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  ―葉月の頃 その4―  【8月23日  処暑】①


処暑とは、二十四節気のひとつに挙げられ、暑さの和らぐ時期とされる。
だが、太陽は暦など無視して、強烈な真夏の日射しを投げかけていた。
それはもう、天日だけで鉄板焼きが楽しめてしまうほどに。

「はふぅ~。今日も朝から、あちぃですぅ~」

翠星石は、窓を開け放した居間のソファにデレ~っと身を沈ませながら、
足元に寝そべっているチビ猫の腹を、爪先でちょいちょい突っついていた。
そよ吹く風が、風鈴を揺らしながらサッシに掛けた簾を抜けて、吹き込んでくる。
だが、とにかく熱い。生ぬるいだとか、生やさしいものではない。
庭仕事なんぞしていようものなら、たちどころに熱中症になりそうだった。

柴崎家には、エアコンなる文明の利器が存在しない。
祖父母――ことに、祖母の方――が、極度の冷え性であるためだ。
そのため、古めかしい首振り型の扇風機が、いまだ現役で稼働している有様だった。

夏の風物詩であるセミの声も、翠星石を気分的に暑くさせる。
キャミソールにショートパンツという軽装ながら、ちっとも涼しくなかった。
身体中、じわりと滲んでくる汗で、べたべたする感じが気持ち悪い。
手にしたウチワで、首筋から顔にかけてを、はたはたと扇ぐのだが……
どうにも汗は引かず、却って蒸し暑くなるほどだった。


――そこへ、氷を浮かべた麦茶のグラスを両手に、双子の妹が顔を覗かせた。
「今日も暑いよね」と口にするが、姉と同じ服装の蒼星石は、至って涼しげだ。
やはり、髪の長さ分だけ、翠星石の体感温度が高いのだろうか。

「あぁん♪ やっぱり、蒼星石は気が利くですぅ~」

翠星石は、露を纏ったグラスを嬉々として受け取るや、ごくごくと喉を潤した。
あまりに勢いよくグラスを傾けたものだから、唇の端から零れた麦茶が、
するすると顎から喉を経由して、胸へと流れていった。
けれど、彼女は気にも留めず麦茶をイッキ飲みして、氷をひとつ、口に含んだ。


「はもはも……ほゃ……ふぃ……ひぅー。はふぅ~、歯と喉に凍みたですぅ~」
「もぉ、なにしてんのさ。そんなに慌てて飲まなくたっていいのに」
「解ってねぇですねぇ、蒼星石は。これは、麦茶を飲むときの作法なのですよ?
 かの松尾芭蕉の俳句にも『夏草や 喉に浸み入る 麦の水』ってのがあるですぅ」
「またまたぁ。だいたい、麦の水って、ビールの代名詞じゃないの?」

蒼星石は呆れ顔のまま、畳の上に膝を揃えて座ると、ちびりちびり麦茶を飲みつつ、
傍らに寝転がっているチビ猫の腹を、さわさわと撫でた。
その手に、チビ猫がじゃれついて、彼女の白く細い指をカプッと甘噛みする。
猛暑でへばっているかと思いきや、意外に元気なものだ。

「ぁん……。こら、チビチビ。爪を立てたら痛いよ」

柳眉を八の字にして苦笑いながらも、蒼星石はチビ猫との戯れを、やめようとしない。
そんな蒼星石の悩ましげな表情に、翠星石は、そこはかとなく胸の疼きを覚えて――

「いたたっ。そこは、噛んじゃダメだってば」

噛まれた仕返しとばかりに、チビ猫を抱き上げた蒼星石が、
「このっ、このっ」と頬ずりする様子を目にするなり、プッツンした。

「も……も……もふもふ……させやがれですぅ――っ!」
「わひゃぁっ! ちょ! 姉さん、どこ触ってんのさっ」

いきなり抱きついてきたばかりか、もぞもぞ弄ってくる翠星石。
チビ猫を逃がした蒼星石は、グイと姉を押し返し、間髪入れず反撃に移る。
身長や体格は似たり寄ったりだが、若干、蒼星石の方が力強い。
ころん……と姉を仰向けに転がして、レスリングみたいに押さえ込み……
くすぐる。とにかく擽る。ひたすら擽る。いまだかつてないほど擽る。

「あひゃひゃひゃ……や、やめっ……蒼っいひひひひっ……く、苦し――」
「姉さんが謝るまで、ボクは擽るのをやめないからね」
「はぁひひひ……わ、悪かったです……ひぃひぃ……もう、やめ……る、ですっ」

堪らず、涙を浮かべて懇願する姉に、蒼星石は――

「うふふふ…………ダぁメ。やっぱり許してあげない☆」
「ほあ――っ?!」

ウインクで星を飛ばして、無慈悲に擽り続ける。

結局、それから騒ぎを聞きつけたオディールが止めに入るまでの五分ほど、
蒼星石の【失禁寸前くすぐり地獄】は休むことなく続けられて、
じゃれ合っていた姉妹は、すっかり汗まみれになっていた。




