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茨の蔦は、想像していた以上に太く、複雑に入り乱れている。
しかも、異常な早さで再生するから、始末が悪い。
一本の蔦を丹念に切り、取り除いていく間に……ほら、別の蔦が伸びてくる。
その繰り返しで、なかなか前に進めなかった。

すっかり夜の帳も降りて、降り注ぐ月明かりだけが、辺りを青白く照らすだけ。
翠星石は薄暗い茨の茂みに目を遊ばせ、蒼星石の手元を見て、またキョロキョロする。
彼女の落ち着きのなさは、不安のあらわれに違いない。

(早く、こんな茨の園を抜け出して、安心させてあげなきゃ)

焦れて、無理に切ろうとした鋏の刃が滑り、跳ねた茨が蒼星石の肌を傷付けた。

「痛ぃっ!」

しんと静まり返った世界に、蒼星石の小さな悲鳴が、よく響いた。
それを聞きつけて、翠星石は表情を曇らせ、蒼星石の隣に寄り添う。

「大丈夫……です?」
「あ、うん。平気だよ、姉さん。ちょっと、棘が刺さっただけだから」
「でもぉ……血が出てるです。それに、毒があったら、どうするですか」

蒼星石の手を、翠星石の柔らかな両手が、労るように優しく包む。
そして、徐に引き寄せるなり、彼女はそっと……傷口に舌を這わせた。
温かく濡れた感触に、蒼星石のココロと傷口は、ジンジンと痺れていくのだった。



  ~もうひとつの愛の雫~
  第20話 『悲しいほど貴方が好き』



――ふと、疑問が生まれる。
ここは死後の世界。肉体という意識の器を捨てた者たちが、集う場所。
翠星石も、蒼星石も、既に身体を失って、魂だけの存在のハズだ。
それなのに、なぜケガをして、血が流れるのだろう。
どうして、翠星石の温もりを感じられるのだろう。
なんで、こんなにも胸が痛いのだろう。
キツネに摘まれた気分とは、こういうコトかと、蒼星石は首を捻った。

しかし、いつまでも茫漠と物思いに耽っている暇はない。
刈られた茨の蔦が、また勢いを取り戻して、今しも彼女たちを搦め捕ろうとしている。
早く、こんなところを抜け出さなければ。

「ありがと。もう平気だから」

血が止まっても、翠星石は飽くことなく、傷口を舐め続けていた。
気遣ってくれるのは嬉しいのだが、これでは作業を再開できないので、
蒼星石は名残惜しく思いつつ、姉の髪を指で梳いて制止した。

「……ホントですぅ?」
「こんな程度のコトで、ウソなんか吐かないよ」

翠星石は上目遣いに訊ねながらも、蒼星石の手を離した。
その表情が、あまりに心細そうなので、蒼星石は頬を緩めると、
棘が刺さった方の手を彼女のアタマに遣って、くしゃくしゃっと髪を乱した。

「ぁん。な、なにするです」
「論より証拠って言うからね。ほら、ちゃんと動かせてるでしょ?」
「わ、解ったですから……やめるですぅ!」

やっぱり、姉さんは姉さんだね。
目をつり上げ、頬を膨らませて不機嫌を露わにする姉を見つめながら、
蒼星石は微かな安堵を覚えていた。




その後、茨を刈る作業を再開した姉妹は、やっとの思いで砂浜まで辿り着いた。
かなり注意していたつもりだが、服に覆われていなかった柔肌には、
幾条もの引っ掻き傷が紅い線となって刻まれて、腫れあがっている。

「姉さん。ケガの方は、平気?」
「大したコトはないですけどぉ……ヒリヒリするですぅ。
 また、あそこを通らなきゃならねぇですか?」
「しょうがないよ。どうやら、この砂浜は、あの茨で囲われてるみたいだし」

