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~第二十三章~」(2007/01/29 (月) 21:37:11) の最新版変更点

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<p> <br> ~第二十三章~<br> <br> <br> 突然の土砂降りに見舞われた五人の犬士たちは、偶然に見つけた古刹に籠もり、<br> 周囲を警戒しつつ、冷たい雨を凌いでいた。<br> と言っても、実際に哨戒に就いているのは蒼星石と、薔薇水晶の両名のみだ。<br> <br> のり、めぐの両名と死闘を演じた後、夜を徹して水銀燈の行方を探したものの、<br> 結局、彼女は見付からなかった。<br> 得物も持たずに、たった独りで失踪してしまった水銀燈の事は気がかりだが、<br> 蠱毒に冒され、昏睡状態となった真紅のことも一刻を争う。<br> やむを得ず、重い足を引きずりながら村を後にして、やっと此処まで来た途端、<br> 天候の急変に出会したのだ。<br> <br> 山の天気は変わり易いから、単なる自然現象という可能性もある。<br> だが、彼女たちにとって、天候の急変には別の意味も含まれていた。<br> <br> ――穢れの者の襲来。<br> <br> 真紅は未だに目を覚まさず、翠星石の傷の状態も、完治と言うには程遠い。<br> おまけに、金糸雀は先の戦闘で、全ての銃弾を使い切っていた。<br> まともに戦えるのが蒼星石と薔薇水晶だけという状況で、<br> 敵が追撃してこない方が、寧ろ不思議であり不気味だった。<br> <br> けれど、雨が降り始めてだいぶ経つのに、穢れの者は姿を見せない。<br> そればかりか、付近には気配すら、微塵も感じられなかった。<br> <br> 「やっぱり、ただの自然現象なのかな?」<br> <br> 格子戸の間から、雨に煙る森の様子を窺っていた蒼星石は、ポツリと呟いた。<br> 隣に座って、同じく外の動きに警戒していた薔薇水晶が、無言で頷く。<br> それならそれで、休息できるから喜ばしい事だった。<br> <br> 「金糸雀。真紅の容態は、どうなの?」<br> 「蠱毒の進行は、今のところ止まっているかしら」<br> 「神剣の加護ですかねぇ。まあ、現状維持が関の山ですけどぉ」<br> <br> 神剣を両腕に抱かせておくと、真紅は苦しまなくなった。<br> しかし、それだけだ。回復も悪化もせず、完全な膠着状態に陥っている。<br> 所詮は一時凌ぎであり、根本的な解決には至っていなかった。<br> <br> 「眠りこけてる真紅の世話なら、私ひとりでも見てやれるです。<br> 金糸雀は、今の内に弾丸を造り貯めしておきやがれですぅ」<br> 「いいの? それじゃあ、お言葉に甘えるかしら」<br> <br> 金糸雀は、翠星石に後事を託して、部屋の隅で火を起こし、鉛を溶かし始めた。<br> こういった湿度の高い時に火薬を扱うのは、本来なら望ましくない。<br> けれども、弾が無い以上、状況に拘ってもいられなかった。<br> <br> 古刹の外では、相も変わらず、ざあざあと雨が降りしきっている。<br> 格子戸の向こうに睨みを利かせながら、蒼星石は水銀燈の事を考えていた。<br> <br> 彼女は今頃、何処にいるのだろう?<br> この雨の中で、ボクたちと同様に、雨宿りをしているんだろうか?<br> それとも、雨に濡れて、捨てられた子猫みたいに震えているの?<br> <br> もう一度、会って話がしたい。あの時、言い過ぎたって事を謝りたい。<br> そう願った矢先、かたかたかた……と、小刻みに震える音が、室内に響いた。<br> <br> <br> ――敵の襲撃か?! <br> <br> 誰の表情にも、緊張が走る。その間も、かたかたと音は鳴り続けた。<br> 襲撃にしては、余りにも静かすぎる。<br> 本当に、敵が攻めてきたのだろうか?<br> なんだか様子がおかしい。全員が耳をそばだてて、音源を探した。<br> 室内で鳴っているのは、間違いない。<br> <br> 「……? ああっ! 判ったです! アレですぅ!」 <br> 「アレって……銀ちゃんの太刀……」<br> <br> 翠星石が指差した先で、床に寝かせてあった水銀燈の太刀が震動していた。<br> <br> 「精霊が……冥鳴が、こんなに騒いでいるなんて」<br> 「これって、まさか――」<br> 「銀ちゃんの身に、危機が迫ってるのかしら?」<br> 「…………探しに行くっ!」<br> 「あ、待つですよ、薔薇しぃっ」<br> <br> すっと立ち上がった薔薇水晶を、翠星石が呼び止めた。<br> 薔薇水晶は『なんで、止めるの?』と言わんばかりの眼を翠星石に向けて、<br> さも不服そうに唇を突き出した。<br> <br> 「探しに行くなら、蒼星石と一緒に行くです。<br> 独りだと、何か有ったときに、連絡も取れなくなるです」<br> 「その通りかしら。二人なら、不意打ちを食らっても、助け合えるものね」<br> 「解った。行こうか、薔薇しぃ。冥鳴、道案内を頼んだよ」 <br> 「じゃあ……私が太刀を持つ」<br> <br> 薔薇水晶が太刀を掴み上げると、震動は更に激しくなった。<br> まるで、薔薇水晶と蒼星石を急かしているみたいだ。<br> <br> 「ふふっ。冥鳴は、本当に水銀燈のことが好きなんだね」<br> 「銀ちゃんへの愛なら……私の方が上」<br> 「……バカ水晶。精霊を相手に恋の鞘当てして、どうするですか」<br> <br> 重い溜息を吐いた翠星石に見送られ、蒼星石と薔薇水晶は古刹を発った。<br> 土砂降りだった雨は、気持ち、弱まっていた。<br> しかし、依然として強い降りであることに、なんら変わりはない。<br> 雨粒を吸い込んで、服が見る見るうちに重みを増していった。<br> <br> 「……こっち。間違いない」<br> 「よし、急ごう」<br> <br> 泥濘に脚を取られながらも、二人は冥鳴の示す方向へ進み続ける。<br> 少し進んでは、全方位に太刀の切っ先を向け、冥鳴の反応を確かめる。<br> 冥鳴に導かれるまま、蒼星石と薔薇水晶は、森の切れ間まで辿り着いた。<br> その先は、身を隠せる場所が少ない河原となっている。<br> <br> 「? なんだか、川を渡らないと……ダメみたい」<br> 「冥鳴が言うなら、そうなんだろうね。近くに橋なんて有ったかな」<br> <br> まあ、有ろうが無かろうが関係ない。橋がなければ、泳いで渡るだけだ。<br> もっとも、この雨で増水していなければ――の話だが。<br> <br> 山では土砂降りだった雨が、河原では霧雨に変わっていた。<br> 実際に土手に立ってみると、川幅は、予想していたよりずっと広い。<br> これは流石に、泳いで渡るなんて無理だ。<br> 蒼星石は橋を探して、川の上流と下流を、交互に見遣った。<br> すると、そこへ――<br> <br> 「……居たっ! 向こう岸……ほら、あそこに」<br> <br> 薔薇水晶が対岸を指差しながら、上擦った声で話しかけてきた。<br> 雨靄の向こうに、特徴ある銀髪が見えた。誰か、二人の人物と一緒らしい。<br> 折良く下流に小さな橋を見付けた蒼星石は、薔薇水晶を促して、走り出した。<br> <br> <br> <br> <br> 低く垂れ込めた黒い雲から、霧雨が降り続けている。<br> 崖の上から成り行きを見守っていた雪華綺晶は、<br> 縁辺流の威力を目の当たりにして、固唾を呑んでいた。<br> 目障りな娘が居るとは聞いていたが、まさか、ここまで厄介な存在だったとは。<br> <br> 「部隊を立て直している間に、他の犬士と合流されては面倒ですわね」<br> <br> 今なら、まだ可能性が残されている。<br> 神官の老人は戦力外だ。水銀燈も負傷のため、本来の実力を発揮できずに居る。<br> あの娘……雛苺は、精霊さえ使わせなければ、大した驚異に成り得ない。<br> ――倒すなら、今を置いて無い。<br> <br> 「本意ではありませんが――」<br> <br> あの老人を人質として、二人を確実に始末すべきだろう。<br> 雪華綺晶は兜を被り、兵たちに命令を下すと、白馬を駆って急峻な崖を降りた。<br> 彼女の後を、十数騎の騎馬兵が続く。<br> <br> 水銀燈が、雪華綺晶の接近に気づいて、槍を構え直すのが見えた。<br> その背後で、雛苺は再び瞑想に入ろうとしている。