友人たちとの集合時間までに、大急ぎでシャワーで汗を洗い流したものの、
翠星石の表情は暗鬱として、普段の活発さが失われていた。
実のところ、笑いすぎで、クタクタに疲れ切っていたのである。
おなかの鈍い痛みは、いまだ治まらず、明日には筋肉痛になっていそうな感じだ。

そうとは知らない雛苺が、心配そうに翠星石の顔を覗き込んできた。

「うよー? なんだか元気ないのよー。翠ちゃん、具合悪いの?」
「ん……別に、そんなコトねぇですけどぉ」

返す言葉も、言った本人ですら呆れてしまうほど、歯切れが悪い。
もう誤魔化すのもメンドくさくなって、翠星石は雛苺の視線から顔を背け、
集まった友人たちに力無く声を掛けた。

「それで……結局、どういう割り振りにするですかぁ?」

何のコトかと言うと、誰が、どの車に乗るかということ。
柴崎家の前で顔を揃えるなり、友人たちはアッチだコッチだと揉め始めたのだ。
遠足のバスの座席選びで、つい躍起になっちゃう、あの心境だろう。
翠星石としても、蒼星石とオディールの同乗を、なんとか阻止したい構えだった。

ちなみに、都合が付いた車は、真紅のRAV4、みっちゃんのオデッセイ。
それと、柴崎家のブルーバードシルフィの計三台である。
参加者は、上記の三名と、水銀燈、金糸雀、蒼星石、オディール、雛苺、
雪華綺晶と薔薇水晶に、ジュンと巴を加えた12名だ。
みっちゃんと金糸雀が、実はご近所さんだったと知ったのは、今朝のことだった。


――とにもかくにも、この炎天下で、ダラダラと口論しているのは辛い。
喋った言葉の数だけ目的地に近付く、と言うのであれば話は別だが、
無論、そんなことは有り得ない。早い話が、単なる時間のムダ。
ここは、みっちゃんが大人の貫禄を発揮して、場を取り仕切った。

「あたしと翠星石ちゃんと真紅ちゃんは運転するから、除外っと。
 残りの人たちはクジ引きねー。くれぐれも、恨みっこなしだからー」

言って、彼女は翠星石に用意させた紙とペンで、あみだクジを作り始めた。




――と。
紆余曲折の末、なんとか割り振りも終わり、高速道路をひた走る車中で、

「納得いかねぇです。策謀のニオイが、ぷんぷんしやがるですぅ~」

翠星石は、不機嫌ここに極まれりといった仏頂面で、ハンドルを握り締めていた。
ぶちぶちと文句をたれる彼女に、後部座席から諫める声が届く。

「恨みっこなしなの~。クジ作ったのは、みっちゃんなのよ?」
「で、でもぉ……あの結果だって、有名無実だったじゃねぇですか」

事実、クジで決まった直後も少なからず談合が行われて、
金糸雀、薔薇水晶、雪華綺晶、ジュンと巴が、みっちゃんの車に。
そして、蒼星石とオディールは、真紅の車に同乗していた。
翠星石が運転する車には、雛苺と水銀燈が乗っている。

「真紅の車に乗るはずだった巴に、代わろうって提案したのは、蒼ちゃんの方なの。
 ヒナは、みっちゃんの車がいいって金糸雀が言うから、代わってあげたのよ」
「あらぁ……思いやりがあって良い子ねぇ、ヒナちゃんは。
 貴族風味で、おばかさんの真紅とは大違いだわぁ」

この直後、運転中の真紅が盛大なクシャミを二連発したのは、たんなる偶然。
雛苺は、水銀燈に甘えてしなだれながら、小間物を入れたバッグを探った。

「えへへー。銀ちゃ~ん、もっと褒めてなのー♪ あ……そうそう。
 ヒナね、よく冷えたヤクルト持ってきたのよ。銀ちゃんにあげるの~」
「ぃやぁん♪ もぉ、マ~ヴェラ~ス! なぁんて良い子なのぉ」


普段の、気安く他人を近寄らせないクールさは、どこへやら。
素直に懐かれることが嬉しいのか、水銀燈はコワレたかと思うほど満面の笑顔で、
じゃれついてくる雛苺を優しく抱き寄せ、受け止めている。
端から見る分には、いいお姉さんと、カワイイ妹――といった風情だ。
翠星石はルームミラーで、後部座席の二人を眺めて、険しかった表情を弛めた。

(移動の時くらい、こういうのも良いかも……ですぅ。
 どうせ、宿に着けば、また蒼星石と一緒に居られるですからね)

今までの、会えなかった時間に比べれば、ほんの数時間の別れなど取るに足らない。
それに、考えてみれば、蒼星石とオディールは二人きりではないのだ。
こと品位に関して口喧しい真紅が一緒なら、間違いも起こり得ないだろう。

