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~第十八章~」(2007/01/27 (土) 18:05:58) の最新版変更点

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<p> <br>   ~第十八章~<br> <br> <br> 初夏の風に揺れる木立のざわめきに、小鳥の囀りが混ざり合う。<br> 長閑な雰囲気の中で、雛苺は竹箒を手に、境内の掃除をしていた。<br> この季節は、まだ掃除も楽だ。<br> 秋ともなると落ち葉が酷くて、掃き集める側から、落ち葉が積もる有様だった。<br> <br> もっとも、焚き火で作る焼き芋は、とても愉しみだったけれど。<br> <br> <br>  「雛苺、ちょっと来なさい」<br>  「うよ? はいなのー、お父さま」<br> <br> 竹箒を放り出すと、雛苺は小首を傾げながら、ペタペタと草履を鳴らして社殿に向かった。<br> どうしたのだろう? なんとなく、声の質が硬かったけれど……。<br> 怒られるようなコト、したっけ?<br> <br>  「お父さま~、何のご用なのー?」<br>  「おお、来たか。雛苺」<br> <br> 育ての父、結菱一葉は一通の書状を手に、硬い表情をしていた。<br> そう言えば、ついさっき……お城から早馬が来てたっけ。<br> 雛苺の視線は、書状に釘付けとなった。<br> <br>  「お手紙なのね。なんて書いてあるの、お父さま?」<br> <br> 興味津々で瞳を輝かせている雛苺に対して、一葉の表情が和らぐ事はなかった。<br> 彼は、懐に書状をしまい込みながら、話を切り出した。<br> <br>  「旅の支度をしなさい、雛苺」<br>  「……うよ?」<br>  「狼漸藩で、なにやら良くない事が起きたようだ。お前も、ついて来なさい」<br>  「わぁい! お出かけなのー!」<br> <br> 『良くない事』に深刻さを全く感じていないらしく、雛苺は陽気にはしゃいだ。<br> 普段から、あまり遠出をする事がないので、余計に嬉しいのだろう。<br> けれど、一葉は雛苺の態度を、不謹慎だと叱ったりしなかった。<br> 寧ろ、頼もしげな感すら有ったほどだ。<br> 彼は狼漸藩の方角から押し寄せてくる何かの気配を、鋭敏に感じ取っていた。<br> <br>  (今度の一件、雛苺には厳しいかもわからん。<br>   だが、この娘の陽の気が必要なのも、疑いない)<br> <br> 青々と木々が繁る稜線に遮られて、ここからでは狼漸藩の様子が全く判らない。<br> あの尾根まで登れば、なにか解るだろう。<br> <br>  「うゆぅ~。お父さま……ヒナね、なんか凄ぉく気持ち悪いの~」<br> <br> 一葉の真似をして狼漸藩の方角を見ていた雛苺が、胸元に手を当てて呻いた。<br> ちょっと目を向けるだけで、強烈に邪気を感じ取ったらしい。<br> やはり、雛苺には強い能力が眠っているのだと、一葉は確信した。<br> 長年の修行の末に開眼した自分と違って、才能を持って生まれてきたのだ……と。<br> <br>  「出かけるのが辛いなら、此処に残っていても良いのだぞ」<br>  「……平気なの。お父さまと一緒に、お出かけするのっ」<br>  「ならば、急いで支度を済ませてきなさい」<br> <br> 促されて、雛苺は元気良く自室へと駆け出していった。<br> 一身を賭して、雛苺を守り抜く。一葉の眼差しには、確たる意志が宿っていた。<br> <br> <br> <br> <br> ――六人の犬士たちが柴崎老人の邸宅を後にして、早くも一日が過ぎようとしている。<br> 暮れなずむ空を見上げながら、とぼとぼと歩く山道。<br> 金糸雀の幼少時代、色々と面倒を見てくれた女性が、この近くの村に嫁いだと<br> 聞いて、情報収集も兼ねて立ち寄ってみたのだが……。<br> <br>  「ねえ、金糸雀ぁ。本当に、もうすぐ着くのぉ?」<br>  「う、うん……その筈、かしら」<br>  「その筈って、なんです! 適当で無責任なヤツですね、お前はっ!」<br> <br> 周囲は木々が生い茂り、見晴らしが悪い。