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  ―如月の頃 その4―  【2月19日  雨水】


入院騒動があってから、早、半月が過ぎようとしていた。

結局、検査入院では何も異常が見られず、翌日の日曜日には退院できたのだ。
そして、月曜日からは通常どおり、バイトに勤しむ日々が訪れていた。

今日は日曜日だけれど、早起きをして通院し、経過を診てもらった。
問診だけで、もう精密検査などは行わない。お陰で、用件は直ぐに済んだ。
もう心配ないだろうと、医師の太鼓判(或いは、お墨付き)を頂けたので、
翠星石の気分は、頗る良かった。


取り敢えず、家に帰って祖父母に診察の結果を知らせてこよう。
それから、蒼星石にメールを送って――

そんなコトを考えながら、独り歩いていると、やや前方に見知った姿を認めた。
声を掛けようとして、思い留まる。相手はまだ、こっちに気付いていない。
翠星石は足音を忍ばせつつ、小走りに近付いて、バシン! と肩を叩いた。

相手は、翠星石の思惑どおりに、びくぅっ! と身体を震わせた。
人を驚かすという行為は、意外に楽しいものなのだ。
ビックリさせられた当人は、振り返って相手の正体を知るなり、頬を膨らませた。

「なにするのぉ? 翠ちゃんってば、ヒドイのーっ」
「軽いスキンシップですぅ。そんなに怒るなです」

まったく悪びれた様子も見せずに応じる翠星石に、雛苺は「もぉ」と呆れると、
翠星石をその場に残し、踵を返して歩き始めた。
その背中を、翠星石が慌てて追いかけ、並んで歩き始める。

「あぁん、待つですぅ。ごめんなさいです。私が悪かったですぅ」
「……ちっとも誠意が感じられないの」
「それなら、いちご大福24個入りを、どーんと一箱プレゼント!
 という線で手を打つのは、どうですぅ?」
「う……ヒ、ヒナは食べ物に釣られるほど、いやしんぼさんじゃ……ないのよ?」

と言って、雛苺は拗ねたようにそっぽを向いたが、頬の弛みや輝く瞳から、
満更でもないのだと察しが付いた。
けれど、ここで無理に勧めても、却って頑なに拒否されるだけだろう。
意外に、雛苺も強情なところがあるのだ。
翠星石は慎重に言葉を選びながら、話を続けた。

「私が、たまには食べたいかなぁ~と、思っただけです。
 これから買って帰って、一緒にお茶でも飲まねぇか? ですぅ」 
「でも、今の時間からお茶したら、お昼が食べられなくなるのー」

至極もっともな意見を返され、翠星石は言葉に詰まった。
確かに、腕時計の時刻は、午前11時を回っている。
今から飲み食いするとなると、昼食代わりになってしまう。

「……間が悪かったですね。一緒にお茶するのは、また今度にするですぅ」
「また今度――なんて言わずに、おやつの時間にお茶すれば良いのよ?」
「おお、なるほど! その通りですぅ。
 おバカ苺にしては、やたらと冴えてやがるですね~」
「ねえ、翠ちゃん。それよりも、これからヒナに付き合わない?」

翠星石の淡い毒舌を聞き流して、雛苺は「用事があるならいいのよ」と、
断りを入れて彼女を誘った。
元より、翠星石に異存はない。診察結果は祖父母に電話して報せればいいし、
蒼星石へのメールは、夜に一括送信すれば良いのだから。

「しゃーねぇから、付き合ってやるです。どこに行く気です?」
「教えてあげないの。秘密なのよー」

言って、雛苺は歩く速度を、気持ち早めた。




雛苺に連れられてやって来たのは、市立図書館だった。
小綺麗な建物の日陰に、先週末に降った雪が、まだ消えずに残っていた。
すっかり泥汚れして、雪と言うより、氷の塊と化している。
雛苺が、それを目に留めて感嘆の声を上げた。

「凄ぉいの~。降ってから一週間も経ってるのに、まだ残ってるのよ」
「この寒さですからねぇ。雨でも降らない限り、なかなか消えねぇです」

答えながら、翠星石は今朝、台所で見た日捲りカレンダーを思い出した。

「そう言えば、今日は雨水ですぅ」
「うすい……って、なぁに?」
「二十四節気のひとつです。氷が溶けて水になり、雪が雨に変わって、
 植物が芽吹く頃とされてるですぅ」
「へえぇ。あ、見てみて。あの木、花が咲いてるの。桜……なの?」
「……おバカ苺。あれは梅ですぅ」

梅はバラ科の植物で、早春に白や紅い花を付ける。二月の誕生花でもあり、
花言葉は『高潔』『潔白』『忠実』『貞操』だった。
今夜のメールには、家の庭にある梅の花をデジカメで撮って、添付しようか。
なかなか、いい思い付きかも知れない。

「もぉ! バカって言わないでなのー。ちょっと勘違いしただけなのっ!」
「はいはい……。それより、ほれ。早く用事とやらを済ますです」
「あ、そうなの。翠ちゃんにも、本を探すの手伝って欲しいのよ」
「本探しですか? その位なら、お安い御用ですぅ~」