<br> 縁辺流が起動するまで何秒かの余裕がある事は、さっきの戦闘で確認済みだ。<br> <br> 「お行きなさい、獄狗っ!」<br> <br> 雪華綺晶は、手綱を握り締めながら精霊を起動した。<br> 彼女の白い髪がざわめき、背後から、漆黒の獣が顕現する。<br> 一見すると熊かと見間違えるほど巨大な影の正体は、双頭の魔犬だった。<br> <br> 魔犬は雛苺に狙いを定めて、風のように突進していく。<br> そして、縁辺流が起動される寸前、魔犬は水銀燈の脇を突き抜け、雛苺に体当たりした。<br> 跳ね飛ばされた雛苺は、気を失ったのか、ぐったりと横たわったままだ。<br> <br> 「ヒナちゃんっ! この犬っ……よくもっ!」<br> <br> 振り向いた水銀燈が槍を突き立てるより早く、獄狗は軽々と身を翻して、<br> 雪華綺晶の元へと戻っていた。<br> <br> 「! なんて素早いヤツなのよ!」<br> 「ひ、雛苺っ!」<br> <br> 結菱老人が、すぐさま雛苺の元に駆け寄る。<br> 水銀燈も急いで駆けつけて、二人に斬りかかる穢れの騎馬を、槍で貫いた。<br> 油断なく敵を牽制しながら、雛苺を抱き起こした結菱老人に、後事を託す。<br> <br> 「ヒナちゃんのこと、お願い。<br> 私が時間を稼いでる間に、出来る限り遠くへ逃げて」<br> 「承知した。お主も無茶はするでないぞ」<br> 「当然でしょぉ? 何の得にも成らないのに、無茶なんかするもんですか。<br> さあ、早く行って!」<br> <br> 水銀燈は、迫り来る雪華綺晶に対応すべく、その場に踏み留まった。<br> 再び精霊を使おうものなら、今度こそ、あの魔犬を串刺しにしてやる。<br> そんな彼女の気迫を感じ取ったのか、雪華綺晶は水銀燈の目の前で馬を止めた。<br> 暫しの睨み合い……。<br> 先に言葉を発したのは、雪華綺晶の方からだった。<br> <br> 「貴女が、水銀燈……ですわね?」<br> 「そうだけどぉ? そう言う貴女は、誰だっていうのかしら」<br> 「これは失礼しましたわ。私は鬼祖軍団、四天王が一人……雪華綺晶」<br> <br> のり、笹塚、めぐ……そして、雪華綺晶。<br> これまで対峙した中で、最初から精霊を駆使したのは、雪華綺晶だけだ。<br> 結構、手強いかも知れない。水銀燈は、緊張して、生唾を飲んだ。<br> <br> 対する雪華綺晶は、目深に被った兜の奥から、鋭い眼光を水銀燈に放っていた。<br> 水晶を模したであろう三叉の鍬形が、威圧感を増幅している。<br> <br> 「貴女は、のりさんの右腕を斬り落とした、憎むべき存在ですわ。<br> あっさりと殺したりしないから、覚悟なさって下さいな」<br> 「冗談でしょぉ? 貴女こそ、返り討ちにならない様に気をつける事ねぇ」<br> 「ふ…………減らず口を」<br> 「減らず口なら、お互い様じゃないの」<br> <br> 二人の視線が交錯して、火花が散った。<br> 次の瞬間、雪華綺晶の槍と、水銀燈の槍がぶつかり合う。<br> それが合図だったかの様に、彼女たちの両脇を、骸骨騎馬の一団が通り過ぎた。<br> <br> 「なっ! こいつら――」<br> <br> 通過を妨げようとしたが、水銀燈の槍は、雪華綺晶の槍に抑えられて、<br> ビクとも動かなかった。<br> <br> 「あの娘も、これで終わりですわね。そして、貴女も――」<br> 「くっ! そんな事、させるもんですかっ」<br> <br> 水銀燈は槍を引いて、骸骨騎馬の後を追い掛けた。<br> しかし、どれだけ早く走ろうが、所詮は人の脚。馬に追いつける筈がない。<br> 水銀燈の背中に、雪華綺晶の哄笑が浴びせられた。<br> <br> 「あははははっ! 無駄無駄。無駄な足掻きですわ」<br> <br> そんな事は、いちいち言われなくても解っている。<br> しかし、無駄だからと最初から諦めていたら、何も出来はしない。<br> 僅かでも望みがあるなら、それに賭けてみるのが、水銀燈の流儀だった。<br> だから、めぐを助ける為だけに、村を飛び出すなんて無茶もやってのけたのだ。<br> <br> 背後で、馬が嘶いた。続いて、蹄の音。雪華綺晶が追い掛けてくる。