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  ―睦月の頃 その2―  【1月1日  元日】


骨折り損のくたびれもうけだった初日の出見物から戻った翠星石は、
入浴後、おせち料理を少し摘んで、お婆さん特製の雑煮を味わった。

「ふっふっふ……この味、この香りこそ正月よ……ですぅ」

と、独りごちて、やおらキョロキョロと周囲を見回す。
誰にも聞かれていなかったコトを確認して、ホッと安堵の息を吐いた。
醤油仕立ての熱い汁を慎重に啜りながら、翠星石は去年の正月を回想した。


  『これを食べないと、年が明けた気がしないんだよね』


そう言って、美味しそうに雑煮を食べる蒼星石。
一緒に雑煮を食べる事は、姉妹が幼い頃から遵守してきた年頭行事である。
それは、今は亡き両親との大切な思い出でもあった。
祖父母に引き取られてからも、絶やすことなく続けていこうと誓い合ったのだ。

それなのに、今年の正月は、蒼星石が居なかった。
寝耳に水も同然の、いきなりの留学から、早三ヶ月。
最初の頃に感じていた孤独感は、友人たちとの日常によって薄らいではいるが、
自宅にいると嫌でも蒼星石の影がチラつき、寂しさ愛執が募ってしまう。


「はぁ……ダメですね。新年早々、こんな気持ちじゃあ――」

腹ごしらえを終え、気分転換に祖父母と少しお喋りを楽しんだ後、
翠星石は自室に戻って、ノートパソコンを起動した。

蒼星石と連絡を取り合うために、祖父母に代金を前借りして買い揃えたPC。
その返済のために、遅い時間までアルバイトをすることもあって……
お互いの都合が付かず、チャットする時間が減っているのは、皮肉な話だった。
今では専ら、時間を選べるメールのやりとりが、連絡手段になっている。

「あぁ、もう! 早く繋がりやがれですぅ」

OSの読み込みが重くて、もどかしさのあまり、
つい、マウスを何度もクリックしてしまう。
イライラしながらも辛抱強く待っていた翠星石は、
漸くにして確認できた結果を見て、落胆してしまった。

蒼星石からの新着メールは、届いていなかった。
毎日、このくらいの時間にメールを送ってくれるのに、今日は遅い。

「まさか…………蒼星石の身に、なにかあったんじゃあ――」

不安な妄想が、またぞろ頭をよぎった。つくづく、過度の心配性だと思う。
妹からのメールが来ないだけで、こんなにも心を掻き乱されるなんて。
翠星石は、前髪を掻き乱して自嘲すると、新規メールを製作した。

「蒼星石にも都合があるのですから、少しぐらい遅れるのは良くあるコトです。
 そのくらい、私には、ちゃぁんと解ってるですぅ」

寂しさを感じ始めたココロを宥めるために、言い訳がましいことを口にする。
たまには声を聞きたい……という欲求を、無理矢理に心の底に押し込めた。
もし、聞いてしまったら――
切なくなって食事も喉を通らなくなるのが、分かり切っていたから。


早く返事よこせ! という内容のメールを飛ばして、翠星石はひとつ欠伸をした。
今朝の早起きに加え、お腹がくちくなったので眠気が襲ってきたのだ。
雛苺と約束した夕方までは、まだ余裕がある。少しだけ、仮眠を取るのもいい。
パソコンの電源を入れっぱなしにして、翠星石はベッドに歩み寄った。

そこで、ふと思い付く。どうせなら、蒼星石の部屋で寝ようか……と。
翠星石は時折、思慕が募ると、蒼星石が使っていたベッドで眠りに就いていた。
せめて、夢の中だけでも蒼星石と逢えたなら――
そう祈りながら、枕を涙で濡らす夜を、どれだけ繰り返したか分からない。


翠星石はマクラだけを持参して、蒼星石の部屋を訪れた。
部屋の主は三ヶ月も不在だというのに、室内の空気は蒼星石の匂いに溢れている。
ドアを閉じて深呼吸すると、翠星石の胸がトクントクンと高鳴った。

「はぁ……なにしてるですか、私は。これじゃ、ただの変態ですぅ」

自らの愚行を恥じらいつつも、翠星石は蒼星石のベッドに横たわる。
そして、布団を頭から引っ被った。頬に触れる、冷えたシーツの感触が心地よい。
翠星石は横たわったまま膝を抱えて、猫の様に丸まった。
ベッドから微かに立ち上る蒼星石の匂いと、彼女の体温が籠もってゆくにつれて、
睡魔が素早く忍び寄ってくる。

