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「~第四十七章~」(2007/02/10 (土) 17:07:41) の最新版変更点
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<p> <br>
~第四十七章~<br>
<br>
<br>
真紅の繰り出した突きと、鈴鹿御前の突き出した皇剣『霊蝕』が交差して、<br>
切っ先は互いの身体へと吸い込まれていった。<br>
鈴鹿御前の剣は、法理衣に遮られて、真紅には届かない。<br>
対して、鈴鹿御前には、もう身を護る障壁がなかった。<br>
<br>
――これで終わった。<br>
<br>
敵も味方も、誰もが、そう思っていた。<br>
その予測が覆ることなど、有り得ないとすら考えていた。<br>
<br>
しかし、その直後、鈴鹿御前は予想もしていなかった行為に出る。<br>
突如として、右手の皇剣『霊蝕』を手放したのだ。<br>
これには、真紅も意表をつかれて絶句した。<br>
<br>
すんでの所で身を捩り、神剣を躱した鈴鹿御前は、伸びきった真紅の右腕を掴んで、<br>
しっかりと右脇に挟み込んだ。<br>
法理衣の防御効果で、鈴鹿御前の手や腕から、白煙が立ち上り始める。<br>
だが、真紅の右腕を放したりはしなかった。<br>
<br>
「かかったな、真紅っ!」<br>
<br>
嬉々として叫び、左手の龍剣『緋后』を逆手に握り直して、真紅に突き立てようとした。<br>
龍剣『緋后』は、精霊の能力を無効化する、特殊な剣だ。<br>
進化した法理衣の防御障壁でも、容易く貫通されるかも知れない。<br>
右腕を捉えられた状態で、この至近距離とあっては、回避など不可能。<br>
<br>
「!? しまった! これを狙っていたのね!」<br>
<br>
まさに、肉を斬らせて骨を絶つ覚悟。<br>
けれども、他の娘たちは真紅の援護をせずに、息を呑んで成り行きを見詰めていた。<br>
何故ならば、元々は一心同体だった二人の勝負に水を注すことなど、<br>
誰にも出来なかったのだから。<br>
<br>
「消えろぉぉっ! 真紅ぅっ!」<br>
「っ! 貴女なんかに――」<br>
<br>
鈴鹿御前の左腕が振り下ろされる直前、真紅は両脚を踏ん張って、<br>
右肩で鈴鹿御前の身体を押した。<br>
<br>
「負けないのだわ! 絶対にっ!」<br>
「な、にぃっ」<br>
<br>
真紅の気迫が、鈴鹿御前の体躯を押し戻した。<br>
そのまま更に押し込むと、鈴鹿御前は脚を縺れさせて、仰向けに倒れそうになった。<br>
ここで倒れたら、敗北は必至。<br>
体勢を整えるべく、彼女は捉えていた真紅の右腕を放して、数歩、後ずさった。<br>
<br>
「はあぁぁ――っ!」<br>
「うおおぉぉ――っ!」<br>
<br>
間髪入れずに、真紅は下段から斬り上げる。<br>
殆ど同時に、鈴鹿御前が大上段から斬り下ろす。<br>
どちらの剣撃も、ほぼ等速。<br>
真紅の一撃が、先に鈴鹿御前の息の根を止めるか。<br>
それとも、鈴鹿御前の斬撃が、法理衣の防護壁を裂いて、真紅の頸動脈を絶つか。<br>
<br>
二人の攻撃に、一切の躊躇いは無かった。<br>
最早、彼女たちの目には、大義も、理想も、世界も、仲間たちも映っていない。<br>
<br>
――目の前に立つ、鏡写しの自分を斃す!<br>
<br>
極論すれば、目的を果たせるなら、たとえ相討ちでも構わなかった。<br>
<br>
<br>
ぶつかり合う、意地と意地。<br>
相反する水の流れが渦を描くように、二人の気迫もとぐろを巻いて逆巻き、<br>
謁見の間に居る全ての者達――生者、死者の分け隔てなく――を、威圧していた。<br>
誰もが固唾を呑み込み、凝視する中で、空を斬り、肉を斬る音が鳴り響いた。<br>
<br>
「あ……っ!?」<br>
「ぬぅ……っ?!」<br>
<br>
真紅の右肩がスッパリと裂けて、緋色の飛沫が舞い上がった。<br>
そして――<br>
<br>
「っぐぅあぁぁぁぁぁ――――っ!!!!」<br>
<br>
鈴鹿御前は左腕の肘から先を裁断されて、筆舌に尽くしがたい激痛に苛まれ、絶叫した。<br>
勝敗を分けたのは、利き腕か、そうでなかったかの違いだけ。<br>
左腕で斬り付けた分だけ、鈴鹿御前は真紅に遅れを取ったのだった。<br>
<br>
切断面から墨汁を想像させる黒い血を迸らせながら、鈴鹿御前は歯軋りしていた。<br>
真紅に斬り負けた屈辱からか、それとも、激痛に耐えるために、<br>
歯を食いしばっているのだろうか?<br>
どちらにせよ、彼女が真紅に目を向けた時にはもう、<br>
突き出された神剣の切っ先が鈴鹿御前の鳩尾を裂き、背中へと突き抜けていた。<br>
<br>
「っか……っはぁ……」<br>
<br>
だらしなく開かれた唇から漏れ出るのは、消え入りそうな吐息と、黒い血液だけ。<br>
双眸を見開き、真紅を睨むが、鈴鹿御前の瞳は、徐々に光を失いつつあった。<br>
<br>
「お……のれ。真…………紅ぅ」<br>
「……貴女の負けよ、鈴鹿御前。鬼と言えども……その傷では、長くないわ」<br>
「言われずとも……そのくらい」<br>
<br>
神器で斬られては、自力での再生が出来ない。<br>
また長い年月、生娘の鮮血に身を浸し、眠りながら力を蓄える必要があった。<br>
<br>
「だが、わたしは……怨念の化身。この程度で、滅びたりなど――」<br>
「いいえ。貴女は、ここで滅びるのよ」<br>
<br>
真紅は静かに、しかし、はっきりと告げると、神剣を引き抜いた。<br>
唯一の支えを失い、鈴鹿御前は蹌踉めき、膝から崩れ落ちる。<br>
そして、遂には仰向けとなった。<br>
<br>
鈴鹿御前が斃されたと知るや、穢れの者たちは一体、また一体と、得物を捨てて、<br>
その場に座り込んでいく。まるで、敗北を悟り、自害する覚悟であるかの様だ。<br>
ほんの僅かな場所から始まった動きは、たちどころに全軍へと伝播していく。<br>
