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  1947.4.18
  オルシュティン近郊
 
 
 
真夜中の廃墟に蠢く、何者かの気配――
雨の後の湿った夜風が、ピリピリした緊迫と、一触即発のニオイを運んでくる。
それを嗅いでしまうと攻撃されそうな気がして、知らず、真紅は息を詰めていた。

注意深く、物陰を見回していく……と、潜んでいる人影が複数、確認した。
服装は統一されておらず、正規軍でないことは明らかだった。
つい最近に、レジスタンスや難民が流れてきて、住み着いたのかも知れない。


「……撃ってこないわねぇ。ホントに囲まれてるのぉ?」


砲塔に設けられたピストルポートで、水銀燈は外の様子を窺いつつ訊いた。
ポートが小さすぎて、全体が見渡せないらしく、声に苛立ちが紛れている。

「ああ、もうっ……あったまくるわねぇ」

焦れた水銀燈は舌打ちすると、真紅の隣に上がって、むりやり頭を並べた。
ただでさえ狭いキューポラは、たちまち窮屈な空間となる。
自ずと、互いの息がかかるくらい身体が密着して、蒸し暑さが増した。

真紅は頬をくすぐる彼女の吐息に耳を染め、不平を言おうとしたものの、
ぐっと呑み込んで顎をしゃくった。
示された方角のペリスコープを覗いた水銀燈は「あらぁ」と、いたって暢気に呟く。

「思いっ切り、パンツァーシュレッケで狙われてるじゃなぁい」
「こちらが抵抗の素振りを見せないから、様子を見ているんでしょうね。
 ちょっとでも砲塔を旋回させようものなら、すぐにロケット弾が飛んでくる筈よ」
「様子を見るくらいだから、好戦的で無秩序な部隊じゃないみたいだね。
 試しに、ボクが白旗を掲げて出てみようか?」
「待ちなさい、蒼星石」

静かに、だが強い語調で、真紅は装填手用ハッチに指を掛ける蒼星石を引き留めた。
「車長は私よ。どうするかは、私の判断に従いなさい」

言って、襟元に巻いていた真っ白い絹のスカーフを外し、水銀燈の瞳を見つめた。

「私に、もしもの事があった時には…………みんなを頼むわね、水銀燈」
「はぁ? いきなり、なに言い出すかと思えば、バカじゃなぁい?
 もしも……だなんて危ぶむくらいなら、最初っから、私に任せておきなさいよ。
 おばかさんの真紅よりは、よっぽど巧く交渉でき――」
「いいから、下がっていなさい。これは命令よ」

有無を言わせぬセリフでありながら、あくまで穏やかに……。
負けず嫌いの水銀燈は、更に食い下がろうとしたが、結局、渋々とキューポラを降りた。
ここで言い争っていても埒があかないことは、彼女とて承知している。
そして、真紅が時に我を曲げない強情さを発揮することも、理解していた。

「ありがとう、水銀燈」
「……ふん。おばかさんの真紅なんか、のこのこ出てって、撃たれちゃえばいいのよ」
「貴女に心配してもらえるなんて、嬉しいわね」
「ほぉんと、救いようのないおバカさんだわ」

水銀燈の憎まれ口に笑顔を返しつつ、真紅は砲塔の上に誰も乗っていないことを確かめた。
もし外に襲撃者が居て、ハッチを開けた途端に手榴弾を投げ込まれたら、一巻の終わりだ。
だが、幸いにも、近接している者は皆無だった。

真紅は、襲撃者たちを刺激しないよう、ゆっくりとハッチを押し上げていった。
その段階ではまだ、不用意に頭を出したりしない。
用心のため、利き腕とは反対の手でスカーフの端を摘み、ハッチの外に伸ばした。
撃たれるかも知れない。弾が当たったら、どれだけ痛いのかしら?
激しい動悸に見舞われながら、恐る恐る……ゆっくりと振ってみる。


――反応は、何もなかった。銃弾どころか、人の声すら飛んでこない。
意を決した真紅は、慣れた身のこなしでハッチを擦り抜け、砲塔の上に立ち上がった。
雨上がりの、じっとりと湿り気を含んだ夜風に、金色の糸束がたゆたう。
物怖じしない彼女の態度は、言い知れぬ威厳を――覇者の気迫を――放っており、
襲撃者たちに少なからぬ動揺を与え、畏縮させた。