「…………蒼星石。やっぱり……会いたいですぅ。
 側に……居て欲しいですよ」

呟く声が、震えた。不意に、涙が零れる。泣くつもりなんてないのに。
こんな事ではダメだと承知していても、割り切れるほど大人じゃないし、
憎まれ口を叩いて鼻であしらえるほど、臍曲がりでもなかった。

布団の中で蹲ったまま、蒼星石の名前を囁きながら、泣き寝入りする。
翠星石の切なる願いも虚しく、その時は、何の夢も見られなかった。




三時間ほどのつもりが、つい熟睡してしまった翠星石は、
祖母に叩き起こされて時計を見るなり、血の気を失った。
また、寝坊。今から晴れ着の着付けをしていては、遅刻確定だ。

「やっばぁ……もう間に合わないです! 私服のまんまで良いですよ」
「翠星石。女の子なんだから、寝癖ぐらい直して行きなさい」
「はいですぅ」

待ち合わせの時間は、着々と近付いている。
翠星石は階下の洗面所に駆け込んで、涙の跡が残る顔を洗うと、
自室に戻って鏡台の前に座り、艶やかな栗毛を梳った。
続いて、電光石火の早業で着替えを済ませて、玄関へと向かう。
祖母が何やら引き留めたが、耳を貸している暇など無い。
靴を履くと玄関を飛び出して、待ち合わせ場所に急いだ。


「今日は朝から忙しねぇです。まったく、なんでこうなるんだか……」

ブツブツと文句をたれる翠星石。自業自得だとは微塵も考えない。
15分遅れで到着した待ち合わせ場所では、晴れ着姿の雛苺が頬を膨らませていた。

「んもう! 翠ちゃん、朝に続いて遅刻なのよー!」
「ゴメンナサイですぅ。あ、それより、もう具合は良くなったですか?」
「うぃっ。元気がヒナの取り柄なのよー」
「それ『だけ』が、ですけどねぇ」
「……いま、さらっとヒドイこと言ったの。謝罪と賠償を要求するのよー!」
「はいはい。遅刻したお詫びも兼ねて、何か買っ――?」

スラックスのポケットを手探りしていた翠星石の表情が凍りつき、
顔色が、さぁーっと青ざめていく。

「うゅ? どうしたの、翠ちゃん?」
「……財布……忘れたです」
「もう! 何やってんの、翠ちゃんっ!」
「自分で自分が情けねぇですぅ。トホホ……」
「今朝からヘマばっかりしてるの。ボケまくりなのっ! ボケッティアなのっ」
「……なんか今、もの凄い精神的ダメージを受けた気がするですぅ」

仕返しにと、翠星石は雛苺の頭を引っ叩き――かけて、手を止めた。
こんな人混みの中でケンカするのは恥ずかしいし、くたびれ損の骨折り儲けだ。
年明け早々くらいは、お淑やかでいないと。

「取り敢えず、奢る約束は、また今度にして欲しいです」
「う~、まあ仕方ないの。それなら今日は、ヒナが奢ってあげるのよ」
「雛苺……おめーは良いヤツですぅ。ついでに、お賽銭も貸して……下さいです」
「うふふ……しょうがないのね、翠ちゃんは」


  『しょうがないな、姉さんは』


一瞬、雛苺の台詞に蒼星石の声が重なった気がして――
翠星石は、ビクリと身体を震わせた。幻聴が聞こえるなんて、どうかしている。

「どうしたの、翠ちゃん。なんだか……元気ないのよ?」
「え? あ……な、なんでもないですよ。ささ、露店を冷やかしに行くですぅ」
「その前に、お参りしないとダメなのー!」

雛苺に手を引かれて、翠星石は参拝客でごった返す境内へと呑み込まれていった。
もみくちゃにされ、時々、足を踏まれたりもしたけれど、
翠星石と雛苺は離れ離れになることなく、賽銭箱の前まで辿り着いた。
雛苺に借りた五円玉を投げ入れて、柏手を打ち、願うことは……たった一つ。




それから、二人は軒を並べる露店を見て回った。
店の種類も、配置も例年どおりだ。なんとも、代わり映えがない。
そんな折、植木を売っている店の前で足を止めたのは、雛苺の方だった。

「わぁ……こんな寒い季節に、黄色い花が咲いてるのー」
「福寿草ですよ。別名、元日草。『希望』『幸福』の花言葉がある縁起物ですぅ」
「それに『最上の愛』という意味もあるのよ」
「あれ? よく知ってるですね、雛苺」
「ヒナだって、女の子だもの。そのくらい、常識なのっ」