無数に犇めいていた穢れの者どもは、全員が武器を打ち捨て、胡座をかいて項垂れていた。<br>
<br>
「もう、誰も貴女を助けようとはしないわね」<br>
「……ふふん。それが、どうした。わたしを憐れむと言うのか?<br>
愚かしいな。穢れの者どもなど、己の欲望にのみ忠実な亡者なのだぞ。<br>
奴等は盲目的に、力ある者に付き従い、忠誠を誓うに値せぬと見なせば、<br>
忽ち離反してゆく。大方、新たなる主君に、お前を選んだのだろうよ」<br>
<br>
鈴鹿御前が言葉を発する度に、鳩尾から黒い血が溢れ出した。<br>
<br>
「貴女は何故、そんな酷い事を言うの?<br>
四天王も、巴や、めぐも、その他の武将たちも、一兵卒に至るまで、<br>
貴女の命に従い、貴女のために闘ってきたのよ。<br>
それなのに、貴女は忠臣たちを蔑むばかりで、一言だって労おうとしない。<br>
――どうして?」<br>
「……言ったであろう。状況に応じて、いとも容易く主君を変える連中だ、と。<br>
そんな使い捨ての駒なんかを、わたしが信用すると思うか?」<br>
<br>
言って、せせら笑う鈴鹿御前を、真紅は真っすぐに見詰めて、徐に口を開いた。<br>
<br>
「信じていなかったら、そもそも手駒に加えようとは、しないでしょう?<br>
それに、ここに居る穢れの者どもが、貴女の言うような連中だったなら、<br>
十八年前に離反されている筈よ。でも――」<br>
<br>
真紅は、ぐるりと全周囲を見回した。<br>
穢れの者たちは、真紅たち八犬士と、鈴鹿御前を中心にして車座になっている。<br>
彼女の言うように、新たな主君に対して平伏しているのであれば、<br>
胡座ではなく、正座して平身低頭するのが当然の礼儀である。<br>
<br>
「彼らは、貴女が封印されてから、今に至るまで忠誠を誓い続けてきたのよ。<br>
貴女だって、本当は解っているんじゃないの?」 <br>
「……それは、お前の憶測に過ぎん。わたしは……信じていないわ」<br>
<br>
鈴鹿御前の言い種は、ただの強がりとして、真紅の耳に届いた。<br>
本当は、信じたいのだろう。<br>
けれども、裏切られる恐怖と失望を知ってしまった彼女は、我知らず心を歪ませ、<br>
誰かを信頼する事を拒絶するようになっていた。<br>
その歪みが、四天王や、御魂を分けた二人の娘をも生贄としか見なさない狂気となり、<br>
結果的に自身の滅びを早めたのだ。<br>
<br>
「解ったわ。だったら、そう言うことにしておきましょう。<br>
但し、これから貴女の命が尽きるまでの間は、私を信じなさい」<br>
<br>
突然の発言に、鈴鹿御前は唖然として、次に、嘲笑を浮かべた。<br>
<br>
「なかなか面白い戯言だな。何故、わたしに、お前ごときを信じろと?」<br>
「私と貴女は、鏡写しの存在だからよ。それは、どう抗っても逃げきれない事実。<br>
目を逸らしても、鏡を叩き割っても、現実は現実として進んで行くわ。<br>
だから、鏡に写った自分が、どんなに嫌な姿であっても……直視して、<br>
信じて、受け入れなければならないのよ」<br>
「…………なるほど。最後に、お前を信じてみるのも一興かも知れぬな」<br>
<br>
鈴鹿御前は、少しだけ楽しげに微笑んで見せた。<br>
真紅と瓜二つの笑顔は、とても魅力的で、何処にでも居そうな普通の娘に見えた。<br>
<br>
「それで……この後は、どうするつもり?」<br>
「鬼畜生に身を窶し、数多の穢れの元凶となった貴女を、祓うわ。<br>
そして、貴女を成仏させる。私の……いいえ、私たちの能力でね」<br>
「ほぉう? そんな事が、可能だと思うのか?<br>
わたしを成仏させるだなんて、質の悪い冗談にしか聞こえぬぞ」<br>
「言った筈よ。最後の時まで、私を信じなさい……って」<br>
<br>
真紅が軽く睨むと、鈴鹿御前は「そうであったな」と、瞼を閉じた。<br>
<br>
「それじゃあ、始めるわよ! 水銀燈、金糸雀、翠星石、蒼星石、雛苺、<br>
薔薇水晶、雪華綺晶。私に、力を貸してちょうだい」<br>
「最初っから、そのつもりよぉ」<br>
「カナたちは一蓮托生かしら」<br>
「どんな事だろうと、私たちは真紅に協力するですぅ~」<br>
「ボクたちは、御魂の絆で結ばれた、姉妹なんだからね」<br>
「みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫なのっ!」<br>
「……信じる力が、無限の可能性を生み出すから」<br>
「私たちに、出来ないことなど有りませんわ」<br>
<br>
「ありがとう、貴女たち」と呟いて、真紅は左腕を前に突き出し、右手で印を結んだ。<br>
他の七人も、鈴鹿御前を中心にして輪となり、真紅に倣って、左腕を伸ばす。<br>
程なく、全員の手の甲にある真円の痣に『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』の文字が、<br>
浮かび上がってきた。<br>
<br>
しかし、それは次の瞬間『如・是・畜・生・発・菩・提・心』へと変化を遂げた。<br>
この急変には、誰もが目を見開いた。<br>
<br>
「なっ?! なんなのぉ、これぇ?」<br>
「鬼畜生となった鈴鹿御前に、菩提心を芽生えさせる意味かしらっ!」<br>
「それで、穢れの元凶を静めるんだね」<br>
<br>
真紅は頷き、聞き慣れない祝詞を唱えながら、印を切った。<br>
八人の痣から眩い光球が飛び出し、くるくると回りながら、糸を紡ぐように纏まっていく。<br>
そして、ひとつになった真っ白な光球は、鈴鹿御前の身体に飛び込んだ。<br>
ビクン! と、一度だけ、鈴鹿御前は身震いした。<br>
<br>
「調子は、どう?」<br>
「…………温かいな。それに、不思議と気分が安らいでいる。<br>
今までは、常に心の奥底から、不安や怒りの感情が溢れだしていたのに」<br>
「怨嗟は思慮に、憤怒は慈愛に。貴女の魂はもう、鬼ではないわ。<br>
過去の束縛を絶ち、成仏しなさい」<br>
<br>