<br> 夜の帳が降り始めて、尚更、村の所在を確認する事が困難になっていた。<br> <br>  「しゃ~ねぇです。私が先に行って、確かめてくるですぅ」<br> <br> 痺れを切らして走り出そうとした翠星石の手を、蒼星石が掴んだ。<br> <br>  「ダメだよ、姉さん。まだ、傷も完治してないんだからね」<br>  「で、でも蒼星石。このままじゃ埒が開かねぇですぅ」<br>  「それでも、ダメだよ」  <br> <br> 手を離そうとせず、にっこりと微笑む蒼星石の気迫に圧されて、<br> 翠星石は渋々と引き下がった。<br> 下手に逆らおうものなら、鳩尾に当て身が飛んで来ること請け合いだ。<br> そうこうする内に、事態が進展を見せぬまま、辺りはどんどん暗くなっていく。<br> <br>  「あう~。みんな、ごめんなさいっ! どうしよう~、困ったかしら」<br>  「心配ない……もうすぐ、着くから」<br>  「え? 貴女、知っていたの?! だったら最初から言いなさい!」 <br> <br> 声を荒げる真紅に、薔薇水晶は「訊かれなかったし」と呟いて、前方を指差した。<br> <br> <br> <br> <br> 村に到着して、ちょっと探すと、金糸雀の知り合いは直ぐに見つかった。<br> <br>  「あら! やだぁ、カナじゃないの! どおしたのよ~!」<br>  「ちょ……みっちゃん! ちょっと、待つ、かしらーっ!」<br> <br> 戸板を開けて顔を覗かせた女性は、金糸雀を見るや抱き付いて、頬ずりを始めた。<br> そんな二人の様子を、呆然と眺める五人の娘たち。<br> この人たち、一体どういう間柄だったのか……。<br> <br>  「ねぇ……あの女の人、なんなのぉ?」<br>  「ま、まあ、なに? 浅からぬ仲だって事は、解ったのだわ」<br>  「……はっきり言えば……キチガもごもご」<br>  「はっきり言わねぇでいいです。お前はホントに、バカ水晶ですぅ」<br>  「姉さんも、そこまで明言しなくたって……」<br> <br> みっちゃんと呼ばれた女性は、ひと頻り金糸雀を愛でると、五人に目を向けた。<br> 眼鏡の奥で光る瞳は、次なる獲物を狙う猛禽のそれに似ていた。<br> <br>  「ちょっとちょっと。カナぁ、この可愛い娘たちは誰ぇ?」<br>  「一緒に旅をしてる仲間かしら。山道を越えようとして、夜になったから」<br>  「ははぁん……それで、今夜は泊めて欲しいって言うのね?」<br>  「納屋でも構わないから、貸して頂けると助かるのだけど」<br>  「なに言ってるの! カナの知り合いなら、部屋に泊めてあげるわよっ」<br>  「でも、ボクたちが居たら、ご家族に迷惑なんじゃあ――」<br>  「だぁいじょうぶ。旦那は留守だし、子供もいないからぁ」<br> <br> 実は、独りで寂しかったのだろうか。みっちゃんは大喜びで、彼女たちを迎え入れた。<br> <br> <br> <br> 質素だが、温かな夕食を取った後――<br> みっちゃんの餌食になったのは、意外にも薔薇水晶だった。<br> どうやら、洒落た眼帯が、みっちゃんのツボにハマったらしい。<br> 食後のお茶を飲みながら旅の話に耳を傾ける間、彼女は薔薇水晶の肩を抱き締め、<br> 決して手放さなかったのだ。<br> 薔薇水晶は露骨に嫌な顔をしたが、みっちゃんは一向、気にする様子がない。<br> 他の娘たちも身代わりにはなりたくないらしく、頻りに頬ずりされる薔薇水晶に<br> 同情の眼を向けつつ、笑いを堪えるばかりだった。<br> <br> <br> <br> <br> ――そして就寝時間。<br> <br>  「酷いよ……みんな……」<br> <br> 涙を浮かべて膝を抱える薔薇水晶の肩を、翠星石がバシバシと叩いた。<br> <br>  「まあ、気にするなです、薔薇しぃ。人生、何事も経験ですぅ」<br>  「……だったら、翠ちゃんも……やられれば良かったのに」<br>  「わ、私は、頬ずりなんて経験済みだからいいです。ねぇ、蒼星石?」<br>  「知らないよっ! なんで、ボクに話を振るの!」<br> <br> 蒼星石は夜目にも判るくらい頬を染めると、寝転がって背を向けた。