「し……しゃーねぇですから、おバカ苺のお守りでもし……とぁ――っ?!」

ひとまず安心して、再度、ルームミラーで後部座席をチラ見するなり、
翠星石は、妙ちきりんな奇声をあげた。
なんと! そこでは、水銀燈が雛苺に押し倒されていたではないか。

「んふふふ~。銀ちゃんのうにゅー、ふかふかなのー」
「やっ……ソコは違……やめ、なさぁ……ぁん」
「ヒナの『もふもふテクニック』で、溺れ乱れアンマァ地獄なのよ~♪」
「ぁひぃ――んっ♪ ヒナちゃ…………ぁん……ま、あぁ――っ」

あられもなく繰り広げられる痴態に、翠星石はアタマが沸騰しそうになった。
心拍数は急上昇。なにやら、クラクラと眩暈までしてくる。
このまま看過してもいいものか? もう少しだけなら……いいや、よくない!

「お、お……おめーら、いい加減にしやがれですぅ――っ!」

翠星石は、いっそ急ブレーキでも踏んでやろうかと思ったが、ここは高速道路。
そんなコトをすれば、生命に関わる大事故を招くのは必至。
せめてもの妨害とばかりに、頻りと車線変更して揺さぶりをかけるが、効果なし。
後部座席からの、アンマァ~な雰囲気は、途絶えることを知らない。


――結局、休憩ポイントのサービスエリアに到着するまで、
翠星石は(いろいろな意味で)ドキドキしっぱなしだった。




はふぅ――――

漸くにして着いたサービスエリアで、翠星石はジュースを一口飲んでは、
気怠そうに長く息を吐いた。いや……実際、果てしなく気疲れしていた。
彼女と並んで喉の渇きを潤していた蒼星石が、その様子に気付いて話しかける。

「どうしたのさ、姉さん。だいぶ疲れてるみたいだけど、大丈夫なの?」
「え……と。た、たまの長距離ドライブで、気分的に疲れたですよ。ぁはは……」

引きつった顔で、乾いた笑いをたらたら紡ぐ翠星石を、
妹の心配そうな眼差しが、ひたと捉えた。
ウソや冗談を言いそうな目ではない。本気で気に掛けている様子だった。

「出発前から、なんか元気なかったよね。もしかして……ボクの……せい?」
「ふぇ? なんで、そうなるですか」
「だって…………朝、あんなに擽って、ムリヤリ笑わせちゃったでしょ。
 アレの影響かなぁって……その……ずっと、心配してたんだよ」

言われて初めて、翠星石は思い出した。
今朝方、笑い死ぬかと思うくらいに、擽られまくったことを。
もう少しで、お漏らししそうになったなんて、口が裂けても言えない。

元を質せば、翠星石がちょっかいを出したからなのだが、
あの仕打ちを思い返すと、憤りと共に、なにやら良からぬ想いが沸々と――

「なんだったら、ボクが運転を代わろうか。
 姉さんは、真紅の車に移って、ゆっくりしてよ。ね?」
「ううん、平気ですよ。心配してくれて、ありがとですぅ」

蒼星石の気遣いを、清々しいまでの笑顔でやんわり断った翠星石は、
飲みかけのペットボトルを手に、車へと戻った。


ちょうど、水銀燈と雛苺も、友人たちとの語らいを終えて、戻ってきたところだ。
水銀燈は少しばかり窶れ気味だったが、歩き回れるのなら、まだ平気だろう。
ここぞとばかりに、翠星石は声を掛けた。

「銀ちゃん。すまねぇですけど、次の休憩まで運転を代わって欲しいですぅ」
「ええ、良いわよぉ。それじゃあ、キー貸してぇ」
「はいですぅ」

翠星石はキーを渡し、後部座席に収まるが早いか、雛苺にヘッドロックをかました。
そして、こしょ……っと耳打ちする。

「雛苺……おめーの『もふもふテクニック』を、私に教えやがれです」
「うょっ?! 翠ちゃん……いきなり、どうしちゃったのー?」
「ちょっとワケありで、その奥義を会得したくなったですよ。どうです?」
「うゆ…………よく解らないけど、分かったのよ」

同意を取り付けると、翠星石は雛苺を解放しつつ、ニタァ~と嗤った。
すべては、今夜の復讐劇に向けた下準備。

(いーっひっひっひ。目にモノ見せてやるですよぉ、蒼星石ぃ)


――だが!
復讐心を滾らせるあまり、視野狭窄に陥っていた翠星石は、
この直後、地獄を初体験する羽目となった。


「言い忘れてたけど、ヒナの『もふテク』は108式まであるのよ。
 それじゃあ、手始めに1式『電気アンマァ~』いっちゃうのー」
「へっ? ちょ…………ほあ――っ?!」

車内に轟く、絹を裂くような悲鳴。

一生の思い出となる旅行は、始まったばかりだった。