※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 
 
  ―葉月の頃 その8―  【8月24日  湯屋】②
 
 
朝――
まさにペールギュント第一組曲の『朝』が、どこかから聞こえてきそうな、
とても清々しい山の朝を迎えた、午前八時のこと。
朝餉の席を囲む誰もが、質素ながら「これぞ純和風!」と言わしめる朝食を前に、
目を輝かせる。ご当地ならではの食事を楽しむのも、旅の醍醐味なのである。


ところが……

大広間に顔を揃えているのは、7人。
そのため、美味しそうな山の幸を前にしていながら、誰ひとりとして、
料理に箸をつけられずにいた。

やっと身体も目覚め始めて、お腹が空いてきた頃合いだけに、これは拷問に近い。
雪華綺晶に至っては、じぃーっと料理を凝視して、ソワソワ肩を揺すっていた。
ここで膳を片づけようものなら、誰彼かまわず、痛快まるかじりしそうな雰囲気である。


……と、徐に大広間のふすまが横すべりして、翠星石が仏頂面を覗かせた。
いつまでも起きてこない相部屋の四人を心配して、様子を見に行っていたのだ。

「おかえり、姉さん。どうだったの?」

ふすまに最も近かった蒼星石が、みんなを代表して問いかける。
翠星石は眉を曇らせたまま、溜息混じりに、かぶりを振った。

「ダメですぅ。あいつら、完全にダウンしちまってるですよ。
 4人とも『気持ち悪い、アタマ痛い』って、朝食は食べたくないそうです」
「ええっ? あの部屋の全員が? どうしちゃったんだろう……。
 夜中は冷え込んだから、風邪でもひいたのかな?」

心配そうな蒼星石の声に、その場の誰もが、不安な面持ちを浮かべた。
ただ一人……翠星石を除いて。


「風邪だったなら、まだ許せるです。まったくもうっ……あの連中ときたら!」

なにやら腹立たしげに捲し立てる彼女に、全員の奇異な眼差しが向けられる。
一体、あの4人に何があったのだろうか。
誰かが疑問を投じるより早く、翠星石の唇から、コトの次第が猛然と吐き出された。

「あいつら、明け方まで酒盛りしてたそうですよっ!
 ドアを開けた途端、むわぁーっと酒臭くて、クラクラしちまったですぅっ」
「ああ……なんか、分かる気がするよ」

額に手を当てて項垂れる蒼星石に同調して、ジュンや巴も、やれやれと吐息する。
みっちゃんと水銀燈という『最凶うわばみ衆』が同室になった時点で、
この顛末は予測しておくべきだった。いや……するには、していた。
だが、真紅や金糸雀が一緒だからと、楽観していたフシもあったのである。

「真紅も金糸雀も、意外に乗せられやすいのよー」

ポツリと囁かれた雛苺の言葉が、ズバリ核心を衝いている。
『お酒の一杯も飲めないだなんて、真紅ってば、ホぉントお子さまねぇ♪
 だから、いつまで経っても、胸が小さいままなのよぉ☆』
――なんて、水銀燈にバカにされれば、真紅のことだ。
『そのくらい、どうってコトないのだわっ!』と、
売り言葉に買い言葉の挑発に乗って、一杯が、いーっぱいに……。

金糸雀の方は、もっと単純だろう。
幼少の頃から姉のように慕ってきたみっちゃんに飲酒を迫られ、断りきれず――
――という展開が、誰の目にも浮かんだ。

「一応、酔いどめと栄養ドリンクは、ムリヤリ飲ませてきたですけど……
 もう知らんです。おバカな連中には、付き合いきれねぇですよ」

翠星石は、蒼星石の隣りに座ると、わっしと箸を掴んだ。
「あぁん……もう腹ペコですぅ~。
 あいつらの分まで、美味しい食事をむっはむっはと食べちまうですっ」

酷なようだが、それが正論。早く食べてしまわないと、片づけられてしまう。
異議を唱える者などおらず――唱えられる雰囲気でもなかった――
大広間に吹き荒れる、盛大なる「いただきます」の嵐。