けれど、怖いのは真紅とて同じ。
堂々と振る舞っていても、いつ撃たれるか分からない恐怖で、両脚が小刻みに震えている。
僅かでも気を抜けば、膝がカクンと折れてしまいそうなほどに。

夜中でよかった。昼間なら、脚の震えを見られて、怖れを悟られていただろう。
真紅は自らを奮い立たせるため、気取られないよう深呼吸して……
凛とした眼差しを、廃墟に潜む者たちへと走らせた。


「何者なの! 姿を見せなさい!」

静寂を破って、夜闇に谺する真紅の声。
気を張っていたつもりだったが、少しだけ語尾が震えていた。
それを虚勢と見抜かれたのか、廃墟の中から応える声は無い。


(やはり徹底抗戦しかないの?)

本意ではない。だが、生き延びるためならば、銃を撃つことを躊躇ったりしない。
父を止めるため軍属となった時から、人を死に追いやることも、覚悟の上だった。

反応がないなら、仕方がない。先制して、廃墟に榴弾を撃ち込むまでだ。
黒髪を逆立たせた青年が、ティーガーⅢの前に立ちはだかったのは、
真紅が胸の内で心を決めたのと、ほぼ同時だった。

わりと小柄な体躯で、やけに額の広い男だった。
鋭い目つきと、口元に浮かべた薄ら笑いに、自信家らしさが滲み出している。
武器は携えていないが、真紅を射竦めるように睨みながら、歩み寄ってくる。
車内では、金糸雀が前面機銃に指を掛けて、いつでも撃てる体勢に入っていた。

それを察してか、車体から約5メートルの距離で、青年の歩が止まる。
30秒ほど、異様な緊迫感が漂う中、青年はゆっくりと右腕を上げた。
「攻撃は中止だ」


その一言で、肌を刺し、身を斬るほどに張り詰めていた殺気が、雲散霧消する。
パンツァーシュレッケを構えていた少年も、緊張の糸が切れたように惚けていた。
顔を突き合わせて、初めて気付いたのだが、少年はメガネを掛けていて、
どこか臆病な印象を、見る者に抱かせる顔立ちをしていた。

(東洋系の顔つきだわ。日本人……かしらね)

真紅に、じっと見つめられていると察した彼は、気まずそうに顔を背けた。
他人との付き合いが、あまり上手ではないようだ。

「すまなかったな。見慣れないシルエットだったから、敵の新型戦車と誤認した。
 まあ、こんな深夜に単独行動してたんだし、自業自得ってもんだろ?
 夜間にありがちな不慮の事故さ。死人が出なかっただけ、マシだと思えよ」

車体の前方から投げかけられた声に、真紅は我に返った。
振り向くと、リーダー格の青年が腰に両手を当てて彼女を見上げ、ニヤニヤしている。
その、いかにも自分たちには否がないという口振りに、真紅の神経が逆撫でされた。

「べらべらと、おしゃべりな男ね。あなたは何者? 名乗りなさい」
「こりゃまた…………随分と気の強ぇ嬢ちゃんだぜ」

青年は人を食った態度で肩を竦め、くっくっ……と含み笑った。
そうやって相手を逆上させ、心理的な優位を得ようという企てだろう。
思惑どおりに踊ってやる義理もない。真紅は腕組みして、青年を冷ややかに見下ろした。

「ひとつ忠告してあげるわ。男の多弁は品位に欠けるわよ。
 それと、無駄口を叩く暇があるのなら、履帯の修理を手伝いなさい」
「……ほぉ。良家のお嬢様って感じなのに、いい度胸してるな、あんた」

包囲され、相手の気分ひとつで生死が決まる状況に置かれていながら、
少しも動揺しない真紅の気丈さに圧されて、青年の口元から薄ら笑いが消えた。

「ただの世間知らずだったとしても、そういう威勢の良さは、嫌いじゃないぜ?
 俺は、ベジータだ。この寄せ集め部隊の隊長を務めている。
 ……お、来たな。で、こいつが――」

ベジータと名乗った青年は、廃墟の中から歩み出てきた人物を……
あのメガネを掛けた気弱そうな少年の姿を認めて、がっしりと肩を組んだ。

「俺の頼もしい相棒だ。日本人でな、仲間内じゃあ、ジュンって呼んでる。
 手先の器用な奴だから、武器の手入れなんかをしてもらってるんだ。
 キャタピラの交換は、こいつに手伝ってもらうといい。
 足りないなら、必要なだけ人手を貸すぜ」
「……解ったわ。そうそう……すっかり名乗り遅れていたわね。
 私は、真紅。このティーガーⅢの車長よ」