鈴鹿御前は、真紅の諭す声を聞いて、一切の嘘偽りを含まない笑みを見せた。<br>
過去の因縁から解放されて、漸く、手に入れた自由。<br>
それを与えてくれた真紅に、鈴鹿御前は一言一言、噛み締めるように話しかけた。<br>
<br>
「わたしは今まで、鬼となる為に、お前を切り捨てたのだと思っていた。<br>
でも、違ったのだな。切り捨てられた病巣は、わたしの方だった。<br>
たった今、その事に気づいたわ」<br>
「別に、どっちでも良いことよ。今となっては……ね」<br>
「……そうね。感謝するわ、真紅。わたしを救ってくれて、ありがとう」<br>
<br>
穏やかな、春の日射しを想わせる微笑み。<br>
それが、彼女がこの世に遺した、今際の表情だった。<br>
身体から抜け出した鈴鹿御前の魂は、赤い蛍となって八犬士の頭上を旋回して、<br>
周囲を取り囲む穢れの者どもに、語って聞かせた。<br>
<br>
「皆の者! わたしは、今より遠い地を目指して、旅に出なくてはならぬ。<br>
その土地は、おそらく過酷で、苦難に満ちていよう。<br>
だが、わたしは行かねばならぬ。自ら撒いた種を、刈り取らねばならぬ」<br>
<br>
謁見の間は静寂に包まれ、鈴鹿御前の澄んだ声だけが、朗々と響き渡っていた。<br>
<br>
「……こんな事を言えた義理ではないと、承知している。<br>
落ちぶれた身の上で、頼める訳がない事は、理解している。<br>
しかし、言わせて欲しい。そして、聞いて欲しい。<br>
いま一度、こんな……わたしに……付いてきては、くれないだろうか?<br>
わたしを、今までと変わらず、支えてくれないだろうか?」<br>
<br>
鈴鹿御前は、それだけ言うと、口を噤んだ。<br>
途端、周囲の穢れの者どもは一斉に立ち上がり、鬨の声と共に、拳を天に突き上げた。<br>
謁見の間は、どよめきに支配されて、空気が震えている。<br>
穢れの者どもは、いつの間にか骸骨ではなく、普通の人間の姿に変わっていた。<br>
だが、その姿も直ぐに、赤い蛍へと変化してゆく。<br>
<br>
<br>
<br>
その光景を、八人の乙女たちから少し離れた場所から見守る、二人の男が居た。<br>
桜田ジュンと、彼に肩を貸しているベジータである。<br>
彼らは、鈴鹿御前と真紅の一騎打ちから、一部始終を見続けていた。<br>
<br>
「まったく……凄ぇもんだぜ、あいつら」<br>
「ああ、そうだな。彼女たちは強いよ。僕たちなんかより、ずっと」<br>
「言えてる。俺なんか、ただの一撃で気絶させられたのに、<br>
あいつらは勝っちまうんだからな」<br>
<br>
「そうだったな」と、ジュンは笑った。<br>
翼を広げて飛び込んできた鈴鹿御前に、頬を蹴り飛ばされたベジータは、<br>
腫れた頬を撫でながら苦笑した。<br>
<br>
「俺は、金糸雀を手助けに来たってのに、ざまぁねえぜ」<br>
「卑下するなよ。お前は立派に、彼女の支えになってたさ」<br>
「……だったら良いんだが」<br>
<br>
眉を顰め、言葉尻を濁すベジータに、ジュンは陽気に話しかけた。<br>
<br>
「お前、彼女に扱き使われてないか? 雑用を任されたりとかさ」<br>
「おう。それなら、殆ど毎日……」<br>
「それが、頼られてる証拠さ。深く考える必要なんて無いんだ。<br>
彼女たちは強いけど、純粋すぎて脆いところも有る。<br>
僕たちは側にいて上げて、彼女たちが挫けてしまいそうな時に、<br>
黙って支えてあげれば良いんだ。<br>
その程度なんだよ、僕たちの役割なんて」<br>
<br>
ジュンが、そんな独り言を口にした、丁度その時、穢れの者どもが変じた蛍の群が、<br>
鈴鹿御前の蛍を先頭にして、飛び去るところだった。<br>
その様子は、見る者に、まるで夏の夜空を飾る天の川を彷彿させた。<br>
<br>
「……綺麗だな」<br>
「ああ。これが、命の輝きってヤツなのか。<br>
人間ってのは、こんなにも光り輝けるものなんだな。初めて知ったぜ」<br>
「僕たちも、命を輝かせながら、良い人生を送るように心がけなきゃな。<br>
それが、生き残った者の努めだよ」<br>
<br>
ベジータは、ジュンの言葉を聞いて、違いねえ、と頷いた。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
――やっと、終わった。<br>
<br>
鈴鹿御前と、穢れの者どもを見送った八犬士の表情にも、漸く、安堵の色が現れた。<br>
辛いこと、悲しいこと……本当に、色々なことが有ったけれど、<br>
八人の娘たちは互いを信じ、協力しあって艱難辛苦を乗り越えてきた。<br>
諺に『艱難、汝を玉にす』と言うが、彼女たちも今度の一件を乗り越えて、<br>
ひと回り大きく成長したようだ。<br>
<br>
「みんな……今まで、本当によく頑張ってくれたわ。<br>
貴女たちが居てくれなかったら、きっと私は勝てなかった。<br>
十八年前みたいに、引き分けることすら出来なかった筈よ。<br>
だから、何度でも、お礼を言わせてちょうだい」<br>
<br>
言って、真紅は、深々と頭を下げた。<br>
みんなは彼女の金髪を見詰めて、ふと、何か足りない事に気付いた。<br>
<br>
「あれ? 真紅の頭に生えてた狗耳が、無くなってるです」<br>
「そう言えば、尻尾も消えちゃってるのよー」<br>
「えっ? ウソ……」<br>
<br>
ひょいと顔を上げて、真紅が右手を自分の頭、左手を腰に遣ったところ、<br>
確かに、狗神の徴は消え去っていた。<br>
更に、金糸雀が、素っ頓狂な声を上げて真紅の瞳を指差した。<br>
<br>
「眼の色も、元通りに戻ってるかしら!」<br>
「ええっ?! と、言う事は――」<br>
「……まさか」<br>
<br>
薔薇水晶と、雪華綺晶が顔を見合わせて、互いの瞳を凝視する。<br>
しかし、そこに嘗ての赤目は、存在していなかった。<br>
<br>
「これって……私たちが、狗神筋の人間ではなくなったという事なのでしょうか?」<br>
「なんか、ウソみたい。ウソじゃない……よね?」<br>
