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蒼星石は考えていた。

帰りの電車の中で、微睡む水銀燈と肩を寄せ合い、座っているときも。
駅から家までの暗い夜道を、俯きながら歩いているときも。
お風呂に入って、熱い湯をはったバスタブに、身を浸しているときも。
そして、今……家族が揃って、晩の食卓を囲んでいるときも。


――大切なヒトを、温かく幸せな気持ちで満たしてあげられること。

水銀燈の、自信に満ちた口調が、頭の中で幾度となく繰り返される。

表面上は突っ張っていても、心の底では愛されたいと切望している女の子。
そんな彼女だからこそ、愛を熟知していて、愛することにも慣れているのだろう。
甘え上手で、カリスマ的。冷淡なようで、姐御肌な一面も併せ持っている。
それらを巧みに使い分けられる水銀燈は、同い年の娘たちより精神的に大人だった。


  じゃあ……ボクは?

みんなは、ボクと居ることで幸せな気持ちになっているの?
箸を休め、食事中の祖父母と姉に眼を向ける。
その拍子に、対座の翠星石と目が合って、彼女たちは決まり悪そうに視線を逸らせた。



  第七話 『ハートに火をつけて』



自室のベッドで仰向けに寝転がって、ぼんやりと天井を眺める。
頭を占めているのは、やはり“愛ってなんだろう?”ということ。

愛されている自覚はある。
祖父母も、姉の翠星石も、自分のことを大切に想ってくれているのは解っていた。
愛している自覚もある。
蒼星石にとって、家族は最も身近な存在にして、かけがえのない人達だった。
家族と居ることで、蒼星石は孤独を感じることもなく、幸せに暮らしてきたのだ。
その関係は不変のものであると信じこんで、疑いもしなかった。

――ほんの数日前までは。


「なんだろ……変な気持ち」

それまで培ってきた価値観に、疑問を抱くようになったのは、思春期のせいだろうか。
彼女の想いは、静かに……だが確実に、変わりつつあった。

家族愛とは、無償の愛情。保護的な意味合いを内包している。
蒼星石の中で、それとは違うカタチの愛に対する渇望が、燻り始めていた。
それは、グラビアのアイドルに憧れ、美しさを求めるように――
絵画や名演に魅せられ、自らも描いてみたい、奏でてみたいと欲するように――
心の奥底から沸き起こる、衝動と憧憬。

無償の愛を与えられることに飽きたらず、リスクを負う恋愛に身を焦がしてみたい。
はしたない本能が騒ぎ出すのを感じて、蒼星石はベッドの上で、枕を掻き抱いた。


身体が熱を帯びている。耳たぶまで、火照っている。
夜気の冷たさも、不意に訪れた昂りを鎮めるには温すぎた。


  私の心を、幸せな気持ちで満たしてちょうだぁい。


日の暮れた浜辺で聞いた彼女の甘い声が、耳を離れない。
瞼を閉ざせば、宵闇に見た水銀燈の瞳が、ありありと浮かんでくる。
妖しく濡れた紅い眼は、蒼星石の視線を捉え、心を射抜いていた。
彼女の指に髪を梳かれる感触を思い出して、蒼星石の背筋が、ぞくりと震えた。

「水銀燈が、あんなコト言うから――」

変な気持ちになっちゃったんだ。
続くセリフを呑み込んで、もぞもぞと身を悶え、寝返りを打つ。

……と、ドレッサーの鏡に映った自分と、ばったり目が合った。
頬ばかりか、耳まで赤くした女の子。
自分の鏡像に、恥じらう姉の顔と、巴の面差しを垣間見て、蒼星石は息を呑んだ。
そして、ふと昼間に目撃した彼女たちの姿を、思い出していた。

「姉さん……キミはどうして、柏葉さんと一緒に居たの?」

鏡の中の自分に訊ねても、答えなど返ってこない。
暫し、ぼんやりと写し身を眺めていると、疼いていた高揚が冷めていった。
蒼星石は、むくりと身体を起こして、ベッドから降りた。



日々、冷たさを増していく廊下の床板を、素足で踏みしめながら……
蒼星石は、姉の部屋の前まで来た。
知らず、足音を忍ばせていたことに、失笑を禁じ得ない。
鼻で笑って、ドアをノックするべく右手を挙げる。
いつも何気なくしている事なのに、異常なくらい緊張して、腕が戦慄いた。

焦燥が苛立ちへと変わっていく。(何してるんだろう、ボクは)