<br> その後も「まったく、姉さんは……」と、なにやらブツブツ言い続けていた。<br> <br>  「それにしても、最後の貧乏クジは真紅だったわねぇ」<br>  「みっちゃん、昔っから寂しがりだから……」<br> <br> 就寝前、みっちゃんは真紅に、一緒の部屋で寝て欲しいと願い出たのだ。<br> たった一晩とは言え、ご厄介になる以上、無下に断る訳にはいかなかった。<br> <br> <br> なぜ、こんな状況になっているのか。<br> 布団の中で、身を強張らせる真紅。枕を並べた、一組の布団。<br> これ即ち、同衾……と言うヤツである。<br> てっきり二組の布団を敷くものと思っていたが、勝手な思い込みだったらしい。<br> <br> 真紅はみっちゃんに背を向け、両手でしっかりと神剣を握りしめた。<br> 金糸雀には悪いが、ちょっとでも変な真似をしたら、躊躇なく斬るつもりだった。<br> <br>  「そんな物騒な物、布団に持ち込まなくてもいいじゃないの」<br>  「ここ、これは大切な剣だから、肌身離さず持つのは、と、と、当然なのだわ」<br>  「そぅお? 寝返り打った時とか、痛いでしょお?」<br>  「で、でも……」<br>  「せめて、枕元に置いておきなさいな」<br> <br> 確かに、みっちゃんの言う通りだった。<br> 剣を抱えたままだと寝返りを打ち難いし、変に身体を乗せてしまうと、物凄く痛い。<br> 第一、布団の中に持っていては掛け布団が邪魔して、即座に抜刀できないだろう。<br> 枕元に置いておく方が、よっぽど瞬時に対応できる。<br> <br>  (どうせ、穢れの者は神剣に触れないし――)<br> <br> 間違いが起きそうになったら、大声を出せば、みんなが駆けつけてくれる。<br> 真紅は躊躇いがちに、神剣を枕元へ置いた。<br> それを見て、みっちゃんは、にへら……と、嫌らしい笑みを浮かべた。<br> <br>  「うふふふふ…………手放したわねぇ、お間抜けさん」<br>  「えっ?」<br> <br> みっちゃんは半身を起こすと、袖の中から、しゃっ……と短刀を抜き出した。<br> 行燈の仄かな明かりに、みっちゃんの眼鏡が怪しく輝く。<br> 逆手に握った短刀の刃が、ギラリと鋭い光を放った。<br> <br>  「……っ! ……っ!?」<br>  「うふふふ。声が出ないでしょお? 身体だって、動かない筈よぅ?」<br> <br> 確かに、真紅の身体は全く動かなくなっていた。<br> ついさっきまで、なんでもなかったのに――<br> 意識を集中して、全身に気を送っても、金縛りは解けない。<br> 自分の身に何が起きているのか、全く把握できなかった。<br> <br>  「神剣の加護がなければ、所詮は、普通の女の子。他愛ないわあ」<br>  「! …………っ!」<br>  「怖い目で睨んだってダぁ~メよぅ。<br>   めぐの放ったムカデの毒に、全身を蝕まれているんだから。<br>   ムカデの毒は、やがて貴女の心臓すらも麻痺させるわ。<br>   どお、怖い? 死ぬのが怖い?<br>   でも大丈夫よ。貴女がムカデの毒で死なずに済む方法は、ひとつだけ有るから」<br> <br> 勿体ぶった言い方をして、みっちゃんは真紅の顎を、ぐいと押し上げた。<br> 狡猾そうな冷笑を浮かべて、真紅の顔を覗き込んでくる。<br> <br>  「毒の恐怖から解放される、唯一の方法を――知りたい?」<br> <br> みっちゃんは、真紅の耳元で、心底楽しそうに囁いた。<br> <br>  「簡単なコトよぅ。毒が全身に回りきる前に、死んでしまえば良いの」 <br>  「っ!! っ!?!」<br>  「可哀相だから、お姉ちゃんが貴女を死の恐怖から解き放ってあげるわ。<br>   ゆっくり……そう、ゆっくりと殺してあげるから」<br> <br> 矛盾に満ちた言葉を吐いて、みっちゃんは真紅の喉に、軽く歯を立てた。<br> 最初は、甘噛み……。<br> それから宣言どおりに、じわじわと……徐々に、顎の力を増していった。<br> このままでは気管を圧迫されて窒息するか、喉を食い千切られるか、二つにひとつ。