<br>
あんなにも苦しめられてきた因縁が、こうも呆気なく消え去ってしまうなんて、<br>
信じられないことだった。<br>
けれど、目の前の現実は、紛れもない事実。<br>
薔薇水晶と雪華綺晶の姉妹は、その意味をしっかりと噛み締めて、感涙に咽び泣いた。<br>
<br>
二人に優しい眼差しを送っていた蒼星石は、零れそうになる涙を指で拭おうとして、<br>
左手を目元に添えた。手の甲も、自然と視界に入る。<br>
そこで、ある事に気づき、驚きの声を上げた。<br>
<br>
「?! みんな、見てっ! 痣が消えてるよ」<br>
「なに言ってるです、蒼星石。そんなコトが……って、ホントに消えてるですぅ!」<br>
「これも、真紅の仕業なのぉ?」<br>
「い、いいえ。私じゃないわよ。こんな事って――」<br>
<br>
真紅自身、自分の左手を茫然と眺めている。彼女の意図でない事は、確かだった。<br>
御魂と共に、八つに分かたれていた房姫の思念が、ひとつに纏まって、<br>
鈴鹿御前を成仏させる念願を果たした。<br>
この奇跡は、彼女から八人の娘たちへ向けた、祝福だったのかも知れない。<br>
<br>
誰もが左手の甲を撫でたり、矯めつ眇めつしている時に、<br>
水銀燈は、蒼星石と金糸雀の肩を優しく叩いて、声を掛けた。<br>
<br>
「貴女たちには、まだ為すべき事が残っているみたいねぇ」<br>
「え?」<br>
「カナたちが?」<br>
<br>
いきなり言われて、何のことかと頚を傾げる二人に、水銀燈は「ほぉらね」と、<br>
少し離れた場所を指し示した。<br>
そこには、二人の青年が立っている。どちらも満身創痍だが、血色は良い。<br>
<br>
「ジュンっ!」<br>
「ベジータ! あなた、無事だったかしらっ!」<br>
<br>
水銀燈が、二人の背中を軽く押すと、彼女たちは一斉に走り出した。<br>
<br>
蒼星石は、ジュンの元へと全力疾走すると、殆ど体当たりの勢いで抱き付いた。<br>
ジュンも蹌踉けたものの両脚を踏ん張り、蒼星石をしっかりと抱き留め、頬を寄せた。<br>
彼女の緋翠の瞳から、忽ち、歓喜の雫が溢れてくる。<br>
それは尽きることなく流れ続けて、擦り寄せられた二人の頬を濡らした。<br>
<br>
「ジュンっ! ジュンっ! 本当に……本当に、キミなんだね」<br>
「ああ。僕だよ、蒼星石。ゴメンな、辛い想いばかりさせて」<br>
「……いいんだ。そんな事なんか、もう、どうでも良いの。<br>
キミが、キミで居てくれるなら、ボクはそれ以上、何も望まないよ」<br>
<br>
嗚咽する蒼星石の背中を、ジュンは力強く抱き締め、彼女の耳元に囁いた。<br>
<br>
「そんなに無欲じゃあ、幸せを逃がしちゃうよ。<br>
せめて、ひとつくらいは、望みを持たないとね。君は、なにを願うんだい?」<br>
「え、と……ボクは――」<br>
「僕の望みはね、蒼星石。君が、いつまでも僕の側に居てくれることなんだよ。<br>
この想いを伝えたくて、僕は君を追い掛けてきたんだ」<br>
「…………」<br>
「やっと、蒼星石を捕まえたんだ。もう、絶対に逃がさないぞ。<br>
君を、どこにも行かせないからな」<br>
「……じゃあ、もう放さないでよ。ボクの手を、しっかりと握っていて。<br>
ボクを、しっかりと抱き締めていて。<br>
もう……離ればなれになるのは、イヤだから」<br>
<br>
涙声で、消え入りそうに話す蒼星石の頬と耳が、熱を帯びている。<br>
寸分の隙間無く触れ合っていたから、ジュンには、よく分かった。<br>
<br>
「言っただろ。絶対に、逃がさない……って」<br>
<br>
そう囁くなり、ジュンは蒼星石の返事を待たずに、彼女の唇を奪った。<br>
<br>
<br>
<br>
二人が熱烈な口付けを交わす隣で、金糸雀とベジータは、居心地悪そうに肩を竦めた。<br>
しかし、折角ここまで来て、ただ向き合っている訳にもいかない。<br>
金糸雀は、自分の頚に掛けられていた純銀の十字架を外して、ベジータの頚に掛けた。<br>
<br>
「ありがとう、ベジータ。約束どおり、これを返しに来たかしら」<br>
<br>
はにかんで、金糸雀は顔を斜に向けた。<br>
<br>
「それと、その…………来てくれて、とっても嬉しかったかしら」<br>
「……それだけかよ?」<br>
「はい?」<br>
<br>
予想だにしなかった返事に、金糸雀は意味が理解できず、ベジータの顔を見詰めた。<br>
ベジータは照れ臭そうにジュンと蒼星石を横目に見ながら、自分の唇を指差して見せた。<br>
<br>
「その……俺たちも、どうよ?」<br>
「ばっ! バカぁっ!!!」<br>
<br>
顔を真っ赤にした金糸雀は、やおら袖から拳銃を引き抜くと、銃口を彼に向けて、<br>
躊躇なく撃鉄を落とした。<br>
謁見の間に、カチリ……と、乾いた金属音が木霊する。<br>
<br>
「あ~ら、残念……弾切れだったかしら。命拾いしたわね、ベジータ」<br>
「勘弁してくれ。一瞬、地獄を見たぜ」<br>
<br>
心底、肝を冷やしたらしく、額に滲み出した冷や汗を手の甲で拭うベジータ。<br>
らしくなく青ざめた彼を見て、誰もが声をあげて笑った。<br>
<br>
<br>
=<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/91.html">終章につづく</a>=<br></p>
<p> <br />
<br />
~第四十七章~<br />
<br />
<br />
真紅の繰り出した突きと、鈴鹿御前の突き出した皇剣『霊蝕』が交差して、<br />
切っ先は互いの身体へと吸い込まれていった。<br />
鈴鹿御前の剣は、法理衣に遮られて、真紅には届かない。<br />
対して、鈴鹿御前には、もう身を護る障壁がなかった。<br /><br />
――これで終わった。<br /><br />
敵も味方も、誰もが、そう思っていた。<br />
その予測が覆ることなど、有り得ないとすら考えていた。<br /><br />
