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彼の一言は、薔薇水晶の肩を震わせた。
彼女の心に芽生えていた恐怖を、爆発的に成長させた。


警察に通報され、全てが明るみに曝け出されたら――

雪華綺晶は、殺人犯にされてしまう。
そして、下賤なマスコミは、大げさに発表するだろう。
売り上げを伸ばすために、有りもしない尾鰭を付けるかも知れない。
『同級生を食い殺した鬼女』とか、センセーショナルな見出しを付け、
愛する姉を誹謗・中傷して、残忍非道な犯人像を仕立て上げないとも限らない。
そればかりか、薔薇水晶や彼女たちの父まで晒し物にされてしまうかも……。


そうなったら、おしまいだ。
もう、学校に行けないどころか、この町には住んでいられない。
父は職を奪われ、彼女たち親子は、世間から存在を抹殺されるだろう。
どこに逃げても、いつ真相が発覚するかと怯えながら、暮らさねばならない。
気の休まる場所など、どこにも無く、人並みの生活すらできない。


――イヤ! そんなのイヤ!


薔薇水晶は、携帯電話を操作するジュンに縋り付いた。

「ダメっ! 止めて、ジュンっ! 警察には報せないでっ!!」
「なっ?! なにを言い出すんだ、薔薇水晶っ。二人も死んでるんだぞ!
 雪華綺晶の遺体だって、このままには出来ないだろ?」

薔薇水晶は、これが女の子の腕力なのかと驚くほどの勢いで、しがみついてくる。
あまりの意外さに振り向いたジュンは、狂気を貼り付かせた薔薇水晶と、
顔を合わせることとなった。

「止めてっ! お願いだから、止めてっ! お願いっ!!」
「嫌だっ! 柏葉を、このままには出来ない。
 僕は柏葉を、ここから連れ出す! そのために来たんだからな」

言って、ジュンは薔薇水晶を突き飛ばし、警察に電話をかけ始めた。
はじき飛ばされ、尻餅をついた薔薇水晶は、白崎に背中を支えられながら、
その様子を茫然と眺めていた。

「……ダメか。やっぱり地上に出ないと、電波が届かないな」

ジュンは苛立たしげに舌打ちして携帯電話を折りたたむと、もう一度、
雪華綺晶の亡骸と、柏葉巴の変わり果てた姿を一瞥する。
そして、小さな声で呟く。「待ってろ、柏葉。いま出してやるからな」

鉄扉に向き直り、歩を進めるジュン。
言葉なく、その背中を見つめていた薔薇水晶は、不意に身体を戦慄かせた。
このまま彼が出ていくのを見過ごしたら、地獄のような日々に突き落とされる。
そんなことは絶対にイヤ。苛められ、苦しめられるのは、もう沢山。


ならば、どうする?
単純な理屈だ。彼を引き留めればいい。もしくは、通報できなくすれば……。
手段を講じる薔薇水晶の視界に、デッキブラシが飛び込んできた。

(ジュンを止めなきゃ――)

いま、彼を行かせる訳にはいかない。なんとしても、足止めしなければ。
白崎を押し退け、跳ね起きた薔薇水晶は、俊敏な動きでデッキブラシを拾い上げると、
気配に気付いたジュンが振り返るより早く、頭めがけて、それを振り抜いていた。

生々しい音と、鈍い衝撃。宙を舞う、メガネ。
彼の手からこぼれ落ちた携帯電話が、乾いた音を立てて跳ねた。


ひと言も――呻き声すら上げることなく、ジュンの身体は崩れ落ちていった。
倒れる途中、簡易ベッドの端に側頭部を打ち付け、床に突っ伏す。
ひくん……ひくん……と、痙攣している。
ジュンの頭を中心にして、粘りけのある深紅の液体が、広がり始めていた。

「お、お嬢様っ?! なんて事を――」

いきなり繰り広げられた凶行に、白崎は切れ長の瞼を見開きながらも、
素早く薔薇水晶に飛びかかり、羽交い締めにした。
だが、彼女はデッキブラシを振り回して暴れるどころか、何ら抵抗の意志を見せなかった。
小刻みに痙攣しているジュンを見下ろし、ただ、薄ら笑っているだけで。

白崎は一応の用心に、薔薇水晶の手から得物を奪い取って、部屋の隅へと放り投げた。
それから、徐に屈み込んで、ジュンの容態を確認し始めた。
当たり所が悪かったのか、それとも倒れた際に頭を強打したのか、瞳孔が開いている。
見開かれた瞳は、意志の輝きを宿していない。
呼吸も、脈も、停止状態。
なにより恐ろしいことに、彼の頚は、妙な角度に捻れていた。


つまり――

「桜田くん…………死んでいます」

白崎が静かに宣告すると、薔薇水晶は雷に撃たれたように、ビクンと背を伸ばした。
彼女にとっては、それが正気に戻る合図だったのだろう。
狂気の笑みを浮かべていた口元は、今や小刻みに震え、歯の鳴る音が漏れていた。

「あ……ああ…………わ、私っ」


薔薇水晶は小さくイヤイヤをして、両手で頭を抱えた。
ただ、彼を引き留めたかっただけ。
説得に応じて、思い留まって欲しかっただけ。
殺してしまおうなんて、これっぽっちも考えていなかったのに――

これで、自分も咎人。姉妹そろって殺人者。
もう、希望も夢もない。華やいだ生活は、既に過去のもの。
未来を切り開く原動力として、大切に温めてきた希望は、
将来を愁えて、自ら道を閉ざす衝動にもなり得る絶望と、表裏一体だった。