ダウンした4人のために、天ぷらなどを気持ちばかりに取り分けて、
残りはみんなで仲良く平らげてしまった。




朝食を済ませてしまうと、今度は手持ちぶさたな時間が訪れる。
当初の予定では、河原で遊んで、お昼にバーベキューを楽しむハズが……
酔いつぶれた4人を置き去りにするワケにもいかず、計画は白紙撤回となった。

だが、そこは若い面々のこと。室内で、ボケボケと過ごしてなんていられない。
八月も末とは言え、暑い日射しの中に飛び出したい衝動は、抑えられなかった。


「――なのに。なぁんで私が、おめーと留守番しなきゃならんのです」

和室の窓辺に置かれた籐の椅子にちょこんと座っていた翠星石は、
中庭の池を眺めながら、不満の色も露わに、ぶちぶちと文句をたれた。
殆ど……と言うか、百パーセント八つ当たり。
膝を突き合わせて涼んでいた薔薇水晶は、無言かつ無表情のまま、翠星石を見つめた。

「なっ、なんです、その眼は。こっち見んなですっ」
「…………」
「だから見んなと――」
「…………」
「もうっ! なんとか言えですよっ!」
「……御館……さま」
「それ、山本勘助の真似です? 大河ドラマの見すぎですぅ」

翠星石に冷たく切り返されて、薔薇水晶は悲しそうに目を伏せた。
ウケるとまではいかずとも、失笑を買って、場を和ませられると思っていたのだろうか。
彼女は、何も言わず席を立つと、トボトボと部屋から出ていった。


「む……ちょっと可哀相だったですかねぇ」

一人っきりになると、そこはかとなく心細さが募る。
ジュンと巴、雛苺の買い出し組は、ポテチなどのお菓子を調達すべく、
車で市街のコンビニまで行っている。帰ってくるには、まだ暫くかかるだろう。
蒼星石は、オディールと雪華綺晶をつれて、フィールドワークの最中である。
オディールの来日には、日本の山野草を見学する目的もあったのだ。
そして、件の4人は依然として、酔いツブレたまま――ときている。
現状で話し相手になってくれるのは、薔薇水晶だけだった。

「はぁ……しゃーねぇです」

このままでは、なんとなく後味が悪い。広い部屋に居るのに、窮屈な気分がする。
やはり、適当に宥めておこう。そう思って、翠星石が腰を上げようとした矢先、
部屋のドアがゴン、ゴン、と強く叩かれた。

誰だろうか? 最も酔いの浅かった金糸雀が、復活したのかも知れない。
「はーいですぅ~」と返事をして、ドアを開ける。
……と、そこには両手に缶ジュースを持った薔薇水晶が立っていた。
よく見ると、彼女の額の真ん中が赤い。
やけに激しいノックだと思ったら、どうやら、ヘッドバットだったようだ。


翠星石は不覚にもプフッと噴き出して、溢れそうになる笑みを、手で押し留めた。
けれど、小刻みに震える肩までは、抑えきれない。

「ときにモチツケ。翠ちゃん……きっと、ビタミンC不足」

薔薇水晶は、笑われていることなど気にも留めていない素振りで、
ずい! と、ジュースを差し出した。黄色いラベルは、C.C.レモンの証。
よく冷えているみたいで、缶が露を纏っていた。

お喋りで陽気な姉の雪華綺晶に比べ、薔薇水晶は寡黙で大人しい感じの娘である。
けれど、とても機転が利くし、トロそうな見た目に反して、行動力に溢れていた。
現に、こうして翠星石のために、ジュースを買ってくるほどだ。

「あ……ありがと、ですぅ」

軽く喉も渇いていたので、翠星石は素直に腕を伸ばした。

夏は、暑いし紫外線は強烈だしと、ビタミンCが多く消費される季節でもある。
些細なことでイライラしてしまうのも、冗談抜きに、ビタミンC不足かも知れない。
八つ当たりした気まずさを誤魔化すように、翠星石は冷たい液体を、一息に干した。

「んっ……んっ…………くぅぁ~っ! 喉がチリチリするですぅ~」
「なにも、イッキ飲みすることないのに」
「分かってねぇですねぇ。この爽快感を味わってこその、炭酸飲料なのですよ?
 気の抜けた炭酸飲料なんて、ただの甘ったるい水でしかねぇですぅ」
「なるほど……言えてるね」

