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  『ひょひょいの憑依っ!』Act.10


金糸雀を、成仏させてやって欲しい――

それは元々、ジュンが頭を下げて、めぐと水銀燈に請願したこと。
カゴの中の小鳥に等しい生活を、半永久的に強いられている金糸雀が哀れで、
大空に解き放ってあげたいと思ったから……。

でも……四肢を失い、力無く横たわったままの金糸雀と、
その彼女を、無慈悲に始末しようとする水銀燈を目の当たりにして、疑問が生じました。
――違う。これは、自分の期待していた結末じゃない。
金糸雀を捕らえている縛鎖を断ち切ってあげてくれとは頼みましたが、
こんな、一方的かつ事務的な……
害虫駆除さながらに排斥することなど、望んではいなかったのです。

(僕が、あいつの立場だったなら、こんなの――)

とても受け入れられずに、猛然と刃向かったでしょう。
手も足も出ない状況でも。逆立ちしたって敵わないと、解っていても。
権利は自ら勝ち取り、守り抜くもの。自由とは、そういうコトなのですから。

(だから、金糸雀は戦った。薄幸だった人生を、やり直したくって。
 真紅の身体を乗っ取ろうとしてまで、僕の側で生きようとした)

普通の女の子として、ささやかな幸せを欲した、地縛霊の娘。
その想いを遂げるために金糸雀が採った策は、人として赦されざる所業です。
……が、それでも。
人道に悖ると解っていても、止められない想いが、この世には確かにあって――

金糸雀は、誰もが密かに願っているように……自らの気持ちを尊重、最優先しただけ。
それによって、有史以来、この世界のどこかで絶えず行われている痴情のもつれが、
たまたまジュンたちの間に起きただけなのです。

なのに、タブーを犯したからといって、情状酌量の余地も認めず祓うのは、
いささか乱暴に過ぎないでしょうか。
そう考えて……胸に当たった結論は、ジュンに強烈な眩暈を催させました。


(……結局、水銀燈の言ったとおりじゃないか。
 僕はココロのどこかで、真紅を目の敵にする金糸雀のことを、疎んでいたんだ。
 真紅を守るためと嘯いて、金糸雀の気持ちを考えようともしないで……
 体良く、あいつを遠ざけようとしてたんじゃないか)

それなのに、水銀燈に祓ってもらうことが、金糸雀のためになると――
自分自身すらも謀っていたのです。なんて独善的で、白々しい屁理屈。
これでは、ボウヤと罵られても、文句を言う資格すらありません。

(甘えてたんだ、きっと。放っておけば、なるようになる……って。
 もっと早く……こうなる前に、手を打てたハズなのに。
 切羽詰まるまで、僕は何もしなかった。悩むことさえ、しなかった)

もう、残された答えは、ひとつだけなのでしょうか?
このまま、真紅を襲った罪を盾にとって、金糸雀を糾弾、断罪することで――
彼女を生贄の羊にすることで、全てが円満な解決を迎えるのでしょうか?


ジュンは、カナ縛り状態の真紅を抱きかかえながら、決然と顔を上げました。
まだ間に合うなら……やり直したい。その強い意志を、瞳に込めて。




一縷の希望に縋ろうとするジュンの目の前では、水銀燈が太刀を振り翳し、
床に転がった金糸雀を、いま正に、叩き割らんとしています。
金糸雀はと言えば、先程のダメージが大きすぎて動けないところに、
水銀燈の霊圧によって抑えつけられ、声すら出せない様子でした。

――ダメだ! 叫ぼうとしますが、水銀燈の霊圧は冗談抜きに凄まじく、
ジュンは息苦しいまでの疼痛を胸に覚えながら、懸命に口を開き、声を出そうとします。
そして、やっと――


「やめてくれ!」

嗄れて聞き取りにくい声を、呻くように絞り出したのです。
ひた……と、水銀燈は頭上に太刀を掲げたまま、
冷ややかな瞳で、苦しげに表情を歪めるジュンを射竦めました。

「なぁにぃ? 今になって情けをかけるワケぇ?」
「身勝手なのは、よく解ってる。土壇場で考えを翻すほど、甘ったれだってコトも。
 だけど……金糸雀が痛めつけられるのは、もう……見てらんないんだ!」
「は! カッコつけちゃってぇ…………貴方、ホントに解ってるぅ?
 この地縛霊に憑かれっぱなしだと、じきに衰弱して死んじゃうのよぉ?」
「その前に、金糸雀の未練を解いてあげればいいんだろ!
 あいつが納得して成仏できる方法を、僕は探してやりたいんだ!」