<br> 馬の荒々しい息づかいが、すぐ近くに感じられた。<br> これ以上は、逃げられない。水銀燈は向き直って、槍を構えた。<br> <br> <br> 直後、強烈な衝撃が、水銀燈の手から槍を奪い取る。<br> 雪華綺晶の槍が、水銀燈の喉元に、ひた……と突き付けられた。<br> <br> 「人間、諦めが肝心ですわ。見苦しい真似は、なさらぬ様に」<br> 「貴女とは、根本的に価値観が違うのね。まるっきり正反対らしいわぁ」<br> 「……らしいですね。つまらない人に、興味は有りませんわ」<br> <br> 「さようなら」と、雪華綺晶の槍が突き出される。<br> だが、それと時を同じくして、河原に群生する葦の向こうで、ごう……っと、炎が上がった。<br> 雪華綺晶が、ちらっと一瞥する。<br> その隙を逃さず、水銀燈は横に飛んで、弾き飛ばされた槍を拾った。<br> だが、水銀燈の動きを追って、雪華綺晶の槍も繰り出されていた。<br> ――なんて素早い反応。<br> 咄嗟に躱そうにも、少しばかり距離が近すぎた。<br> <br> ――殺られるっ!<br> 水銀燈が息を呑んだ直後、脇から飛び込んできた影が、雪華綺晶の槍を遮る。<br> それは、水銀燈の良く知っている人物だった。<br> <br> 「ごめん、銀ちゃん…………遅くなった」<br> 「薔薇しぃ! よく来てくれたわ!」<br> 「なっ?! 貴女……まさか――」<br> <br> 雪華綺晶が狼狽えて槍を引いたのと、手渡された太刀を水銀燈が構えたのは、<br> 殆ど同時だった。<br> <br> 「薔薇しぃ、避けなさぁい。……冥鳴っ!」<br> 「くぅっ! 獄狗っ!」<br> <br> 水銀燈の太刀から迸った精霊と、雪華綺晶の背後から飛び出した魔犬が、<br> 二人の間で激突する。じりじりと雑音を放ちながら、魔犬が押し戻されていく。<br> 冥鳴の勢いが獄狗を凌駕しているのは、誰の目にも明らかだ。<br> ほどなく弾き飛ばされた獄狗は、その巨体で雪華綺晶を巻き添えにしていた。<br> <br> 白馬から振り落とされた雪華綺晶は、地面に身体を強打して呼吸困難に陥った。<br> しかも、その上に獄狗の巨体が乗ってきたから堪らない。<br> 雪華綺晶は肺の空気を全て吐き出し、そのまま気を失ってしまった。<br> <br> 「こっちは終わりね。次は、ヒナちゃんを助けなくっちゃあ」<br> 「向こうなら、大丈夫……蒼ちゃんに任せてある……」<br> <br> 蒼星石の名前を出されて、水銀燈の表情が俄に翳った。<br> 会いに行くと決めていた筈なのに、いざとなると気後れしてしまう。<br> <br> (ダメねぇ……私も)<br> <br> 自分の情けなさを誤魔化すかの様に、水銀燈は、気絶している雪華綺晶に近付いた。<br> 槍は、構えたまま。<br> 少しでも妙な素振りを見せたら、即座にトドメを刺すつもりだった。<br> しかし――<br> <br> (あらぁ? なんだか…………?)<br> <br> 兜の間から僅かに見える雪華綺晶の面差しは、よく見れば薔薇水晶と似ていた。<br> 左右逆とは言え、眼帯をしているから、そんな風に感じるのだろうか。<br> 水銀燈は興味を掻き立てられて、雪華綺晶の脇に膝をついた。<br> 念のため、雪華綺晶の得物を、遠くへと放り投げておく。<br> <br> 兜を掴むべく伸ばした両腕が、緊張で震える。<br> やっとの思いで兜を挟み込むと、水銀燈は慎重に、雪華綺晶の兜を脱がせた。<br> 霧雨のそぼ降る中、ふわり……と、艶やかな白い髪が舞い上がる。<br> 雲間から差し始めた日射しに、彼女の白い肌が映えた。<br> <br> <br> 「う、ウソでしょぉ……これって……」<br> <br> 思わず絶句した水銀燈の背後に、歩み寄る足音が――ひとつ。<br> 水銀燈の態度に、興味を抱いたのだろう。<br> 軽い気持ちで水銀燈の肩越しに敵将の顔を覗き見た薔薇水晶は、次の瞬間、<br> ハッと息を呑んでいた。<br> <br> 「お……お姉…………ちゃん?」<br> <br> <br> =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/67.html">第二十四章につづく</a>=<br></p>