無意識の海で洗浄された霊魂ならば、茨は何の障害でもないのだろう。
つまりは、異邦人を立ち入らせない為の、防護壁なのかも知れない。
潮騒に負けないくらい大きな溜息を吐いた翠星石は、さも憂鬱そうに項垂れ、
ぺたりと座り込んでしまった。茨の群生を抜けるだけで、ドッと気疲れしたらしい。

「とりあえず、姉さんは休んでていいよ。ボクは、少し歩いてくるから」
「……気をつけるですよ」

歩き出す背中に、翠星石のか細い声が、縋り付いてくる。
それは蒼星石の身体に染み込んで、ずっと谺していた。



今夜は月が明るい。僅かな砂の起伏にも、濃い影が寄り添っている。
これなら『眩い光輪を放つピンク色の結晶』は、すぐに見つかるかも。
そんな楽観を胸に、蒼星石は砂浜に眼を落として、歩いた。

しかし、波打ち際を三往復し終える頃には、考えの甘さを痛感していた。
成果は皆無。記憶のカケラどころか、ゴミすらも打ち上げられていない。
肩を落として彼女が戻ると、膝を抱えて海を眺めていた翠星石は――
ぼんやりと蒼星石の方に顔を向けた。


「疲れた顔してるですね? 無理せず、ひと休みするです」
「……もうちょっと探してみるよ」
「意地張るなです。妹だって言うなら、姉の言うこと聞きやがれですぅ」

翠星石に腕を掴まれ、引っ張られた途端、蒼星石の膝がカクンと折れた。
砂浜を歩くのも、意外に疲れるものらしい。
ほーら見たことかと、目に物言わせる姉に、蒼星石も根負けした。

「やれやれ、強引なところは相変わらずだね」
「素直に言うこと聞かねぇからです」

隣に腰を降ろした蒼星石に、彼女は蓮っ葉な口振りと裏腹な、可愛い笑みを向けた。
……が、矢庭に、その笑顔が曇る。
翠星石は膝を抱え直して、また、暗い海に瞳を彷徨わせた。

「どうしたのさ、姉さん。そんな顔しないでよ」
「ごめんなさいです。でも……海を見てたら、なんだか――」
「記憶のカケラだったら、ボクがきっと、見つけてあげるってば」
「そうじゃないですよ。記憶が戻らないコトが、心配なんじゃなくって、
 思い出してしまうコトが、不安なのです」

よく意味が解らなくて、蒼星石は問い返した。
翠星石は、暫くの間、言葉を探して……徐に、唇を開いた。

「何か……とても忌まわしい過去があって、いつもソレに苦しめられてて――
 逃げ出したかったから、この海に記憶を捨てたのだとしたら……
 だったら――いっそ忘れたままの方が幸せなのかと……そう思ったです」
「そんな……よしてよ。そんな寂しいこと言わないで。
 ボクとの思い出さえも、キミにとっては忌むべき記憶だったって言うの?」
「そうは言わないですけどぉ……でも、やっぱり……ですぅ」

このままでは、一向に埒があかない。
蒼星石は、言い淀む翠星石の頬を両手で挟んで、ぐいと自分の方に向き直らせた。

「そんなに不安なら、ボクが、おまじないをしてあげる。
 目を閉じて、力を抜いて……気を楽にしてね」
「? こうです?」

怪訝な面持ちながら、翠星石は言われるがままに、瞼を閉ざした。


「そのまま、じっとしててね」

そっと囁いて、蒼星石は――――静かに、互いの唇を触れ合わせた。
翠星石が、ひぅっ! と息を呑んだけれど、キニシナイ。
しっかりと姉の顔を挟み込んで逃がさず、二度、三度と、彼女の可憐な唇を啄んだ。
いわゆる、ショック療法のつもりだったが、果たして結果は……。

「強引なコトして、ごめんね。どう? 不安じゃなくなった?」

蒼星石に訊ねられても、翠星石は顔ばかりか耳まで真っ赤に染めて、上の空。
これで、少しは思い出してくれたらいいけど。蒼星石は、密かに期待した。
ぽぉっと目を泳がせる翠星石が、譫言のように呟いた。

