかしら」<br>
「十八……って言うことは、私たちと同じ歳ですぅ」<br>
「そう。カナ達は、一人の姫から生まれた存在なのよ」<br>
「一人の姫…………それが、私の夢に語りかけてきた声の正体だと言うの?」<br>
<br>
真紅の問いに、金糸雀は頷いて見せた。<br>
そこで一旦、焙じ茶を啜って喉を湿らせ、再び話を続ける。<br>
<br>
「姫の名は、房姫。人と狗神の間に産まれた、異端児だったの。<br>
彼女は類い希なる退魔の能力を、生まれながらにして授かっていたかしら」<br>
「生まれが特別なら……当然よね」<br>
「信田の狐『葛の葉』を母に持つ安倍晴明のように、房姫もまた、<br>
陰陽道に精通していたと記されているわ。異類婚とは、そういうものかしら」<br>
「ところが、十八年前に、何かが起きたと言うわけだね」 <br>
「ええ。十八年前と言えば、各地で大きな戦が繰り返されていた時代よ。<br>
諸国は疲弊し、人々の死霊が、怨嗟や悲嘆が、大地を覆い尽くしていたの。<br>
それらが、黄泉の闇に潜んでいた穢れの者どもを目覚めさせたかしら」<br>
「黄泉の……闇……ですか。おどろおどろしいですぅ」<br>
「穢れの者どもは、この島国が誕生した太古から、蓄積され続けてきた怨念。<br>
少しぐらい祓ったところで、焼け石に水かしら」<br>
「要するにぃ、大元を叩かなきゃあ、キリがないって事ねぇ?」<br>
「その大元というのは、どんな敵なの?」 <br>
<br>
真紅の質問に、金糸雀は頚を横に振った。<br>
流石に、そこまでは書物に載っていないらしい。記載する者すら存在しなかったのだろう。<br>
金糸雀は、湯飲みの中で冷めてしまった焙じ茶を一息に飲み干し、話を戻した。<br>
<br>
「でも、十八年前に房姫と最終決戦をした者の名は、解っているかしら」<br>
「……それは、誰なの?」<br>
「鬼女――鬼の祖として、語られてきた者…………鈴鹿御前かしら」<br>
「鈴鹿御前……聞いたこと……ある」<br>
「房姫と鈴鹿御前の対決によって、ボクらが産まれたんだよね。<br>
どういう結末だったの?」<br>
「房姫は、重傷を負いつつも鈴鹿御前を封印することに成功したかしら。<br>
でも、身体に負担をかけすぎて、術を完成させたと同時に、息絶えてしまったの。<br>
房姫の御魂は、肉体を離れて八つに別れた……と言えば解るかしら?」<br>
「つまりぃ、その別れた御魂が……私たち、ってことぉ?」<br>
「ええ。そして、房姫の生まれ変わりが……他ならぬ、真紅なのかしら」<br>
「わ、私が?!」<br>
<br>
みんなの視線が、真紅に注がれた。<br>
確かに、真紅は当代随一の退魔師と評判を取っている。<br>
そして夢の中で託宣を受け、神剣『菖蒲』を授かった。<br>
更に、ここに集った同志の左手には、犬士の証が刻み込まれている。<br>
これだけ物的証拠が揃えば、金糸雀の話を信じない訳にはいかなかった。<br>
<br>
「ふぅん……実は、真紅って凄いヤツだったですね」<br>
「うん。ボクも、正直なところ、驚いたよ」<br>
「私自身、信じられないのだわ」 <br>
「私たちが……元は、ひとつ……」<br>
「あらぁ、薔薇しぃ……なにか、いやらしこと考えてたわねぇ?」<br>
「えっ! あのっ! そんなこと……ないよ?」<br>
「焦ってる時点で、怪しさ大爆発かしら」<br>
<br>
母屋は、乙女達の談笑で溢れ返った。<br>
徐々に熾烈な闘いが迫りつつある中の、和やかな雰囲気。<br>
今日だけは、このまま穏やかに過ごせたらいいなと、誰もが思っていた。<br>
<br>
しかし……そんな、ささやかな願いは、町人の噂話によって脆くも崩された。<br>
桜田藩と隣接する狼漸藩との連絡が、一切とれないとのことだった。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
――狼漸藩、某所。<br>
<br>
「御前様。雪華綺晶、ただいま戻りました」<br>
<br>
戦装束も勇ましい乙女が、御簾の前で跪き、頭を垂れた。<br>
<br>
「これで、藩内の城は全て落としました。<br>
我々に手向かう者は、もう領内に存在しませんわ」<br>
「大儀であったな。鉄砲の威力は、いかほどのものか?」<br>
「威力は絶大ですが、なにしろ数が足りませんわね。<br>