ニコッ。薔薇水晶は微笑んで、翠星石に倣い、炭酸をグイグイと喉に流し込んだ。
そして、はぁふ――吐息に紛れて、けふ……と小さく、おくびを漏らす。

「くすっ……お行儀の悪いヤツですぅ」

ビタミンC効果ではあるまいが、もう翠星石の表情に、先程の険しさはなかった。
薔薇水晶も心得たもので、如才なく話題を転じる。

「さっき見てきた様子だと、真紅たち……まだ、起きそうもないよね」
「うん? そう……ですね。それが、どうかしたです?」
「……お風呂、行かない? 今だったら、ちょっとなら目を離しても――」
「ああ、なぁるほど。いいアイディアですかもぉ」

どうせ、他にすることもなく、退屈していたところだ。

「温泉に来てるですから、湯治を楽しまなきゃ損ってもんですぅ」
「でしょ? と言うワケで……レッツゴー☆ハダカの触・れ・合・い♪」
「…………おかしな表現すんなです」

ぺしっ! 
翠星石は薔薇水晶の頭を軽く叩いて、いそいそと入浴の支度を始めた。




入浴――と、口で言うのは簡単だが、翠星石みたいな髪の長い娘にとっては、
なかなかに大変なコトである。毛先まで髪をキレイに洗うのが大仕事だし、
湯船に身を浸すときも、頭の上で結っておかないと周りにダバーっと広がって、
はた迷惑この上ない事態になる。
おまけに、ドライヤーで髪を乾かすのも、長さ分だけ手間がかかるのだ。

まあ、それでも……髪を切る気なんて、更々なかったのだけれど。


「はふぅ~。いい気持ちですぅ~♪」

まだ午前中ということもあってか、利用客は、彼女たちだけだった。
髪と身体を洗い終えた翠星石は、浴槽に浸かって、首筋や肩をタオルで擦っていく。

なにを隠そう、この温泉――数ある効能の中でも特に、美肌効果を謳っている。
夏の暑い時期に、わざわざ温泉を選んだのも、翠星石が海の人混みを嫌ったこと、
加えて、玉のお肌を磨きたいという乙女ゴコロを満たさんがためだった。

こうして、いつもより多めに汗をかいていると、肌がツルツルになった気がする。
パシャリと胸元にかけた湯は、さらりと転がり落ちていった。

「周りは山に囲まれて静かですし、お料理も美味しいし……なかなか、いい温泉宿ですぅ。
 敬老の日には、おじじとおばばも連れて、また来ましょうです」

鉱泉の効果に気をよくして、翠星石は、にこにこと独りごちる。
きっと、祖父母も喜んでくれるだろう。
彼らの笑顔を思い浮かべると、ますます、翠星石は嬉しい心持ちになった。


だけれど……
その時にはもう、最も居て欲しい人は――蒼星石は、遠くへ行ってしまっている。
また、満たされない想いを抱いて、胸を焦がしながら暮らすのかと思うと、
ウキウキしていた気分は、たちまち羽ばたく力をなくして、沈み始めた。
まるで、ロウで固めた翼を失い、墜落してゆくイカロスのように。

この夏休みは、本当に賑やかで、楽しくて、例年になく充実している。
でも、楽しい時間を重ねれば重ねるだけ、終わりの瞬間に対価を請求されるのだ。
それも、法外で……耐え難い苦痛と、放心するほどの悲しみを――

遠からず訪れる、大好きな妹との離別。
イヤだ。いつまでも、ずぅっと一緒にいたい。
翠星石は、喉まで込みあげてきたワガママを、強引に呑み込んだ。
押し込めた本音が暴れて、ちょっぴり胸が痛かった。



「どうしたの? 怖い顔……してるのね」
「ふわっ?!」

思いがけず近い声に話しかけられて、翠星石は細い首を竦めた。
顔を巡らせば、いつからそうしていたのか、薔薇水晶がじぃ~っと見ていた。
問いかけていながら、既に全てを見透かしているような、いやらしい眼差しで。