「……バカぁ。こんな……もっと…………不安に……なっちまうですぅ」
「えぇ? どうしてさ?」
「だって……記憶のカケラを取り戻したら、私は私じゃなくなるかも知れないですよ?
 それなのに、蒼星石のコトを……になったら……別れが辛くなるじゃねぇですか。
 いつ離ればなれになるか……それを思うと切なくて……怖くなるですぅ」
「なにそれ。もぉ、ワガママだなぁ」

呆れたように苦笑って、蒼星石は涙ぐむ姉の髪を撫でながら、再び彼女の唇を吸った。
――悲しいほど姉さんが好き。
胸が張り裂けそうなほど切ない気持ちは、もう止められない。止める気もない。

「たとえ、キミが別人になったとしても、ボクの想いは変わらないよ。
 いつだって姉さんの側にいて、キミの記憶を、ボクとの思い出で満たしてあげる」

二枚貝の貝殻は、この世にたったひとつの組み合わせしか無いという。
また、光の波長は常に、緑と青の領域が隣り合っている。
翠星石と蒼星石もまた、生まれながらにして、そんな奇跡の一対だった。
どこまでも、ずっと一緒に寄り添うのが自然の摂理ならば、
死をも厭わず姉を追いかけてきた蒼星石の行動もまた、自然に則ったと言えよう。
そして、摂理は変わらない。この世界が、存在し続ける限り――



二人のシルエットが、折り重なるようにして、柔らかな砂浜に横たわった。
四肢を絡ませ合い、汗ばむ白い肌にスコールのようなキスの雨を降らせ、
愛の痕である小さな痣を、点々と刻みつけながら……

少しずつ……
一枚ずつ……
生まれたままの姿へと、還っていった。

「姉さん……ボクは、キミを汚してしまいたい。
 無垢なキミのココロが、ボクの色に染まりつくすまで、メチャクチャにしたい」
「……えっち」
「えっちな妹は、嫌い?」
「大っ嫌いです。だから――――」

姉の眦から溢れる涙は、畏れか、悦びか……
後者であって欲しいと切望する蒼星石の前で、翠星石は濡れた唇を震わせた。

「この気持ちを覆してしまうほどに――
 死ぬほど貴女を大好きになるくらい、私を汚してください……ですぅ」

臆病な翠星石にしては、珍しく大胆な発言だった。
大嫌いと前置くところが、ひねくれ者の彼女らしいけれど。
蒼星石はクスッと微笑んで、翠星石の白い首筋に、鼻を埋めた。

「……うん。大好きだよ……姉さん」
「ゃんっ……そ……ぉせい……せきぃ」




……。
想いのままに愛の雫を流した二人は、砂の上に並んで、気怠そうに寝転がっていた。
火照りの収まらない肌を撫でゆく海風が、なんとも気持ちいい。
満たされた悦びに、二人ともウットリと目を細めたまま、星空を見上げていた。

「はぅ……なんだか暑くて、汗が止まらねぇですぅ」
「そうだね。ボクも、さっきからずっと、身体が熱いままだよ」

言って、蒼星石は仰向けの姿勢から、横臥へと寝返りを打つ。
コトの最中、翠星石に引っ掻かれた背中が、汗に浸みて、ちょっと痛い。
肌にまとわりつくベタベタ感と、砂のザラザラ感が、疎ましくて……
蒼星石は「そうだ!」と半身を起こすや、笑顔で切り出した。

「折角だし、このまま泳いじゃおうよ、姉さん」



  ~もうひとつの愛の雫~  第20話 おわり





三行で【次回予定】

  ふとした思いつきが、物事を大きく変えることは間々ある。
  泳ごう――その提案がもたらすのは、事態の好転か。
  それとも……。

次回 第21話 『瞳閉じて』