<p> <br>   ~第二十三章~<br> <br> <br> 突然の土砂降りに見舞われた五人の犬士たちは、偶然に見つけた古刹に籠もり、<br> 周囲を警戒しつつ、冷たい雨を凌いでいた。<br> と言っても、実際に哨戒に就いているのは蒼星石と、薔薇水晶の両名のみだ。<br> <br> のり、めぐの両名と死闘を演じた後、夜を徹して水銀燈の行方を探したものの、<br> 結局、彼女を見つけられなかった。<br> 得物も持たずに、たった独りで失踪してしまった水銀燈の事は気がかりだが、<br> 蠱毒に冒され、昏睡状態となった真紅のことも一刻を争う。<br> やむを得ず、重い足を引きずりながら村を後にして、やっと此処まで来た途端、<br> 天候の急変に出会したのだ。<br> <br> 山の天気は変わり易いから、単なる自然現象という可能性もある。<br> だが、彼女たちにとって、天候の急変には別の意味も含まれていた。<br> <br>  ――穢れの者の襲来。<br> <br> 真紅は未だに目を覚まさず、翠星石の傷の状態も、完治と言うには程遠い。<br> おまけに、金糸雀は先の戦闘で、全ての銃弾を使い切っていた。<br> まともに戦えるのが蒼星石と薔薇水晶だけという状況で、<br> 敵が追撃してこない方が、寧ろ不思議であり不気味だった。<br> <br> けれど、雨が降り始めてだいぶ経つのに、穢れの者は姿を見せない。<br> そればかりか、付近には気配すら、微塵も感じられなかった。<br> <br>  「やっぱり、ただの自然現象なのかな?」<br> <br> 格子戸の間から、雨に煙る森の様子を窺っていた蒼星石は、ポツリと呟いた。<br> 隣に座って、同じく外の動きに警戒していた薔薇水晶が、無言で頷く。<br> それならそれで、休息できるから喜ばしい事だった。<br> <br>  「金糸雀。真紅の容態は、どうなの?」<br>  「蠱毒の進行は、今のところ止まっているかしら」<br>  「神剣の加護ですかねぇ。まあ、現状維持が関の山ですけどぉ」<br> <br> 神剣を両腕に抱かせておくと、真紅は苦しまなくなった。<br> しかし、それだけだ。回復も悪化もせず、完全な膠着状態に陥っている。<br> 所詮は一時凌ぎであり、根本的な解決には至っていなかった。<br> <br>  「眠りこけてる真紅の世話なら、私ひとりでも見てやれるです。<br>   金糸雀は、今の内に弾丸を造り貯めしておきやがれですぅ」<br>  「いいの? それじゃあ、お言葉に甘えるかしら」<br> <br> 金糸雀は、翠星石に後事を託して、部屋の隅で火を起こし、鉛を溶かし始めた。<br> こういった湿度の高い時に火薬を扱うのは、本来なら望ましくない。<br> けれども、弾が無い以上、状況に拘ってもいられなかった。<br> <br> 古刹の外では、相も変わらず、ざあざあと雨が降りしきっている。<br> 格子戸の向こうに睨みを利かせながら、蒼星石は水銀燈の事を考えていた。<br> <br> 彼女は今頃、何処にいるのだろう?<br> この雨の中で、ボクたちと同様に、雨宿りをしているんだろうか?<br> それとも、雨に濡れて、捨てられた子猫みたいに震えているの?<br> <br> もう一度、会って話がしたい。あの時、言い過ぎたって事を謝りたい。<br> そう願った矢先、かたかたかた……と、小刻みに震える音が、室内に響いた。<br> <br> <br>  ――敵の襲撃か?! <br> <br> 誰の表情にも、緊張が走る。その間も、かたかたと音は鳴り続けた。<br> 襲撃にしては、余りにも静かすぎる。<br> 本当に、敵が攻めてきたのだろうか?<br> なんだか様子がおかしい。全員が耳をそばだてて、音源を探した。<br> 室内で鳴っているのは、間違いない。<br> <br>  「……? ああっ! 判ったです! アレですぅ!」 <br>  「アレって……銀ちゃんの太刀……」<br> <br> 翠星石が指差した先で、床に寝かせてあった水銀燈の太刀が震動していた。<br> <br>  「精霊が……冥鳴が、こんなに騒いでいるなんて」<br>  「これって、まさか――」<br>  「銀ちゃんの身に、危機が迫ってるのかしら?」