いつ真相がバレてしまうのかと不安に思い、人々の日常会話にすら恐怖を覚えながら、
これからの一生を、罪の意識に苛まれ続けるのだ。
それが、どれほどの苦痛を伴うかなど……想像すら出来ない。


  死のう。

結論は、すぐに出た。あとは、手段のみ。
部屋をぐるり見回す瞳に、鉄扉の側に転がる鑿と、工具箱が映った。
あれで喉を一突きにすれば、死ねるだろうか。
工具箱の中に、カッターでも入っていないだろうか。

よろよろと歩き始める薔薇水晶。
様子がおかしいと気付いた白崎は、落ちている鑿を掴もうとした彼女の腕を掴み、
力任せに引き戻した。
その途端、今までの緩慢さが嘘であったかのように、薔薇水晶は激しく暴れ出した。

「待ちなさいっ! そんな物を拾って、なにをするつもりですか」
「イヤッ! 放して、白崎さんっ! もうイヤなのっ!」

喚き、振り回された彼女の手が、白崎の顔を打ち、眼鏡を弾き飛ばした。
けれど、白崎は薔薇水晶の腕を手放さず、その場に引き留めていた。
 
「もう生きてたって仕方ないの! 死なせて! お願いだから、死なせてよぉっ!」
「お嬢様っ!」

白崎の怒鳴る声を追いかけて、小気味よい破裂音が、狭い室内に響いた。
撲たれた頬に手を当てた薔薇水晶の目から、ぽろぽろと涙が零れる。
萎れた薔薇のように、肩を竦めて小さくなった彼女を、白崎は徐に抱き寄せた。
そして、慈愛に満ちた手つきで彼女の髪を撫で、優しい声で語りかけた。


「撲ったりして、すみませんでした。けれど、このくらいしなければ、
 僕の話を聞いてもらえそうになかったものですから」
「…………私の方こそ…………ごめんなさい」
「いいのですよ。それより、これからの事ですが――」

ビクッ! と、身を強張らせ、縮こまった薔薇水晶を勇気づけるように、
白崎は抱き締める腕に力を込めて、自信に満ちた口調で告げた。


「全て、僕に任せてください。巧く処理すれば、なにも問題にはなりませんよ。
 そう――――何も、ね」





その日の深夜――

被害者たちの涙かと思える雨が、路面を叩き、地に染み込んでいく最中、
白崎と薔薇水晶は、誰にも見咎められることなく、車で屋敷を出た。
雪華綺晶とジュンの亡骸は、後部座席に横たえ、毛布を被せてある。
助手席に座る薔薇水晶の足元には、巴の遺骨を納めた木箱が、安置されていた。
今では、薔薇水晶もすっかり落ち着きを取り戻している。
罪悪感は薄れずとも、死体を遺棄することに、なんの躊躇いもなくなっていた。
殺人犯になる恐怖から逃れられる安堵の方が、彼女にとっては最重要だったのだ。


彼らが向かった先は、別荘が点在する山奥の避暑地。

「ここに埋めるのね。でも、見付かっちゃわないかな?」
「雪華綺晶様と柏葉さんが失踪した時に、警察はこの付近も捜索しました。
 その際には、遺留品など何も発見されなかったので、あまり重視はしないでしょう。
 なにより、僕らはまだ、犯人と見なされていません」
「そうだけど……私たちが、こんな夜更けに別荘を訪れた事が知られたら――」
「後方に注意していましたが、追跡する車両はありませんでしたね。
 それに、この雨がタイヤの痕跡を消してくれます。ボディーに付着した泥は、
 明日にでも洗車して、完全に流しておきますよ。勿論、車内の清掃も念入りにね」
「それじゃあ――」
「とにかく、急ぎましょう。今夜の内に帰らねば、元の木阿弥ですから」

小雨の降りしきる深夜、別荘の裏庭に二人で2メートル近い、深い穴を掘った。
そのくらい深く埋めなければ、野生動物に掘り返されてしまうためだ。
別荘の備品であるハシゴを使って、白崎が穴の底に、巴の遺骨を降ろす。

その次は、ジュンが納められる番だった。
薔薇水晶は、白崎に抱えられたジュンの青ざめた頬に、そっとキスをした。

「さよなら……ジュン。貴方のこと、ホントに大好きだったのよ。
 でも――もう一緒に居られないから…………ごめんなさい」

それが、餞の言葉。
白崎によって、彼が深く冷たい穴の底へと運ばれていく様子を、
薔薇水晶は瞬きもせずに、じっと見つめていた。

最後に、幸せそうな笑みを湛えた、雪華綺晶が運び込まれる。
最愛の姉に送る別れのキスは、色褪せた唇に――

「さよなら、お姉ちゃん。置き去りにするのは忍びないけど……
 ジュンと巴ちゃんも一緒だから、寂しくないよね?」
「そうですね。では、お連れしましょう」

湿った土の臭いに噎せながら、白崎は全ての亡骸を納め終えた。
薔薇水晶は、三人の上に、屋敷で摘んできたキンセンカの花束を投げ落として、
眼帯を外した。
そして、止めどなく、葬送の涙を手向ける。


ざくざく、ざくざく……と。
三人の姿が、完全に土で覆い隠されるまで、彼女は眼帯を外したままでいた。
全ての証拠が隠滅される有様を、しっかりと見届けるために。


全ての終わりを、双眸に焼き付けておくために。