しかし、その直後、鈴鹿御前は予想もしていなかった行為に出る。<br />
突如として、右手の皇剣『霊蝕』を手放したのだ。<br />
これには、真紅も意表をつかれて絶句した。<br /><br />
すんでの所で身を捩り、神剣を躱した鈴鹿御前は、伸びきった真紅の右腕を掴んで、<br />
しっかりと右脇に挟み込んだ。<br />
法理衣の防御効果で、鈴鹿御前の手や腕から、白煙が立ち上り始める。<br />
だが、真紅の右腕を放したりはしなかった。<br /><br />
「かかったな、真紅っ!」<br /><br />
嬉々として叫び、左手の龍剣『緋后』を逆手に握り直して、真紅に突き立てようとした。<br />
龍剣『緋后』は、精霊の能力を無効化する、特殊な剣だ。<br />
進化した法理衣の防御障壁でも、容易く貫通されるかも知れない。<br />
右腕を捉えられた状態で、この至近距離とあっては、回避など不可能。<br /><br />
「!? しまった! これを狙っていたのね!」<br /><br />
まさに、肉を斬らせて骨を絶つ覚悟。<br />
けれども、他の娘たちは真紅の援護をせずに、息を呑んで成り行きを見詰めていた。<br />
何故ならば、元々は一心同体だった二人の勝負に水を注すことなど、<br />
誰にも出来なかったのだから。<br /><br />
「消えろぉぉっ! 真紅ぅっ!」<br />
「っ! 貴女なんかに――」<br /><br />
鈴鹿御前の左腕が振り下ろされる直前、真紅は両脚を踏ん張って、<br />
右肩で鈴鹿御前の身体を押した。<br /><br />
「負けないのだわ! 絶対にっ!」<br />
「な、にぃっ」<br /><br />
真紅の気迫が、鈴鹿御前の体躯を押し戻した。<br />
そのまま更に押し込むと、鈴鹿御前は脚を縺れさせて、仰向けに倒れそうになった。<br />
ここで倒れたら、敗北は必至。<br />
体勢を整えるべく、彼女は捉えていた真紅の右腕を放して、数歩、後ずさった。<br /><br />
「はあぁぁ――っ!」<br />
「うおおぉぉ――っ!」<br /><br />
間髪入れずに、真紅は下段から斬り上げる。<br />
殆ど同時に、鈴鹿御前が大上段から斬り下ろす。<br />
どちらの剣撃も、ほぼ等速。<br />
真紅の一撃が、先に鈴鹿御前の息の根を止めるか。<br />
それとも、鈴鹿御前の斬撃が、法理衣の防護壁を裂いて、真紅の頸動脈を絶つか。<br /><br />
二人の攻撃に、一切の躊躇いは無かった。<br />
最早、彼女たちの目には、大義も、理想も、世界も、仲間たちも映っていない。<br /><br />
――目の前に立つ、鏡写しの自分を斃す!<br /><br />
極論すれば、目的を果たせるなら、たとえ相討ちでも構わなかった。<br /><br /><br />
ぶつかり合う、意地と意地。<br />
相反する水の流れが渦を描くように、二人の気迫もとぐろを巻いて逆巻き、<br />
謁見の間に居る全ての者達――生者、死者の分け隔てなく――を、威圧していた。<br />
誰もが固唾を呑み込み、凝視する中で、空を斬り、肉を斬る音が鳴り響いた。<br /><br />
「あ……っ!?」<br />
「ぬぅ……っ?!」<br /><br />
真紅の右肩がスッパリと裂けて、緋色の飛沫が舞い上がった。<br />
そして――<br /><br />
「っぐぅあぁぁぁぁぁ――――っ!!!!」<br /><br />
鈴鹿御前は左腕の肘から先を裁断されて、筆舌に尽くしがたい激痛に苛まれ、絶叫した。<br />
勝敗を分けたのは、利き腕か、そうでなかったかの違いだけ。<br />
左腕で斬りつけた分だけ、鈴鹿御前は真紅に遅れを取ったのだった。<br /><br />
切断面から墨汁を想像させる黒い血を迸らせながら、鈴鹿御前は歯軋りしていた。<br />
真紅に斬り負けた屈辱からか、それとも、激痛に耐えるために、<br />
歯を食いしばっているのだろうか?<br />
どちらにせよ、彼女が真紅に目を向けた時にはもう、<br />
突き出された神剣の切っ先が鈴鹿御前の鳩尾を裂き、背中へと突き抜けていた。<br /><br />
「っか……っはぁ……」<br /><br />
だらしなく開かれた唇から漏れ出るのは、消え入りそうな吐息と、黒い血液だけ。<br />
双眸を見開き、真紅を睨むが、鈴鹿御前の瞳は、徐々に光を失いつつあった。<br /><br />
「お……のれ。真…………紅ぅ」<br />
「……貴女の負けよ、鈴鹿御前。鬼と言えども……その傷では、長くないわ」<br />
「言われずとも……そのくらい」<br /><br />
神器で斬られては、自力での再生が出来ない。<br />
また長い年月、生娘の鮮血に身を浸し、眠りながら力を蓄える必要があった。<br /><br />
「だが、わたしは……怨念の化身。この程度で、滅びたりなど――」<br />
「いいえ。貴女は、ここで滅びるのよ」<br /><br />
真紅は静かに、しかし、はっきりと告げると、神剣を引き抜いた。<br />
唯一の支えを失い、鈴鹿御前は蹌踉めき、膝から崩れ落ちる。<br />
そして、遂には仰向けとなった。<br /><br />
鈴鹿御前が斃されたと知るや、穢れの者たちは一体、また一体と、得物を捨てて、<br />
その場に座り込んでいく。まるで、敗北を悟り、自害する覚悟であるかの様だ。<br />
ほんの僅かな場所から始まった動きは、たちどころに全軍へと伝播していく。<br />
無数に犇めいていた穢れの者どもは、全員が武器を打ち捨て、胡座をかいて項垂れていた。<br /><br />
「もう、誰も貴女を助けようとはしないわね」<br />
「……ふふん。それが、どうした。わたしを憐れむと言うのか?<br />
愚かしいな。穢れの者どもなど、己の欲望にのみ忠実な亡者なのだぞ。<br />
奴等は盲目的に、力ある者に付き従い、忠誠を誓うに値せぬと見なせば、<br />
忽ち離反してゆく。大方、新たなる主君に、お前を選んだのだろうよ」<br /><br />
