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さらさらの、美しい黒髪。肌理が細かく、すべすべした柔肌。
左眼の下の泣きぼくろは、魅力的なアクセント。
可愛らしい桜色の唇。

地下室の天井から吊り下げられた裸電球が放つ、黄色がかった淡い光が、
巴の姿を幻想的に浮かび上がらせる。

「はふぅ……。なんて魅惑的なのでしょう。この美しさは最早、芸術ですわ」

熱を帯びた溜息を吐きながら、雪華綺晶はベッドに腰を降ろして、眠っている巴の頬を撫でた。
温かく、柔らかい。

「私は、貴女のとりこ。私の心は、貴女への想いで占められているのですわ」

人が、名画や優れた彫刻を求めるように、雪華綺晶は、巴という芸術を欲した。
人が、名曲や素晴らしい演奏を愛するように、雪華綺晶は、巴の全てを愛した。
容姿は勿論、儚げな声も、真っ直ぐな眼差しも、さり気ない仕種も、健気な性格も。

「柏葉さんだなんて、間怠っこしいですわ。ああ……巴さん。巴! 巴っ!」

この異様な世界が、彼女の精神状態を、より一層、狂わせるのだろうか。
雪華綺晶は両腕で巴の上半身を起こすと、抱き締め、頬を擦り寄せた。

「もっと近くに居たい。もっと触れ合いたい。
 ああ……ダメよ。そんな事をしては、巴が汚れてしまいますわ。
 でも、衝動を抑えきれない。
 この真っ白なキャンバスを、思いっ切り、私の色で汚してしまいたい」

雪華綺晶が、チューリップの蕾を想わせる巴の唇を啄み始めた。
二度、三度――

「……んっ」

四度目に触れ合う直前、巴が、微かに呻く。
長い睫毛が揺れ、徐に開かれる瞼の奥で、澄んだ瞳が輝いた。

「んふ。お気付きになったかしら?」
「っ?!」

目を覚ますなり、至近に雪華綺晶の顔が在るだけでも想定外だと言うのに、
抱き締められていると判って、巴は反射的に両手を突っ張っていた。

「い、イヤぁっ!」

肘で、雪華綺晶の腕を振り解き、自由になった両手で、彼女の身体を突き飛ばす。
跳ねるようにベッドから離れた巴は、一目散に鉄扉に駆け寄り、ノブに指を掛けた。

がちゃっ! がちゃがちゃがちゃ!

だが、開かない。
なんで? どうして? 小声で呟きながら、懸命にノブを回し続ける。
けれど、鉄扉は開かない。
巴は、今にも泣き出しそうになりながらも、虚しい努力を続けた。

「無駄ですわ、巴。その扉には、鍵を掛けておきましたから」

背中に投げ付けられた、冷酷な宣告。
巴は半狂乱になって、雪華綺晶に掴みかかった。

「何故? なんで、こんな事するの? 鍵を開けてよ! ここから出してっ!」

けれど、雪華綺晶は涼しげに微笑み――

「……あらぁ、残念。鍵は、もう開きませんわ」
「ど、どうしてっ!?」
「捨ててしまいましたから」

トイレを指差して「流しちゃったぁ」と、戯けた。

巴の表情が、見る見るうちに青ざめ、恐怖に引き攣ってゆく。
その変化を愉しげに見詰めながら、雪華綺晶は舌なめずりした。

「だから、出られませんよ。私も、巴も。この部屋で、ずぅっと、二人きり。
 くふふふふっ…………愉しい愉しい。ゾクゾクしてきますわ」
「っ! 貴女、おかしいわ。狂ってるわよ!」

雪華綺晶の胸ぐらを掴んでいた手を放して、巴は鉄扉に引き返し、拳を叩きつけた。

「イヤっ! こんなのイヤっ! 助けて、桜田くんっ! 桜田くんっ!!」

鉄扉を叩き、叫び続ける巴の肩を、雪華綺晶は鷲掴みにして引き戻した。
振り返った巴の頬に、雪華綺晶の掌が振り下ろされる。
思いっ切り殴られた巴は、小さな悲鳴を上げて、鉄扉に肩を打ち付けた。

「私の前で、彼の名前を呼ぶことは許しませんわ!」

巴は、撲たれた頬に手を当てて、涙を溜めた瞳で雪華綺晶を睨み付けた。
雪華綺晶の隻眼が、妖しい金色の輝きを増す。
口の端を吊り上げて、ニタ~リと嗤った。

「ねえ、巴ぇ。冷静になって、よぉ~く考えてね」
「冷静になるのは、貴女の方よ! きらきーさん! こんな事、もう止めて!」
「イヤですわ。折角、私と貴女の二人だけになれましたのに。
 ここは、私たちだけの世界なの。他には誰も居ない。邪魔する者は居ない。
 なんて素晴らしく、幸福なんでしょう。まるで、アダムとイブみたい」
「……この、キチガイっ!」

