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「きゃああぁっ!?」

予期していたとは言え、巴は胸の奥底からこみ上げてくる絶叫を、押し止められなかった。
一気に上昇した心拍数が、ガンガンと激しい頭痛へと変貌を遂げる。
吐き気を催すくらいに頭が痛くて、眩暈に襲われた。
もっとも、暗闇の中では、本当に目が眩んだのか確かめようが無かったけれど。

もう逃げられない。逃げ切れない。諦念が、急速な虚脱感を引き起こす。
携帯電話が指の間を擦り抜け、一秒後、床を転がる乾いた音がした。

「んふふふ…………思わず叫んでしまうほど、嬉しかったのかしらぁ?」

闇の中でも、雪華綺晶は正確に巴の肩を掴み、簡易ベッドに押し倒した。
そのまま、グイと体重を預けて、抑え込んでくる。
雪華綺晶の肩から流れ落ちた濡れ髪が、ぴちゃりと巴の頬を撫でた。
仄かに、血の臭いがした。

「ひいっ!」

喉から悲鳴を絞り出して、顔を背けた巴の身体に、雪華綺晶の身体が覆い被さってくる。
上背で勝る雪華綺晶を、なんとか押し退けようと試みるも、
頭痛により力が入らず、小柄な体躯の巴は、完全に組み敷かれてしまった。

「い、イヤッ! 放してっ。放してよぉっ」
「ふふ……ダぁメ。絶対に手放しませんわ。私の可愛いお人形さん♪」

巴の頬を、大きなナメクジの様な生暖かい雪華綺晶の舌が、ねっとりと這った。
おぞましさに身を震わせた巴の耳を、雪華綺晶の猫撫で声がくすぐる。

「ねえ、巴ぇ~。さっきは、とぉっても痛くて…………気持ちよかったですわよ」

言って、雪華綺晶は何が楽しいのか、クスクスと笑った。

「巴ったら、あんなに激しく、私を打ち据えるんですものぉ。
 くふふふっ……私、貴女の愛を感じて、ゾクゾクしてしまいましたわぁ」
「っ?!」
「せめてもの御礼に、貴女にも、同じ快感を与えて差し上げなきゃあねぇ」
「や、やぁっ! この変態っ! キチガイっ!」


気持ち悪い。


その嫌悪感だけが、巴の感情の全てだった。

(気持ち悪いっ! 気持ち悪いっ! 気持ち悪いっ! 気持ち悪いっ!)

「嫌いよ! キチガイっ! 貴女なんか、大ッ嫌いっ!」

禁句を連呼することすら、もう躊躇わなかった。
漆黒の閉鎖空間に、耳をつんざく巴の罵声が、おんおんと響き渡る。

しかし、雪華綺晶は激情を露呈することも、たじろぎもせずに、
巴を抑え付けて薄ら笑っていた。

怯える彼女の耳元で、くすくすと――


雪華綺晶の右手が、所在を確かめるように巴の肩を滑り、胸元をまさぐって、
やがて……洋服の胸倉を掴んだ。

「ねぇえ、巴ぇ。今から、貴女に――」

熱を帯びた彼女の吐息が、巴の前髪を揺らした。

「一生、消えることのない誓いの証を、刻印してあげますわ。
 解剖学的にも、私が付けたと解る証拠を――ねぇ」

巴のシャツが暴力的に引っ張られて、シャツのボタンが千切れ飛んだ。
汗ばんだ胸元が露わになり、巴は金切り声を上げて、両腕を振り回し、
今までに無いほどの抵抗を見せた。

――だが、全ては徒労。

巴が、首筋に雪華綺晶の荒い鼻息を感じた次の瞬間、
剥き出された巴の右の鎖骨に、雪華綺晶の歯が突き立てられた。

彼女の顎に力が込められていく。
骨を砕かんばかりに、力一杯、噛み付いてくる。

「ひあぁぁっ!」

めくら滅法に振り回された巴の両手が、雪華綺晶の髪を鷲掴み、
強引に引き離そうとする。
けれども、雪華綺晶はガッチリと噛み付いたまま、離れようとしない。
彼女の糸切り歯が、乙女の柔肌に食い込み、引き裂き始めていた。