現状では、狙撃くらいしか使い道がないでしょう」<br>
「なるほど……笹塚に、量産を急がせよう。お前は休息を取るがよい」<br>
「はい。お気遣い、ありがとうございます」<br>
<br>
雪華綺晶が自室に向かって通路を歩いていると、偶然、のりと擦れ違った。<br>
今日は、割と機嫌が良いようだ。<br>
<br>
「あら、雪華綺晶。今、ご帰還なのぅ?」<br>
「はい。領内の人間どもを、狩り尽くしてきたところですわ」<br>
「うふふふ……流石は、雪華綺晶ね。お姉ちゃん、鼻が高いわ」<br>
「御前様に拾われ、のりさんに、ここまで育てて貰ったことは忘れませんよ。<br>
粉骨砕身で、ご恩に報いる所存です」<br>
<br>
雪華綺晶の言葉に、のりは心底、嬉しそうに笑った。<br>
彼女の手が、雪華綺晶の頬を、優しく撫でる。<br>
<br>
「お姉ちゃんはね、その気持ちだけで充分よぅ。だから、無理はしないで」<br>
「ええ。約束しますわ」<br>
<br>
雪華綺晶も、自分の頬を撫でる彼女の手に、掌を重ねる。<br>
子供の頃、戦場となった村で親を失い、妹とはぐれ、倒れていた雪華綺晶。<br>
鈴鹿御前が拾ってくれなかったら、間違いなく野垂れ死んでいた。<br>
<br>
それから暫くは、死の恐怖を感じなくて済んだ。<br>
鈴鹿御前様や、四天王のみんなが護ってくれたから。<br>
<br>
鈴鹿御前が敵対する者の手で封印され、四天王の三人までもが斃された時は、<br>
本当に悲しかった。殺されてしまうのだと、本気で恐れていた。<br>
幼い雪華綺晶を養ってくれたのは、四天王唯一の生き残り、のり。<br>
雪華綺晶にとって、彼女はこの十八年間、母親のような存在だった。<br>
<br>
「そう言えば、御前様が拾ってきた化け猫……桑田由奈が、<br>
奴らに殺されたと聞きましたけど?」<br>
「あらぁ、もう耳に入ってたのぅ?」<br>
「指揮官たる者、情報収集も怠りなく行わなければいけない。でしょう?」<br>
「お姉ちゃんの教えを忠実に守っているのねぇ。お利口さん。<br>
実はね、お姉ちゃん、そのことで御前様に呼ばれているのよぅ」<br>
「……出撃でしょうか」<br>
「多分ね。でも心配ないわよぅ。めぐも一緒に行くだろうから」<br>
<br>
めぐの名を耳にして、雪華綺晶は「それは安心ですわ」と頷いた。<br>
彼女は新参者だけれど、御前様への忠誠と、ひたむきさが際立っている。<br>
まるで、昔の自分を見ている様な感覚がして、つい、目をかけてしまうのだ。<br>
<br>
「それでは、お気をつけて。めぐにも、よろしく」<br>
<br>
あまり引き留めていては、御前様を待たせることになる。<br>
雪華綺晶は短い挨拶を交わして、のりと別れた。<br>
<br>
……が、今度は笹塚が、待ち構えていたように、柱の影から現れた。<br>
<br>
「これは雪華綺晶どの。相変わらず、お美しいですなあ」<br>
「そんな世辞を言うために、隠れていたのですか、笹塚?」<br>
「義理とは申せ姉妹水入らずの所を、邪魔するほど野暮ではないさ」<br>
<br>
ひゃははっ! と、下卑た笑いを漏らす笹塚。<br>
雪華綺晶は鼻であしらって、脇を通り過ぎようとした。<br>
そこに、ぼそり……と笹塚が呟く。<br>
<br>
「にしても、のり殿も所詮は普通の女の子……というところですかな」<br>
「……何が言いたいのですか?」<br>
「いやなに。桜田ジュン復活の儀式が整うと、急に上機嫌になったものでね」<br>
「はん! 下衆の勘繰りですわね」<br>
<br>
――新参者のお前には、解るまい。<br>
雪華綺晶は、笹塚に侮蔑の視線を向け、その場を立ち去った。<br>
彼女は……のりは、腹違いながら、桜田ジュンの実姉なのだ。<br>
十五ほど歳が離れている為、多分、ジュンも姉の存在を知らないだろう。<br>
政略結婚の道具として使われ、非業の死を遂げた姉の事など――<br>
<br>
「もう、のりさんに悲しい想いはさせませんわ。この私が……」<br>
<br>
暗闇が広がる閑散とした通路で、雪華綺晶は、その言葉を噛み締めていた。<br>
<br>
<br>
=<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/60.html">第十七章につづく</a>=<br>
</p>