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ベッドに入ってから一睡もできなかったというのに、頭は妙にスッキリしていた。
気怠さや、疲れも感じない。肌だって瑞々しくて、パッと見、荒れた様子はなかった。
これが若さなのかな? と蒼星石は洗面所の前で、小首を傾げてみた。
鏡の中の彼女は、不思議そうに、自分を見つめ返している。
そこに、昨夜の雰囲気――柏葉巴の影は、全く見受けられない。

今日、学校に行ったら……話しかけてみよう。
夕暮れの体育館で見た凛々しい姿を思い出しながら、もう一度、昨夜の決心を繰り返す。
おとなしそうな彼女だけど、果たして、呼びかけに応えてくれるだろうか。
人付き合いは、やはり、第一印象が大事。変な人と思われないように、気を付けないと。

蒼星石は、鏡の中の自分に、ニッコリと笑いかけてみた。
大きな期待の中に、ちょっとの不安を内包した、ぎこちない微笑み。
少しばかり表情が硬いな、と思っていると――

「朝っぱらから、鏡の前で何ニヤついてるです?」
「わぁっ! 驚かさないでよ、もぉ……」

いつから見ていたのだろう。
蒼星石は耳まで朱に染めて、ニタリと笑っている姉の脇をすり抜けた。



  第三話 『運命のルーレット廻して』



揃って朝食を済ませ、支度を終えた姉妹は、一緒に玄関を出た。
秋も深まり、日一日と風が冷たくなる時候ながら、今日は普段より暖かい。
小春日和の日射しに包まれていると、なんだか……
何年もそうしていなかったような、とても懐かしい気がする。

(姉さんも、ボクと同じ気持ちなのかな?)

ちらりと盗み見ると、翠星石は口に手を宛い、大きな欠伸をしていた。
しばしばと瞬いて、滲み出した涙を堪えている様子が微笑ましい。

「随分と、眠そうだね」

言ったそばから、姉の欠伸が移ったのか、蒼星石も大きな欠伸を放つ。
それを見て、翠星石は愉しげに目を細めた。

「蒼星石だって、他人のこと言えねぇです」
「……らしいね。シャワー浴びたせいか、あれから目が冴えちゃってさ」
「実は、私も――――ずっと眠れなかったですよ」

そう呟いて、隣を歩く妹に、咎めるような眼差しを向ける翠星石。

「蒼星石が、あんなコトするから……」
「はは……ごめん。そう言えば、姉さんってスキンシップに弱かったっけ」
「知ってるクセに抱きつくなんて……とんだ悪党ですぅ」


赤らめた頬を、可愛らしく膨らます姉の仕種は、しかし、長く続かなかった。
やおら真顔に戻ったかと思うが早いか、蒼星石の背中をバシンと引っ叩く。
照れ隠しのためとは言え、あまりの手加減のなさに、蒼星石は息を詰まらせた。

「い、痛いよ姉さん! 何するのさ」
「それでチャラにしてやるですぅ。さっ、気を取り直して、学校に行くですよ」
「……はいはい。とにかく、授業中に居眠りしないように、気をつけなくっちゃね」
「今日は土曜日ですから、午前中さえ凌げば大丈夫ですぅ」

答えた途端に、またぞろ大欠伸をする姉を見て、蒼星石は、ふっ……と口元を綻ばせた。
そして、こんな二人だけの時間が、もっと欲しいと思って――

「今日の午後、たまには二人で、パフェとか食べに行かない?」

翠星石を、遊びに誘った。彼女から誘うなんて、真夏に雪が降るくらいに、珍しいことだ。
だからこそ、彼女は翠星石が「はい」と頷いてくれるものと信じていた。
しかし、蒼星石の期待は、呆気なく拒否される。

「とっても嬉しいですけど……今日は都合が悪いですよ」
「そう……なんだ。残念だなぁ」
「ゴメンナサイです、蒼星石。この埋め合わせは、近い内に、きっとするです」
「別に、いいよ。気にしないで」

心底、申し訳なさそうに項垂れる彼女を、蒼星石は笑って宥めた。
けれど、二人の間に漂うギクシャクした空気は、学校に着いても薄れることがなかった。



学校に到着して、カバンを机に置くなり、蒼星石は隣のクラスに向かった。
昨日から頭を離れない彼女――柏葉巴と、一言でも話をするために。
HRが始まるまで、まだ十分ほど余裕がある。

(もう来てる頃だよね)