図書館に備え付けのパソコンで検索して、データを紙に書き取り、書架に向かう。
パソコンが普及してからと言うもの、本探しも随分と楽になった。
翠星石は雛苺に頼まれた分の書籍を集めると、窓際の席に陣取った彼女に渡した。
大学の講義に関連のある専門書から、彼女の趣味と思われる本まで、多種多様だ。
まあ、最も多かったのは、マンガの単行本だけれど。

熱心に読書を始めた雛苺の様子を見て、暫く帰れそうにないと判断した翠星石は、
自分の趣味に合った本を探しに、書架へと引き返した。

「たまには……娯楽系の小説を読んでみるのも、いいかも知れねぇです」

図書館の利点は、文学全集など、個人では揃えにくい書物が保管されているコトだ。
しかし、枕草子などの古文調となると、気軽には読めない。
最悪、2、3ページ読み進んだところで、夢の世界に旅立つこととなる。
どのジャンルが良いかと悩んでいた翠星石の目の前に、SF作品の書架が現れた。
なんという、運命的な出会い!
翠星石は幼い少女のように緋翠の瞳を輝かせて、期待に胸を躍らせた。

「これです! やっぱり、適度な緊張感を求めるならSF文学ですぅ」

そして、翠星石が『植物』という単語に反応して、手に取ったのが……


  『怪奇植物トリフィドの侵略』 ジョン=ウインダム著


という本だった。
旧ソ連が開発したバイオ生物『トリフィド』が、全地球に繁殖していき、
地球の脇を通り過ぎた流星を眺めて失明してしまった人々を襲い始める――
という内容である。

コワイ話は苦手だけれど、興味を惹かれてしまう。
パラパラと読み始めると、翠星石はすぐに、物語の世界に引き込まれていった。
世界中の人々が、流星の光で網膜を焼かれて失明する衝撃。
目の見えなくなった人々を襲う、自立歩行型の植物『トリフィド』の不気味さ。
辛くも失明を免れた主人公たちが、トリフィドと戦うために織りなす人間ドラマ。

翠星石は壁際に置かれた椅子に腰掛け、夢中で読み耽っていた。
お昼になり、雛苺が迎えに来たのも気付かないくらいに。

「そんなに面白いなら、借りていけばいいのよー」
「そうするです。続きwktkで眠れねぇですぅ」

カウンターで貸し出しの手続きを済ませて、翠星石と雛苺は、図書館を出た。
二月も半ばを過ぎたが、まだ風が冷たい。
けれど、いつか氷は溶けて、流されていく。
季節が移ろい、人の心もまた、変わってゆく。


蒼星石への想いは……変わらずに、いられるだろうか?


ふと、心に暗い影が落ちる。それは、運命という名の、気紛れで残酷な天使。
あるいは、試練を与えるだけで、答えは絶対に見せない意地悪な小悪魔か。

不吉な影を追い払うように首を振って、翠星石は、隣を歩く雛苺に話しかけた。

「お昼を食べ終わったら、梅の花でも見に行かねぇですか?
 公園には、ちょっとした梅林があるです。きっと、いまが見頃ですぅ」

公園の梅林は、双子の姉妹と亡き両親の、思い出の場所。
翠星石と蒼星石は毎年、追悼の意味も込めて、この時期に訪れていた。
けれど、今年は……蒼星石が居ない。
ずっと続けてきた、二人だけの年中行事だったのに。

硬く結ばれた絆だと思っていたのは、氷の彫像だったのだろうか。
やがては溶けて流れて、消えてしまうような、儚い関係だったのだろうか。

(それでも……止めるワケにはいかねぇのです)

止めてしまったら、本当に、何もかもが終わってしまう。
独りでも、続けなければならない。でも、独りだと泣いてしまいそう。
だからこそ、雛苺には付いてきて欲しかった。

「もしかして、ダメ……です?」

なかなか返事をしない雛苺に、翠星石は、おずおずと問い掛ける。
雛苺は、不安げな翠星石に、満面の笑みで応じた。

「ヒナで良ければ、幾らでも付き合ってあげるのよ」

そう言った後に「でも、うにゅーの約束は守ってもらうのっ」と釘を差してきた。
ちゃっかりしている。
翠星石は苦笑いながらも、頚を縦に振った。

「モチロンです。たまには、梅を見ながら、いちご大福を食べるのも乙なもんです」
「決まりなの! じゃあ、また後でね」
「解ったです。二時くらいに、迎えに行くですよ」

自宅へと駆けていく雛苺を見送って、翠星石も帰り道を急いだ。
いちご大福を買う時間も必要だ。早く昼食を摂って、準備をしないと。
折角だし、デジカメで公園の梅林を撮影して、蒼星石にメールで送ろう。
二人で訪れることが出来ないなら、せめて、こんな形ででも一緒に花を眺めたかった。

今日は雨水。
氷が水に変わるなら、凝り固まった悲しみは溶かして、過去へと流してしまおう。
雪が雨に変わるなら、雨降って地固まるの諺どおりにしてしまおう。

為せば成る。どんなコトも、きっと――




その夜、翠星石は今日の出来事を日記風にまとめて、蒼星石にメールを飛ばした。
公園の梅園と、家の庭に植えてある梅の写真と――
自分で書いたトリフィドの挿し絵を添付して。




その日の夢は、トリフィドに追いかけ回される悪夢だった。
トイレに行きたいのを我慢して、膀胱炎になりかけたのは、彼女だけの秘密である。