※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 
鏡に映る、若い娘。
――それは、私。他の誰でもない、自分自身。
湯上がりの、薄桃色に染まった肌から幽かに立ちのぼる淡い色香は、
いくらも保たずに、濡れたままの洗い髪へと溶けてゆく。

なにも……変わらない。変わってなどいない。
瑞々しく細い喉、胸元を点々と飾るホクロ、薄蒼く血管の浮いた白い肌。
全ては、いつもどおりの、見慣れた景色。


「ステキな身体……私のカラダ……」

鏡の中の自分に見とれながら、そんな戯れ言を、口にしてみた。
夢の中で、いつも逢う彼女が、熱っぽい吐息と共に囁く言葉を。
だけど、彼女の姿は、ハッキリと思い出せない。
白いモヤモヤしたイメージしか、残っていない。
ここ最近、毎晩のように、同じ夢を見ているというのに。

そのくせ、彼女の声だけ、不思議と明瞭に憶えているのは、何故?
実際に、鼓膜が震わされた感覚が、刻み込まれているのは、何故?

「どうして、あんなワケの解らない夢を見るようになってしまったの?」

物事の変化には、原因がある。どれだけ些細なことだろうと、必ずある。
であれば――あの夢を見るようになった理由も、きっと……どこかに。

よく……考えてみる。
よく――分からない。
さっきから、自分の鏡像を見つめたまま、その繰り返しばかり。


「電車とか、教室とか……どこかで、隣に座った誰かさんの会話を耳にして、
 漠然と憶えていたのでしょうか。ええ……きっと、そういうコトなのですわね」

我ながら、言い訳がましい、とは思う。そう。思うのだけれど……
こうだと自信を持って答えを導き出せるほど、確かな手懸かりを持ってはいない。


たかが、夢――
されど、夢……


得体の知れない寒気に背筋を震わせた私は、いそいそと下着を身につけ始めた。
身震いしたのは、少し、湯冷めしたせい。
そんな言い訳を、また飽きもせず、胸裏で囁きながら。




優雅に朝風呂としゃれ込んだ後、好きなことをしながら過ごす週末。
ココロが豊かになる時間、とでも言おうか。心身共にリラックスしている。
お陰で、連夜の奇妙な夢のことなど、すっかり忘れていた。
再び太陽から月へとバトンがリレーされて、深い眠りが近付いてくる時でさえも。


そして――
今宵も、彼女は静かな衣擦れを供に、私を訪ねてきた。

「ねえ…………起きて下さい。ねえったら」

覚醒を促す声に、ふと、意識が目覚める。
その時、私はベッドに横たわり、寝入っていた。
若い女性の声は、更に、呼びかけてくる。
この時、私の聴覚はしっかりと、目覚めていた。

もごもごと、明瞭ではない発音。舌足らずな感さえある、娘の声。
だが、夢を見ているのではない。それだけは解っていた。

眠りの中で弛緩しきっていた私の思考が、のたのたと理論の腕を伸ばして、
放り出していた自己意識に、そっと触れる。
それを察したのだろう。彼女が、私の耳元で、くすっ……と鼻を鳴らした。

「起きたのね?」

念を押すような口振り。その時には、私は分析力も判断力も、取り戻していた。
そして…………気づいた。
呼ぶ声は、紛れもなく、私の声。
つまり、私は寝言で、自身に起きろと口走っていたのだ。


ハッと瞼を開いて、まず飛び込んできたのは、重たくのし掛かってくる夜闇。
天鵞絨のカーテンが月明かりを遮っているため、闇以外、何も見えない。
いや……そもそも、瞼を開いたつもりになっていただけなのかも。
そんな中で、私の唇が、また……独りでに蠢いた。

「ご機嫌いかが? マスター」

なんて奇異な体験だろう。口が勝手に動いて、しかも、自分に話しかけている。
恐怖を覚えるより先に、まだ寝惚けているのかと、噴いてしまったほどだ。


――が、私の失笑は、放たれてなどいなかった。
それどころか、全身の自由すら利かなくなっていた。
意識は覚醒している。私の身体が、今この瞬間、確かに在るのも分かる。
なのに、この空虚で心許ない感覚は――――どういうことか。

なぜ、こんなことが? いや、そもそも……何が、どうなっているの?
戸惑いの色が、じわじわと恐慌の絵の具に塗り替えられていく中で、
私の唇は、彼女の意志によってのみ、言葉を紡ぎだしてゆく。

「怖がらないで下さい。私は、貴女の従者。貴女が、私を必要としてくれた。
 だから……貴女は、私のマスター」


また、無意味な拍車を掛けて、私を混乱の渦に突き落としてくれる。
私の心臓は、破れてしまいそうなほど、ドキドキしているのに。
動揺を静める暇も、安堵に導く優しい言葉も、彼女は与えてくれない。
翻弄されっぱなしで、まるで、濁流に揉まれて溺れかけている心境だった。

(あなたは、だぁれ? なんの目的で、こんなコトをするのですか?)

