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水銀燈は、今……なんて言った?
その言葉の、あまりの破壊力に、私の思考は一瞬で停止寸前まで追いやられていた。
思い返してみれば確かに、私の具合が悪くなりだしたのは、彼女と出会ってからだけど――
でも、俄には信じられない。信じろって言う方が、無理な注文だわ。

「ばっ……バカな冗談なんか言わないでよ。薔薇水晶が、私の病気の原因だなんて――どうして?」
「さぁねぇ。私に訊かれても知らなぁい。なにか、恨みを買うようなコト、してたんじゃないのぉ?
 気付かない内に誰かを傷付けてるって、よくある話よ」
「…………ウソよ! 薔薇水晶は、そんな陰険で性根の腐った娘じゃないわ!」
「信じる信じないは、お好きに。でもね、その焼売は、絶対に食べたらダメよ。
 食べようとしても、私が阻止するわ。今、めぐに死なれたら困るんだもの」

言うが早いか、水銀燈は私の手から焼売のパックを奪い取った。

「これは、私が処分しておくから。それと、薔薇水晶って子にも、会わない方が良いわよ」
「勝手に決めないでよ! 私が誰と会おうが、私の自由でしょっ!
 私は、彼女を信じてるの。貴女みたいな得体の知れない人より、ずっとね!」
「……それが、死期を早める愚行だとしても?」
「うるさいうるさいっ! もう聞きたくないっ! もう出ていってよ!」

がなり立てる私に、水銀燈は一瞬、悲しげな目を向けて、


「…………好きにすればぁ」


言い捨てると、そこはかとない哀愁を背に負って、病室を出ていった。
そして訪れる、沈黙。押し寄せる、哀惜の情。
独りの夜なんて慣れっこで、寂しくなんてない…………のに。

いつまでも変わらないと思っていた友情に浴びせられた冷や水が、心細さを募らせた。
……寒い。信じていると言っていながら、薔薇水晶に寄せていた友愛が、凍てついていく。
やがて、私の心は、冷たく綺麗な愛の氷と成り果てて……心臓が、きりきりと疼いた。




少しの間、微睡んでいたらしい。瞼が重くて、目がショボショボしている。

「……姫様。そろそろ、ご起床の時刻ですぅ」

聞き慣れた娘の声に、私は閉ざしていた双眸を見開いた。
徐に、身体を起こす。早朝の静けさの中、私が立てる、さらさらと衣擦れだけが響いた。
気配を察したのか、小さな軋みをあげながら、板戸が開かれる。

「姫様。昨夜は、よく眠れたです?」
「おはようございます、姫様」

庭を臨む廊下に正座しているのは、双子の侍女。翠星石と、蒼星石。
彼女たちは、私の身の回りの世話をするだけでなく、屋敷の庭を管理したり、
私の身辺警護もしてくれる。屋敷から殆ど外出を許されない私にとっては、頼もしくて、大切な友人たちだ。

「……おはよう、二人とも。よく晴れているわ。清々しくて、気持ちのいい朝ね」
「ふふぅ~ん。上機嫌なのは、ホントに天気のせいだけですぅ?」

翠星石は、にへら……と、いやらしく口元を歪めて、私に意味深長な流し目をくれた。
そして、ズバリと私の図星を突いてくる。

「今日は確か……水銀の君が、お屋敷に参られるですぅ」
「そうだったね。宮中で一目惚れして以来、姫様は、あの方にぞっこんだから」

双子の侍女は、物知り顔を見合わせて目を細め、うんうんと頷いた。
変だわ。私は一言たりとも、あの方への想いを口外した憶えが無いんだけど――
侍女として、日がな一日、側仕えしていると解る物なのかしらね。

まあ、いいわ……それよりも、早く着替えて――目指せ、あの人の隣っ!



