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始業のチャイムが、校舎に静寂をもたらす。
医薬品のニオイが仄かに香る部屋に、翠星石は独り、取り残されていた。
保健室の周囲には、教室がない。
さっきまで居た保健医も、今は所用で出かけたきり。
固いベッドに横たわり、青空を眺める翠星石の耳に届くのは、風の声だけだった。


「蒼星石――」

青く澄みきった高い空を横切っていく飛行機雲を、ガラス越しに眺めながら、呟く。
胸裏を占めるのは、妹のことばかりだった。

「あの夜……蒼星石の気持ちを受け止めていれば、良かったですか?」

でも、それは同情しているだけではないのか。
可哀相だからと哀れみ、抱き寄せて、よしよしと頭を撫でてあげるのは容易い。
今までだって、ずっと……蒼星石が泣いていれば、そうしてきた。
しかし――ふと、自分の内に潜んでいる冷淡な翠星石が、疑問を投げかける。

お姉さんぶって、妹を慰めながら、優越感に浸っていたのではないか?
同情や哀れみとは、目下の者に対して向けられる感情なのだ。
保護者という立場の自分に酔いしれて、妹を見下していなかったと、どうして言えよう。
そんな自分の過保護が、結果的に、蒼星石の自立を妨げているのだとしたら……。

――突き放すことも、愛情のカタチ。
それが、翠星石なりに考え、悩み、導き出した、とても浅はかな答えだった。



  第十二話 『君がいない』



けれど……突き放すのは、こんなにも痛くて、苦しいこと。
今回のことで、翠星石も身にしみて解った。
自分と蒼星石は、良くも悪くも近すぎるのだ、と。

双子の姉妹という、互いの半身を共有しているかのような、密接な関係。
それを引き剥がすのだから、痛みは相手ばかりでなく、自分にも降りかかる。
しかも、竹を割るようにはスパッといかない。
メキメキと軋めきながら、ぐずぐずと裂けていくのだ。
断面に、無数の醜いささくれを刻みながら――

下手をすれば、どちらか……或いは二人とも、生きながら死んでしまうだろう。
蒼星石のためを想えばこその、苦渋の選択だったのに、
それが妹のココロを傷付け、殺してしまうかも知れないなんて、愚の骨頂ではないか。

(こんな苦しい想いまでして、いま、無理に別れる必要があるです?)

自問自答。翠星石の青すぎる決意は、揺らいでいた。
もしかしたら、今更だったのかも知れないし、時期尚早なのかも知れない。
まだ若いのだし、いま暫く、成り行きを見守っても、いいのではないのか。

「……これ以上、蒼星石を苦しめるのも可哀想です。
 蒼星石が心から懺悔するなら……しゃ~ねぇから、勘弁してやるですよ」

精一杯の強がりを口にして、勇気を奮い立たせた翠星石は、携帯電話で妹にメールした。
たった一言、自分の素直な想いを。
今は授業中だけれど、蒼星石も同じ想いならば、すぐに返信をよこすハズだ。

しかし、待てど暮らせど、送った気持ちは戻ってこない。
気付いていないの? それとも、無視されているの?
過度の期待をしていただけに、翠星石の落胆も時の経つにつれて大きくなっていった。




――授業中の教室。
先生が、チョークで黒板を引っ掻きながら、頻りに何かを捲したてている。
その声は、蒼星石の頭に何秒と滞らずに、耳を素通りしていく。
彼女のココロは今、ここに無かった。

(大丈夫なのかなぁ)

息苦しさを覚えて、蒼星石はペンを置くと、ネクタイの結び目に手を遣った。
翠星石が保健室で休んでいると、水銀燈に聞かされてから、胸騒ぎが収まらない。
指先で喉元を広げることで、やっと人心地つけたものの、不安は薄れなかった。

叶うならば、今すぐにでも保健室に行きたい。
いっそ、仮病でも使って、抜け出してしまおうか。
そんな発想が頭をよぎるのと同時に、蒼星石は携帯電話でメールを送ることを思いついた。

(こんな簡単な方法を、なんで気付かなかったんだろう)

どういう手段であれ、まずは自分の気持ちを伝えなければ始まらない。
それに対して返信をするかどうかは、翠星石の問題だ。
蒼星石は、教師と周囲の目を気にしながら、ブレザーのポケットに手を差し入れた。
だが、指先は求める物を捉えない。他のポケットも探ってみたが、結果は同じ。

事ここに至って、蒼星石は携帯電話を家に忘れてきたことを悟った。
バッテリーが切れかかっていたから、充電したまま、机に置きっぱなしだったのだ。
往々にして、物事の歯車が噛み合わないときは、こんなものだろう。
何をしても巧くいかない。ムリをすればギアが噛んで、耳障りな悲鳴をあげる。

微かな溜息を吐いて、蒼星石は気の抜けた緋翠の瞳を、黒板に向けた。

(早く、会いに行きたいよ――)