<br> <br>  ――なんとか、しないと。でも、どうすれば良いの?<br> <br> 全身を襲う痺れで、指一本を動かすことすら叶わない。<br> 神剣を手放し、加護を受けなくなった途端、めぐの術に陥ってしまったなんて。<br> <br> 所詮、この程度でしかないのか。<br> 真紅は自分の力の足りなさに、失望を禁じ得なかった。<br> 【義】の御魂ひとつだけでは、四天王の術にすら満足に対抗できない……それが現実。<br> なんて、ちっぽけで、弱々しい存在なのだろう。<br> <br>  (それでも、私は――)<br> <br> やはり、みんなの御魂を集める気にはなれない。<br> そして勿論、こんなところで殺されるつもりも、断じて無い!<br> <br>  (房姫……私の声が聞こえているなら……お願い! 力を貸してちょうだい!)<br> <br> 直後、真紅の身体が仄かな光に包み込まれる。法理衣が自発的に起動していた。<br> 真紅の喉元で、ジュッ! と何かが焼ける音と、臭いがした。<br> <br>  「ふぐあっ!」<br> <br> 真紅の喉に噛みついていたみっちゃんは、両手で顔面を覆い、絶叫をあげた。<br> すぐさま、襖が乱暴に開け放たれ、五人の娘が雪崩れ込んでくる。<br> <br>  「真紅っ! 今の絶叫は何なのっ?!」<br>  「……これは、どういうつもりぃ? 悪ふざけにも程があるわよっ」<br> <br> 蒼星石と水銀燈が、素早く左右に分散する。<br> 薔薇水晶が正面で二本の小太刀を構え、みっちゃんの背後には翠星石が回り込んだ。<br> <br>  「金糸雀は、真紅の容態を診やがれですぅ!」<br>  「わ、解ったかしら!」<br> <br> 金糸雀は短筒の照準をみっちゃんに合わせつつ、真紅の元に駆け寄った。<br> 身体が麻痺しているらしい。声も、出せないようだ。<br> 真紅の喉に残る歯形を目にして、金糸雀は何をされたかを悟った。<br> <br>  「誰なの、あなたは! 本物のみっちゃんは、こんな事しないかしら!」<br>  「ふふふ……あ~あ、残念。もう少し遊んでいたかったのに」<br> <br> みっちゃんの輪郭が、徐に、ゆらりと波立つ。<br> そして、一瞬の後には、眼鏡を掛けた娘の姿に変貌していた。<br> <br>  「お前は、のり!」<br>  「あら? 憶えててくれたのね、蒼星石ちゃん。お姉ちゃん、嬉しいわ」<br>  「いつもいつも、ふざけたヤツですぅ!」<br>  「みっちゃんは! みっちゃんを、どうしたかしらっ!」<br> <br> 金糸雀は、半狂乱になって、がなりたてた。<br> そんな彼女を、のりの冷たい視線が射抜き、冷水の様な笑みが吹きかけられた。<br> <br>  「馬鹿ねえ。あんな女、とっくに食べちゃったに決まってるでしょお?<br>   この村の連中も、お姉ちゃんが一人残らず食らい尽くしてやったわ」<br>  「な……っ!」<br>  「なのに、貴女たちったら全然、気がつかないんだもの。<br>   お姉ちゃん、笑いを堪えるので大変だったんだから。あはははっ!」<br>  「この……外道めっ!」<br>  「んふふっ。あら嬉しい。蒼星石ちゃんから、最高の誉め言葉をもらっちゃったぁ」<br> <br> 四面楚歌であるにも拘わらず、のりは悠然と笑みを浮かべていた。<br> 絶体絶命の危機に陥っていながら、何故、余裕綽々としているのか。<br> ハッタリか。それとも、まだ……何か罠を仕掛けているのか。<br> <br>  「かかって来ないのぅ? つまんなぁい。こっちから仕掛けちゃおうかな」<br> <br> 言って、のりが指を鳴らした途端、轟々と四方の壁が燃え上がり、<br> 八畳間は忽ち、焦炎地獄と化した。<br> 幻覚などではなく、本物の炎だ。肌が、ちりちりと痛くなった。<br> <br>  「これで、貴女たちは袋の鼠。このまま蒸し焼きにしてあげるわ」<br>  「その前に……お前を、殺せばいいだけ」<br> <br> 薔薇水晶は発動型防御装甲『圧鎧』を起動して、のりに斬りかかった。<br> <br> <br> =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/62.html">第十九章につづく</a>=<br>  </p>