二人の手を借りて、十二単を纏った私は、燦々と朝日が降り注ぐ庭を眺めながら、
翠星石に髪を梳いてもらっていた。草木の枝を揺らして吹き込んでくる風が、汗ばんだ肌に心地よい。

「少し髪も伸びてきたし、また、蒼星石に切り揃えて貰おうかしらね」
「切るなんて、勿体ねぇです。姫様の黒髪は、こんなにも艶やかなのですから」
「そう? 私は、貴女たちの栗色の髪も好きよ。蒼星石も、髪を伸ばせばいいのに」
「ボクは、短い方が好きなんだよ。涼しいし、庭仕事の邪魔にならないからね」

なんて、他愛ないお喋りをしながら、私は広い庭に生い茂る草木に目を向けた。
私の父は、大納言。正三位の官位で、いわゆる公卿だ。
屋敷も、権勢に相応しい大きさを誇り、使用人も数多。私は不自由ない生活を約束されている。
でも……それは虚飾。本当は、夢や希望もない。全てが父の言いなりで、自分の伴侶を選ぶ自由すら無い。
この無駄に広い屋敷は、私という人形を閉じ込めておく“鳥かご”に他ならなかったわ。
だけど、私は今まで、その習わしを普通と思い、疑いもしていなかった。

水銀の君に出会う迄は――


「ちょっと、庭に出てみたいわ。翠星石、蒼星石、手を貸して」

二人に手を引かれて、蒼い空の下に歩み出た。今日は一段と、日差しが強い。
季節は夏へ……十二単を着るには厳しい季節が、巡り来たのね。
ああ……暑い。私は装束の胸元を弛めて、掌で汗ばむ喉を扇いだ。
そんな私の痴態を、すかさず見咎める翠星石。

「みっともねぇ真似すんなですぅ。後でお叱りを受けるのは、私たちの方なのですから、
 自重して欲しいです。ほらっ! 蒼星石も、なんとか言ってやれです」
「う、うん……あのね、姫様。ふしだらな格好してると、鬼に攫われちゃうんだよ?」
「それって、都中の噂になってる、なんとか童子って魑魅魍魎ね」

今日、水銀の君がこの屋敷を訪れる理由も、鬼対策の防衛術を施すためだった。
そろそろ、お見えになる刻限じゃないかしら。

私の見立ては当たったらしい。矢庭に、正門の方で、下男や下働きの女たちが騒ぎ始めた。
と、同時に、屋敷の中の空気が一変する。
細い指で首筋を撫ぜられて、身体中の力が、すっ……と抜き取られていくような、妖しい官能。
私しか感じないという、この独特の気配は、特別なお客様の来訪を告げる証。
父の名代として出迎える私に、いつでも微笑みを向けてくれる、あの方が来てくれたのね。
早く会いたい。いつもと変わらぬ笑顔で、私の胸を、はしたなく高鳴らせて欲しい。

「行きましょ、二人とも」

居ても立ってもいられなくなって、私は侍女たちを促すが早いか、
庭の中央に在る池を迂回して、足早に正門へと向かい始めていた。


――そして、大きな松の下を、潜り抜けようとした時、異変は起こった。
目の前に、ひらひらと舞い落ちてくる、人間を象った紙片。
なんだろうと訝る間もなく、私の両肩に、ぼとり……と、何かが落ちてくる感触。
驚いて竦めた私の頸に、真っ白で大きな――私の背丈と同じくらいの――蛇が、
今しも巻き付こうとしていた。素早く人型の紙片に噛み付いた大蛇は、鎌首を擡げて、
私の方へと振り向いた。金色に光る蛇の眼と、私の視線が、ぶつかる。
その輝きは、以前に絵巻物で見た妖怪変化を彷彿させた。

「ひ、姫様っ! こぉんの蛇っ……離れやがれですっ!」
「姉さん、ボクに任せてっ!」

翠星石が手刀で払い除けてくれた蛇に向かって、剪定鋏を手にした蒼星石が、
間髪入れずに斬りかかった。大蛇は彼女の鋭い斬撃を躱すべく、空中で器用に身を捩る。
だが、やはり全てを躱しきるのは不可能だった。
鋏の切っ先が身体の一部を掠めたらしく、大蛇はビクリと躍動すると、
そのまま力無く地面に落ちて、動かなくなった。

蒼星石は、身動きを止めた大蛇の頭めがけて、トドメとばかりに剪定鋏を振り下ろす。

「待って――」

私は、蒼星石の腕にしがみついて、惨劇の幕を開かせなかった。
たとえ蛇であっても、流れる血は赤い。私には流血を愉しむ趣味なんてないし、
小さな命が失われていく様子を平然と眺めていられるほど、冷酷にもなれない。
なによりも、水銀の君が訪れる場所を、血で汚したくなかった。