保健室のベッドに横臥したまま、翠星石は鬱々と、携帯電話を玩ぶ。
ストラップのマスコット人形を、振り子みたいにブラブラさせる。
市販品の、ありふれたストラップだけれど、蒼星石とお揃いで買った物だ。
彼女たちを繋ぐ、一本の糸。それらが合わさり束になって、絆は紡がれ続ける。
その絆を信じて、翠星石はただ一心に、メールの着信を待ち侘びていた。

「…………なにグズグズしてるですか、蒼星石」

溜まり続ける鬱憤が、少しだけ、彼女の可愛らしく突き出された桜色の唇から零れ出る。
その苛立ちは、しかし、妹に対してではなく――

「なんで、応えてくれないです?」

自分で突き放しておきながら、会いたくて堪らない。
そんな身勝手で愚かしい自分に対して、募らせた感情だった。
イライラが解消されないまま、どうしようもなく情緒が不安定になっていく。
いっそ、髪を掻き乱して大声で叫び、暴れてやろうかとすら思う。

だが、翠星石が衝動的な暴力を解放する前に、保健医が戻ってきた。
その手に、彼女の荷物を携えて。

――担任の先生に許可をもらってきたから、今日は帰りなさい。

保健医に薦められるまま、翠星石は帰宅することを選んだ。
未だに着信のない携帯電話を、一度だけ握り締めて……カバンに押し込む。

けれど、真っ直ぐ家路に就くことを拒む、重く沈んだココロ。
当て所なく漂い続ける翠星石の足は、やがて、ある場所を目指し始めていた。
幼い姉妹が、突然の夕立を避けるため身を寄せ合った、あの公園へと――




待ちわびていた終了のチャイムが鳴ると、どの教室も一様に騒がしさを取り戻す。
蒼星石は、教科書やノートを片づけもせずに、椅子を蹴立てて廊下に出た。
念のため、保健室に向かう前に姉のクラスを覗いてみたが、彼女の姿はない。
そして、カバンも……。

(荷物を持って、保健室に? それとも、具合が悪すぎて、早退しちゃったの?)

可能性は高い。近くにいた女生徒をつかまえて訊くと、そうだと言う。
この学校に、もうキミがいない。
そう思った途端、蒼星石はいい知れない虚脱感を覚えて、肩を落とした。

会いたかったのに――
ちゃんと向き合って、きちんと謝りたかったのに――

(どうしてキミは、ボクが捕まえようとすると、逃げてしまうのさ)

あと少し、腕を伸ばす努力が足りないと言うのか。
あと少し、追いつく気持ちが弱いと、嘲笑うのか。
そっちがその気ならば、もう形振り構わず追いかけて、絶対に捕まえるまでだ。

教室に戻った蒼星石を出迎えた水銀燈は、翠星石に会えたのか訊ねようとして、口を噤んだ。
蒼星石は自覚していなかったが、そのくらい、険しい表情をしていたのだ。
無言でカバンに荷物を詰め込む彼女を見つめながら、水銀燈は肩を竦めた。

「追いかけるのね、あの子を」

言って、財布から二枚の千円札を抜き取ると、蒼星石に握らせた。
「これで、ケーキでも買ってくと良いわ」


美味しいお菓子でも手土産にして、早く仲直りしちゃいなさい、という意味なのだろう。
躊躇して、お金を返そうとする蒼星石に対し、水銀燈は苛立たしげに吐き捨てる。

「いいから、早く行きなさいよ。なんなら、強制退去させてあげましょうか?」
「……解った。キミの気持ち、ありがたく受け取っておくよ」

蒼星石はカバンを手にして、勢いよく走り出した。
最愛の姉、翠星石の元へと。




思い出の公園に近付くに連れて、翠星石の足取りは、なぜか重くなっていった。

(蒼星石! 蒼星石っ! 蒼星石ぃ!)
ココロの中で妹への想いが膨れ上がった分だけ、体重も増したかの様だ。


学校を出てから、もう十回はメールを送った。留守録にも何度か、メッセージを吹き込んだ。
でも、一度として返事は無い。どうして? 悲しみで、胸が張り裂けそう。
苦しくて、息が詰まって……軽い吐き気すら覚えている。

片側、三車線ある幹線道路で、ちょっと長めの信号待ち。
翠星石は、横断歩道の先にある歩行者用信号に、ちらと視線を向けた。当分、青になりそうもない。
その緋翠の瞳に飛び込んできた人影は、夢か現か、幻か。
向かいの歩道を駆け抜け、ケーキ屋に飛び込んだ女の子は、紛れもなく蒼星石だった。

「あっ! 蒼せ――」

その瞬間、翠星石には、蒼星石のことしか見えなくなっていた。
妹の名を呼んで、衝動的に横断歩道へと躍りだしていた。


やっと会える喜びに、表情を輝かせながら――



  第十二話 おわり





三行で【次回予定】

 擦れ違っていた姉妹は、再び巡り会うための、一歩を刻んだ。
 けれど、互いのベクトルは未だ、異なる方角を向いたまま。
 姉妹と親友たち。彼女らの想いが辿り着く先は――

次回 第十三話 『痛いくらい君があふれているよ』