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日を追う毎に、雪華綺晶の常軌を逸した行動は、酷くなっていく。
平日は、通学時間から巴に寄り添い、巴の部活動が終わるまで、待っていたりもした。

常に、清純な乙女であること。

そんな勝手極まりない理想を、巴に強要し始めたのである。
日常生活の中の、ちょっとした態度でも、だらしないと見なせば、すぐに注意が飛んだ。

――しなさい。

――すべき。

――は止しなさい。


人前でも平然と注意を促し、会話できない状況では、携帯電話でメールを送って来る。
最初の内は、雪華綺晶の老婆心なのだろうと思っていた巴も、
だんだんとエスカレートしていく彼女の行為に、不気味なものを感じ始めていた。

僅かでも不信感を抱いてしまうと、そこから更なる不信が生まれる。
不信が悪い想像を誘発し、より多くの不信感を抱かせてしまう。
ネズミ算式に増えていく負の連鎖だ。


やがて……巴の抱いた不信感は、目に見える形となって彼女を苛み始める。

雪華綺晶の監視は、学校だけに留まらなくなっていった。




日曜日、珍しくジュンが映画に誘ってくれた時のこと。
彼と並んで歩く、嬉しくて楽しいひとときを、巴の携帯電話が邪魔をする。

「あ、メールの着信。桜田くん、ちょっと待って」

差出人は…………雪華綺晶。
巴の表情が強張った。ここ最近、彼女から頻繁に、メールが届いている。
それらは、仕種や心得など、些細なことを諫める内容だった。
何処かから見張っているとしか思えないほど、細部に渡って書かれていた。

普通の者ならば、気味悪くなって縁を切ろうとするだろう。
或いは、携帯のメアドを変更したり、着信拒否の設定をするなど、
それとなく、拒絶の意志表示をしてみたりするものだ。

けれど、巴は、それをしなかった。正確には、出来なかった。
何故ならば、怖れていたから。
雪華綺晶は学校中の人たちに慕われている。
彼女を怒らせたら、彼女を泣かせたら、彼女を拒絶したら……。

次は、自分が周囲の人々に拒絶される番かも知れない。
周囲の人々に白い目で見られて、口も利いてもらえなくなるかも。


同年代の男女が、一カ所に集められる特殊な場所――――学校。
そこは、広い世界の、ほんの一角でしかない。
そんな小さな世界ですら孤立してしまうかも知れないと思う事は、
巴にとって非常に恐ろしく、寂しいことだった。

携帯のディスプレイを見つめたまま、青ざめている巴の様子に気付いて、
ジュンは極力、穏やかな口調で問いかけた。

「どうしたんだ、柏葉? もしかして、急用でも出来たのか」
「っ!」

ビクッ! と身体を震わせる巴の態度は、誰が見ても妙だった。
ジュンは眉を顰めて、巴の横顔を覗き込んだ。

「おい、柏葉。急に、どうしたんだよ。メールを見てから様子が変だぞ」
「え、と……あの……ごめんなさい」

あまり、言いたいことを口に出来ない巴。
けれど、こうまで粘着質で押し付けがましい事をされると、嫌気が差してくる。
流石の巴も、雪華綺晶を疎ましく思い始めていた。
このままでは、いけない。
自分にとっても、彼女にとっても、今の関係を続ける事は耐えがたい不幸だ。

では、どうする? どうすれば良い?

(桜田くんなら、信頼できるし…………相談してみよう)

巴は「これ、見て?」と、ジュンに自分の携帯を差し出した。
怪訝な顔をする、ジュン。
だが、巴の真剣な表情に気圧されて、躊躇いがちに、彼女の携帯を手に取った。

そして、少し読み進めるなり、言葉を詰まらせた。


【こんにちは、柏葉さん。雪華綺晶です。
 今日は、ジュンさんとデートですのね。羨ましいですわ。
 でも…………くれぐれも、油断無きように。
 彼は紳士ですけれど、暗い映画館の中では、何が起きるか分かりませんから。

 まあ、危ない気配が漂ったら、私が阻止しますけどね。
 貴女を護るのは、私の務め。貴女の美しさは、誰にも汚させませんわ。

 それでは、また後ほど……】


読み終えて、一分ほどが経ってから、ジュンは重い溜息を吐いた。
明らかに、尾行しながら書いている内容だ。
しかも、巴を護るのが自分の務めなどと、奇妙な事も口走っている。
尾行をするくらいなのだから、質の悪い冗談ではないだろう。

「何なんだよ、これ? なあ、柏葉。ひょっとして、こんなメールが頻繁に届いてるのか?」

先程の豹変ぶりを思い出して、ジュンは鎌をかけてみた。
案の定、巴はこくりと頷き、ジュンの手から携帯を取り返すと、着信履歴を表示して見せた。
間隔はマチマチだが、受信したメールは、かなりの数に上っている。

「最近になって、更に回数が増えたの。真夜中に届くこともあって……。
 わたし、なんだか怖い」
「これってもう、ストーカーだぞ。着信拒否とか、した方が良いんじゃないか?」
「……だ、だけど……きらきーさんも、悪気があっての事じゃないし」
「悪気がないから、余計に質が悪いんだよ」