「もう良いわ。私も、危害は加えられてないから」

見れば、大蛇の胴には傷が無い。鋏が掠ったと見えたのは、眼の錯覚だったのかしら?
これなら、怪我が元で死んでしまうこともないだろうと、安堵したのも束の間――

大蛇の左眼に刻まれた斬り傷を目にして、私は反射的にハッと息を呑んでいた。
やはり、私の見間違いなんかじゃなかったのね。
大蛇は暫くの間、竦み上がっている私を睨め付けていた。
まるで…………仇敵を、その金色の瞳に焼き付けているかの様に。

「こいつっ! いつまで居座ってるです! さっさと逃げやがれですっ!」

柄杓を手にした翠星石に池の水を引っかけられると、大蛇は見た目からは想像できない俊敏さで、
垣根の外へと這い出していった。あの様子なら、命に別状は無さそう。

「本当に、逃がしても良かったの、姫様? あんなに大きな白蛇が、こんな人里近くに潜んでいるなんて、
 不自然この上ないよ。或いは、あの大蛇こそ、鬼の手下だったのかも――」
「良いのよ、蒼星石。仮に、また襲ってきたって、今度も麗しき乙女たちが護ってくれるでしょ?」

それどころか、もしかしたら水銀の君が屋敷に泊まり込んで、不寝番をしてくれるかも知れない。

私の寝所で…………あの方と二人っきり…………。
恋はあせらずって言うけれど、そんな状況になったら、理性を保っていられる自信がない。
想像したら、なんだか、身体が火照ってきちゃった。いやん♪




「めぐちゃんっ! めぐちゃんっ!」

激しく身体を揺さぶられて、私は訳の分からない状況に引き戻された。
緊急停止した思考が、再起動するまで、およそ五秒。
それから更に三秒ほど経過して、やっと現状が理解できた。

つまりは、いつの間にか眠っていて、今まで平安貴族になった夢を見ていたところを、
看護婦の蒼星石さんに叩き起こされたってワケね。
なんか、ちょっとだけ、寝覚めが悪いわ。

「めぐちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」
「……苦しゅうないでおじゃる」
「え?!」

なっ、なに似非平安貴族みたいな喋り方してるのよ、私はっ!
あ、そっか。変な夢を見たから、頭が混乱してるのね。きっと、そうよ。

「う、ううん。何でもないの。だけど、もう少し寝かせといて欲しかったなぁ」
「でも……様子を見に来たら『いやん♪ いやん♪』って魘されてたから」
「はあっ?! え、えっと……ソレはね。世界水泳の応援してる夢みてたの」
「ああ、なるほど。イアン=ソープだね」

取り敢えず、巧く誤魔化せたみたい。蒼星石さんがオトボケキャラで助かったわ。
私は彼女に体調の異常がないことを告げて、丁重にお引き取り願った。



窓の外に広がる青空には目もくれず、私は今朝の夢について、考えを巡らせていた。
最近、妙な夢を見る回数が増えてるわ。それも、やたらと水銀燈がらみの……。

(もしかしたら、私――)

水銀燈のコト、かなり気に入っちゃってるのかな?
あんな最悪の出会いで、嫌悪感すら抱いていたのに、今では……とっても身近に感じてる。
この、薔薇の指輪を填めているせいで、一蓮托生の気分になってるだけかも知れない。

ともあれ、真実を究明する為には、ひとつでも多く仮定を捻り出すことが重要だわ。
それが、目に見えないものならば尚更よ。仮定無くして学問は確立しない。
仮定と証明の試行錯誤が、英知という新たな道標を示し、さらなる躍進へと賢者たちを誘ってきたわけ。
それら偉業の連鎖が、過去の偉人たちによって成し遂げられてきたから、現代の科学が存在しているのよ。
自分でも何が言いたいのか解らなくなってきたけど、つまり、仮定には証明が付き物ってこと。

「水銀燈の夢を見る理由――かぁ。そう言えば、夢は現実世界の継続だって、聞いた憶えがあるわ」

夢が実体験の投影ならば、私が見た夢も、また……実際の体験だったのかも。
突拍子もない発想だけれど、私の深層心理に僅かながら残っていた前世の記憶が、
眠っている間に呼び覚まされて、戻り得ぬ記憶を辿るのだとしたら――