鈴鹿御前が言葉を発する度に、鳩尾から黒い血が溢れ出した。<br /><br />
「貴女は何故、そんな酷い事を言うの?<br />
四天王も、巴や、めぐも、その他の武将たちも、一兵卒に至るまで、<br />
貴女の命に従い、貴女のために闘ってきたのよ。<br />
それなのに、貴女は忠臣たちを蔑むばかりで、一言だって労おうとしない。<br />
――どうして?」<br />
「……言ったであろう。状況に応じて、いとも容易く主君を変える連中だ、と。<br />
そんな使い捨ての駒なんかを、わたしが信用すると思うか?」<br /><br />
言って、せせら笑う鈴鹿御前を、真紅は真っすぐに見詰めて、徐に口を開いた。<br /><br />
「信じていなかったら、そもそも手駒に加えようとは、しないでしょう?<br />
それに、ここに居る穢れの者どもが、貴女の言うような連中だったなら、<br />
十八年前に離反されている筈よ。でも――」<br /><br />
真紅は、ぐるりと全周囲を見回した。<br />
穢れの者たちは、真紅たち八犬士と、鈴鹿御前を中心にして車座になっている。<br />
彼女の言うように、新たな主君に対して平伏しているのであれば、<br />
胡座ではなく、正座して平身低頭するのが当然の礼儀である。<br /><br />
「彼らは、貴女が封印されてから、今に至るまで忠誠を誓い続けてきたのよ。<br />
貴女だって、本当は解っているんじゃないの?」 <br />
「……それは、お前の憶測に過ぎん。わたしは……信じていないわ」<br /><br />
鈴鹿御前の言い種は、ただの強がりとして、真紅の耳に届いた。<br />
本当は、信じたいのだろう。<br />
けれども、裏切られる恐怖と失望を知ってしまった彼女は、我知らず心を歪ませ、<br />
誰かを信頼する事を拒絶するようになっていた。<br />
その歪みが、四天王や、御魂を分けた二人の娘をも生贄としか見なさない狂気となり、<br />
結果的に自身の滅びを早めたのだ。<br /><br />
「解ったわ。だったら、そう言うことにしておきましょう。<br />
但し、これから貴女の命が尽きるまでの間は、私を信じなさい」<br /><br />
突然の発言に、鈴鹿御前は唖然として、次に、嘲笑を浮かべた。<br /><br />
「なかなか面白い戯言だな。何故、わたしに、お前ごときを信じろと?」<br />
「私と貴女は、鏡写しの存在だからよ。それは、どう抗っても逃げきれない事実。<br />
目を逸らしても、鏡を叩き割っても、現実は現実として進んで行くわ。<br />
だから、鏡に写った自分が、どんなに嫌な姿であっても……直視して、<br />
信じて、受け入れなければならないのよ」<br />
「…………なるほど。最後に、お前を信じてみるのも一興かも知れぬな」<br /><br />
鈴鹿御前は、少しだけ楽しげに微笑んで見せた。<br />
真紅と瓜二つの笑顔は、とても魅力的で、何処にでも居そうな普通の娘に見えた。<br /><br />
「それで……この後は、どうするつもり?」<br />
「鬼畜生に身を窶し、数多の穢れの元凶となった貴女を、祓うわ。<br />
そして、貴女を成仏させる。私の……いいえ、私たちの能力でね」<br />
「ほぉう? そんな事が、可能だと思うのか?<br />
わたしを成仏させるだなんて、質の悪い冗談にしか聞こえぬぞ」<br />
「言った筈よ。最後の時まで、私を信じなさい……って」<br /><br />
真紅が軽く睨むと、鈴鹿御前は「そうであったな」と、瞼を閉じた。<br /><br />
「それじゃあ、始めるわよ! 水銀燈、金糸雀、翠星石、蒼星石、雛苺、<br />
薔薇水晶、雪華綺晶。私に、力を貸してちょうだい」<br />
「最初っから、そのつもりよぉ」<br />
「カナたちは一蓮托生かしら」<br />
「どんな事だろうと、私たちは真紅に協力するですぅ~」<br />
「ボクたちは、御魂の絆で結ばれた、姉妹なんだからね」<br />
「みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫なのっ!」<br />
「……信じる力が、無限の可能性を生み出すから」<br />
「私たちに、出来ないことなど有りませんわ」<br /><br />
「ありがとう、貴女たち」と呟いて、真紅は左腕を前に突き出し、右手で印を結んだ。<br />
他の七人も、鈴鹿御前を中心にして輪となり、真紅に倣って、左腕を伸ばす。<br />
程なく、全員の手の甲にある真円の痣に『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』の文字が、<br />
浮かび上がってきた。<br /><br />
しかし、それは次の瞬間『如・是・畜・生・発・菩・提・心』へと変化を遂げた。<br />
この急変には、誰もが目を見開いた。<br /><br />
「なっ?! なんなのぉ、これぇ?」<br />
「鬼畜生となった鈴鹿御前に、菩提心を芽生えさせる意味かしらっ!」<br />
「それで、穢れの元凶を静めるんだね」<br /><br />
真紅は頷き、聞き慣れない祝詞を唱えながら、印を切った。<br />
八人の痣から眩い光球が飛び出し、くるくると回りながら、糸を紡ぐように纏まっていく。<br />
そして、ひとつになった真っ白な光球は、鈴鹿御前の身体に飛び込んだ。<br />
ビクン! と、一度だけ、鈴鹿御前は身震いした。<br /><br />
「調子は、どう?」<br />
「…………温かいな。それに、不思議と気分が安らいでいる。<br />
今までは、常に心の奥底から、不安や怒りの感情が溢れだしていたのに」<br />
「怨嗟は思慮に、憤怒は慈愛に。貴女の魂はもう、鬼ではないわ。<br />
過去の束縛を絶ち、成仏しなさい」<br /><br />
鈴鹿御前は、真紅の諭す声を聞いて、一切の嘘偽りを含まない笑みを見せた。<br />