瑞々しく張りのある白い肌を前歯が挟み込み、引っ張る。食いちぎろうとしているのだ。
間断なく押し寄せる激痛が、首筋を伝って頭痛と混ざり合い、
巴の思考をぐちゃぐちゃに掻き乱した。頭が痺れて、何も考えられない。

「ああああぁぁっ!! 痛いっ! 痛いいぃぃっ!!」

叫び、涙を流しながらも、巴は両腕で雪華綺晶の頭を殴り付けていた。
左の拳は、硬い感触。
右の拳は、びちゃっ……と、不気味に柔らかい感触。


けれども、雪華綺晶はガッチリと食い付いたまま、離れようとしない。


――――そして、その時は訪れた。

ぶつっ!

「あああああああああああああっ!!!!」

肌を食いちぎられて、嘗てない絶叫を、喉の奥から迸らせる巴。
彼女の耳元では、雪華綺晶が聞こえよがしに、くちゃくちゃと咀嚼していた。
たった今、歯で削ぎ落としたばかりの、巴の柔肌を。

ごくり……と、雪華綺晶の喉が、おぞましい音を立てた。

「んふふふふ…………おいしい♪
 今まで食べた、どんなお肉よりも美味ですわ」

巴は、産まれて初めて味わった激痛のために、ぱくぱくと口を開閉する
ことしか出来なかった。ベータ・エンドルフィンとエンケファリンが
過剰に分泌されて、巴の脳を麻痺させていく。

「……あ…………ああ……」

見開かれた双眸は、茫然と虚空を彷徨うだけ。彼女の頬を濡らす涙を、
雪華綺晶の指がしなやかに拭い、愛おしそうに撫で回した。

「くふふっ。これで、貴女も私も傷物同士。
 流通経路に乗せられない、ただのジャンクですわ」
「……」
「でも、安心なさって。捨てたりなんか、絶対にしませんから。
 貴女は、私の宝物。私だけの、可愛い可愛いお人形さんですもの」

雪華綺晶は囁いて、自分が付けた巴の傷に、唇を寄せた。
多くの吸血生物がそうする様に、溢れ出す血液を舌で舐め取り、
ちゅうちゅうと吸い上げていく。

巴は、雪華綺晶の柔らかな舌に傷を刺激される度に「んあっ」と
呻くものの、それ以上の反応を示さなかった。

「ああ……なんて甘露な味わいでしょう。程良い酸味と、
 まろやかな喉越しは、正に格別ぅ。国宝級のおいしさですわぁ」

やがて、雪華綺晶の唇に塞がれた巴の口内に、血の味がする唾液が
流し込まれてきた。
巴は、それを飲み下すことしか出来なかった。

生きることを諦めたくはない。
しかし、彼女の抵抗を嘲笑うかのように、状況は刻一刻と悪化していく。

蒸し暑く、息苦しい。
雪華綺晶と密着した肌が、じっとりと汗ばんでいた。


(桜田くん――)


幼なじみの彼を想い、胸の奥で、彼の名を呼び続ける。
それは、今まで何度もしてきたような片想いではなく、もっと切迫した、
救済を望む呼びかけだった。

(わたし、どうしたら良いの? ねえ、教えてよ、桜田くん。
 わたし、どうすれば助かるの? ねえ、答えてよ、桜田くん。
 いつまで、此処に縛り付けられなきゃいけないの?
 いつになったら、貴方の側に帰れるの?)

眦から溢れた涙が耳を濡らし、髪に吸い込まれていった。

(わたし、帰りたいよ。いつまでも、桜田くんの隣に居たいよ。
 だから、お願い…………早く、助けに来て。お願いだから。
 わたしを、この地獄から救い出してよっ!
 桜田くんっ! 桜田くんっ!! 桜田くんっ!!!)

雪華綺晶の腕の中で、巴はこの切望が叶えられることだけを祈り続けていた。