「……私は、大納言の娘で、屋敷から出ることを許されない箱入り娘だった……と」

そして、現在は個室に閉じこめられている病人だなんて、笑える符合ね。

ひとつ類似点が見付かると、私の中で芋蔓式に、関連づけが進められていった。
水銀の君と、水銀燈の名前の重なりも、ただの偶然と割り切って笑い飛ばせなくなる。
夢の中で見た、左目を負傷した白蛇と、薔薇水晶の眼帯も、繋がりがあるように思えてくる。
私を取り巻く全ての事象が、夢で見た私の過去との因果を感じさせた。



不意に、病室の扉がノックされる。そして、私の返事も待たずに、彼女が入ってきた。

「おはよ、めぐちゃん。今日も元気そうだねっ♪」

彼女は無邪気に微笑みながら、ベッドに近付いてくる。害意なんか、全く感じられない。
私と薔薇水晶の仲を羨んだ水銀燈が、嘘を吐いたんじゃないかとさえ思えてしまう。
けれど、そう思っても尚、拭いきれない疑念が、私の心に芽生えていた。

「? めぐちゃん……なんだか、怖い顔してる。もしかして、私が来るのは迷惑?」

無意識のうちに、私は表情を強張らせていたのだろう。薔薇水晶は不安げに眉を顰めていた。
迷惑だなんて、これっぽっちも思ってない。それは本心。
でも、水銀燈の台詞が、私の心に重くのしかかっているのも事実。
昨夜の、あの一言で、私の中にある二人を載せた天秤は釣り合ってしまった。
そして現在進行形で、水銀燈の方に傾きつつある。その変遷は押し留め様がない。

今のところ、水銀燈は、私の死を望んでいない。私の生きた心臓を欲しがっているんだものね。
薔薇水晶の差し入れを取り上げたり、会うなと忠告したのも、偏に私を死なせたくないから。
そう解釈してしまうと『薔薇水晶が病気の原因』という言葉の信憑性が、私の中で一気に高まった。
薔薇水晶は私にとって、天使に等しい存在だったのに……おかしいね。

「……迷惑どころか、とっても嬉しいわよ。でもね、学校には、ちゃんと行って欲しいの」

なのに、露骨な拒絶を口にする勇気もなくて――

「病気が治るまで、私は此処に居るからさ。無茶をしないで、貴女の人生を大切にしてよ。
 私なら大丈夫。だから、週末の時間がある時に、会いに来てちょうだい」

私の唇は、当たり障りのない、在り来たりな台詞を紡ぎ出す。
自分の優柔不断さに、軽く自己嫌悪。だけど、やっぱり、薔薇水晶を拒絶するなんて出来ない。
たとえ、命の炎を灯す蝋燭が、秒単位で短くなり続けているとしてもね。

私に疎まれていないと判って、一度は屈託なく笑った薔薇水晶だったけれど、
力無く微笑む私を見て、またぞろ表情を曇らせた。
私の些細な変化で、こうも一喜一憂してくれる心の優しい娘が、
私の命を削ぎ落としているなんて信じられない。水銀燈の勘違いじゃないのかしら。

――そうよ。
どうして、その可能性を考えなかったんだろう。彼女の言うことが確かである証拠は無いのよ。
まして、彼女は一昨日まで生首状態だったんだもの。感覚が鈍っていることだって――
一縷の救いを見出した気がして、私の心に蟠っていた重石が、急速に消滅していく。
例えるなら、土砂降りの雨の中、雨宿りする軒下で、雲間から差し込む陽光を眺めた時の気分。

が、安堵したのも束の間。何の予兆もなく、私の身体に異変が生じた。
誰かの指先が、私の髪を潜り抜けて、首の後ろを泳ぎ回っている。襲い来る脱力感。
誰?! 悪ふざけは止めてっ!
叫びたくても、お腹に力が入らず、声が出せなかった。