叫んだ巴の頬に、雪華綺晶の張り手が飛んだ。
狭い地下室に、小気味よい破裂音が響く。

「慎みなさい。口汚く罵るなんて真似は、許されざる蛮行ですわ。
 貴女には、理想の乙女であり続けて欲しいの。容姿も、仕種も、全て」
「っ…………」

巴は、覚悟を決めた。助かるためには、雪華綺晶を黙らせるしかない。
彼女を殺して、誰かに聞こえることを祈りながら、扉を叩き続けるしかない。
喉が渇いたらトイレの水を飲んででも、お腹が空いたら雪華綺晶の身体を食べてでも、
生き残るつもりだった。

(桜田くん…………わたし、きっと戻るよ。貴方のところへ)

絶好のチャンスを得るためなら、喜んで、雪華綺晶の慰み物になろう。




「随分と遅いな、柏葉のやつ」

薔薇水晶と雑談をしながら待ち時間を過ごしていたジュンは、
腕時計を一瞥して、ぽつりと呟いた。
この屋敷に来てから、もう小一時間が過ぎようとしている。
幾らなんでも、時間が掛かりすぎだった。

「なあ、薔薇水晶。話に水を注して悪いんだけどさ」
「どうかしたの、ジュン?」
「ちょっと、柏葉の様子を見に行っても良いか?」
「……じゃあ、私も一緒に行く」

雪華綺晶の部屋に入ることになれば、薔薇水晶には居てもらった方が良い。
ジュンは「ああ。案内、頼むよ」と短く答えて、薔薇水晶を促した。


二人は連れ立って階段を昇り、雪華綺晶の部屋を訪れた。
妙に、ひっそりと静まり返っている。ジュンがノックをしてみるが、返事は無い。

「お姉ちゃん? 居ないの?」

扉越しに薔薇水晶が訊ねても、周囲は静まり返ったままだった。
眉間に皺を寄せたジュンと顔を見合わせて、薔薇水晶は、ひとつ頷いた。

「……入るよ?」

言って、薔薇水晶はドアノブを回して、扉を押し開けた。
雪華綺晶も、巴も、どうして返事をしないのか。
理由を確かめるべく立ち入った室内には、誰の姿もなかった。

「おい……柏葉? 雪華綺晶? どこ行ったんだ、あの二人」
「私に訊かれても、分かんないよぉ」

何か二人を探す手懸かりが無いものかと、辺りを見回していたジュンが、
机の上に礼儀正しく置かれている封筒を見付けた。
ジュンは、薔薇水晶の肩を左手で叩き、右手で封筒を指差した。

「薔薇水晶、あれを見てくれ」
「封筒? お姉ちゃんの書き置きかなぁ……読んでみるね」
「頼むよ。僕が、勝手に見るのは拙いだろうから」

真っ白な封筒を手に取り、薔薇水晶の白い指が、三つに折り畳まれた便箋を抜き出す。
琥珀色の瞳が、広げた紙面を左右に走って行く。

「お姉ちゃんは、巴ちゃんと一緒に出かけたみたい」
「なんだって? そんな気配は、全くしなかったよな。あいつら、何処へ?」
「書いてないけど……お夕飯には帰ってくるって」

言って、薔薇水晶が手紙を差し出す。ジュンは、それを手に取って目を通した。
いかにも女性らしい、綺麗な文字が、規則正しく並んでいる。
人の性格は書体にも現れるが、書面から、雪華綺晶の几帳面な性格が見て取れた。

「今は……もう五時か。薔薇水晶の家って、何時くらいに夕食を摂るんだ?」

ジュンが腕時計を見ながら訊くと、薔薇水晶は小首を傾げて「七時くらい」と答えた。

「あと、二時間くらいだな。往復分を考えても、あと一時間は自由に動ける計算か」

それだけの余裕があれば、何処にでも行ける。
無闇やたらと探し回っても、絶対に見付からないだろう。
ジュンは携帯電話を取り出して、巴に電話してみた。

「…………出ないな。圏外みたいだ」
「じゃあ、お姉ちゃんの方は、どうかな?」

薔薇水晶も、ジュンに倣って携帯を操作した。が、直ぐに表情を曇らせる。

「こっちもダメ。繋がらないよぉ」
「参ったな。連絡の取りようが無いんじゃあ、帰ってくるのを待つしかないか」
「ねえ、ジュン。それなら、ウチでお夕飯、食べていかない?
 一緒に、巴ちゃんを待ってようよ」

確かに、それが一番、確実な方法だと思える。
雪華綺晶と巴を二人きりにする事は、かなり不安だけれど、現状では打つ手が無い。
置き手紙を信じて、七時まで待ってみるしかなかった。

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「ホント? あはっ♪ やったね」

ジュンの不安など気にも留めずに、薔薇水晶は踊るように、クルッと回って見せた。

「期待しててね、ジュン。私、お夕飯の支度、手伝ってくるから」

笑顔でお礼の言葉を口にしつつも、ジュンの心は曇ったままだった。