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地下室への入り口を求めて、屋敷内を探索しはじめて間もなく――
二階の廊下を歩いている最中に、薔薇水晶は足を止めた。
そこは、彼女の部屋と、雪華綺晶の部屋の、ちょうど中間付近。
片側は陽光が降り注ぐ大きな窓で、美しい庭を一望できる。
反対側には、大人二人が並んで全身を写せる大きな鏡が、燦々と光を放っていた。

「ここ……なんかしら? ヘンな感じがする」
「そうか? なんの変哲もない大鏡に見えるけどな。白崎さんは?」
「……ふむ。僕にも、桜田くんと同じ物が見えますねぇ」

腕組みして、首を傾げる二人を余所に、薔薇水晶は鏡を矯めつ眇めつしている。
そして、ふと――


「鏡……それに、窓ガラス……まさか、合わせ鏡?」

譫言を囁いたかと思った次の瞬間、彼女は鏡にぴったりと額を寄せた。
まるで、鏡を潜り抜ければ、別の世界に行けるとでもいうかの様に。
突然の奇行に面食らったものの、ジュンと白崎は黙って、彼女の様子を見守っていた。
鏡の中の薔薇水晶が、背後に立つ二人に、会心の笑みを送った。

「あったわっ! ここに、扉みたいなものがっ!」
「本当ですか、お嬢様!?」
「論より証拠よ。私と同じようにして見て。ジュンも」
「あ、ああ……」

薔薇水晶の気迫に圧倒されて、言われるままに、鏡に張り付く二人。
そして数秒の後、ほぼ同時に、彼らは首を横に振った。


「駄目だ。どう見ても、ただの鏡にしか見えない」
「残念ながら、僕にも鏡としか……。マジックミラーの原理を利用した仕掛けが、
 施されているのでしょうか?」

この屋敷は、建てられた明治初期から幾度か、補修に併せて内装を変えたという。
その際に、このマジックミラーを取り付けた可能性はある。
施工記録を見れば、すぐに判明するだろう。
だが、訊ねたジュンに、白崎は頭を振ってみせた。

「僕の知る限り、この鏡に関する記録は、残されていません。
 きちんと調べなければ判りませんが、建設当時から設置されたものかと」
「だけど……そんな物が、明治の頃に有ったんだろうか?」
「マジックミラーなんて言うから、特別な代物みたいに聞こえますが、
 原理さえ知っていれば、当時でも調達可能でしたよ」

マジックミラーとは和製英語で、本来はハーフミラーと言う。
その名のとおり、鏡とガラス、両方の特性を持っている。
普通の鏡はガラスに銀を蒸着しているが、ハーフミラーでは水銀を薄膜状に塗っているのだ。

「とにかく、調べてみよう! 開けられるかも知れない」

ジュンと白崎は、鏡の外縁を調べ始めた。
雪華綺晶でも開けられたのだから、壊さずに通り抜けることは可能だろう。
きっと、道具は不要。腕力も、大して必要ない筈だ。


程なく、鏡をスライドさせることに成功して、50センチほどの隙間を確保した。
その奥には、古めかしいアコーディオン式のシャッターが、ひっそりと佇んでいる。

「これは驚きました。見取り図では螺旋階段だったのですが――
 まさか、エレベーターに改装されていたなんて」
「錆びて老朽化したから、変えたんじゃないのか?」
「ふむ……桜田くんの言うとおりかも知れませんね」

驚いたなどと言っているが、白崎の態度に、動揺は見受けられない。
いつもの飄々とした印象を崩さず、隠し扉を潜ると、エレベーターを調べ始めた。
続いて入った薔薇水晶が、彼の背に問いかける。

「白崎さんでも、いつ施工したのか知らなかったの?」
「ええ、お嬢様。鏡の件でも言いましたが、施工記録は残されていません。
 古めかしい造りですから、大正時代ぐらいに設置された可能性が高いですね」
「とにかく、早く降りてみよう」

言って、ジュンが苛立たしげにエレベーターのボタンを押したものの、反応は全くない。
緑青の浮いたシャッターを力尽くで開き、縦坑を覗き込むと、
階下で停止しているのが、朧気に見えた。
「柏葉! 雪華綺晶!」試しに二人の名を呼んでみたが、下からの返事は無い。

