『風と空と』
ねえ――空を飛びに行かない?
唐突な台詞を蒼星石が口にしたのは、遅刻確定の通学路での事だった。
藪から棒に、なにを言い出すんだろう。
そもそも、近くにバンジージャンプが出来る遊園地なんか有ったっけ?
訳が解らず茫然とする僕の手を、彼女は強引に引っ張った。
電車とモノレールを乗り継いで着いたのは、港を見下ろす高台の公園だった。
平日の昼間とあって、人は殆ど居ない。貸し切りみたいで気分が良かった。
でも、こんな所で、どうやって空を飛ぶんだろう?
「あ! 来たよ、ジュン君」
不意に、蒼星石が空を指差した。その先には、今まさに着陸しようという旅客機。
尾翼にANAのロゴが見えた。
こんな間近でジャンボジェットを見たのは初めてだった。
「うわぁ! 凄ぇ! でかいよ、蒼星石」
「ホント、凄いよねぇ。あんな大きなのが、空を飛ぶんだからさ」
「うん……って、アレ? 空を飛びに行くって、まさか」
「ふふっ……そうだよ」
柔らかな朝の日射しを浴びながら、蒼星石はニッコリと微笑んだ。
「実はもう、二人分のチケット買ってあるんだなあ、これが」
「えっ? ちょっと、話がよく見えないんだけど」
「ねえ、ジュン君。このままさ、ボクと駆け落ちしちゃおうよ」
「な、なな……なんだってぇ?!」
突然、こんな話を切り出されれば狼狽えない方がおかしい。
そりゃあ、僕だって蒼星石が好きだ。一緒に暮らせたら、きっと愉しいさ。
でも、僕らはまだ自立しきれてない半人前。悲しいけれど、それが現実。
なんと返事をすべきか。僕は多分、今までの人生で最も脳をフル回転させた。
しかし、悲しいかな思考は空回りするばかりだ。
「やっぱり……困るよね。いきなり、こんな話されたら」
「別に、困ってなんか……いや、困ってるか。でも決して、イヤじゃない」
「そうなの? ホントに?」
「ああ、ホントに。巧くは言えないけど、僕は蒼星石と一緒に暮らしたい。
生きていきたいって思ってる。でも、駆け落ちっていうのは――」
できない相談だ。勇気を出して誘ってくれたキミには悪いんだけど。
その一言を伝えようとした矢先……。
「ぷっ…………あははははっ!」
いきなり、蒼星石が大笑いしだして、僕は面食らった。一体なんなんだ?
「ゴメンゴメン。嘘だよ、ジュン君」
「……へ?」
多分、この時の僕は、とても間抜けな顔をしていたと思う。
見られたのが蒼星石だけで、本当に良かった。
まかり間違って翠星石に見られていたら、一生、笑いのネタにされてただろう。
「ボクが、空を飛びに行かない? って言ったのは、あっちの方なんだ」
「あっち? あ、離陸していくのか」
今まで気付かなかったけれど、広い運河を挟んだ対岸は、とんでもなく長い滑走路だった。
左から着陸して、別の便が右方向へと飛び立っていく。
その間隔は短く、およそ五分くらいに思えた。
「飛行機は離陸するとき、向かい風に向かっていくんだよ」
「翼が揚力を得るために……だろ。そのくらい知ってるよ」
「うん。でも……凄いよね、やっぱり」
ふわり……と、また一機が滑走路を離れて、晴れ渡る空へと舞い上がっていく。
遠い遠い雲の中へと、吸い込まれるように消えていく。
一機、また一機……と眺めている内に、
なんだか僕の心も、あの空の向こうに飛んでいくような気分になった。
「不思議な感覚がするよ。本当に、空を飛んでるみたいな」
蒼星石は「でしょう?」と、朗らかに笑った。
「ここは、ボクのお気に入りの場所なんだよ」
翠星石にも教えたことがない、と蒼星石は続けた。
そんな場所に連れてきてくれたんだと思うと、どうしようもなく嬉しかった。
「ありがとう、蒼星石。なんか今、無性に感動してる」
「そんな大袈裟なものじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「ジュン君と秘密を共有したかっただけだよっ♥」
秘密……それは、二人だけの思い出。
「じゃあさ、折角だし……もうひとつだけ、秘密を共有しようよ」
「? どういうこ――!!」
それ以上、言葉は必要ない。
僕は蒼星石の肩を優しく抱き寄せ、そっ……と唇を奪った。
僕らは幼馴染。そんな二人の関係が、少しだけ変わった瞬間――
そして、いつかは本当に、二人で……空を飛びに行こう。
春先の空と風が、僕らを包み込んでいた。
蒼い子まつり即興SS。東京モノレールと、羽田空港のイメージ。