「ど、どうしたの、めぐちゃんっ?! 具合……悪いの? か、看護婦さん呼ばなきゃ」
「……平気よ。大丈……夫だか、ら」

私は気力を振り絞って、それだけを伝えた。実際、脱力感だけで、痛みは無い。
この程度のことで変に大騒ぎされた挙げ句に、有象無象が集まってくるのは煩わしかった。

「と、とにかく、横になって!」

薔薇水晶は、ひどく取り乱した様子で、私のベッドに駆け寄ってくる。
そんなに慌てなくたって、さよならは突然に――なんて展開には、ならないわよ。

差し出される、薔薇水晶のほっそりした両腕。白い肌が眩しい。
健康美って言うのかな。私の肌みたいな、病的な白さとは、根本的に違う。
知らず、私は彼女の美しさに、羨望の眼差しを向けていた。

――が、不意に私の中で、薔薇水晶の白い腕と、夢で見た白蛇の姿が重なった。
何故かは判らない。ただ、白い蛇のように伸びてくる彼女の手が、どうしようもなく怖くなった。
このまま肩を掴まれてしまったら、私は――逝っちゃうのかな?

「きゃっ!」

薔薇水晶の手が、私の肩を掴む直前、バシッ! と音を立てて、強烈に弾かれた。
一体、何が起きたっていうの? 薔薇水晶も痛む手を押さえながら、訳が分からず茫然としている。
そして次の瞬間、驚愕のあまり瞬きすら忘れていた彼女の目が、更に見開かれた。

「気安く、めぐに触らないで」

壁の中から滲み出すように、水銀燈が――相変わらずの、看護婦の制服姿で――音もなく現れていた。
薔薇水晶の手を弾き飛ばしたのは、水銀燈の仕業だったのね。
それに、こんな昼間に平然と出てこられるほど、力が回復したみたいだし。

私の存在価値も、そろそろ無くなる。
そして、目の前の二人と交わした『約束』だけが、最後まで残される。

「まぁったく、油断も隙もないわねぇ。昨夜の内に、結界を用意しておいて良かったわ」
「貴女…………だぁれ?」

薔薇水晶は、私が今まで見たこともない鋭利な眼光で、水銀燈を見据えていた。
水銀燈の背後にいる私にすら、ひしひしと伝わってくる敵愾心。
こんなにも激しい感情を、彼女が放っているなんて……ウソみたい。
気のせいかも知れないけど、殺意すら込もっている様に感じられたわ。
これが本当に、あの薔薇水晶なの? 二人だけの合い言葉を語り合った頃とは、別人じゃないの。

私は今まで、表面的な彼女しか見ていなかったのだ。それを思い知らされ、打ちひしがれた。
一年以上も付き合ってきたのに、何してたんだろう……私は。情けないなぁ。

「貴女こそ、何者ぉ? 私のめぐに手を出すなんて、1000年早いわ」

水銀燈は、薔薇水晶の激情に圧された素振りも見せず、切り返す。
『私の~』という箇所に疑問を差し挟みたくなったけど、病室の緊迫感が、
私に喋らせてくれなかった。

「……亡霊の分際で、よくもヌケヌケと。めぐちゃんから離れてっ!」
「嫌ぁよ。この娘はねぇ、もう私のモノなの。なんと言われようが、もう手放さないわぁ」
「ふざけないで! 貴女が取り憑いてるから、めぐちゃんの具合は悪くなるのよ!」
「あらあらぁ……言うじゃなぁい。自分の事は棚に上げて、責任転嫁?
 散々、めぐを苦しめてきたクセにぃ」
「っ!!」

一瞬の、間。ちょっと――なんで、そこで黙るの? どうして反論しないの?
黙っちゃったら、水銀燈の言葉が真実だって、認めるようなものじゃない。
ねえ……嘘だと言ってよ薔薇水晶っ!

「貴女こそ、出て行きなさいよぉ…………疫・病・神・さん♪」
「?!」

薔薇水晶はキッ! と、せせら笑う水銀燈を睨み付けた。
それが、彼女に出来る、ささやかな抵抗だったのかも知れない。
怒りに身体を戦慄かせ、悔しそうに唇を噛んで……潤んでいく、金色の隻眼。

突如、薔薇水晶は踵を返して、病室を飛び出していった。『さよなら』も『また来る』の一言も無いままに。
勝ち誇る水銀燈の背中に威圧されて、私は――――
薔薇水晶を追いかけることが、出来なかった。