「降りるにしても、下は暗いようです。
 それなりの準備をしてから降りないと、危険ですね。ちょっとお待ちを」

そう言うと、白崎は装備を整えるため、足早に階下へと消えていった。



工具箱と、大型の懐中電灯を携えて戻った白崎は、再び縦坑の前に立った。

「それにしても、奇妙ですね。
 最初から今の状態だったのなら、雪華綺晶様も下へは降りられない理屈です。
 最後に使った者が動力を切ったならば、この階で停止していなければ、おかしい」
「お姉ちゃん達が下に降りた後で、電源にトラブルが起きた可能性は?」
「考えられなくもないな。これじゃあ、降りようがない」
「お二人とも、ご心配なく。僕が下に行って、電源系を調べてきましょう。
 これでもフリークライミングなどの経験がありますので」

言うが早いか、白崎は黒い革手袋をはめて、タキシードの上着を脱ぎ捨てた。
工具箱から小型のペンライトとドライバーセットを取り出し、ベストの胸ポケットに納める。
そして、身軽な仕種で、エレベーターのワイヤーに飛び付いた。

「桜田くん。すみませんが、僕が下に降りるまで、ライトで照らしていて下さい」
「あ、ああ!」

ジュンが持つ懐中電灯に照らし出された縦坑を、白崎は慎重に下っていった。
落差十メートル弱とはいえ、滑落したら、ただでは済まない。
ひとつ間違えば、首の骨を折ってしまいかねないのだ。
上で見守るジュンと薔薇水晶の額にも、冷や汗が滲み出していた。


永遠にも思える数分が過ぎた頃、到着を知らせる白崎の声が上がってきた。
そして、五分と経たずにエレベーターが唸りをあげ、彼を運んでくる。
今もって使用可能な状態であることは、これで証明された。
小さく軋んで、静かに停止したエレベーターの中で、白崎は硬い表情をしていた。


「下で、見付けました」そう言って、白崎が差し出したモノ――――
それは、女性の靴と、ポーチだった。靴は、二足。
ジュンの隣で、薔薇水晶が「ひっ!」と息を呑み込んだ。

「こ…………この靴……お姉ちゃんのっ!!」
「こっちのは、柏葉の靴だ! それに、このポーチも!」

ジュンには、直ぐに判った。それは彼女との、思い出の品。
彼が、普段の感謝のしるしとして、巴に買ってあげた靴だった。見間違える筈がない。
愕然と靴を凝視する二人に、沈痛な面持ちの白崎が、重い口調で報告した。

「エレベーターの前に、作動キーと共に投げ捨ててありました。
 お嬢様の見た夢は、やはり、現実だったようですね」
「……そんな…………ああ、どうしよう……」
「落ち着けって。とにかく、僕は白崎さんと下に降りる。
 薔薇水晶は、ここに残っているんだ」
「そんな……私もっ!」
「いいえ。桜田くんの言うとおりにした方がいいでしょう。
 下は、暗くて危険ですから」

それは言い訳だった。白崎としては、薔薇水晶を同行させたくなかったのだ。
何故ならば、凄惨な光景を目の当たりにするかも知れないから。
姉の変わり果てた姿を見せずに済むなら、そうさせてあげたかった。

先に乗り込んだジュンに続いて、白崎が工具箱を手に、エレベーターに乗る。
そこへ、彼らの配慮を完全に無視した薔薇水晶が、飛び乗ってきた。

「置いてきぼりなんて、イヤッ! 私も行くったら、行くんだからっ!」

こうなると強情な娘であることを熟知している白崎は、苦笑して頭を掻いた。
そして、ジュンと顔を見合わせ、困ったように肩を竦めた。

「……やれやれ。仕方がありませんね」
「それじゃあ、一緒に降りよう」

ここで揉めていても埒があかない。三人は一緒に、地下へ降りた。
エレベーターが停止するなり、逸る心を抑えきれないジュンは、ライトを手に先行した。
前方の床を照らした光芒の中に、白い紙切れが浮かび上がる。

駆け寄って見ると、重厚な扉の下から、トイレットペーパーが飛び出している。
しかも、何か書いてあるではないか。
ジュンは屈み込んで、明かりを向けた。


  桜田くん

  わたし 柏葉巴は あなたのことが 大好きです

  今も――

  そして これからも ずっと――

  あなただけを あいしています  

  会いたいな 大好きな あなたに

  きっと また会えるよね 


そう書いてあった。
大切な幼なじみ。
大好きな彼女から貰う、初めてのラブレター。
ジュンは胸の張り裂けそうな想いに駆られて、扉に縋りつき、開けようとしていた。
でも、開かない。押しても引いても、びくともしない。
焦れて「なんで開かないんだよ」と毒突き、気付けば、拳を叩き付けていた。