<p> <br>   ~第十八章~<br> <br> <br> 初夏の風に揺れる木立のざわめきに、小鳥の囀りが混ざり合う。<br> 長閑な雰囲気の中で、雛苺は竹箒を手に、境内の掃除をしていた。<br> この季節は、まだ掃除も楽だ。<br> 秋ともなると落ち葉が酷くて、掃き集める側から、落ち葉が積もる有様だった。<br> <br> もっとも、焚き火で作る焼き芋は、とても愉しみだったけれど。<br> <br> <br>  「雛苺、ちょっと来なさい」<br>  「うよ? はいなのー、お父さま」<br> <br> 竹箒を放り出すと、雛苺は小首を傾げながら、ペタペタと草履を鳴らして社殿に向かった。<br> どうしたのだろう? なんとなく、声の質が硬かったけれど……。<br> 怒られるようなコト、したっけ?<br> <br>  「お父さま~、何のご用なのー?」<br>  「おお、来たか。雛苺」<br> <br> 育ての父、結菱一葉は一通の書状を手に、硬い表情をしていた。<br> そう言えば、ついさっき……お城から早馬が来てたっけ。<br> 雛苺の視線は、書状に釘付けとなった。<br> <br>  「お手紙なのね。なんて書いてあるの、お父さま?」<br> <br> 興味津々で瞳を輝かせている雛苺に対して、一葉の表情が和らぐ事はなかった。<br> 彼は、懐に書状をしまい込みながら、話を切り出した。<br> <br>  「旅の支度をしなさい、雛苺」<br>  「……うよ?」<br>  「狼漸藩で、なにやら良くない事が起きたようだ。お前も、ついて来なさい」<br>  「わぁい! お出かけなのー!」<br> <br> 『良くない事』に深刻さを全く感じていないらしく、雛苺は陽気にはしゃいだ。<br> 普段から、あまり遠出をする事がないので、余計に嬉しいのだろう。<br> けれど、一葉は雛苺の態度を、不謹慎だと叱ったりしなかった。<br> 寧ろ、頼もしげな感すら有ったほどだ。<br> 彼は狼漸藩の方角から押し寄せてくる何かの気配を、鋭敏に感じ取っていた。<br> <br>  (今度の一件、雛苺には厳しいかもわからん。<br>   だが、この娘の陽の気が必要なのも、疑いない)<br> <br> 青々と木々が繁る稜線に遮られて、ここからでは狼漸藩の様子が全く判らない。<br> あの尾根まで登れば、なにか解るだろう。<br> <br>  「うゆぅ~。お父さま……ヒナね、なんか凄ぉく気持ち悪いの~」<br> <br> 一葉の真似をして狼漸藩の方角を見ていた雛苺が、胸元に手を当てて呻いた。<br> ちょっと目を向けるだけで、強烈に邪気を感じ取ったらしい。<br> やはり、雛苺には強い能力が眠っているのだと、一葉は確信した。<br> 長年の修行の末に開眼した自分と違って、才能を持って生まれてきたのだ……と。<br> <br>  「出かけるのが辛いなら、此処に残っていても良いのだぞ」<br>  「……平気なの。お父さまと一緒に、お出かけするのっ」<br>  「ならば、急いで支度を済ませてきなさい」<br> <br> 促されて、雛苺は元気良く自室へと駆け出していった。<br> 一身を賭して、雛苺を守り抜く。一葉の眼差しには、確たる意志が宿っていた。<br> <br> <br> <br> <br> ――六人の犬士たちが柴崎老人の邸宅を後にして、早くも一日が過ぎようとしている。<br> 暮れなずむ空を見上げながら、とぼとぼと歩く山道。<br> 金糸雀の幼少時代、色々と面倒を見てくれた女性が、この近くの村に嫁いだと<br> 聞いて、情報収集も兼ねて立ち寄ってみたのだが……。<br> <br>  「ねえ、金糸雀ぁ。本当に、もうすぐ着くのぉ?」<br>  「う、うん……その筈、かしら」<br>  「その筈って、なんです! 適当で無責任なヤツですね、お前はっ!」<br> <br> 周囲は木々が生い茂り、見晴らしが悪い。<br> 夜の帳が降り始めて、尚更、村の所在を確認する事が困難になっていた。<br> <br>  「しゃ~ねぇです。私が先に行って、確かめてくるですぅ」<br> <br> 痺れを切らして走り出そうとした翠星石の手を、蒼星石が掴んだ。