ジュンは真剣な面持ちで、水銀燈と真っ向から睨み合いました。
彼女の眼光は怖ろしいまでに鋭くて、ちらと瞳を合わせただけでも、
気が遠くなり、命を吸い取られそうな感覚に陥ります。
本当は、すぐにでも目を逸らし、逃げ出してしまいたいけれど――
ぐっ……と、畏怖の念を胸の奥に押し込めたのです。



どれくらいの間、そうしていたのか……
やおら、水銀燈が鼻を鳴らして、吊り上げていた目尻を弛めました。

「ホぉント、呆れたわぁ」言葉そのものの嘲笑と、大仰に肩を竦める仕種を見せて、
水銀燈は背中の黒い翼と、太刀を納めたのです。
それに伴い、部屋中に満ちていた重い霊圧も、拭き取ったように雲散霧消しました。

「ほんの数日、ままごとみたいに暮らした地縛霊に、情が移っただなんてねぇ。
 バっカみたぁい。だから、ボウヤだって言うのよ」

水銀燈の嘲りはひっきりなしで、ジュンに反論の隙も与えません。
それはもう、バケツに満たした冷水を、柄杓で頭からザブザブ浴びせるように。

「大体ねぇ、その根性が気に入らないわ。
 誰も傷つけないように、如才なく振る舞おうとする、その姑息さがね。
 他人に……幽霊に同情できるほど、貴方、偉いワケぇ?
 差し伸べるための救いの手すら、他人の手を借りてるクセに。
 言っとくけどね、中途半端な思いやりなんか、侮辱と冒涜でしかないのよ!」
「水銀燈……もう、そのくらいで充分でしょ」
「めぐは黙ってて。まぁだ言い足りないわぁ」

めぐの横槍を、アッサリと脇に退けて、水銀燈の叱責は続きます。
ジュンは項垂れたまま、彼女の言葉を受け止めることしか、出来ませんでした。

「貴方……他人を傷つけなければ、自分も傷つけられずに済むと思ってなぁい?
 理解あるフリして、妥協して、ぶつかり合うコトから逃げ回って――
 いい? 傷つく覚悟がなければ、誰かと愛を育むコトなんかできっこないの。
 そこのところ、よーく考えてみるのねぇ」

水銀燈の言うような一面を、確かに、ジュンは持っていました。
傷つきたくない。他人と深く関わりを持つのが、怖い。
それは過去の、ある事件によってココロに負った、今も癒えぬ深い傷のせい。
人付き合いを潜在的に怖れるあまり、自己防衛として、八方美人になっていたのです。

「あ~ぁ、やってらんなぁい」
つまらなそうに言い捨てて、水銀燈は、ジュンたちに背を向けました。

「行きましょぉ、めぐ。とんだ茶番劇だったわぁ」
「いちいち憎まれ口を叩かないの。
 桜田くん。私たち、これで失礼するけど……何かあれば、また連絡して」

それだけを告げて、めぐと水銀燈は、真紅の部屋から立ち去りました。
玄関のドアが閉ざされる音を合図に訪れる、深夜の、耳が痛くなるほどの静寂。
金糸雀の啜り泣きだけが、時の経過を報せるように……ひっそりと、響く。




「……金糸雀」呼びかけたジュンの声は、思いの外、大きく聞こえて。
更に、声を潜めました。「真紅のカナ縛りを、解いてくれないか」

その声に、金糸雀が小さく頷くと――
はふぅ……。ジュンの腕の中で、硬直の解けた真紅が、深く息を吐きます。
そして、頻りに瞬きしながら、大粒の涙をボロボロと零し始めたのです。
ジュンは安心させようと微笑んで、華奢な彼女を抱きしめました。
ガラス細工を扱うみたいに、そっと……そっと……。

「……真紅。無事で良かった……ホントに」
「ジュ……ン、私……私っ」

さめざめと涙を流し続けながら、真紅はジュンのジャンパーを掴みました。
まるで、親に縋りつく幼子のように、指が白くなるほど、強く。



ジュンは今まで、ずっと真紅の側に居て、彼女をよく知っているつもりでした。
生まれ育ちが良くて、いつも気高く、品位があって――
それでいながら、ただ高慢ちきなワガママ娘などではなく、
気を許した者には、とても甘えん坊でキュートな一面を見せてくれることも。