「柏葉っ! おい、柏葉っ! 中に居るんだろ?  開けろよ! ここを開けろっ!」

彼の、血を吐くような叫びにも、室内からの返答はない。
どれだけ怒鳴り、扉を殴っても、内側から叩き返されることは無かった。

「お願いだ!! 扉を開けてくれ! 顔を見せてくれよっ!」

いつしか、汗とは違う液体が、ジュンの頬を濡らしていた。
切望を叶えられない非力な自分に対する、悔恨の涙。
あの頃――引きこもっていた自分に呼びかける巴も、こんな心境だったのだろうか。
ジュンの胸に残る古傷がズキズキと疼き、激しい痛みへと変わっていった。


「頼むよ…………会いたいんだよ…………柏葉に……」

泣き叫んだことで、急激に体力を消耗したジュンは、鉄扉の前でへたり込んでしまった。
小走りに駆け寄ってきた薔薇水晶が、彼の肩に手を置き、労るように支える。
彼らの頭上で、古びた蛍光灯が頼りなげに点滅して、灯った。


「地下室の配電盤を調べたところ、ブレーカーが落ちていました。
 古い建物ですから、雨が染み込んで、ショートしたのかも知れませんね。
 おや? どうしました、桜田くん。具合でも――」
「白崎さん! お姉ちゃんと巴ちゃんは、この扉の向こうに閉じこめられてるみたいなの。
 だけど……開けられなくって」
「本当ですか! ちょっと、見せてください」

薔薇水晶に引き離されたジュンと入れ替わりに、白崎が鉄扉の前に陣取る。
そして、ベストの内ポケットからペンライトを取り出し、調べ始めた。

「……施錠されてますね。なのに、こちら側には鍵穴がない。
 この鍵は、内側からしか開けられない仕組みらしいですね」
「えっ? じゃあ、もう扉を開けられないの?!」
「鍵を開けることは不可能です。
 ――が、扉をこじ開けることなら出来るでしょう」

白崎は、絶望に表情を暗くした二人を見て、力強く頷いた。
工具箱から鑿と金槌を取り出すと、鍵の隣のレンガを、かつかつと鑿で指し示す。

「屋敷の基礎部分は、建造当時のレンガ積みですから、鉄筋は入っていない筈です。
 鍵が引っかかる部分だけ壊してしまえば、扉を開けられるでしょう」
「だったら、白崎さん。僕に――やらせてくれっ!
 僕の手で柏葉を救い出したいんだ。お願いしますっ!」
「私からも、お願い。ジュンに……ジュンの気の済むように、させてあげて」

並んで頭を下げる二人に、白崎は苦笑しつつ、道具を差し出した。

「解りました。ですが、無理はしないで。ここは、酸素濃度が薄いようです。
 疲れたのなら、いつでも交代しますから」

礼を言って、ジュンは白崎の手から道具を受け取り、喜び勇んで壁を壊していった。
心に思い浮かべるのは、巴のことだけ。
彼女は、暗い闇に閉じこめられていたジュンの心を、救い出してくれた。
だから、今度は自分が巴を助け出す番だと、張り切っていた。

彼女の、はにかんだ微笑みを見つめたい。
華奢な身体を、両腕一杯に包み込んで、壊れるほど強く抱き締めたい。
募る想いを金槌に込め、鑿に叩き付けた。

(待っててくれ、柏葉。きっと、僕が助けるから)

心の片隅では、もしかしたら……という悪い予感が、闇となって沈滞している。
こんなに喧しくしているのに、室内からの応答は全くない。
それは、つまり――

(くそっ! くそっ!)

ジュンは、それを打ち消すように、腕を振るい続けた。
不安や畏怖を道具にぶつけ、レンガと共に砕いて、取り除いてしまいたかったから。
ただ無心に、一個の掘削機械になりはてて、一定の動作を繰り返す。
鑿と金槌が、百年以上も前に造られたレンガを穿つ。
何十、何百と、その音だけが長く尾を引きながら、虚しく谺し続けていた。


そして、遂に……鉄扉の鍵が食い込んでいたレンガ部分は貫通し、
室内から、裸電球とおぼしい儚げな光が漏れてきた。

「やったっ! やったぞ、柏葉っ!」

ジュンは歓声を上げるや、辺り構わず道具を投げ捨て、肩から鉄扉にぶつかっていった。
もっと重いだろうという彼の予期に反し、鉄扉は軽々と開く。
肩透かしを食って蹌踉めきながら、ジュンは室内に踏み込んだ。