相手に迷惑をかけている自覚が無いから、悪質な行為でも平然と行える。
それを続けることに何の疑いも持たないから、歯止めが利かないのだ。

「柏葉が言い難いんだったら、僕がハッキリと話してやるよ。こんな行為は止めさせなきゃ」

ジュンの力強い台詞を受けて、巴は心に勇気が湧いてくるのを感じた。
彼の言うとおりだ。こんな事は、断固として止めさせなければならない。
それも、自分の口から、ハッキリと雪華綺晶に言わなければ。

「ありがとう、桜田くん。やっぱり、貴方に話してみて良かった」
「それじゃあ――」
「うん。わたし、これから彼女に言ってくるわ。こんな事は、もう止めてって」
「僕も着いていくよ」
「……ありがとう、桜田くん」

巴は頬を染めて、嬉しそうに微笑んだ。
本当は、とっても怖かった。独りで向かっていたら、途中で引き返してしまっただろう。
でも、ジュンが居てくれるなら勇気百倍。どんな事でも、出来そうな気がした。

「これから話がしたいって、連絡しといた方が良いな」
「そうね。ちょっとメールを送ってみる」

雪華綺晶は、その辺りに潜んで、こちらの動きを観察しているだろう。
適当に歩いていれば、かち合う可能性が高い。
だが、偶然の出会いを待っているほど、悠長には構えていられなかった。

巴がメールを送ってから、三分で返信が届いた。


【お話の件、しかと賜りました。
 場所は、私の家でいかがですか?】


取り敢えず、場所は何処でもいい。話の内容こそが肝心なのだ。

「行くか、柏葉」
「…………桜田くん。あのぅ」
「? なんだよ」
「手を……繋いでも、良いかな?」

やはり、不安なのだろう。
ジュンは優しい笑みを浮かべて、返事の代わりに、巴の手を握った。
驚いて、引っ込められた巴の手を、元の位置に引っ張って戻す。

「繋ごうって言い出したのは、柏葉だろ」
「あ……ごめんなさい」
「別に、謝らなくてもいいよ。それより、早く行って、さっさと済ませよう。
 映画の上映時間が終わっちゃうからさ」
「うんっ!」

巴は、ジュンの手を、そっと握り返した。彼の掌の温かさが、手首を伝って、昇ってくる。
それは肘を越え、肩を通り過ぎて、巴の心に染み込んでいった。
頼もしさと、安らぎで胸が満たされ、とても心地よい。
この想いを表現するなら――些か、陳腐だけれど――幸せ、の一言に尽きる。

(この人を、好きになって良かった。もっと、この時間が欲しい。二人だけの時間が)

きっと、直ぐに終わらせよう。ジュンと巴は、意気込んで雪華綺晶の家へと向かった。




その頃、雪華綺晶は握り潰しそうな勢いで携帯を掴みながら、自宅へと走っていた。

(彼と彼女は、私に何を話そうとしているのかしら)

形式的に自問したものの、答えは既に、解っていた。
だから、こうして携帯電話を握り締めているのだ。やり場のない憤りを、一手に集めて。
だから、こうして無我夢中で走り続けているのだ。戸惑い迷走する心を、持て余す様に。


――もう、付きまとわないで。


巴は、それを言いに来る。彼女は、私の善意を歪んで解釈している。
私のことを、粘着質で、押し付けがましい女だと、誤解している。

「何故ですの? 私は、貴女の虜。私の心は、貴女のものですのに」

ただただ、巴のために、良かれと思って注意しただけなのに。

「何故、貴女は私から逃げるの? どうして、私の気持ちを解ってくれないの?
 ううん……きっと解っている。
 なのに、私の方を振り向いてくれないのは、きっとジュンさんが居るから」

彼が……邪魔をしているの? 巴に、私の悪口を吹き込んでいるの?

ならば、排除を…………いいえ、それだけは、ダメ。
愛する妹、薔薇水晶は、彼を愛している。
妹から、彼を奪うわけにはいかない。


突如として、雪華綺晶の脳に、天啓が閃いた。

(そうですわ! それなら、巴を私の手元に置いてしまえば良いじゃありませんか)

何も悩む事なんて無かった。どうして今まで、思い付かなかったんだろう。
答えは、こんなにも簡単なことなのに。

彼女を、私の手元に繋いでおけば良いの。
そうすれば、毎日でも美しい彼女を愛でていられる。
朝な夕な、綺麗な彼女と、添い寝を楽しめる。


――私だけの、お人形。

――大事に大事に、しまい込んで。

――誰にも、見せない。誰にも、触らせない。

――彼女は、私だけの……綺麗な綺麗な、お人形さん。


「くくっ……うふふふふふふふっ。あはははっははっはははっあははは!!」

雪華綺晶は哄笑しながら、嬉々として帰路を急いだ。
二人が来るまでに、準備を済ませてしまわないと……。