「ちょ……ちょっと、のぼせたみてぇです」

翠星石は、ばったりとブチ当たった視線を、気まずそうに下げた。
すると、必然的に、薔薇水晶の豊かな双丘が視界に飛び込んでくるワケで……
今朝も目にしていたが、改めて、その発育の良さに圧倒されかけた。

「気になる? 私の……おっぱい」

無意識のうちに、見比べていたのだろう。
問われて、翠星石は「ならねぇです」と、ぶっきらぼうに答えた。
でも、それが強がりであることは、当の翠星石が、一番よく知っている。
見た目――こと女の子らしさについては、どうしても対抗心を燃やしてしまうのだ。

誰だって、そう。あからさまに口にしないから、あまり表立たないだけ。
笑顔の裏では、ひっそりと優越感に浸ったり、激しい嫉妬にいきり立っていたり――
なかなかに複雑な感情が、深い闇を湛えて渦巻いている。

モチロン、薔薇水晶も、至って普通の女の子。
同い年の親友として、翠星石の本心は、手に取るように解っていた。

「ふふ……ねえ、知ってる?」

怪しい笑み。妖しい眼差し。これが勝者の余裕というモノか。
翠星石は眉間に深い縦皺を刻んで、まじまじと薔薇水晶を見つめた。
いったい、何が言いたいのだろう?
訊いてはいけないような、それでいて、訊いてみたいような。
暫し迷っていたけれど、翠星石は結局、好奇心に動かされてしまった。


「知ってるって――何を、です?」
「よゐこの……胸の育て方♪」
「はぁあっ?!」

素っ頓狂な声をあげる翠星石の目の前で、薔薇水晶がバチンと手を打ち鳴らす。
早い話が、猫だまし。虚を突かれ、翠星石は一瞬、茫然自失に陥った。

その間にも、薔薇水晶は合掌したまま、ナゾの呪文を詠唱する。

「チッチチッチ、おっぱーい……ボインボイーン」
「な、な……なんてこと口走ってやがりますか、おめーはっ!」
「もげ――――っ!!」
「ひぃっ」

やっと我に返ったのも束の間、またもや奇声の一喝で、翠星石は身を竦ませた。
そして、次の瞬間っ!

「……うりゃっ♪」

お茶目な掛け声と共に、薔薇水晶の両手が、翠星石の両胸を、わっしと掴んだ。

「き、きゃああぁぁあぁ――っ! な、なにしやがるです――っ!」
「お・ま・じ・な・い☆ ぼいんぼいーん♪」
「おバカ水晶っ! なにが、ぼい……やんっ……そんな……も、揉む……なですぅ!」
「……むむぅ。来てます……ハンドパワーです」
「こっ……こっ……この――」

どあほうが――――っ!! 雷鳴の如き怒声が、空を震わせ、水面を揺らす。
寸暇も待たず、めぎゃっ!! 途轍もなく鈍い殴打音が、浴室内に鳴り響いた。
その一連の威力は、窓辺で啼くセミすらも、ピタリと黙らせるほどだ。


再び、窓ガラス越しにセミの声が聞こえ始めた時――
そこには、両腕で胸を隠し、怒りに身を震わせる翠星石と、
『犬神家の一族』のワンシーンよろしく両脚を水面に突きだして浴槽に沈んだ、
薔薇水晶の姿があった。
例によって、翠星石のまさかりチョップが、薔薇水晶の側頭部を一撃したのだ。


「この、おバカ! そのまま、くたばっちまえですぅっ!」

助け上げるつもりなど毛頭ないらしく、翠星石は捨て台詞を吐いて、
頭からプンスカ湯気を立てながら、浴室から出ていった。




その数分後――
薔薇水晶は、酔いざましの入浴に来た水銀燈とみっちゃんに発見され、
なんとか一命を取り留めた。

目を覚ますなり、彼女は介抱してくれた水銀燈たちに、こう呟いたという。


「この怨み……地獄に流しま…………せん」


今夜の予定は、みんなで肝試し。報復には、もってこいのシチュエーション。
薔薇水晶は金色の瞳を爛々と輝かせ、凄みのある笑みで、可憐な唇を歪めていた。