<br>  「…………探しに行くっ!」<br>  「あ、待つですよ、薔薇しぃっ」<br> <br> すっと立ち上がった薔薇水晶を、翠星石が呼び止めた。<br> 薔薇水晶は『なんで、止めるの?』と言わんばかりの眼を翠星石に向けて、<br> さも不服そうに唇を突き出した。<br> <br>  「探しに行くなら、蒼星石と一緒に行くです。<br>   独りだと、何かあったときに、連絡も取れなくなるです」<br>  「その通りかしら。二人なら、不意打ちを食らっても、助け合えるものね」<br>  「解った。行こうか、薔薇しぃ。冥鳴、道案内を頼んだよ」 <br>  「じゃあ……私が太刀を持つ」<br> <br> 薔薇水晶が太刀を掴み上げると、震動は更に激しくなった。<br> まるで、薔薇水晶と蒼星石を急かしているみたいだ。<br> <br>  「ふふっ。冥鳴は、本当に水銀燈のことが好きなんだね」<br>  「銀ちゃんへの愛なら……私の方が上」<br>  「……バカ水晶。精霊を相手に恋の鞘当てして、どうするですか」<br> <br> 重い溜息を吐いた翠星石に見送られ、蒼星石と薔薇水晶は古刹を発った。<br> 土砂降りだった雨は、気持ち、弱まっていた。<br> しかし、依然として強い降りであることに、なんら変わりはない。<br> 雨粒を吸い込んで、服が見る見るうちに重みを増していった。<br> <br>  「……こっち。間違いない」<br>  「よし、急ごう」<br> <br> 泥濘に脚を取られながらも、二人は冥鳴の示す方向へ進み続ける。<br> 少し進んでは、全方位に太刀の切っ先を向け、冥鳴の反応を確かめる。<br> 冥鳴に導かれるまま、蒼星石と薔薇水晶は、森の切れ間まで辿り着いた。<br> その先は、身を隠せる場所が少ない河原となっている。<br> <br>  「? なんだか、川を渡らないと……ダメみたい」<br>  「冥鳴が言うなら、そうなんだろうね。近くに橋なんてあったかな」<br> <br> まあ、有ろうが無かろうが関係ない。橋がなければ、泳いで渡るだけだ。<br> もっとも、この雨で増水していなければ――の話だが。<br> <br> 山では土砂降りだった雨が、河原では霧雨に変わっていた。<br> 実際に土手に立ってみると、川幅は、予想していたよりずっと広い。<br> これは流石に、泳いで渡るなんて無理だ。<br> 蒼星石は橋を探して、川の上流と下流を、交互に見遣った。<br> すると、そこへ――<br> <br>  「……居たっ! 向こう岸……ほら、あそこに」<br> <br> 薔薇水晶が対岸を指差しながら、上擦った声で話しかけてきた。<br> 雨靄の向こうに、特徴ある銀髪が見えた。誰か、二人の人物と一緒らしい。<br> 折良く下流に小さな橋を見つけた蒼星石は、薔薇水晶を促して、走り出した。<br> <br> <br> <br> <br> 低く垂れ込めた黒い雲から、霧雨が降り続けている。<br> 崖の上から成り行きを見守っていた雪華綺晶は、<br> 縁辺流の威力を目の当たりにして、固唾を呑んでいた。<br> 目障りな娘が居るとは聞いていたが、まさか、ここまで厄介な存在だったとは。<br> <br>  「部隊を立て直している間に、他の犬士と合流されては面倒ですわね」<br> <br> 今なら、まだ可能性が残されている。<br> 神官の老人は戦力外だ。水銀燈も負傷のため、本来の実力を発揮できずに居る。<br> あの娘……雛苺は、精霊さえ使わせなければ、大した驚異に成り得ない。<br> ――倒すなら、今を置いて無い。<br> <br>  「本意ではありませんが――」<br> <br> あの老人を人質として、二人を確実に始末すべきだろう。<br> 雪華綺晶は兜を被り、兵たちに命令を下すと、白馬を駆って急峻な崖を降りた。<br> 彼女の後を、十数騎の騎馬兵が続く。<br> <br> 水銀燈が、雪華綺晶の接近に気づいて、槍を構え直すのが見えた。<br> その背後で、雛苺は再び瞑想に入ろうとしている。<br> 縁辺流が起動するまで何秒かの余裕がある事は、さっきの戦闘で確認済みだ。<br> <br>  「お行きなさい、獄狗っ!」<br> <br> 雪華綺晶は、手綱を握り締めながら精霊を起動した。