真紅の自己紹介に、ベジータは「よろしくな」と、片手を上げて応じたが、
ジュンと紹介された少年は、無愛想に顔を背けて、決して目を合わそうとしなかった。

正規軍ではないが、まあ、少なくとも盗賊まがいの連中でもなさそうだ。
真紅は身軽に砲塔から車体へとステップして、ぬかるんだ大地に降り立った。


「私の仲間も紹介しておくわ。貴女たち、大丈夫だから出てきなさい」

その呼びかけで、水銀燈が真っ先に顔を覗かせる。
彼女は、するりと砲塔の上に飛びあがって、両腕を夜空に突き上げた。
夜の静けさもあって、彼女の背中が鳴る音が、やけにハッキリ聞こえた。

「あ~ぁ。戦車の中って窮屈だから、身体中の関節が痛いわぁ」

などと軽口を叩きながらも、金糸雀と翠星石に手を貸す気遣いを忘れない。
勝手気ままな性格の彼女だけれど、これでなかなか、面倒見のいい一面もあった。
実際、水銀燈は五人の中で最年長。みんなにも、実の姉みたいに慕われている。


そんな彼女たちの逞しさに、ベジータとジュンは感嘆の念を覚えていた。
試作型とはいえ最新鋭の重戦車を操り、数多の敵を撃破してきた勇士たちが、
こんなうら若い乙女だなんて……誰が想像しようか。

「驚いたな。搭乗者は全員、女の子なのかよ。大したもんだと思わないか、ジュン」
「意外にアタマ固いのな、お前。こんな時代だぞ。能力さえあれば、男も女もないだろ」
「それもそうか。お前の同僚も、彼の工房で働いてるんだからな」
「ああ……久しぶりに会いたいよ。あいつ、元気でいると良いんだけど」

娘たちの様子を眺めつつ、内輪の話を交わしていた彼らだったが、
最後にひょいと躍り出た蒼星石を目にするや、雷に撃たれたように背を伸ばし、絶句した。
まぬけに口を半開きにして、一見すると少年にも見える娘に、異様な視線を送っている。
奇妙な気配に気付いた真紅は、蒼星石を庇うように、彼らの視界に割って入った。

「乙女の姿を舐めるように見回すなんて……想像以上に下劣な連中ね」
「う……いや、その……じ、じゃあ、後のことは任せたからな、ジュンっ!」
「なっ?! そりゃないだろっ!」

言葉を濁して、ベジータは早々に立ち去ってしまった。
独り残されたジュンにすれば、この状況、針の筵もいいところだ。
しかも、気まずい雰囲気を嗅ぎつけた水銀燈が加わったから、事態は悪化するばかり。
最後には、五人の娘にぐるり囲まれ、危うく濡れ衣を着せられそうになって――

「だぁーっ! お前ら、うるさーいっ! さっさとキャタピラ直すんだろっ」

修理の二文字を楯に取って、茶を濁すほかなかった。



――∞――∞――∞――∞――

1947.4.18

まさか、こんな所で足止めを食うなんて……想定外だわ。
敵との遭遇戦を避けるために、少し遠回りをしたのに――
これじゃあ、本末転倒じゃないの。

それにしても、どこまで信用していいのかしらね。
彼らは、パルチザンだもの。少なからずドイツ軍に反感を抱いている筈よ。
ポーランド併合後、SSやゲシュタポは、随分と酷いことをしてきたらしいし。

――嫌なものね。他人を疑うことって。
だけど、あの二人は……
ベジータとジュンだけは、信頼しても良さそうな気がする。
私の、甘ったれた考えかも知れないけれど。

――∞――∞――∞――∞――



幸いなことに、地雷による損傷は、転輪にまで及んでいなかった。
その為、砲塔脇のラックに下げていた予備の履帯を交換しただけで修理は完了した。
所要時間は、およそ2時間。それでも、作戦行動中にあっては重大な遅れだ。
全体で見れば、たった1両の遅滞。
だが、この鋼鉄の獣は、戦局を一変させるだけの破壊力を持っている。
それだけに、僅かな遅れでさえ許されなかった。