普段は、気丈に振る舞うけれど、恥じらいも慎みも備えているお嬢様。
しかし、素顔の真紅は、今もピュアな夢を大切に抱き続けている、小さな女の子。
ですから、ジュンは使いっ走りに甘んじようとも、彼女から離れられずに……
いつの頃からか、ひとかたならず、想いを寄せるようになっていたのです。

けれど、いま腕に収まっている彼女は、まるで氷像のように儚げで、
強く抱きしめたら、さらりと溶け去ってしまいそうなほどに透明で、
……ジュンですら初めて目にする、知らない顔の真紅でした。
いつもならば、こんな風にベタベタと馴れ馴れしく触られることを嫌って、
ビンタのひとつも飛ばしてくる場面なのに……
子供みたいに怯えきって、意地を張ることも忘れ、涙している。

ここまで真紅を追いつめたのは、金糸雀です。
けれど、それも元を質せば、ジュンの優柔不断が引き起こしたこと。
それが筆舌に尽くしがたいほど口惜しく、申し訳なく思うのに――

「ごめんな……真紅」

弱さをさらけ出した彼女に、気の利いた言葉のひとつも、かけてあげられない。
情けなくて、もどかしくて……
ジュンはただ、真紅の細い身体を抱きしめ、髪を撫でてあげることしか出来ませんでした。

「……いいのよ。貴方は、来て……くれたんだもの」

ポツリ、と。真紅は囁いて、ジュンの痩せた胸に頬を寄せて、体重を預けました。
ジャンパーを握り締めていた手は、いつの間にか、彼の背中に添えられて、
きゅっ……と、控えめに、この抱擁が続けられることを求めていたのです。




言葉少なに抱き合う、ジュンと真紅の、仲睦まじそうな姿。
それは金糸雀に、胸が引き裂ける痛みと、はらわたが千切れる想いをもたらしました。
何もできない状況で。自分では、寝返りを打つことさえ儘ならない状態で。
二人の、あんなにも親密な関係を、見せつけられている。

(こんなの……酷い。こんな惨い仕打ちって、ないかしら!
 カナだって、ジュンに抱きしめて欲しいのに。カナは、ここにいるのにっ!)

堪らず、話しかけようとした途端、人形の喉に亀裂が走って、空気が漏れました。
ビスクドールのボディーは、損壊の一歩手前までダメージを受けていたのです。
ジュンの名を呼ぼうとするのに、ひゅうぅ……ひゅうぅ……
必死の想いも、声にならない。それが悔しくて、また、睫毛が濡れてゆきます。

(イヤ……こんなのイヤ……ジュンっ! お願いかしら。こっちを……カナを見て!
 カナの名前を呼んで! 真紅にしてるみたいに、カナを抱きしめて欲しいかしら!)

諦めきれない。金糸雀は口をパクパクさせ、身じろぎして、アピールを試みます。
……が、それによって全身にヒビが入り、胸が、喉が、顔までが、割れ始めて――

(ああぁぁっ! ダメかしらっ! まだ壊れちゃダメかしらぁっ!)
 
――ジュンっ。
紡ごうとしたココロの叫びは……無情にも、人形のボディーと共に砕け散ってしまいました。




すっかり寝静まった深夜の街に響く、二人分の靴音。
車の通りが止んだ車道の真ん中を、千鳥足で歩いているのは、めぐと水銀燈。
彼女たちの足元には、濃い月影がチョロチョロ憑きまとっています。
街灯など必要ないくらいに、明るい夜でした。

「ねえ、水銀燈。今夜は月が綺麗ね。まるで、ステージ照明みたい。
 そう思うと、街灯がスポットライトに見えてこない?」

中央分離帯をなぞって踏みながら、隣を歩く娘に訊ねる、めぐ。
話しかけられた水銀燈は、かったるそうに、彼女を流し目に見ました。

「なによぉ。まぁた、いつかみたいに『Shall we dance?』とか、
 おバカさんなこと言って社交ダンスに付き合わせる気ぃ?」
「ダメなの? じゃあ……歌なら唄ってくれる? この星屑のステージで」
「どんな歌よぉ」
「月に因んで、ゲンコツ山の~タヌキさん~♪ はいっ、続きは水銀燈が唄って」
「…………やぁよ。大体、月と何の脈絡も無いじゃない」
「えー? 唄ってくれないなら、背中にゲロ流し込むからね」
「…………オ……オッ……オッパ……ばっ、バカじゃないのっ!」