「柏葉っ! 柏葉っ! どこだっ!」

叫んだ声が、狭い地下室に響きわたる。
その余韻が残る空間で、ジュンは“それ”を眼にして、愕然と立ち尽くした。
彼に遅れて、鉄扉を潜ってきた二人も、同様。
二つの異様なるモノに目を奪われ、言葉を失い、動揺していた。


ひとつは、簡易ベッドに横たわる、雪華綺晶。
褐色の斑模様に染め上げられたドレスを纏って、彼女は瞼を閉ざしていた。
隣には、綺麗に身体のカタチどおり並べられた人骨が、一柱。
頭蓋骨だけが、有るべき場所ではなく、雪華綺晶の両腕に抱き締められていた。


とても、満足そうに。
とても、幸せそうに。
微笑みながら、雪華綺晶は永久の眠りに就いていた。


そして、もうひとつは――
薄汚れた漆喰に、褐色の絵の具で大きく描かれた、写実的な肖像画。
モデルは、柏葉巴その人だった。

やや斜を向いた顔。
人の顔は、右側から見たときと、左側から見たときで、印象が変わるという。
何故ならば、完全な左右対称ではないからだ。
巴の場合は間違いなく、左の横顔の方が魅力的だった。

下がり調子の眉と、穏やかに細められた双眸。
目元を飾る、印象的な泣きぼくろ。
強張っているようで、弛められているようにも感じられる頬。
僅かに開かれた、可愛らしい唇。
どこか、モナ・リザを彷彿とさせる構図。


憂いを含んだその表情は、見ようによって微笑んでいる風でもあり、
また、落涙する寸前を切り取ったかの様でもあった。
彼女の背後には、遠近法を応用して、二本の木が描かれている。
おそらくは、創世記の記述にある『生命の木』と『知恵の木』なのだろう。
楽園を追放された女神が、産まれた場所への帰還を果たした……という表現か。
それとも、不死と完全性の代名詞として、描き添えられただけなのか。
真意を作者に質すことは、もう出来ない。


ひとつだけ確かなことは、この絵が半永久的な生命を持っている――と言うこと。
一年を通じて温度や湿度が一定していて、酸素が薄く、紫外線による劣化を受けない地下室は、
絵画の保管場所として理想的といえる。
この地下室が取り壊されないかぎり、無窮の時を越えて保存され続けることだろう。
ラスコー洞窟の壁画が、一万五千年を経てなお現存するように。


巴はこの闇で、寂しげに微笑み続けるのだ。
人知れず、永遠に――――


憑かれたように、三人は絵から目を逸らせずにいた。
ジュンと薔薇水晶に至っては、心ここにあらず……といった感じだ。
まるで壁の中に広がる絵の世界に、魂を吸い込まれてしまったかの様に、
言葉もなく立ち尽くしている。


どれほどか経って、やっと、白崎が掠れた声で呟いた。

「この状況から察するに……多分、これは雪華綺晶様が仕組んだことなのでしょう。
 靴や荷物をここに隠し、柏葉さんを監禁して……」

流石に、白崎はその先を言い淀んだが、この状況を目の当たりにすれば、
密室で何が行われていたか想像するのは容易い。
雪華綺晶のドレスを染めているのは、紛れもなく、乾いた血液の色。
彼女が添い寝している人骨は、この場から消え去った、もう一人の娘に相違ない。


「あ……ああぁ…………こんな、ことって……」

薔薇水晶は両手で顔を覆って、泣き崩れた。
ベッドのそばまで歩み寄ったジュンも、変わり果てた巴を見て、立ち尽くしている。
間に合わなかった不甲斐なさ。助けられなかった悔恨。
ジュンは堪えきれずに肩を震わせ、痛哭した。

独り、絵を眺めていた白崎は、ふと、床に転がっている黒い塊を見付けた。
それらを幾つか拾い上げて、重い息を吐く。

「こんなものを絵筆代わりにして、描いたのですね。そして、絵の具は――」

彼の掌には、太さの異なる髪の毛の束が幾つか、載せられていた。
例外なく黒髪で、褐色の付着物によって、ガチガチに固まっている。
絵筆は、巴の髪。絵の具は、巴の血液。
彼女の全てを用いて描かれたこの絵は、正しく、柏葉巴の化身と呼べるだろう。


狭い地下室に、ジュンと薔薇水晶の嗚咽が響く。
それも、彼らが泣き疲れるに従って、次第に弱まり……
やがて、しゃくり上げるだけとなった。



訪れた沈黙。耳が痛くなるような静寂。
ジュンは、泣きすぎて嗄れた声で、ポツリと言った。



「……警察に……報せなきゃな」