<br> <br>  「ダメだよ、姉さん。まだ、傷も完治してないんだからね」<br>  「で、でも蒼星石。このままじゃ埒が開かねぇですぅ」<br>  「それでも、ダメだよ」  <br> <br> 手を離そうとせず、にっこりと微笑む蒼星石の気迫に圧されて、<br> 翠星石は渋々と引き下がった。<br> 下手に逆らおうものなら、鳩尾に当て身が飛んで来ること請け合いだ。<br> そうこうする内に、事態が進展を見せぬまま、辺りはどんどん暗くなっていく。<br> <br>  「あう~。みんな、ごめんなさいっ! どうしよう~、困ったかしら」<br>  「心配ない……もうすぐ、着くから」<br>  「え? 貴女、知っていたの?! だったら最初から言いなさい!」 <br> <br> 声を荒げる真紅に、薔薇水晶は「訊かれなかったし」と呟いて、前方を指差した。<br> <br> <br> <br> <br> 村に到着して、ちょっと探すと、金糸雀の知り合いは直ぐに見つかった。<br> <br>  「あら! やだぁ、カナじゃないの! どおしたのよ~!」<br>  「ちょ……みっちゃん! ちょっと、待つ、かしらーっ!」<br> <br> 戸板を開けて顔を覗かせた女性は、金糸雀を見るや抱き付いて、頬ずりを始めた。<br> そんな二人の様子を、呆然と眺める五人の娘たち。<br> この人たち、一体どういう間柄だったのか……。<br> <br>  「ねぇ……あの女の人、なんなのぉ?」<br>  「ま、まあ、なに? 浅からぬ仲だって事は、解ったのだわ」<br>  「……はっきり言えば……キチガもごもご」<br>  「はっきり言わねぇでいいです。お前はホントに、バカ水晶ですぅ」<br>  「姉さんも、そこまで明言しなくたって……」<br> <br> みっちゃんと呼ばれた女性は、ひと頻り金糸雀を愛でると、五人に目を向けた。<br> 眼鏡の奥で光る瞳は、次なる獲物を狙う猛禽のそれに似ていた。<br> <br>  「ちょっとちょっと。カナぁ、この可愛い娘たちは誰ぇ?」<br>  「一緒に旅をしてる仲間かしら。山道を越えようとして、夜になったから」<br>  「ははぁん……それで、今夜は泊めて欲しいって言うのね?」<br>  「納屋でも構わないから、貸して頂けると助かるのだけど」<br>  「なに言ってるの! カナの知り合いなら、部屋に泊めてあげるわよっ」<br>  「でも、ボクたちが居たら、ご家族に迷惑なんじゃあ――」<br>  「だぁいじょうぶ。旦那は留守だし、子供もいないからぁ」<br> <br> 実は、独りで寂しかったのだろうか。みっちゃんは大喜びで、彼女たちを迎え入れた。<br> <br> <br> <br> 質素だが、温かな夕食を取った後――<br> みっちゃんの餌食になったのは、意外にも薔薇水晶だった。<br> どうやら、洒落た眼帯が、みっちゃんのツボにハマったらしい。<br> 食後のお茶を飲みながら旅の話に耳を傾ける間、彼女は薔薇水晶の肩を抱き締め、<br> 決して手放さなかったのだ。<br> 薔薇水晶は露骨に嫌な顔をしたが、みっちゃんは一向、気にする様子がない。<br> 他の娘たちも身代わりにはなりたくないらしく、頻りに頬ずりされる薔薇水晶に<br> 同情の眼を向けつつ、笑いを堪えるばかりだった。<br> <br> <br> <br> <br> ――そして就寝時間。<br> <br>  「酷いよ……みんな……」<br> <br> 涙を浮かべて膝を抱える薔薇水晶の肩を、翠星石がバシバシと叩いた。<br> <br>  「まあ、気にするなです、薔薇しぃ。人生、何事も経験ですぅ」<br>  「……だったら、翠ちゃんも……やられれば良かったのに」<br>  「わ、私は、頬ずりなんて経験済みだからいいです。ねぇ、蒼星石?」<br>  「知らないよっ! なんで、ボクに話を振るの!」<br> <br> 蒼星石は夜目にも判るくらい頬を染めると、寝転がって背を向けた。<br> その後も「まったく、姉さんは……」と、なにやらブツブツ言い続けていた。