過去の因縁から解放されて、漸く、手に入れた自由。<br />
それを与えてくれた真紅に、鈴鹿御前は一言一言、噛み締めるように話しかけた。<br /><br />
「わたしは今まで、鬼となる為に、お前を切り捨てたのだと思っていた。<br />
でも、違ったのだな。切り捨てられた病巣は、わたしの方だった。<br />
たった今、その事に気づいたわ」<br />
「別に、どっちでも良いことよ。今となっては……ね」<br />
「……そうね。感謝するわ、真紅。わたしを救ってくれて、ありがとう」<br /><br />
穏やかな、春の日射しを想わせる微笑み。<br />
それが、彼女がこの世に遺した、今際の表情だった。<br />
身体から抜け出した鈴鹿御前の魂は、赤い蛍となって八犬士の頭上を旋回して、<br />
周囲を取り囲む穢れの者どもに、語って聞かせた。<br /><br />
「皆の者! わたしは、今より遠い地を目指して、旅に出なくてはならぬ。<br />
その土地は、おそらく過酷で、苦難に満ちていよう。<br />
だが、わたしは行かねばならぬ。自ら撒いた種を、刈り取らねばならぬ」<br /><br />
謁見の間は静寂に包まれ、鈴鹿御前の澄んだ声だけが、朗々と響き渡っていた。<br /><br />
「……こんな事を言えた義理ではないと、承知している。<br />
落ちぶれた身の上で、頼める訳がない事は、理解している。<br />
しかし、言わせて欲しい。そして、聞いて欲しい。<br />
いま一度、こんな……わたしに……付いてきては、くれないだろうか?<br />
わたしを、今までと変わらず、支えてくれないだろうか?」<br /><br />
鈴鹿御前は、それだけ言うと、口を噤んだ。<br />
途端、周囲の穢れの者どもは一斉に立ち上がり、鬨の声と共に、拳を天に突き上げた。<br />
謁見の間は、どよめきに支配されて、空気が震えている。<br />
穢れの者どもは、いつの間にか骸骨ではなく、普通の人間の姿に変わっていた。<br />
だが、その姿も直ぐに、赤い蛍へと変化してゆく。<br /><br /><br /><br />
その光景を、八人の乙女たちから少し離れた場所から見守る、二人の男が居た。<br />
桜田ジュンと、彼に肩を貸しているベジータである。<br />
彼らは、鈴鹿御前と真紅の一騎打ちから、一部始終を見続けていた。<br /><br />
「まったく……凄ぇもんだぜ、あいつら」<br />
「ああ、そうだな。彼女たちは強いよ。僕たちなんかより、ずっと」<br />
「言えてる。俺なんか、ただの一撃で気絶させられたのに、<br />
あいつらは勝っちまうんだからな」<br /><br />
「そうだったな」と、ジュンは笑った。<br />
翼を広げて飛び込んできた鈴鹿御前に、頬を蹴り飛ばされたベジータは、<br />
腫れた頬を撫でながら苦笑した。<br /><br />
「俺は、金糸雀を手助けに来たってのに、ざまぁねえぜ」<br />
「卑下するなよ。お前は立派に、彼女の支えになってたさ」<br />
「……だったら良いんだが」<br /><br />
眉を顰め、言葉尻を濁すベジータに、ジュンは陽気に話しかけた。<br /><br />
「お前、彼女に扱き使われてないか? 雑用を任されたりとかさ」<br />
「おう。それなら、殆ど毎日……」<br />
「それが、頼られてる証拠さ。深く考える必要なんて無いんだ。<br />
彼女たちは強いけど、純粋すぎて脆いところも有る。<br />
僕たちは側にいて上げて、彼女たちが挫けてしまいそうな時に、<br />
黙って支えてあげれば良いんだ。<br />
その程度なんだよ、僕たちの役割なんて」<br /><br />
ジュンが、そんな独り言を口にした、丁度その時、穢れの者どもが変じた蛍の群が、<br />
鈴鹿御前の蛍を先頭にして、飛び去るところだった。<br />
その様子は、見る者に、まるで夏の夜空を飾る天の川を彷彿させた。<br /><br />
「……綺麗だな」<br />
「ああ。これが、命の輝きってヤツなのか。<br />
人間ってのは、こんなにも光り輝けるものなんだな。初めて知ったぜ」<br />
「僕たちも、命を輝かせながら、良い人生を送るように心がけなきゃな。<br />
それが、生き残った者の努めだよ」<br /><br />
ベジータは、ジュンの言葉を聞いて、違いねえ、と頷いた。<br /><br /><br /><br /><br />
――やっと、終わった。<br /><br />
鈴鹿御前と、穢れの者どもを見送った八犬士の表情にも、漸く、安堵の色が現れた。<br />
辛いこと、悲しいこと……本当に、色々なことが有ったけれど、<br />
八人の娘たちは互いを信じ、協力しあって艱難辛苦を乗り越えてきた。<br />
諺に『艱難、汝を玉にす』と言うが、彼女たちも今度の一件を乗り越えて、<br />
ひと回り大きく成長したようだ。<br /><br />
「みんな……今まで、本当によく頑張ってくれたわ。<br />
貴女たちが居てくれなかったら、きっと私は勝てなかった。<br />
十八年前みたいに、引き分けることすら出来なかった筈よ。<br />
だから、何度でも、お礼を言わせてちょうだい」<br /><br />
言って、真紅は、深々と頭を下げた。<br />
みんなは彼女の金髪を見詰めて、ふと、何か足りない事に気づいた。<br /><br />
「あれ? 真紅の頭に生えてた狗耳が、無くなってるです」<br />
「そう言えば、尻尾も消えちゃってるのよー」<br />
「えっ? ウソ……」<br /><br />
ひょいと顔を上げて、真紅が右手を自分の頭、左手を腰に遣ったところ、<br />
確かに、狗神の徴は消え去っていた。<br />
更に、金糸雀が、素っ頓狂な声を上げて真紅の瞳を指差した。<br /><br />
「眼の色も、元通りに戻ってるかしら!」<br />
「ええっ?! と、言う事は――」<br />
「……まさか」<br /><br />
薔薇水晶と、雪華綺晶が顔を見合わせて、互いの瞳を凝視する。<br />