「何やってるですか、蒼星石」

ノックを躊躇っていたところへ、予想もしなかった方角から声を掛けられ、
蒼星石はビクン! と肩を竦めた。
ぎこちなく、翠星石の声がした階段の方へと顔を巡らす。
気のせいだろうが、その際、頸椎の軋む音が聞こえた。


姉の翠星石は、湯気の立つマグカップを持って、上がってくるところだった。
こぼさないよう慎重に歩いていたから、階段を踏む音が聞こえなかったらしい。
彼女が近付くにつれ、程よく酸味が効いたレモネードの香りが漂ってきた。

「私に、なにか用でしたか?」
「あ、うん。ちょっとね」
「ふぅん? あぁ……ドア、開けて欲しいです」
「はいはい」

横着な姉に苦笑を向けながら、蒼星石は脇に退いて、部屋の扉を押し開けた。


礼を言って部屋に入り、勉強机にマグカップを置いた翠星石は、
ドアを押さえたままの妹に向き直った。

「それで、どういった用事なのです?」
「えっと……あのさ、明日って日曜日でしょ。
 たまには、夜通しおしゃべりしてたいなぁって」

姉の部屋を訪問するに当たり、一応、いろいろな展開をシミュレートしていたものの、
階段でバッタリ遭遇する状況は想定していなかった。
だから、咄嗟の思い付きを述べたのだが、我ながら不自然な言い訳だと、蒼星石は思った。

案の定、勘の鋭い姉は、奇異な空気を感じ取ったらしい。
訝しげな目つきで、愛想笑いを浮かべる蒼星石を、じぃ……っと見つめた。

「どうしたです、蒼星石? 昨日の夜から、なんか変ですね」
「そ、そんなこと……ないよ?」
「むぅぅ~。誤魔化そうとするなんて、ますますアヤシイですぅ~」
「怪しくないってば。もぉ」

歩み寄って来た翠星石が、腰に手を当てて前屈みになり、上目遣いに顔を覗き込んでくる。
蒼星石は気恥ずかしさのあまり、つい、目線と顔を逸らしてしまった。
適当に雑談しながら、折を見て巴との関係を聞き出そうと思っていたけれど、
この分では巧くいきそうにない。
昨夜の睡眠不足もあるし、日を改めた方が良さそうだった。

「も、もういいよ。変なこと言ってゴメンね。お休み、姉さん」

言って、そそくさと踵を返す蒼星石の腕が、翠星石の手に捕らえられた。

「ちょっと、こっち来やがれですっ!」

主導権は、翠星石が完全に握っていた。幼い頃から、いつだって、そう。
気後れする妹の腕をとって、自分のペースで、ぐいぐいと部屋に引っ張り込む。
そして、蒼星石の両肩を抑えつけて強引にベッドの端に座らせると、
机の上に置いたマグカップを手にして、蒼星石の隣に腰を降ろした。
ベッドのスプリングが沈み込んで、自ずと、肩を寄せ合う姿勢になる。
洗い髪の薫りと、レモネードの香りに鼻腔をくすぐられ、蒼星石の心臓が一拍した。
ひと口、ふた口と熱いレモネードを啜ってから、翠星石は口を開いた。

「言いたいコトがあるなら、クサクサしてねぇで、ハッキリ言うです。
 そういう陰気な態度は、蒼星石だけでなく、周りの人間も不快にさせるですよ」

姉の言うことは、至極もっともだ。降って湧いた好機を、無駄にすることはない。
今日、柏葉さんと、どこに行ってたの?
最近、よそよそしいのは、柏葉さんと仲良くなったから?
訊きたいことは、後から後から、蒼星石の胸から沸き出し、喉元まで溢れている。
けれど、彼女の口を衝いて出た言葉は、彼女ですら予期しなかったものだった。

「姉さんにとって……ボクと柏葉さん、どっちが大切なの?」
「な、なに言い出すのです。どっちが大事なんて……比べるものじゃないですよ」

姉妹と友人。家族と他人。区分が違えば、比較は不確かで公正を欠いたものとなる。
翠星石は、そのつもりで言ったのだが、蒼星石は――

「……つまり、ボクと同じくらい、柏葉さんが好きなんだ?」

言うが早いか、身体を傾げて、姉の両肩を掴んだ。「それとも、彼女を選ぶの?」
蒼星石の心で燻っていた感情は、嫉妬という燃料を得て、激しく燃え上がろうとしていた。



  第七話 おわり





三行で【次回予定】

 ずっと一緒に居てくれると、あなたは言っていたのに。
 どうして? 若く、青い想念は、身勝手な欲望に翻弄される。
 こつこつと築き上げた信頼を、呆気なく打ち崩すのは、些細な誤解――

次回 第八話 『愛が見えない』