<br> 彼女の白い髪がざわめき、背後から、漆黒の獣が顕現する。<br> 一見すると熊かと見間違えるほど巨大な影の正体は、双頭の魔犬だった。<br> <br> 魔犬は雛苺に狙いを定めて、風のように突進していく。<br> そして、縁辺流が起動される寸前、魔犬は水銀燈の脇を突き抜け、雛苺に体当たりした。<br> 跳ね飛ばされた雛苺は、気を失ったのか、ぐったりと横たわったままだ。<br> <br>  「ヒナちゃんっ! この犬っ……よくもっ!」<br> <br> 振り向いた水銀燈が槍を突き立てるより早く、獄狗は軽々と身を翻して、<br> 雪華綺晶の元へと戻っていた。<br> <br>  「! なんて素早いヤツなのよ!」<br>  「ひ、雛苺っ!」<br> <br> 結菱老人が、すぐさま雛苺の元に駆け寄る。<br> 水銀燈も急いで駆けつけて、二人に斬りかかる穢れの騎馬を、槍で貫いた。<br> 油断なく敵を牽制しながら、雛苺を抱き起こした結菱老人に、後事を託す。<br> <br>  「ヒナちゃんのこと、お願い。<br>   私が時間を稼いでる間に、出来る限り遠くへ逃げて」<br>  「承知した。お主も無茶はするでないぞ」<br>  「当然でしょぉ? 何の得にも成らないのに、無茶なんかするもんですか。<br>   さあ、早く行って!」<br> <br> 水銀燈は、迫り来る雪華綺晶に対応すべく、その場に踏み留まった。<br> 再び精霊を使おうものなら、今度こそ、あの魔犬を串刺しにしてやる。<br> そんな彼女の気迫を感じ取ったのか、雪華綺晶は水銀燈の目の前で馬を止めた。<br> 暫しの睨み合い……。<br> 先に言葉を発したのは、雪華綺晶の方からだった。<br> <br>  「貴女が、水銀燈……ですわね?」<br>  「そうだけどぉ? そう言う貴女は、誰だっていうのかしら」<br>  「これは失礼しましたわ。私は鬼祖軍団、四天王が一人……雪華綺晶」<br> <br> のり、笹塚、めぐ……そして、雪華綺晶。<br> これまで対峙した中で、最初から精霊を駆使したのは、雪華綺晶だけだ。<br> 結構、手強いかも知れない。水銀燈は、緊張して、生唾を飲んだ。<br> <br> 対する雪華綺晶は、目深に被った兜の奥から、鋭い眼光を水銀燈に放っていた。<br> 水晶を模したであろう三叉の鍬形が、威圧感を増幅している。<br> <br>  「貴女は、のりさんの右腕を斬り落とした、憎むべき存在ですわ。<br>   あっさりと殺したりしないから、覚悟なさって下さいな」<br>  「冗談でしょぉ? 貴女こそ、返り討ちにならない様に気をつける事ねぇ」<br>  「ふ…………減らず口を」<br>  「減らず口なら、お互い様じゃないの」<br> <br> 二人の視線が交錯して、火花が散った。<br> 次の瞬間、雪華綺晶の槍と、水銀燈の槍がぶつかり合う。<br> それが合図だったかの様に、彼女たちの両脇を、骸骨騎馬の一団が通り過ぎた。<br> <br>  「なっ! こいつら――」<br> <br> 通過を妨げようとしたが、水銀燈の槍は、雪華綺晶の槍に抑えられて、<br> ビクとも動かなかった。<br> <br>  「あの娘も、これで終わりですわね。そして、貴女も――」<br>  「くっ! そんな事、させるもんですかっ」<br> <br> 水銀燈は槍を引いて、骸骨騎馬の後を追い掛けた。<br> しかし、どれだけ早く走ろうが、所詮は人の脚。馬に追いつける筈がない。<br> 水銀燈の背中に、雪華綺晶の哄笑が浴びせられた。<br> <br>  「あははははっ! 無駄無駄。無駄な足掻きですわ」<br> <br> そんな事は、いちいち言われなくても解っている。<br> しかし、無駄だからと最初から諦めていたら、何も出来はしない。<br> 僅かでも望みがあるなら、それに賭けてみるのが、水銀燈の流儀だった。<br> だから、めぐを助ける為だけに、村を飛び出すなんて無茶もやってのけたのだ。<br> <br> 背後で、馬が嘶いた。続いて、蹄の音。雪華綺晶が追い掛けてくる。<br> 馬の荒々しい息づかいが、すぐ近くに感じられた。<br> これ以上は、逃げられない。水銀燈は向き直って、槍を構えた。<br> <br> <br> 直後、強烈な衝撃が、水銀燈の手から槍を奪い取る。