なぜか両腕で胸を隠し、夜目にもハッキリ分かるほど赤面した水銀燈を眺めて、
めぐは鈴のように笑いながら、「なぁんてね。冗談よ、じょーだん♪」
戯けた調子はそのままに、ひょいと水銀燈の前に立ちふさがりました。

「なんで、あの地縛霊ちゃんを祓わなかったの? 簡単にできたハズでしょ」

「別にぃ」照れ隠しか、水銀燈は前髪を掻き上げ、鼻で笑いました。
「ただ、あのボウヤの煮え切らない態度が、気に入らなかっただけよ。
 少しくらい苦労させてやろうってカンジぃ。弱い者イジメの趣味も無いしぃ」

めぐは「ふぅん」と相槌こそ打ちましたが、言葉どおりには解釈していない様子。
流石に、付き合いの長い二人。なんとなーく通じ合うモノが、あるみたいです。

「あの娘に同情しちゃったのは、桜田くんばかりじゃなかったってコトね」
「はぁ? なに言って――」
「彼女……私と出会う前の水銀燈と、境遇が似てるもんね」

人々に忘れ去られ、朽ち果ててゆく神社に閉じ込められていた水銀燈には、
金糸雀の寂しさ、人のココロの温かさを求める気持ちが、痛いほど解っていました。
ですから、つい……水銀燈自身も気づかぬ内に、感情移入していたのでしょう。
ジュンをキツく詰ったのも、中途半端な気持ちで付き合い続けるならば、
不幸な結末が待っているだけと、諭したかったからで……。


「どぉでも良いじゃない。あ~ぁ、今夜は馬鹿馬鹿しいコトばっかりだわ。
 早く帰って飲み直しよぉ、めぐ」
「はいはい。明日は仕事もお休みだし、久しぶりに飲み明かすとしましょ」

素直に優しさを表現しない、意地っ張りな水銀燈が、めぐは好きでした。
いえ。そんな風に、ひねくれた彼女だからこそ、余計に惹かれたのかも知れません。
めぐにとって、淑やかで女の子女の子した娘は……性格的に、鬱陶しく想えたのです。


微笑みを交換し合って、再び、並んで歩き始めまる二人の乙女。
……が。その足取りは、三歩と進まない内に、ビクリと止められました。
二人の行く手に、人影が立ちふさがっていたからです。

「……愛の夢…………第三番」 

意味不明な言詞を吐いて、妖しく唇を歪め嗤う、左目を眼帯で隠した娘が――




――同じ頃。金糸雀は、紺色の世界で、目を覚ましていました。
夜の漆黒と、窓から射し込む月光が混ざり合った、濃紺色の中で。

この景色は、見憶えがある。
確かめるべく、ムクリと起きあがった金糸雀の眼前には、
イヤと言うほど瞳に焼き付いた光景が、彼女を嘲笑うように横たわっておりました。


「やっぱり……ここに戻ってきちゃったかしら」

人形という依り代を喪ったことで、金糸雀の魂は地縛霊の特性によって、
ジュンの部屋まで引き戻されていたのです。
結局、幽霊のままでは、この部屋から逃げられない。
それが無性に悔しくて、金糸雀はキュッと唇を噛みました。
絶望よりも虚しさが募って、両の拳を握りしめながら、泣き濡れました。

「もう、イヤ……かしら。カナは、こんな部屋に居たくないっ!
 独りぼっちは、もうイヤぁっ! このままじゃ……気が狂っちゃうかしらぁっ!」  

両手で頭を抱えて喚きながら、ふらふらとジュンのベッドに倒れ込んで、
彼のニオイが染み込んだ枕に顔を埋め、ひたすらに嗚咽するも、
ささくれだった彼女のココロは、決して晴れませんでした。

「ジュン……お願いだから、早く帰ってきて。一秒でも早く、カナの側に戻ってきて。
 そして、カナを抱きしめて。この張り裂けそうなココロを、癒して欲しいかしら」

たとえ、それでジュンを取り殺してしまうとしても――
こんな風に、彼の背中に頬ずりしたい。彼の腕に抱かれながら、眠りに就きたい。
ココロに落ちる、淫魔の禍言――

――ジュンの全てが……欲しい。
それは金糸雀の欲望を激しく燃え上がらせ、熱情を駆り立てるのでした。