学級委員を務めるほどだ、遅刻するような問題児ではあるまい。
そう思って、教室の後ろの扉から、そぉっと様子を窺うと…………居た。
なんの偶然か、彼女が丁度、教室から出てくるところに鉢合わせたのだ。
巴は、蒼星石の姿を認めると、控えめに微笑んだ。

「おはよう。誰かに用事? 呼んできてあげようか」
「あ……おはよう、柏葉さん。ボクは……キミに会いに来たんだ」
「わたしに?」
「ちょっと、話がしてみたくてさ。今、少しだけ時間つくれる?」

問いかける言葉に、不思議そうな表情を浮かべる巴。その反応は、蒼星石の想定内だった。
体育の授業は隣のクラスと合同で行うから、二人は一応、顔見知り。
だけれども、今日に至るまで、交流を図る機会には恵まれていなかった。

「……ダメかな?」

蒼星石が不安げに訊ねると、巴はシンプルな造りのアナログ腕時計にチラと目を遣り、
「いいわよ」と、にこやかに応じた。


巴にしてみれば、なぜ今になって蒼星石が近付いてきたのか、その理由に興味があったのだろう。
クラスメートの視線を気にしてか、廊下に出た彼女は、後ろ手で教室の扉を閉ざした。
室内の喧噪は遮られ、話をする環境が整えられる。
巴は、背格好の似通った娘の双眸を、その鳶色の瞳で、ひた……と見据えた。

「それで、お話ってなぁに? 蒼星石さん」
「ボクの名前……知ってたの?」
「ええ。自覚してないみたいだけど、貴女は割と有名だもの」
「正しくは、ボクの姉さんが有名……でしょ」

姉と自分は、二人でひとつ。生まれながらにして、二人はいつも一緒だった。
別個の存在でありながら、一心同体。
蒼星石の半分は翠星石であり、姉の半分は妹で占められている。
そう。本来ならば、彼女たちは対等の関係である筈だった。

しかし、等しく浴びる筈だった陽光は、いつだって姉にのみ注がれてきた。
蒼星石の存在は、煌びやかに光り輝く姉の足元に落ちた影と同じ。
言わば、彼女の『おまけ』でしかない。名前を間違えられることも、しばしばだった。

(でも、ボクは――それがイヤじゃない)

寧ろ、姉の名で呼ばれると嬉しくなったし、彼女とひとつになることは密かな望みだった。
触れ合い、癒着し、どろどろに溶けて、混ざり合ってしまいたい。
そして、コールタールの様な混沌から、たった一人――
至高の美しさを持った少女として生まれ変われたのならば、どんなに素晴らしいだろう。


――が、所詮は、実現不可能な世迷い言。正気と妄想の狭間に産まれた悪夢。
我ながら、馬鹿げた願望だ……と、蒼星石は自嘲した。


「ごめんなさい。何か、気に障ること言ったみたい」

間近で紡がれた声で、蒼星石は我に返った。
声の主は、困惑の表情を浮かべて、自分を見つめている。

「ご、ごめん。ちょっとボーっとしちゃってた。怒ってたワケじゃないよ」
「……よかった。急に黙っちゃうから、心配したわ」

その言葉どおり、巴は安心したように小さく笑って、付け加えた。
「でも、貴女が有名っていうのは本当のことよ。魅力的な人だなって、わたしも思うもの」

「ボクが? ははっ……まさかぁ。ボクなんかよりも、キミの方がずっと素敵だよ」
「え?」
「昨日の放課後、体育館で剣道の練習してるキミを見たんだ。
 すごくカッコよくて…………思わず見惚れるくらいに綺麗だった」
「汗まみれな姿を見られてたなんて、恥ずかしいわ。それに、お世辞でも誉めすぎよ」

両手で頬を包み、はにかむ巴の仕種は、蒼星石の眼に、とても初々しく映った。
やがて、HRの始まりを告げる予鈴が鳴り、廊下にまで溢れていた喧噪が静まる。
もう、それぞれの教室に戻らねばならない。だけど、もう少し話していたい気分だった。
だから彼女たちは、ごく自然に、同じ言葉を口にしていた。

「また、後でね」



  第三話 おわり





三行で【次回予定】

 相まみえて、たちまち意気投合する乙女たち。
 縁と浮世は末を待て。彼女たちは時を積み、言を重ね、情を育む。
 その間も、運命のルーレットは休みなく廻る、回る――

次回 第四話 『今日はゆっくり話そう』