しかし、そこに嘗ての赤目は、存在していなかった。<br /><br />
「これって……私たちが、狗神筋の人間ではなくなったという事なのでしょうか?」<br />
「なんか、ウソみたい。ウソじゃない……よね?」<br /><br />
あんなにも苦しめられてきた因縁が、こうも呆気なく消え去ってしまうなんて、<br />
信じられないことだった。<br />
けれど、目の前の現実は、紛れもない事実。<br />
薔薇水晶と雪華綺晶の姉妹は、その意味をしっかりと噛み締めて、感涙に咽び泣いた。<br /><br />
二人に優しい眼差しを送っていた蒼星石は、零れそうになる涙を指で拭おうとして、<br />
左手を目元に添えた。手の甲も、自然と視界に入る。<br />
そこで、ある事に気づき、驚きの声を上げた。<br /><br />
「?! みんな、見てっ! 痣が消えてるよ」<br />
「なに言ってるです、蒼星石。そんなコトが……って、ホントに消えてるですぅ!」<br />
「これも、真紅の仕業なのぉ?」<br />
「い、いいえ。私じゃないわよ。こんな事って――」<br /><br />
真紅自身、自分の左手を茫然と眺めている。彼女の意図でない事は、確かだった。<br />
御魂と共に、八つに分かたれていた房姫の思念が、ひとつに纏まって、<br />
鈴鹿御前を成仏させる念願を果たした。<br />
この奇跡は、彼女から八人の娘たちへ向けた、祝福だったのかもしれない。<br /><br />
誰もが左手の甲を撫でたり、矯めつ眇めつしている時に、<br />
水銀燈は、蒼星石と金糸雀の肩を優しく叩いて、声を掛けた。<br /><br />
「貴女たちには、まだ為すべき事が残っているみたいねぇ」<br />
「え?」<br />
「カナたちが?」<br /><br />
いきなり言われて、何のことかと頚を傾げる二人に、水銀燈は「ほぉらね」と、<br />
少し離れた場所を指し示した。<br />
そこには、二人の青年が立っている。どちらも満身創痍だが、血色は良い。<br /><br />
「ジュンっ!」<br />
「ベジータ! あなた、無事だったかしらっ!」<br /><br />
水銀燈が、二人の背中を軽く押すと、彼女たちは一斉に走り出した。<br /><br />
蒼星石は、ジュンの元へと全力疾走すると、殆ど体当たりの勢いで抱きついた。<br />
ジュンも蹌踉けたものの両脚を踏ん張り、蒼星石をしっかりと抱き留め、頬を寄せた。<br />
彼女の緋翠の瞳から、忽ち、歓喜の雫が溢れてくる。<br />
それは尽きることなく流れ続けて、擦り寄せられた二人の頬を濡らした。<br /><br />
「ジュンっ! ジュンっ! 本当に……本当に、キミなんだね」<br />
「ああ。僕だよ、蒼星石。ゴメンな、辛い想いばかりさせて」<br />
「……いいんだ。そんな事なんか、もう、どうでも良いの。<br />
キミが、キミで居てくれるなら、ボクはそれ以上、何も望まないよ」<br /><br />
嗚咽する蒼星石の背中を、ジュンは力強く抱き締め、彼女の耳元に囁いた。<br /><br />
「そんなに無欲じゃあ、幸せを逃がしちゃうよ。<br />
せめて、ひとつくらいは、望みを持たないとね。君は、なにを願うんだい?」<br />
「え、と……ボクは――」<br />
「僕の望みはね、蒼星石。君が、いつまでも僕の側に居てくれることなんだよ。<br />
この想いを伝えたくて、僕は君を追い掛けてきたんだ」<br />
「…………」<br />
「やっと、蒼星石を捕まえたんだ。もう、絶対に逃がさないぞ。<br />
君を、どこにも行かせないからな」<br />
「……じゃあ、もう放さないでよ。ボクの手を、しっかりと握っていて。<br />
ボクを、しっかりと抱き締めていて。<br />
もう……離ればなれになるのは、イヤだから」<br /><br />
涙声で、消え入りそうに話す蒼星石の頬と耳が、熱を帯びている。<br />
寸分の隙間無く触れ合っていたから、ジュンには、よく分かった。<br /><br />
「言っただろ。絶対に、逃がさない……って」<br /><br />
そう囁くなり、ジュンは蒼星石の返事を待たずに、彼女の唇を奪った。<br /><br /><br /><br />
二人が熱烈な口付けを交わす隣で、金糸雀とベジータは、居心地悪そうに肩を竦めた。<br />
しかし、折角ここまで来て、ただ向き合っている訳にもいかない。<br />
金糸雀は、自分の頚に掛けられていた純銀の十字架を外して、ベジータの頚に掛けた。<br /><br />
「ありがとう、ベジータ。約束どおり、これを返しに来たかしら」<br /><br />
はにかんで、金糸雀は顔を斜に向けた。<br /><br />
「それと、その…………来てくれて、とっても嬉しかったかしら」<br />
「……それだけかよ?」<br />
「はい?」<br /><br />
予想だにしなかった返事に、金糸雀は意味が理解できず、ベジータの顔を見詰めた。<br />
ベジータは照れ臭そうにジュンと蒼星石を横目に見ながら、自分の唇を指差して見せた。<br /><br />
「その……俺たちも、どうよ?」<br />
「ばっ! バカぁっ!!!」<br /><br />
顔を真っ赤にした金糸雀は、やおら袖から拳銃を引き抜くと、銃口を彼に向けて、<br />
躊躇なく撃鉄を落とした。<br />
謁見の間に、カチリ……と、乾いた金属音が木霊する。<br /><br />
「あ~ら、残念……弾切れだったかしら。命拾いしたわね、ベジータ」<br />
「勘弁してくれ。一瞬、地獄を見たぜ」<br /><br />
心底、肝を冷やしたらしく、額に滲み出した冷や汗を手の甲で拭うベジータ。<br />
らしくなく青ざめた彼を見て、誰もが声をあげて笑った。<br />
<br />
<br />
=<a href="http://www4.atwiki.jp/3edk07nt/pages/91.html">終章につづく</a>=<br />
</p>