他の娘たちが、車内に戻って出発前の点検を行っている間、
真紅は習慣づいた手記を綴り、ジュンは、履帯の最終確認をしていた。
お互い、何を話していいのか分からず――その必要も感じないまま――
ただ背を向け合うだけ。夜の闇が、ヤケに重たかった。

そこに、いきなり砂漠の乾いた風みたいな軽い声が吹き抜けて、
二人に絡みつく沈鬱を払い飛ばした。


「よお、お疲れさん。案外、早く終わったな。
 夜が明けちまうんじゃないかと、気を揉んでたんだぜ」

いつもの薄ら笑いを浮かべて、ベジータが温かいコーヒーのカップを手に歩いてきた。
「まあ、飲めよ」と差し出されたカップを、ジュンは礼を言って受け取り、啜った。
だが、真紅は険しい目をしたまま、受け取ろうとしない。
仕方なく、ベジータは苦笑いながら腕を引いて、自分の口に運んだ。

真紅が邪険な態度をとるのは、やはり先程の件が、尾を引いているのだろう。
今も睨まれているのに、ベジータは一切、弁解しようとしない。
ジュンは思い詰めたように彼を横目に見ながら、真紅に話しかけた。

「そんな目で、こいつを見ないでやってくれよ。さっきのには理由が――」
「おい! ジュンっ」

語気強く、話を断ち切ったのは、ベジータの声。「余計なコトは喋るんじゃねえ」

「だけどな、ベジータ」
「俺の事は、どうでもいいんだよ。それより……折り入って、あんたに頼みがある」
「私に? なにかしら」

真剣な表情のベジータに気を呑まれて、真紅は身を強張らせた。
なにを頼もうと言うのだろう。聞いてみないことには、可否もままならない。
彼女は、ひとつ頷く。それは――話を聞いてあげるという合図。
ベジータは心持ち、表情を和らげた。

「恩に着るぜ。頼みというのは、あんたらに同道させてくれってことさ。
 俺たち47人は、ある場所を目指してるんだが、なにぶんにも装備が脆弱でな。
 敵の戦車部隊に出くわしたら、殆ど対抗手段がないんだ」

彼らが保有する対戦車兵器パンツァーシュレッケは、有効射程が150m程度。
対して、敵の戦車は1000m離れた場所から砲弾を撃ってくる。
これでは、最初から勝負にならない。

「それによ、俺たちが随伴することは、あんたらにだってメリットがあるだろ」
「……そうね」

ちょっとだけ考え込んで、真紅は返答した。
戦車に乗っていると、どうしても視界が狭まって、敵の発見が遅れてしまう。
今回のような単独行動だと、その遅れが致命的となり得た。
その点で、歩兵が随伴してくれれば、索敵の面で大いに心強いのである。

「事情は解ったわ。同行したいのならば、勝手になさい。
 私たちは上からの命令に従って、オルシュティン経由でワルシャワに向かうわ。
 それでも良ければ、だけれど」
「充分だ。俺たちの目的地は、その途中にあるからな」

ベジータは、ニヤリとジュンに笑いかけて、コーヒーを呷った。
ジュンも、嬉しそうにはにかみ、カップを唇に運んだ。

「これで、先生の工房に辿り着けそうだな、ベジータ。
 あいつにも、久々に会えるのか……楽しみだよ」


先生――
それに、あいつ……とは、何者なのだろう?
ジュンの嬉しそうな態度から察して、かなり親しげな人物らしい。
なんとなく女の直感を刺激された真紅は、興味本位で、ジュンに訊ねてみた。

「ねえ……先生って?」
「ん? ああ……真紅が知ってるかは分からないけど、エンジュって人だよ。
 まだ若いのに、すごく優秀な技術者でさぁ。
 その人の所でジェット技術を学ぶため、僕はもう一人の同僚と、日本から来たんだ」
「んで、俺たちはエンジュが率いている反抗組織と合流するために、
 兎の砦と呼ばれる、彼の地下工房を目指してるってワケだ」

ジュンとベジータは、その後も色々と話し続けていたが、真紅の耳には残らなかった。
突如として飛び出した名詞を聞くなり、彼女の思考は真っ白になっていたのだ。


  エンジュ――
  槐――


それは、かつて父の元で新エネルギーについて研究していた人物を表す言葉。
ずっと昔、彼女が実の兄のように慕っていた青年の名前であり、
父ローゼンの失踪と時を同じくして、行方を暗ました男の呼称であった。