<br> <br>  「それにしても、最後の貧乏クジは真紅だったわねぇ」<br>  「みっちゃん、昔っから寂しがりだから……」<br> <br> 就寝前、みっちゃんは真紅に、一緒の部屋で寝て欲しいと願い出たのだ。<br> たった一晩とは言え、ご厄介になる以上、無下に断る訳にはいかなかった。<br> <br> <br> なぜ、こんな状況になっているのか。<br> 布団の中で、身を強張らせる真紅。枕を並べた、一組の布団。<br> これ即ち、同衾……と言うヤツである。<br> てっきり二組の布団を敷くものと思っていたが、勝手な思い込みだったらしい。<br> <br> 真紅はみっちゃんに背を向け、両手でしっかりと神剣を握りしめた。<br> 金糸雀には悪いが、ちょっとでも変な真似をしたら、躊躇なく斬るつもりだった。<br> <br>  「そんな物騒な物、布団に持ち込まなくてもいいじゃないの」<br>  「ここ、これは大切な剣だから、肌身離さず持つのは、と、と、当然なのだわ」<br>  「そぅお? 寝返り打った時とか、痛いでしょお?」<br>  「で、でも……」<br>  「せめて、枕元に置いておきなさいな」<br> <br> 確かに、みっちゃんの言う通りだった。<br> 剣を抱えたままだと寝返りを打ち難いし、変に身体を乗せてしまうと、物凄く痛い。<br> 第一、布団の中に持っていては掛け布団が邪魔して、即座に抜刀できないだろう。<br> 枕元に置いておく方が、よっぽど瞬時に対応できる。<br> <br>  (どうせ、穢れの者は神剣に触れないし――)<br> <br> 間違いが起きそうになったら、大声を出せば、みんなが駆けつけてくれる。<br> 真紅は躊躇いがちに、神剣を枕元へ置いた。<br> それを見て、みっちゃんは、にへら……と、嫌らしい笑みを浮かべた。<br> <br>  「うふふふふ…………手放したわねぇ、お間抜けさん」<br>  「えっ?」<br> <br> みっちゃんは半身を起こすと、袖の中から、しゃっ……と短刀を抜き出した。<br> 行燈の仄かな明かりに、みっちゃんの眼鏡が怪しく輝く。<br> 逆手に握った短刀の刃が、ギラリと鋭い光を放った。<br> <br>  「……っ! ……っ!?」<br>  「うふふふ。声が出ないでしょお? 身体だって、動かない筈よぅ?」<br> <br> 確かに、真紅の身体は全く動かなくなっていた。<br> ついさっきまで、なんでもなかったのに――<br> 意識を集中して、全身に気を送っても、金縛りは解けない。<br> 自分の身に何が起きているのか、全く把握できなかった。<br> <br>  「神剣の加護がなければ、所詮は、普通の女の子。他愛ないわあ」<br>  「! …………っ!」<br>  「怖い目で睨んだってダぁ~メよぅ。<br>   めぐの放ったムカデの毒に、全身を蝕まれているんだから。<br>   ムカデの毒は、やがて貴女の心臓すらも麻痺させるわ。<br>   どお、怖い? 死ぬのが怖い?<br>   でも大丈夫よ。貴女がムカデの毒で死なずに済む方法は、ひとつだけ有るから」<br> <br> 勿体ぶった言い方をして、みっちゃんは真紅の顎を、ぐいと押し上げた。<br> 狡猾そうな冷笑を浮かべて、真紅の顔を覗き込んでくる。<br> <br>  「毒の恐怖から解放される、唯一の方法を――知りたい?」<br> <br> みっちゃんは、真紅の耳元で、心底楽しそうに囁いた。<br> <br>  「簡単なコトよぅ。毒が全身に回りきる前に、死んでしまえば良いの」 <br>  「っ!! っ!?!」<br>  「可哀相だから、お姉ちゃんが貴女を死の恐怖から解き放ってあげるわ。<br>   ゆっくり……そう、ゆっくりと殺してあげるから」<br> <br> 矛盾に満ちた言葉を吐いて、みっちゃんは真紅の喉に、軽く歯を立てた。<br> 最初は、甘噛み……。<br> それから宣言どおりに、じわじわと……徐々に、顎の力を増していった。<br> このままでは気管を圧迫されて窒息するか、喉を食い千切られるか、二つにひとつ。<br> <br>  ――なんとか、しないと。でも、どうすれば良いの?<br> <br> 全身を襲う痺れで、指一本を動かすことすら叶わない。<br> 神剣を手放し、加護を受けなくなった途端、めぐの術に陥ってしまったなんて。