たまたま知っていただけなのだろうが、自慢げに胸を張る雛苺の仕種が可愛らしくて、
翠星石は微笑みを浮かべながら「大したもんです」と雛苺の頭を撫でた。
嬉しそうに目を細めて微笑む雛苺を見ていると、翠星石は不思議と、
澱の如く胸の底に沈殿していた寂しさが、薄らいでいくのを感じた。

「雛苺は、これから、どうするです? なにか、買って食べるですか?」
「お夕飯なら家に帰って食べるの。今日は初詣に来られただけで満足なのー」
「……そうですか。まあ、私も財布を忘れたから、他にすることねぇですケドね」
「翠ちゃんは、食べたいものとか無いの? 約束通り、奢ってあげるのよ?」
「その気持ちだけで充分です。特に、欲しい物もないですし、今日は帰るです」
「そう――」

雛苺は少しだけ、物足りない様な……寂しげな表情を浮かべた。
しかし、すぐに朗らかな笑みを翠星石に向けて、沈鬱な空気を払拭した。

「じゃあ、ここでお別れするの。翠ちゃん、また遊ぼうね」
「うん、また今度。なんなら明日も、ドライブに連れてってやるですぅ」
「うゅ……それは、もう懲り懲りなのぉ」

互いに手を振って、二人は別れた。雛苺の後ろ姿が、雑踏の中に消えていく。
彼女の小さな背中を見送って独りになると、翠星石はなんとなく心細くなった。
蒼星石が居た去年は、夜が更けるまで遊び歩いたものだったのに――


「あ……そう言えば、パソコンを起動したままだったですね」

蒼星石から、メールが届いているかも知れない。
それを楽しみにして、翠星石は駆け出した。長い髪を風に靡かせ、帰途を急ぐ。
帰り着くと、ただいまの挨拶もそこそこに階段を駆け上り、自室に籠もった。

「蒼星石から、メールは来てるですかねぇ……あ、来てる! 来てたですぅ」

翠星石は嬉々として椅子に腰掛け、メールを開いた。


【姉さん、元気?
 お正月なのに、帰れなくてゴメンね。寂しくって泣いてるんじゃない?】
「……バカ。泣いてなんかねぇです」

独り言を呟きながら、マウスのホイールを、中指で、そっ……と転がしていく。
スクロールしていく文字は、無機質で味気ないビットの集合体だけれど、
蒼星石がタイピングしたのだと思うと、なんだかキレイな絵のように見えた。


【ボクは、元気でやってるよ。でもね、時々……疲れてる時に、
 姉さんの声が聞きたくなっちゃうんだ。甘えん坊だね、ボクは。
 いつまで経っても、姉さんに寄りかかってしまうなんてさ】
「それを言ったら、私だって甘えん坊ですぅ。
 蒼星石の声が聞きたい。蒼星石に触れたい。願うのは、その事ばかりです」


【白状するとね、ボクが留学を決めたのは――
 こんな甘ったれた性根を、叩き直すためだったんだ。
 姉さんの重荷になってやしないか、心配になっちゃったんだよ。
 だから……ボクは、まだ帰らない。帰れないんだ】
「蒼星石の考えてた事くらい、ちゃぁんと解ってたですよ」

そう独りごちた翠星石の頬を、一粒の雫がこぼれ落ちた。

「まったく……バカちんな妹です。重荷だなんて、思うワケねぇですのに。
 むしろ、もっと頼って欲しいですよ。私を、必要だと思って欲しいのです。
 唯一無二の存在として、片時も手放さないで欲しいのですぅ!」
【ゴメンね、姉さん。お正月から、こんな話題しか切り出せなくて。
 今は、まだ会えない。でも、きっと会えるから】
「うん。きっと会えるです。今日も、初詣に行って神様にお願いしてきたですよ」
 
蒼星石に会いたい。
それが……たった一つの、翠星石の願い。


【取り敢えず、お正月だから、それに因んだ画像を貼り付けておくよ。
 それじゃ、また明日ね。……おやすみ、姉さん】

メールの本文は、そこで締め括られている。
添付ファイルを開くと、それは福寿草の写真だった。
初詣の時に雛苺と立ち寄った露店で、去年は蒼星石と、福寿草を眺めていたっけ。

ディスプレイの中の黄色い花が示す意味は、最上の愛、希望、そして……幸福。


翠星石は返信のメールに、たった一言だけ書き込んで、蒼星石の元へと送った。



「私も『愛してる』ですよ。おやすみです、蒼星石」