ムダを承知で、ココロに問いかける。今は、そんなことしか出来ないから。
そう。せめてもの気休めになれば、と。理由なんて、その程度。
物事の変化にあるべき原因を、突き止めようとか――
そんな考えが、あったワケじゃない。彼女と意志の疎通を図るつもりなんて、全然。

でも、予期に反して、彼女は答えてくれた。
抑揚のない、それでいて親身な、なんとも矛盾した声色で。

「愛しい、マスター。私は……貴女を救いたい」


私を……救う? その一言を、何度も、何度も、反芻する。
そして、ココロの中で、ひっそりと嘲笑う。
こんな、イタコの口寄せまがいのコトをしなければ、自己表現もできないクセに、
どうやって私を救おうというのかしら、この娘は……。

「かわいそう――」
私の唇が、いま一度、開かれる。「かわいそうな、私のマスター」

(知ったような口を!)
私は胸の内で、叫んでいた。(貴女なんかに、私のなにが解るというの?)

いつしか、私の畏れと動揺は、怒りに変わっていた。
こんな、自分の意志とかけ離れたところで、得体の知れない娘に弄ばれるなんて、
私のプライドが許さない。哀れみを施されるなんて、尚のこと。
この私は――雪華綺晶は、誰かにとっての、都合のいい操り人形なんかじゃない。

(私は今まで、自分の歩む道は、自分で拓いてきた。これまで、ずっと――)
「――存じあげております、マスター。
 貴女は、ずっと……闘ってきましたよね。幼少の頃から、ずっと独りで。
 誰からも愛されなくなると……本当は解っているのに、それでも……」

そう。癪に触るけれど、本当に、彼女の言うとおりだった。
物心ついた時から、私は、自分を取り巻く世界を相手に戦うことを憶えた。
私の、この右眼を醜いと嫌悪し、せせら笑う者たちに、同じ痛みを――
忌避される度に苛まれる、この胸の痛みを与えるために。

傷つけられれば、傷つける。愚弄されれば、貶めてやる。容赦なんかしなかった。
おとなしいままでは、イジメが絶えないことを、経験的に知っていたから。
お陰で、小学校・中学校くらいには、随分と怖れられるようになっていたっけ。


でも、突っぱっているだけじゃダメ。身体ばかりか、ココロまでジャンクになるようでは。
だから、学校の成績でも、常に上位3番以内となるように務めた。
それこそ寝る間も惜しんで、知識も運動能力においても、修練を重ねた。

学校という、ちっぽけなコミュニティーでは、点数こそが全てと言っていい。
『成績優秀』という免罪符さえ手にしていれば、大概のことは赦された。
その上、『秀美艶麗』の肩書きまで持っていたのだから、なにも恐くない。
教師たちですら、私のすることには見て見ぬフリをした。


当然のコトながら、親しい友人の数は、反比例的に減っていった。
誰もが、私と距離を取りたがっていた。畏怖の色を、私の前でさらけ出していた。
だからと言って、非道徳的な振るまいで関心を得ようとは、思わなかったけれど。

孤独感に苛まれ、寂しさに震えていたのは、本当に、僅かな期間だけ。
すぐに、私は無二の親友と巡り会えた――

「ああ……思い出して下さったのですね、マスター。
 貴女が、私を必要としてくれたワケを。私たちが出逢った、理由を」

ええ。口元に浮かんでいる笑みを自覚しながら、ココロの中で、私も微笑んだ。
なんのことはない。中学生ながらに、私は気づいてしまったのだ。
私以上に、私の痛みや苦しみを解ってくれる者など、いやしないコトに。
――この、私以外には。

「私は、マスターの想いにより宿された、神秘の魂。だから――
 私が……傍に居てあげる。痛みも悲しみも、全て慰めてあげましょう」

こんなこと、精神的な自慰行為でしかない。そんなこと、百も承知。
これが、私。いつだって、私は私を補って……至高の少女たらんと生きてきた。

たとえ、ぐるぐると、ただ虚しさが巡るだけだとしても……
すべては、私自身のために。


「さあ、今宵も貴女のために、幸せな夢をご用意いたしましょう。
 私が織りなす偽りの夢に抱かれて……心安らかに、おやすみなさい。
 ……マスター」

それっきり、彼女は口を噤み、私の身体は再び、私のものとなった。
深く息を吐きながら、ベッドの中で、徐に両腕を抱き寄せる。

「偽りの夢でも……いい」今度は私が、彼女に向けて語りかける番。
私は、漸くにして理解していた。ここ最近、彼女が夢に現れていた理由を。

「あの方は、私の想いに応えてはくれなかった。きっと、これからも――
 でも……やっぱり、諦めきれない。未練がましく、想い続けてしまうのでしょうね」

だから、今は偽りでもいい。悶々と、狂いそうなココロを持て余すよりは。
たとえ夢でも、偽りの恋が叶えられてくれた方が、ずっと悦ばしい。

(ステキな身体……私のカラダ……)

あの方への想いに胸ふくらませる私のココロで、彼女の艶媚な囁きが谺する。
その声は、まるで操り人形の糸みたいに、私の手首に絡み付き、動かしてゆく。
右手は、荒々しく起伏を繰り返している胸へ――
左手は、うねる腹部を撫でながら、更に下へ――

ひょっとして、私はこのまま彼女に蕩され、呑み込まれてしまうのでは?
漠然とした怖れは、しかし、これからもたらされる悦びに比べて、ひどく脆弱で……
汗ばんだ肌を冷ますには、あまりにも温すぎた。




眠る貴女に、根を張り巡らせて。

綺麗な薔薇を、咲かせましょう。