<br> <br> 所詮、この程度でしかないのか。<br> 真紅は自分の力の足りなさに、失望を禁じ得なかった。<br> 【義】の御魂ひとつだけでは、四天王の術にすら満足に対抗できない……それが現実。<br> なんて、ちっぽけで、弱々しい存在なのだろう。<br> <br>  (それでも、私は――)<br> <br> やはり、みんなの御魂を集める気にはなれない。<br> そして勿論、こんなところで殺されるつもりも、断じて無い!<br> <br>  (房姫……私の声が聞こえているなら……お願い! 力を貸してちょうだい!)<br> <br> 直後、真紅の身体が仄かな光に包み込まれる。法理衣が自発的に起動していた。<br> 真紅の喉元で、ジュッ! と何かが焼ける音と、臭いがした。<br> <br>  「ふぐあっ!」<br> <br> 真紅の喉に噛みついていたみっちゃんは、両手で顔面を覆い、絶叫をあげた。<br> すぐさま、襖が乱暴に開け放たれ、五人の娘が雪崩れ込んでくる。<br> <br>  「真紅っ! 今の絶叫は何なのっ?!」<br>  「……これは、どういうつもりぃ? 悪ふざけにも程があるわよっ」<br> <br> 蒼星石と水銀燈が、素早く左右に分散する。<br> 薔薇水晶が正面で二本の小太刀を構え、みっちゃんの背後には翠星石が回り込んだ。<br> <br>  「金糸雀は、真紅の容態を診やがれですぅ!」<br>  「わ、解ったかしら!」<br> <br> 金糸雀は短筒の照準をみっちゃんに合わせつつ、真紅の元に駆け寄った。<br> 身体が麻痺しているらしい。声も、出せないようだ。<br> 真紅の喉に残る歯形を目にして、金糸雀は何をされたかを悟った。<br> <br>  「誰なの、あなたは! 本物のみっちゃんは、こんな事しないかしら!」<br>  「ふふふ……あ~あ、残念。もう少し遊んでいたかったのに」<br> <br> みっちゃんの輪郭が、徐に、ゆらりと波立つ。<br> そして、一瞬の後には、眼鏡を掛けた娘の姿に変貌していた。<br> <br>  「お前は、のり!」<br>  「あら? 憶えててくれたのね、蒼星石ちゃん。お姉ちゃん、嬉しいわ」<br>  「いつもいつも、ふざけたヤツですぅ!」<br>  「みっちゃんは! みっちゃんを、どうしたかしらっ!」<br> <br> 金糸雀は、半狂乱になって、がなりたてた。<br> そんな彼女を、のりの冷たい視線が射抜き、冷水の様な笑みが吹きかけられた。<br> <br>  「馬鹿ねえ。あんな女、とっくに食べちゃったに決まってるでしょお?<br>   この村の連中も、お姉ちゃんが一人残らず食らい尽くしてやったわ」<br>  「な……っ!」<br>  「なのに、貴女たちったら全然、気がつかないんだもの。<br>   お姉ちゃん、笑いを堪えるので大変だったんだから。あはははっ!」<br>  「この……外道めっ!」<br>  「んふふっ。あら嬉しい。蒼星石ちゃんから、最高の誉め言葉をもらっちゃったぁ」<br> <br> 四面楚歌であるにも拘わらず、のりは悠然と笑みを浮かべていた。<br> 絶体絶命の危機に陥っていながら、何故、余裕綽々としているのか。<br> ハッタリか。それとも、まだ……何か罠を仕掛けているのか。<br> <br>  「かかって来ないのぅ? つまんなぁい。こっちから仕掛けちゃおうかな」<br> <br> 言って、のりが指を鳴らした途端、轟々と四方の壁が燃え上がり、<br> 八畳間は忽ち、焦炎地獄と化した。<br> 幻覚などではなく、本物の炎だ。肌が、ちりちりと痛くなった。<br> <br>  「これで、貴女たちは袋の鼠。このまま蒸し焼きにしてあげるわ」<br>  「その前に……お前を、殺せばいいだけ」<br> <br> 薔薇水晶は発動型防御装甲『圧鎧』を起動して、のりに斬りかかった。<br> <br> <br>   =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/62.html">第十九章につづく</a>=<br>  </p>

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