<br> 雪華綺晶の槍が、水銀燈の喉元に、ひた……と突きつけられた。<br> <br>  「人間、諦めが肝心ですわ。見苦しい真似は、なさらぬ様に」<br>  「貴女とは、根本的に価値観が違うのね。まるっきり正反対らしいわぁ」<br>  「……らしいですね。つまらない人に、興味は有りませんわ」<br> <br> 「さようなら」と、雪華綺晶の槍が突き出される。<br> だが、それと時を同じくして、河原に群生する葦の向こうで、ごう……っと、炎が上がった。<br> 雪華綺晶が、ちらっと一瞥する。<br> その隙を逃さず、水銀燈は横に飛んで、弾き飛ばされた槍を拾った。<br> だが、水銀燈の動きを追って、雪華綺晶の槍も繰り出されていた。<br> ――なんて素早い反応。<br> 咄嗟に躱そうにも、少しばかり距離が近すぎた。<br> <br> ――殺られるっ!<br> 水銀燈が息を呑んだ直後、脇から飛び込んできた影が、雪華綺晶の槍を遮る。<br> それは、水銀燈の良く知っている人物だった。<br> <br>  「ごめん、銀ちゃん…………遅くなった」<br>  「薔薇しぃ! よく来てくれたわ!」<br>  「なっ?! 貴女……まさか――」<br> <br> 雪華綺晶が狼狽えて槍を引いたのと、手渡された太刀を水銀燈が構えたのは、<br> 殆ど同時だった。<br> <br>  「薔薇しぃ、避けなさぁい。……冥鳴っ!」<br>  「くぅっ! 獄狗っ!」<br> <br> 水銀燈の太刀から迸った精霊と、雪華綺晶の背後から飛び出した魔犬が、<br> 二人の間で激突する。じりじりと雑音を放ちながら、魔犬が押し戻されていく。<br> 冥鳴の勢いが獄狗を凌駕しているのは、誰の目にも明らかだ。<br> ほどなく弾き飛ばされた獄狗は、その巨体で雪華綺晶を巻き添えにしていた。<br> <br> 白馬から振り落とされた雪華綺晶は、地面に身体を強打して呼吸困難に陥った。<br> しかも、その上に獄狗の巨体が乗ってきたから堪らない。<br> 雪華綺晶は肺の空気を全て吐き出し、そのまま気を失ってしまった。<br> <br>  「こっちは終わりね。次は、ヒナちゃんを助けなくっちゃあ」<br>  「向こうなら、大丈夫……蒼ちゃんに任せてある……」<br> <br> 蒼星石の名前を出されて、水銀燈の表情が俄に翳った。<br> 会いに行くと決めていた筈なのに、いざとなると気後れしてしまう。<br> <br>  (ダメねぇ……私も)<br> <br> 自分の情けなさを誤魔化すかの様に、水銀燈は、気絶している雪華綺晶に近づいた。<br> 槍は、構えたまま。<br> 少しでも妙な素振りを見せたら、即座にトドメを刺すつもりだった。<br> しかし――<br> <br>  (あらぁ? なんだか…………?)<br> <br> 兜の間から僅かに見える雪華綺晶の面差しは、よく見れば薔薇水晶と似ていた。<br> 左右逆とは言え、眼帯をしているから、そんな風に感じるのだろうか。<br> 水銀燈は興味を掻き立てられて、雪華綺晶の脇に膝をついた。<br> 念のため、雪華綺晶の得物を、遠くへと放り投げておく。<br> <br> 兜を掴むべく伸ばした両腕が、緊張で震える。<br> やっとの思いで兜を挟み込むと、水銀燈は慎重に、雪華綺晶の兜を脱がせた。<br> 霧雨のそぼ降る中、ふわり……と、艶やかな白い髪が舞い上がる。<br> 雲間から差し始めた日射しに、彼女の白い肌が映えた。<br> <br> <br>  「う、ウソでしょぉ……これって……」<br> <br> 思わず絶句した水銀燈の背後に、歩み寄る足音が――ひとつ。<br> 水銀燈の態度に、興味を抱いたのだろう。<br> 軽い気持ちで水銀燈の肩越しに敵将の顔を覗き見た薔薇水晶は、次の瞬間、<br> ハッと息を呑んでいた。<br> <br>  「お……お姉…………ちゃん?」<br> <br> <br>   =<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/67.html">第二十四章につづく</a>=<br>  </p>

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